日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
いつもと趣の違う一週間を過ごしていたら、土曜日がまたやってきた。
たくさんの友人と会うことは、「あの人も、この人も、今この時間をどこかで過ごしている。」
という普段無自覚なことを改めて自覚させてくれて、そのことが私を生きやすくさせてくれる。
水曜日には、横山大観を観に、横浜美術館に行ってきた。
メインの美術鑑賞以外に、観覧車に乗ったりランチを楽しんだりと盛りだくさんで、子供時代の
遠足気分の高揚感覚が、遥かかなたの記憶からひょっこり顔を出した。
その気性から思い切りうなづける、自称「超!晴れ女」のTaeがいてくれていたお陰だろう、
雲ひとつない青空のもと観覧車に乗って横浜全体を見渡せたのは、実に爽快だった。
絵が描けない私が絵を観る・・
私には、どういうのがいい絵でどういうのが悪い絵なのかよくわからないが、無知無能な分野で
あっても、自分の「好き 嫌い」を感じる自由のあることが、どこへでも繰り出していける
所以である。
大観を始め、藤田嗣治 ピカソ、たくさんの偉大な絵を至近距離で体験できた。
翌日、ハルと自然公園を歩いていたら、落ちている葉っぱの色に、シャガールの
絵が見えた。美術館に行った影響である。
恥ずかしながら、私の単純さは、このように発揮するのだ。
才能ある芸術家は、自然に存在する色合いを自らの体に吸収し、あるとき衝動的に彼らの
絵筆から、自分の意思とブレンドしたその色合いをひねり出すことができるのだろうと思った。
絵が描けるって素敵だな。私の永遠の憧れ。
ない袖は振れないので、代わりに写真を撮ることで、私は自然との一体化を楽しんでいこうと
思う。






たくさんの友人と会うことは、「あの人も、この人も、今この時間をどこかで過ごしている。」
という普段無自覚なことを改めて自覚させてくれて、そのことが私を生きやすくさせてくれる。
水曜日には、横山大観を観に、横浜美術館に行ってきた。
メインの美術鑑賞以外に、観覧車に乗ったりランチを楽しんだりと盛りだくさんで、子供時代の
遠足気分の高揚感覚が、遥かかなたの記憶からひょっこり顔を出した。
その気性から思い切りうなづける、自称「超!晴れ女」のTaeがいてくれていたお陰だろう、
雲ひとつない青空のもと観覧車に乗って横浜全体を見渡せたのは、実に爽快だった。
絵が描けない私が絵を観る・・
私には、どういうのがいい絵でどういうのが悪い絵なのかよくわからないが、無知無能な分野で
あっても、自分の「好き 嫌い」を感じる自由のあることが、どこへでも繰り出していける
所以である。
大観を始め、藤田嗣治 ピカソ、たくさんの偉大な絵を至近距離で体験できた。
翌日、ハルと自然公園を歩いていたら、落ちている葉っぱの色に、シャガールの
絵が見えた。美術館に行った影響である。
恥ずかしながら、私の単純さは、このように発揮するのだ。
才能ある芸術家は、自然に存在する色合いを自らの体に吸収し、あるとき衝動的に彼らの
絵筆から、自分の意思とブレンドしたその色合いをひねり出すことができるのだろうと思った。
絵が描けるって素敵だな。私の永遠の憧れ。
ない袖は振れないので、代わりに写真を撮ることで、私は自然との一体化を楽しんでいこうと
思う。
太い毛糸でざっくり編んだベストを着ているのに、肌寒さに時々肩をすくめている
自分がいる。人がもこもこと着込みはじめるこの時期は、紅葉の始まりでもある。
ありきたりな児童公園で、今朝ハルと散歩していたら、周りの景色はすでに色づき始めて
いたのだった。葉っぱの色が変わる。たったそれだけのことなのに、なぜこんなにも気持ちが
高ぶるのだろう。
一昨日は大学時代のサークル仲間が主催する音楽ライブに行ってきた。
35年以上前から聞きなれている彼らのサウンドとヨワイを重ねた現在の容姿の組み合わせ
が、なんの違和感もなく逆に心地よく思えるから不思議だ。
ライブの打ち上げは、すでにお馴染みの居酒屋さん。
これまでに大事な友人先輩後輩を何人か失っている私たちは、「目の前にお互いが居る」こと
にとてつもないありがたさを感じ始めている。
ただ年齢のせいというだけでなく、そういった要因がたぶん我々の集まりの雰囲気をより
年々メロウにしていってるのだと思う。あったかい打ち上げだったな、と一日経って
思い出している。
打ち上げには息子も参加させてもらって、みんなに「可愛い、かっこいい、好青年だ。」と
持ち上げられて照れまくっていた。不思議といえば、共に若さを謳歌していたあの頃の年齢に、
今自分の子供たちが到達しているという事実。
すべての事柄は順序よく長い時を経て徐々に変化を遂げながら、でも着実にあの頃とつながっ
ているはずなのに、この仲間この時空に自分がいざ置かれてしまうと、自分が生んで育て上げ
た子供でさへも、今の形のまま突然そこに現れたような錯覚に陥る。
紅葉の季節。何と我々に似合いの季節ではないか。
華やかな大輪を咲かせなくとも、一枚一枚の葉っぱの集まりが、色濃く燃え上がる。
そんな情熱もあると言いたいのだ。


自分がいる。人がもこもこと着込みはじめるこの時期は、紅葉の始まりでもある。
ありきたりな児童公園で、今朝ハルと散歩していたら、周りの景色はすでに色づき始めて
いたのだった。葉っぱの色が変わる。たったそれだけのことなのに、なぜこんなにも気持ちが
高ぶるのだろう。
一昨日は大学時代のサークル仲間が主催する音楽ライブに行ってきた。
35年以上前から聞きなれている彼らのサウンドとヨワイを重ねた現在の容姿の組み合わせ
が、なんの違和感もなく逆に心地よく思えるから不思議だ。
ライブの打ち上げは、すでにお馴染みの居酒屋さん。
これまでに大事な友人先輩後輩を何人か失っている私たちは、「目の前にお互いが居る」こと
にとてつもないありがたさを感じ始めている。
ただ年齢のせいというだけでなく、そういった要因がたぶん我々の集まりの雰囲気をより
年々メロウにしていってるのだと思う。あったかい打ち上げだったな、と一日経って
思い出している。
打ち上げには息子も参加させてもらって、みんなに「可愛い、かっこいい、好青年だ。」と
持ち上げられて照れまくっていた。不思議といえば、共に若さを謳歌していたあの頃の年齢に、
今自分の子供たちが到達しているという事実。
すべての事柄は順序よく長い時を経て徐々に変化を遂げながら、でも着実にあの頃とつながっ
ているはずなのに、この仲間この時空に自分がいざ置かれてしまうと、自分が生んで育て上げ
た子供でさへも、今の形のまま突然そこに現れたような錯覚に陥る。
紅葉の季節。何と我々に似合いの季節ではないか。
華やかな大輪を咲かせなくとも、一枚一枚の葉っぱの集まりが、色濃く燃え上がる。
そんな情熱もあると言いたいのだ。
最近の気温低下に反比例して、大学時代のサークル仲間との交流が上昇中。
一昨日は、この春都会に引っ越したばかりのTaeのお宅に、同期仲間3人でおじゃました。
どれくらい都会かっていうと、彼女が道を歩いていたら、あの飛ぶ鳥落とす勢いの脚本家
三谷幸喜さんが、犬の散歩をしているところに出くわした・・というくらい都会なのだ。
まずリビングに案内されると、20畳いや30畳?(何しろ広さに慣れていないので感覚
が掴みづらいのだ・・)はたっぷりあるだろうという余裕の広さにまずびっくりする。
そして一面総窓から惜しみなく注がれる光が、部屋に朗らかな明るさを与えていて、思わず
体いっぱい伸びをしたりストレッチをしたりしたくなるようなそんな開放感のある素敵な
お部屋だった。
「ね、パーティーできるね。」「飲んでいて終電なくなったら、泊まりに来ても平気だよね。」
と、人のおうちなのに私は興奮していた。
「いつだって来ていいよ。」というTaeの優しい言葉に、そんな風に言ってくれたからといって
厚かましいことをする気は毛頭ないけれど、それでも永久パスポートをもらったような嬉しい
気分だった。
ワイングラスとワイングラスの奏でる透明な音を合図に、我々の楽しいおしゃべりと食事が
始まった。Taeはパエリア ホタテのチーズパン粉焼き サラダ スープを用意してくれていた。
私は ヨーグルトレーズンケーキとくるみレーズンりんごさつまいもの入った具だくさんの
ライ麦パンをその日の朝焼いて持っていった。
Michihaはおいしいパン、カールはいくらでも食べれるロールケーキを買ってきてくれた。
おしゃべりの内容は、「私たちのこれからの過ごし方」が、中心だった。
「Chie、バンコク一緒に行かない?」と、Taeが映画にでも誘うような軽いノリで言った。
「来年の一月かあ・・大学受験生の生徒を抱えているので今回はパス。」
私以外の3人はてきぱきとパソコンで調べ物をして、もう今日中に予約しようとしていた。
私は感慨深かった。やっとここまで来たんだ。と。
それぞれが子供を育て上げ、親の面倒をみて、今また35年前みたいにみんなで積極的に遊ぼう
としている。
今日も実は彼女たちと会うんだ。
青山でサークルのライブがあるからだ。実は家の旦那も出るので、早めに出かけていった。
書道の先生であるMichihaが、帰り際に行った。
「横浜美術館に横山大観見に行こうよ。」
だから、来週も彼女たちと会うことになった。
言葉が全部そのまま行動になる友達って、すごいなあ、と私は感心しきりである。
一昨日は、この春都会に引っ越したばかりのTaeのお宅に、同期仲間3人でおじゃました。
どれくらい都会かっていうと、彼女が道を歩いていたら、あの飛ぶ鳥落とす勢いの脚本家
三谷幸喜さんが、犬の散歩をしているところに出くわした・・というくらい都会なのだ。
まずリビングに案内されると、20畳いや30畳?(何しろ広さに慣れていないので感覚
が掴みづらいのだ・・)はたっぷりあるだろうという余裕の広さにまずびっくりする。
そして一面総窓から惜しみなく注がれる光が、部屋に朗らかな明るさを与えていて、思わず
体いっぱい伸びをしたりストレッチをしたりしたくなるようなそんな開放感のある素敵な
お部屋だった。
「ね、パーティーできるね。」「飲んでいて終電なくなったら、泊まりに来ても平気だよね。」
と、人のおうちなのに私は興奮していた。
「いつだって来ていいよ。」というTaeの優しい言葉に、そんな風に言ってくれたからといって
厚かましいことをする気は毛頭ないけれど、それでも永久パスポートをもらったような嬉しい
気分だった。
ワイングラスとワイングラスの奏でる透明な音を合図に、我々の楽しいおしゃべりと食事が
始まった。Taeはパエリア ホタテのチーズパン粉焼き サラダ スープを用意してくれていた。
私は ヨーグルトレーズンケーキとくるみレーズンりんごさつまいもの入った具だくさんの
ライ麦パンをその日の朝焼いて持っていった。
Michihaはおいしいパン、カールはいくらでも食べれるロールケーキを買ってきてくれた。
おしゃべりの内容は、「私たちのこれからの過ごし方」が、中心だった。
「Chie、バンコク一緒に行かない?」と、Taeが映画にでも誘うような軽いノリで言った。
「来年の一月かあ・・大学受験生の生徒を抱えているので今回はパス。」
私以外の3人はてきぱきとパソコンで調べ物をして、もう今日中に予約しようとしていた。
私は感慨深かった。やっとここまで来たんだ。と。
それぞれが子供を育て上げ、親の面倒をみて、今また35年前みたいにみんなで積極的に遊ぼう
としている。
今日も実は彼女たちと会うんだ。
青山でサークルのライブがあるからだ。実は家の旦那も出るので、早めに出かけていった。
書道の先生であるMichihaが、帰り際に行った。
「横浜美術館に横山大観見に行こうよ。」
だから、来週も彼女たちと会うことになった。
言葉が全部そのまま行動になる友達って、すごいなあ、と私は感心しきりである。
珍しく家に3連泊した息子が、ついさっき「また来るわ・・」と言いながら
自分の家へと帰って行った。
先週末は、娘 息子の両方が泊まり、必然的にお客用ふとんの出番が多い今日この頃である。
かさ張る寝具類は、何度も使える布団圧縮袋で、ちょっと心配になるほどぺっちゃんこにして
から、押し入れに効率よく収納している。
真空保存されたベーコンやハムのように、容赦のない吸引で一部分がよれてしまったり
わずかに反り返ったりしている布団たちは、その時点ではもはや布団の形をしていない。
娘や息子が帰ってきて泊まってくれることで、やっと日の目を見ることができるのだ。
文字通りの「せんべい布団」が、窒息から開放され、目一杯酸素や太陽光線を取り込み、
生き物のようにふんわり生き返る。
娘や息子が帰ったあと、役目を果たした布団たちは何よりも行き場を失い、そのかさ高さを
持て余しているように見える。私としても布団をふんわか蘇らせるのは好きだが、圧縮するのは
とても面倒で嫌いな作業なのだ。
来週も父親のライブを見に行くために戻って来るって行ってたしなあ・・このままひと組しまわず
に和室に置きっぱなしにしてしまおう。と、怠惰で良いアイデアが浮かぶ。
そんな出しっぱなしの布団をハルが見逃すはずもなく、折りたたまれた布団の頂点で、今気持ち
よさそうに寝息をたてている。
自分の家へと帰って行った。
先週末は、娘 息子の両方が泊まり、必然的にお客用ふとんの出番が多い今日この頃である。
かさ張る寝具類は、何度も使える布団圧縮袋で、ちょっと心配になるほどぺっちゃんこにして
から、押し入れに効率よく収納している。
真空保存されたベーコンやハムのように、容赦のない吸引で一部分がよれてしまったり
わずかに反り返ったりしている布団たちは、その時点ではもはや布団の形をしていない。
娘や息子が帰ってきて泊まってくれることで、やっと日の目を見ることができるのだ。
文字通りの「せんべい布団」が、窒息から開放され、目一杯酸素や太陽光線を取り込み、
生き物のようにふんわり生き返る。
娘や息子が帰ったあと、役目を果たした布団たちは何よりも行き場を失い、そのかさ高さを
持て余しているように見える。私としても布団をふんわか蘇らせるのは好きだが、圧縮するのは
とても面倒で嫌いな作業なのだ。
来週も父親のライブを見に行くために戻って来るって行ってたしなあ・・このままひと組しまわず
に和室に置きっぱなしにしてしまおう。と、怠惰で良いアイデアが浮かぶ。
そんな出しっぱなしの布団をハルが見逃すはずもなく、折りたたまれた布団の頂点で、今気持ち
よさそうに寝息をたてている。
「多量の買い物」と「寂しさ」は密接にリンクしているという記事を読んだ。
ヘアースタイルを大幅に変えることは、フィリピンでは悲しみの暗示である・・
ということも聞かされた。
ほかでもない、私はここ数週間で多量の買い物をし、大きくヘアースタイルを変えた。
私は本当に寂しくて悲しいのだろうか?
物欲やオシャレ心は、私にしてみれば生きるエネルギーがあってのこと。
元気のないときは何も欲しくないし、髪の毛だって結んじゃえば何とかカッコがつく
というものだ。
しばらく底をついていた自分のエネルギーが少しアップしてきたのを、「ほら今だ。」
と見逃さずに、自分の勘に従って次から次へと物を買い、美容院にも行ってショートに
してもらった。
カメラのフラッシュ、コート ブーツ2足 靴2足 スカート ギャザーパンツ カーディガン
カットーソー シャツ・・。収納スペースのことも考えて、最近ほとんど袖を通してないものを
替りに思い切ってどっさり捨てた。
おしゃれを楽しまずとも生きていける。つい最近まで自分の考えにその要素が圧倒的に強かった。
今持っている洋服だけで、一生やって行くつもりでもいた。
でも考え直したんだ。
私のような俗な人間が、仙人のように霞だけを食べて生きてはいけない。
昔々陽水が、「限りないもの、それは欲望。」と歌っていたが、今の私は、わずかに湧き上がる
欲望をすくい上げて、先手で何重にも満たしてしまう・・という馬鹿げたことをやっている。
ヘアースタイルを大幅に変えることは、フィリピンでは悲しみの暗示である・・
ということも聞かされた。
ほかでもない、私はここ数週間で多量の買い物をし、大きくヘアースタイルを変えた。
私は本当に寂しくて悲しいのだろうか?
物欲やオシャレ心は、私にしてみれば生きるエネルギーがあってのこと。
元気のないときは何も欲しくないし、髪の毛だって結んじゃえば何とかカッコがつく
というものだ。
しばらく底をついていた自分のエネルギーが少しアップしてきたのを、「ほら今だ。」
と見逃さずに、自分の勘に従って次から次へと物を買い、美容院にも行ってショートに
してもらった。
カメラのフラッシュ、コート ブーツ2足 靴2足 スカート ギャザーパンツ カーディガン
カットーソー シャツ・・。収納スペースのことも考えて、最近ほとんど袖を通してないものを
替りに思い切ってどっさり捨てた。
おしゃれを楽しまずとも生きていける。つい最近まで自分の考えにその要素が圧倒的に強かった。
今持っている洋服だけで、一生やって行くつもりでもいた。
でも考え直したんだ。
私のような俗な人間が、仙人のように霞だけを食べて生きてはいけない。
昔々陽水が、「限りないもの、それは欲望。」と歌っていたが、今の私は、わずかに湧き上がる
欲望をすくい上げて、先手で何重にも満たしてしまう・・という馬鹿げたことをやっている。
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