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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 先週の水曜日に書いた、「映画の中の英語」を読み返していた。

「バナナ」という単語を含んだ面白い英語表現を紹介するために、「頭がおかしくなりそうなもののひとつには・・」と、そこでぶつん と文章を完結させることなくほったらかしにしたのは他ならぬ 私だ。

 もしも私が書いた本人でない立場でこの文章を読んだとしたら、変なところにこだわる私は、「何、何? その『ひとつ』ってなんなの?」と気になってしまうだろう・・と思う。

 なので、またいつもの寄り道です。

ラジオの英語番組で、ネイティブのアシスタントの方が言ってらしたのは、

「すごく気になるもののひとつは、最近の若い人たちが、例えばso excited の excitedとい
う単語を強調するために、「so exciteddddd !」のように、最後の文字を数回重ねることです。
time であれば 「timeee! 」のように。 これはメールやソーシャルネットワーキングサイト
上で発生し、次第にはびこりだしたものなのですが、ひっかかりますね。私達のころも同じ
ようなことがありましたが、いばるわけではありませんが、もっとロジカルでしたね。
so excited だったら、soooo excited ! と音と相関関係がありましたから。」

「One thing that drives me bananas is the tendency for trends to emphasize word by writing the final letter of word
several times. This pops up in text message
and social networking site. For example writing the word, excited with several
extra ds at the end of the word,like "excitedddd!" writing the word, time with several es
like "timeee" even though it doesn't make any
sense
・・・」


tendency  傾向
emphasize  強調する
pop up   突如浮上する、生まれる
make sense 意味をなす

他にも言及されていたのは、「べつに・・」としらけた感じで言い放つような英語、「Whatever・・」が、若者の口癖になっていて、少し上の年代の方たちの気に障る言葉の
ひとつなんだそうです。

国が変われども同じなんですね。
いつの時代も若者の言葉は、上の年代の苛立ちをかきたてる。

そんな若者言葉にいらだつべき側の年代の私が、「超たのしい~」とか言っているのは、
若者が言うのより何倍も始末に終えないのだろうな、と充分わかっていながら、
「だってぇ~・・。言葉はぁ~生き物だしぃ~。しょうがないじゃん~。」
と思うのである。






 
今日は水曜日なので、「やわらかい英文法」の日ですが、急遽変更して しあさっての土曜日に発表するスピーチの原稿を載せようと思います。

 以前何度か触れましたが、私は Toastmaster  English という、スピーチを主体にした英語のクラブに入っているのです。

 タイトルは、「Mother」。母、きみさんへの思いを素直に書いてみました。

 スピーチ原稿を作る時、いつも直接英語でタイプしながら書くのですが、内容がわかってからのほうが英語がわかりやすくなると思うので、まず意訳を先に載せておきます。

 細かな間違いはあると思いますが、あしからず。
あと、すご~く長い。スピーチにして7~8分。
勇気を持って読む人は、覚悟を決めてください。

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「お母さん」

遠い遠い昔 私が小学生だった頃・・そう、ちょうど今ごろの時期です。
帰宅した私に母はよく言ったものです。 「ねえ、見て。キッチンぴかぴかでょ? 今日掃除、ずっと頑張ったのよ。明日はトイレをしようかな?」

 年末の大掃除をちょっと早めに始めて、母は余裕の笑を浮かべてる。
言われた側の小学生の私は、実際あまり関心を示さなかったと思う。ま、よくいる無神経なガキだった、ということで。

 でも今では、そういったささいな日常の事柄が、母と分け合う 私の大切な思い出なのです。

 母は今、認知症などを患うお年寄りを受け入れているグループホームで生活をしています。そしてすでに 私を自分の娘とは認識できない状態なのです。
 
 みなさんがお察しの通り、私がつらい時期を通ってきたことは間違いありません。「何かおかしいぞ・・。」と気づいてから、日に日に壊れていく母をつぶさにみて来たのですから。

 まもなく私達は、危険な事件を何度も起こす母を ホームに入所させることになるのです。その後、「自分で面倒をみない。」という事実に私は悩み始めます。まるで出口のない長く暗いトンネルにいるような日々が続くのです。

 そんな私を救ってくれたのは、グループホームのスタッフの方のある言葉でした。
「きみさんは、私が内心落ち込んでいて、でも明るいふりをしていると、そのことが不思議とわかるんですよ。」 驚いたことに、母は、自分の周りにいる人達の癒しの存在となっていました。彼らの肩に腕をまわして愛情を表現していたようなのです。

 以前の母は、朗らかでおしゃべりで頼りになる人でした。
それ故に、ただ何もできずに存在するだけの母を見て、私は絶望していたのです。

 でも、それは間違っていました。意思疎通ができなくても、母はきっと違った回路で何かを感じてくれているんだとわかったのです。

 それ以来私は、今ある母をそのまま受け止め、彼女と一緒にいることを楽しむことにしました。

 去年の誕生日に母のために苺のケーキを焼きました。
一口分のケーキをスプーンで運ぶと、母は ひな鳥のように大きな口を何度も開けては嬉しそうにしてくれました。この経験が私に 古い昔のある場面を呼び起こしました。お茶碗とスプーンを両手に、必死にごはんを食べさそうと私を追い掛け回している母。

『ママ、ごめんね。私も今のママみたいにあの時ちゃんと食べればよかったと思うわ。』

ある年の母の日にあげた赤ちゃん人形を、母はすごく気に入ってくれました。
次に訪ねると、母が人形に向かって 「ちいちゃん」と何度も呼んでいたことを知らされました。「ちいちゃん 」は、私の長年の呼び名です。

『ママ・・母親にとって一番華やかなのは、幼子を育てている時よね・・。私にもわかるよ。だから、あなたにとって、ちいちゃんは、いつまでもとてもとても小さな子なのね。』

 母の症状は悪化し、今ではほとんど言葉を発しなくなりました。
会いに行くと トロンとした表情でいることも多くなりました。

 でも私はもうめげません。
わからなくたって、話しかけます。できるだけたくさんスキンシップを楽しみます。
手をなでてみたり肩をもんだり髪の毛といたり。

 そうやって行くうちに、母の表情に変化が現れるときがあるのです。明るいかわいらしい表情がよみがえる時が本当にあるのです。

『ママ・・わかっているよ。どこかで私のこと感じてくれてるんでしょ?』

 失ったものを悲しむのではなく、今ある母を大事にしていく・・・これは私が私に課した、約束です。

『ママ、ねえ、あなたの娘は前向きに生きてるでしょ? これこそが、あなたから受け継いだ、「私の宝物」なのだから。』
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Back in this season of my old days, I remember when I came home from elementary school, my mother used to tell me, " Look here, kitchen is shiny and organized, ha? I spent hours cleaning it all the way.
Tomorrow I'm gonna do bathroom maybe."
Mother seemed to be happy about going a little ahead of a big clean-up of year-end.

Actually I didn't pay much attention to what she's done for us. I was just a naive kid.

For now those kind of trifle things are my precious memory that I shared with my mother.

She now is living in the nursing home designed for seniors suffering from dementia and other handicaps.

Actually she can't recognize me as her own daughter.

As you might guess, I have been having a hard time tackling over mentally collapsing mother day by day since I noticed there was something wrong with her.

We had to decide on sending her into a nursing home after she caused not a few dangerous incidents to happen.

I began to agonize myself over the fact that I couldn't take care of her by myself and felt guilty about it.

It was like I got stuck in the dark long tunnel with no light ahead.

Then,it was the remark of the staff at nursing home that helped me get out of the darkness.

" Your mother Kimi-san was always able to sense when I was down or depressed even though I was trying to pretend to be cheerful."

To my surprise, she seemed to be very helpful to people around her by showing unspoken consideration like with her arm around their shoulders, giving some gentle pats.

Mother in my memory was a kind of a person who was cheerful, talkative and reliable. Because of that, I got all the more desperate over the fact that she's just existed without doing anything humane.

But it wasn't right.
I came to realize that there might be some different way of feeling even though she cannot communicate.

Since then, I decided to accept what she now is and enjoy her company.

On her birthday last year, I made a whole of strawberry decorated cake for her. When I took some cake on the spoon and moved it toward her mouth, she happily opened it big enough like a baby bird.

It reminded me of my old days, perhaps at age 3 or 4 when mother was trying to get me to eat meals with a spoon and a bowl in her hands, running after me.

Sorry, mother. I should have eaten properly then like you're doing it right for me.

On mother's day, I once gave her a baby doll that she seemed to be attached to. On the following visit, I was told that several times mother was calling that doll " ちいちゃん”which is the common name she used to call me before her illness.

Mother, for you being as a mother, it should be when you were taking care of helpless infants that you found your life the most gorgeous.
I know that. That's why ちいちゃん is very very small kid, right?

Her symptom got worse and now she can rarely utter a word.
Every time I visit her, she looks absent-minded.

But I would never be discouraged.

I keep talking even though she cannot understand me at all.
I enjoy physical contacts as much as possible, like rubbing her hands, shoulders and cheeks or combing her hair.

In the course of doing those kinds, she sometimes regains bright and cute expression on her face.

Mother, I do know you recognize me deep down your heart.

Focusing on what's left not on what's lost is the attitude that I promised myself to keep.

Mother, I'm your daughter who's got a positive thinking.
That's the very treasure and gift that I absolutely got from you.

END












 


 

 
 昨日参加した Toastmasters English のミーティングで、私は 「Joke master 」という役割をこなさなくてはならなかった。 

 ミーティングは、ボードメンバーを中心に それぞれのメンバーが何らかの役割を交代でこなすことで成り立っている。その役割は、その日の主な司会進行であったり、タイムキーパーであったり、ビデオ撮影であったり、7,8分前後のスピーチを行う人であったりする。

 その中に「Joke Master」という、やる前からこれは嫌だな・・と思っていた役割があったのだ。

 アメリカンジョークなんてまるで馴染みがなかったので、本屋に言って「アメリカンジョーク集」をのぞいてみたのだが、何が面白いんだかさっぱりわからない。

 英語で人を笑わせる・・これは至難の技だ。

 既成のジョークを見つけ出すことに 四方八方行き詰まりを感じ、自分の過去から何かを話すことにしたのだ。

 「へんちくりんなこと」と言ったら、やっぱ子供ネタしかないでしょ。と思い、以前何人かの友人に話して 割とうけた話を英語にしていった。

 ネイティブではない私のつたない英語なので、不自然だったり小さな間違いがあったりするでしょうが、意訳と原文をここに残しておこうと思う。

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意訳  

 今からお話しすることは、本当の話なので、このジョークセッションに適しているかどうか定かではないのですが、がんばってみますので聞いてください。

 息子が小学生の頃、学校で九九をならい始める日が来たのです。
 九九すべてを言い終わるスピードを、クラスメイトと競争していた彼が、まあ一生懸命、そしてすごい速さで九九をものにしていったのを いまでもありありと覚えています。

 そんなんですから、彼がそれを覚えきるまでに 我々家族は、しつこく繰り返される退屈なトーンの九九を これでもかというほど聞かされました。

 私がお皿を洗っていたある日のことです。九九の練習とテレビのノイズが混ざったものがいやおうなく耳に届き、私は幾分うんざりしてました。

 そのときです。突然 主人がとてつもなく変な質問を彼に向けたのです。

「じゃあ、ママは?」

「じゃあママは?って・・・なんなの一体?・・・」私には まったく彼の意図がつかめませんでした。

 不思議なことに、息子はそれを聞いてすぐに理解したようで、プッと笑い、やおら始めました。 しいちが 4 しにが 8・・・・しわ 32 しく 36、 まま40まま40 まま40!!!!

 驚いたことに娘までも彼に加わり、最後の部分を それはそれは楽しそうに繰り返したのです。 私はあまりのショックで、ただ「うそー・・・」と力なく言うのがやっとでした。

 私がちょっと冷静さを取り戻した頃、娘が落ち着いた声で続けました。

 「5x8=40を考えてみると、ママは5歳児の8倍の年齢なんだね。すっごい、ママ。なんて長く生きてるの !! 」 

 みなさんがお察しの通り、再び打ちのめされたのは言うまでもありません。


                 原文 

 I'm just wondering whether the story I'm telling from now is suitable for 「Joke session」or not, because it is a real story that's happened in the past of my daily life.

Well anyway, let me give it a try.

One of those days when my kids were in elementary school, my son started learning 九九、the multiplication tables at school.

I clearly remember how hard and rapidly he could learn them by heart since he was competing with several classmates in the speed of reciting all the way through 九九 tables.

So before he mastered them completely, we had to put up with sort of endless boring tone of them all the time.

One day I was doing dishes hearing the irritating mixture sound of 九九 and television. All of sudden my husband made such a strange question toward him.

" How about Mama ? "

How about Mama?・・・what on earth is that? I thought to myself.
I could hardly get the point of his question at all.

Oddly enough, my son seemed to have got it right away.
He burst out laughing and started like・・・・

 4x1 ga 4, 4x2 ga 8・・・・・・4x8 32, 4x9 36 AND ma x ma 40, mama 40,
mama 40 mama40 !!!!

Surprisingly, my daughter also joined and they chanted the very last part so happily and merrily again and again.

I was too shocked to say anything except "Uso~~~!”

 When I was just about to recover, my daughter added calmly.
"Thinking of 九九, something like 5x8= 40, you are 8 times as old as a 5-years old kid. Oh my goodness, you've already lived so~~~ long.

As all of you might guess, I was completely shuttered again.

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 笑いはそこそことれたようです。がはは と笑うより、みなさん始終微笑んで聞いてくださってました。

 これで一段落。と思っていられない。
2週間後に7~9分のスピーチをしなくてはならない。まだまだ私の試練は続きます。





 
 Wish me luck ! 

 ここ一週間くらい 送ったメールの中に何度この言葉を使っただろうか。
実は 今日 Toastmasters English Club で、聴衆を前にしての初めての英語のスピーチを終えたばかりなのだ。

 2週間前から原稿に取り組み、メンター(世話人)にアドバイスをもらったりしながら、何度も個人的にリハーサルを繰り返し、発する言葉に多少なりとも感情を移入できるまで仕上げていった。

 先週の金曜日には、ほとんど同時にトーストマスターズに入ったメンバーと二人だけのリハーサル会を家で行ったりして、(彼女はアメリカの大学院を卒業して日本に帰って来たばかり、というすごいバックグラウンドの持ち主なのです。)さながら学生に戻ったような気分。 

 本番はどうだったかというと、小さなミスはあったけど、全体的にはまあまあのできだったのではないかと。

 スピーチの内容は、愛犬ハルのエピソードを中心に それにからめて自分の思いや家族の様子を織り込みつつ、蓮池薫さん訳書の 「ハル、哲学する犬」の中の詩のさわりを訳して披露してみせたりしたのだ。

 蓮池さんの本と出逢い、その後天使のように我が家に舞い降りてきてくれた子犬に「ハル」と名づけたこと。韓国語で、ハルは「一日」という意味もあり、ハルと一緒に一日一日を大切に生きていこうと思ったことなどを簡単な英語でゆっくり話していった。

 50を過ぎてからハードルの高いことに挑戦することは、確かにきつい!
でもそういうところに自分を追い込んでいかないと、怠け者の私は何もしなくなってしまうのだ。

 金曜日から木村拓哉くんの「プライド」の再放送が始まった。
彼もまた、ハル なのだ。
ちょっと嬉しいね。再放送見てるよ。



最近私専用の物を買いました。
この 「私専用・・」というところが妙に嬉しい。

 毎日のお散歩にも持ち歩き、季節のお花に出逢っては 気ままにシャッターを押す。
そう、自分専用のデジカメなのです。

 日常的に写真を撮るようになると、これが妙にはまって至極楽しい。

 はまる・・・という独特の表現を英語にすると何が適切かなと考え、ここでちょっびりお勉強。

 It's strangely addictive.

「妙にはまっちゃって・・」

もちろん Itのかわりにいろいろいれて、応用は可能。

 ただ主語の場所には名詞しか置けないので、写真を撮る だったら 写真を撮ること のように、 動名詞にすることに注意。 take photos は taking photosに。

Taking photos is strangely addictive.

addictive は悪い意味にも使われる形容詞で、「中毒性の」「習慣性の」という意味。薬中 もこの形容詞が最適。

この派生語を使って 

I became addicted to taking photos. というのもいいかもしれない。

最近は木蓮や菜の花がとても美しいですね。

しっかり撮ってきましたよ。





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