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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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我が家の新しいインターホンは、訪問者の姿を映してくれる。
マンションの理事会で全とっかえが決まり、全室最新のものに差し替えられたのが数ヶ月前。
私は、まだ十分機能していた古いタイプにまったく問題を感じていなかったが、訪ねてきた人を
画面で即座に確認できるというのは、なかなか安心感があるものだ。

日曜日の午前中、そのインターホンが鳴り、スクリーンに駆け寄ると、大きな荷物を乗っけた荷台
の横に、お馴染みの制服を着た配送業者の男性が立っていた。

エントランスホールから6階まで移動してもらっている間に、今時分届きそうな物を思い出そうと
してみたが、その箱の大きさを鑑みると何も思い当たらない。

玄関先まで届いた箱の宛名書きラベルを見てやっと合点がいった。先日のライブの主催者が、
ちょっと送りたい物があるので・・と数日前にメールをくれていたのだ。

ワクワクしながら箱を開けると中からまばゆいまでに美しいシクラメンが現れた。
娘と私で一生懸命撮ったライブ写真のご褒美として送ってくれたようなのだ。

「ブルーシクラメン」・・新聞の片隅に以前紹介されていた新種のシクラメン。
どんな色だろう?と憧れていた。
本物を目にしてみると、ブルーというよりはバイオレットブルー。とても深い色。
クリスマスツリーの横で、この12月という季節をエレガントに演出してくれています。
ありがとう(__)!!

日曜は、数ヶ月前に注文していたお鍋も届いた。
「バーミキュラ」というお鍋は、納期が注文から2ヶ月後と少し間があったため、忙しさに紛れてすっかり忘れてしまっていた。忘れた頃に届く、というのもなかなか嬉しいものだ。
「2ヶ月前の自分から今の自分へのクリスマスプレゼント」という感覚でお鍋を受け取っていた。

物を整理してスッキリと・・言いながら、いまだに物に癒されている自分がいる。
「スッキリ」はあくまでも理想、現実はごちゃごちゃと生きていくんだろうな。

















ふるさと村で、青々とした葉っぱ付きの、抜きたて泥つき大根を手に入れた。
さてどう料理しようかと考えるふりをしてはみるが、実は最初から「ふろふき大根」に決まって
いたようなものだ。

サクサクと包丁を入れて6~7センチの輪切りにし、皮をむいたら片面に十字をいれる。
ひたひたのコメのとぎ汁で20~30分程茹でると、生の大根の角張りと硬さが取れてつるんと
した柔和な表情が現れる。丸みを帯び、白さと透明感がいっそう増したこの段階でのだいこんは、
本当に美しくて捨てがたい・・そう思いつつも、薄めの昆布出汁に移し替えてもう一度煮ること
15分。

ちょっと大きめ深めのお皿に出来たてのだいこんをひとつふたつのっけて、丁寧にお汁をはる。
別鍋で作った肉味噌をのっけて出来上がり。

湯気の出ているだいこんを、お皿ごと目の前に持ってきてお箸を挿してみる。
お箸が、何の抵抗もなくだいこんにスーっと吸い込まれていく。
肉味噌を配分しながらハフハフ言って食べる冬のふろふき大根。
幸せの象徴。

幸せはまだ続く。
大根を食べたあとに、多めに張ったお出汁を肉味噌スープとしていただくのが私流。
お行儀悪いけど、これがまたおいしいんだな。

寒さも押し寄せる師走の一日、ふろふき大根食べたあと、しばらく空の器を手に持って、
幸せの余韻に浸っていた。
ふろふきだいこんの余韻は、ひとつは温かさで、その温かさが徐々に体の内側から外側へと
広がって行くのを感じていたら、冷たかった手足の指までほかほかしていた。

そうだ思い出した。大根のことを書こうと思っていたわけじゃないんだ。
ちょうど先週の今日観た映画「6才のボクが、大人になるまで」のことを書こうと思って
いたんだ。

一週間経つと、細かいことは忘れてしまっているけれど、今でももう一回観たい。と
思わせてくれる映画です。

とりわけ、フィクションでありながら、物語の中での12年間と、現実世界で経過した12年
の年月がシンクロしていることで(一年に一回同じキャストで12年間にわたって撮られた映画
なので)私はメイソン一家をより身近に感じることができたのだと思う。

それはまるで、自分の子供たちの幼少時代から成人するまでのビデオを続けて観ているような
感覚だ。

小学生になりたての子供達と大人になった彼等に共通点を見つけるのは難しい。
無理して見れば、小さい頃の面影はなくもない。でもやっぱり断然違う。
母親の私は、あの小さな彼らが、いつどこで今の彼らとすり替わって、こんなに大きい大人
になってしまったのかわからなくて、途方にくれているところがある。

6才のメイソンと18才のメイソンもまるで別人のようだ。
でも途中の一年ごとの成長のつなぎ目はとても穏やかで、途切れることのない時間が流れている
ように見えるから不思議だ。

それを言ったらおしまいかもしれないが、人生はあっという間に過ぎ去っていく。
私がこの映画を観て一番痛感したのはそのことだ。10年分も20年分も30年分も、アルバム
やビデオや映画にしたらあっという間だ。
そして人生のそれぞれの局面で、その時の中で一番必死な自分が もがきながら生きる意味を
見つけようとしてきた。

そういう様々な局面での「もがき」の集大成が人生のようにも思える。
そうだとしたら、今もなお もがき苦闘する自分にも少しは優しくなれそうだ。

でもね、もう私は 何かの意味 なんてあんまり考えなくなっちゃたけどね。













子供の頃からスクリーンや画面でずっと見てきた高倉健さんが亡くなられた。

昭和の大スターをひとり、またひとりと失って行くのは、見慣れていた風景がその都度大きく
削り取られて、でもその欠落部分を新たな息吹で再び埋めることはかなわず、しょうがないから
その不完全な風景をそのまんまいびつな形で受け入れているようなものだ。

純粋な昭和っ子の私は、年々進む、その欠け落ち抜けていく風景に、どこかすがっているところ
があって、背後から迫り来る新しい風にはあまり馴染めないでいる。

健さんが演じる、「人生に不器用な男の人」が好きだった。
たぶん 器用な人が不器用さを演じるのは無理があると思うので、健さん自身も不器用な人だった
のではないかと私は勝手に思っている。

「もっと健さんの映画を観たかったのに・・。」と、昨日家に遊びに来てくれたママ友二人も
健さんの死を心から悼んでいた。我々主婦の、ささやかなランチの話題にも登場する健さんだも
の、ビッグスターであると同時に、大衆に寄り添った俳優さんだったに違いない。

健さんの訃報をきっかけに、昭和にグ~ンと回帰したわけではないけれど、お昼ご飯にミート
ソーススパゲッティーを作ったら、友達がとても喜んでくれた。

手前味噌で申し訳ないが、このミートソース、本当に美味しく出来上がって、友達二人も
「今まで食べた中で一番おいしい!」と絶賛してくれた。

これが残念ながらレシピがないのよね~。でも入れたものは覚えている。

合いびき肉・玉ねぎ・にんにく・トマトホール缶・赤ワイン・テンメンジャン(中華の甘味噌)
クレージイソルト・ドライオレガノ・ドライバジル・ベイリーフ・ウスターソース・醤油・
ケチャップ・塩コショウ・コンソメ・・こんな感じかな。あ、少し小麦粉も使ったはず。
最後に粉チーズも忘れずに。

丁寧に作ってみると、ミートソースは、子供っぽくないちゃんとしたご馳走になることも初めて知った。それにミートソーススパゲッティー、嫌いな人いないよね。

ミートソーススパゲッティーを食べながら、時々振り返っては、友達がお土産に持ってきて
くれた「大人のクリスマスブーツ」を見て私はワクワクしていた。
この意外なお土産を手渡されたとき、私は「ありがとう~!!!」と言って、頬をピンクに
染めて喜んでしまった。
クリスマスブーツなんて、何十年ぶりだろう?
「大人の~」とことわるだけあって、シックな色のブーツの中に、ちょっと洒落たお菓子が
詰まっているのだ。

子供が喜ぶものって、ちょっとアレンジすれば結局大人も喜べるのよね。
いくら普段隠してたって、自分の中に「子供っぽさ」は着実に存在するのだもの。
ま、一応大人になった私たちは、子供の時に馴染んでいたものを大人仕様にアレンジして
もらうことで、安心して楽しめるってことなのかな。

セピア色の景色にしっくりと馴染む、ミートソースもクリスマスブーツもクリスマスツリーも、
また違った形で今の私を十分に楽しませてくれているのだ。







年に一度の音楽ライブに、出演者の家族として参加するようになって3度目の今年。
そのライブが、いつものライブハウス ラパンエアロで先週の土曜日に行われた。

いつもとちょっと違ったのは、「Photographerとして参加よろしく。」というライブ主催者
からの依頼メールに反応し、カメラの準備をいつもよりも念入りに行ったことだ。
仕事で写真を撮りなれている娘も その日は休めると言っていたので、助っ人を頼んだ。

ライブ会場で「暗さ対策」のために、娘とおでこを付き合わせながらカメラをいじっている
うちに、彼女のカメラと私のカメラの精度の違いが明白になってきた。
まずびっくりしたのは、最高感度が倍以上違うことだ。

感度をぎりぎりいっぱいあげて、「おっ、けっこう暗くても焦点合うな・・」と悦にいっている
彼女の隣で、四苦八苦している私がいた。

勉強不足の私が、暗がりの中、やっつけにピシッとした写真を撮れるはずがない。そうその場で
観念した私は、娘に正統派写真を託し、自分は「ちょっとぶれてて面白い写真」という姑息な方向
に走ることにした。

出演者やオーディエンスをなんとか一通り撮り終えると、手持ち無沙汰になった私のレンズは
床を這いずりだし、カクンとのけぞっては天井を写し、またそこからの降り際に、偶然キャッチ
したギタリストの手に張り付いてみたりしていた。

音の振動が踊り続けている小さな空間が、ステージ上にはいっぱいあった。
そんな空間的別世界に半身を滑り込ませつつ、現実世界に残した片耳で、奏でられる音楽
を聴いていた。

シャッターを押し続けるってすごい快感。
あとで見てみて、撮った写真のほとんどがわけのわからない粗悪なものばかりでびっくりした
けれど、不思議な感覚が経験できたことで個人的には楽しかった。

ライブの打ち上げ会場で、タブレットに取り込んだ自分の写真をお披露目して、みんなに
褒められ喜ばれている娘がいた。

私はこの瞬間、ちょっとボケてわけわからなくなった私の隣に、着実に娘が立ってくれている
将来の場面が、ちらりと見えた気がしたのだ。




































先日表参道で、絵画展とランチを一緒に楽しんだ際に、「じゃ、次はウチに遊びにおいで。」と
言ってくれていたえっちゃんの家に昨日遊びに行って来た。

この際だから他にも声をかけてみよう・・とえっちゃんが連絡してくれた5人も加わり、小さな
クラス会のように輪が広がった。

料理上手のえっちゃんが用意してくれた美味しい食事、清潔で趣味のいいくつろぎの空間、
久々の友達の顔、声。それらにちょっとばかりのアルコールが加わり、私はいつしか心底
くつろいでいた。

特に50を超えてから、友人と会うたび感じることがある。
私は彼らひとりひとりをとても誇らしいと思うのだ。

今ある状況は、その人それぞれであるけれども、お互い何かを押し付けることは全く
しない。相手の立場に敬意を払っているからこそ、それは可能なことなのだと思う。

みんなすごく誠実で賢い。様々な経験を通して得た知恵と柔軟さがある。
昔の彼女達も好きだったけれど、今の彼女達はもっと好きだ。

「今の私たちって、力を合わせたら、かなりすごいことできるんじゃない?」と、私が
言うと、みんなニコニコしながら賛同してくれた。

尽きないおしゃべりの輪の中に居ながら、心地よさの理由がもひとつ別にあることに気づ
かされた。みんなのお喋りの量のバランスが絶妙なのだ。
しゃべり続ける人、それをただ聴くだけの人は、私たちの中に誰ひとりとしていなかった。

みんなが喋り、みんなが人の話に真剣に耳を傾けた。
無言のルールでもあるかのように、バトンが均等に回されていった。
みんなのおしゃべりに、ただうなづいているだけの友達がいると、もうひとりの友達が問い
かける。彼女が話始める。そして私たちが聞く。

会話はキャッチボールだという言い古された言葉があるけれど、私たちの間に、幾重にも
重なった美しい放物線が描かれていたのだ。






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