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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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ここ一週間くらいの間に別々に会った友達のうち二人が、「人のことはわかっても自分のことは
わからない・・」と偶然同じことを言っていたのが不思議だった。

一昨日会ったデコは、小学校時代の親友で、最近交友が再開できてうれしい限りなのだが、
彼女が私の言ったことに対して、「自分のことは本当にわかんなくて・・」とまず言ったのだ。

彼女は優秀な歯科医で、ご主人と二人で開業し、長年良心的かつ腕のいい歯医者さんとして地元で愛され続けている・・これはもちろん本人が言ったことでは断じてなく、私の知ってる彼女の性格・気質・器用さ・頭の良さに加えて、本人が話してくれたことを総合し、私が確信を持って言っているだけなのであしからず。

ご主人は成人歯科・インプラントを、デコは小児歯科・矯正 と、はっきり分業して治療にあた
っているそうで、たまたま食事をしながら、彼女の専門に話が飛んだ。それは、ワイヤーしか思い
浮かばない矯正に対する私のイメージを、180度ひっくり返す話だった。

「乳歯の段階で、歯と歯の間にすき間がなければ、永久歯になる時に歯並びが乱れるのは必至。
だからその場合、まだ骨格のやわらかい段階に、口蓋に金属のつっかえ棒を挟み込み、そのねじを
少しずつ広げて、口蓋を広くする。つまり歯並びのUの字が、半円に近くなるように形を変え、
大きな永久歯がきれいに収まるようにするのよ。」

私は本当にびっくりしてしまった。そうか、歯並びを矯正するのでなく、口蓋を矯正するのか。
つまり骨格を変えてしまうということだ。

その話の後に、今度は私のやっていることにデコが興味を示し、職業柄避けられない彼女の肩こ
り症状に効く動作のいくつかを私が教えていたら、デコが言ったのだ。

「あとね、私体がすごく固くて特に足の裏側が引きつって前屈がちょっとしかできないのよ・・
ね、どうしたらいいの?」

私は笑いながら言ったのだ。
「デコさあ、子供さんの口蓋を1ミリ1ミリぎりぎりと押しひろげているんでしょ?子供たちは
理想的な骨格を手に入れるために痛さを我慢してるんでしょ? 足の裏側の筋肉だって同じだよ。
1ミリずつ伸ばして行けば10年後には前屈べったりくっついてるはずだよ。それってさ、
あらゆることに応用できることじゃない?」

デコは、小さくアッと言い、はあ~っ、ほんとだ。とため息をつきながら、自分の事ってわから
ないよね・・専門外ってわからないもんだね・・と言ったのだ。

先日、スーパーでSAEさん(仮称)とばったり会ったら、「何かオーラも表情もずいぶん前と変わったね。いや、すごくいい方に変わってる。本当にいい表情してるね・・」と言ってくれた。
彼女は繊細に何かを感じ取る能力を持っている。

その数日後、バレエ仲間のハトちゃんとサトちゃんと私とSAEさんで、ハトちゃん家に集まり、
お昼ご飯を一緒に食べることができた。この4人が集まると話はつきないのだが、中でもSAE
さんの特殊能力に私たちは一目置いていて、彼女の話を興味深くふんふんと聞いてしまうのだ。

もう日も暮れたころ、SAEさんが言ったのだ。
「こと自分の事となると、まったく何も見えなくて。本当に自分のことはわからない。だから
相性の悪い相手を二度も選んでしまったの・・」

そうか、自分の事ってわからないのか。
神様にはすべて見えているのかな?
でも、神様ももしかしたら自分の事だけわからないってこと、あると思わない?
12月の発表会に向けて、私の通っているバレエクラスでのリハーサルが白熱しつつある。
その合間にもヨガは欠かさず行っている。私にとってそれは、体や( 心 )のメンテのためにも
必要だから。

この二つの身体運動、ヨガとバレエは、外見はまったく違うもののように見えるけど、実は
身体の使い方だけににフォーカスすると、両者にはたくさんの共通点がある。

それは、揺るぎない体の軸や、適切な呼吸とリズムの必要性、加えてバランスや柔軟性が
不可欠である点だと言える。でもその中でも私が最近もっとも求めているのは、「つながり」
の感覚である。

床についているつま先から頭のてっぺんまでのつながり、体の中心から広げた腕から指先に
かけてのつながり。これらがうまい具合にコーディネイトできてこそ、たとえば、美しい
アラベスクをキープできるのだ。

ヨガを真剣にやりだしてから、嬉しいことに、その「つながり」の感覚が研ぎ澄まされてきている
のを感じている。

「ヨガ」という言葉自体、「つなぐ」という意味なのだそうだ。
自分と大切な人たちとのつながり。自分と宇宙とのつながり。それは自分と宇宙の神とのつながり
を示唆し、その神は、実はそれぞれの人の心にも存在する。

ちょっと宗教がかって聞こえるかもしれないが、私がこれを自然に受け入れることができるのは、
それが100パーセント個人個人の感覚に任されていて、同時に排他的なものとは程遠いから
である。

そのような境地にたどり着いた私の好きなヨガポーズは、すべて、自分が地球と宇宙の媒体に
なりうるようなポーズだ。大げさに聞こえる? でも本当なの。
今私が一番好きなアサナは「アルダ・チャンドラーサナ」・・半月のポーズ。

片足は地面に突き刺さり、片手が空の彼方へ・・説明しづらいのでアルダ・チャンドラーサナ
クリックしてみてください。このアーサナを完成ポーズに持っていくためには、強固な軸と
バランス力と柔軟性(骨盤の向きを90度回旋させなくてはならないので)が必要になってくる。
でもそこまで到達すると、何の力も入れずに体がつながる瞬間がくる。
自分の内側の中心エネルギーが外側へと流れだし、その方向性がどんどん広がって行くと、
大地と空のつながり、地球の奥底と宇宙のつながりの一部となる自分がイメージできる。
それは気持ちのいい瞬間なのだ。

この「つながり」の経験が、たとえば、人と人とのつながりの感覚をも敏感にする。

「海辺のカフカ」の舞台を先週観に行って来た。
場面数の多さと複雑な構成が一つの特徴である春樹さんの原作を読む限り、この世界観を
いったいどのように舞台上に創るのかまったくの疑問であった。脚本にももちろん興味が
あった。

まだ上演中なのであまり言うべきではないのでしょうが、種明かしのひとつは、いくつもの
巨大なガラス・・もしくはプラスチック?の箱で、それらが舞台上をなめらかに行き来して
スムーズにいくつものシーンの交換が行われていた。

私が一番驚いたのは、宮沢りえさんの佐伯さん、藤木直人さんの大島さん、老人ナカタさん、
青年ホシノさん・・すべての登場人物が、小説のイメージを少しも裏切っていなかったことだ。

舞台終了後、出演者のみなさんが一列になって挨拶をしてくれた。
後方の席であったにもかかわらず、私は宮沢りえさんや藤木直人さんとのつながりを一瞬感じる
ことができた。後方席の、暗闇の一点に過ぎない私であっても、媒体に徹っしさへすればそこに
つながりは生まれるのだ。

「つながり」は、最近世の中でとみに使われてきた言葉であるけれど、私にとっては永遠の
テーマであり、希求してやまない光なのだ。




大学時代の友達の一人が、「行きたいと思っているの・・」と教えてくれた催し、
『70’sバイブレーション横浜』を目指して、先月とある日に、赤レンガ倉庫に女6人で行って来た。

70年代真っ只中に青春時代を過ごした私たちにとって、そこに展示されている物すべてが
懐かしくて、歳も忘れてきゃあきゃあと、女子力の高い時間を過ごしてしまうこととなった。

我々の一番のお目当ては、その催事期間のみ復活する「Pied Piper House」というレコード屋
さんであった。

 当時青山通りの片隅にひっそりと存在しながら、でも音楽好きの若者たちを強力に引き付け
ていた。LPがぎっしり入っているボックスを前に、お気に入りのレコードを探すために一枚
一枚手でひっぱりあげていくあの感触。ひっぱっては戻し、ひっぱってはまた戻す。
スコンスコンと木のボックスにレコードジャケットがあたる規則的で乾いた音を聞きながら、
気持ちが高揚していく。

 レコード屋さんと言っても、今のHMVとは趣が大きく異なり、小さなお店の面積のほとんどが
レコードで埋めつくされていて、ボックスの列と列の間の細長い通路を、他人のお尻や背中と
自分のものとをほとんどすり合わせながら移動したものだ。

ハメルーンの笛吹きの絵を真ん中に、蛇が楽しげに身をくねらせて描いたような「Pied Piper House」というロゴが印刷されているレコード袋も、この催しで復活していて、ロゴ入りの
Tシャツとトートバッグを買ったらそれに入れてくれた。


「よし、11月のライブでコーラスのお手伝いをする時に、このパイドのTシャツを着よう!」
とTaeが言い出し、レコード売り場で難しい通好みのレコードをチョイスしているChikaも、
最後にはTシャツも買っていた。

で、おとといの水曜日、TaeとChikaが、コーラス練習のために我が家に遊びに来た。
お昼ごはんに、パン好きのChikaのために2種類のパンを焼いたのだが、Taeが私の作った
ベーグルをとても気に入ってくれた。

スープやサラダ、チリビーンズと一緒にベーグルを食べながら、おいしい・・幸せ・・と、
ほんとうにくつろいだ幸せそうな顔を二人がした。

あ、同じだ。ヨガのクラスを教え終えた時と。みんなとても緩んでほっとしたような、穏やかな
顔をしていた。

なんとなく道がぼんやりと見えてきた。
私が今までやってきたことが人を緩ませることができるなら、それをしていきたい。

図らずも、前回のヨガのテーマは、「からだとこころをほどく」であった。
私の基本テーマになる予感がする。













だいぶ前に、バレエ友達のハトちゃんから「この占いけっこう当たるよ。」と
占いページのリンクを教えてもらって以来、更新日の月曜日には、スマホでの
チェックを怠らない。

いや本当に、自分の状況を言い当てられていることがよくあるのだ。同じ星座の人たちが、
みんながみんな、私と似たような毎日を送っているわけないだろうに。
でも、内容は結構具体的で、誰にでもあてはまることのようには見えない。
だからずっと不思議だなと思っていた。

そして先週あたりから、「着実に見えないところで何かが進んでいて、あなたの周りの
流れが大きく変わるでしょう」「今週から来週にかけて大きなことを始めることになるで
しょう」「ドラマのようなターニングポイントを経験するでしょう」
などと、その占いは言い始めたのだ。

半信半疑でいたら、あれよあれよと言う間に、ヨガの友達サークルができて、今日の午前中
インストラクターとしての初めての経験をさせてもらった。
場所は、友達の友達が住んでいるマンションの集会所を使わせてもらっている。

まだ場所が決まっていないとき、近くの地域ケアセンターに電話したら、これも話がトントン
拍子に進み、友達サークル以外にヨガの講座を2つ持たせてもらうことになった。

自分でも流れが変わってきているのをひしひしと感じている。
この流れには乗っちゃおうと思う。心地いいから。

実はまだインストラクター養成講座は終了していない。
明日が最終日で、お免状をもらって終了。

そこで知り合って半年間一緒に学んだヨガ仲間との関係も、予想外にとても深いものになった。
8月の暑い日曜日に、すでにスタジオを構えてフラメンコやヨガを指導しているAさんの
スタジオにみんなで集まり、自主練をしたのも思い出深い。

明日は、講習終了後、近くの美味しいイタリアンレストランで打ち上げをすることになっている。ここの「鴨のロースト」がめちゃくちゃおいしい。

ヨガの講習が終了するのを見込んで、9月からまたシナリオセンターに通い出した。
基礎講座と違って、本科は横浜にもあるので・・しかも隔週という私にぴったりのペースなので、
横浜に通うことにした。4か月のブランクがあって少し不安だったけれど、初めてみんなの前で
読み上げた私のシナリオを、先生も他の生徒さん達もとても褒めて下さった。

すごくうれしかった。自分の書いた物が他の人の心に届くんだ・・「心があたたかくなった」
と言ってもらえた。これで味をしめたのか、フィクションを描く楽しさを感じ始めている。

気持ちのいい流れに身をまかせてできることをやっていこうと思う。


年齢と共に喜怒哀楽の振り子の幅が狭まってきている。

ちょっとやそっとでは喜ばないし怒らない。
たとえ喜んでも怒っても哀しんでも楽しんでも、我をわすれるような仕方をしないということだ。
楽しいな・・と思いながらどこか覚めてる自分がいる。
腹立つな・・と思っても、「えっ?私怒ってるうう?」とどこかで茶化している自分がいる。

喜怒哀楽がそんな風なんだから、「胸がきゅんとする」なんてことは、私にとって世界遺産の洞窟
の壁に描かれた原始的な絵のようなものだ。

でも、胸きゅんは突然やってくるもの・・とは知らなかった。完璧に油断していた。

我が家の愛犬ハルは、糞づまり嘔吐、食欲不振を引き起こす「会陰ヘルニア」を手術で乗り越え、
現在ありがたいことに、毎日元気に愛らしく、私たちと生活してくれている。

2か月ほど前に獣医さんに連れて行った時、ハルは見る影もないほどの弱りようだった。
そしてその時、時間外に突然行ったのに、優しい対応をしてくれたのがM先生だった。

M先生は、糞づまりで苦しんでいるハルの肛門に指を突っ込み、その固くなりつつあった
障害物を器用にすべてかき出してくれた。
そしてその後「ハルちゃん、ごめんね~。嫌だったよね~。」とハルに本気で謝っている。

いやいやいや。それは違います。
大変だったのはハルよりも先生だから・・と私は恐縮してしまった。

何度かお会いするうちに、ああ、この人は本当に動物が好きで獣医さんになったんだな。
という確信が、何気ない言動から、爽やかな風のように私に届く。

ハルの手術が成功して抜糸のために先生のもとへ。
「お家でのハルちゃんの調子はいかがですか?」

私はハルが元気になって本当に本当に嬉しかったのだ。

「お散歩するでしょ?そしたらね、程なくハルはウンチングスタイルを取るんです。
そして何の障害もなく心地よさそうに用を足すんですよ。それがね、また惚れ惚れするほどの
うんちで。目下の所、ハルが何の滞りもなく素晴らしいうんちをしてくれることが私の一番の
幸せなんですよ。」

先生は私の話をニコニコと聞いてくれていた。
私はまだ言い足りなくて、続けた。

「拾うでしょ?そしたら『ズシッ』って重いんですよ・・・」

言い終わって先生を見ると、先生は斜め下に視線を落とし目を見開き、その目に涙をいっぱい
ためていた。

私は頭が真っ白になった。どうしたどうしたどうした?何でこの人は泣いているんだ?
身体中の血流が一気に速くなったように感じた。
そしてやっと一息ついた時、胸がきゅん と音をたてた。

具体的にその人の幸せに自分が関与することはできないけれど、単純にその人の幸せを願える
事自体が自分にとっての幸せなのかもしれない。

私はこの話を友達によく話す。
先週の水曜日に集まったママ友仲間にも、ランチを食べ終えた時点で話し出した。
何しろウンチ話なので食事中は避けたのだ。

自分が人を好きになったとしても、それを「恋」というカテゴリーにはもう入れたくない。
恋は秘めやかなものであるけれど、人への好意はオープンであるべきだと感じた私は、
友達に会うたびにこの話をする。M先生の透明感をどのように話せば一番つたわるだろうか、
と思いながら。
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