日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
朝の公園での しんちゃんママ と ラックん&メイちゃんママ とのおしゃべりが楽しい。
しんちゃん ラスク メイちゃんは、私と仲良しなわんこで、そのママたちはもちろん彼らの
飼い主さんです。
色んな事をおしゃべりしてきたけれどまだまだお互い知らないことはたくさんあって、話の
流れの中で、三人とも親の介護経験があるという共通点が ある日見つかった。
さ、ここからは汚いこといっぱい書きます。
想像の10倍くらい汚いと思います。
なので潔癖症の人やお上品な方には受け入れがたいと思いますので、そこんところ悪しからず。
年齢が上がるにつれて話題の中に 血圧やコレステロール等の数値 飲んでいる薬の種類
とか量、かかった病気 などをユーモアを交えながら、襟元を飾っている勲章をひけらかす
ような感じで人に言う傾向があるのも ある界隈での話だが、介護経験者はその上を行っている
かもしれない。特に認知症の親を介護した人間は、同じ経験をした人としか共感しあえない。
まさに今介護中である場合は、毎日に必死でもちろんそんな余裕はないのだが、いったん
介護がちょっと遠めの過去になるや否や、当時絶望的だった事柄が懐かしさや愛おしさを伴って
蘇ってくるのだ。
介護者にとってある基準がある。
「う〇こ玉スタンダード」だ。
「家の母もせっせと作ってたわよ・・まん丸に・・」
「食べないだけマシって必死に思い込んでたけどね・・」
そして私もしっかりそこに仲間入りできるエピソードを持っている。
「家の母は作るだけでなく投げたのよ! 洗面所に・・なぜ洗面所にって思わない?」
二人が声を上げて笑う。笑ったあとに、ちょっとねぎらい合うような慈悲深い表情を
お互い浮かべてしまう。
う〇こ玉エピソードは、経験のない人に、うわっ!! 汚い!! とただ嫌悪の気持ちを
沸き上がらせてしまうことと思う。それは当たり前のことだ。
でもね、う〇こ玉はただ汚いだけではない。人間の尊厳にかかわる問題なのだ。
私だって40代くらいまでは、親っていつまでもしっかりとした様子で自分の上にいてくれて、
時には叱ってくれるような存在で居続けてくれると思ってた。
あれ? なんか違うぞ・・と思い出したのが50代。
ある時 立場が見事にくるりと逆転して、親は弱者の中の弱者となってしまった。
そして母はおかしなことを言い始め、あんなにきれい好きだったのに、見るも無残に不衛生な
おばあちゃんになってしまった。
「私は毎日髪の毛をきれいに洗ってます!」と言ってきかない母の頭は、頭皮の脂で
テカっていて ベトベトだった。
父が見かねて「お前は汚い!!臭い! 頭ちゃんと洗え!!」と怒鳴ったら
母は涙を浮かべて「ちゃんときれいに洗ってるのになんてひどいことを言うのよ!」
と怒り、テーブルの上にあった湯呑を父に投げつけた。
あ、修羅場ってこういうことなのね・・と私は動揺しつつも 心の中でそうつぶやいた
のを覚えている。
「ね、ママさん。私ね髪の毛を洗う練習をしなきゃならないのよ。だからママさんの
頭洗わせてもらってもいいかな?」と、たくさん頭をひねった結果出てきた言葉に、
母はとても軽快に「いいわよ」と言った。
シャンプーが泡立たない。
何度も何度も繰り返し洗って、白い泡がついに立った。
母の頭がきれいになった。
う〇こ玉を丸める母。 フンを転がすフンコロガシ。
古代エジプトではフンコロガシは 太陽神ケペラと神聖視され、再生や復活の象徴だった
そうだ。
何かを丸める という行為は実に尊いのだな・・と、今だから思える。
私にとって、この場所・・好きなことをとりとめなく書くことのできるこの場所がとても
ありがたく大事であることを、最近痛感した。
12月に入って私が持っているヨガクラスの食事会やお茶会が立て続けにあった。
そういう場所で私は自分のことはほとんど話さない。
聞く側に徹している。
他の皆さんは自分の推しの話をしたり、親の介護やお孫さんの話をしてくれる。
イタリアンレストランで、私の前と隣に座っていらした生徒さんお二人の推しが同じで、
今人気上昇中の男性アーティストであることがわかった。
「先生もぜひ聴いてみてください。絶対先生に合うと思う。彼がやってること先生に似てる
と思うし・・本当に素晴らしいんです!」と勧めてくれた。
でも私は、多分無理だろうなって 予感していた。
今までの経験上、大抵 大多数の人と趣味が合わない。
それを自覚してるから、敢えて人に自分はこういうものが好き って言わないようになった。
言ったら浮いちゃうのわかってるし。
あ、人気アイドルの推しは例外だけれど、人の多い所 群れること グループに所属すること
等が苦手なので、他の同担の方々からは外れてしまうと思います。
だからここに本当に好きなものを好き と書ける幸せを今しみじみと感じている。
だからってわけじゃないけど、また いいなって思った映画のこと書いちゃおう。
アマプラで配信されていた「道草」です。
地味な映画なのかもしれない。
前半ほのぼのと観ていたら、後半にかけてざらつきだして、重くなって終わった。
「自分のやりたいこと、自然であること、手が楽しめること」と、「売れる」ことのはざまで
画家の主人公がすり減っていく様子が描かれている。
手に入れてしまったものがどれだけ大事で大切であるかを、愚かな人間は見過ごしがちで
あることも この映画は教えてくれる。
どうもちょっとしたことでボタンをかけ違えてしまうのが人生のようだ。
脚本監督をされている片山亨さんを追うだけでなく、今回は撮影の深谷祐次さんも
追っている。カメラマンを追うのは初めての経験だ。
それぐらいシーンの切り取り方とか画角とかがすごく自分になじみやすくて気持ちよかった
のだ。
ね、こんなことイタリアンレストランで言ったら間違いなく変な人でしょ?
片山監督の「わかりません」も観ました。
道草 よりもっと地味な 淡々としたドキュメンタリーのような映画だった。
でも最近映画とかドラマで泣くことのなかった私が、しっかりと泣いてしまった。
売れない俳優さんのお話です。
私最近わかったの。
何にせよブルージーな要素が入っているものが好きみたい。
音楽も今ジャズピアノを習っているけど、Bluesすごく好きです。
かっこいいフレーズを真似して練習したりして自分のものにしてる。
アドリブをご機嫌に弾けるように。
最近色んな場所で私が着ている洋服を褒めてもらうことがあって嬉しい。
嬉しいのだけれど・・
いつも可愛いね・・と褒めてもらって、「ありがとう」の他に何か言うのって難しい。
ありがとう。古いものを着ているだけなんだけどね・・とある時言ってしまった。
自分としては謙遜の意味を含めて言ったつもりなんだけどマウントとも取れるよね。
だから褒められるのは嬉しいけど苦手です。
実際は古いものばかりではなく気に入ったものがあったら買ってます。
今年買ったお気に入りはパッチワークの大判ショール。
木枯らしが吹いていない日なら、コートなくてもセーターの上に羽織って十分あったか
です。
今朝 先輩のKoharaさんからラパンブルーというシクラメンが送られてきました。
「早希ちゃんに・・」と、いつも娘のことを覚えてくれていて感激です。
本当にありがとう。嬉しいです。
飾ってあるツリーの横にシクラメンが届き、我が家はすっかりクリスマス一色です。
今日はこれからピアノの先生の所へ持っていくチョコレートケーキのスポンジを
焼こうかと思ってます。
しんちゃん ラスク メイちゃんは、私と仲良しなわんこで、そのママたちはもちろん彼らの
飼い主さんです。
色んな事をおしゃべりしてきたけれどまだまだお互い知らないことはたくさんあって、話の
流れの中で、三人とも親の介護経験があるという共通点が ある日見つかった。
さ、ここからは汚いこといっぱい書きます。
想像の10倍くらい汚いと思います。
なので潔癖症の人やお上品な方には受け入れがたいと思いますので、そこんところ悪しからず。
年齢が上がるにつれて話題の中に 血圧やコレステロール等の数値 飲んでいる薬の種類
とか量、かかった病気 などをユーモアを交えながら、襟元を飾っている勲章をひけらかす
ような感じで人に言う傾向があるのも ある界隈での話だが、介護経験者はその上を行っている
かもしれない。特に認知症の親を介護した人間は、同じ経験をした人としか共感しあえない。
まさに今介護中である場合は、毎日に必死でもちろんそんな余裕はないのだが、いったん
介護がちょっと遠めの過去になるや否や、当時絶望的だった事柄が懐かしさや愛おしさを伴って
蘇ってくるのだ。
介護者にとってある基準がある。
「う〇こ玉スタンダード」だ。
「家の母もせっせと作ってたわよ・・まん丸に・・」
「食べないだけマシって必死に思い込んでたけどね・・」
そして私もしっかりそこに仲間入りできるエピソードを持っている。
「家の母は作るだけでなく投げたのよ! 洗面所に・・なぜ洗面所にって思わない?」
二人が声を上げて笑う。笑ったあとに、ちょっとねぎらい合うような慈悲深い表情を
お互い浮かべてしまう。
う〇こ玉エピソードは、経験のない人に、うわっ!! 汚い!! とただ嫌悪の気持ちを
沸き上がらせてしまうことと思う。それは当たり前のことだ。
でもね、う〇こ玉はただ汚いだけではない。人間の尊厳にかかわる問題なのだ。
私だって40代くらいまでは、親っていつまでもしっかりとした様子で自分の上にいてくれて、
時には叱ってくれるような存在で居続けてくれると思ってた。
あれ? なんか違うぞ・・と思い出したのが50代。
ある時 立場が見事にくるりと逆転して、親は弱者の中の弱者となってしまった。
そして母はおかしなことを言い始め、あんなにきれい好きだったのに、見るも無残に不衛生な
おばあちゃんになってしまった。
「私は毎日髪の毛をきれいに洗ってます!」と言ってきかない母の頭は、頭皮の脂で
テカっていて ベトベトだった。
父が見かねて「お前は汚い!!臭い! 頭ちゃんと洗え!!」と怒鳴ったら
母は涙を浮かべて「ちゃんときれいに洗ってるのになんてひどいことを言うのよ!」
と怒り、テーブルの上にあった湯呑を父に投げつけた。
あ、修羅場ってこういうことなのね・・と私は動揺しつつも 心の中でそうつぶやいた
のを覚えている。
「ね、ママさん。私ね髪の毛を洗う練習をしなきゃならないのよ。だからママさんの
頭洗わせてもらってもいいかな?」と、たくさん頭をひねった結果出てきた言葉に、
母はとても軽快に「いいわよ」と言った。
シャンプーが泡立たない。
何度も何度も繰り返し洗って、白い泡がついに立った。
母の頭がきれいになった。
う〇こ玉を丸める母。 フンを転がすフンコロガシ。
古代エジプトではフンコロガシは 太陽神ケペラと神聖視され、再生や復活の象徴だった
そうだ。
何かを丸める という行為は実に尊いのだな・・と、今だから思える。
私にとって、この場所・・好きなことをとりとめなく書くことのできるこの場所がとても
ありがたく大事であることを、最近痛感した。
12月に入って私が持っているヨガクラスの食事会やお茶会が立て続けにあった。
そういう場所で私は自分のことはほとんど話さない。
聞く側に徹している。
他の皆さんは自分の推しの話をしたり、親の介護やお孫さんの話をしてくれる。
イタリアンレストランで、私の前と隣に座っていらした生徒さんお二人の推しが同じで、
今人気上昇中の男性アーティストであることがわかった。
「先生もぜひ聴いてみてください。絶対先生に合うと思う。彼がやってること先生に似てる
と思うし・・本当に素晴らしいんです!」と勧めてくれた。
でも私は、多分無理だろうなって 予感していた。
今までの経験上、大抵 大多数の人と趣味が合わない。
それを自覚してるから、敢えて人に自分はこういうものが好き って言わないようになった。
言ったら浮いちゃうのわかってるし。
あ、人気アイドルの推しは例外だけれど、人の多い所 群れること グループに所属すること
等が苦手なので、他の同担の方々からは外れてしまうと思います。
だからここに本当に好きなものを好き と書ける幸せを今しみじみと感じている。
だからってわけじゃないけど、また いいなって思った映画のこと書いちゃおう。
アマプラで配信されていた「道草」です。
地味な映画なのかもしれない。
前半ほのぼのと観ていたら、後半にかけてざらつきだして、重くなって終わった。
「自分のやりたいこと、自然であること、手が楽しめること」と、「売れる」ことのはざまで
画家の主人公がすり減っていく様子が描かれている。
手に入れてしまったものがどれだけ大事で大切であるかを、愚かな人間は見過ごしがちで
あることも この映画は教えてくれる。
どうもちょっとしたことでボタンをかけ違えてしまうのが人生のようだ。
脚本監督をされている片山亨さんを追うだけでなく、今回は撮影の深谷祐次さんも
追っている。カメラマンを追うのは初めての経験だ。
それぐらいシーンの切り取り方とか画角とかがすごく自分になじみやすくて気持ちよかった
のだ。
ね、こんなことイタリアンレストランで言ったら間違いなく変な人でしょ?
片山監督の「わかりません」も観ました。
道草 よりもっと地味な 淡々としたドキュメンタリーのような映画だった。
でも最近映画とかドラマで泣くことのなかった私が、しっかりと泣いてしまった。
売れない俳優さんのお話です。
私最近わかったの。
何にせよブルージーな要素が入っているものが好きみたい。
音楽も今ジャズピアノを習っているけど、Bluesすごく好きです。
かっこいいフレーズを真似して練習したりして自分のものにしてる。
アドリブをご機嫌に弾けるように。
最近色んな場所で私が着ている洋服を褒めてもらうことがあって嬉しい。
嬉しいのだけれど・・
いつも可愛いね・・と褒めてもらって、「ありがとう」の他に何か言うのって難しい。
ありがとう。古いものを着ているだけなんだけどね・・とある時言ってしまった。
自分としては謙遜の意味を含めて言ったつもりなんだけどマウントとも取れるよね。
だから褒められるのは嬉しいけど苦手です。
実際は古いものばかりではなく気に入ったものがあったら買ってます。
今年買ったお気に入りはパッチワークの大判ショール。
木枯らしが吹いていない日なら、コートなくてもセーターの上に羽織って十分あったか
です。
今朝 先輩のKoharaさんからラパンブルーというシクラメンが送られてきました。
「早希ちゃんに・・」と、いつも娘のことを覚えてくれていて感激です。
本当にありがとう。嬉しいです。
飾ってあるツリーの横にシクラメンが届き、我が家はすっかりクリスマス一色です。
今日はこれからピアノの先生の所へ持っていくチョコレートケーキのスポンジを
焼こうかと思ってます。
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