日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
筋肉を痛めて、何をしても、いや何もしなくとも「痛っ。」と口から出てしまうほどただただ
痛いから、眉間に皺ばかり作っていたのに、いつの間にか「暑い暑い」と言いながら動いては
汗ばんでいる「普通の夏」に戻ることができた。
そしてバレエの発表会のリハーサルで、昨日も今日も踊ってきましたよ。
ピンクのチュチュを着て、☆彡キラキラのティアラを付けて。
久しぶりに踊ったあとに、・・!踊れたよ・・踊れた!と、何度も心の中で叫んでしまった。
帰りの車の中でも、ハンドル握りながら、「踊れたねぇ~。よくあの寝たきり状態から生還
したよねぇ~。」と、他人事のように感心し、自分に喋りかけている私であった。
まっ、何であれ、とかく~「振り幅」~が大きいのが私の傾向なんだ。これは私にはどうしよう
もなくてね。でも今のところ、マイナスの方向にポーンと振られたとしても、その勢いのまま
大きく元に戻れているのだからいいとしなくちゃね。
ほとんど動けなかった一週間、大島弓子さんの漫画をたくさん読んで過ごした。
そして何度も泣いた。なんか前よりも魂がキレイになった気がする。
魂を清めたい人、大島弓子さんの漫画を読んでくださいな。
若い時から何度も読んでいる大島さんなのですが、今回久しぶりに読んでみたら脇役の男性の
大きな魅力に打ちのめされました。
例えばね「夢虫・未草」には脇役とも呼べない、ワンシーンだけ登場する先生がいる。
主人公・林子ちゃんのお父さんの浮気相手(これが浮気ではなく本気で、後に林子ちゃん
は親の離婚を経験することになるのだけど・・)そのフランスママの子供・五月くんが
たまたま林子ちゃんと同級生で、その五月くんが学校の屋上でフェンスの外側に立っていたら、
飛び降り自殺と勘違いしてグラウンドが大騒ぎになってしまう。
そこでひとりの先生が叫ぶのだ。
「五月!君はスーパーマンではない りんごだ!」
「五月っ ニュートンの法則はなんだ 答えなさいっ」
「ニュートンの法則はなんだっえっ」
先生は物理の先生なのだろうか・・とにかく必死の形相でこれらのちょっぴりとんちんかんな
言葉を五月くんに投げつけ訴える。
私は大島先生に、このニュートン先生のお話を書いてもらいたいです。
「水枕・羽枕」の主人公・陸ちゃんのお姉ちゃんのお見合い相手の「梨屋さん」。
「あまのかぐやま」の学校で、古文と2年3組の担任を受け持つことになった
「根木永遠男先生」。 これらの人物はとっぽくて、でも奥深く実に愛すべき人たちだ。
・・私にとって。
今ね、大島先生の漫画をできるだけたくさん集めようと思って、アマゾンの古本市をくまなく
みてはコレクションを増やしているんだ。
痛いから、眉間に皺ばかり作っていたのに、いつの間にか「暑い暑い」と言いながら動いては
汗ばんでいる「普通の夏」に戻ることができた。
そしてバレエの発表会のリハーサルで、昨日も今日も踊ってきましたよ。
ピンクのチュチュを着て、☆彡キラキラのティアラを付けて。
久しぶりに踊ったあとに、・・!踊れたよ・・踊れた!と、何度も心の中で叫んでしまった。
帰りの車の中でも、ハンドル握りながら、「踊れたねぇ~。よくあの寝たきり状態から生還
したよねぇ~。」と、他人事のように感心し、自分に喋りかけている私であった。
まっ、何であれ、とかく~「振り幅」~が大きいのが私の傾向なんだ。これは私にはどうしよう
もなくてね。でも今のところ、マイナスの方向にポーンと振られたとしても、その勢いのまま
大きく元に戻れているのだからいいとしなくちゃね。
ほとんど動けなかった一週間、大島弓子さんの漫画をたくさん読んで過ごした。
そして何度も泣いた。なんか前よりも魂がキレイになった気がする。
魂を清めたい人、大島弓子さんの漫画を読んでくださいな。
若い時から何度も読んでいる大島さんなのですが、今回久しぶりに読んでみたら脇役の男性の
大きな魅力に打ちのめされました。
例えばね「夢虫・未草」には脇役とも呼べない、ワンシーンだけ登場する先生がいる。
主人公・林子ちゃんのお父さんの浮気相手(これが浮気ではなく本気で、後に林子ちゃん
は親の離婚を経験することになるのだけど・・)そのフランスママの子供・五月くんが
たまたま林子ちゃんと同級生で、その五月くんが学校の屋上でフェンスの外側に立っていたら、
飛び降り自殺と勘違いしてグラウンドが大騒ぎになってしまう。
そこでひとりの先生が叫ぶのだ。
「五月!君はスーパーマンではない りんごだ!」
「五月っ ニュートンの法則はなんだ 答えなさいっ」
「ニュートンの法則はなんだっえっ」
先生は物理の先生なのだろうか・・とにかく必死の形相でこれらのちょっぴりとんちんかんな
言葉を五月くんに投げつけ訴える。
私は大島先生に、このニュートン先生のお話を書いてもらいたいです。
「水枕・羽枕」の主人公・陸ちゃんのお姉ちゃんのお見合い相手の「梨屋さん」。
「あまのかぐやま」の学校で、古文と2年3組の担任を受け持つことになった
「根木永遠男先生」。 これらの人物はとっぽくて、でも奥深く実に愛すべき人たちだ。
・・私にとって。
今ね、大島先生の漫画をできるだけたくさん集めようと思って、アマゾンの古本市をくまなく
みてはコレクションを増やしているんだ。
昨日の朝、車から見る外の景色がいつもと違っていた。
辺りがシーンとしている。
ランドセルを背負った子供たちが消えた。ジャージ姿の中学生も
見当たらない。
あ~、そうか。春休みが始まったんだね。と納得するまでにちょっと
時間がかかってしまった。
そんなこともすっかり忘れて、私は家に帰るとオンラインで映画のチケットを
予約していた。水曜日は映画を1000円で観れる楽しい「レディースデイ」。
心弾んで出かけて行ったら、春休み初日とあって、映画館はお母さんと
お子さんたちで溢れんばかりだった。
でも私の観た映画「それでも夜は明ける」には、さすがに子供さんたちは
居なかった。
この映画は実話に基づいたもので、奴隷制度の残酷さを赤裸々に描いている。
この映画を観た後、私は単純に「人間」、辞めたくなってしまった。
人間の本質を目の当たりにして、自分自身さえも恐ろしくなったのだ。
人間の奥底に組み込まれている残忍性。どうかすると差異を差別化へと大きく
膨らませてしまう嗜好的傾向。ひとりの人間がもうひとりの人間を「物」として
扱う。その「物」が、実は赤い血が流れ、感情があるという事実を生き埋めに
して素知らぬ顔をする。
この映画を観る意味は、たぶん自分たち人間の持っている恐ろしい本質を今一度
認めることであり、と同時に悲惨な出来事を繰り返してはならないとひとりひとり
が心に誓うことであるのだと思う。そのためには、起きたことを事実だと認める作業
が必要で、それはこれまで人間の歴史の中で起きたすべての悲惨な出来ごとにも言える
ことなのだと思う。
残忍とか悲惨とか残酷とか、ネガティブな言葉をたくさん使って気持ちが疲れて
しまったので、ちょっと前に撮った早春の写真を、桜の開花前に載せようと思う。




辺りがシーンとしている。
ランドセルを背負った子供たちが消えた。ジャージ姿の中学生も
見当たらない。
あ~、そうか。春休みが始まったんだね。と納得するまでにちょっと
時間がかかってしまった。
そんなこともすっかり忘れて、私は家に帰るとオンラインで映画のチケットを
予約していた。水曜日は映画を1000円で観れる楽しい「レディースデイ」。
心弾んで出かけて行ったら、春休み初日とあって、映画館はお母さんと
お子さんたちで溢れんばかりだった。
でも私の観た映画「それでも夜は明ける」には、さすがに子供さんたちは
居なかった。
この映画は実話に基づいたもので、奴隷制度の残酷さを赤裸々に描いている。
この映画を観た後、私は単純に「人間」、辞めたくなってしまった。
人間の本質を目の当たりにして、自分自身さえも恐ろしくなったのだ。
人間の奥底に組み込まれている残忍性。どうかすると差異を差別化へと大きく
膨らませてしまう嗜好的傾向。ひとりの人間がもうひとりの人間を「物」として
扱う。その「物」が、実は赤い血が流れ、感情があるという事実を生き埋めに
して素知らぬ顔をする。
この映画を観る意味は、たぶん自分たち人間の持っている恐ろしい本質を今一度
認めることであり、と同時に悲惨な出来事を繰り返してはならないとひとりひとり
が心に誓うことであるのだと思う。そのためには、起きたことを事実だと認める作業
が必要で、それはこれまで人間の歴史の中で起きたすべての悲惨な出来ごとにも言える
ことなのだと思う。
残忍とか悲惨とか残酷とか、ネガティブな言葉をたくさん使って気持ちが疲れて
しまったので、ちょっと前に撮った早春の写真を、桜の開花前に載せようと思う。
とうとうここまで来たかと、諦め心にさえもなる。
本当は2度目のはずなのに、初めてのようにその映画を観ていた。
途中までまったく気がつかない。しかも夫婦二人で。
でもどことなく見覚えのあるシーンに、あれ?と首をかしげ始める。
昨日アンソニーホプキンス主演の「アトランティスのこころ」という
映画を観ていた。途中でハッと気づいてからも、その後の話の流れやエンディング
が思い出せない。こんないい映画なのにほとんど忘れているというのはどう
いうことだろう。
多感な時期の少年 ボビーのアパートに、一人の老人テッドが越してくる。
小さい時に父親を亡くし、仕事に追われている母親の不在に寂しさを感じていた
ボビーが、テッドと仲良くなるのに時間はかからなかった。
何気なく語らい合いながらも、テッドの深みのある言葉はボビーの心にその都度
届き、彼は成熟への扉を開きはじめるのだ。
ここでとても異色なのは、テッドが普通の老人ではなくサイキック(超能力者)で
あったこと。彼の能力を必要とする政府組織から逃れ、身を隠すためにボビーの
アパートに引っ越してきたのだ。
自分の能力ゆえに、普通の幸せを手に入れることのできなかったテッド。
テッドにとってもボビーとの日々は、温かくて人間臭い、この上ない幸せな日々で
あったに違いない。人々の、特にボビーの心情が細やかに描かれていて、とても入り
込める映画だったのだ。
なのに、なのに、忘れていた。中身ほとんどを。見たことさへも。エンディングも、だ。
二度目のはずなのに、「このあとどうなるんだろう?」とワクワクできるなんて、
いわば「倍 美味しい」わけで、自分の記憶の貧しさを悲しむよりも、その部分をあえて
見るようにしようか・・しょうがないもの。
でも、旦那と言ってたんだけどね、二人ともこんなにきれいに忘れるなんて、テッドの
超能力パワーが観てるこっち側にも及んで、我々の記憶力を操作したのではないかって。
何言ってるんだって思うでしょ。でもそうしか思えない不思議さを感じる映画だったの。
そういう感覚を感じたい人は是非観てみてくださいな。
本当は2度目のはずなのに、初めてのようにその映画を観ていた。
途中までまったく気がつかない。しかも夫婦二人で。
でもどことなく見覚えのあるシーンに、あれ?と首をかしげ始める。
昨日アンソニーホプキンス主演の「アトランティスのこころ」という
映画を観ていた。途中でハッと気づいてからも、その後の話の流れやエンディング
が思い出せない。こんないい映画なのにほとんど忘れているというのはどう
いうことだろう。
多感な時期の少年 ボビーのアパートに、一人の老人テッドが越してくる。
小さい時に父親を亡くし、仕事に追われている母親の不在に寂しさを感じていた
ボビーが、テッドと仲良くなるのに時間はかからなかった。
何気なく語らい合いながらも、テッドの深みのある言葉はボビーの心にその都度
届き、彼は成熟への扉を開きはじめるのだ。
ここでとても異色なのは、テッドが普通の老人ではなくサイキック(超能力者)で
あったこと。彼の能力を必要とする政府組織から逃れ、身を隠すためにボビーの
アパートに引っ越してきたのだ。
自分の能力ゆえに、普通の幸せを手に入れることのできなかったテッド。
テッドにとってもボビーとの日々は、温かくて人間臭い、この上ない幸せな日々で
あったに違いない。人々の、特にボビーの心情が細やかに描かれていて、とても入り
込める映画だったのだ。
なのに、なのに、忘れていた。中身ほとんどを。見たことさへも。エンディングも、だ。
二度目のはずなのに、「このあとどうなるんだろう?」とワクワクできるなんて、
いわば「倍 美味しい」わけで、自分の記憶の貧しさを悲しむよりも、その部分をあえて
見るようにしようか・・しょうがないもの。
でも、旦那と言ってたんだけどね、二人ともこんなにきれいに忘れるなんて、テッドの
超能力パワーが観てるこっち側にも及んで、我々の記憶力を操作したのではないかって。
何言ってるんだって思うでしょ。でもそうしか思えない不思議さを感じる映画だったの。
そういう感覚を感じたい人は是非観てみてくださいな。
地上に足がついている安心感。地球人である誇り。
重力は神様の贈り物だったの?・・ 見てきましたよ。ゼログラビティ。
しかも今まで2Dに固執していた私が、3DIMAXで。
もちろん私の好みではなくダンナのお供をしただけなのだけれど。
人を何かのジャンルで二つのタイプに分けることは、数限りなくできるだろうけど、
例えば、可能なら宇宙に行ってみたいと思う人と、絶対に行きたくない人のグループ
があったとしたら、私も間違いなく後者に属します。
もともと三半規管に自信のない私は、浮遊感とか、とてつもない広がりとか、無限とか、
そういう感覚を想像しているだけで吐き気がしてしまいそうなの。
遊園地のぐるぐる回る乗り物で、恥ずかしながら泣きわめいたことのある私です。
それにしても、映画を観終わって、どれだけ自分が地球を愛しているのかがよ~くわかった。
「愛している」なんて大げさだと思うでしょ? じゃ、ゼログラビティ観てみて。
きっと思うから。地面に頬ずりしたくなるかもよ。
地球という美しい星の表面に根付くことのできる幸せ。
ここには数限りない植物があり、動物がいる。海がある。山がある。
深呼吸をすれば、肺は新鮮な空気で満たされる。
そこには人間の営みがあり、関わり合いがある。
宇宙の映画を観ていたのに、私は実に地球を感じていた。
邦題は、「ゼログラビティ」だけど、原題は、「グラビティ」。
つまりこの映画を創った人達は、回りまわって「重力」があることの方にフォーカスしている
のではないか。ということは、私が「地球」を感じたのは、彼らの思う壺なのかもしれないね。
重力は神様の贈り物だったの?・・ 見てきましたよ。ゼログラビティ。
しかも今まで2Dに固執していた私が、3DIMAXで。
もちろん私の好みではなくダンナのお供をしただけなのだけれど。
人を何かのジャンルで二つのタイプに分けることは、数限りなくできるだろうけど、
例えば、可能なら宇宙に行ってみたいと思う人と、絶対に行きたくない人のグループ
があったとしたら、私も間違いなく後者に属します。
もともと三半規管に自信のない私は、浮遊感とか、とてつもない広がりとか、無限とか、
そういう感覚を想像しているだけで吐き気がしてしまいそうなの。
遊園地のぐるぐる回る乗り物で、恥ずかしながら泣きわめいたことのある私です。
それにしても、映画を観終わって、どれだけ自分が地球を愛しているのかがよ~くわかった。
「愛している」なんて大げさだと思うでしょ? じゃ、ゼログラビティ観てみて。
きっと思うから。地面に頬ずりしたくなるかもよ。
地球という美しい星の表面に根付くことのできる幸せ。
ここには数限りない植物があり、動物がいる。海がある。山がある。
深呼吸をすれば、肺は新鮮な空気で満たされる。
そこには人間の営みがあり、関わり合いがある。
宇宙の映画を観ていたのに、私は実に地球を感じていた。
邦題は、「ゼログラビティ」だけど、原題は、「グラビティ」。
つまりこの映画を創った人達は、回りまわって「重力」があることの方にフォーカスしている
のではないか。ということは、私が「地球」を感じたのは、彼らの思う壺なのかもしれないね。
例えば、「ゴッホのひまわり」が58億円で落札されたのを知った時、
その数字そのものに驚きながら私は別のことを考えていた。
「本物である」と判断あっての「58億円」。でももしも贋作だったら、
無価値に近い。 58億かゼロか。この決定的な判断につきまとう危うさと
もろさと、人間の思い込みについて考えていたんだ。
昨日、「鑑定士 顔のない依頼人」という映画を劇場で観て来た。
監督は、あの「ニューシネマパラダイス」や「海の上のピアニスト」の、
ジュゼッペ トルナトーレ。
オークションシーンが何度となく銀幕に現れる。
一流の鑑定士であり、またオークショニアでもある主人公ヴァージルオールドマンが、
オークションを仕切る姿は実にきびきびしていて隙がない。
声のトーンや強弱、表情、テンポをうまく操り、美術品の値をあっという間に釣り上げ、
最後にオークションハンマーを小気味よく振り下ろす。
老齢になるまで真から人と交わらず、壁にかけた肖像画から放たれる女性たちの視線のみに心
を開いてきたヴァージルが、初めて一人の生身の女性に心を奪われ、乱され、オークション
でも失態を演じてしまう。機械人形のような完璧なヴァージルが、血の通う人間になった瞬間
でもある。
はじめから終わりまでストーリーの根底にあるのは、本物と偽物。
それは絵画のことだけに限らず、人間の愛情にまで及び、疑問を投げかけていく。
で、ここで私は思うのだ。「価値」とはいったい何なんだろう、と。
壁に飾ってある絵画を心から愛でていたのに、ある日偽物とわかった途端に興味が
消え失せるとすれば、その人はその絵を愛していたのではなく、「本物である」こと「高価
であること」をただ気に入っていたということだ。
ある価値観が世の中の傾向にうまく乗っかっていく。するとあっという間に多くの人々を取り込み、
たくさんの人が「すごいすごい」と騒ぎ出す。
我々の高校時代、「ロックは不良の音楽」と言われていた。
あの頃優等生側にいて白い目を向けていた人達さえも、今になってストーンズのコンサートに
行くのはどうしてなんだろう?
「本物と言われている物」に人々はこだわり、それらとかかわり合おうとする。
でも私は偽物でもいいと思っているんだ。それよりも自分がいいと思うことを大事にしよう
と思って。それがたとえこの世の中で偽物だったとしても、私の世界に入り込むやいなや
「本物」となるのだ。
それとね、もうひとつ思うのは、この愛は本物か偽物か・・と言ってる時点でもう怪しい。
だって「価値」という言葉で測れるようなものじゃないでしょ?
たぶん「愛」って。
その数字そのものに驚きながら私は別のことを考えていた。
「本物である」と判断あっての「58億円」。でももしも贋作だったら、
無価値に近い。 58億かゼロか。この決定的な判断につきまとう危うさと
もろさと、人間の思い込みについて考えていたんだ。
昨日、「鑑定士 顔のない依頼人」という映画を劇場で観て来た。
監督は、あの「ニューシネマパラダイス」や「海の上のピアニスト」の、
ジュゼッペ トルナトーレ。
オークションシーンが何度となく銀幕に現れる。
一流の鑑定士であり、またオークショニアでもある主人公ヴァージルオールドマンが、
オークションを仕切る姿は実にきびきびしていて隙がない。
声のトーンや強弱、表情、テンポをうまく操り、美術品の値をあっという間に釣り上げ、
最後にオークションハンマーを小気味よく振り下ろす。
老齢になるまで真から人と交わらず、壁にかけた肖像画から放たれる女性たちの視線のみに心
を開いてきたヴァージルが、初めて一人の生身の女性に心を奪われ、乱され、オークション
でも失態を演じてしまう。機械人形のような完璧なヴァージルが、血の通う人間になった瞬間
でもある。
はじめから終わりまでストーリーの根底にあるのは、本物と偽物。
それは絵画のことだけに限らず、人間の愛情にまで及び、疑問を投げかけていく。
で、ここで私は思うのだ。「価値」とはいったい何なんだろう、と。
壁に飾ってある絵画を心から愛でていたのに、ある日偽物とわかった途端に興味が
消え失せるとすれば、その人はその絵を愛していたのではなく、「本物である」こと「高価
であること」をただ気に入っていたということだ。
ある価値観が世の中の傾向にうまく乗っかっていく。するとあっという間に多くの人々を取り込み、
たくさんの人が「すごいすごい」と騒ぎ出す。
我々の高校時代、「ロックは不良の音楽」と言われていた。
あの頃優等生側にいて白い目を向けていた人達さえも、今になってストーンズのコンサートに
行くのはどうしてなんだろう?
「本物と言われている物」に人々はこだわり、それらとかかわり合おうとする。
でも私は偽物でもいいと思っているんだ。それよりも自分がいいと思うことを大事にしよう
と思って。それがたとえこの世の中で偽物だったとしても、私の世界に入り込むやいなや
「本物」となるのだ。
それとね、もうひとつ思うのは、この愛は本物か偽物か・・と言ってる時点でもう怪しい。
だって「価値」という言葉で測れるようなものじゃないでしょ?
たぶん「愛」って。
カレンダー
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 14 | 15 | |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[02/03 <a href="https://aclf.ru/">selector casino vojti</a>]
[02/01 JamesDwems]
[01/29 Kophes]
[11/06 https://propranolol-global.github.io/]
[02/01 extiday]
最新TB
ブログ内検索
P R