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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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料理を仕事にしている息子は料理のプロである。
主婦として、30年料理を作り続けてきた私は、その長さに関係なく料理のアマである。
そのことに改めて気が付いたのは、久しぶりに戻ってきた息子の何気ない言葉だった。

ミートソースを作る過程で、私が にんにく 玉ねぎ ピーマン 人参 しいたけをみじん切り
にしていた時のことだった。

「疲れるからあんまり細かくしなくていい?」という私のヘタレの質問に、「そりゃ家庭料理だ
からいいけどさ、ミートソースは肉が主役なんだから、その主役より主張しちゃいけないわけよ。
だからわき役の野菜は本当はひき肉の一粒より小さく、ま、少なくとも同等くらいにするべきだけ
どね・・でもその包丁じゃ無理でしょ。」

最近包丁を研いでいない。その切れ味の鈍い包丁で、私はできるだけみじん切りを細かくして、
フライパンでみじん切りの野菜をじっくりと炒めだした。

そしたらね、息子が何気なく言ったのよ。「つぶれた玉ねぎの匂いがするなあ、やっぱり。
特にネギ類は、研ぎたての包丁で切らないと、匂いが臭くなるんだよ。切ったネギとつぶした
ネギは、炒めると匂いが断然違う・・」

ひょえーっと思いながらも私は面白くなって、「ね、もっと専門的なこと言ってみて言ってみて。」と催促した。「肉もね、ひき肉だからと言って、最初からばらばらにしない方がいいんだよ。でかいハンバーグ作るみたいに塊で周りを焼いてうまみを閉じ込めちゃうんだよ。そうやって
からほぐすと全然味が違う。」

途中から息子に交代して、味付けを任せた。
盛り付けまでしてもらって、とても豪華なお昼ごはんになった。

今回はちょっとしたきっかけで、プロの仕事を垣間見させてもらったけれど、普段の息子は、
私の作ったものを何も言わずおいしそうに食べてくれる。

プロの料理と家庭料理を別物として見てくれているんだと思う。

でもやっぱり包丁くらい研がないとね。


れんこんを毎日食べている。それも大量に。

れんこんに中毒作用はないはずだけど、まるで中毒患者のように、あの歯ごたえ
ある根菜を切らすことができない。
実際 味そのものよりも、あのシャキシャキな歯ごたえにとりつかれているのかもしれない。

きっかけは雑誌、オレンジページ。
特集・・「れんこん&ごぼうがもっと好きになる」という最新号。

スマホの無料サイトで、いくらでもレシピ検索できる今、ほとんど
買わなくなってしまった料理雑誌。でも私の目に「れんこん」という
4文字は、抗えないくらいに表紙の上で輝いていた。

翌日れんこんを大量に買い込み、なくなるとすぐさま補充し、また食べ尽くして
は買いこむ、を続けているうちに、特集レシピのほとんどを作ってしまっていた。
他のレシピも探してみる。自分オリジナルのれんこん料理を考えるのも楽しい。

ある日はれんこんメンチカツ。またある日はれんこんとひき肉の麻婆炒め。
そして昨日はれんこんつくね。 ひき肉との相性は抜群だ。

ひき肉の量を超えるざく切りれんこんは、調理するとちょうどアルデンテの硬さになり、
食べる側にしゃきっとした緊張感を与えてくれる。

最近のレシピは皮付きのままの調理方がほとんどで、
これが美味しいんだな。野菜の皮はあなどれない。

ぼってりしたれんこんに今日も包丁を入れる。
お茶目で愛らしい断面が現れる。

さて今日はどんな料理を作ろう。





















栗ご飯は手ごわい。
いや、栗ご飯が美味なる秋の味覚であることにはひとつの間違いもない。
ただその前段階で、あの硬い皮をむくのがたいそう疲れるのだ。

最近のレシピを見ると、まずは皮ごと熱湯につけ、鬼皮を(あの外側のツルツルの
茶色い皮は鬼皮って言うんですって・・)柔らかくしてからむき始める手順になって
いる。その柔らかくなった鬼皮にぷすりと包丁の角を入れて、そこからぐわっとはがすと、
うまくすれば一度に三分の一位むくことができる。でもそれは鬼皮だけの話で、残念ながら
その下には栗の実とほぼ一体になった「渋皮」が存在している。これがまたツルンとして
くれていればツルンとむけそうなものなのに、わざわざ「しわくちゃ」で「パサパサ」と
来ている。そしてそのしわしわのヒダのあいだには、几帳面にも栗の実が余すところなく
ぎっちりと詰まっているのだから、一個向き終えるたびに「はあ~っ」と肩で息をして
しまうしんどさだった。

あの面倒くささに打ち勝って手に入れた秋の味覚、私特製ほっこり栗ご飯。
秋らしくしめじも入れて、昨日の夕飯に食べました。

そう言えば、うちの母も秋になると栗をむいていたっけなあ。
あの頃は熱湯につけるとむきやすいなんて知識もなくて、母はガチで栗の皮の硬さと
格闘していたはずだ。

小学生の私が気まぐれにお手伝いをしてみるものの、すぐに手が痛くなって1、2個でやめ
てしまった記憶がある。

うちの母は、普段は魚や肉をぱぱっと焼いてキャベツの千切り隣に添えて、あとはお味噌汁
・・みたいなお夕飯をよく作っていた。本人も、「あんまり料理は好きではない。面倒でね。」
と、私に言っていた。

それでも時々「今日はあなたたちの好きなシューマイ100個つくるよ・・」とか
「今日は五目お稲荷さんだよ。」などと、ちょっと手間のかかる私たちの好物を作る時は、
声高らかに宣言したものだ。

子供は、おおかた食べ物のの興味と欲望で出来ている。少なくとも私はそうだった。
学校に行ったって気が気じゃない。「今日はお稲荷さんだ・・今日はお稲荷さん・・」
夕飯の時間まで幸せが続いた。授業なんて聞いてる場合じゃなかった。

しらすぼしの入った母の五目お稲荷さん。
どんな高価なご馳走よりも、もう一度食べたい。と切に願う逸品である。





修理の人を呼ぶのが億劫で、不具合に目をつぶって使っていた物の数が片手を
超えたのを機に、やおら受話器を取り、修理の手はずを次々と整えた。

ひとつずつ物が直るたびに、体のどこかに隠れていたストレスが、
個体から液体、液体から気体になって空中へと霧散し、気持ちが軽く
なっていった。

こうなることはわかっていたのだから、早くやればよかったのに・・と一応自分に
言い聞かせてはみるけれど、もうひとつ確かなことは「できないときはできない。」
面倒くさがりやの私が動くには、状況の危機感と自分の向上心がうまい具合にシンク
する必要がある。

切り替えコックを軽くひねれば、浄水が眩しいほどにやかんを満たし、魚を
食べたければ、魚グリルが自信あり気にすぐそこにスタンバイしてくれている。
支障なく家の中で動き回れると、主婦であることが楽しい。

おかしなことに、おくての私は、30年の結婚生活を経験した今になって、一番いい
お母さん、いい妻をしているような気がする。めちゃくちゃ遅すぎるというのはわか
っている。ただ物事を理解するのに、頭の悪い私は30年かかってしまったというだけだ。

若い時は、まだまだ血気盛んで、家族の気持ちや家族の状況に自分の気持ちを
心地よく沿わせることができなかったのだ。今になって自分が鼻息荒くしてきたこと
の数々を思い出しては、ため息をついてしまうことも多々あるけれど、過去はどうにも
変えられないので、現在(いま)を生きていくしかない。

30年近く家計簿をつけることができなかった私が、現代のテクノロジーの力を借りて
今順調につけ続けている。スマホのアプリ、「ReceReco」を使って。

買い物をする。レシートをスマホのカメラで撮影する。それだけであとはアプリが
映像を文字変換してくれて、支出を総計してくれる。自分で食費とか消耗品とか
に区分けすれば、月々のカテゴリーの支出を、一目瞭然の棒グラフで表してくれる。

家計簿を付けることができる奥さんになる夢が、30年の時を経てやっと実現した。

年を取るごとに、より「すっとして」「すっきりと」生きて行くことができる自信が、
ちょっぴりだけど顔をのぞかせた今日この頃です。




日々食べているものはとても質素なものであるのだけれど、
小さな部分部分でちょっとした贅沢を楽しんでいる。

例えばコーヒー。コーヒー豆が切れる前に、スポーツジムの帰りに、
専門店の南蛮屋に行くのが楽しみのひとつ。

店内に入るやいなや香り高いコーヒーのアロマに包まれて、それだけで
体がふっとゆるむ。さて、今日はどんなコーヒー豆を買おうかな。とざっと一通り
すべてのコーヒー豆に目を通す。

もちろんコーヒー豆を見ているだけでは、焙煎の深さ以外、わかる手立ては何も
ない。私が実際見ているのはひとつひとつのコーヒー豆の傾向を記す表みたいな
もので、その表は、その豆の焙煎度 酸味 苦味 香り コクについて、それぞれ
星三つ、星四つ半・・などと評価されているのだ。それを参考にしながらその日の
自分の好みに沿った豆を選ぶことができるというわけである。

私の好みは、酸味苦味の星数がそれほど多くないかわりに、香りとコクの星がたくさん
並んでいるもの。つまり私は、あまり”通”とは言えない、癖のないコーヒー豆が好きなの
である。

魅力的なのは、季節に合った期間限定のスペシャルブレンドで、今だったら「冬のドミニカ」
とか「クリスマスブレンド」で、それらは季節感をまとって別種の星数を増やし、楽しませて
くれる。

コーヒー豆を購入すると、顔なじみの店員さんが「お試しは何になさいますか?」と笑顔で
聞いてくれる。店内に設置された小奇麗なコーヒーテーブルで、ゆったりとコーヒーを楽しめる
のもこのお店に通う理由である。

そのテーブルで、別のお客さんと向かい合わせになった時、どちらからともなく話が始まる時が
ある。数日前のその方は、自分の大好きなチョコレートのことを話し始めてくれた。
南蛮屋は、コーヒー豆だけではなく、陶器やお菓子、雑貨、ちょっとした衣料なども売っている。

彼女は、その大好物の「イチジク入りのチョコレートボンボン」と好きなコーヒーを買って帰り、
家族のいないところでひとりで楽しむのだという。
彼女は続ける。「だって生きてると大変なこといっぱいあるでしょ?すごく嫌なこととか
落ち込むことがあったとき、一人でこのチョコとコーヒーを楽しむの。すごく癒される。
ちょっと高いけれど、これで自分の感情を人にぶつけたり押し付けたりしないで済むの
だもの。ね、良かったら買って食べてみて。美味しいよ。」

もちろん私は買って食べてみた。おいしいチョコレートを単純に食べたい気持ちのほかに、
彼女が言ったこと、とても素敵だなと感じたからだ。

その時私はイチジクのチョコレートを頬張りながら、彼女の癒しの時を想い、
ともに経験し、「また明日も生きていくんだな。」と、自然に思えたのである。
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