日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
去年ひいた風邪が抜けないまま年を越え、今だに咳と鼻水にまみれた生活をしている。
年末の大掃除も、体から反射的に出てきてしまうコンコン、ズビズビ・・という雑音でリズムを
取りながら何とか終わらせた。その後、年越しそばを食べる時も、お正月の用意をする時も、
おめでとう!と新年のお祝いをする時も、初詣に行った時も、家族4人と一匹で河津温泉に旅行に行っている間も、このコンコン、ズビズビはしつこく続き、そして今に至っている。
ふとした拍子に他愛もない風邪をひく。運動してて筋肉を痛める。
そんな場合、これまでほとんど気にせずほったらかしておけたのに、そのしつこさゆえに日に日に
意識をそっちに持って行かれてしまう。その治りの悪さ遅さによって、確実に年をとっている自分
の身体というものを、きっちり自覚させられる。
そんなこんなで、アンチエイジングが声高に叫ばれている世の中で、私はひとり、年を取っていく
自分の身体とひっそり対峙して、そのことを大方素直に受け入れていた。
この素直さは、私があんまり身体が丈夫でないということに起因しているのだと思う。
そうでなきゃ、今だ戦闘態勢を崩していなんじゃないかと思う。
美魔女目指していたかも・・。冗談だけど。
子供達が独立してから早4年。
彼らが家に戻ってくると、部屋が狭い。車が窮屈。
昔は彼らがそこにいることが私にとっての日常であったのに、今では年に数回の非日常。
3、4日一緒に過ごした後、バラけて日常へと帰って行く彼らの後ろ姿に、いつもの自分の
生活に戻っていける安堵感があるのが読み取れる。私にしても、いつもの「2人と一匹」に
なって実のところホッとしているのである。さみしさは不思議とまったくない。
言ってみれば、こんだけさみしくないことが逆にさみしいと思うくらいだ。
かつて、時間と空間と感情と体温を、つまり日々の経験を私たちと大きく共有していた彼等は、
今や完全に私たち親から独立し、親子という事実以外は共有するものが少なくなっている。
そしてそれをお互い当たり前だと納得している。
完全なる親離れ子離れの完成形を、実にめでたい・・と思いながら、おめでたいことにつきも
のの、不思議な悲しみ・・みたいなものを私は感じているのか。
年末に風邪で寝込んだ時にHULUで見つけて観まくった「深夜食堂」1.2シーズンの、新たな
3シーズン全エピソードを、Utubeで見つけて全て見た。これで今度公開される映画以外は全て
観たことになる。
「深夜食堂」ばかり観てないで何か映画でも観ようか?と、撮りためてあったハードディスクから、「さよならクロ」を選んで観始めた。
クロという犬のお話。そして さよなら と付く時点でいつもなら避けて通るのに、なぜかこれを選んで観始めたのだ。
オープニングで、監督のクレジットを見てびっくりした。「深夜食堂」を何本も撮っている
松岡錠司監督だったからだ。ひとつの傾向を呼んじゃう時は自然と呼んじゃうのね、きっと。
これがとてもいい映画だった。
あの淡々と描かれる「深夜食堂」の静かな流れが「クロ」にも流れていた。
動物に演技は土台無理な話で、動物ものの映画に不自然さはつきもの・・と諦めていたのに、
まったく不自然さを感じなかった。
大きな傷と罪の意識を心に負った人達が、明るい方向へ一歩踏み出すのに必要な時間の経過
が、それはそれは繊細に描かれていた。
ひとりひとりの人たちの クロ への思いが痛いほど感じられた。
クロはそこに居て生き抜いた。ただそこに居て真っ直ぐな視線を周りの人間に送っていた。
犬は犬の形をしてそこに居る。眠ったり食べたりしっぽを振ったり。そして時々何もかも
わかっているような目でこちらを見つめる。実は何も分かっていないんだと思う。
言葉もしゃべらない小さな動物が、ただそこにいてくれることで、どれだけ周りにいる人間の
感情を豊かにしてくれるのか見当もつかない。どれだけ助けられているのかも。
犬の大好きなあなた様。是非「さよならクロ」を観てみてくださいな。
年末の大掃除も、体から反射的に出てきてしまうコンコン、ズビズビ・・という雑音でリズムを
取りながら何とか終わらせた。その後、年越しそばを食べる時も、お正月の用意をする時も、
おめでとう!と新年のお祝いをする時も、初詣に行った時も、家族4人と一匹で河津温泉に旅行に行っている間も、このコンコン、ズビズビはしつこく続き、そして今に至っている。
ふとした拍子に他愛もない風邪をひく。運動してて筋肉を痛める。
そんな場合、これまでほとんど気にせずほったらかしておけたのに、そのしつこさゆえに日に日に
意識をそっちに持って行かれてしまう。その治りの悪さ遅さによって、確実に年をとっている自分
の身体というものを、きっちり自覚させられる。
そんなこんなで、アンチエイジングが声高に叫ばれている世の中で、私はひとり、年を取っていく
自分の身体とひっそり対峙して、そのことを大方素直に受け入れていた。
この素直さは、私があんまり身体が丈夫でないということに起因しているのだと思う。
そうでなきゃ、今だ戦闘態勢を崩していなんじゃないかと思う。
美魔女目指していたかも・・。冗談だけど。
子供達が独立してから早4年。
彼らが家に戻ってくると、部屋が狭い。車が窮屈。
昔は彼らがそこにいることが私にとっての日常であったのに、今では年に数回の非日常。
3、4日一緒に過ごした後、バラけて日常へと帰って行く彼らの後ろ姿に、いつもの自分の
生活に戻っていける安堵感があるのが読み取れる。私にしても、いつもの「2人と一匹」に
なって実のところホッとしているのである。さみしさは不思議とまったくない。
言ってみれば、こんだけさみしくないことが逆にさみしいと思うくらいだ。
かつて、時間と空間と感情と体温を、つまり日々の経験を私たちと大きく共有していた彼等は、
今や完全に私たち親から独立し、親子という事実以外は共有するものが少なくなっている。
そしてそれをお互い当たり前だと納得している。
完全なる親離れ子離れの完成形を、実にめでたい・・と思いながら、おめでたいことにつきも
のの、不思議な悲しみ・・みたいなものを私は感じているのか。
年末に風邪で寝込んだ時にHULUで見つけて観まくった「深夜食堂」1.2シーズンの、新たな
3シーズン全エピソードを、Utubeで見つけて全て見た。これで今度公開される映画以外は全て
観たことになる。
「深夜食堂」ばかり観てないで何か映画でも観ようか?と、撮りためてあったハードディスクから、「さよならクロ」を選んで観始めた。
クロという犬のお話。そして さよなら と付く時点でいつもなら避けて通るのに、なぜかこれを選んで観始めたのだ。
オープニングで、監督のクレジットを見てびっくりした。「深夜食堂」を何本も撮っている
松岡錠司監督だったからだ。ひとつの傾向を呼んじゃう時は自然と呼んじゃうのね、きっと。
これがとてもいい映画だった。
あの淡々と描かれる「深夜食堂」の静かな流れが「クロ」にも流れていた。
動物に演技は土台無理な話で、動物ものの映画に不自然さはつきもの・・と諦めていたのに、
まったく不自然さを感じなかった。
大きな傷と罪の意識を心に負った人達が、明るい方向へ一歩踏み出すのに必要な時間の経過
が、それはそれは繊細に描かれていた。
ひとりひとりの人たちの クロ への思いが痛いほど感じられた。
クロはそこに居て生き抜いた。ただそこに居て真っ直ぐな視線を周りの人間に送っていた。
犬は犬の形をしてそこに居る。眠ったり食べたりしっぽを振ったり。そして時々何もかも
わかっているような目でこちらを見つめる。実は何も分かっていないんだと思う。
言葉もしゃべらない小さな動物が、ただそこにいてくれることで、どれだけ周りにいる人間の
感情を豊かにしてくれるのか見当もつかない。どれだけ助けられているのかも。
犬の大好きなあなた様。是非「さよならクロ」を観てみてくださいな。
鼻の下がごわごわしてまるでゴムのようだ。
咳をするのも大概疲れるが、ひっきりなしに鼻をかむのは、エネルギー消費甚だしい。
ゴミ箱には半端ないティッシュの山ができ、やがて、ちょっと赤みを帯びた鈍感そうな
鼻の下ができあがる。でも実際はヒリヒリと痛いんだ。
市販の薬でごまかしていたけれど、夜中の咳き込みも止まないし、これ以上「鼻の下」に大きな
顔されては困るので、昨日お医者さんに行って来た。
普通の町医者で、2時間待つとは初めての経験で、風邪やインフルエンザの季節の真っ只中に
自分がいることに、うなづき納得する。
やっと買い物に行ける状態になったので、いちごと生クリームを2パック買ってきて、クリスマス
ケーキを作った。中はチョコスポンジでいちごのスライスと生クリームを2段挟んで作り上げた。
最近またパンを焼いたりケーキを作ったりするのが楽しくて、先々週も友達のお宅にお呼ばれ
したとき、チョコレートケーキを作ってワンホール持っていった。
昔からやっていたことが、いざという時に役立ったりすると、自信のない弱い今の自分に、
そんなに卑下しなくてもいいんじゃないのかな?と、言ってあげられるような気持ちになる。
なぜだか最近よく感じていることは、いいこと 悪いこと、幸 不幸は、偽装してやってくる
・・ということで。
とても単純な例で言うと、うちのダンナの会社は駅から急ぎ足で25分位歩かなければならない。
本人も嫌がっていたし私も気の毒だなと思っていた。でも長い目で見て毎日往復50分歩いて
いることで、病気にならなくて済んでいるのかもしれない。その一方娘は、会社から充てがわ
れた車でとても便利な生活をしている。最初はなんて運のいいこと、と喜んでいたが、最近の
娘を見ると、運動不足で体重が増加気味であることがわかる。
このことに関連して、私の好きな英語表現がある。
「A Blessing in Disguise」・・disguise というのは変装・偽装という意味で、全体的には、
「姿を変えた祝福・・不幸に見えて実はありがたいもの。」という意味。
つまり、表面に見えてくるものは、表面にしか過ぎず、深く掘り起こしていけば、全く別の面
が現れることが大いにあるということだ。それがわかるのには、時間の経過を必要とする場合も
あると思う。
目に見えるものだけに惑わされずに、心に余計な波風立てず 生きていきたいものだ。
咳をするのも大概疲れるが、ひっきりなしに鼻をかむのは、エネルギー消費甚だしい。
ゴミ箱には半端ないティッシュの山ができ、やがて、ちょっと赤みを帯びた鈍感そうな
鼻の下ができあがる。でも実際はヒリヒリと痛いんだ。
市販の薬でごまかしていたけれど、夜中の咳き込みも止まないし、これ以上「鼻の下」に大きな
顔されては困るので、昨日お医者さんに行って来た。
普通の町医者で、2時間待つとは初めての経験で、風邪やインフルエンザの季節の真っ只中に
自分がいることに、うなづき納得する。
やっと買い物に行ける状態になったので、いちごと生クリームを2パック買ってきて、クリスマス
ケーキを作った。中はチョコスポンジでいちごのスライスと生クリームを2段挟んで作り上げた。
最近またパンを焼いたりケーキを作ったりするのが楽しくて、先々週も友達のお宅にお呼ばれ
したとき、チョコレートケーキを作ってワンホール持っていった。
昔からやっていたことが、いざという時に役立ったりすると、自信のない弱い今の自分に、
そんなに卑下しなくてもいいんじゃないのかな?と、言ってあげられるような気持ちになる。
なぜだか最近よく感じていることは、いいこと 悪いこと、幸 不幸は、偽装してやってくる
・・ということで。
とても単純な例で言うと、うちのダンナの会社は駅から急ぎ足で25分位歩かなければならない。
本人も嫌がっていたし私も気の毒だなと思っていた。でも長い目で見て毎日往復50分歩いて
いることで、病気にならなくて済んでいるのかもしれない。その一方娘は、会社から充てがわ
れた車でとても便利な生活をしている。最初はなんて運のいいこと、と喜んでいたが、最近の
娘を見ると、運動不足で体重が増加気味であることがわかる。
このことに関連して、私の好きな英語表現がある。
「A Blessing in Disguise」・・disguise というのは変装・偽装という意味で、全体的には、
「姿を変えた祝福・・不幸に見えて実はありがたいもの。」という意味。
つまり、表面に見えてくるものは、表面にしか過ぎず、深く掘り起こしていけば、全く別の面
が現れることが大いにあるということだ。それがわかるのには、時間の経過を必要とする場合も
あると思う。
目に見えるものだけに惑わされずに、心に余計な波風立てず 生きていきたいものだ。
ブログ更新をサボっているうちに寒さが一段と増して、自分の吐く息が白くなっていた。
ここまで寒くなると、朝の散歩に手袋 ニット帽は必需品。それに加えて、ダウンを着たり分厚いコートを着たら最後、過剰包装もいいとこで、一回り大きなあんこ入りの私がノシノシと歩みを
進めることになる。
その歩みも、例えば春先ののんびりしたものとはすっかり違っていて、つまり、体を寒さから守れ!! という本能の指令に従い、どんどん早足になっていくようなのだ。
一目散に散歩を終えようと思っていたはずなのに、足元の霜柱がきらめき出して、私を誘惑するとはおかしな偶然だ。霜柱を見つけると踏まずにはいられない私の性癖。他の大人の方々は、素通りできるものなのだろうか。
黄色いカバー付きのランドセルを背負った登校時の一年ぽっくり達が、私と同じように楽しげに
霜柱を踏んでいるのを遠目で見ながら、もしかしたら私は、発達途中で大人になるための必要な
ネジを一本どこかに落としてしまったのではないか・・と思った。
老人施設の屋外で飼われている亀たちが、水につかったまま凍っていた。
氷の表面のあちこちに、まあるい甲羅の一部分が張り出して、小さな岩のように見える。
この場所にも黄色いカバー付きの小学生3人が寄り道していた。
「亀、大丈夫?」と彼らの頭上から私が聞くと、「僕らが今氷を取ってあげてるから大丈夫だよ。」と、ゆるぎない眼差しで答えてくれた。
実際、私の中ではもうすでにカウントダウンが始まっている。
新年まですでに2週間を切っているのだから。
早い とか うそっ~ とか言ってる暇はない。
バレエの踊りおさめも今日だった。
いつもじゃない時間がすでにスタートを切っている。
そうだとしても、いつものように過ごそうかと思う。
いつもよりお掃除を少し頑張るくらいで。
「冬眠」て、私の中で憧れているベスト3のひとつなんだ。
動かない亀の甲羅を見ても、羨ましさを感じる私。
生来の怠け者なんだと思う。間違いない。
ここまで寒くなると、朝の散歩に手袋 ニット帽は必需品。それに加えて、ダウンを着たり分厚いコートを着たら最後、過剰包装もいいとこで、一回り大きなあんこ入りの私がノシノシと歩みを
進めることになる。
その歩みも、例えば春先ののんびりしたものとはすっかり違っていて、つまり、体を寒さから守れ!! という本能の指令に従い、どんどん早足になっていくようなのだ。
一目散に散歩を終えようと思っていたはずなのに、足元の霜柱がきらめき出して、私を誘惑するとはおかしな偶然だ。霜柱を見つけると踏まずにはいられない私の性癖。他の大人の方々は、素通りできるものなのだろうか。
黄色いカバー付きのランドセルを背負った登校時の一年ぽっくり達が、私と同じように楽しげに
霜柱を踏んでいるのを遠目で見ながら、もしかしたら私は、発達途中で大人になるための必要な
ネジを一本どこかに落としてしまったのではないか・・と思った。
老人施設の屋外で飼われている亀たちが、水につかったまま凍っていた。
氷の表面のあちこちに、まあるい甲羅の一部分が張り出して、小さな岩のように見える。
この場所にも黄色いカバー付きの小学生3人が寄り道していた。
「亀、大丈夫?」と彼らの頭上から私が聞くと、「僕らが今氷を取ってあげてるから大丈夫だよ。」と、ゆるぎない眼差しで答えてくれた。
実際、私の中ではもうすでにカウントダウンが始まっている。
新年まですでに2週間を切っているのだから。
早い とか うそっ~ とか言ってる暇はない。
バレエの踊りおさめも今日だった。
いつもじゃない時間がすでにスタートを切っている。
そうだとしても、いつものように過ごそうかと思う。
いつもよりお掃除を少し頑張るくらいで。
「冬眠」て、私の中で憧れているベスト3のひとつなんだ。
動かない亀の甲羅を見ても、羨ましさを感じる私。
生来の怠け者なんだと思う。間違いない。
我が家の新しいインターホンは、訪問者の姿を映してくれる。
マンションの理事会で全とっかえが決まり、全室最新のものに差し替えられたのが数ヶ月前。
私は、まだ十分機能していた古いタイプにまったく問題を感じていなかったが、訪ねてきた人を
画面で即座に確認できるというのは、なかなか安心感があるものだ。
日曜日の午前中、そのインターホンが鳴り、スクリーンに駆け寄ると、大きな荷物を乗っけた荷台
の横に、お馴染みの制服を着た配送業者の男性が立っていた。
エントランスホールから6階まで移動してもらっている間に、今時分届きそうな物を思い出そうと
してみたが、その箱の大きさを鑑みると何も思い当たらない。
玄関先まで届いた箱の宛名書きラベルを見てやっと合点がいった。先日のライブの主催者が、
ちょっと送りたい物があるので・・と数日前にメールをくれていたのだ。
ワクワクしながら箱を開けると中からまばゆいまでに美しいシクラメンが現れた。
娘と私で一生懸命撮ったライブ写真のご褒美として送ってくれたようなのだ。
「ブルーシクラメン」・・新聞の片隅に以前紹介されていた新種のシクラメン。
どんな色だろう?と憧れていた。
本物を目にしてみると、ブルーというよりはバイオレットブルー。とても深い色。
クリスマスツリーの横で、この12月という季節をエレガントに演出してくれています。
ありがとう(__)!!
日曜は、数ヶ月前に注文していたお鍋も届いた。
「バーミキュラ」というお鍋は、納期が注文から2ヶ月後と少し間があったため、忙しさに紛れてすっかり忘れてしまっていた。忘れた頃に届く、というのもなかなか嬉しいものだ。
「2ヶ月前の自分から今の自分へのクリスマスプレゼント」という感覚でお鍋を受け取っていた。
物を整理してスッキリと・・言いながら、いまだに物に癒されている自分がいる。
「スッキリ」はあくまでも理想、現実はごちゃごちゃと生きていくんだろうな。



マンションの理事会で全とっかえが決まり、全室最新のものに差し替えられたのが数ヶ月前。
私は、まだ十分機能していた古いタイプにまったく問題を感じていなかったが、訪ねてきた人を
画面で即座に確認できるというのは、なかなか安心感があるものだ。
日曜日の午前中、そのインターホンが鳴り、スクリーンに駆け寄ると、大きな荷物を乗っけた荷台
の横に、お馴染みの制服を着た配送業者の男性が立っていた。
エントランスホールから6階まで移動してもらっている間に、今時分届きそうな物を思い出そうと
してみたが、その箱の大きさを鑑みると何も思い当たらない。
玄関先まで届いた箱の宛名書きラベルを見てやっと合点がいった。先日のライブの主催者が、
ちょっと送りたい物があるので・・と数日前にメールをくれていたのだ。
ワクワクしながら箱を開けると中からまばゆいまでに美しいシクラメンが現れた。
娘と私で一生懸命撮ったライブ写真のご褒美として送ってくれたようなのだ。
「ブルーシクラメン」・・新聞の片隅に以前紹介されていた新種のシクラメン。
どんな色だろう?と憧れていた。
本物を目にしてみると、ブルーというよりはバイオレットブルー。とても深い色。
クリスマスツリーの横で、この12月という季節をエレガントに演出してくれています。
ありがとう(__)!!
日曜は、数ヶ月前に注文していたお鍋も届いた。
「バーミキュラ」というお鍋は、納期が注文から2ヶ月後と少し間があったため、忙しさに紛れてすっかり忘れてしまっていた。忘れた頃に届く、というのもなかなか嬉しいものだ。
「2ヶ月前の自分から今の自分へのクリスマスプレゼント」という感覚でお鍋を受け取っていた。
物を整理してスッキリと・・言いながら、いまだに物に癒されている自分がいる。
「スッキリ」はあくまでも理想、現実はごちゃごちゃと生きていくんだろうな。
ふるさと村で、青々とした葉っぱ付きの、抜きたて泥つき大根を手に入れた。
さてどう料理しようかと考えるふりをしてはみるが、実は最初から「ふろふき大根」に決まって
いたようなものだ。
サクサクと包丁を入れて6~7センチの輪切りにし、皮をむいたら片面に十字をいれる。
ひたひたのコメのとぎ汁で20~30分程茹でると、生の大根の角張りと硬さが取れてつるんと
した柔和な表情が現れる。丸みを帯び、白さと透明感がいっそう増したこの段階でのだいこんは、
本当に美しくて捨てがたい・・そう思いつつも、薄めの昆布出汁に移し替えてもう一度煮ること
15分。
ちょっと大きめ深めのお皿に出来たてのだいこんをひとつふたつのっけて、丁寧にお汁をはる。
別鍋で作った肉味噌をのっけて出来上がり。
湯気の出ているだいこんを、お皿ごと目の前に持ってきてお箸を挿してみる。
お箸が、何の抵抗もなくだいこんにスーっと吸い込まれていく。
肉味噌を配分しながらハフハフ言って食べる冬のふろふき大根。
幸せの象徴。
幸せはまだ続く。
大根を食べたあとに、多めに張ったお出汁を肉味噌スープとしていただくのが私流。
お行儀悪いけど、これがまたおいしいんだな。
寒さも押し寄せる師走の一日、ふろふき大根食べたあと、しばらく空の器を手に持って、
幸せの余韻に浸っていた。
ふろふきだいこんの余韻は、ひとつは温かさで、その温かさが徐々に体の内側から外側へと
広がって行くのを感じていたら、冷たかった手足の指までほかほかしていた。
そうだ思い出した。大根のことを書こうと思っていたわけじゃないんだ。
ちょうど先週の今日観た映画「6才のボクが、大人になるまで」のことを書こうと思って
いたんだ。
一週間経つと、細かいことは忘れてしまっているけれど、今でももう一回観たい。と
思わせてくれる映画です。
とりわけ、フィクションでありながら、物語の中での12年間と、現実世界で経過した12年
の年月がシンクロしていることで(一年に一回同じキャストで12年間にわたって撮られた映画
なので)私はメイソン一家をより身近に感じることができたのだと思う。
それはまるで、自分の子供たちの幼少時代から成人するまでのビデオを続けて観ているような
感覚だ。
小学生になりたての子供達と大人になった彼等に共通点を見つけるのは難しい。
無理して見れば、小さい頃の面影はなくもない。でもやっぱり断然違う。
母親の私は、あの小さな彼らが、いつどこで今の彼らとすり替わって、こんなに大きい大人
になってしまったのかわからなくて、途方にくれているところがある。
6才のメイソンと18才のメイソンもまるで別人のようだ。
でも途中の一年ごとの成長のつなぎ目はとても穏やかで、途切れることのない時間が流れている
ように見えるから不思議だ。
それを言ったらおしまいかもしれないが、人生はあっという間に過ぎ去っていく。
私がこの映画を観て一番痛感したのはそのことだ。10年分も20年分も30年分も、アルバム
やビデオや映画にしたらあっという間だ。
そして人生のそれぞれの局面で、その時の中で一番必死な自分が もがきながら生きる意味を
見つけようとしてきた。
そういう様々な局面での「もがき」の集大成が人生のようにも思える。
そうだとしたら、今もなお もがき苦闘する自分にも少しは優しくなれそうだ。
でもね、もう私は 何かの意味 なんてあんまり考えなくなっちゃたけどね。
さてどう料理しようかと考えるふりをしてはみるが、実は最初から「ふろふき大根」に決まって
いたようなものだ。
サクサクと包丁を入れて6~7センチの輪切りにし、皮をむいたら片面に十字をいれる。
ひたひたのコメのとぎ汁で20~30分程茹でると、生の大根の角張りと硬さが取れてつるんと
した柔和な表情が現れる。丸みを帯び、白さと透明感がいっそう増したこの段階でのだいこんは、
本当に美しくて捨てがたい・・そう思いつつも、薄めの昆布出汁に移し替えてもう一度煮ること
15分。
ちょっと大きめ深めのお皿に出来たてのだいこんをひとつふたつのっけて、丁寧にお汁をはる。
別鍋で作った肉味噌をのっけて出来上がり。
湯気の出ているだいこんを、お皿ごと目の前に持ってきてお箸を挿してみる。
お箸が、何の抵抗もなくだいこんにスーっと吸い込まれていく。
肉味噌を配分しながらハフハフ言って食べる冬のふろふき大根。
幸せの象徴。
幸せはまだ続く。
大根を食べたあとに、多めに張ったお出汁を肉味噌スープとしていただくのが私流。
お行儀悪いけど、これがまたおいしいんだな。
寒さも押し寄せる師走の一日、ふろふき大根食べたあと、しばらく空の器を手に持って、
幸せの余韻に浸っていた。
ふろふきだいこんの余韻は、ひとつは温かさで、その温かさが徐々に体の内側から外側へと
広がって行くのを感じていたら、冷たかった手足の指までほかほかしていた。
そうだ思い出した。大根のことを書こうと思っていたわけじゃないんだ。
ちょうど先週の今日観た映画「6才のボクが、大人になるまで」のことを書こうと思って
いたんだ。
一週間経つと、細かいことは忘れてしまっているけれど、今でももう一回観たい。と
思わせてくれる映画です。
とりわけ、フィクションでありながら、物語の中での12年間と、現実世界で経過した12年
の年月がシンクロしていることで(一年に一回同じキャストで12年間にわたって撮られた映画
なので)私はメイソン一家をより身近に感じることができたのだと思う。
それはまるで、自分の子供たちの幼少時代から成人するまでのビデオを続けて観ているような
感覚だ。
小学生になりたての子供達と大人になった彼等に共通点を見つけるのは難しい。
無理して見れば、小さい頃の面影はなくもない。でもやっぱり断然違う。
母親の私は、あの小さな彼らが、いつどこで今の彼らとすり替わって、こんなに大きい大人
になってしまったのかわからなくて、途方にくれているところがある。
6才のメイソンと18才のメイソンもまるで別人のようだ。
でも途中の一年ごとの成長のつなぎ目はとても穏やかで、途切れることのない時間が流れている
ように見えるから不思議だ。
それを言ったらおしまいかもしれないが、人生はあっという間に過ぎ去っていく。
私がこの映画を観て一番痛感したのはそのことだ。10年分も20年分も30年分も、アルバム
やビデオや映画にしたらあっという間だ。
そして人生のそれぞれの局面で、その時の中で一番必死な自分が もがきながら生きる意味を
見つけようとしてきた。
そういう様々な局面での「もがき」の集大成が人生のようにも思える。
そうだとしたら、今もなお もがき苦闘する自分にも少しは優しくなれそうだ。
でもね、もう私は 何かの意味 なんてあんまり考えなくなっちゃたけどね。
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