日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
赤いトマト 紫のナス 緑のインゲン。
夏野菜が大好きで、特にトマトはこの時期欠かさず朝食に並べる。
一年中出回ってはいるけれど、旬のトマトは味のしまりと濃さが違う。
色味の鮮やかさも 夏野菜を好きな理由。
献立を考える時も、他の季節よりも色のコントラストを考えてると思う。
赤や黄色のパプリカ。ナスにインゲンにオクラ。 ミョウガと鶏肉。
高温の、少し多めの油にくぐらすほどの炒め揚げで、色の鮮やかさにつややかさが加わる。
その揚げたてを、調合しておいた甘辛いつゆにジュッと漬ける。
つゆにはピリッと豆板醤も入っている。ご飯がすすむおかず、一皿の出来上がり!
これ・・ダイエット中の人が書いてはいけない文章だった。
食欲があるというのは元気な証拠。
でもできることなら常に私は「団子より花」寄りでありたいな と思う。
今週は畑をやっているヨガの生徒さんやお友達から、採れたてのお野菜をたくさんいただいた
ので、上のような書き出しになってしまったけれど、実はお野菜だけでなく美しいお花もいた
だいていた。
ピンクの百合の花です。
頂いた時は20個くらいの硬いつぼみのうち、ひとつふたつがふっくらと先端を緩ませて、開い
た時はこんな素敵な色ですよ・・と見本のように淡いピンク色をのぞかせてくれていた。
それが今ではすべての花が狂おしいばかりの存在感で、ピンク色の花弁を大きく広げている。
この百合の存在で、今視覚だけでなく嗅覚も大方持っていかれている。
強烈な百合の香りは、時々私の嗅覚を完璧に占領する。
娘のために知り合いの花畑から取り寄せてくれた友人がこの百合をくださる時、
「彼女の育てた百合はつぼみすべて開き切るよ。よくつぼみのまま硬くしなびて枯れちゃうこと
あるでしょ?ないのよ、それは・・絶対に」と自信満々だったけど、あの自信は事実に裏付けさ
れていたのだ。
「どうしてあんなに見事に咲き切るの?」という単純バカな私の質問に、
「丹精の込め方がちがうのよ・・」という友人の答えに、深く納得した。
ハルが16歳になり、誕生日にダンナが新しいキャリーバッグを買ってあげていたので、私は
逆に何か実用的ではないものを探していたら ある物に行き当たった。
「にんじん収穫」というフェルトでできたおもちゃです。
説明するのに何行もかかりそうなので写真を見て納得してください。
最初、突然我が家にやって来たこのニューフェイスを遠めに見ていたハルも、いったんその
システムを理解するや否や、プロ並みのニンジン収穫者へと見事な変身を遂げてくれた。
ハルがおもちゃのにんじんくわえているの、本当に可愛くて。
にんじんのおもちゃきっかけで、食べ物→花→食べ物 のように、もう一度「花」から「団子」
に話を戻させてもらえば・・
このブログに随分と昔にスイカバーのことを書いたのを思い出したのは、テレビの情報番組で
今年のスイカバーがフィーチャーされていたからだ。
今年のスイカバーは種に見立ててある粒チョコの量がいつもよりもずっと多いんですって!
そのバージョンはコンビニでしか手に入らないって言ってた。
これを聞いたからと言って、すぐにコンビニに走るようなことを私はしない。
いつ買おうかな、って毎日楽しみにしてる。一週間位我慢したから今日コンビニ行ってみよう
かな。
Tver観てて、ある番組の来週のゲストがシークレットゲストらしくて予告で顔が隠されて
いた。わかっちゃうよ。キューちゃん・・って甲高い声で言う人、バカアーサナをする人なんて
あの人しかいない。
バカアサナは、顔をどんと床にぶつけてしまうんじゃないかってくらい徐々に前のめりにし
ていくと、絶対どこかでバランス取れる所があるのよ。
私も最近特にヨガに助けられている。
最近気に入っている集中の仕方は・・これよく準備段階で足のツボを押してもらっている時に
生徒さんに言うことなんだけど
「押している方の能動的な指の感覚だけでなく、押されている方の足の裏の感覚にも意識を研ぎ
澄まして味わってね・・」
この両方の感覚を意識すると、自然と集中力がたかまって自分の世界に入りやすくなるの。
この感覚広げていくと色々なところで楽しめるのよ。
公園にいててもね・・・・って、なんか精神的な方に行きすぎなのでまたにします。
私はね、ここ数か月まったくお金を使わなかったのに、ちょっぴり元気になったら、もういらないって豪語してた洋服を、昨日3万円分くらいネットで注文した。
生きていくのに ”欲” は大事な要素なのかな。なくても生きていけると思うけど。
もう買ってしまったので、すっきり生きていくためにも買った分は古いの捨てて行こう。
今日は雨が上がってお散歩できそう。
夏野菜が大好きで、特にトマトはこの時期欠かさず朝食に並べる。
一年中出回ってはいるけれど、旬のトマトは味のしまりと濃さが違う。
色味の鮮やかさも 夏野菜を好きな理由。
献立を考える時も、他の季節よりも色のコントラストを考えてると思う。
赤や黄色のパプリカ。ナスにインゲンにオクラ。 ミョウガと鶏肉。
高温の、少し多めの油にくぐらすほどの炒め揚げで、色の鮮やかさにつややかさが加わる。
その揚げたてを、調合しておいた甘辛いつゆにジュッと漬ける。
つゆにはピリッと豆板醤も入っている。ご飯がすすむおかず、一皿の出来上がり!
これ・・ダイエット中の人が書いてはいけない文章だった。
食欲があるというのは元気な証拠。
でもできることなら常に私は「団子より花」寄りでありたいな と思う。
今週は畑をやっているヨガの生徒さんやお友達から、採れたてのお野菜をたくさんいただいた
ので、上のような書き出しになってしまったけれど、実はお野菜だけでなく美しいお花もいた
だいていた。
ピンクの百合の花です。
頂いた時は20個くらいの硬いつぼみのうち、ひとつふたつがふっくらと先端を緩ませて、開い
た時はこんな素敵な色ですよ・・と見本のように淡いピンク色をのぞかせてくれていた。
それが今ではすべての花が狂おしいばかりの存在感で、ピンク色の花弁を大きく広げている。
この百合の存在で、今視覚だけでなく嗅覚も大方持っていかれている。
強烈な百合の香りは、時々私の嗅覚を完璧に占領する。
娘のために知り合いの花畑から取り寄せてくれた友人がこの百合をくださる時、
「彼女の育てた百合はつぼみすべて開き切るよ。よくつぼみのまま硬くしなびて枯れちゃうこと
あるでしょ?ないのよ、それは・・絶対に」と自信満々だったけど、あの自信は事実に裏付けさ
れていたのだ。
「どうしてあんなに見事に咲き切るの?」という単純バカな私の質問に、
「丹精の込め方がちがうのよ・・」という友人の答えに、深く納得した。
ハルが16歳になり、誕生日にダンナが新しいキャリーバッグを買ってあげていたので、私は
逆に何か実用的ではないものを探していたら ある物に行き当たった。
「にんじん収穫」というフェルトでできたおもちゃです。
説明するのに何行もかかりそうなので写真を見て納得してください。
最初、突然我が家にやって来たこのニューフェイスを遠めに見ていたハルも、いったんその
システムを理解するや否や、プロ並みのニンジン収穫者へと見事な変身を遂げてくれた。
ハルがおもちゃのにんじんくわえているの、本当に可愛くて。
にんじんのおもちゃきっかけで、食べ物→花→食べ物 のように、もう一度「花」から「団子」
に話を戻させてもらえば・・
このブログに随分と昔にスイカバーのことを書いたのを思い出したのは、テレビの情報番組で
今年のスイカバーがフィーチャーされていたからだ。
今年のスイカバーは種に見立ててある粒チョコの量がいつもよりもずっと多いんですって!
そのバージョンはコンビニでしか手に入らないって言ってた。
これを聞いたからと言って、すぐにコンビニに走るようなことを私はしない。
いつ買おうかな、って毎日楽しみにしてる。一週間位我慢したから今日コンビニ行ってみよう
かな。
Tver観てて、ある番組の来週のゲストがシークレットゲストらしくて予告で顔が隠されて
いた。わかっちゃうよ。キューちゃん・・って甲高い声で言う人、バカアーサナをする人なんて
あの人しかいない。
バカアサナは、顔をどんと床にぶつけてしまうんじゃないかってくらい徐々に前のめりにし
ていくと、絶対どこかでバランス取れる所があるのよ。
私も最近特にヨガに助けられている。
最近気に入っている集中の仕方は・・これよく準備段階で足のツボを押してもらっている時に
生徒さんに言うことなんだけど
「押している方の能動的な指の感覚だけでなく、押されている方の足の裏の感覚にも意識を研ぎ
澄まして味わってね・・」
この両方の感覚を意識すると、自然と集中力がたかまって自分の世界に入りやすくなるの。
この感覚広げていくと色々なところで楽しめるのよ。
公園にいててもね・・・・って、なんか精神的な方に行きすぎなのでまたにします。
私はね、ここ数か月まったくお金を使わなかったのに、ちょっぴり元気になったら、もういらないって豪語してた洋服を、昨日3万円分くらいネットで注文した。
生きていくのに ”欲” は大事な要素なのかな。なくても生きていけると思うけど。
もう買ってしまったので、すっきり生きていくためにも買った分は古いの捨てて行こう。
今日は雨が上がってお散歩できそう。
何きっかけで 停滞していた状況が再び動き出すかわからないものだ。
きっかけはダイエットだった。
体重を減らす、という些細であるけれども一応「目標」と呼べるものを手にした私は、まずは
うつむき加減の視線を上げて辺りを見回し始めることになった。
そうやって頭をゆっくりと左右に振りながら、引っ掛かりのある角度で動きを止め、その都度
その方向へと視線を集中させてはそれに見合う小さな行動を起こすことができるようになっていった。
自然の寛容さに自分自身をあずけてしまうことが何とまあ心地の良いものか・・それを教えてく
れたのは早朝散歩で、それを皮切りに私の行動は少しずつ広がっていった。
食べ物を工夫してみる。
ヨガの動きを使ったダイエットプログラムを毎日こなしてみる。
何でもないことの積み重ねが日一日私を元気にさせてくれた。
「死」にあこがれ続け、それがあたかも目標のようになってしまっていたどん底状態から、
「痩せたい」という俗っぽさの代表みたいな思いが、私を通常世界に連れ戻してくれたのだ。
食べ物は肉でも揚げ物でも何でも食べるけど、中心は 高野豆腐 こんにゃく 昆布 ニンジン
等を薄味のお出汁で似たもの + あずきと玄米のおかゆ です。
ヨガはねじりのポーズと、パワー系中心・・汗だく必至の大きな筋肉全部動かせるフローを組み
合わせて、自宅でコツコツと1時間くらい励んでます。
体重変化は目標のマイナス5キロの約半分、2キロ少しのところまで何とか到達した。
でもここからが大変なのかもね。
昨日も今日も雨ふりで行けなくて残念だけど、早朝散歩はホント、癖になる程気持ちいい。
公園に到着したところで、いつも少しの時間休憩を入れることにしてる。
大木の木陰に 一メートル四方の正方形の板の、四隅下に、丸太の足を取り付けただけの低い
ベンチがある。そこに腰かけてボーっとして10分くらい過ごす。
私が森を、いや宇宙を感じる時間なのです。
これが不思議で、最初は森の中にいる自分を意識できていて・・でも目をつぶるでしょ?
そしたらどんどん空間が広がって行くのよ。
丸い地球の上にいる ポツン の私・・でもそれはまだ序の口で。
もっともっとぐ~んと広がって、広大な宇宙の中のわずかな「点」となった私は、宇宙の塵を
吸い込むように 体全体を大きく膨らませる。
これに似た感覚を もうひとつ私は知っている。
娘の高校時代の仲良し3人組がお見舞い時にジェラートピケのパジャマをくれて、娘はそれを
亡くなる時まで愛用していたのね。
それを形見として譲り受けた私。
かつて娘の身体を包んでいたパジャマを今私が着ている。
私が毎日マッサージを施していた彼女の腕、足、指 爪 髪の毛 ゆっくり動く唇。
若々しい肌。
今はもう消えてしまったけれど、私の目が、私の手が、すべてを鮮明に覚えている。
その哀しい愛すべき記憶と共に 彼女のパジャマを私がまとう。
柔らかい布地の中にいて、娘をつぶさに感じながら、私はどんどん小さくなっていく。
気が付くと娘の身体の内側に、息をひそめた小さな私がいる。
娘の体温を、娘の鼓動を、しんみりと感じている小さな私。
やがて 別物だった私のかすかな鼓動が、娘のそれとシンクロし始める。
一ミリの隙間もない一体感。
この時も 広大な宇宙にただ2人いるような そんな感じがしている。
ハルは甘えん坊だ。
最近特に私への要求が多い。
マッサージチェアーの上で寝たいから乗っけてくれ とか 早くおやつ、早くご飯、早く
散歩、お腹をなでて・・ のように結構な頻度で甘え声を出してくる。
この声を聴くと、私はどんなに他のことに集中していてもそのことから一度抜け出て対応して
しまう。瞑想してても膝の上にある人の手をペロペロ舐めて邪魔をする。
「不細工可愛い」が「ぶさかわ」ならば、ハルは完ぺきな「煩わしい可愛い」の「わずかわ」
です。あ、煩わしい愛おしい の方がもっとぴったりくるかな。
子供たちが「煩わしい愛おしい」だった時代が懐かしい。
私の首回りや足に絡みつく小さな腕、甘酸っぱい匂い。
面倒くさくて煩わしいけど 否が応でもそこに向いてしまう可愛さって 幸せだったのね。
今はそのかけがえのなさをわかっているから、ついハルを甘やかしてしまう。
そのハルも今月6日で16歳です。
今日も今日とて私の足の間でまどろんでいます。
この調子で元気になったら、いつか音楽ライブとか寄席とかお笑いライブとか演劇とか観に
行けるようになるかもしれない。
ほんの少しだけ灯りが見えてきた。
きっかけはダイエットだった。
体重を減らす、という些細であるけれども一応「目標」と呼べるものを手にした私は、まずは
うつむき加減の視線を上げて辺りを見回し始めることになった。
そうやって頭をゆっくりと左右に振りながら、引っ掛かりのある角度で動きを止め、その都度
その方向へと視線を集中させてはそれに見合う小さな行動を起こすことができるようになっていった。
自然の寛容さに自分自身をあずけてしまうことが何とまあ心地の良いものか・・それを教えてく
れたのは早朝散歩で、それを皮切りに私の行動は少しずつ広がっていった。
食べ物を工夫してみる。
ヨガの動きを使ったダイエットプログラムを毎日こなしてみる。
何でもないことの積み重ねが日一日私を元気にさせてくれた。
「死」にあこがれ続け、それがあたかも目標のようになってしまっていたどん底状態から、
「痩せたい」という俗っぽさの代表みたいな思いが、私を通常世界に連れ戻してくれたのだ。
食べ物は肉でも揚げ物でも何でも食べるけど、中心は 高野豆腐 こんにゃく 昆布 ニンジン
等を薄味のお出汁で似たもの + あずきと玄米のおかゆ です。
ヨガはねじりのポーズと、パワー系中心・・汗だく必至の大きな筋肉全部動かせるフローを組み
合わせて、自宅でコツコツと1時間くらい励んでます。
体重変化は目標のマイナス5キロの約半分、2キロ少しのところまで何とか到達した。
でもここからが大変なのかもね。
昨日も今日も雨ふりで行けなくて残念だけど、早朝散歩はホント、癖になる程気持ちいい。
公園に到着したところで、いつも少しの時間休憩を入れることにしてる。
大木の木陰に 一メートル四方の正方形の板の、四隅下に、丸太の足を取り付けただけの低い
ベンチがある。そこに腰かけてボーっとして10分くらい過ごす。
私が森を、いや宇宙を感じる時間なのです。
これが不思議で、最初は森の中にいる自分を意識できていて・・でも目をつぶるでしょ?
そしたらどんどん空間が広がって行くのよ。
丸い地球の上にいる ポツン の私・・でもそれはまだ序の口で。
もっともっとぐ~んと広がって、広大な宇宙の中のわずかな「点」となった私は、宇宙の塵を
吸い込むように 体全体を大きく膨らませる。
これに似た感覚を もうひとつ私は知っている。
娘の高校時代の仲良し3人組がお見舞い時にジェラートピケのパジャマをくれて、娘はそれを
亡くなる時まで愛用していたのね。
それを形見として譲り受けた私。
かつて娘の身体を包んでいたパジャマを今私が着ている。
私が毎日マッサージを施していた彼女の腕、足、指 爪 髪の毛 ゆっくり動く唇。
若々しい肌。
今はもう消えてしまったけれど、私の目が、私の手が、すべてを鮮明に覚えている。
その哀しい愛すべき記憶と共に 彼女のパジャマを私がまとう。
柔らかい布地の中にいて、娘をつぶさに感じながら、私はどんどん小さくなっていく。
気が付くと娘の身体の内側に、息をひそめた小さな私がいる。
娘の体温を、娘の鼓動を、しんみりと感じている小さな私。
やがて 別物だった私のかすかな鼓動が、娘のそれとシンクロし始める。
一ミリの隙間もない一体感。
この時も 広大な宇宙にただ2人いるような そんな感じがしている。
ハルは甘えん坊だ。
最近特に私への要求が多い。
マッサージチェアーの上で寝たいから乗っけてくれ とか 早くおやつ、早くご飯、早く
散歩、お腹をなでて・・ のように結構な頻度で甘え声を出してくる。
この声を聴くと、私はどんなに他のことに集中していてもそのことから一度抜け出て対応して
しまう。瞑想してても膝の上にある人の手をペロペロ舐めて邪魔をする。
「不細工可愛い」が「ぶさかわ」ならば、ハルは完ぺきな「煩わしい可愛い」の「わずかわ」
です。あ、煩わしい愛おしい の方がもっとぴったりくるかな。
子供たちが「煩わしい愛おしい」だった時代が懐かしい。
私の首回りや足に絡みつく小さな腕、甘酸っぱい匂い。
面倒くさくて煩わしいけど 否が応でもそこに向いてしまう可愛さって 幸せだったのね。
今はそのかけがえのなさをわかっているから、ついハルを甘やかしてしまう。
そのハルも今月6日で16歳です。
今日も今日とて私の足の間でまどろんでいます。
この調子で元気になったら、いつか音楽ライブとか寄席とかお笑いライブとか演劇とか観に
行けるようになるかもしれない。
ほんの少しだけ灯りが見えてきた。
ダイエットを決意してから 順調に事が進んでいると思う。
もちろんまだ2週間目なのだから、先々どっちに転ぶかわからない。
今の所、雨がひどく降らない限り毎朝散歩に繰り出し、万歩計はその都度約4千歩を指し示す。
お決まりの散歩コースは、私の好みに合わせて決めたもので、「行きはよいよい 帰りは恐い」の典型コースです。帰りは というよりも、最後の最後に すごいのが待ってる。
前半、長く緩やかな20分ほどの下り坂のぐるりを終えた所で、あの大好きな公園に到着する。
公園に一歩足を踏み入れると、視界も皮膚感覚も冴え冴えとして、世界ががらりと変わる。
遊歩道を進みながら森林浴に身をゆだね、おのずと呼吸がゆっくりと深まっていく。
そんな安静とくつろぎの中でさえ、私たちは頭のどこかで最後の関門を意識し始めてしまう。
天国のような公園と対比すれば「下界」のような我がマンションなのに・・矛盾もいいとこで、
実際マンションは 公園のひと山上、「上界」にある。
公園遊歩道左側、「ちょうちょう橋」を左折すると、目の前に小山がいくつかそびえ立ち、その
山腹には木の幹が一段一段埋め込められた階段が、外科手術の痕のように規則的に並んでいる。
マンションの敷地直通の出口に出るためには、そこから140段の急な階段を昇らなければなら
ないのだ。
息を切らせて140段目を終えてマンション敷地にようやく出る。でもまだ試練は続く。
マンション6階にある我が家を目指し、おまけのコンクリ階段80段。
しかも5・5キロのハルくん付。
ペット連れて エレベーターに乗ってはいけないんです。
私はいったいこれまで何度ハルを抱えてこの階段を昇っただろうか。
うざいマンションのルールも案外私の健康に貢献しているのかもしれない。
このように最後の最後にこの散歩コースは心臓バクバク汗だらだら状態になるけれど、それま
での緩やかな下り坂は本当に気持ちいい。
途中小さな畑があってね、散歩コースを変えたとしても そこは昔から必ず好んで通っていた。
季節ごとに色んな野菜が青々と成長するのを観るのが楽しみで、まだ見ぬ畑の持ち主にまで
憧れたりして。
どんな人がこんな素敵な畑を作っているんだろう・・・って。
そんな私の思いが通じたのか、畑のお世話をしている最中のその女性と出会うことができたの
が数年前。あまりの嬉しさから唐突に話かけて、採れたての聖護院大根まで頂いてしまった。
その次にお会いした時、頂いた聖護院大根がどれだけおいしかったかを興奮して伝えたら、
女性がにっこり笑顔で「また持ってく?」と野菜を引き抜いて私に差し出してくださった。
その時私は即座に「いえいえ・・そんなそんな・・」と、しり込みしてしまったのだ。
その後も何度か畑のお世話をしている背中をお見かけしたけれど、声をかけそびれている。
本当は声をかけたい。できるならばお友達になりたい。畑のこと等いろいろ教えてもらいたい。
でもこれは私の片思いなんだと思う。
あの時厚かましくも、ありがとう、ってもう一度野菜を受け取れば良かったかな。
なんか超えられないラインが前にあって、その向こうへは行けない気がする。
それでも毎日、彼女の耕した畑にみずみずしい野菜がなっているのを見続けていくことは、
私の自由だ。ずっと彼女にあこがれ続けることも私の自由。
私にとって、土と近い生活をしてる人はそれだけで素敵。
鉢植えのミントがしなだれる程に葉っぱを一杯つけてくれたので、何かできないかなって考
えてたら、インスタでミントシロップのレシピを見つけた。
茎は渋みが出てしまうからなのか、葉っぱだけを使うので、面倒だけど一枚一枚手摘みをした。
摘み終わって指先を鼻に近づけたら、ぎゅっと凝縮した香りがペパーミントのエッセンシャル
オイルのような鋭さに似ていて ツンとした。
ミントシロップにレモン半分絞って炭酸で割って氷を浮かべる。
こんな爽やかな飲み物 この世に存在したんだ。
この夏、私はこれで乗り切ります。
もちろんまだ2週間目なのだから、先々どっちに転ぶかわからない。
今の所、雨がひどく降らない限り毎朝散歩に繰り出し、万歩計はその都度約4千歩を指し示す。
お決まりの散歩コースは、私の好みに合わせて決めたもので、「行きはよいよい 帰りは恐い」の典型コースです。帰りは というよりも、最後の最後に すごいのが待ってる。
前半、長く緩やかな20分ほどの下り坂のぐるりを終えた所で、あの大好きな公園に到着する。
公園に一歩足を踏み入れると、視界も皮膚感覚も冴え冴えとして、世界ががらりと変わる。
遊歩道を進みながら森林浴に身をゆだね、おのずと呼吸がゆっくりと深まっていく。
そんな安静とくつろぎの中でさえ、私たちは頭のどこかで最後の関門を意識し始めてしまう。
天国のような公園と対比すれば「下界」のような我がマンションなのに・・矛盾もいいとこで、
実際マンションは 公園のひと山上、「上界」にある。
公園遊歩道左側、「ちょうちょう橋」を左折すると、目の前に小山がいくつかそびえ立ち、その
山腹には木の幹が一段一段埋め込められた階段が、外科手術の痕のように規則的に並んでいる。
マンションの敷地直通の出口に出るためには、そこから140段の急な階段を昇らなければなら
ないのだ。
息を切らせて140段目を終えてマンション敷地にようやく出る。でもまだ試練は続く。
マンション6階にある我が家を目指し、おまけのコンクリ階段80段。
しかも5・5キロのハルくん付。
ペット連れて エレベーターに乗ってはいけないんです。
私はいったいこれまで何度ハルを抱えてこの階段を昇っただろうか。
うざいマンションのルールも案外私の健康に貢献しているのかもしれない。
このように最後の最後にこの散歩コースは心臓バクバク汗だらだら状態になるけれど、それま
での緩やかな下り坂は本当に気持ちいい。
途中小さな畑があってね、散歩コースを変えたとしても そこは昔から必ず好んで通っていた。
季節ごとに色んな野菜が青々と成長するのを観るのが楽しみで、まだ見ぬ畑の持ち主にまで
憧れたりして。
どんな人がこんな素敵な畑を作っているんだろう・・・って。
そんな私の思いが通じたのか、畑のお世話をしている最中のその女性と出会うことができたの
が数年前。あまりの嬉しさから唐突に話かけて、採れたての聖護院大根まで頂いてしまった。
その次にお会いした時、頂いた聖護院大根がどれだけおいしかったかを興奮して伝えたら、
女性がにっこり笑顔で「また持ってく?」と野菜を引き抜いて私に差し出してくださった。
その時私は即座に「いえいえ・・そんなそんな・・」と、しり込みしてしまったのだ。
その後も何度か畑のお世話をしている背中をお見かけしたけれど、声をかけそびれている。
本当は声をかけたい。できるならばお友達になりたい。畑のこと等いろいろ教えてもらいたい。
でもこれは私の片思いなんだと思う。
あの時厚かましくも、ありがとう、ってもう一度野菜を受け取れば良かったかな。
なんか超えられないラインが前にあって、その向こうへは行けない気がする。
それでも毎日、彼女の耕した畑にみずみずしい野菜がなっているのを見続けていくことは、
私の自由だ。ずっと彼女にあこがれ続けることも私の自由。
私にとって、土と近い生活をしてる人はそれだけで素敵。
鉢植えのミントがしなだれる程に葉っぱを一杯つけてくれたので、何かできないかなって考
えてたら、インスタでミントシロップのレシピを見つけた。
茎は渋みが出てしまうからなのか、葉っぱだけを使うので、面倒だけど一枚一枚手摘みをした。
摘み終わって指先を鼻に近づけたら、ぎゅっと凝縮した香りがペパーミントのエッセンシャル
オイルのような鋭さに似ていて ツンとした。
ミントシロップにレモン半分絞って炭酸で割って氷を浮かべる。
こんな爽やかな飲み物 この世に存在したんだ。
この夏、私はこれで乗り切ります。
通常5クラスのヨガクラスのうち、3クラス再開できてから約4か月が経った。
他の2クラスについては借りている場所が慎重で、ワクチンが一般に浸透するまで再開を 待たなくてはならない。
私のヨガクラスは、曜日によって生徒さんと私の関係に傾向性があり、例えば月曜のクラスはまったく初めましての人達が集まってできたクラスで、火曜日はバレエの仲間中心のクラス、そして水曜日のクラスはママ友中心・・というような傾向です。
月曜クラスの10人の生徒さんは、皆さん私のことを何の疑いもなく「先生」と呼ぶ。
出会った最初の時から私は彼らの先生だったのだから 当たり前と言えば当たり前だ。
水曜のママ友クラスでは私の苗字で ~さん とか ~先生 と呼んでくれている。
本来ならば「早希ちゃんママ」とか「みいくんママ」が自然なのだろうが、さすがにそうは 呼ばれない。
火曜日のバレエ仲間のクラスは複雑で、個人的に呼ばれるときは ちえちゃん が使われる。 高校時代の友人も一人参加してくれていて、彼女は私を ちいこ と呼ぶ。
時と場合に応じて、その ちえちゃん や ちいこ に 先生がくっついて ちえちゃん先生、ちいこ先生 みたいにちょっぴりくすぐったい呼ばれ方をする時もある。
火曜日、フルタイムの仕事について以来ご無沙汰していたJさんが、有給を取って久しぶりに クラスに参加してくれた。
「忙しすぎて息切れして切羽詰まっていたので、ヨガの時間が必要でした・・」 と、クラスのあとに晴れやかな表情で言ってくれた。
忙殺され続けると人間はどうなるのか・・・前日、瞑想アプリで瞑想していたときに、音声 ガイドの女性が偶然話していたことをそっくりそのまま彼女にシェアした。
「私も昨日知ったばっかりで、でもなるほど・・と思ったんだけどね、幸せ とか 温かみ とかは元来とても静かで穏やかな波長で、すごく見逃しやすいんだって。 片や怒りやイライラ憎しみ等、ネガティブなものはものすごくトゲトゲしていて、いつも目立っ てて押しが強く意識の中に入りやすいらしいの。 つまりね、自分自身が忙殺されていると、交感神経めちゃ優位の興奮状態で、小さな幸せとか 温かみには気づけないまま、トゲトゲだけを拾っちゃう傾向にあるんだって。」
Jさんが 納得・・というような表情で は~っとため息をついた。
「ちえちゃん先生のヨガ大好きです。またお休み取って来ます!」
こんな嬉しい言葉を私に残して彼女は去って行った。
ヨガの先生って本当にいい職業だと思う。自分に合ってる。
お金的にはそんなに儲からないけどね。
SNSをなんとなく見ていたら、若い人が本音を吐露している場面に出くわした。
見た目でほとんど何でも決まってしまうならどうしようもないじゃないか・・というような 感じで。
見た目ねー・・・。 人との関係において、取っ掛かりには影響少なからずあるかもしれないけど、 「美人は3日で飽きる ブスは3日で慣れる」って言葉があるように、長いスパンで考えたら ほとんど関係ないと思うよ。
ここからは私論だから信憑性の疑いがあるのは断っておいて、 男女の関係も含めて人間関係で重要になってくるのは「相手の立場を考えること」と 「適度な率直さ」だと思う。
特に後者。 空気を読み過ぎたり相手を慮るあまり、自分の思っていること感じていることを抑制して しまうことが、思い違いやズレを生みやすい。
私の知り合いに真逆の夫婦がいた。
一組目は とても大人な関係の夫婦・・喧嘩ひとつしない洗練された夫婦。 そしてもう一組の夫婦は真逆で、顔を合わせれば喧嘩しているような夫婦。
さてその夫婦の行く末は・・洗練された夫婦は離婚して、喧嘩ばかりしている夫婦は相変わら ず喧嘩しているけどなんだかんだ夫婦として仲良くやっている。
ケースバイケースだとは思うけど、ある程度の率直さは時に摩擦を生むけれど、その摩擦が 一つの乗り越える壁となり、結果それによって人は学習することができると思う。
そうやって適度な率直さと思いやりを持ちながら人間関係を進めていくことで、一人では 成長できないような成長の仕方ができると思うの。あの 切磋琢磨 ってヤツ?
「ぎごちなく生きてぎこちなく死ぬ」 だとしても、特に人間関係のぎこちなさは、経験する に値するって思う。 あとは めぐり逢い だね。
I wish you luck !
もう枯れ木になってしまったのかと嘆いていたマダガスカルジャスミンが、新芽を出して まばゆいばかりの葉っぱをつけてくれた。
これは娘に母の日にもらったもの。「綺麗だね。ありがとう!」という私に 「チエコ、枯らさないでね」とチクリと言った娘。
なのに枯らしてしまった、と嘆いていたら 葉っぱが!
「枯らしてなかったよ!」とその時私は天を見上げて叫んだ。
愛らしい白い花をつけてくれるのがとても楽しみです。
他の2クラスについては借りている場所が慎重で、ワクチンが一般に浸透するまで再開を 待たなくてはならない。
私のヨガクラスは、曜日によって生徒さんと私の関係に傾向性があり、例えば月曜のクラスはまったく初めましての人達が集まってできたクラスで、火曜日はバレエの仲間中心のクラス、そして水曜日のクラスはママ友中心・・というような傾向です。
月曜クラスの10人の生徒さんは、皆さん私のことを何の疑いもなく「先生」と呼ぶ。
出会った最初の時から私は彼らの先生だったのだから 当たり前と言えば当たり前だ。
水曜のママ友クラスでは私の苗字で ~さん とか ~先生 と呼んでくれている。
本来ならば「早希ちゃんママ」とか「みいくんママ」が自然なのだろうが、さすがにそうは 呼ばれない。
火曜日のバレエ仲間のクラスは複雑で、個人的に呼ばれるときは ちえちゃん が使われる。 高校時代の友人も一人参加してくれていて、彼女は私を ちいこ と呼ぶ。
時と場合に応じて、その ちえちゃん や ちいこ に 先生がくっついて ちえちゃん先生、ちいこ先生 みたいにちょっぴりくすぐったい呼ばれ方をする時もある。
火曜日、フルタイムの仕事について以来ご無沙汰していたJさんが、有給を取って久しぶりに クラスに参加してくれた。
「忙しすぎて息切れして切羽詰まっていたので、ヨガの時間が必要でした・・」 と、クラスのあとに晴れやかな表情で言ってくれた。
忙殺され続けると人間はどうなるのか・・・前日、瞑想アプリで瞑想していたときに、音声 ガイドの女性が偶然話していたことをそっくりそのまま彼女にシェアした。
「私も昨日知ったばっかりで、でもなるほど・・と思ったんだけどね、幸せ とか 温かみ とかは元来とても静かで穏やかな波長で、すごく見逃しやすいんだって。 片や怒りやイライラ憎しみ等、ネガティブなものはものすごくトゲトゲしていて、いつも目立っ てて押しが強く意識の中に入りやすいらしいの。 つまりね、自分自身が忙殺されていると、交感神経めちゃ優位の興奮状態で、小さな幸せとか 温かみには気づけないまま、トゲトゲだけを拾っちゃう傾向にあるんだって。」
Jさんが 納得・・というような表情で は~っとため息をついた。
「ちえちゃん先生のヨガ大好きです。またお休み取って来ます!」
こんな嬉しい言葉を私に残して彼女は去って行った。
ヨガの先生って本当にいい職業だと思う。自分に合ってる。
お金的にはそんなに儲からないけどね。
SNSをなんとなく見ていたら、若い人が本音を吐露している場面に出くわした。
見た目でほとんど何でも決まってしまうならどうしようもないじゃないか・・というような 感じで。
見た目ねー・・・。 人との関係において、取っ掛かりには影響少なからずあるかもしれないけど、 「美人は3日で飽きる ブスは3日で慣れる」って言葉があるように、長いスパンで考えたら ほとんど関係ないと思うよ。
ここからは私論だから信憑性の疑いがあるのは断っておいて、 男女の関係も含めて人間関係で重要になってくるのは「相手の立場を考えること」と 「適度な率直さ」だと思う。
特に後者。 空気を読み過ぎたり相手を慮るあまり、自分の思っていること感じていることを抑制して しまうことが、思い違いやズレを生みやすい。
私の知り合いに真逆の夫婦がいた。
一組目は とても大人な関係の夫婦・・喧嘩ひとつしない洗練された夫婦。 そしてもう一組の夫婦は真逆で、顔を合わせれば喧嘩しているような夫婦。
さてその夫婦の行く末は・・洗練された夫婦は離婚して、喧嘩ばかりしている夫婦は相変わら ず喧嘩しているけどなんだかんだ夫婦として仲良くやっている。
ケースバイケースだとは思うけど、ある程度の率直さは時に摩擦を生むけれど、その摩擦が 一つの乗り越える壁となり、結果それによって人は学習することができると思う。
そうやって適度な率直さと思いやりを持ちながら人間関係を進めていくことで、一人では 成長できないような成長の仕方ができると思うの。あの 切磋琢磨 ってヤツ?
「ぎごちなく生きてぎこちなく死ぬ」 だとしても、特に人間関係のぎこちなさは、経験する に値するって思う。 あとは めぐり逢い だね。
I wish you luck !
もう枯れ木になってしまったのかと嘆いていたマダガスカルジャスミンが、新芽を出して まばゆいばかりの葉っぱをつけてくれた。
これは娘に母の日にもらったもの。「綺麗だね。ありがとう!」という私に 「チエコ、枯らさないでね」とチクリと言った娘。
なのに枯らしてしまった、と嘆いていたら 葉っぱが!
「枯らしてなかったよ!」とその時私は天を見上げて叫んだ。
愛らしい白い花をつけてくれるのがとても楽しみです。
先週受けた人間ドックで2年前の結果と大きく違うところは、恥ずかしながら体重です。
普段から体重を計る習慣のない私は、増えているんだろうな と薄々、いやかなり明確に 感じていたにもかかわらず、事実に直面するのが怖くてそっぽを向いていたのだ。
2年程前から週1,2回通っていたバレエも辞め、パンデミックで半ば閉じこもりの生活を余儀 なくされ、ヨガクラスも一時的な閉鎖を強いられ、辛さや悲しみの中 甘いものに救いを求め、 加えて年々の基礎代謝の減少あいまって・・と、体重増加の条件が全て備わっていたのだから しょうがない・・・ というのは、十分わかってます、言い訳です。
ヨガの先生が体重増えてたら話にならないので、人生初めて本格的なダイエットに取り組むこと にしました。
ダイエットに摂取カロリー&糖質制限が不可欠であるのは承知の上で、でも食べ物はそんなに
きつく縛らず、「バランス良く 量少な目 こんにゃく多め そして甘いものはご褒美」
くらいにして、代わりに毎日の消費カロリーを増やす努力をすることにした。
最近の生活習慣を振り返ると、週2日出社、週3日テレワーク というダンナの仕事のリズム に甘えてしまって、彼のテレワークの日に送り迎えがないのをいいことに、私は怠けて閉じこもり
がち になり、ハルの散歩すらもさぼっていたのだ。
なのでまずここを変えてみた。
テレワークの日も、食後に2人と一匹で30分ほどの散歩をすることにした。
もちろん運動嫌いのダンナからは文句とまではいかないけれど、「え~~・・」といった、
何か が煮え切らないような反応をもらったけど、そんなん無視無視。
「そのまん丸いお腹、私なんかよりよっぽど切羽詰まってるって・・」
我が家のすぐ後ろは自然公園が広がっていて、美しい緑に囲まれている。
さわやかな鳥のさえずりで目を覚ますことができるのは この公園のお陰だ。
大好きな公園なのに、なぜか最近は散歩ルートに使っていなかった。
宝の持ち腐れ って言葉を思い出したけど、公園は確かに私にとって宝だけれど、私が行かず
とも ちっともくさらないでいてくれて、依然として生命力にあふれかえっていた。
遊歩道をゆっくり進む。
ペチャクチャおしゃべりしているような小鳥の声に、時折うぐいすがホーホケキョと完璧な
トーンで重ねてくる。カラスも負けていない。
普段人間をバカにしているんじゃないかと思えるカラスも、しーんとした森の中で耳を澄まして
みると、情け深いような鳴き方をしていて、しんみり聞いてしまう。
歩くほどに森がうっそうと茂り、むせかえるような草の匂いが私の鼻腔をくすぐり始める。
紫陽花の美しい季節。一番雨に似合う花。
この時期「ネムの木」に咲く、綿毛のような花も愛らしい。
今の季節、この公園はホタルも観られるのよ。
今日明日あたり夜に行ってみようかな。
と、このように、ダイエット発端で身近にあった素晴らしいものに再度気づかせてもらえま
した。私ここのところずっと 内に内に向いていたようなのね
そういえば ドリア が食べたい、って言ってたな・・そう思いだして
高カロリーだけど私に付き合ってくれている感謝の気持ちを込めて美味しいドリアも作りま
した。丁寧にベシャメルソースを作って。
歩くの30分増やしたからってすぐに体重に変化が現れるとは思えないけれど、それとは別に、
おまけとして付いてくるフィール グッド ファクターの数々に、ありがたい気持ちになって
ます。
最近ネット配信のサブスクを無駄なく使って結構映画を観ている。
色んな映画を観ていくうちに、とうとう心をわしづかみにされる映画に出会うことができた。
もうこうなるとあーだこーだ言いたくない。
タイトルは「存在のない子供たち」
ベイルートのスラム街に住む少年 ゼイン の物語。
ゼイン少年が自然過ぎて、まず芝居をしているという事実が完璧に吹っ飛ぶ。
ゼインが家を出てから出会った、ラヒルとヨナス親子との時間の流れも美しい。
私のことがもしも好きなら観てみてください。後悔させません。
さて 今日もできるだけたくさん歩こう。
先は 長い。

普段から体重を計る習慣のない私は、増えているんだろうな と薄々、いやかなり明確に 感じていたにもかかわらず、事実に直面するのが怖くてそっぽを向いていたのだ。
2年程前から週1,2回通っていたバレエも辞め、パンデミックで半ば閉じこもりの生活を余儀 なくされ、ヨガクラスも一時的な閉鎖を強いられ、辛さや悲しみの中 甘いものに救いを求め、 加えて年々の基礎代謝の減少あいまって・・と、体重増加の条件が全て備わっていたのだから しょうがない・・・ というのは、十分わかってます、言い訳です。
ヨガの先生が体重増えてたら話にならないので、人生初めて本格的なダイエットに取り組むこと にしました。
ダイエットに摂取カロリー&糖質制限が不可欠であるのは承知の上で、でも食べ物はそんなに
きつく縛らず、「バランス良く 量少な目 こんにゃく多め そして甘いものはご褒美」
くらいにして、代わりに毎日の消費カロリーを増やす努力をすることにした。
最近の生活習慣を振り返ると、週2日出社、週3日テレワーク というダンナの仕事のリズム に甘えてしまって、彼のテレワークの日に送り迎えがないのをいいことに、私は怠けて閉じこもり
がち になり、ハルの散歩すらもさぼっていたのだ。
なのでまずここを変えてみた。
テレワークの日も、食後に2人と一匹で30分ほどの散歩をすることにした。
もちろん運動嫌いのダンナからは文句とまではいかないけれど、「え~~・・」といった、
何か が煮え切らないような反応をもらったけど、そんなん無視無視。
「そのまん丸いお腹、私なんかよりよっぽど切羽詰まってるって・・」
我が家のすぐ後ろは自然公園が広がっていて、美しい緑に囲まれている。
さわやかな鳥のさえずりで目を覚ますことができるのは この公園のお陰だ。
大好きな公園なのに、なぜか最近は散歩ルートに使っていなかった。
宝の持ち腐れ って言葉を思い出したけど、公園は確かに私にとって宝だけれど、私が行かず
とも ちっともくさらないでいてくれて、依然として生命力にあふれかえっていた。
遊歩道をゆっくり進む。
ペチャクチャおしゃべりしているような小鳥の声に、時折うぐいすがホーホケキョと完璧な
トーンで重ねてくる。カラスも負けていない。
普段人間をバカにしているんじゃないかと思えるカラスも、しーんとした森の中で耳を澄まして
みると、情け深いような鳴き方をしていて、しんみり聞いてしまう。
歩くほどに森がうっそうと茂り、むせかえるような草の匂いが私の鼻腔をくすぐり始める。
紫陽花の美しい季節。一番雨に似合う花。
この時期「ネムの木」に咲く、綿毛のような花も愛らしい。
今の季節、この公園はホタルも観られるのよ。
今日明日あたり夜に行ってみようかな。
と、このように、ダイエット発端で身近にあった素晴らしいものに再度気づかせてもらえま
した。私ここのところずっと 内に内に向いていたようなのね
そういえば ドリア が食べたい、って言ってたな・・そう思いだして
高カロリーだけど私に付き合ってくれている感謝の気持ちを込めて美味しいドリアも作りま
した。丁寧にベシャメルソースを作って。
歩くの30分増やしたからってすぐに体重に変化が現れるとは思えないけれど、それとは別に、
おまけとして付いてくるフィール グッド ファクターの数々に、ありがたい気持ちになって
ます。
最近ネット配信のサブスクを無駄なく使って結構映画を観ている。
色んな映画を観ていくうちに、とうとう心をわしづかみにされる映画に出会うことができた。
もうこうなるとあーだこーだ言いたくない。
タイトルは「存在のない子供たち」
ベイルートのスラム街に住む少年 ゼイン の物語。
ゼイン少年が自然過ぎて、まず芝居をしているという事実が完璧に吹っ飛ぶ。
ゼインが家を出てから出会った、ラヒルとヨナス親子との時間の流れも美しい。
私のことがもしも好きなら観てみてください。後悔させません。
さて 今日もできるだけたくさん歩こう。
先は 長い。
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