日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
長年の友達はもちろん大事だけれど、この年代で、新しく知り合う人は数少ないので、大切にしていきたい。
バレエの帰りにたまたま寄ってパスタランチを食べたお店で、英語のフリーカンバセーションクラスを斡旋してくれることを知った。
申し込み人数が一人でも二人でも、ネイティブの先生がそのお店に来てくれて、お茶とケーキを食べながら楽しくお話をする。その費用が、お茶も含めて最初の一時間1500円。2時間め以降は980円と、私の知っている限りかなり抑え目なもの。
これはいいね・・と、私は悩むことなく速攻申し込んだ。
そこで出会ったのが、3年前にアメリカから来たとても魅力的な女性、ジェシカ。
おしゃれでセンスがよく、知的で、映画 本 アートにも詳しい彼女。
多分 娘に近い年齢だと思うけれど、年齢の違い、人種の違いがまったく障害にならず、いろんなことを飛び越えて、彼女とのおしゃべりに夢中になってしまう。
その彼女が、「きっと気に入ると思う。」と勧めてくれた映画が、10日前に公開したばかりの 「The Tree of Life。」
娘が仕事先からもらってきてくれた無料鑑賞券を使って、早速今日観に行ってきました。-------------------------------------------
生きていくのに大事なもの、こだわる事は、人によって違うだろうけれど、
私ひとりだけをとりあげてみても、10年前の私と今の私では、違っている。
それは、その時々に、ひとつひとつ自分の愚かさを認めながら 自分を、利己的なものから少しでも遠ざかるように、軌道修正してきたからに他ならない。
でもまた10年経てば、この2011年の自分に、この自分が執着していたものに対して、2022年の私が、なんとまあひどい。と、あきれるのだろうな、と思う。
そしてついには ひどく未完成なまんまで、死をむかえることになるのだろう。
「The Tree of Life」 の中で、ピットが演じている父親ほどではないにしても、子供をちゃんと育てなきゃ、と自分が一生懸命やっていたことが、今思えばひどくひとりよがりであったことを子供が成人してから思い知るのだ。
そして自分が娘として親に投げつけたひどい言葉の数々も、風化するどころか年を重ねるごとに逆に冴え渡り、今や私の肌のしみとなって私と一緒に生き続けているのです。
早く気づきたかった事がたくさんある。
でもそのときはどうしても気づけなかった。
もしも子供が、彼らの人生を切り開く前に命を断ってしまったら、親は苦悩と共生することさえも難しくなってしまうだろう。その苦悩は、まったく別の固体となって細胞分裂を繰り返し、巨大な怪物となって暴れまわるに違いない。
映画の前半、そこだけ観た人がいたならば、大自然の記録映画と見間違えてしまうだろうというほどに、壮大な大自然の映像が次々と映し出される。
でもその景色は、自然の持つ癒しの部分というものではなく、どちらかというと心に迫りすぎて どこか脅かされているような気持ちになってしまうようなものだった。
それはまるで、雲が渦巻く空の景色が、火山が 海低が 地球の青さが、親の苦悩、切なる祈りの 濃さ激しさを象徴するかのように、心に迫り、焼きつくのだ。
それともあれは、利己的に固まりすぎてしまった人間への、自然の怒りなのだろうか? いざなわれ吸収されてしまいたくなってしまうような、自然の怒り。
生まれたばかりの弟に、お兄ちゃんとしてのプライドを保とうと思いながらも、母親の胸に抱かれた突然のライバル出現に心穏やかではない小さな兄。
その微妙な表情が、演技と思えないほどの迫真で、私は圧倒されてしまった。
20年前の冬、生まれたばかりの息子に向けた 娘の複雑な視線が、あのときの風景と共に 私の中で、悲しくよみがえる。
バレエの帰りにたまたま寄ってパスタランチを食べたお店で、英語のフリーカンバセーションクラスを斡旋してくれることを知った。
申し込み人数が一人でも二人でも、ネイティブの先生がそのお店に来てくれて、お茶とケーキを食べながら楽しくお話をする。その費用が、お茶も含めて最初の一時間1500円。2時間め以降は980円と、私の知っている限りかなり抑え目なもの。
これはいいね・・と、私は悩むことなく速攻申し込んだ。
そこで出会ったのが、3年前にアメリカから来たとても魅力的な女性、ジェシカ。
おしゃれでセンスがよく、知的で、映画 本 アートにも詳しい彼女。
多分 娘に近い年齢だと思うけれど、年齢の違い、人種の違いがまったく障害にならず、いろんなことを飛び越えて、彼女とのおしゃべりに夢中になってしまう。
その彼女が、「きっと気に入ると思う。」と勧めてくれた映画が、10日前に公開したばかりの 「The Tree of Life。」
娘が仕事先からもらってきてくれた無料鑑賞券を使って、早速今日観に行ってきました。-------------------------------------------
生きていくのに大事なもの、こだわる事は、人によって違うだろうけれど、
私ひとりだけをとりあげてみても、10年前の私と今の私では、違っている。
それは、その時々に、ひとつひとつ自分の愚かさを認めながら 自分を、利己的なものから少しでも遠ざかるように、軌道修正してきたからに他ならない。
でもまた10年経てば、この2011年の自分に、この自分が執着していたものに対して、2022年の私が、なんとまあひどい。と、あきれるのだろうな、と思う。
そしてついには ひどく未完成なまんまで、死をむかえることになるのだろう。
「The Tree of Life」 の中で、ピットが演じている父親ほどではないにしても、子供をちゃんと育てなきゃ、と自分が一生懸命やっていたことが、今思えばひどくひとりよがりであったことを子供が成人してから思い知るのだ。
そして自分が娘として親に投げつけたひどい言葉の数々も、風化するどころか年を重ねるごとに逆に冴え渡り、今や私の肌のしみとなって私と一緒に生き続けているのです。
早く気づきたかった事がたくさんある。
でもそのときはどうしても気づけなかった。
もしも子供が、彼らの人生を切り開く前に命を断ってしまったら、親は苦悩と共生することさえも難しくなってしまうだろう。その苦悩は、まったく別の固体となって細胞分裂を繰り返し、巨大な怪物となって暴れまわるに違いない。
映画の前半、そこだけ観た人がいたならば、大自然の記録映画と見間違えてしまうだろうというほどに、壮大な大自然の映像が次々と映し出される。
でもその景色は、自然の持つ癒しの部分というものではなく、どちらかというと心に迫りすぎて どこか脅かされているような気持ちになってしまうようなものだった。
それはまるで、雲が渦巻く空の景色が、火山が 海低が 地球の青さが、親の苦悩、切なる祈りの 濃さ激しさを象徴するかのように、心に迫り、焼きつくのだ。
それともあれは、利己的に固まりすぎてしまった人間への、自然の怒りなのだろうか? いざなわれ吸収されてしまいたくなってしまうような、自然の怒り。
生まれたばかりの弟に、お兄ちゃんとしてのプライドを保とうと思いながらも、母親の胸に抱かれた突然のライバル出現に心穏やかではない小さな兄。
その微妙な表情が、演技と思えないほどの迫真で、私は圧倒されてしまった。
20年前の冬、生まれたばかりの息子に向けた 娘の複雑な視線が、あのときの風景と共に 私の中で、悲しくよみがえる。
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