日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
家族が風邪をひくと私もひく。抵抗力の弱さが目立つ今日この頃。
この時期の風邪はややこしい。どの症状が風邪なのか、花粉症なのかがわからない。
熱がひいた今、鼻水としつこい咳が残っている。
ひっきりなしにかんでいないと、ぽたぽたと落ちそうになる鼻水は、どちらかというと花粉症
か。目の前にあっという間に積み上げられるティッシュの残骸に、罪悪感を感じはじめ、ティ
ッシュを小さくちぎっては両鼻に詰めてみる。普段通りに洗面所へ行き、鏡に映った自分を見て、
その滑稽さにギョッとした。人が見たら「何ふざけてんの~?」と笑われそうだ。
私が子供の頃から、片鼻の脱脂綿は鼻血の応急措置と決まっていた。
片鼻の詰め物は、痛々しさのイメージがある。
でも両鼻は、いけない。印象がガラリと変わってしまうからだ。
本人は真面目に物事を考えていたとしても、とてもそうは見えない。もしかしたらこの両鼻の
詰め物は、「人をおちょくっているのか、それは。」と怒る人を出すくらいの爆発的な力を
持っているかもしれない。なんたって、真剣さとか真面目さとか緊張などを寄せ付けない
勢いがある。どんなにお洒落をしようがおすまししようが、両鼻に詰め物をした時点で
ジ・エンドである。イメージなんてこんなにもろいものなんだ。
バランスとか端正さとか美しさに対して、敏感でありながらも同時に鈍感でありたいと思った。
イメージは真実を隠すのが上手、だと思うから。間違いなく確信犯だ。
この時期の風邪はややこしい。どの症状が風邪なのか、花粉症なのかがわからない。
熱がひいた今、鼻水としつこい咳が残っている。
ひっきりなしにかんでいないと、ぽたぽたと落ちそうになる鼻水は、どちらかというと花粉症
か。目の前にあっという間に積み上げられるティッシュの残骸に、罪悪感を感じはじめ、ティ
ッシュを小さくちぎっては両鼻に詰めてみる。普段通りに洗面所へ行き、鏡に映った自分を見て、
その滑稽さにギョッとした。人が見たら「何ふざけてんの~?」と笑われそうだ。
私が子供の頃から、片鼻の脱脂綿は鼻血の応急措置と決まっていた。
片鼻の詰め物は、痛々しさのイメージがある。
でも両鼻は、いけない。印象がガラリと変わってしまうからだ。
本人は真面目に物事を考えていたとしても、とてもそうは見えない。もしかしたらこの両鼻の
詰め物は、「人をおちょくっているのか、それは。」と怒る人を出すくらいの爆発的な力を
持っているかもしれない。なんたって、真剣さとか真面目さとか緊張などを寄せ付けない
勢いがある。どんなにお洒落をしようがおすまししようが、両鼻に詰め物をした時点で
ジ・エンドである。イメージなんてこんなにもろいものなんだ。
バランスとか端正さとか美しさに対して、敏感でありながらも同時に鈍感でありたいと思った。
イメージは真実を隠すのが上手、だと思うから。間違いなく確信犯だ。
気温が徐々に上がってくると、氷が溶け出すように身体が緩み始める。
緩みが不快につながるのは私だけなのだろうか? この季節のいつもの憂鬱を、例外なく
感じながら毎日過ごしています。
今年に入ってからもうすでに2ヶ月近く過ぎようとしている。
新年を迎える度に、平和と安定を望みながら、今年はちょっと違った趣の一年を・・と期待して
しまうのは私の癖みたいなものだ。
期待そのものが長年の間にマンネリ化して、形だけのものになりつつあった。
でも今年はちょっといつもと違った流れの中に自分がいるのを感じている。
古い友人との再会が極端に増えたのもそのひとつだ。
子育てや仕事で手一杯だった日々が落ち着いてきたからだと思う。何十年ぶりかの旧友との再会
の後、ではこれを機にたまに集まって、お互い死ぬまで一緒に生きて行きましょうかねえ・・
という感じなのである。
人生終盤における友達関係の新たな始まり と、言えるのかもしれない。
「終盤」というのは寂しいけれど、「始まり」でもあるのだから楽しもうと思う。
そういう流れの中で、10日前ほどに大学時代の先輩 まあちゃんに20数年ぶりに会うことが
できた。上野で、水墨画の展覧会に出品しているまあちゃんを、同期のタエとチカで訪ねたか
らだ。
まあちゃんは、昔のまあちゃんのままだった。
違うのは、お弟子さんから「先生」と呼ばれたりして、上品さと落ち着きを備えていたことだ。
大学時代のまあちゃんは、「てめーなあ・・」と後輩の男子をよく小突いていたものだ。
人は地位とか年齢とか環境によって影響を受けやすいということがわかっているからこそ、
中身の素の部分が昔のまあちゃんと全然変わっていないことが私はとても嬉しかった。
結婚してから子供を持つまでの5年間くらい、まあちゃんと毎週のように遊んでいるとき
があった。とても懐かしい。
お弟子さんの前ではしゃきっとしてなくてはならないのでしょうけれど、次回上京した時は、
是非まあちゃんの泥酔状態が見てみたいと思っている私です。
緩みが不快につながるのは私だけなのだろうか? この季節のいつもの憂鬱を、例外なく
感じながら毎日過ごしています。
今年に入ってからもうすでに2ヶ月近く過ぎようとしている。
新年を迎える度に、平和と安定を望みながら、今年はちょっと違った趣の一年を・・と期待して
しまうのは私の癖みたいなものだ。
期待そのものが長年の間にマンネリ化して、形だけのものになりつつあった。
でも今年はちょっといつもと違った流れの中に自分がいるのを感じている。
古い友人との再会が極端に増えたのもそのひとつだ。
子育てや仕事で手一杯だった日々が落ち着いてきたからだと思う。何十年ぶりかの旧友との再会
の後、ではこれを機にたまに集まって、お互い死ぬまで一緒に生きて行きましょうかねえ・・
という感じなのである。
人生終盤における友達関係の新たな始まり と、言えるのかもしれない。
「終盤」というのは寂しいけれど、「始まり」でもあるのだから楽しもうと思う。
そういう流れの中で、10日前ほどに大学時代の先輩 まあちゃんに20数年ぶりに会うことが
できた。上野で、水墨画の展覧会に出品しているまあちゃんを、同期のタエとチカで訪ねたか
らだ。
まあちゃんは、昔のまあちゃんのままだった。
違うのは、お弟子さんから「先生」と呼ばれたりして、上品さと落ち着きを備えていたことだ。
大学時代のまあちゃんは、「てめーなあ・・」と後輩の男子をよく小突いていたものだ。
人は地位とか年齢とか環境によって影響を受けやすいということがわかっているからこそ、
中身の素の部分が昔のまあちゃんと全然変わっていないことが私はとても嬉しかった。
結婚してから子供を持つまでの5年間くらい、まあちゃんと毎週のように遊んでいるとき
があった。とても懐かしい。
お弟子さんの前ではしゃきっとしてなくてはならないのでしょうけれど、次回上京した時は、
是非まあちゃんの泥酔状態が見てみたいと思っている私です。
「霜柱愛好家・・霜柱踏み人」の私としては、寒さの度合いを、毎朝の散歩途中に踏む霜柱
の感触で判断する。幾分寒さの弱い日の霜柱は、とことん頑張りがきかない。
足を上に乗っけた時点で何の抵抗もなく砂の塊のように崩れ去る。
その逆に、「今日は最低気温ですよ・・。」と天気予報で言っていた日などは、とても頑固な霜柱
に出会うことができる。私の体重ぐらいじゃびくともしなかったりするのだ。
どんな霜柱にも対応可能な私は、こういう時はちょっぴり鬼の面を被って、自分のかかとを鋭利な
ナイフのように地面に突き刺し、いやがおうでも潰してしまう。
ぎりぎり息が白く見えるような日には、理想の霜柱に出会える。
足をそっとのせると心地よい硬さがそこにある。少しずつ体重をかけていくたびに、霜柱は土中
の空胞を音とともにひとつひとつ手放していく。地面と私の足の裏あたりがピタッと平になった
時点で、調和が生まれる。
先週から今週にかけて、「区切り」のつくことがいくつかあった。
区切りをつけた、というのが本当かな。
精神安定のための薬が手放せない彼とのメールが今までも続いていた。
中身がどんどんエスカレートする。・・君は渡辺真知子、僕はエリッククラプトン。
僕はお爺さんになってしまったから、大学時代のサークルに年金を払ってもらいたい
と思うが、どうすればいい? サークルはヤクザに支配されてる。全て解散だ!!
友達に初めて相談した。彼のメールを初めて人に聞かせた。
友達はきっばり答えてくれた。
「すっぱりと切るべきだ。それが彼のためでもある。今彼はあなたを通して大学時代
に執着している。それを切ってあげて、100%専門家の方に向けてあげるほうがいい。」
「自分は大丈夫と思っていても、そういうことって粒子レベルであなたの精神に影響すると
思う。あなたのためにもやめたほうがいい。」
私は目からウロコが落ちた。
彼から「今までの迷惑は全部忘れてくれ。絶対東京に戻って錦を飾る・・」
という最後のメールに、「ごめんね。でももうこれで終わりにします。」と打ち切った。
の感触で判断する。幾分寒さの弱い日の霜柱は、とことん頑張りがきかない。
足を上に乗っけた時点で何の抵抗もなく砂の塊のように崩れ去る。
その逆に、「今日は最低気温ですよ・・。」と天気予報で言っていた日などは、とても頑固な霜柱
に出会うことができる。私の体重ぐらいじゃびくともしなかったりするのだ。
どんな霜柱にも対応可能な私は、こういう時はちょっぴり鬼の面を被って、自分のかかとを鋭利な
ナイフのように地面に突き刺し、いやがおうでも潰してしまう。
ぎりぎり息が白く見えるような日には、理想の霜柱に出会える。
足をそっとのせると心地よい硬さがそこにある。少しずつ体重をかけていくたびに、霜柱は土中
の空胞を音とともにひとつひとつ手放していく。地面と私の足の裏あたりがピタッと平になった
時点で、調和が生まれる。
先週から今週にかけて、「区切り」のつくことがいくつかあった。
区切りをつけた、というのが本当かな。
精神安定のための薬が手放せない彼とのメールが今までも続いていた。
中身がどんどんエスカレートする。・・君は渡辺真知子、僕はエリッククラプトン。
僕はお爺さんになってしまったから、大学時代のサークルに年金を払ってもらいたい
と思うが、どうすればいい? サークルはヤクザに支配されてる。全て解散だ!!
友達に初めて相談した。彼のメールを初めて人に聞かせた。
友達はきっばり答えてくれた。
「すっぱりと切るべきだ。それが彼のためでもある。今彼はあなたを通して大学時代
に執着している。それを切ってあげて、100%専門家の方に向けてあげるほうがいい。」
「自分は大丈夫と思っていても、そういうことって粒子レベルであなたの精神に影響すると
思う。あなたのためにもやめたほうがいい。」
私は目からウロコが落ちた。
彼から「今までの迷惑は全部忘れてくれ。絶対東京に戻って錦を飾る・・」
という最後のメールに、「ごめんね。でももうこれで終わりにします。」と打ち切った。
わずかな睡眠を除いて、一日の殆どを仕事や家事に費やし、動き続けている友達ふたりと、方や
仕事もせずにのんきに暮らしている私、の3人が集まって、お昼を一緒に食べる機会を持つことが
できた。
この二人の空き時間が会うこと自体ミラクルなので、再会が決まった時からなんとなく運命的
なものを感じていたんだ。
看護婦の鳩ちゃんと、ピアノ演奏家のサナエさん。
二人とも、バレエを通して知り合った友達で、何かがお互いを呼び合ったのだろう・・もう何年
も前にバレエを辞められたサナエさんとも今だにお付き合いをさせてもらっている。
彼等はホント凄いんだ! 体力と生産性にフォーカスしてみると、彼等は実際私の20倍位の人生
を生きていることになると思う。
鳩ちゃんについては、このブログにも何度か登場しているので、今日はサナエさんのことを少し
ばかり紹介したいと思う。
芸大のピアノ科を出て、テレビで「歌とピアノのお姉さん」を経験した後、劇団の伴奏をやったり
演奏会を開いたり、音大受験生を山ほどかかえて真夜中まで教えたり、というような音楽漬けの
生活に加えて、4人の子供の母親をこなしてきた人だ。
それだけでもう凄い!と思うでしょうけれど、彼女はそれだけでは終わらないの。
テレビ時代に山本直純さんから言われた言葉、「音楽やるなら、ちゃんと底辺も見なければ
だめだよ。」という言葉をしっかりと受け止めた彼女は、音楽をやりながら、敢えて普通の仕事
も選んで経験を広めていく。スーパーのレジ、保育園のスタッフ、資格を取って介護士に、
ヒーリングの勉強をしてヒーラ-に。
「今はその中のどれに中心を置いてるわけ?」という私の愚問に彼女がすぐさま答えた。
「私の中では全部同じなのよ・・。」「音楽も人を癒すでしょ? スーパーのレジだって、あなたがいいわ・・って、いつも私のところに並んでくれる人がいたのよ。私の中ではみんなつながっているの。」
この3人が集まると、「精神性」とか「魂」とか、普段のランチにほとんど登場しないような
言葉がいっぱい出てくるのもいつものこと。
今回は、彼女たち、特にサナエさんのお話を聞いている側に私はいた。
彼女たちの生い立ちやこれまでの人生が、逆境の多いものであったことをより具体的に知って、
私はポカンとしてしまった。逆境をたくさんかいくぐって来た彼女たちの方が、能天気に生きて
来た私よりもまっすぐで魂が美しい・・そう感じたからだ。
6時間くらい彼女たちと居て気づいたことがある。
もしも仮に「魂のレベル」というものがあるのだとしたら、私より数段高い魂のレベルの人達と
私は一緒にいさせてもらっているんだ。
なんかね、そこに居れたことがとても貴重なことに思えたんだ。
仕事もせずにのんきに暮らしている私、の3人が集まって、お昼を一緒に食べる機会を持つことが
できた。
この二人の空き時間が会うこと自体ミラクルなので、再会が決まった時からなんとなく運命的
なものを感じていたんだ。
看護婦の鳩ちゃんと、ピアノ演奏家のサナエさん。
二人とも、バレエを通して知り合った友達で、何かがお互いを呼び合ったのだろう・・もう何年
も前にバレエを辞められたサナエさんとも今だにお付き合いをさせてもらっている。
彼等はホント凄いんだ! 体力と生産性にフォーカスしてみると、彼等は実際私の20倍位の人生
を生きていることになると思う。
鳩ちゃんについては、このブログにも何度か登場しているので、今日はサナエさんのことを少し
ばかり紹介したいと思う。
芸大のピアノ科を出て、テレビで「歌とピアノのお姉さん」を経験した後、劇団の伴奏をやったり
演奏会を開いたり、音大受験生を山ほどかかえて真夜中まで教えたり、というような音楽漬けの
生活に加えて、4人の子供の母親をこなしてきた人だ。
それだけでもう凄い!と思うでしょうけれど、彼女はそれだけでは終わらないの。
テレビ時代に山本直純さんから言われた言葉、「音楽やるなら、ちゃんと底辺も見なければ
だめだよ。」という言葉をしっかりと受け止めた彼女は、音楽をやりながら、敢えて普通の仕事
も選んで経験を広めていく。スーパーのレジ、保育園のスタッフ、資格を取って介護士に、
ヒーリングの勉強をしてヒーラ-に。
「今はその中のどれに中心を置いてるわけ?」という私の愚問に彼女がすぐさま答えた。
「私の中では全部同じなのよ・・。」「音楽も人を癒すでしょ? スーパーのレジだって、あなたがいいわ・・って、いつも私のところに並んでくれる人がいたのよ。私の中ではみんなつながっているの。」
この3人が集まると、「精神性」とか「魂」とか、普段のランチにほとんど登場しないような
言葉がいっぱい出てくるのもいつものこと。
今回は、彼女たち、特にサナエさんのお話を聞いている側に私はいた。
彼女たちの生い立ちやこれまでの人生が、逆境の多いものであったことをより具体的に知って、
私はポカンとしてしまった。逆境をたくさんかいくぐって来た彼女たちの方が、能天気に生きて
来た私よりもまっすぐで魂が美しい・・そう感じたからだ。
6時間くらい彼女たちと居て気づいたことがある。
もしも仮に「魂のレベル」というものがあるのだとしたら、私より数段高い魂のレベルの人達と
私は一緒にいさせてもらっているんだ。
なんかね、そこに居れたことがとても貴重なことに思えたんだ。
年が明けてから、一応新年会という前提で、高校時代や中学時代の友達との「女子会」を
楽しんでいる。土曜日には、生まれた時から自由が丘に住んでいる「おっこ先生」おすすめの
「杜若/かきつばた」に、高校時代の友達6人が集まった。
お料理も美味しかったけれど、チリ産のワインがこれまた美味しくて、「美味しいワインは料理
も引き立てる」・・という常套句を初めて実体験して、ヨワイ56歳。ここに来て感動するのであ
った。
チリ産のワイン、一本4500円。私がいつも飲んでいるワインの7~8倍。
600円足らずのワインで、私は十分美味しいと思っていたしそんなに高いワインを飲みたい
という欲求すらなかったのだけれど、やっぱりいいものはいいし美味しいものは美味しいのね。
なんというか、深みと渋みが風味の根底にあって、喉を通る時に上品なアロマがふわっと鼻腔
をくすぐる感じ。ワイン教室に通い始めたと言っていたえっちゃんに、少しづつでも知識をわけ
てもらおうかと思ってる。
だからと言って、今の600円のワインを高いものに変えるつもりはないの。
本物のワインと比べると、私が飲んでいたものは結局少しアルコールの入った「ぶどうジュース」
に過ぎなかったわけだけれど、このジュースみたいなワインも嫌いではないの。
たぶんこの世の中には私が食べたことのないような高価な美味しいもの、私が初めて食べたら
あまりに美味しくて死んじゃいそうになるようなものを普通に食べている人たちがたくさん
いるのだと思う。でも不思議とその世界を知りたいとは思わない。なぜだろう。
結局何にしても「こだわり」ということにそんなに重きを置いていないからなのかな。
ランチの後、自由が丘をぶらぶら散歩しながら、「古桑庵」という古民家カフェで静かな
温かい時間を過ごして、じゃ、次は鎌倉ね・・と言って解散した。
2月には中学時代の友達の集まりがある。
弁理士資格試験に見事に合格した、くみちゃんのお祝いも兼ねての集まりだ。
くみちゃんの話を聞いてから単純な私はとても影響を受けて、私も今、英語を勉強し直している。
勉強嫌いの私が今勉強が楽しいと思っている。
大人になってからの勉強は、単なる詰め込みではなく、実践を意識し、多面的に物事を見るので、
ひとつのことを勉強していても分野がどんどん広がっていくので楽しいのだと思う。
最近自分に必要なものが、向こうから近づいてきてくれるのを感じる時がある。
例えば真面目に生きていて何がいいのか・・と思ったときに、そういうものが自然と近づいて
来てくれるのではないか、と思うのだ。
直感とか流れに任せて何かを始めたりする。
こんな感じで生きていこうかな、なんて最近思ってる。
楽しんでいる。土曜日には、生まれた時から自由が丘に住んでいる「おっこ先生」おすすめの
「杜若/かきつばた」に、高校時代の友達6人が集まった。
お料理も美味しかったけれど、チリ産のワインがこれまた美味しくて、「美味しいワインは料理
も引き立てる」・・という常套句を初めて実体験して、ヨワイ56歳。ここに来て感動するのであ
った。
チリ産のワイン、一本4500円。私がいつも飲んでいるワインの7~8倍。
600円足らずのワインで、私は十分美味しいと思っていたしそんなに高いワインを飲みたい
という欲求すらなかったのだけれど、やっぱりいいものはいいし美味しいものは美味しいのね。
なんというか、深みと渋みが風味の根底にあって、喉を通る時に上品なアロマがふわっと鼻腔
をくすぐる感じ。ワイン教室に通い始めたと言っていたえっちゃんに、少しづつでも知識をわけ
てもらおうかと思ってる。
だからと言って、今の600円のワインを高いものに変えるつもりはないの。
本物のワインと比べると、私が飲んでいたものは結局少しアルコールの入った「ぶどうジュース」
に過ぎなかったわけだけれど、このジュースみたいなワインも嫌いではないの。
たぶんこの世の中には私が食べたことのないような高価な美味しいもの、私が初めて食べたら
あまりに美味しくて死んじゃいそうになるようなものを普通に食べている人たちがたくさん
いるのだと思う。でも不思議とその世界を知りたいとは思わない。なぜだろう。
結局何にしても「こだわり」ということにそんなに重きを置いていないからなのかな。
ランチの後、自由が丘をぶらぶら散歩しながら、「古桑庵」という古民家カフェで静かな
温かい時間を過ごして、じゃ、次は鎌倉ね・・と言って解散した。
2月には中学時代の友達の集まりがある。
弁理士資格試験に見事に合格した、くみちゃんのお祝いも兼ねての集まりだ。
くみちゃんの話を聞いてから単純な私はとても影響を受けて、私も今、英語を勉強し直している。
勉強嫌いの私が今勉強が楽しいと思っている。
大人になってからの勉強は、単なる詰め込みではなく、実践を意識し、多面的に物事を見るので、
ひとつのことを勉強していても分野がどんどん広がっていくので楽しいのだと思う。
最近自分に必要なものが、向こうから近づいてきてくれるのを感じる時がある。
例えば真面目に生きていて何がいいのか・・と思ったときに、そういうものが自然と近づいて
来てくれるのではないか、と思うのだ。
直感とか流れに任せて何かを始めたりする。
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