日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
途中20分くらいの昼寝を数回入れながら、一日にやりたかったこと全部
を細切れにやり終え、一日の締めくくりとして今これを書き始めている。
燃費の悪い私の体は、特にこの季節、とても疲れやすい。
その対策として、「疲れたら眠る」というごく単純な方法が、その軟弱な状況を打開してくれ
るかもしれない・・と思いついたのが発端だ。
一日を終えてみて、これ毎日は無理だなと思うけど、週に一回くらい生産量の多い日を過ごす
ことで、限りなくゼロに近かった自信を少しばかり取り戻すことができるかもしれないとも
思うのだ。
最近は女友達とよくおしゃべりをしている。
先週はバレエの友達 ”はとちゃん” と、お稽古場のはす向かいにオープンしたカフェに行って
みた。お稽古が終わったのが1時半位でカフェを出たのが5時半近かったということは、約4時間
そこにいた計算。でもちっともそんなふうに思えなかった。
時間とは本当に不思議なものだ。楽しくて興奮していると流れ方とその量が違う。
まるで、興奮が時間の中の不必要な成分を蒸発させて濃密にし、結果、時間の丈が
その分短くなってしまったかのようだ。
昨日は表参道にいた。
英語のスピーチクラブでご一緒していた方が、彼の友人の個展のお知らせメールを送って
くれたことがきっかけとなった。誰か一緒に・・と思ったときに、高校時代の友達の”えっちゃん”
の顔が浮かんだ。
二人で展覧会鑑賞後、表参道ヒルズでランチをし、再び場所を移してお茶を飲んだ。
11時半に待ち合わせて帰りの電車に乗ったのが5時半くらいだったから、ざっと6時間。
何をそんなにしゃべることがあったのだろうか。
まっすぐな気持ちで喋れて、まっすぐ返ってくる会話は楽しい。
お互いたくさん喋ることでとてもすっきりして爽やかになり、明日からも頑張ろう。という
気持ちになれる。そんな友達がいることがありがたい。
えっちゃんがお茶の後に「北欧の100円均一」のようなお店(FLYING TIGER)が近辺にある
はずだから行ってみたいというので、スマホで調べて行ってみた。
お店いっぱい、いかにも北欧の色・デザインあまたある中から、私は鉛筆二本と消しゴム、
計200円のお買い物をして、じゃあまたね。と言ってえっちやんと別れた。
来月はえっちゃん家に遊びに行く約束をしたので、「またね。」というのはただの挨拶では
なく、本当の、嬉しい「またね。」となった。

を細切れにやり終え、一日の締めくくりとして今これを書き始めている。
燃費の悪い私の体は、特にこの季節、とても疲れやすい。
その対策として、「疲れたら眠る」というごく単純な方法が、その軟弱な状況を打開してくれ
るかもしれない・・と思いついたのが発端だ。
一日を終えてみて、これ毎日は無理だなと思うけど、週に一回くらい生産量の多い日を過ごす
ことで、限りなくゼロに近かった自信を少しばかり取り戻すことができるかもしれないとも
思うのだ。
最近は女友達とよくおしゃべりをしている。
先週はバレエの友達 ”はとちゃん” と、お稽古場のはす向かいにオープンしたカフェに行って
みた。お稽古が終わったのが1時半位でカフェを出たのが5時半近かったということは、約4時間
そこにいた計算。でもちっともそんなふうに思えなかった。
時間とは本当に不思議なものだ。楽しくて興奮していると流れ方とその量が違う。
まるで、興奮が時間の中の不必要な成分を蒸発させて濃密にし、結果、時間の丈が
その分短くなってしまったかのようだ。
昨日は表参道にいた。
英語のスピーチクラブでご一緒していた方が、彼の友人の個展のお知らせメールを送って
くれたことがきっかけとなった。誰か一緒に・・と思ったときに、高校時代の友達の”えっちゃん”
の顔が浮かんだ。
二人で展覧会鑑賞後、表参道ヒルズでランチをし、再び場所を移してお茶を飲んだ。
11時半に待ち合わせて帰りの電車に乗ったのが5時半くらいだったから、ざっと6時間。
何をそんなにしゃべることがあったのだろうか。
まっすぐな気持ちで喋れて、まっすぐ返ってくる会話は楽しい。
お互いたくさん喋ることでとてもすっきりして爽やかになり、明日からも頑張ろう。という
気持ちになれる。そんな友達がいることがありがたい。
えっちゃんがお茶の後に「北欧の100円均一」のようなお店(FLYING TIGER)が近辺にある
はずだから行ってみたいというので、スマホで調べて行ってみた。
お店いっぱい、いかにも北欧の色・デザインあまたある中から、私は鉛筆二本と消しゴム、
計200円のお買い物をして、じゃあまたね。と言ってえっちやんと別れた。
来月はえっちゃん家に遊びに行く約束をしたので、「またね。」というのはただの挨拶では
なく、本当の、嬉しい「またね。」となった。
お茶を淹れるためにヤカンを火にかける。、
シューッシューッ音を立て勢いよく湯気が出てきたら、キッチンミトンか
厚手の布巾を取っ手に巻きつけ、ゆっくりヤカンを傾けてカップを温める。
我が家のニューフェイス、黄色いヤカンの出番は一日に幾度もある。
さて、この上の4行の文章中に我が家の問題が隠されている。
とっても微妙なことなのだけれど、実は結婚生活にはけっこう大きな問題点だ。
私にとって、熱くなったヤカンの取っ手に布をいちいち巻くことは、ひとつも
苦ではなく、お茶を淹れる動作の流れの中で、むしろお気に入りの行為なのだ。
一方、機能と効率を道具に求めたがる我が家のダンナは、取っ手の熱くなる調理道具を
煙たがる傾向にある。
この30年の結婚生活の中で、熱くなった調理器具の取っ手を不本意に触ってしまい、
「あちぃっ!」と叫び、私の愛する道具たちを恨めしそうな目で見ているダンナを何度も
目撃してきた。
いくらキッチンと言えども、すべて私の思い通りにするのも良くないと思い直し、
何か新しいものを買うときは三分の一くらいはダンナの言うとおりにするよう心掛けて
きた。
で、新しいヤカンを買う段になり、私は「三分の一」と「三分の二」のどちらを選ぼうか
悩んだ挙句、今回は「三分の二」を選び、取っ手の熱くなる黄色いヤカンを買ったという
いきさつである。
突然やけどされても困るので、私は堂々と宣言をすることにした。
「今回買ったこのやかんはね、お察しの通り取っ手が熱くなるタイプで、またかあ・・と
思うと思うけど・・私ね、この小さなヤカンでお湯沸かして、取っ手に大好きな柄の布巾を
くるんでお湯を注いでいると、けっこうハッピーだったりするのよ。なので、機嫌よくお茶
を淹れられると思うんで、このヤカンを受け入れてあげてね。」
あれから一ヶ月が経ち、黄色いヤカンは自分の居場所を見つけたようだ。
シューッシューッ音を立て勢いよく湯気が出てきたら、キッチンミトンか
厚手の布巾を取っ手に巻きつけ、ゆっくりヤカンを傾けてカップを温める。
我が家のニューフェイス、黄色いヤカンの出番は一日に幾度もある。
さて、この上の4行の文章中に我が家の問題が隠されている。
とっても微妙なことなのだけれど、実は結婚生活にはけっこう大きな問題点だ。
私にとって、熱くなったヤカンの取っ手に布をいちいち巻くことは、ひとつも
苦ではなく、お茶を淹れる動作の流れの中で、むしろお気に入りの行為なのだ。
一方、機能と効率を道具に求めたがる我が家のダンナは、取っ手の熱くなる調理道具を
煙たがる傾向にある。
この30年の結婚生活の中で、熱くなった調理器具の取っ手を不本意に触ってしまい、
「あちぃっ!」と叫び、私の愛する道具たちを恨めしそうな目で見ているダンナを何度も
目撃してきた。
いくらキッチンと言えども、すべて私の思い通りにするのも良くないと思い直し、
何か新しいものを買うときは三分の一くらいはダンナの言うとおりにするよう心掛けて
きた。
で、新しいヤカンを買う段になり、私は「三分の一」と「三分の二」のどちらを選ぼうか
悩んだ挙句、今回は「三分の二」を選び、取っ手の熱くなる黄色いヤカンを買ったという
いきさつである。
突然やけどされても困るので、私は堂々と宣言をすることにした。
「今回買ったこのやかんはね、お察しの通り取っ手が熱くなるタイプで、またかあ・・と
思うと思うけど・・私ね、この小さなヤカンでお湯沸かして、取っ手に大好きな柄の布巾を
くるんでお湯を注いでいると、けっこうハッピーだったりするのよ。なので、機嫌よくお茶
を淹れられると思うんで、このヤカンを受け入れてあげてね。」
あれから一ヶ月が経ち、黄色いヤカンは自分の居場所を見つけたようだ。
日々の生活に浸かり 淡々と生きていたら、外はすっかり秋めいていた。
部屋着も半袖から長袖になった。アイスコーヒーをほとんど淹れなくなった。
やかんでお湯を沸かして湯気がたってくると、幸せな気持ちになる。
ここのところ、よく人に会っている。
バレエの発表会にお花を持って観に来てくれた友達に、ちょっとしたお返しを
渡したくて自分からひとりひとりに声をかけている。
この「ちょっとしたお返し」を考えるのが楽しい。
自分の中でのキーワードは くつろぎ ゆったり ほっこり しみじみ・・
こんな感じかな。大切な友達ひとりひとりに「ほっ」と力を抜いて日々の疲れから
解放される時間を持ってもらいたいのだ。
この時期だったら香り高いお茶だったり、そのお茶を飲む可愛らしい耐熱グラスも
いいなと思い、ストレーナーと蓋付の、洒落た絵柄のカップにやっとたどり着いたのに、
個数が足りないことがわかって断念。
それならば・・と視点を変えてお風呂グッズコーナーに行ってみる。
そこでパッと私の目を引いたのが、オーガンジーでラッピングされた入浴剤やバスフィズボール
のセット。迷うことなくそこにあったものをごっそりと抱えてカウンターへ。
私のいつものずさんさが、ひとつ多めの購入を促し、昨日自分でフィズボールを楽しんだ。
手の平に白いフィズボールをのっけてそおっとお湯に浸ける。ボールは待ってましたと
ばかりに素早く反応し、パチパチと水泡を弾き出す。
なめらかなシアバターが溶け出しお湯を柔らかくする。ジャスミンの香りの湯気が立ち上り、
呼吸ごとに筋肉が緩んでいく。
水泡の大きさと勢いが尻すぼみになりながらトゲトゲになっていくボールを見つめていた。
まるで珊瑚のかけらのよう。
荼毘に付した愛犬の喉仏が光り輝いていた・・と数日前の新聞の投書に書かれていた。
手のひらで今にも砕けそうな真っ白い小さな塊を見つめながら、その喉仏を思っていた。



部屋着も半袖から長袖になった。アイスコーヒーをほとんど淹れなくなった。
やかんでお湯を沸かして湯気がたってくると、幸せな気持ちになる。
ここのところ、よく人に会っている。
バレエの発表会にお花を持って観に来てくれた友達に、ちょっとしたお返しを
渡したくて自分からひとりひとりに声をかけている。
この「ちょっとしたお返し」を考えるのが楽しい。
自分の中でのキーワードは くつろぎ ゆったり ほっこり しみじみ・・
こんな感じかな。大切な友達ひとりひとりに「ほっ」と力を抜いて日々の疲れから
解放される時間を持ってもらいたいのだ。
この時期だったら香り高いお茶だったり、そのお茶を飲む可愛らしい耐熱グラスも
いいなと思い、ストレーナーと蓋付の、洒落た絵柄のカップにやっとたどり着いたのに、
個数が足りないことがわかって断念。
それならば・・と視点を変えてお風呂グッズコーナーに行ってみる。
そこでパッと私の目を引いたのが、オーガンジーでラッピングされた入浴剤やバスフィズボール
のセット。迷うことなくそこにあったものをごっそりと抱えてカウンターへ。
私のいつものずさんさが、ひとつ多めの購入を促し、昨日自分でフィズボールを楽しんだ。
手の平に白いフィズボールをのっけてそおっとお湯に浸ける。ボールは待ってましたと
ばかりに素早く反応し、パチパチと水泡を弾き出す。
なめらかなシアバターが溶け出しお湯を柔らかくする。ジャスミンの香りの湯気が立ち上り、
呼吸ごとに筋肉が緩んでいく。
水泡の大きさと勢いが尻すぼみになりながらトゲトゲになっていくボールを見つめていた。
まるで珊瑚のかけらのよう。
荼毘に付した愛犬の喉仏が光り輝いていた・・と数日前の新聞の投書に書かれていた。
手のひらで今にも砕けそうな真っ白い小さな塊を見つめながら、その喉仏を思っていた。
大学時代の学食に「スペシャルランチ」というのがあって、主なメニューのうちの一つだったと
おぼろげに覚えている。多分おかずの種類の多さとガッツリ量も食べられるという点で、あまた
あるランチから特化され、輝かしき形容詞『スペシャル』を頭に載っけることになったのだと思う。
その当時、「スペシャルランチ」という字面を見て、どんなに素晴らしいランチなのだろう?と
ワクワクしてしまう学生がいなかった所を見ても、日本で使われる「スペシャル」が、そんなに
重みのある形容詞ではないことがよくわかる。
ちょっと怪しい広告で見る「スペシャルサービス」とか「スペシャルタイム」等々、軽々しく
使われているケースは山ほどある。
その『スペシャル』を、いったん元の英語の『SPECIAL』に戻してみると、突然言葉が輝き出す
から不思議だ。着物では本来の自分をうまく出せなかった人が、身軽な洋服に着替えた途端、
突如本領を発揮しだすように。
" You are special." " A special friend " ・・・ここでの『special』は、日本語に置き換えて
みると、「かけがえのない」「大切な」「無二の」のようなとてもグレードの高い形容詞の
役目をしている。つまり、英語の「special」は、ある意味殺し文句にもなりうるということだ。
人はみんな、誰かにとっての「special」でありたいのだと思う。
自分のことをそう思ってくれる人がいるだけで、生きていけるんじゃないかな。
時々自分が弱くて非力で無能で無力で、生きてる意味ないんじゃないかと思うこともあるけれど、
少なくとも家族にとって、私は「special」な存在に違いない・・と確信できた時、もやのかかっ
ていた目前の道が澄み渡ってくれた。
おぼろげに覚えている。多分おかずの種類の多さとガッツリ量も食べられるという点で、あまた
あるランチから特化され、輝かしき形容詞『スペシャル』を頭に載っけることになったのだと思う。
その当時、「スペシャルランチ」という字面を見て、どんなに素晴らしいランチなのだろう?と
ワクワクしてしまう学生がいなかった所を見ても、日本で使われる「スペシャル」が、そんなに
重みのある形容詞ではないことがよくわかる。
ちょっと怪しい広告で見る「スペシャルサービス」とか「スペシャルタイム」等々、軽々しく
使われているケースは山ほどある。
その『スペシャル』を、いったん元の英語の『SPECIAL』に戻してみると、突然言葉が輝き出す
から不思議だ。着物では本来の自分をうまく出せなかった人が、身軽な洋服に着替えた途端、
突如本領を発揮しだすように。
" You are special." " A special friend " ・・・ここでの『special』は、日本語に置き換えて
みると、「かけがえのない」「大切な」「無二の」のようなとてもグレードの高い形容詞の
役目をしている。つまり、英語の「special」は、ある意味殺し文句にもなりうるということだ。
人はみんな、誰かにとっての「special」でありたいのだと思う。
自分のことをそう思ってくれる人がいるだけで、生きていけるんじゃないかな。
時々自分が弱くて非力で無能で無力で、生きてる意味ないんじゃないかと思うこともあるけれど、
少なくとも家族にとって、私は「special」な存在に違いない・・と確信できた時、もやのかかっ
ていた目前の道が澄み渡ってくれた。
朝食時に、アイスコーヒーではなくてホットコーヒーを淹れる。
ハルとのスキンシップが盛んになり、気づくとハルが膝の上で
のの字を書いて居眠りをしている。
こんな日常のひとこまで、夏ももう終わりに近いことを痛感する。
暑かったりだるかったり痛かったり・・もしたけれど、その合間合間に思い切
って真夏の気候に身を置いてみると、ただ消耗するだけではなくて、逆に太陽
から暑さを乗り切るエネルギーを与えられた気もするのだ。
つまり、私は何だかんだこの夏が楽しかった。
テカテカに黒光りするアイス用のコーヒー豆を、自分好みの粗さに挽いてはドリップ
し,水道水をチョロチョロと流しっぱなしにして冷やす。
水がわりに飲んでいる万能茶もやかんで煮出した後に、茶こしでこして冷やす。
私の夏の毎日は、熱い飲み物を冷やす作業が欠かせなかった。
ある日の新聞に、カンバツ地帯から助けられた少女をお風呂に入れてあげた時のことが
書かれていた。少女はシャワーから出るお湯が排水口に流れるのを、「信じられない」
という形相で「NO! NO!」と叫び、自分の手で排水口を覆ってお湯が流れるのを止めよう
としたそうだ。
あ。と思ったね。
丁寧に暮らしているつもりでも、誰にも迷惑かけていないつもりでも、地球規模で見れば
自分が十分におごっている場合もままあるんだね。
それでも私は熱い飲み物を冷やすことを止めなかったんだ。
時間を短縮して水道量を減らしながら毎日毎日冷やし続けたんだ。
少女が排水口を手で覆っている姿を時々思い出しながら。
マンションの駐車場で、お隣の方がそれはそれは大きな車に買い換えて、区画の縦白線に
乗らんばかりにぎちぎちの余裕のなさで、結果隣に止めてる私たちはドアを開けるのも
一苦労。
さて、最初の一週間くらいは憂鬱になり、でもこんなことで憂鬱になってる自分がバカみた
いじゃないかと考え直して過ごしていたら、お隣の方とお会いした時、「大きな車にして
しまってごめんなさいね。お宅の車寄りに停めないと、運転席側のドアを開けられないもの
ですから。ほんとうにびっちりくっつけてしまって、ごめんなさい。」と謝られてしまった。
私は何て言っていいかちょっと戸惑って、でも「わかりました。」と極力穏やかに言って
その場を去った。
お隣さんは、いくらぎちぎちでも自分の区画に車が納まっている以上、ルールは守って
いると思っているからあんなに大きな車を買ったわけでしょ?
でも周りにしたら、「じゃあみんながその権利を主張して、目いっぱい大きな車を買ってし
まったとしたら、車は停められるけれども駐車場にギッチり入ったっきり誰もドアを開けて
外に出ることが出来なくなってしまうでしょ?」と言いたくもなるわけで。
でも、もちろんそんなことは主張しない。
私はちょっとした小さな損は、積極的にかぶろうと思っているんだ。
だからこれもそのひとつだと思うことですごくスッキリすることができた。
でもここでまた、あ、と思ったのね。
内乱や国と国との戦争だって、いわばこういう小さなところから始まるのだとね。
こちら側が主張する権利は、相手方には不条理の極めつけだったりするのだからね。
そういう最悪の場合でも、人間にだけ言葉や想像力が与えられていることを考えると、
やっぱりちゃんと使わなきゃって思う。
一昨日バレエの発表会が無事終わって、観に来てくださった友達からいただいたお花に
私は囲まれています。幸せです。ありがとう。
ハルとのスキンシップが盛んになり、気づくとハルが膝の上で
のの字を書いて居眠りをしている。
こんな日常のひとこまで、夏ももう終わりに近いことを痛感する。
暑かったりだるかったり痛かったり・・もしたけれど、その合間合間に思い切
って真夏の気候に身を置いてみると、ただ消耗するだけではなくて、逆に太陽
から暑さを乗り切るエネルギーを与えられた気もするのだ。
つまり、私は何だかんだこの夏が楽しかった。
テカテカに黒光りするアイス用のコーヒー豆を、自分好みの粗さに挽いてはドリップ
し,水道水をチョロチョロと流しっぱなしにして冷やす。
水がわりに飲んでいる万能茶もやかんで煮出した後に、茶こしでこして冷やす。
私の夏の毎日は、熱い飲み物を冷やす作業が欠かせなかった。
ある日の新聞に、カンバツ地帯から助けられた少女をお風呂に入れてあげた時のことが
書かれていた。少女はシャワーから出るお湯が排水口に流れるのを、「信じられない」
という形相で「NO! NO!」と叫び、自分の手で排水口を覆ってお湯が流れるのを止めよう
としたそうだ。
あ。と思ったね。
丁寧に暮らしているつもりでも、誰にも迷惑かけていないつもりでも、地球規模で見れば
自分が十分におごっている場合もままあるんだね。
それでも私は熱い飲み物を冷やすことを止めなかったんだ。
時間を短縮して水道量を減らしながら毎日毎日冷やし続けたんだ。
少女が排水口を手で覆っている姿を時々思い出しながら。
マンションの駐車場で、お隣の方がそれはそれは大きな車に買い換えて、区画の縦白線に
乗らんばかりにぎちぎちの余裕のなさで、結果隣に止めてる私たちはドアを開けるのも
一苦労。
さて、最初の一週間くらいは憂鬱になり、でもこんなことで憂鬱になってる自分がバカみた
いじゃないかと考え直して過ごしていたら、お隣の方とお会いした時、「大きな車にして
しまってごめんなさいね。お宅の車寄りに停めないと、運転席側のドアを開けられないもの
ですから。ほんとうにびっちりくっつけてしまって、ごめんなさい。」と謝られてしまった。
私は何て言っていいかちょっと戸惑って、でも「わかりました。」と極力穏やかに言って
その場を去った。
お隣さんは、いくらぎちぎちでも自分の区画に車が納まっている以上、ルールは守って
いると思っているからあんなに大きな車を買ったわけでしょ?
でも周りにしたら、「じゃあみんながその権利を主張して、目いっぱい大きな車を買ってし
まったとしたら、車は停められるけれども駐車場にギッチり入ったっきり誰もドアを開けて
外に出ることが出来なくなってしまうでしょ?」と言いたくもなるわけで。
でも、もちろんそんなことは主張しない。
私はちょっとした小さな損は、積極的にかぶろうと思っているんだ。
だからこれもそのひとつだと思うことですごくスッキリすることができた。
でもここでまた、あ、と思ったのね。
内乱や国と国との戦争だって、いわばこういう小さなところから始まるのだとね。
こちら側が主張する権利は、相手方には不条理の極めつけだったりするのだからね。
そういう最悪の場合でも、人間にだけ言葉や想像力が与えられていることを考えると、
やっぱりちゃんと使わなきゃって思う。
一昨日バレエの発表会が無事終わって、観に来てくださった友達からいただいたお花に
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