日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
年が明けてから、一応新年会という前提で、高校時代や中学時代の友達との「女子会」を
楽しんでいる。土曜日には、生まれた時から自由が丘に住んでいる「おっこ先生」おすすめの
「杜若/かきつばた」に、高校時代の友達6人が集まった。
お料理も美味しかったけれど、チリ産のワインがこれまた美味しくて、「美味しいワインは料理
も引き立てる」・・という常套句を初めて実体験して、ヨワイ56歳。ここに来て感動するのであ
った。
チリ産のワイン、一本4500円。私がいつも飲んでいるワインの7~8倍。
600円足らずのワインで、私は十分美味しいと思っていたしそんなに高いワインを飲みたい
という欲求すらなかったのだけれど、やっぱりいいものはいいし美味しいものは美味しいのね。
なんというか、深みと渋みが風味の根底にあって、喉を通る時に上品なアロマがふわっと鼻腔
をくすぐる感じ。ワイン教室に通い始めたと言っていたえっちゃんに、少しづつでも知識をわけ
てもらおうかと思ってる。
だからと言って、今の600円のワインを高いものに変えるつもりはないの。
本物のワインと比べると、私が飲んでいたものは結局少しアルコールの入った「ぶどうジュース」
に過ぎなかったわけだけれど、このジュースみたいなワインも嫌いではないの。
たぶんこの世の中には私が食べたことのないような高価な美味しいもの、私が初めて食べたら
あまりに美味しくて死んじゃいそうになるようなものを普通に食べている人たちがたくさん
いるのだと思う。でも不思議とその世界を知りたいとは思わない。なぜだろう。
結局何にしても「こだわり」ということにそんなに重きを置いていないからなのかな。
ランチの後、自由が丘をぶらぶら散歩しながら、「古桑庵」という古民家カフェで静かな
温かい時間を過ごして、じゃ、次は鎌倉ね・・と言って解散した。
2月には中学時代の友達の集まりがある。
弁理士資格試験に見事に合格した、くみちゃんのお祝いも兼ねての集まりだ。
くみちゃんの話を聞いてから単純な私はとても影響を受けて、私も今、英語を勉強し直している。
勉強嫌いの私が今勉強が楽しいと思っている。
大人になってからの勉強は、単なる詰め込みではなく、実践を意識し、多面的に物事を見るので、
ひとつのことを勉強していても分野がどんどん広がっていくので楽しいのだと思う。
最近自分に必要なものが、向こうから近づいてきてくれるのを感じる時がある。
例えば真面目に生きていて何がいいのか・・と思ったときに、そういうものが自然と近づいて
来てくれるのではないか、と思うのだ。
直感とか流れに任せて何かを始めたりする。
こんな感じで生きていこうかな、なんて最近思ってる。
楽しんでいる。土曜日には、生まれた時から自由が丘に住んでいる「おっこ先生」おすすめの
「杜若/かきつばた」に、高校時代の友達6人が集まった。
お料理も美味しかったけれど、チリ産のワインがこれまた美味しくて、「美味しいワインは料理
も引き立てる」・・という常套句を初めて実体験して、ヨワイ56歳。ここに来て感動するのであ
った。
チリ産のワイン、一本4500円。私がいつも飲んでいるワインの7~8倍。
600円足らずのワインで、私は十分美味しいと思っていたしそんなに高いワインを飲みたい
という欲求すらなかったのだけれど、やっぱりいいものはいいし美味しいものは美味しいのね。
なんというか、深みと渋みが風味の根底にあって、喉を通る時に上品なアロマがふわっと鼻腔
をくすぐる感じ。ワイン教室に通い始めたと言っていたえっちゃんに、少しづつでも知識をわけ
てもらおうかと思ってる。
だからと言って、今の600円のワインを高いものに変えるつもりはないの。
本物のワインと比べると、私が飲んでいたものは結局少しアルコールの入った「ぶどうジュース」
に過ぎなかったわけだけれど、このジュースみたいなワインも嫌いではないの。
たぶんこの世の中には私が食べたことのないような高価な美味しいもの、私が初めて食べたら
あまりに美味しくて死んじゃいそうになるようなものを普通に食べている人たちがたくさん
いるのだと思う。でも不思議とその世界を知りたいとは思わない。なぜだろう。
結局何にしても「こだわり」ということにそんなに重きを置いていないからなのかな。
ランチの後、自由が丘をぶらぶら散歩しながら、「古桑庵」という古民家カフェで静かな
温かい時間を過ごして、じゃ、次は鎌倉ね・・と言って解散した。
2月には中学時代の友達の集まりがある。
弁理士資格試験に見事に合格した、くみちゃんのお祝いも兼ねての集まりだ。
くみちゃんの話を聞いてから単純な私はとても影響を受けて、私も今、英語を勉強し直している。
勉強嫌いの私が今勉強が楽しいと思っている。
大人になってからの勉強は、単なる詰め込みではなく、実践を意識し、多面的に物事を見るので、
ひとつのことを勉強していても分野がどんどん広がっていくので楽しいのだと思う。
最近自分に必要なものが、向こうから近づいてきてくれるのを感じる時がある。
例えば真面目に生きていて何がいいのか・・と思ったときに、そういうものが自然と近づいて
来てくれるのではないか、と思うのだ。
直感とか流れに任せて何かを始めたりする。
こんな感じで生きていこうかな、なんて最近思ってる。
「たぶん本当は何も考えてないんだと思う。」と前回犬について言ったのは、私の中の極度な
犬びいきを一般的な感覚で中和させようとしたからで、個人的に私は、犬を擬人化してしまい
がちな愚かなタイプです。
例えば、自分が精神的に辛い時にハルに見つめられると、ハルの目が「大丈夫、大丈夫。僕が
ついているじゃないか。」と言っているように思い込み、「ハルありがとう・・ママ頑張るよ」
なんて、愚かな一方通行の会話をしているのが常なのです。
でも最近思うのね。ハルは本当はまったく何もわかっていないかもしれないけれど、そのわかっ
てないのは、人間の方法での不理解であって、なんか別の感覚、それこそ人間には聞こえない
犬笛の音とか微かな匂いを察知する感覚で、人間の感情や表情を察知しているのではないかとね。
ハルはりんごが好き。
でも不思議なことに、りんごはダンナと私が揃っている時に食べるものだと思っているらしい。
いつの頃からか、ダンナの帰宅後に日本茶とりんごを用意することが習慣化していた。
ハルは二人からりんごのかけらをもらってシャキシャキ食べるのがとても楽しいようで、私が
キッチンでりんごをむいている時から、キラキラした表情でお座りしてそのときを待っている。
ある日、そんなにりんごが好きならば・・と昼間にりんごをむいてあげたことがあった。
驚いたことに、ハルは差し出されたりんごのかけらから顔を背けて食べようとしない。
「どうしたの?りんご、好きでしょ?」というと、玄関の方にくるりと顔を向けて、ダンナが
いないことを確認しているようにみえた。
そうか・・よくはわからないけれど、ハルはりんごの味が好きなだけじゃなくて、家族が揃う
ということが嬉しいに違いない。その捉え方も、私たち人間の複雑な情緒とは違ったところで、
もっと本能的な感覚で感じているのだろう。
みんなが揃う・・という意味では、巣立った子供たちが戻ってくると、それはそれは興奮して
ハルはずっとハイになってしまう。娘や息子が帰った後、ハルは幾分ぐったりしている。
ハルにとっても、この二人と一匹の生活が、日常になってしまっているようだ。
犬びいきを一般的な感覚で中和させようとしたからで、個人的に私は、犬を擬人化してしまい
がちな愚かなタイプです。
例えば、自分が精神的に辛い時にハルに見つめられると、ハルの目が「大丈夫、大丈夫。僕が
ついているじゃないか。」と言っているように思い込み、「ハルありがとう・・ママ頑張るよ」
なんて、愚かな一方通行の会話をしているのが常なのです。
でも最近思うのね。ハルは本当はまったく何もわかっていないかもしれないけれど、そのわかっ
てないのは、人間の方法での不理解であって、なんか別の感覚、それこそ人間には聞こえない
犬笛の音とか微かな匂いを察知する感覚で、人間の感情や表情を察知しているのではないかとね。
ハルはりんごが好き。
でも不思議なことに、りんごはダンナと私が揃っている時に食べるものだと思っているらしい。
いつの頃からか、ダンナの帰宅後に日本茶とりんごを用意することが習慣化していた。
ハルは二人からりんごのかけらをもらってシャキシャキ食べるのがとても楽しいようで、私が
キッチンでりんごをむいている時から、キラキラした表情でお座りしてそのときを待っている。
ある日、そんなにりんごが好きならば・・と昼間にりんごをむいてあげたことがあった。
驚いたことに、ハルは差し出されたりんごのかけらから顔を背けて食べようとしない。
「どうしたの?りんご、好きでしょ?」というと、玄関の方にくるりと顔を向けて、ダンナが
いないことを確認しているようにみえた。
そうか・・よくはわからないけれど、ハルはりんごの味が好きなだけじゃなくて、家族が揃う
ということが嬉しいに違いない。その捉え方も、私たち人間の複雑な情緒とは違ったところで、
もっと本能的な感覚で感じているのだろう。
みんなが揃う・・という意味では、巣立った子供たちが戻ってくると、それはそれは興奮して
ハルはずっとハイになってしまう。娘や息子が帰った後、ハルは幾分ぐったりしている。
ハルにとっても、この二人と一匹の生活が、日常になってしまっているようだ。
去年ひいた風邪が抜けないまま年を越え、今だに咳と鼻水にまみれた生活をしている。
年末の大掃除も、体から反射的に出てきてしまうコンコン、ズビズビ・・という雑音でリズムを
取りながら何とか終わらせた。その後、年越しそばを食べる時も、お正月の用意をする時も、
おめでとう!と新年のお祝いをする時も、初詣に行った時も、家族4人と一匹で河津温泉に旅行に行っている間も、このコンコン、ズビズビはしつこく続き、そして今に至っている。
ふとした拍子に他愛もない風邪をひく。運動してて筋肉を痛める。
そんな場合、これまでほとんど気にせずほったらかしておけたのに、そのしつこさゆえに日に日に
意識をそっちに持って行かれてしまう。その治りの悪さ遅さによって、確実に年をとっている自分
の身体というものを、きっちり自覚させられる。
そんなこんなで、アンチエイジングが声高に叫ばれている世の中で、私はひとり、年を取っていく
自分の身体とひっそり対峙して、そのことを大方素直に受け入れていた。
この素直さは、私があんまり身体が丈夫でないということに起因しているのだと思う。
そうでなきゃ、今だ戦闘態勢を崩していなんじゃないかと思う。
美魔女目指していたかも・・。冗談だけど。
子供達が独立してから早4年。
彼らが家に戻ってくると、部屋が狭い。車が窮屈。
昔は彼らがそこにいることが私にとっての日常であったのに、今では年に数回の非日常。
3、4日一緒に過ごした後、バラけて日常へと帰って行く彼らの後ろ姿に、いつもの自分の
生活に戻っていける安堵感があるのが読み取れる。私にしても、いつもの「2人と一匹」に
なって実のところホッとしているのである。さみしさは不思議とまったくない。
言ってみれば、こんだけさみしくないことが逆にさみしいと思うくらいだ。
かつて、時間と空間と感情と体温を、つまり日々の経験を私たちと大きく共有していた彼等は、
今や完全に私たち親から独立し、親子という事実以外は共有するものが少なくなっている。
そしてそれをお互い当たり前だと納得している。
完全なる親離れ子離れの完成形を、実にめでたい・・と思いながら、おめでたいことにつきも
のの、不思議な悲しみ・・みたいなものを私は感じているのか。
年末に風邪で寝込んだ時にHULUで見つけて観まくった「深夜食堂」1.2シーズンの、新たな
3シーズン全エピソードを、Utubeで見つけて全て見た。これで今度公開される映画以外は全て
観たことになる。
「深夜食堂」ばかり観てないで何か映画でも観ようか?と、撮りためてあったハードディスクから、「さよならクロ」を選んで観始めた。
クロという犬のお話。そして さよなら と付く時点でいつもなら避けて通るのに、なぜかこれを選んで観始めたのだ。
オープニングで、監督のクレジットを見てびっくりした。「深夜食堂」を何本も撮っている
松岡錠司監督だったからだ。ひとつの傾向を呼んじゃう時は自然と呼んじゃうのね、きっと。
これがとてもいい映画だった。
あの淡々と描かれる「深夜食堂」の静かな流れが「クロ」にも流れていた。
動物に演技は土台無理な話で、動物ものの映画に不自然さはつきもの・・と諦めていたのに、
まったく不自然さを感じなかった。
大きな傷と罪の意識を心に負った人達が、明るい方向へ一歩踏み出すのに必要な時間の経過
が、それはそれは繊細に描かれていた。
ひとりひとりの人たちの クロ への思いが痛いほど感じられた。
クロはそこに居て生き抜いた。ただそこに居て真っ直ぐな視線を周りの人間に送っていた。
犬は犬の形をしてそこに居る。眠ったり食べたりしっぽを振ったり。そして時々何もかも
わかっているような目でこちらを見つめる。実は何も分かっていないんだと思う。
言葉もしゃべらない小さな動物が、ただそこにいてくれることで、どれだけ周りにいる人間の
感情を豊かにしてくれるのか見当もつかない。どれだけ助けられているのかも。
犬の大好きなあなた様。是非「さよならクロ」を観てみてくださいな。
年末の大掃除も、体から反射的に出てきてしまうコンコン、ズビズビ・・という雑音でリズムを
取りながら何とか終わらせた。その後、年越しそばを食べる時も、お正月の用意をする時も、
おめでとう!と新年のお祝いをする時も、初詣に行った時も、家族4人と一匹で河津温泉に旅行に行っている間も、このコンコン、ズビズビはしつこく続き、そして今に至っている。
ふとした拍子に他愛もない風邪をひく。運動してて筋肉を痛める。
そんな場合、これまでほとんど気にせずほったらかしておけたのに、そのしつこさゆえに日に日に
意識をそっちに持って行かれてしまう。その治りの悪さ遅さによって、確実に年をとっている自分
の身体というものを、きっちり自覚させられる。
そんなこんなで、アンチエイジングが声高に叫ばれている世の中で、私はひとり、年を取っていく
自分の身体とひっそり対峙して、そのことを大方素直に受け入れていた。
この素直さは、私があんまり身体が丈夫でないということに起因しているのだと思う。
そうでなきゃ、今だ戦闘態勢を崩していなんじゃないかと思う。
美魔女目指していたかも・・。冗談だけど。
子供達が独立してから早4年。
彼らが家に戻ってくると、部屋が狭い。車が窮屈。
昔は彼らがそこにいることが私にとっての日常であったのに、今では年に数回の非日常。
3、4日一緒に過ごした後、バラけて日常へと帰って行く彼らの後ろ姿に、いつもの自分の
生活に戻っていける安堵感があるのが読み取れる。私にしても、いつもの「2人と一匹」に
なって実のところホッとしているのである。さみしさは不思議とまったくない。
言ってみれば、こんだけさみしくないことが逆にさみしいと思うくらいだ。
かつて、時間と空間と感情と体温を、つまり日々の経験を私たちと大きく共有していた彼等は、
今や完全に私たち親から独立し、親子という事実以外は共有するものが少なくなっている。
そしてそれをお互い当たり前だと納得している。
完全なる親離れ子離れの完成形を、実にめでたい・・と思いながら、おめでたいことにつきも
のの、不思議な悲しみ・・みたいなものを私は感じているのか。
年末に風邪で寝込んだ時にHULUで見つけて観まくった「深夜食堂」1.2シーズンの、新たな
3シーズン全エピソードを、Utubeで見つけて全て見た。これで今度公開される映画以外は全て
観たことになる。
「深夜食堂」ばかり観てないで何か映画でも観ようか?と、撮りためてあったハードディスクから、「さよならクロ」を選んで観始めた。
クロという犬のお話。そして さよなら と付く時点でいつもなら避けて通るのに、なぜかこれを選んで観始めたのだ。
オープニングで、監督のクレジットを見てびっくりした。「深夜食堂」を何本も撮っている
松岡錠司監督だったからだ。ひとつの傾向を呼んじゃう時は自然と呼んじゃうのね、きっと。
これがとてもいい映画だった。
あの淡々と描かれる「深夜食堂」の静かな流れが「クロ」にも流れていた。
動物に演技は土台無理な話で、動物ものの映画に不自然さはつきもの・・と諦めていたのに、
まったく不自然さを感じなかった。
大きな傷と罪の意識を心に負った人達が、明るい方向へ一歩踏み出すのに必要な時間の経過
が、それはそれは繊細に描かれていた。
ひとりひとりの人たちの クロ への思いが痛いほど感じられた。
クロはそこに居て生き抜いた。ただそこに居て真っ直ぐな視線を周りの人間に送っていた。
犬は犬の形をしてそこに居る。眠ったり食べたりしっぽを振ったり。そして時々何もかも
わかっているような目でこちらを見つめる。実は何も分かっていないんだと思う。
言葉もしゃべらない小さな動物が、ただそこにいてくれることで、どれだけ周りにいる人間の
感情を豊かにしてくれるのか見当もつかない。どれだけ助けられているのかも。
犬の大好きなあなた様。是非「さよならクロ」を観てみてくださいな。
鼻の下がごわごわしてまるでゴムのようだ。
咳をするのも大概疲れるが、ひっきりなしに鼻をかむのは、エネルギー消費甚だしい。
ゴミ箱には半端ないティッシュの山ができ、やがて、ちょっと赤みを帯びた鈍感そうな
鼻の下ができあがる。でも実際はヒリヒリと痛いんだ。
市販の薬でごまかしていたけれど、夜中の咳き込みも止まないし、これ以上「鼻の下」に大きな
顔されては困るので、昨日お医者さんに行って来た。
普通の町医者で、2時間待つとは初めての経験で、風邪やインフルエンザの季節の真っ只中に
自分がいることに、うなづき納得する。
やっと買い物に行ける状態になったので、いちごと生クリームを2パック買ってきて、クリスマス
ケーキを作った。中はチョコスポンジでいちごのスライスと生クリームを2段挟んで作り上げた。
最近またパンを焼いたりケーキを作ったりするのが楽しくて、先々週も友達のお宅にお呼ばれ
したとき、チョコレートケーキを作ってワンホール持っていった。
昔からやっていたことが、いざという時に役立ったりすると、自信のない弱い今の自分に、
そんなに卑下しなくてもいいんじゃないのかな?と、言ってあげられるような気持ちになる。
なぜだか最近よく感じていることは、いいこと 悪いこと、幸 不幸は、偽装してやってくる
・・ということで。
とても単純な例で言うと、うちのダンナの会社は駅から急ぎ足で25分位歩かなければならない。
本人も嫌がっていたし私も気の毒だなと思っていた。でも長い目で見て毎日往復50分歩いて
いることで、病気にならなくて済んでいるのかもしれない。その一方娘は、会社から充てがわ
れた車でとても便利な生活をしている。最初はなんて運のいいこと、と喜んでいたが、最近の
娘を見ると、運動不足で体重が増加気味であることがわかる。
このことに関連して、私の好きな英語表現がある。
「A Blessing in Disguise」・・disguise というのは変装・偽装という意味で、全体的には、
「姿を変えた祝福・・不幸に見えて実はありがたいもの。」という意味。
つまり、表面に見えてくるものは、表面にしか過ぎず、深く掘り起こしていけば、全く別の面
が現れることが大いにあるということだ。それがわかるのには、時間の経過を必要とする場合も
あると思う。
目に見えるものだけに惑わされずに、心に余計な波風立てず 生きていきたいものだ。
咳をするのも大概疲れるが、ひっきりなしに鼻をかむのは、エネルギー消費甚だしい。
ゴミ箱には半端ないティッシュの山ができ、やがて、ちょっと赤みを帯びた鈍感そうな
鼻の下ができあがる。でも実際はヒリヒリと痛いんだ。
市販の薬でごまかしていたけれど、夜中の咳き込みも止まないし、これ以上「鼻の下」に大きな
顔されては困るので、昨日お医者さんに行って来た。
普通の町医者で、2時間待つとは初めての経験で、風邪やインフルエンザの季節の真っ只中に
自分がいることに、うなづき納得する。
やっと買い物に行ける状態になったので、いちごと生クリームを2パック買ってきて、クリスマス
ケーキを作った。中はチョコスポンジでいちごのスライスと生クリームを2段挟んで作り上げた。
最近またパンを焼いたりケーキを作ったりするのが楽しくて、先々週も友達のお宅にお呼ばれ
したとき、チョコレートケーキを作ってワンホール持っていった。
昔からやっていたことが、いざという時に役立ったりすると、自信のない弱い今の自分に、
そんなに卑下しなくてもいいんじゃないのかな?と、言ってあげられるような気持ちになる。
なぜだか最近よく感じていることは、いいこと 悪いこと、幸 不幸は、偽装してやってくる
・・ということで。
とても単純な例で言うと、うちのダンナの会社は駅から急ぎ足で25分位歩かなければならない。
本人も嫌がっていたし私も気の毒だなと思っていた。でも長い目で見て毎日往復50分歩いて
いることで、病気にならなくて済んでいるのかもしれない。その一方娘は、会社から充てがわ
れた車でとても便利な生活をしている。最初はなんて運のいいこと、と喜んでいたが、最近の
娘を見ると、運動不足で体重が増加気味であることがわかる。
このことに関連して、私の好きな英語表現がある。
「A Blessing in Disguise」・・disguise というのは変装・偽装という意味で、全体的には、
「姿を変えた祝福・・不幸に見えて実はありがたいもの。」という意味。
つまり、表面に見えてくるものは、表面にしか過ぎず、深く掘り起こしていけば、全く別の面
が現れることが大いにあるということだ。それがわかるのには、時間の経過を必要とする場合も
あると思う。
目に見えるものだけに惑わされずに、心に余計な波風立てず 生きていきたいものだ。
ブログ更新をサボっているうちに寒さが一段と増して、自分の吐く息が白くなっていた。
ここまで寒くなると、朝の散歩に手袋 ニット帽は必需品。それに加えて、ダウンを着たり分厚いコートを着たら最後、過剰包装もいいとこで、一回り大きなあんこ入りの私がノシノシと歩みを
進めることになる。
その歩みも、例えば春先ののんびりしたものとはすっかり違っていて、つまり、体を寒さから守れ!! という本能の指令に従い、どんどん早足になっていくようなのだ。
一目散に散歩を終えようと思っていたはずなのに、足元の霜柱がきらめき出して、私を誘惑するとはおかしな偶然だ。霜柱を見つけると踏まずにはいられない私の性癖。他の大人の方々は、素通りできるものなのだろうか。
黄色いカバー付きのランドセルを背負った登校時の一年ぽっくり達が、私と同じように楽しげに
霜柱を踏んでいるのを遠目で見ながら、もしかしたら私は、発達途中で大人になるための必要な
ネジを一本どこかに落としてしまったのではないか・・と思った。
老人施設の屋外で飼われている亀たちが、水につかったまま凍っていた。
氷の表面のあちこちに、まあるい甲羅の一部分が張り出して、小さな岩のように見える。
この場所にも黄色いカバー付きの小学生3人が寄り道していた。
「亀、大丈夫?」と彼らの頭上から私が聞くと、「僕らが今氷を取ってあげてるから大丈夫だよ。」と、ゆるぎない眼差しで答えてくれた。
実際、私の中ではもうすでにカウントダウンが始まっている。
新年まですでに2週間を切っているのだから。
早い とか うそっ~ とか言ってる暇はない。
バレエの踊りおさめも今日だった。
いつもじゃない時間がすでにスタートを切っている。
そうだとしても、いつものように過ごそうかと思う。
いつもよりお掃除を少し頑張るくらいで。
「冬眠」て、私の中で憧れているベスト3のひとつなんだ。
動かない亀の甲羅を見ても、羨ましさを感じる私。
生来の怠け者なんだと思う。間違いない。
ここまで寒くなると、朝の散歩に手袋 ニット帽は必需品。それに加えて、ダウンを着たり分厚いコートを着たら最後、過剰包装もいいとこで、一回り大きなあんこ入りの私がノシノシと歩みを
進めることになる。
その歩みも、例えば春先ののんびりしたものとはすっかり違っていて、つまり、体を寒さから守れ!! という本能の指令に従い、どんどん早足になっていくようなのだ。
一目散に散歩を終えようと思っていたはずなのに、足元の霜柱がきらめき出して、私を誘惑するとはおかしな偶然だ。霜柱を見つけると踏まずにはいられない私の性癖。他の大人の方々は、素通りできるものなのだろうか。
黄色いカバー付きのランドセルを背負った登校時の一年ぽっくり達が、私と同じように楽しげに
霜柱を踏んでいるのを遠目で見ながら、もしかしたら私は、発達途中で大人になるための必要な
ネジを一本どこかに落としてしまったのではないか・・と思った。
老人施設の屋外で飼われている亀たちが、水につかったまま凍っていた。
氷の表面のあちこちに、まあるい甲羅の一部分が張り出して、小さな岩のように見える。
この場所にも黄色いカバー付きの小学生3人が寄り道していた。
「亀、大丈夫?」と彼らの頭上から私が聞くと、「僕らが今氷を取ってあげてるから大丈夫だよ。」と、ゆるぎない眼差しで答えてくれた。
実際、私の中ではもうすでにカウントダウンが始まっている。
新年まですでに2週間を切っているのだから。
早い とか うそっ~ とか言ってる暇はない。
バレエの踊りおさめも今日だった。
いつもじゃない時間がすでにスタートを切っている。
そうだとしても、いつものように過ごそうかと思う。
いつもよりお掃除を少し頑張るくらいで。
「冬眠」て、私の中で憧れているベスト3のひとつなんだ。
動かない亀の甲羅を見ても、羨ましさを感じる私。
生来の怠け者なんだと思う。間違いない。
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