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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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朝の散歩を終えて戻ってきたところで、遠くに強烈なピンクを見た。
見たら最後、目が張り付いてしまうほどのショッキングピンクが、じわりじわり
と近づいて来る。何のことはない、男性が着ているスエットの上下が放つ色だった。

でも余りに強烈過ぎて、幻惑された視覚が、人の存在をないものにしてしまう。
透明人間がそれを着てるみたいに、スエットだけが自立して立体化し、規則的に動いて
いるように見えるのだ。
すれ違いざまに、目を凝らし、透明人間の実体を認識しようと試みた。
実体は、プラゴミを捨てに来られた、ご年配(たぶん私と同じくらいか少し上なんだと思う)の
方だった。

彼はなぜあんなピンクを着ようと思ったのだろう。
何かのアンチテーゼなのだろうか? もしくは区切りのための強硬手段?

長年のサラリーマン生活。ワイシャツ・ネクタイ・ダークスーツを律儀に着通して、定年
を迎えた男性。グレー 紺色 ブラウン 黒。刺激の少ない色に包まれ過ごしてきた日常から
今自分を切り離し、新たな人生を送ろうと思いを新たにする。
そのためにはここまでの衝撃が必要だったというのだろうか?

家であの色を来てうろつきまわるご主人、もしくは父親を、絶えず目にしなくてはならない御家族
も、大変じゃなかろうか。

いや、もとい。・・私、人のこと言えた義理じゃなかったんだ。

今ね、髪型が「金太郎」なの。

美容院で、いつもの人がお休みで、じゃあ、どなたでも・・という時点で、金太郎ヘアーへの
道は開かれてしまっていた。

前髪切るまではよかったのよ。最後にね。前髪どれくらいにします?と聞かれて、すぐ伸び
ちゃうから短めにお願い。と私は確かに言ったのさ。
いつもの人なら私の言葉を私の意図に近いところで受け取り、それに沿ってハサミを動かし
てくれるので全然問題なかったのだけれど。

眉毛が見えるのはいいとしよう。でもまっすぐプツンと切るなんて。

ダンナに救いを求めて、「ね、この前髪、オシャレと金太郎のせめぎ合いってとこかしら?」
と言うと、「断然金太郎の勝ち~! 圧勝!」だってさ。

数日後に来た娘には、「あれ?どうしたの?草間彌生ヘアーじゃん。」と言われ。

草間さんは偉大な芸術家であるからお似合いになるけれど、私はやっぱダメみたいです。

先週は我が家にとって散髪日和で、ハルもトリミングしてもらって・・
ネズミになってしまった。

これから気候も良くなるだろうし、短めに・・が、じゃバリカンで・・ってことになって
ちっちゃなねずみさんに。

ま、髪なんて伸びるしさ。どうでもいっちゃどうでもいいけど。

スポーツジムの友達が、「なんかかわいっ。」と言いながら、笑いを我慢している感じが、
ちょっとこたえるよね。






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今日みたいな日を「花冷え」って言うんでしょうかねえ。
どうも私はこの「花冷え」という言葉がしっくりとこなくて。

桜の花が咲く頃に寒さが戻って冷え込むこと。一応辞書を引いてみたのです。
花が冷えるわけではないのですよね。
冷えるのは大気であり、その寒さに慌てふためくのは私たち人間で。

桜の花の美しさにみとれてぽかんとしていたら、ふいをつかれてしまった。
なんて寒いんだ、と少しばかりの怒りもこみあげてくるけれど、誰のせいにもできやしない。
いつだって自然に対して怒ることはできない。これ決まり。でもこれはずいぶんと負い目じゃ
ないかと、ときどき思う。

今一度厚手のジャケットやらコートを引っ張り出して急場をしのぐ。

無知な私は、本当に花が冷えるのかと思っていた時期がある。
淡い桜色の花びらが、冬の残り香を吸い取って温度を極端に下げる。
その薄い一枚一枚が、ほのかに凍りついて白みを帯びる。
パリンとした花びらがはじけて粉々になり桜雪を降らす。

昔々の話だけれど、「桜咲く」は合格で、「桜散る」は不合格。
入試の結果通知の電報で、婉曲表現として使われていたとかいないとか。

桜散るのも、意味あることだよね。

家の近くに、15平方mくらいの真四角な公園があって、その15mの一辺にずつに
2~3本の桜の木が植わっていてね。つまり小さな公園は桜の開花時期には桜の花でできた
天井に覆われるのです。

さて散ったらどうなるかというと、その15平方の敷地にびっしりと桜の花びらが埋め尽く
されて、今度は桜色の絨毯が敷かれることとなるのです。

桜雪、降らないかな。


戸外に出れば、何らかの花に出会えるこの季節。
先週末あたりから桜のつぼみも急激にゆるみだし、今朝はすでに圧倒的な薄ピンクの世界を
繰り広げてくれていた。

そんな桜に見下ろされつつ、我々人間は、年度末から年度始めへの切り替えに慌ただしいこと
この上ない。

テレビでは、長寿番組が終わり、新しいものが始まったりしている。
馴染みの顔から新しい顔へ。新鮮な風が吹くのを確かに感じながら、でもなんだか寂しい。

NHKの朝ドラも、昨日から新番組が始まった。
「希」ちゃんという、親よりもしっかりした考えを持つ女の子が主人公。
自己破産した父親に、とても筋の通った発破を掛けるのだ。

もしも私がこのドラマを、先週の金曜日より前に見ていたら、「出来すぎた子供。所詮おとぎ話」
と思ったに違いない。

先週の金曜日に、26年ぶりに小学校の親友が我が家に遊びに来てくれた。
娘が生まれた時、お祝いに来てくれたのが26年前。

彼女が埼玉県に引っ越したこと。彼女の職業がいつも予約いっぱいの歯科医であること。
それに加えて、私も途中子育てに介護にてんてこ舞いしていたことで、あっという間に26年
経ってしまっていた。

彼女のお子さんたちの話がとても興味深かった。
彼女は、「自分は、子供たちに教育されて今まで来た。」というのだ。
よく、子供を育てることで親も親として育っていく・・というけれど、それとは全く別の話なの。

彼女曰く、「特に一番上の子は、小さい時から私よりも人間として上であることが明らかで、
彼女の言動を見て私は育てられて来たのよ。」

例えばね・・と彼女は続けた。
「3~4才だった娘を乗せて車を運転していたら、道路に鳥が轢かれて死んでいたのね。
その時は黙っていた娘があとで、『帰り道はまた同じ道を通ってね・・』と言うのよ。
それで私に鳥の死骸の場所に車を停めさせると、自分のハンカチに死骸をくるんで家まで大事に抱えていてね。私としてはさ、気持ち悪いし怖いし嫌なんだけど、娘はそういうこと、自然にやるのよ。家に着くと土に埋めてあげてね。いつもそうなのよ。自分より困っている人。虐げられた動物なの。」

私は、自分の悪ガキたちしか育てたことがないので、もう心底驚いた。

その娘さんはアメリカで動物学を6年間勉強した後、アメリカに定住しようと思っていたらしい。
その時に震災が起きた。彼女は自分のキャリアの可能性を捨て、迷わず帰国したそうだ。
「東北にしょっちゅう行ってはがれきを片付け、人を励まし、彼女のできる限りのことをしていたと思うわ。」と遠い目をして友人は語ってくれた。

やっぱりそうなんだね。80年の人生経験があってもいつまでも自己中心的な人もいれば、3歳で
友人の娘さんのように神のような慈悲心を持っている人もいる。

年齢って面倒くさいな・・。もう取っ払おうかな。
































例えば、大好きだった映画監督が、まったく今までと違ったものを撮りだしたら、
こちらとしては二通りの反応がある。そうかそんな所に行ってくれたのか・・と、
いったいどうしちゃったんだろう・・。

これはごく個人的な感想なのだけれど、私はあの「チャン・イーモウ」監督に対して、
後者の気持ちをしばらく抱いていた。

最近の新聞広告で、チャン・イーモウの新作映画が紹介されているのを見てドキドキした。
タイトル、「妻への家路」。主演女優、「コン・リー」。
あのチャン・イーモウが戻ってきたのかもしれない。

近くのモールで一週間だけ上映されるのを知り、昨日早速観てきた。
とても美しい映画だった。

時は中国文化大革命、インテリ層が強制労働に追いやられていた時代。
家族は引き裂かれ、いつになるともわからない夫や子供の帰りを待って暮らす残された女達。
時は残酷にも10年、20年という時間を、淡々と刻んで行く。

文化大革命の終結で、囚われの身であった者たちが解放される。
到着する電車を待つ人の波。家族の名前を書いたプラカードを掲げている人もいる。
電車から降りてくる人々。顔。また顔。ひとつひとつ確かめ、探し合う。
20年もの空間を一気に縮めて家族が手を取り合い、再会を喜ぶ。

ひとつの家族の再会は、そのように理想的には行かなかった。
妻であるワンイーが、心の病から部分的に記憶喪失になってしまったからだ。
帰って来た夫を見ても、夫であると認識できない。「夫を待っている自分」というのが、
彼女のアイデンティティの殆どであるはずなのに。

夫のイェンシーは、彼女に自分を思い出してもらおうと様々なことを試みる。
でもまったくうまく行かない。

強制労働先で、妻に宛てて書くだけで出せなかった手紙の束を妻に渡す。
今だに自分を夫と認識できない妻に、「手紙を読んであげる優しい友人」として毎日
妻のもとに通うようになる。このあたりから、私は夫イェンシーの覚悟を感じるのだ。

手紙の中のイェンシーを懐かしみ、恋焦がれる妻。手紙の内容を聞きながら、遠い目をして
幸せそうに聞いている。
実はその手紙を目の前で読んでいる男こそが、他ならぬ自分の夫イェンシーであると気づけずに。

イェンシーは、その時、自分を分断したのだと思う。
手紙を書いた自分、手紙の中の自分、妻の中に住む自分を手放し、独立させて、妻と一緒に
彼らを追いかけ愛そうと思ったに違いない。

認知症の母が生きていた頃、彼女は私によく言ったものだ。「家の子供たちはまだ小さくて
ね、今二階で賑やかに遊んでいると思うわ。あなたのお子さんも小さいの?」
最初のうち、私は悲しくて、「ねー、そのちっちゃい子が大きくなってこの私になったのよ。
そして子供も生んだのね。だから孫なのよ。」などと言い、なんとかわかってもらおうと思った
けれど、母は、毎回「えーっ、そうだったの?」とびっくりしては、次また同じことの繰り返しで、私はとうとうその「小さな私」の存在を、母と一緒に愛してあげようと思い始めたの。

それはそれは不思議な感覚だった。
母の中の「小さな私」を認めることで、私は母が亡くなるまで、寄り添うことができた気が
するの。

5日になると夫が帰ってくる。そう思っている妻ワンイーと一緒に、駅へのお迎えにお供する
イェンシー。
つまり毎月5日になると、イェンシーは自分を迎えに行くのだ。

私は思うのだ。イェンシーは、本当に待ち焦がれているのではないかと。
駅から降りてきた人ごみの中に、自分自身を見つけるその日を。










金曜の朝、リビングと隣続きの和室を覗いたダンナが、「あれえ?ハル君が布団敷いて、勝手に
寝ているよ。」と小さくつぶやいた。また馬鹿なことを言い出して・・と私は、朝食準備のため
の手をいったん止めて、確かめに行く。

布団をめくると娘がそこにいた。我々が深い眠りに落ちた後の、深夜の時間帯に戻ってきたのだ
ろう、まったく気づかなかったのだ。

最近は金曜日にお休みを取りやすいようだ。
午前中、私はポワントクラスを受けずにバレエを早引きし、残りの時間、娘と一緒に遊んで過ご
した。

昨日は息子が帰って来た。息子とは正月の温泉旅行以来である。

「独立した子供達が戻って来たときは楽しく一緒に遊ぶ。彼らが困っていたら、その時はできる
範囲で手を差し伸べる。あとはほっとく。」子供達とのスタンスは、こんな感じである。

夕食後、しばらくしてから、息子がじゃあまた。と帰ってしまうと、私はくったりしてしまった。
いくら心が楽しくても体はついて来てはくれないのだ。

ダンナに後片付けを任せて、横になり、ただテレビ画面を目で追っていた。
そんな私に天からの素晴らしいプレゼントが舞い込んだ。前回見逃してしまって悔しい思いをした
インタビュー番組が再放送されたのだ。

「脚本家木皿泉 × 俳優佐藤健 」という私の中での最高タッグの二人(三人)。
Q10コンビ。その彼らのインタビュー。

木皿泉さんが、「あてて書くことのできない俳優。」と、佐藤健くんのことを言っていた。
いつも自分の予想を大きく超えた演技が、健くんから返ってくるからなのだそうだ。
それが脚本家としては楽しくて、次に進むエネルギーさえもらえる、とも言っていた。

誰もが心を掴まれたであろう、大河ドラマ「龍馬伝」の健くん、「人斬り以蔵」の処刑シーン。
これについての彼のコメントが興味深くてわくわくしてしまった。健くんが言ったのだ。
あれはなんにも自分は芝居していないんだ。と。
以蔵さんが自分に降りてきたとしか考えられない、と。

彼らの言う「降りる」「憑依する」。これらの言葉が私をとても刺激する。
願わくば私も一度経験したいと思うのだ。何かに降りて来てもらいたい。自分とは全く違った
場所で、突き動かされる衝動を感じてみたい。でもそれは日常でなかなか起きることではない
んだろうな。追い詰められて何かを創作していく過程においてのみ起こる、心だけひょいっと
ワープするような経験なんだろうな。

大好きなドラマ「Q10」は、私が好きになる要素がたくさん詰まっていて、その中のひとつに、
健くん演じる「平太」と、池松壮亮くん演じる「久保くん」の絡みがある。
この池松くんが、私は健くんと同じくらい大好きな俳優さんなのです。

無理な注文であるのは承知で、「野ブタをプロデュース」をこのふたりで今一度撮られたもの
を観てみたいものだ。きっと全然違うものになって出来上がってくると思うのだ。

さてここまで書いて、すでに本題は終わっているように見えるかもしれないが、実はこれからが
本題で。

木皿泉さんと佐藤健くんが掛け合う言葉は、刺激的ではあるけれど、同時に全て自分にとって
気持のよい共感を経験できるようなものだった。つまり、自分の心の中に何の違和感もなく
入り込んできてくれる。

さて、つよぽん だ。「つよぽん」こと、スマップの草彅剛くん。
俳優の東出さんとの友達デートの企画で、凄いことを言ってのけたのだ。
「僕ね、台本は自分の台詞しか読まないよ・・」

おっとりとした雰囲気の東出さんも、この時ばかりは一瞬息を詰まらせたような表情をして、
それは怖いなあ・・危険だなあ・・とつぶやいていた。

つよぽんはそれに気づいているのかいないのか、明るくしゃべり続けるのだ。
・・だからさあ、実際今なぜ僕は怒っているのだろう?と分からず芝居してる時もあるわけよ。
でも、後で観ると、それがかえってよかったりするんだよねえ。

でも彼の言っていることには信憑性があるのだ。
今週の火曜日に最終回を迎える「銭の戦争」で、魅力ある主人公を演じているつよぽんがいる
からだ。お金で引き裂かれた婚約者と再会した時に、ふっとよぎるつよぽんの不敵な笑み。
あらゆる場面での、怒り。狂気。焦り。私は毎週ハラハラしながら楽しみに見ているのだけれど。
で、つよぽん。ストーリーライン知らない、なんて言わせない。
でも言われちゃった。

あなたは純粋に馬鹿なのか?天才なのか? 計り知れない。
枠を大きく超えているんだ。それは単に脚本家が描いていたイメージを大きく超えた演技を
俳優がする、というような「理性的な超える」じゃない。
はちゃめちゃに超えているんだ。やっぱり天才なのかもしれない。

東出さんが、自分は車にも洋服にも興味があるので、物欲に支配されるのを恐れていて
コントロールしている・・というようなことを言っていた。素晴らしい考えだ。
つよぽんその横で「革ジャンがなぜかすごい好きでね。100着位持っていると思う。」
と明るく言っていた。ここにも私は彼の何かを超えてしまった大きさを感じるのだ。
もしかしたら物欲の悲しさを、一番知っているのは彼なのかもしれない。とさえ私は
思うのだ。

とにかくね。ずっと見ているからね。














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