日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
Big shadow(大きな影)
ロッキーの息子 ロバートは、父親の大きすぎる存在を、半ばうとましそうにこう言った。
エイドリアンの死から、心にぽっかり大きな穴があいてしまったロッキーは、それでもレストラン経営者として 地道な日々を送りながら、時が刻まれる音を意識するかのように生きていた。
ところがある日、シミュレーションアニメのキャラクターとして使われたことから、過去のロッキーの栄光が今一度世の中に引っ張り出されてしまうことになる。
結果、人々の興味をひきつけたことが、虚構のアニメ世界での対戦を 現実世界で再現しよう、とする動きに、拍車をかけることになる。
息子ロバートは、「試合をするつもりだ。」と言ってきたロッキーに言うのだ。
「まったく自分勝手な話だね。いったいパパは世間に何を認めさせようとしてるんだ。」
「とっくのとうに、人がどう思うかなんて、考えるのはやめたよ。自分がどう考えるか、だけだ。」
「現実を見てみてよ・・・もうあのころとは世界がまったく変わってしまったんだ。パパが何をしたとしても、なんだってすぐに過去のものになってしまうのがわからないの?」
It's just Ego talking.
What are you trying to prove to other people, Pa?
I stopped thinking what other people think a long time ago.
You've got to think like you think.
Face reality.
It's a different world now.
Whatever it is, whatever you're going through, It'll pass.
ローキーファイナルでは、ロッキーと息子ロバート、ロッキーと義兄ポリーの会話が魅力的だ。
水曜のやわらかい英文法、映画のダイアログも時々入れていきます。
もうちょっとロッキー続けようかな。
でも、ヒアリングあまり得意でないので、ちょっとした間違いがあるかもしれませんが、先にごめんなさい。といっておきます。
ではまた来週。
ロッキーの息子 ロバートは、父親の大きすぎる存在を、半ばうとましそうにこう言った。
エイドリアンの死から、心にぽっかり大きな穴があいてしまったロッキーは、それでもレストラン経営者として 地道な日々を送りながら、時が刻まれる音を意識するかのように生きていた。
ところがある日、シミュレーションアニメのキャラクターとして使われたことから、過去のロッキーの栄光が今一度世の中に引っ張り出されてしまうことになる。
結果、人々の興味をひきつけたことが、虚構のアニメ世界での対戦を 現実世界で再現しよう、とする動きに、拍車をかけることになる。
息子ロバートは、「試合をするつもりだ。」と言ってきたロッキーに言うのだ。
「まったく自分勝手な話だね。いったいパパは世間に何を認めさせようとしてるんだ。」
「とっくのとうに、人がどう思うかなんて、考えるのはやめたよ。自分がどう考えるか、だけだ。」
「現実を見てみてよ・・・もうあのころとは世界がまったく変わってしまったんだ。パパが何をしたとしても、なんだってすぐに過去のものになってしまうのがわからないの?」
It's just Ego talking.
What are you trying to prove to other people, Pa?
I stopped thinking what other people think a long time ago.
You've got to think like you think.
Face reality.
It's a different world now.
Whatever it is, whatever you're going through, It'll pass.
ローキーファイナルでは、ロッキーと息子ロバート、ロッキーと義兄ポリーの会話が魅力的だ。
水曜のやわらかい英文法、映画のダイアログも時々入れていきます。
もうちょっとロッキー続けようかな。
でも、ヒアリングあまり得意でないので、ちょっとした間違いがあるかもしれませんが、先にごめんなさい。といっておきます。
ではまた来週。
エイドリアンのいないロッキー。
考えもしない状況から、ロッキーファイナルは始まった。
エイドリアンは、チャンピョンボクサー ロッキーの、真の理解者でもある 彼のいとしい妻。
ロッキー1では、まだ無名のロッキーが、シャイなエイドリアンを、朴訥な、でもとても真摯な言葉でくどくシーンが何度も繰り返された。
ぎこちない愛の始まりとともに、ロッキーのボクサー人生も勢いづき、ついには 、あの有名なラストシーンへといざなわれるのだ。
勝利を手にしたロッキーが、リングの上で、まぶたも開けられないほど腫れた血まみれ顔で、乳飲み子が、母の乳を探し求めるような表情で、エイドリアン エイドリアンと何度も妻の名前を連呼するあのラストシーンだ。
シャイで無口なエイドリアンは、いつもロッキーの傍にいて、どんなときでも かわらないやさしさと潜在していた芯の強さで、彼を支え続ける。
主役の「ロッキー」役であり、また脚本監督も同時に務めるスタローンは、その後の同シリーズで、頂点に登りつめたロッキーを、ちょっと覚めた目で滑稽に描いているようなところがある。
大邸宅に住み 見るからにオーダーメードのしゃれたスーツを着込み、メディアに引っ張りだこのロッキー。全てのメジャーな雑誌の表紙を飾り、コマーシャルでも超売れっ子。 エイドリアンに高価な毛皮を買うシーン。
そのアメリカンドリームの典型のような生活を、スタローンはもう一度始まりに戻すのだ。 ロッキー一族は人にだまされ破産して、一文無しのどん底に突き落とされることになる。
お金持ちのお坊ちゃんとして育ってきた息子ロバートは、やむなく転校した学校の、環境の違いに苦しみ、ここでロッキー親子の問題も浮上してくる。
スタローンは、俳優として頂点に登りつめた自身を、まるで試すかのように、 ロッキーをたたきつけ、迷わせ、手探りで一歩一歩進ませる。
そして本当に年をとったスタローンが、シリーズのファイナルで、エイドリアンのお墓の前に姿を現した。
続く
考えもしない状況から、ロッキーファイナルは始まった。
エイドリアンは、チャンピョンボクサー ロッキーの、真の理解者でもある 彼のいとしい妻。
ロッキー1では、まだ無名のロッキーが、シャイなエイドリアンを、朴訥な、でもとても真摯な言葉でくどくシーンが何度も繰り返された。
ぎこちない愛の始まりとともに、ロッキーのボクサー人生も勢いづき、ついには 、あの有名なラストシーンへといざなわれるのだ。
勝利を手にしたロッキーが、リングの上で、まぶたも開けられないほど腫れた血まみれ顔で、乳飲み子が、母の乳を探し求めるような表情で、エイドリアン エイドリアンと何度も妻の名前を連呼するあのラストシーンだ。
シャイで無口なエイドリアンは、いつもロッキーの傍にいて、どんなときでも かわらないやさしさと潜在していた芯の強さで、彼を支え続ける。
主役の「ロッキー」役であり、また脚本監督も同時に務めるスタローンは、その後の同シリーズで、頂点に登りつめたロッキーを、ちょっと覚めた目で滑稽に描いているようなところがある。
大邸宅に住み 見るからにオーダーメードのしゃれたスーツを着込み、メディアに引っ張りだこのロッキー。全てのメジャーな雑誌の表紙を飾り、コマーシャルでも超売れっ子。 エイドリアンに高価な毛皮を買うシーン。
そのアメリカンドリームの典型のような生活を、スタローンはもう一度始まりに戻すのだ。 ロッキー一族は人にだまされ破産して、一文無しのどん底に突き落とされることになる。
お金持ちのお坊ちゃんとして育ってきた息子ロバートは、やむなく転校した学校の、環境の違いに苦しみ、ここでロッキー親子の問題も浮上してくる。
スタローンは、俳優として頂点に登りつめた自身を、まるで試すかのように、 ロッキーをたたきつけ、迷わせ、手探りで一歩一歩進ませる。
そして本当に年をとったスタローンが、シリーズのファイナルで、エイドリアンのお墓の前に姿を現した。
続く
毎日お昼に、「ロッキー」のスタローンを見ることができる一週間・・というのはどうだろう?
テレビ東京の1時半からの約2時間、今週はロッキー一色の一週間なのです。
すぐにお腹いっぱいになりそうで、1と2はなんとなく見過ごして、今日「ロッキー3」を観てみた。食べなれない分厚いステーキをたべてしまったような。でも消化力の弱い私もよくかめば大丈夫。
ロッキー1を観たのはどれほど前なんだろう?
あの後6まで続くなんて誰が思っただろうか。
ロッキーファンに怒られることを承知で言ってみる。でも私はあの1作品でロッキーは完結してほしかったと思うのだ。
でも、何かあるといけないから、4、5、6と全部見てみようと思う。
今日はそういえば水曜日。
ここ数週間、夏休みのような さぼり気味のような 水曜の「やわらかい英文法。」
きょうロッキーを観ていたら、get という動詞が、それはそれは何回も使われていた。本屋さんで、「get have takeで全てが言える」みたいな題名の本を見つけたことがある。買わなかったが、その作者の目の付け所のよさに感心したのを覚えている。
ロッキーが、子供の子守をしてくれる人に 出掛けに言う。
Don't get my kid beer, alright ?
(子供にビールをのませるなよ。いいな。)
最初の頃に説明した文型を思い出してください。これ、4文型です。
get は、人 に 何かを と、2個の目的語を取ることもできるのです。
You got me curious.
(お前は、好奇心をそそるね。)字幕では(変わったやつだな。)と出てました。
これは5文型。 me と curious の関係性を見てね。目的語と目的格補語です。
ちょっと文法に触れられてよかったです。
テレビ東京の1時半からの約2時間、今週はロッキー一色の一週間なのです。
すぐにお腹いっぱいになりそうで、1と2はなんとなく見過ごして、今日「ロッキー3」を観てみた。食べなれない分厚いステーキをたべてしまったような。でも消化力の弱い私もよくかめば大丈夫。
ロッキー1を観たのはどれほど前なんだろう?
あの後6まで続くなんて誰が思っただろうか。
ロッキーファンに怒られることを承知で言ってみる。でも私はあの1作品でロッキーは完結してほしかったと思うのだ。
でも、何かあるといけないから、4、5、6と全部見てみようと思う。
今日はそういえば水曜日。
ここ数週間、夏休みのような さぼり気味のような 水曜の「やわらかい英文法。」
きょうロッキーを観ていたら、get という動詞が、それはそれは何回も使われていた。本屋さんで、「get have takeで全てが言える」みたいな題名の本を見つけたことがある。買わなかったが、その作者の目の付け所のよさに感心したのを覚えている。
ロッキーが、子供の子守をしてくれる人に 出掛けに言う。
Don't get my kid beer, alright ?
(子供にビールをのませるなよ。いいな。)
最初の頃に説明した文型を思い出してください。これ、4文型です。
get は、人 に 何かを と、2個の目的語を取ることもできるのです。
You got me curious.
(お前は、好奇心をそそるね。)字幕では(変わったやつだな。)と出てました。
これは5文型。 me と curious の関係性を見てね。目的語と目的格補語です。
ちょっと文法に触れられてよかったです。
「ちび猫ちゃん。」
この言葉で、ふわふわのカーリーヘアーから、にょきっと可愛い三角の耳が突き出ている あの人間の形ををした猫ちゃんを思い出した人・・親近感を感じます。
私にとっての大島弓子さんは、漫画家 というよりも、感覚の共有者。や、これは巨匠にいたく失礼なので、ちゃんと言い直すと、感覚的な影響をとても受けた結果、自分の中に取り込まれてしまった大島ワールドが、自分本来のものに溶け込んで、あつかましくも自分顔をしだした・・という感じかな。
とにかく彼女の世界が大好きなのです。
だから、映画化したって知っても、逆に喜べなかった。
この世界を、実写で?
でも予想を大きく裏切って、すごくよかったです。
満足しました。 金子監督、日菜子ちゃん、佐野さん、風吹さん、ありがとう。
一流企業でエリートコースまっしぐらの主人と 気立てがよくて学校の成績も抜群の娘を持つ主婦、良子に、ガラガラと音をたてて、幸せの崩れる日がやってきてしまった。 平常に見えた毎日。の背後にあった、夫の会社辞職、娘の登校拒否というダブル事実を、突然知らされることになる。
何でも屋の会社を立ち上げ、ご近所にびらを配る二人に、良子は言うのだ。
「近所が仕事の宝庫ですって? あざけりと冷笑の宝庫よ。失業の夫。登校拒否の娘。ご近所の作り笑顔の向こうに 彼らの優越感が見えないの!?」
夫の失業と子供の登校拒否?それがあざけりと冷笑の的。というならば、なんのことはない、私自身も、その典型的な的なのかもしれない。だって私は両方ともしっかり経験済みだから。しかも、夫の失業は3回くらいあるもんね。
でも私、強がりで言うんじゃなくて、夫が失業していた時、すごく楽しかったんだ。毎日ハルと3人でいっぱいお散歩したし、3食一緒にゆっくりごはん食べて、家事もたくさん手伝ってもらって、バレエの送り迎えまでしてもらって。
今思い返すとほんとうに「大人の長~い夏休み」のようだった。
息子も高校行かなかった時期に、私がバレエから帰ると、おいしいお昼ご飯を作ってくれたりしてた。そして、だからというわけではないと思うけれど、今彼は料理の道に進んでいる。
世間が、あら、お気の毒に。かわいそうに。・・と思う状況であっても、実のところは けっこう気楽だったりもするということだ。
肩書きや名声やお金の額が素晴らしくても、心が空っぽという場合もあるだろうし。
誰かをうらやましい。と感じたとき、そう思う理由になっている要因が、その人の価値観とつながるのだと思う。例えば、大会社にお勤めのご主人、名門大学の子供達を持つ奥様をうらやましいと思うのであれば、その人は自分が他の人を見るときもその尺度で人を判断するのではないかな。
大きな一戸建て、お金持ち、匠、アーティスト、クリエイター、美男美女、セレブリティ、権力者・・人間が身につける固く重いさまざまな「よろい」を、なんとか身につけ続けていくために、人は 一生のうちのほとんどを費やし、過ごすのだ。
私だってそういうの、まったくうらやましくないわけではないけれど、今一番うらやましいな、と思える人たちは、何をしているとしても、世の中が作った理想の型・・みたいなのから、精神的にすごく自由で、人のために何かをすることに心底幸せを感じられる人。
私は、まだまだ自分のことに精一杯で、このまま行くと、人のために何もしないまま死んじゃうかもしれない。 生きているうちに少しはまともになれるだろうか。
この前の日曜日、私の母、きみさん がお世話になっているグループホームの「夏祭り」に参加してきた。
折に触れて 認知症の母を、人は「不憫でとてもかわいそう・・」と言ってくれる。
でもね、きみさん、とても穏やかな顔をしているのよ。みんなにすごく可愛がられているのよ。娘の私が最近思うのだ。きみさん案外幸せなんじゃないかって。
余興にいらしてくれたフラダンスのチームが、子供3人大人4人の上手な人たちで、最後に任意で観客の数人に、レイをかけて下さった。きみさんは事情がわからないので、私がレイを受け取って、舞台に導かれ、フラを一緒に踊ってきました。
なんだかとても楽しかったです。
この言葉で、ふわふわのカーリーヘアーから、にょきっと可愛い三角の耳が突き出ている あの人間の形ををした猫ちゃんを思い出した人・・親近感を感じます。
私にとっての大島弓子さんは、漫画家 というよりも、感覚の共有者。や、これは巨匠にいたく失礼なので、ちゃんと言い直すと、感覚的な影響をとても受けた結果、自分の中に取り込まれてしまった大島ワールドが、自分本来のものに溶け込んで、あつかましくも自分顔をしだした・・という感じかな。
とにかく彼女の世界が大好きなのです。
だから、映画化したって知っても、逆に喜べなかった。
この世界を、実写で?
でも予想を大きく裏切って、すごくよかったです。
満足しました。 金子監督、日菜子ちゃん、佐野さん、風吹さん、ありがとう。
一流企業でエリートコースまっしぐらの主人と 気立てがよくて学校の成績も抜群の娘を持つ主婦、良子に、ガラガラと音をたてて、幸せの崩れる日がやってきてしまった。 平常に見えた毎日。の背後にあった、夫の会社辞職、娘の登校拒否というダブル事実を、突然知らされることになる。
何でも屋の会社を立ち上げ、ご近所にびらを配る二人に、良子は言うのだ。
「近所が仕事の宝庫ですって? あざけりと冷笑の宝庫よ。失業の夫。登校拒否の娘。ご近所の作り笑顔の向こうに 彼らの優越感が見えないの!?」
夫の失業と子供の登校拒否?それがあざけりと冷笑の的。というならば、なんのことはない、私自身も、その典型的な的なのかもしれない。だって私は両方ともしっかり経験済みだから。しかも、夫の失業は3回くらいあるもんね。
でも私、強がりで言うんじゃなくて、夫が失業していた時、すごく楽しかったんだ。毎日ハルと3人でいっぱいお散歩したし、3食一緒にゆっくりごはん食べて、家事もたくさん手伝ってもらって、バレエの送り迎えまでしてもらって。
今思い返すとほんとうに「大人の長~い夏休み」のようだった。
息子も高校行かなかった時期に、私がバレエから帰ると、おいしいお昼ご飯を作ってくれたりしてた。そして、だからというわけではないと思うけれど、今彼は料理の道に進んでいる。
世間が、あら、お気の毒に。かわいそうに。・・と思う状況であっても、実のところは けっこう気楽だったりもするということだ。
肩書きや名声やお金の額が素晴らしくても、心が空っぽという場合もあるだろうし。
誰かをうらやましい。と感じたとき、そう思う理由になっている要因が、その人の価値観とつながるのだと思う。例えば、大会社にお勤めのご主人、名門大学の子供達を持つ奥様をうらやましいと思うのであれば、その人は自分が他の人を見るときもその尺度で人を判断するのではないかな。
大きな一戸建て、お金持ち、匠、アーティスト、クリエイター、美男美女、セレブリティ、権力者・・人間が身につける固く重いさまざまな「よろい」を、なんとか身につけ続けていくために、人は 一生のうちのほとんどを費やし、過ごすのだ。
私だってそういうの、まったくうらやましくないわけではないけれど、今一番うらやましいな、と思える人たちは、何をしているとしても、世の中が作った理想の型・・みたいなのから、精神的にすごく自由で、人のために何かをすることに心底幸せを感じられる人。
私は、まだまだ自分のことに精一杯で、このまま行くと、人のために何もしないまま死んじゃうかもしれない。 生きているうちに少しはまともになれるだろうか。
この前の日曜日、私の母、きみさん がお世話になっているグループホームの「夏祭り」に参加してきた。
折に触れて 認知症の母を、人は「不憫でとてもかわいそう・・」と言ってくれる。
でもね、きみさん、とても穏やかな顔をしているのよ。みんなにすごく可愛がられているのよ。娘の私が最近思うのだ。きみさん案外幸せなんじゃないかって。
余興にいらしてくれたフラダンスのチームが、子供3人大人4人の上手な人たちで、最後に任意で観客の数人に、レイをかけて下さった。きみさんは事情がわからないので、私がレイを受け取って、舞台に導かれ、フラを一緒に踊ってきました。
なんだかとても楽しかったです。
長年の友達はもちろん大事だけれど、この年代で、新しく知り合う人は数少ないので、大切にしていきたい。
バレエの帰りにたまたま寄ってパスタランチを食べたお店で、英語のフリーカンバセーションクラスを斡旋してくれることを知った。
申し込み人数が一人でも二人でも、ネイティブの先生がそのお店に来てくれて、お茶とケーキを食べながら楽しくお話をする。その費用が、お茶も含めて最初の一時間1500円。2時間め以降は980円と、私の知っている限りかなり抑え目なもの。
これはいいね・・と、私は悩むことなく速攻申し込んだ。
そこで出会ったのが、3年前にアメリカから来たとても魅力的な女性、ジェシカ。
おしゃれでセンスがよく、知的で、映画 本 アートにも詳しい彼女。
多分 娘に近い年齢だと思うけれど、年齢の違い、人種の違いがまったく障害にならず、いろんなことを飛び越えて、彼女とのおしゃべりに夢中になってしまう。
その彼女が、「きっと気に入ると思う。」と勧めてくれた映画が、10日前に公開したばかりの 「The Tree of Life。」
娘が仕事先からもらってきてくれた無料鑑賞券を使って、早速今日観に行ってきました。-------------------------------------------
生きていくのに大事なもの、こだわる事は、人によって違うだろうけれど、
私ひとりだけをとりあげてみても、10年前の私と今の私では、違っている。
それは、その時々に、ひとつひとつ自分の愚かさを認めながら 自分を、利己的なものから少しでも遠ざかるように、軌道修正してきたからに他ならない。
でもまた10年経てば、この2011年の自分に、この自分が執着していたものに対して、2022年の私が、なんとまあひどい。と、あきれるのだろうな、と思う。
そしてついには ひどく未完成なまんまで、死をむかえることになるのだろう。
「The Tree of Life」 の中で、ピットが演じている父親ほどではないにしても、子供をちゃんと育てなきゃ、と自分が一生懸命やっていたことが、今思えばひどくひとりよがりであったことを子供が成人してから思い知るのだ。
そして自分が娘として親に投げつけたひどい言葉の数々も、風化するどころか年を重ねるごとに逆に冴え渡り、今や私の肌のしみとなって私と一緒に生き続けているのです。
早く気づきたかった事がたくさんある。
でもそのときはどうしても気づけなかった。
もしも子供が、彼らの人生を切り開く前に命を断ってしまったら、親は苦悩と共生することさえも難しくなってしまうだろう。その苦悩は、まったく別の固体となって細胞分裂を繰り返し、巨大な怪物となって暴れまわるに違いない。
映画の前半、そこだけ観た人がいたならば、大自然の記録映画と見間違えてしまうだろうというほどに、壮大な大自然の映像が次々と映し出される。
でもその景色は、自然の持つ癒しの部分というものではなく、どちらかというと心に迫りすぎて どこか脅かされているような気持ちになってしまうようなものだった。
それはまるで、雲が渦巻く空の景色が、火山が 海低が 地球の青さが、親の苦悩、切なる祈りの 濃さ激しさを象徴するかのように、心に迫り、焼きつくのだ。
それともあれは、利己的に固まりすぎてしまった人間への、自然の怒りなのだろうか? いざなわれ吸収されてしまいたくなってしまうような、自然の怒り。
生まれたばかりの弟に、お兄ちゃんとしてのプライドを保とうと思いながらも、母親の胸に抱かれた突然のライバル出現に心穏やかではない小さな兄。
その微妙な表情が、演技と思えないほどの迫真で、私は圧倒されてしまった。
20年前の冬、生まれたばかりの息子に向けた 娘の複雑な視線が、あのときの風景と共に 私の中で、悲しくよみがえる。
バレエの帰りにたまたま寄ってパスタランチを食べたお店で、英語のフリーカンバセーションクラスを斡旋してくれることを知った。
申し込み人数が一人でも二人でも、ネイティブの先生がそのお店に来てくれて、お茶とケーキを食べながら楽しくお話をする。その費用が、お茶も含めて最初の一時間1500円。2時間め以降は980円と、私の知っている限りかなり抑え目なもの。
これはいいね・・と、私は悩むことなく速攻申し込んだ。
そこで出会ったのが、3年前にアメリカから来たとても魅力的な女性、ジェシカ。
おしゃれでセンスがよく、知的で、映画 本 アートにも詳しい彼女。
多分 娘に近い年齢だと思うけれど、年齢の違い、人種の違いがまったく障害にならず、いろんなことを飛び越えて、彼女とのおしゃべりに夢中になってしまう。
その彼女が、「きっと気に入ると思う。」と勧めてくれた映画が、10日前に公開したばかりの 「The Tree of Life。」
娘が仕事先からもらってきてくれた無料鑑賞券を使って、早速今日観に行ってきました。-------------------------------------------
生きていくのに大事なもの、こだわる事は、人によって違うだろうけれど、
私ひとりだけをとりあげてみても、10年前の私と今の私では、違っている。
それは、その時々に、ひとつひとつ自分の愚かさを認めながら 自分を、利己的なものから少しでも遠ざかるように、軌道修正してきたからに他ならない。
でもまた10年経てば、この2011年の自分に、この自分が執着していたものに対して、2022年の私が、なんとまあひどい。と、あきれるのだろうな、と思う。
そしてついには ひどく未完成なまんまで、死をむかえることになるのだろう。
「The Tree of Life」 の中で、ピットが演じている父親ほどではないにしても、子供をちゃんと育てなきゃ、と自分が一生懸命やっていたことが、今思えばひどくひとりよがりであったことを子供が成人してから思い知るのだ。
そして自分が娘として親に投げつけたひどい言葉の数々も、風化するどころか年を重ねるごとに逆に冴え渡り、今や私の肌のしみとなって私と一緒に生き続けているのです。
早く気づきたかった事がたくさんある。
でもそのときはどうしても気づけなかった。
もしも子供が、彼らの人生を切り開く前に命を断ってしまったら、親は苦悩と共生することさえも難しくなってしまうだろう。その苦悩は、まったく別の固体となって細胞分裂を繰り返し、巨大な怪物となって暴れまわるに違いない。
映画の前半、そこだけ観た人がいたならば、大自然の記録映画と見間違えてしまうだろうというほどに、壮大な大自然の映像が次々と映し出される。
でもその景色は、自然の持つ癒しの部分というものではなく、どちらかというと心に迫りすぎて どこか脅かされているような気持ちになってしまうようなものだった。
それはまるで、雲が渦巻く空の景色が、火山が 海低が 地球の青さが、親の苦悩、切なる祈りの 濃さ激しさを象徴するかのように、心に迫り、焼きつくのだ。
それともあれは、利己的に固まりすぎてしまった人間への、自然の怒りなのだろうか? いざなわれ吸収されてしまいたくなってしまうような、自然の怒り。
生まれたばかりの弟に、お兄ちゃんとしてのプライドを保とうと思いながらも、母親の胸に抱かれた突然のライバル出現に心穏やかではない小さな兄。
その微妙な表情が、演技と思えないほどの迫真で、私は圧倒されてしまった。
20年前の冬、生まれたばかりの息子に向けた 娘の複雑な視線が、あのときの風景と共に 私の中で、悲しくよみがえる。
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