日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
「神回」という言葉が苦手だった。
理由は良くわからないけど、あえて考えてみるならば、神 なんて言葉、そんなに薄っぺらく多様しちゃだめなんじゃないかと感じていたからかもしれない。
でも今日は初めてそれを使ってみようと思う。
昨日の朝の情報番組 ラヴィット は、まさに 神回 でした。
少なくとも私にとって。
この言葉で、私が毎日番組を欠かさず観ている人の印象を与えてしまう危険性があるのでしょ
うが、実の所、好きな芸人さんが出る隔週金曜日しか見ていないので、あまり信憑性がない、
ということもちゃんと言っとこ。
オープニングで、あなたの泣けるもの・・というテーマで紹介された、数々の物、映像、人物。
へそ曲がりな私は、泣ける映画とか泣けるドラマであると銘打たれたものを観て泣くことが
ない。
泣かそう泣かそう・・という作り手のもくろみが透けて見えてしまうと興ざめして泣けないのだ。
でも昨日はそんなこと関係なく、私はさめざめと泣いた。
「象の背中 旅立つ日」というアニメと歌が流れた。
天国に旅立っていく象のお父さんの、大切な家族に向けての心情が歌われたものだった。
折しも 愛犬ハルの病気が見つかり、余命の短さを覚悟しなくてはならない状況だった。
ここ数週間、こんなに人間って暗くなれるものなのか、というくらいに深い深い闇の中に、
私はいた。
ハルはこれまでずっと元気に暮らしていて、これなら20歳も夢ではないと思い始めた矢先だった。最後にこんな大きな病気になってしまって、ハルが可哀そうで仕方がなくて胸が張り裂け
そうだった。
俳優の松山ケンイチさんが、アニメと歌が流れた後、
「今を大事にしなくては と思った」というようなことを言われた。
なんでこんな悲しいことが起こるんだろう・・大切な存在を病気で奪われるのはもうたくさんだ。ハル、苦しまないかな・・大丈夫かな・・いろんな後悔や先の不安を考えてばかりだった。
でも今私は、目の前にいるハルに集中して行こうと思ってる。
ハルは起きていることの意味をも知らず、刻まれる時間をさっくりと受け入れ、淡々と生きている。大切な時間だ。少しも無駄にしたくない。
アニメの歌は、
「ぼくは きっと 日差しになって、見守っているよ 君のこと」で終わる。
私は少しだけ救われた。ハルが死んでも日差しになって私を照らしてくれるのを想像してみた。
とても温かい。
ちょっとしたゲームの中でも、本物の俳優の底力をいつも見せてくれて、松山ケンイチさん
を見ると、なんか私関係ないのに誇らしい気持ちになるのはなぜなんだろう。
そう昨日のラヴィットは、泣いたり誇らしくなったり、また泣いたり、今度は笑ったりと、
感情の振れ幅がとてつもなく大きく動かされた、まさに神回だったのです。
ハルのことを心配して今日は息子が帰って来る。
大きな心のよりどころだ。
明日は、転勤されて今は新横浜の動物病院に勤務されている、以前大変お世話になった三品先生の所に行って、ハルと一緒に最後のご挨拶に行ってくる。
先生からターミナルケアのお話も伺って来ようと思う。
生きるのは辛い って思うけど、でも生きて行きます。
理由は良くわからないけど、あえて考えてみるならば、神 なんて言葉、そんなに薄っぺらく多様しちゃだめなんじゃないかと感じていたからかもしれない。
でも今日は初めてそれを使ってみようと思う。
昨日の朝の情報番組 ラヴィット は、まさに 神回 でした。
少なくとも私にとって。
この言葉で、私が毎日番組を欠かさず観ている人の印象を与えてしまう危険性があるのでしょ
うが、実の所、好きな芸人さんが出る隔週金曜日しか見ていないので、あまり信憑性がない、
ということもちゃんと言っとこ。
オープニングで、あなたの泣けるもの・・というテーマで紹介された、数々の物、映像、人物。
へそ曲がりな私は、泣ける映画とか泣けるドラマであると銘打たれたものを観て泣くことが
ない。
泣かそう泣かそう・・という作り手のもくろみが透けて見えてしまうと興ざめして泣けないのだ。
でも昨日はそんなこと関係なく、私はさめざめと泣いた。
「象の背中 旅立つ日」というアニメと歌が流れた。
天国に旅立っていく象のお父さんの、大切な家族に向けての心情が歌われたものだった。
折しも 愛犬ハルの病気が見つかり、余命の短さを覚悟しなくてはならない状況だった。
ここ数週間、こんなに人間って暗くなれるものなのか、というくらいに深い深い闇の中に、
私はいた。
ハルはこれまでずっと元気に暮らしていて、これなら20歳も夢ではないと思い始めた矢先だった。最後にこんな大きな病気になってしまって、ハルが可哀そうで仕方がなくて胸が張り裂け
そうだった。
俳優の松山ケンイチさんが、アニメと歌が流れた後、
「今を大事にしなくては と思った」というようなことを言われた。
なんでこんな悲しいことが起こるんだろう・・大切な存在を病気で奪われるのはもうたくさんだ。ハル、苦しまないかな・・大丈夫かな・・いろんな後悔や先の不安を考えてばかりだった。
でも今私は、目の前にいるハルに集中して行こうと思ってる。
ハルは起きていることの意味をも知らず、刻まれる時間をさっくりと受け入れ、淡々と生きている。大切な時間だ。少しも無駄にしたくない。
アニメの歌は、
「ぼくは きっと 日差しになって、見守っているよ 君のこと」で終わる。
私は少しだけ救われた。ハルが死んでも日差しになって私を照らしてくれるのを想像してみた。
とても温かい。
ちょっとしたゲームの中でも、本物の俳優の底力をいつも見せてくれて、松山ケンイチさん
を見ると、なんか私関係ないのに誇らしい気持ちになるのはなぜなんだろう。
そう昨日のラヴィットは、泣いたり誇らしくなったり、また泣いたり、今度は笑ったりと、
感情の振れ幅がとてつもなく大きく動かされた、まさに神回だったのです。
ハルのことを心配して今日は息子が帰って来る。
大きな心のよりどころだ。
明日は、転勤されて今は新横浜の動物病院に勤務されている、以前大変お世話になった三品先生の所に行って、ハルと一緒に最後のご挨拶に行ってくる。
先生からターミナルケアのお話も伺って来ようと思う。
生きるのは辛い って思うけど、でも生きて行きます。
5回目のワクチンを打った。
もう二度と打ちたくないと思ったのに時間と共にぼんやりと忘れ、生真面目に打ってしまってから毎回思い出す。
あ~そうだった・・これがあったんた・・と。
私は副反応が出やすい体質なのだ。
発熱 倦怠感 頭重 関節痛・・まずこれらが翌日から1~2日私を寝たままにさせる。
食欲もなく主に水分だけで生きている時間だ。
そして熱が下がった後もふらふらと生活する。
持病のめまいがここぞとばかりに存在感を増してくるのもこの時期だ。
何もできないので、ゴロゴロしながらドラマや映画を観て暮らす。
読んでなかった本を(少しでも読めそうな時に)読む。
そうやってザッピングして何気なく3本立て続けに映画を観たら、偶然にも重いテーマのものばかりだった。
社会的弱者 モラハラ パワハラ 風俗 近親相姦 家庭内暴力 虐待 いじめ 殺人
隠れサイコパス・・・
私が観た3本の映画 「茜色に焼かれる」「愚行録」「砕け散るところをみせてあげる」は、
これらの闇を根底に構築されていた。
出てくる人たちは、過酷な運命に生身を引きずられ、ゴツゴツの運命との摩擦で流れ出た血液で
体を汚し、その血が乾く前に傷の上に傷を重ねているような生き方をしている人達ばかりだ。
それぞれの映画は結末に光を伴ったり闇のままだったりする。
私が感動するのはそんな過酷な人生を送っている人たちがもがきながら到達せざるを得なかった
あきらめと、そのあきらめの中に生まれる柔らかさだったり、それが時には人に対する優しさだったりすることだ。
これはフィクションの世界であるのだから、現実過酷な人生を送っている人たちにはそんな
余裕はない、と言われればそれまでだが、私は自分の経験上「あきらめ」と隣り合わせに
いる「柔らかさ 優しさ」を知っている。
世の人は 諦めちゃいけない あきらめるな 頑張れ と声高に言うけれど、弱い私にとって
「あきらめ」は優しく、時に私を安定させてくれる。
そして安定すると、私自身も優しくなれることがある。
「茜色に焼かれる」の主人公 田中良子の「ま、頑張りましょう・・」という口癖にも柔らかい諦めが絶えずまとわりついているように私には感じられてしまう。
ちょっと前はネットフリックスの「舞子さんちのまかないさん」を一挙にみた。
出てくる女の子たちのキラキラピカピカの若さに、眩しくて目を細めながらも心底持っていかれ
てしまうのは、私もそれだけ年を取ったということなのでしょう。
今観ている連続ドラマで一番楽しみにしているのは、
イタリアの医療ドラマ「DOC あすへのカルテ」。日曜の夜にNHKでやっている。
DOCの主人公アンドレアは、事故で現在からさかのぼって12年間の記憶を失ってしまう。
大抵は 人間て今の自分が過去の自分を悔んだりするものでしょ。
でもDOCの主人公アンドレアは逆で、過去の自分が今の自分を嫌な人間として見たりする。
12年前は何物でもなかったが、医師として熱情に燃えていて家族も大切にしていた彼。
そこからの記憶がまったくないのに、事故直前の自分は医長となりメディアで偉そうに語り、
家族も崩壊し離婚までしてしまっていた。
まるでタイムマシンに乗ってやって来たように、12年前から12年後の現在にストンと落と
されてしまったようなアンドレアが、記憶の空白を抱えながらも 目の前の新しい時代で医師
として働き始め、周りの人間との関係性を修復していく様子がとても興味深い。
あ、つよぽんの「罠の戦争」もみてるよ。
ああいう悪い人といい人がはっきりしていて、予測のつく結末に向かっていくドラマも嫌いじ
ゃない。
私の高校時代の友人オッコが一番好きそうなドラマだ。
「ゴチャゴチャと複雑で結末のはっきりしない映画とかドラマじゃなくて・・ほらちいこが
好きそうなイタリア映画とかフランス映画みたいなヤツよ・・そういうのじゃなくて、
いい人と悪い人がはっきりしていて、しっかりと成敗の結果、悪は滅びてハッピーエンドって
いうのが好きなの・・」と言われて私は大笑いしてしまった。
いや私だって嫌いじゃないって。
「ごくせん」好きで良く見てたんだ。
熱血教師ヤンクミが悪者を片っ端からやっつけるのをワクワクしてみて、その後すっきり
してたんだから。
今日はヨガクラスが一クラスあるので、その時間まで体を整えながらも またひとつ映画を
みようかなと思ってる。
最近 20代や30代の時に編んだセーターやカーディガンを好んで着ていて、ヨガの生徒さんや友人から褒められることが多くなって気をよくしている。
また編み物しようかな・・って言ったらヨガの生徒さんが編み物の本を3冊貸してくれた。
そのうちの一冊が、
二ットデザイナーの三國万里子さんの著書「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」。
三國さんのおじいさまの話が出てくる。
戦時中に体験したシベリアの寒さを万里子さんに語る場面がある。
「シベリアは寒すぎて何でも凍る。おしゃべりしても声がすぐさま凍ってその時は何にも聞こ
えない。でも春が来るとその声が溶け始めて誰もいない原っぱで話し声が聞こえはじめる」
私はこの部分が一番好きだった。何度も原っぱで話し声が溶けているのを想像した。
万里子さんはこのことを随分長く信じていて、今でも信じたい気持ち、いや半分信じている
と言っている。
子供に嘘をつくのはよくない と言われる。
でもうちのダンナもこれと似たようなことをよく子供が小さい時に言っていたっけ。
息子がダンナに聞いた。
「かっぱえびせんてさ、えび 本当に入ってるの?」
そしたらダンナがそれに答えて「エビは入ってないけどカッパは入ってるよ・・」
息子はぎょっとした顔をして、それ以降 随分とかっぱえびせんを食べない時期があった。
可笑しくてしょうがないんだけど、ちょっと後ろめたい気持ちもあって、説明しようかな
と思ったけど・・でもやめた。
息子がいつ事実を知ったのか、私にはわからない。
それとも今でもそう思ってるのかな?
もう二度と打ちたくないと思ったのに時間と共にぼんやりと忘れ、生真面目に打ってしまってから毎回思い出す。
あ~そうだった・・これがあったんた・・と。
私は副反応が出やすい体質なのだ。
発熱 倦怠感 頭重 関節痛・・まずこれらが翌日から1~2日私を寝たままにさせる。
食欲もなく主に水分だけで生きている時間だ。
そして熱が下がった後もふらふらと生活する。
持病のめまいがここぞとばかりに存在感を増してくるのもこの時期だ。
何もできないので、ゴロゴロしながらドラマや映画を観て暮らす。
読んでなかった本を(少しでも読めそうな時に)読む。
そうやってザッピングして何気なく3本立て続けに映画を観たら、偶然にも重いテーマのものばかりだった。
社会的弱者 モラハラ パワハラ 風俗 近親相姦 家庭内暴力 虐待 いじめ 殺人
隠れサイコパス・・・
私が観た3本の映画 「茜色に焼かれる」「愚行録」「砕け散るところをみせてあげる」は、
これらの闇を根底に構築されていた。
出てくる人たちは、過酷な運命に生身を引きずられ、ゴツゴツの運命との摩擦で流れ出た血液で
体を汚し、その血が乾く前に傷の上に傷を重ねているような生き方をしている人達ばかりだ。
それぞれの映画は結末に光を伴ったり闇のままだったりする。
私が感動するのはそんな過酷な人生を送っている人たちがもがきながら到達せざるを得なかった
あきらめと、そのあきらめの中に生まれる柔らかさだったり、それが時には人に対する優しさだったりすることだ。
これはフィクションの世界であるのだから、現実過酷な人生を送っている人たちにはそんな
余裕はない、と言われればそれまでだが、私は自分の経験上「あきらめ」と隣り合わせに
いる「柔らかさ 優しさ」を知っている。
世の人は 諦めちゃいけない あきらめるな 頑張れ と声高に言うけれど、弱い私にとって
「あきらめ」は優しく、時に私を安定させてくれる。
そして安定すると、私自身も優しくなれることがある。
「茜色に焼かれる」の主人公 田中良子の「ま、頑張りましょう・・」という口癖にも柔らかい諦めが絶えずまとわりついているように私には感じられてしまう。
ちょっと前はネットフリックスの「舞子さんちのまかないさん」を一挙にみた。
出てくる女の子たちのキラキラピカピカの若さに、眩しくて目を細めながらも心底持っていかれ
てしまうのは、私もそれだけ年を取ったということなのでしょう。
今観ている連続ドラマで一番楽しみにしているのは、
イタリアの医療ドラマ「DOC あすへのカルテ」。日曜の夜にNHKでやっている。
DOCの主人公アンドレアは、事故で現在からさかのぼって12年間の記憶を失ってしまう。
大抵は 人間て今の自分が過去の自分を悔んだりするものでしょ。
でもDOCの主人公アンドレアは逆で、過去の自分が今の自分を嫌な人間として見たりする。
12年前は何物でもなかったが、医師として熱情に燃えていて家族も大切にしていた彼。
そこからの記憶がまったくないのに、事故直前の自分は医長となりメディアで偉そうに語り、
家族も崩壊し離婚までしてしまっていた。
まるでタイムマシンに乗ってやって来たように、12年前から12年後の現在にストンと落と
されてしまったようなアンドレアが、記憶の空白を抱えながらも 目の前の新しい時代で医師
として働き始め、周りの人間との関係性を修復していく様子がとても興味深い。
あ、つよぽんの「罠の戦争」もみてるよ。
ああいう悪い人といい人がはっきりしていて、予測のつく結末に向かっていくドラマも嫌いじ
ゃない。
私の高校時代の友人オッコが一番好きそうなドラマだ。
「ゴチャゴチャと複雑で結末のはっきりしない映画とかドラマじゃなくて・・ほらちいこが
好きそうなイタリア映画とかフランス映画みたいなヤツよ・・そういうのじゃなくて、
いい人と悪い人がはっきりしていて、しっかりと成敗の結果、悪は滅びてハッピーエンドって
いうのが好きなの・・」と言われて私は大笑いしてしまった。
いや私だって嫌いじゃないって。
「ごくせん」好きで良く見てたんだ。
熱血教師ヤンクミが悪者を片っ端からやっつけるのをワクワクしてみて、その後すっきり
してたんだから。
今日はヨガクラスが一クラスあるので、その時間まで体を整えながらも またひとつ映画を
みようかなと思ってる。
最近 20代や30代の時に編んだセーターやカーディガンを好んで着ていて、ヨガの生徒さんや友人から褒められることが多くなって気をよくしている。
また編み物しようかな・・って言ったらヨガの生徒さんが編み物の本を3冊貸してくれた。
そのうちの一冊が、
二ットデザイナーの三國万里子さんの著書「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」。
三國さんのおじいさまの話が出てくる。
戦時中に体験したシベリアの寒さを万里子さんに語る場面がある。
「シベリアは寒すぎて何でも凍る。おしゃべりしても声がすぐさま凍ってその時は何にも聞こ
えない。でも春が来るとその声が溶け始めて誰もいない原っぱで話し声が聞こえはじめる」
私はこの部分が一番好きだった。何度も原っぱで話し声が溶けているのを想像した。
万里子さんはこのことを随分長く信じていて、今でも信じたい気持ち、いや半分信じている
と言っている。
子供に嘘をつくのはよくない と言われる。
でもうちのダンナもこれと似たようなことをよく子供が小さい時に言っていたっけ。
息子がダンナに聞いた。
「かっぱえびせんてさ、えび 本当に入ってるの?」
そしたらダンナがそれに答えて「エビは入ってないけどカッパは入ってるよ・・」
息子はぎょっとした顔をして、それ以降 随分とかっぱえびせんを食べない時期があった。
可笑しくてしょうがないんだけど、ちょっと後ろめたい気持ちもあって、説明しようかな
と思ったけど・・でもやめた。
息子がいつ事実を知ったのか、私にはわからない。
それとも今でもそう思ってるのかな?
一昨日 今年最後のヨガクラスを終え、2週間ほどの休みに突入した。
最後の方は息切れ状態で生活してたから、今すべてを終えられたこと、心底ほっとしてる。
昨日はクリスマスツリーやそれに付随するデコレーションを片づけた。
ツリーからひとつひとつオーナメントを外していくという単純作業が、いつになく楽しかった。
今日お休みなのに朝の6時台に起きたのは、朝食用のパンを作るためである。
黒胡麻25グラム白胡麻10グラムと、たっぷり入った胡麻パンを只今発酵中。
成型の時に真ん中にとろけるチーズを入れようと思ってる。
一時発酵二次発酵、焼き時間と合わせて、たっぷり2時間ちょいはかかるので、その待ち時間に
これを書き始めた。
前々回、我が家の家電が次々と壊れ、リニューアルしたことを書いたけど、その新しい物達との
生活に今なじみ始め、思いがけなくスマートで快適な生活が送れていることに満足している。
この10年のテクノロジーの進歩は家電を劇的に変えていた。
冷蔵庫もガスコンロも携帯アプリと連動して、やることがいちいちスマートなのだ。
車だって何かにぶつかりそうになったら、勝手にブレーキが効いて止まってくれる。
凄い時代になったものだ。
中でもガスコンロは私の宝物になった。
新しいコンロが来てから、私は”無水調理”に夢中になった。
ビーフシチューだってポトフだって肉じゃがだって、具材と調味料を鍋に入れ、ブルートゥースで繋がっているスマホの「自動調理」ボタンを押せば、勝手に火力を調整しながら無水調理をしてくれる。もちろん調理が終了したら「自動調理が終了しました」と伝えてくれて火を消してくれる。彼女の声も人工的過ぎず、そんなに悪くはない。
なんてお利口さんなんだろう!
スマホのアプリを検索するとあらゆるレシピが入っていて、もう私は嬉しくなってしまって
次から次へと色んなものを作ったけど、奇跡的に今の所ハズレがなくてすごく美味しい。
先週、四半世紀の付き合いで現在ヨガの生徒さんでもあるミーちゃんまこちゃん姉妹を
家に呼んでお昼を一緒に食べた。
その時も無水ビーフシチューでもてなしたら、
「お店で食べてるみたい・・いやお店よりも美味しい!」と大絶賛をもらえた。
見た目も美しいのよ。
キラキラしててスタイリッシュ。
毎日たくさん使ってはせっせと磨いている。
ありがとう、私のもとに来てくれて。ずっと一緒だよ、よろしくね。
料理ってやっぱり素敵だと思うの。
バラバラのものが合わさって一つの物に調和されるってすごいことだと思うの。
私は何かを食べる時、その産地に思いを馳せるクセがある。
ニンジンが土に埋まっている畑や、コーヒー豆を収穫しているはるか彼方の人達。
そんな遠くから来てくれた物達がお鍋の中でひとつになる。
シンプルな焼き芋も、付属のココットプレートにのせてグリルを使えばあめ色に出来上がる。
私の主婦としてのお料理人生・・ここで新しいフェイズにはいりました。
今日はね、渋谷に出かけようかと思ってる。
ヒカリエで開催されている元スマップの慎君の個展を観に。
私の推し生活の原点は、26年前から何年間か(5年以上はあると思う)続いたスマップが始まり
だと言える。
その頃の私は若かったので、本人に会いに行く以外は色んなことをしていた。
ファンレターも週一くらいで書いたし、しかも尋常な長さではなくて、いつも便箋にびっしり
3,4枚書いていたんじゃないかな。
手作りの物を作っては送ってみたり(今思えばありがた迷惑だったかもね・・ごめんね・・)
とにかく頻度が半端じゃなかった。
ヒロ君 たくや君 ごろちゃん つよポン 慎くん・・と私は親しみを込めて呼んでいた。
彼らのおかげで、私の超忙しい子育て時代をサバイブできたと言っても過言ではない。
当時も慎君の画には魅了されていて、すごいなって思ってた。
個展なんてすごいね。あ、でも今日やってるのかな?調べてから行きます。
帽子が一番似合うヒロ君には手編みで帽子を送ったことがある。
かぶってくれたのかどうかはわからないけど・・・今はゆっくり休んでほしい。
そして 今まで見えてなかったものを見た新しいヒロくんが、話す言葉を聞きたいです。
最後の方は息切れ状態で生活してたから、今すべてを終えられたこと、心底ほっとしてる。
昨日はクリスマスツリーやそれに付随するデコレーションを片づけた。
ツリーからひとつひとつオーナメントを外していくという単純作業が、いつになく楽しかった。
今日お休みなのに朝の6時台に起きたのは、朝食用のパンを作るためである。
黒胡麻25グラム白胡麻10グラムと、たっぷり入った胡麻パンを只今発酵中。
成型の時に真ん中にとろけるチーズを入れようと思ってる。
一時発酵二次発酵、焼き時間と合わせて、たっぷり2時間ちょいはかかるので、その待ち時間に
これを書き始めた。
前々回、我が家の家電が次々と壊れ、リニューアルしたことを書いたけど、その新しい物達との
生活に今なじみ始め、思いがけなくスマートで快適な生活が送れていることに満足している。
この10年のテクノロジーの進歩は家電を劇的に変えていた。
冷蔵庫もガスコンロも携帯アプリと連動して、やることがいちいちスマートなのだ。
車だって何かにぶつかりそうになったら、勝手にブレーキが効いて止まってくれる。
凄い時代になったものだ。
中でもガスコンロは私の宝物になった。
新しいコンロが来てから、私は”無水調理”に夢中になった。
ビーフシチューだってポトフだって肉じゃがだって、具材と調味料を鍋に入れ、ブルートゥースで繋がっているスマホの「自動調理」ボタンを押せば、勝手に火力を調整しながら無水調理をしてくれる。もちろん調理が終了したら「自動調理が終了しました」と伝えてくれて火を消してくれる。彼女の声も人工的過ぎず、そんなに悪くはない。
なんてお利口さんなんだろう!
スマホのアプリを検索するとあらゆるレシピが入っていて、もう私は嬉しくなってしまって
次から次へと色んなものを作ったけど、奇跡的に今の所ハズレがなくてすごく美味しい。
先週、四半世紀の付き合いで現在ヨガの生徒さんでもあるミーちゃんまこちゃん姉妹を
家に呼んでお昼を一緒に食べた。
その時も無水ビーフシチューでもてなしたら、
「お店で食べてるみたい・・いやお店よりも美味しい!」と大絶賛をもらえた。
見た目も美しいのよ。
キラキラしててスタイリッシュ。
毎日たくさん使ってはせっせと磨いている。
ありがとう、私のもとに来てくれて。ずっと一緒だよ、よろしくね。
料理ってやっぱり素敵だと思うの。
バラバラのものが合わさって一つの物に調和されるってすごいことだと思うの。
私は何かを食べる時、その産地に思いを馳せるクセがある。
ニンジンが土に埋まっている畑や、コーヒー豆を収穫しているはるか彼方の人達。
そんな遠くから来てくれた物達がお鍋の中でひとつになる。
シンプルな焼き芋も、付属のココットプレートにのせてグリルを使えばあめ色に出来上がる。
私の主婦としてのお料理人生・・ここで新しいフェイズにはいりました。
今日はね、渋谷に出かけようかと思ってる。
ヒカリエで開催されている元スマップの慎君の個展を観に。
私の推し生活の原点は、26年前から何年間か(5年以上はあると思う)続いたスマップが始まり
だと言える。
その頃の私は若かったので、本人に会いに行く以外は色んなことをしていた。
ファンレターも週一くらいで書いたし、しかも尋常な長さではなくて、いつも便箋にびっしり
3,4枚書いていたんじゃないかな。
手作りの物を作っては送ってみたり(今思えばありがた迷惑だったかもね・・ごめんね・・)
とにかく頻度が半端じゃなかった。
ヒロ君 たくや君 ごろちゃん つよポン 慎くん・・と私は親しみを込めて呼んでいた。
彼らのおかげで、私の超忙しい子育て時代をサバイブできたと言っても過言ではない。
当時も慎君の画には魅了されていて、すごいなって思ってた。
個展なんてすごいね。あ、でも今日やってるのかな?調べてから行きます。
帽子が一番似合うヒロ君には手編みで帽子を送ったことがある。
かぶってくれたのかどうかはわからないけど・・・今はゆっくり休んでほしい。
そして 今まで見えてなかったものを見た新しいヒロくんが、話す言葉を聞きたいです。
ずっと自分と一緒に居るので、自分の変化に気づくのは案外難しいことなのかもしれない。
だから最近自分の変化を自覚できたってことは、その変化が気付くのに十分な程はっきり大きなものなんだろう と思う。
昔に比べて、はっきりと 苦手 嫌 ってことが増えているのかもしれない。
今私の一番苦手なことは、あせったりあせらされたりすることである。
自分だけでなく、焦っている人を見るのも嫌いだ。ひとつ付け加えておくと、忙しくしている人
でもあせってなければ大丈夫。
若い時はせっかちだったのに、自分でも よく言うよ とは思う。
今の私は、焦る必要のないように、以前よりずっと余裕を持って時間を使うようになってきて
いる。今の私の暮らしの形態が、そんな時間の使い方をゆるしてくれているからできる事だとは思うけど。
あと、今は競争が嫌い。
人と競ることが大の苦手。
若い時は幾分負けず嫌いの所もあったと思う。
競争するくらいなら相手にゆずる方が楽。
人より少しだけ負けて少しだけ損をするような生き方が自分にとって一番心地いいことを学んだ。
だからなの。推しのライブチケット争奪戦とかとことん無理で。完璧あきらめムード。
ごめん・・って言いたくなるほどに。
あ、でも先週の土曜日、青木柚君の映画「はだかのゆめ」の舞台挨拶に行けたんだ。
3日前にオンライン予約をした。
満席に近い状態だったけど、わずかながら空いている席があってチケットが取れた。ラッキー。
そう、私は普通の時間の流れで普通に予約が取れて行ける所にしか行けないのだ。
でも柚君もこれが最後かもしれないな・・人気が出るのは喜ぶことだしね。
日曜日には大学時代の先輩 H夫妻が、娘にお線香をあげたいと言って我が家まで来て
くれた。
H氏は7~8年前に脳梗塞になり、今は車椅子で生活をしている。
娘が病気になる前はよく4人でいろんな所に遊びに行っていた。
当時 H氏のおかげで、世の中のバリアフリーの遅々とした状況を痛感することができた。
我々だけでどこかお店に行った時でも、ここはスロープあるかな・・って探していた。
H氏の奥さんのきみちゃんが娘の遺影の前で「悲しい」と言って泣いた。
鼻をすすりながら、背中を丸くして涙を流してくれているきみちゃんを、私はなぜかほっこり
した気持ちで眺めていた。
今月はもう一回彼らに会える。
今度はH氏の家に他の友人も集まる所へ我々も参加させてもらう。
こうやって、コロナと娘を失ったことで途切れていた人達とのつながりが、徐々に復活しつつ
ある。
昨日は高校時代の友人達7人グループで横浜の三渓園に遠足に行ってきた。
紅葉が美しかった。
日記を見ると、去年の12月4日に同じメンバーで新宿御苑に紅葉を観に行っていた。
やっぱり人と会うっていい。
・・会いたいなって思う。
だから最近自分の変化を自覚できたってことは、その変化が気付くのに十分な程はっきり大きなものなんだろう と思う。
昔に比べて、はっきりと 苦手 嫌 ってことが増えているのかもしれない。
今私の一番苦手なことは、あせったりあせらされたりすることである。
自分だけでなく、焦っている人を見るのも嫌いだ。ひとつ付け加えておくと、忙しくしている人
でもあせってなければ大丈夫。
若い時はせっかちだったのに、自分でも よく言うよ とは思う。
今の私は、焦る必要のないように、以前よりずっと余裕を持って時間を使うようになってきて
いる。今の私の暮らしの形態が、そんな時間の使い方をゆるしてくれているからできる事だとは思うけど。
あと、今は競争が嫌い。
人と競ることが大の苦手。
若い時は幾分負けず嫌いの所もあったと思う。
競争するくらいなら相手にゆずる方が楽。
人より少しだけ負けて少しだけ損をするような生き方が自分にとって一番心地いいことを学んだ。
だからなの。推しのライブチケット争奪戦とかとことん無理で。完璧あきらめムード。
ごめん・・って言いたくなるほどに。
あ、でも先週の土曜日、青木柚君の映画「はだかのゆめ」の舞台挨拶に行けたんだ。
3日前にオンライン予約をした。
満席に近い状態だったけど、わずかながら空いている席があってチケットが取れた。ラッキー。
そう、私は普通の時間の流れで普通に予約が取れて行ける所にしか行けないのだ。
でも柚君もこれが最後かもしれないな・・人気が出るのは喜ぶことだしね。
日曜日には大学時代の先輩 H夫妻が、娘にお線香をあげたいと言って我が家まで来て
くれた。
H氏は7~8年前に脳梗塞になり、今は車椅子で生活をしている。
娘が病気になる前はよく4人でいろんな所に遊びに行っていた。
当時 H氏のおかげで、世の中のバリアフリーの遅々とした状況を痛感することができた。
我々だけでどこかお店に行った時でも、ここはスロープあるかな・・って探していた。
H氏の奥さんのきみちゃんが娘の遺影の前で「悲しい」と言って泣いた。
鼻をすすりながら、背中を丸くして涙を流してくれているきみちゃんを、私はなぜかほっこり
した気持ちで眺めていた。
今月はもう一回彼らに会える。
今度はH氏の家に他の友人も集まる所へ我々も参加させてもらう。
こうやって、コロナと娘を失ったことで途切れていた人達とのつながりが、徐々に復活しつつ
ある。
昨日は高校時代の友人達7人グループで横浜の三渓園に遠足に行ってきた。
紅葉が美しかった。
日記を見ると、去年の12月4日に同じメンバーで新宿御苑に紅葉を観に行っていた。
やっぱり人と会うっていい。
・・会いたいなって思う。
日常に埋もれて暮らしていると数週間なんて瞬く間に過ぎてしまって、ふと気づいたときには、
知らぬ間に過ごしていた膨大な時間の積み重ねが目の前に幻のようにそびえ立っていることに
驚くのだ。
以前から出不精で引きこもりがちであった私は、前にも増して家に居ることが好きでしょうがなくなっている。
おそらくそれは17歳になった愛犬ハルとの限られた時間を、掌にそおっとのっけては頬ずりす
るように、宝物のように大切に大切にしていることも起因していると思う。
とにかく自分の家が好きで、前にも書いたように 家にある物すべてに愛情を感じている。
そうは言っても機能的に仕事をしてくれている家電などは、10年も経てば残念ながら寿命が来てしまうというものだ。
我が家ではまず13年間だましだまし使っていた冷蔵庫が突然機能しなくなった。
冷凍庫の物は溶け始め、買ったばかりのアイス チョコバッキーが見る間に形を失い、水分と
化した。こんなことなら我慢しないで一回に2個も3個も食べときゃよかった、と本気で
思った。
そんな呑気なことを思えたのも束の間、意識を切り替え、冷凍してあった肉類を無駄にしないよう台所に半日以上立ち続け、これでもかって程料理した。
その夜ヤマダ電機に行って翌日には新しい冷蔵庫を配達してもらい、安堵する。
冷蔵庫の次は食洗器、そしてガスコンロ、挙句の果ては車・・と、十数年お世話になって来た
物達との別れと新たな物達との出会いが クロスオーバーする。
例えば車。今から十数年後って私生きているのかな? 生きていたとしてももう免許を返還する
頃だろう・・ 明らかにこの車が人生最後の車になる。
そう思うと感慨深い。最期まで仲良く行こうね・・って車や冷蔵庫に話しかけてしまう。
話しかけるだけでなく、細かくメンテや掃除をしようと思う。
自分自身の老体にも同じように思っている。
さよならするまで「丁寧に」「大切に」「愛情深く」・・・こんな妙なことを思って過ごして
いたら日にちが経ってしまっていたのだ。
11月12月は友人が遊びに来てくれたり、遊びに行ったり、友人が出演するライブに行ったりと、私にしては珍しく 人と会う機会が目白押しだ。
12月に入ってすぐ、高校時代の友人グループの遠足がある。
今回は私が幹事を引き受けた。横浜の三渓園に紅葉を観に行く。
あのね、現実が忙しくたって忘れたわけじゃない。ただどうしていいのかわからないだけ。
学生時代の後輩のリカから昨日手紙が来た。文通が始まったみたいで嬉しい。
この時代だからこそ、文通はいいのかもしれない。心があたたまる。
リカとの再会も実現しそうです。
何にも面白いことは浮かばない。
ただ淡々と生きてます。
でも落ち着いていて平和です。
知らぬ間に過ごしていた膨大な時間の積み重ねが目の前に幻のようにそびえ立っていることに
驚くのだ。
以前から出不精で引きこもりがちであった私は、前にも増して家に居ることが好きでしょうがなくなっている。
おそらくそれは17歳になった愛犬ハルとの限られた時間を、掌にそおっとのっけては頬ずりす
るように、宝物のように大切に大切にしていることも起因していると思う。
とにかく自分の家が好きで、前にも書いたように 家にある物すべてに愛情を感じている。
そうは言っても機能的に仕事をしてくれている家電などは、10年も経てば残念ながら寿命が来てしまうというものだ。
我が家ではまず13年間だましだまし使っていた冷蔵庫が突然機能しなくなった。
冷凍庫の物は溶け始め、買ったばかりのアイス チョコバッキーが見る間に形を失い、水分と
化した。こんなことなら我慢しないで一回に2個も3個も食べときゃよかった、と本気で
思った。
そんな呑気なことを思えたのも束の間、意識を切り替え、冷凍してあった肉類を無駄にしないよう台所に半日以上立ち続け、これでもかって程料理した。
その夜ヤマダ電機に行って翌日には新しい冷蔵庫を配達してもらい、安堵する。
冷蔵庫の次は食洗器、そしてガスコンロ、挙句の果ては車・・と、十数年お世話になって来た
物達との別れと新たな物達との出会いが クロスオーバーする。
例えば車。今から十数年後って私生きているのかな? 生きていたとしてももう免許を返還する
頃だろう・・ 明らかにこの車が人生最後の車になる。
そう思うと感慨深い。最期まで仲良く行こうね・・って車や冷蔵庫に話しかけてしまう。
話しかけるだけでなく、細かくメンテや掃除をしようと思う。
自分自身の老体にも同じように思っている。
さよならするまで「丁寧に」「大切に」「愛情深く」・・・こんな妙なことを思って過ごして
いたら日にちが経ってしまっていたのだ。
11月12月は友人が遊びに来てくれたり、遊びに行ったり、友人が出演するライブに行ったりと、私にしては珍しく 人と会う機会が目白押しだ。
12月に入ってすぐ、高校時代の友人グループの遠足がある。
今回は私が幹事を引き受けた。横浜の三渓園に紅葉を観に行く。
あのね、現実が忙しくたって忘れたわけじゃない。ただどうしていいのかわからないだけ。
学生時代の後輩のリカから昨日手紙が来た。文通が始まったみたいで嬉しい。
この時代だからこそ、文通はいいのかもしれない。心があたたまる。
リカとの再会も実現しそうです。
何にも面白いことは浮かばない。
ただ淡々と生きてます。
でも落ち着いていて平和です。
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