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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 お行儀悪くあぐらをかいて座っている私。
と、ハルはどこからともなくやって来て、足のわっかにすっぽり収まりその身をゆだねる。

 ソファーに寝転がっている時には膝の上がベッドに、手を伸ばせば腕があご載せ用の枕に早代わり。実は私は、ハルが私の体をそうやって使ってくれることが、すごく嬉しい。

 ハルの重さは愛の重さだ。 体だけでなく心のツボにやんわりと効いてくる。

 犬を飼いたいと思い始めていた4年前、本屋さんをぶらぶらしてたら、ある本に目がとまった。 拉致被害者の蓮池薫さんが翻訳した、「ハル 哲学する犬」という本だ。その場でぱらぱらとページをめくり、挿絵のあまりの可愛さに衝動買いをした。

 先日、その訳者である蓮池さんがゲストの回の、「百年インタビュー」をテレビで見ることができた。蓮池さんがインタビューに答えている部屋の背景に、何冊かの自身の訳書が置かれていた。

 その中に、本の装丁としてはめずらしい黄緑色の本があることにすぐに気づき、なんだか嬉しくなった。

 「絆」と「希望」とは、蓮池さんがインタビューの中で何度か繰り返されていた言葉だ。蓮池さんによって発せられるそれらの言葉は、より重みと深みを増して私のもとに届いた。

 「ハル 哲学する犬」の中に心に残るものがある。

 もしも あなたと私、おんなじ星をみていたら、あの星で会っていることになるんじゃないのかな? というような詩。手をのばすのではなく、心を伸ばしてみよう。と詩は続く。 

 同じ時代に生きている今、あなたの言うとおり、あなたの歌の中にあるように、そうやって私は空を眺めようと思う。

 「はりねずみの愛情」というのも好きです。
あなたに痛みを与えないように距離をおいて見守る、はりねずみの愛情。

 「雨音」では・・・振る雨が、落ちる場所によってその音色や響きが変わるように、人が誰かと出会うとき 自分の音色は相手によって違うものになる・・・というような詩。誰かと会うとき、いったい自分はどんな音をだしているのだろう。と結ばれる。

 ハル は、韓国語で 「一日」という意味だそうだ。

 小さな尊い命である私の愛犬に、一日一日を、一緒に大事に生きていこうね。 という思いで、  「ハル」と名づけた。
ずっと観たかった映画の最終日にぎりぎり間に合った。

 昨日、ペネロペクルス主演 ペドロアルモドバル監督の 「抱擁のかけら」を観に行くことを選択し、バレエのお稽古を休んで、ららぽーと横浜の東宝シネマに行ってきた。

 でも実際のところ間に合ってはいなかったんだ。

 一度観ただけでは味わいつくせないとても濃い映画で、できることならもう2,3度観たいと切に思ったからだ。

 赤をアクセントにした鮮やかな色の洪水、美しい風景、ペネロペクルスの妖艶で大胆かつ愛らしい表情。交錯する人間図。それぞれの登場人物が抱く愛憎、嫉妬、執着、忍耐、諦観、絶望、希望が渦巻き、観てる側の私はショート寸前。

 それらのすべてが引きちぎられた写真の一片一片のようであり、その一片一片が時間という試練に耐え、時間という洗礼を受けて、あるべき場所へいざなわれ、収斂されるのだ。

 ペネロペクルス演じるレナと映画監督マテオの燃え盛る炎のような恋は、事実上 炎に包まれるような終わり方をする。

 その激しさ故にそちらに引きつけられる一方、静かに密かにくすぶり続けるマテオとそのマネージャー ジュディットの関係、ジュディットの彼への静かな想いに私は心惹かれた。

 奔放に女性と関係を持ち恋に落ちるマテオに、そして悲しい事件の後に、事件前の自分を封印するかのごとく名前を変えてしまったマテオ改め ハリーに、いつのときでも ジュディットの視線がある。

 彼女の中に封印していたものは、事件の全容だけでなく、彼女の抑えきれない嫉妬とねたみだったのではないかと思えてならない。

 私の一番好きなシーンは、そのジュディットが事件で視力を失ってしまったマテオの腕をとり階段を下りる場面。 

 長年連れ添った夫婦のように自然なのだ。

あー、もう一度観たい。六本木や新宿ならやってるけどちょっと無理だと思うし。
あとはDVDが出るのを待つしかないかな。
 
 それにしても私はペドロアルモドバルの映画が好きだ。
もう一度「All about my mother」を借りてきて観ようっと。

 

 
劇場に足を運んだのは何年振りだろう。

 久々の予定のない一日が、千円で映画が観れる水曜のレディースデイにあたったのだから、これはもう行くしかないでしょ。

 というわけで、家事もそこそこに切り上げて、クリントイーストウッド監督の「インビクタス」を観てきました。

 かたくなで冷え冷えとした関係が、次第にやわらかく溶け合っていくようなものを描かせれば、この監督の右に出る者はそうそういない。それが個人レベルであっても国家レベルであってもだ。

 「ミリオンダラーベイビー」での、イーストウッド自ら演じるボクシングトレーナーと女性ボクサーの関係も、心にずっしり来た覚えがある。

 その「ミリオンダラーベイビー」で、味のある役所を見事に演じていたモーガンフリーマンが、今回の主人公、ネルソンマンデラなのである。やっぱ彼以外は絶対考えられないでしょ。

 モーガンフリーマンを選んだ時点で、もうこの映画はすでに半分成功したと言えるんじゃないかな。

 ネルソンマンデラの大統領就任により、水と油のようにくっきりと分離していた黒人と白人が、ぎこちなく混ざり始める。

 ずっと虐げられてきた黒人が 様々な場面で嫌々でも白人を受け入れたのは、赦すことこそが 真に国を変えていくための第一歩なのだ。とマンデラが諭したからである。

 完璧白人寄りであったラグビーチームは、それでもマンデラによって支持され活気付けられ、ワールドカップの勝利をひとつ またひとつと、もぎ取っていく。

 国中が一丸となってラグビーチームの勝利に向かうとき、肌の色を意識することなく、すべての人が美しく混ざり合うのだ。

 近年、高嶺の花のようになってしまった、希望 を感じさせてくれるいい映画だった。
 



 
 再々再々放送、いやもっと再が必要かなってくらい、何度も放送されるドラマがあるでしょ? あれはやっぱりそれだけ見る人がいるのよねぇ、きっと。

 数日前にまた始まった「恋のチカラ」もそのひとつだと思う。

 私自身、もう今度は見ない。と思いながら、時間がある時なぜか見てしまっているのだ。

 もちろん深っちゃんが好き、というのも理由のひとつだけど。

 話の行き先がわからないからドラマは面白いはずなのに、でもわかっていて見ている安心感ていうのもあるんだと思う。

 それでなきゃ ディテイルは違っているとしても、話の流れやたどり着く先はいつも一緒の 寅さん や 水戸黄門 があんなに長く愛されつづけないでしょう。

 寅さんといえば、以前 BSで「男はつらいよ」を全部放送してくれたので、見てないものは全て見たし私の寅さんライブラリーも完全になった。

 だからいつでも見れるのに それでもあらためてテレビで放送されると、これがまた何故か見てしまうんだ。

 テレビ覧でおなじみのタイトルを見つけたとする。そうするとそのドラマや映画で中心になっていた場所が懐かしく思い出されてそこに浸りたくなるのだ。

 とらやさんのガラス戸、閉店時にかかっているよれよれのカーテン、アルマイトの洗面器を置くのが似合いそうな長四角のテーブル、おばちゃんが大盛りの煮っころがしを作る手狭な台所。そしてみんなで囲む食卓。

 私も行ったことのあるような気になってしまってそこに戻りたいと願うのだ。

 こうして私は何度も何度も同じものを見てしまうのです。
 
もともと出不精な私は、寒くなると余計に家にとじこもりたくなる。
かと言ってまめに家事をするのかと言ったら、そりゃまた別問題だ。

 アイロンされるのを待っているシャツやハンカチたちの山が、日ごとに大きくなっていくのを視野の隅のほうで確認しつつも、見なかったことにして、ハルとじゃれたり、雑誌をめくったり、ちょっと勉強みたいなことしてみたり。

 アイロン超嫌いなんです。

 嫌いなことは、ながら作業でごまかすに限る。
ということで、アイロンの時間イコール、私のテレビを見る時間 映画鑑賞の時間となる。

 右手を絶えず動かしながら、河瀬直美監督の 「沙羅双樹」を見始めた。
でもすぐに、河瀬監督の映画は、何かをしながら見れるようなものではないことに気づいた。
 
 台詞が少なく、つまりそれこそ言葉で何かを説明することを忌み嫌うほどに少なく、目の前の圧倒的な映像を、そのままポーンと無垢の状態のまま見る側に気前よくあずけてくるのだ。映画の原点て、こういうものなのかなと思った。

 この沙羅双樹では、監督自身も役者として 重要な位置を担っている。

 お産のシーンは、自分のお産を思い出すほどにリアルだった。
これまでドラマや映画で見たお産の典型的シーンは、うそ臭さ満点の騒ぎ過ぎ、ってやつだった。

 お産は、陣痛と次の陣痛の間は結構普通でいられるものだ。私なんてまだ間隔があいている時は居眠りしていたくらいだから。

 河瀬映画は、余計なことをしない。役者に演技をさせない。(出演した役者さんは、演技する。ということについて改めて考えさせられるのだろうな。)商業的なうけをねらわない。そして私たち観る側は、価値観を試されてしまうのだ。

 実際私は、カンヌで新人監督賞を受賞した「萌の朱雀」をあまり理解できていないと思う。

 それでも私は河瀬さんの映画が好きだ。河瀬さん自身も好きだ。

 あの器のでかさは、やはりただものではない。半端なく器がでかい女性というのは、女神に近い。男性はたちうちできないだろうな。

 そういえば最近もうひとり女神を見つけたの。
写真出版社 赤々舎代表の 姫野希美さんだ。
無名の写真家を年月かけてじっくり見守り世に送り出す。

 二人には大きな共通点がある。商業ベースでけっして動かないところだ。
 
 女神たちの活躍を陰ながら応援したい。

そして私のアイロンの山は増えるばかり。

 


 
 
 
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