日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
この所雨続きで、でも「雨天」と一言でおおまかにくくれる程度をはるかに
超えていて、雷、稲妻、土砂降り、場所によっては竜巻となれば、いささか
圧倒され気味である。
どんな種類の雨であろうが、雨が降れば我が家では「ドンパック」が脚光を浴びる。
犬を飼っていない人には一生巡りあわない物だろうから、簡単に説明すると、
わんこのゴム製「う〇ち入れ」で、強力磁石で車の外ボディーにくっつくようにでき
ている。
雨天ではない平日の朝ならば、駅近くでダンナを車から降ろし、ハルとふたりで
「行ってらっしゃい。」と見送った後に、家の近所に戻って散歩をする。
つまりハルのう〇ちはそのまま家に持って帰れる。
でも雨の日は、濡れるのを避けて、帰り途中の東名高速高架下に車を停めて用を
済ますため、家までそれを運ばなくてはならない。
いくら大好きなハルの落し物と言えど、車内が匂いで充満するのは避けたいのだ。
「ドンパック」の存在を知る前は、そういう場合にはスーパーのレジ袋を車の後ろ
ワイパーにひっかけていた。
たぶん犬を飼っていない人なのだろう・・。信号待ちしていると窓をトントンとたたいて
「後ろに荷物をかけっぱなしにしてますよ。」と親切に教えてくれた人がいた。
「犬のう〇ちです。」とはさすがに言い出せず、お礼だけ言った後、不思議なばつの悪さ
を感じていた。
朝起きると雨が降っていた。「今日はドンパックだね。」とハル君に告げる。
「そう、ドンパックだから少なめにしてね。だって裏側が無意味に骨の形にしてあって
あんまり入らないからね。粘土みたいに押し込んで形変えるの正直言うとやなのよ。」と。
ハルはそれを知ってか知らずか、その日はほんとにちょびっとしかしなかった。
私があわてて「変なこと言ってしまったね。ごめんごめん。」と言っていつもより時間を
かけてもダメだった。
私が言ったこと、わかるはずはないけれど、こういう偶然て、やっぱりハルと私の
親密な仲を象徴しているようで、ごめんね・・と思いながら、なぜだかとても嬉しかった。
超えていて、雷、稲妻、土砂降り、場所によっては竜巻となれば、いささか
圧倒され気味である。
どんな種類の雨であろうが、雨が降れば我が家では「ドンパック」が脚光を浴びる。
犬を飼っていない人には一生巡りあわない物だろうから、簡単に説明すると、
わんこのゴム製「う〇ち入れ」で、強力磁石で車の外ボディーにくっつくようにでき
ている。
雨天ではない平日の朝ならば、駅近くでダンナを車から降ろし、ハルとふたりで
「行ってらっしゃい。」と見送った後に、家の近所に戻って散歩をする。
つまりハルのう〇ちはそのまま家に持って帰れる。
でも雨の日は、濡れるのを避けて、帰り途中の東名高速高架下に車を停めて用を
済ますため、家までそれを運ばなくてはならない。
いくら大好きなハルの落し物と言えど、車内が匂いで充満するのは避けたいのだ。
「ドンパック」の存在を知る前は、そういう場合にはスーパーのレジ袋を車の後ろ
ワイパーにひっかけていた。
たぶん犬を飼っていない人なのだろう・・。信号待ちしていると窓をトントンとたたいて
「後ろに荷物をかけっぱなしにしてますよ。」と親切に教えてくれた人がいた。
「犬のう〇ちです。」とはさすがに言い出せず、お礼だけ言った後、不思議なばつの悪さ
を感じていた。
朝起きると雨が降っていた。「今日はドンパックだね。」とハル君に告げる。
「そう、ドンパックだから少なめにしてね。だって裏側が無意味に骨の形にしてあって
あんまり入らないからね。粘土みたいに押し込んで形変えるの正直言うとやなのよ。」と。
ハルはそれを知ってか知らずか、その日はほんとにちょびっとしかしなかった。
私があわてて「変なこと言ってしまったね。ごめんごめん。」と言っていつもより時間を
かけてもダメだった。
私が言ったこと、わかるはずはないけれど、こういう偶然て、やっぱりハルと私の
親密な仲を象徴しているようで、ごめんね・・と思いながら、なぜだかとても嬉しかった。
発端は、伊丹十三さんの言葉だった。
数週間前の番組の中で、当時の伊丹さんが、「人生を生きやすくして
くれた本」として、岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」を挙げていた。
自分にとって興味深い人がこれはいいと言っているものを、真似して取り入れる
傾向がある私は、素早く本を手に入れて読み始める。
「ものぐさ・・」と付いているので油断して読み出したのだが、実際はかなり専門的
な事もたくさん書いてあって、あまりに難解なところはすっとばして読み終えた。
本のことはまた後日書くとして・・(特に 「自己嫌悪」に関しての岸田さんの
見解が目からウロコだったので。)
昨日この本を読み終えた私は、とても不思議な夢を見た。
夢の中の私は高校生であった。
しかも彼女は実際の私が持っていなかった資質を持っていた。
「美しさ」である。
彼女は、中身は55歳の私、外見は美しい高校生という
奇怪な存在でありながら、当然のようにその世界に息づいていた。
その時私は、高校へと向かっていた。高校は町田付近にあるようだ。
高校にいかなきゃ。と真剣に思っているのに、その場所が思い出せず、
焦り始める。遅刻どころか二度とそこへたどり着けないのではないかと
いう不安が押し寄せてくる。
町田のはずなのに、丘や崖があって息を切らせながら上ってみたりもするが、
何も見当たらないし何も思い出せない。
「高校生なのにすでに認知症になってしまったんだ。」と私は嘆き、声を上げて泣いて
いたら、優しい母のようなオーラを持つ人が目の前にいた。
何と、女優の樋口可南子さんだった。
あのきれいな人を前にして、「彼女は自分の母親である」と何故か私は思い込んでいて、
やさしく微笑む彼女に「悲しいの。」と訴えていた。
場面が変わって、私は南海キャンディーズの山ちゃんと部屋の中に居た。
山ちゃんが遠慮がちなので、私の方からモーションをかける。
「ね、もっと近づきたいな。」と私が言うと、彼は一瞬戸惑いを見せ、でも決心
したように唇を近づけてきた。
ひんやりと涼しげなキスをした後、彼はお行儀よく私の胸をはだき、私たち二人は
とても自然にひとつになる。でも彼は途中でするりとやめて背を向けてしまう。
「勢いで君の体に負担をかけるようなことはしたくないんだ。」と、彼は荒い息を
抑え込みながら言う。
私は感動していた。なぜだかわからないけれど感動していた。
山ちゃんは、本能的な衝動が渦巻く人間ならではの「欲望」を抑え込み、自我という
行動規範を私のために優先してくれたんだ。(多分に本の影響あり、と思う。)
夢の中の私はそのように思っていた。
そう言えば、南海キャンディーズが売れ始めの頃、ドッキリで相方のしずちゃんが、
「やりたいことがあるので、南海キャンディーズを解散したいの。」と告げた時も、
山ちゃんは彼女の本気さを理解するや否や、「わかったよ。」ときっぱり言っていたなあ。
と思い出し、そこで私は、あふれんばかりの愛しさを持って、山ちゃんの丸い背中を見つ
めていたのだ。
-------------------------------------
何という夢だろう。
現実という名の幻想。
ならば、夢もまた現実であるのかもしれない。
数週間前の番組の中で、当時の伊丹さんが、「人生を生きやすくして
くれた本」として、岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」を挙げていた。
自分にとって興味深い人がこれはいいと言っているものを、真似して取り入れる
傾向がある私は、素早く本を手に入れて読み始める。
「ものぐさ・・」と付いているので油断して読み出したのだが、実際はかなり専門的
な事もたくさん書いてあって、あまりに難解なところはすっとばして読み終えた。
本のことはまた後日書くとして・・(特に 「自己嫌悪」に関しての岸田さんの
見解が目からウロコだったので。)
昨日この本を読み終えた私は、とても不思議な夢を見た。
夢の中の私は高校生であった。
しかも彼女は実際の私が持っていなかった資質を持っていた。
「美しさ」である。
彼女は、中身は55歳の私、外見は美しい高校生という
奇怪な存在でありながら、当然のようにその世界に息づいていた。
その時私は、高校へと向かっていた。高校は町田付近にあるようだ。
高校にいかなきゃ。と真剣に思っているのに、その場所が思い出せず、
焦り始める。遅刻どころか二度とそこへたどり着けないのではないかと
いう不安が押し寄せてくる。
町田のはずなのに、丘や崖があって息を切らせながら上ってみたりもするが、
何も見当たらないし何も思い出せない。
「高校生なのにすでに認知症になってしまったんだ。」と私は嘆き、声を上げて泣いて
いたら、優しい母のようなオーラを持つ人が目の前にいた。
何と、女優の樋口可南子さんだった。
あのきれいな人を前にして、「彼女は自分の母親である」と何故か私は思い込んでいて、
やさしく微笑む彼女に「悲しいの。」と訴えていた。
場面が変わって、私は南海キャンディーズの山ちゃんと部屋の中に居た。
山ちゃんが遠慮がちなので、私の方からモーションをかける。
「ね、もっと近づきたいな。」と私が言うと、彼は一瞬戸惑いを見せ、でも決心
したように唇を近づけてきた。
ひんやりと涼しげなキスをした後、彼はお行儀よく私の胸をはだき、私たち二人は
とても自然にひとつになる。でも彼は途中でするりとやめて背を向けてしまう。
「勢いで君の体に負担をかけるようなことはしたくないんだ。」と、彼は荒い息を
抑え込みながら言う。
私は感動していた。なぜだかわからないけれど感動していた。
山ちゃんは、本能的な衝動が渦巻く人間ならではの「欲望」を抑え込み、自我という
行動規範を私のために優先してくれたんだ。(多分に本の影響あり、と思う。)
夢の中の私はそのように思っていた。
そう言えば、南海キャンディーズが売れ始めの頃、ドッキリで相方のしずちゃんが、
「やりたいことがあるので、南海キャンディーズを解散したいの。」と告げた時も、
山ちゃんは彼女の本気さを理解するや否や、「わかったよ。」ときっぱり言っていたなあ。
と思い出し、そこで私は、あふれんばかりの愛しさを持って、山ちゃんの丸い背中を見つ
めていたのだ。
-------------------------------------
何という夢だろう。
現実という名の幻想。
ならば、夢もまた現実であるのかもしれない。
花盛りの鉢植えを買って出窓に置く。
殺風景だった小さな空間が一気に華やぐ。
花々のみずみずしい勢いが、こちらの気持ちも明るくしてしまうの
だから花の力はすごいと思う。
しばらくするとピークが過ぎ去り花はしおれ、枯れる。
葉っぱまでもが生気を失ったように見える。
過去を振り返ると、この状況から私は多くの鉢植えを枯らしてきた。
そんな罪深き私は、ある日決心をする。
どんなにせわしない日々を自分が送っていたとしても、また寝ているしか
いられないほどその日の体調が悪かろうとも、少なくともふたつのことはしよう。
1.日めくりサイコロカレンダーを今日の日付にきっちり合わせる
2.鉢植えたちにお水をたっぷりやる
この暑い夏、このたわいないこと(日によって私にはとてもハードルが高いのだが・・)
だけは休まず実行してきた。あ、でも朝ヨガもそう言えば何とか続けてきているんだワ・・
そうしているうちに、緑一色の鉢植えたちに変化が見え始めた。
天に向かって伸び進むブーゲンビリアのツルの先にピンクの花が咲いた。
葉っぱの数を大幅に減らしてしまったクレマチスも、一回り小さな白い花を
3つもつけてくれた。
ピークの時の花よりは地味だけれど、しみじみと嬉しかった。
昨日バレエに行ったら、友達がゼラニウムの苗木を持ってきてくれた。
土に植えて花が咲いたら、今度はどんな嬉しさを感じられるのだろう。

殺風景だった小さな空間が一気に華やぐ。
花々のみずみずしい勢いが、こちらの気持ちも明るくしてしまうの
だから花の力はすごいと思う。
しばらくするとピークが過ぎ去り花はしおれ、枯れる。
葉っぱまでもが生気を失ったように見える。
過去を振り返ると、この状況から私は多くの鉢植えを枯らしてきた。
そんな罪深き私は、ある日決心をする。
どんなにせわしない日々を自分が送っていたとしても、また寝ているしか
いられないほどその日の体調が悪かろうとも、少なくともふたつのことはしよう。
1.日めくりサイコロカレンダーを今日の日付にきっちり合わせる
2.鉢植えたちにお水をたっぷりやる
この暑い夏、このたわいないこと(日によって私にはとてもハードルが高いのだが・・)
だけは休まず実行してきた。あ、でも朝ヨガもそう言えば何とか続けてきているんだワ・・
そうしているうちに、緑一色の鉢植えたちに変化が見え始めた。
天に向かって伸び進むブーゲンビリアのツルの先にピンクの花が咲いた。
葉っぱの数を大幅に減らしてしまったクレマチスも、一回り小さな白い花を
3つもつけてくれた。
ピークの時の花よりは地味だけれど、しみじみと嬉しかった。
昨日バレエに行ったら、友達がゼラニウムの苗木を持ってきてくれた。
土に植えて花が咲いたら、今度はどんな嬉しさを感じられるのだろう。
鉢植えのローズマリーに花が咲いた。
薄紫色の 米粒ふた粒ほどの小さな花だ。
それを目にしてふと気持ちがゆるむのは、こわもてのサボテンに、
可憐な花が咲いているのを見つけた時と似ている。
人に例えると、あの誰も寄せ付けないような風貌のあの人のとげとげ感は、
何のことはない、ただの人見知りからだったのか・・というところか。
日曜日の公園は、セミの独壇場だった。
歩きながらふと横の木の幹に目をやると、押し合いへし合いとはいかない
までも、かなりの密度でたくさんのセミがはりついていた。
マンションの外廊下を歩いている時、「じじっ」と急襲をかけるあの「アブラゼミ」
の他に、透き通った羽と緑色のボディーを持つ「ミンミンゼミ」もそこには多数いて、
じーじー と鳴くあぶらぜみの合いの手に、みんみん とかわいく鳴いていた。
視線を落とすと、木の根っこ周りの地面一帯に、一円玉ほどの小さな穴がそれはそれは
たくさんあるのに気が付いた。
その穴は、セミの幼虫が7年ほどの時を土中で過ごした後に、一匹一匹が外界に這い出て来た
名残であり証拠なのだ。
「セミはいったい卵をどこに産み付けるのだろう?」
単純な疑問が、散歩中に湧き上がったので調べると、セミは木の幹の中に卵を産み
付けるのだそうです。そして冬場を過ぎて孵化した幼虫が土の中に移動するらしい。
ぜひ来年は、セミが土の中から這い出て来るところを見てみたいなと思う。
「早朝が狙い時」だって書いてあった。
外界に出たてのセミは白いんだって。 ね、見たくなるでしょ?


薄紫色の 米粒ふた粒ほどの小さな花だ。
それを目にしてふと気持ちがゆるむのは、こわもてのサボテンに、
可憐な花が咲いているのを見つけた時と似ている。
人に例えると、あの誰も寄せ付けないような風貌のあの人のとげとげ感は、
何のことはない、ただの人見知りからだったのか・・というところか。
日曜日の公園は、セミの独壇場だった。
歩きながらふと横の木の幹に目をやると、押し合いへし合いとはいかない
までも、かなりの密度でたくさんのセミがはりついていた。
マンションの外廊下を歩いている時、「じじっ」と急襲をかけるあの「アブラゼミ」
の他に、透き通った羽と緑色のボディーを持つ「ミンミンゼミ」もそこには多数いて、
じーじー と鳴くあぶらぜみの合いの手に、みんみん とかわいく鳴いていた。
視線を落とすと、木の根っこ周りの地面一帯に、一円玉ほどの小さな穴がそれはそれは
たくさんあるのに気が付いた。
その穴は、セミの幼虫が7年ほどの時を土中で過ごした後に、一匹一匹が外界に這い出て来た
名残であり証拠なのだ。
「セミはいったい卵をどこに産み付けるのだろう?」
単純な疑問が、散歩中に湧き上がったので調べると、セミは木の幹の中に卵を産み
付けるのだそうです。そして冬場を過ぎて孵化した幼虫が土の中に移動するらしい。
ぜひ来年は、セミが土の中から這い出て来るところを見てみたいなと思う。
「早朝が狙い時」だって書いてあった。
外界に出たてのセミは白いんだって。 ね、見たくなるでしょ?
ただ夏の暑さのせいだけじゃないと思う。
美味しいものが食べたいと思えるほどの食欲もない。
本を読んでも最後まで読み通す集中力がなく、映画を観ても音楽を聴いても、
とんと響いてこない。
感覚がなまって鈍って、何も感じなくなって行くことも、
「老人力」のなせる業だとしたら、このままずっと死ぬまでこんな
感じなのは、正直きついなと思っていた。
諦め気分でそう思っていたら、このお盆休みに「すっごくおいしい!」
と「めちゃくちゃ面白い!」を続けて経験することができて、頻度は少なくなって
きているものの、そういうの 全くなくなったわけではなくて、私の受信システムも
時には作動することを知り安心した。
お盆ウィークの一日に、家族4人で外食することになり、
さて何を食べようか・・そう、せっかくの機会だから、いつもと違うことをしてみない?
と私が言い出し、ステーキを食べに行くことになった。
ネットで調べて、家の近くにある評判の和牛専門店にお邪魔した。
これが大正解!
普段食べつけてないくらいのおいしいものを食べると、頭が誤作動するのだろうか、
一瞬のしびれがあって、そのあと口の中だけでなく頭蓋骨に覆われているすべての
部分が「ひんやり」した。
その焼き加減が絶妙で、それについて料理を仕事にしている息子が言ったことが、
私になるほどねえと思わせた。
「焼き方の好みをいちいち聞かなかったでしょ? こだわりの焼き加減があって、
シェフのベストを出しているからだね。」
わさび、スモーク塩、シェリー酒をベースにしたソース。
その内のどれもがお肉と抜群に良い相性で、ひとつの完璧なお肉をいろんな方向から
楽しませてもらうことができた。
私の中に、ステーキ肉を食べる時の鉄則がある。
「中途半端なグレードは食べない。」ということだ。
年に一度、もしくは2年、3年に一度くらいでかまわない。
食べるときは、ひんやりするほどおいしいものを食べたい。
「めちゃくちゃ面白い!」は、ダンナが何気に録ってくれていたミュージカル、
「100万回生きたねこ」で、これについては次回触れようと思う。
でもよかった。まだ私の中に「興奮」が残っていて。
たとえその興奮が、かなり静かなものであったとしても。
美味しいものが食べたいと思えるほどの食欲もない。
本を読んでも最後まで読み通す集中力がなく、映画を観ても音楽を聴いても、
とんと響いてこない。
感覚がなまって鈍って、何も感じなくなって行くことも、
「老人力」のなせる業だとしたら、このままずっと死ぬまでこんな
感じなのは、正直きついなと思っていた。
諦め気分でそう思っていたら、このお盆休みに「すっごくおいしい!」
と「めちゃくちゃ面白い!」を続けて経験することができて、頻度は少なくなって
きているものの、そういうの 全くなくなったわけではなくて、私の受信システムも
時には作動することを知り安心した。
お盆ウィークの一日に、家族4人で外食することになり、
さて何を食べようか・・そう、せっかくの機会だから、いつもと違うことをしてみない?
と私が言い出し、ステーキを食べに行くことになった。
ネットで調べて、家の近くにある評判の和牛専門店にお邪魔した。
これが大正解!
普段食べつけてないくらいのおいしいものを食べると、頭が誤作動するのだろうか、
一瞬のしびれがあって、そのあと口の中だけでなく頭蓋骨に覆われているすべての
部分が「ひんやり」した。
その焼き加減が絶妙で、それについて料理を仕事にしている息子が言ったことが、
私になるほどねえと思わせた。
「焼き方の好みをいちいち聞かなかったでしょ? こだわりの焼き加減があって、
シェフのベストを出しているからだね。」
わさび、スモーク塩、シェリー酒をベースにしたソース。
その内のどれもがお肉と抜群に良い相性で、ひとつの完璧なお肉をいろんな方向から
楽しませてもらうことができた。
私の中に、ステーキ肉を食べる時の鉄則がある。
「中途半端なグレードは食べない。」ということだ。
年に一度、もしくは2年、3年に一度くらいでかまわない。
食べるときは、ひんやりするほどおいしいものを食べたい。
「めちゃくちゃ面白い!」は、ダンナが何気に録ってくれていたミュージカル、
「100万回生きたねこ」で、これについては次回触れようと思う。
でもよかった。まだ私の中に「興奮」が残っていて。
たとえその興奮が、かなり静かなものであったとしても。
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