Admin / Write / Res
日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
[13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23
喪中はがきを印刷して、ちょうど一週間前の土曜日に郵送した。

すべての友人知人に娘の病気を知らせていたわけではない。
娘の旅立ちを知らない人たちが、一枚のはがきで受けるショックの大きさを考えてしまい、
出さなきゃいけないものでありながら 出したくないな とどこかで思っていた。

週が開けてみると、電話 メール お手紙 お花 お仏前 お供え物のお菓子等々・・娘と私達
へのお心遣いをたくさん頂戴した。

今週はたくさんの人と話をした週でもあった。
お線香をあげたい 私に会いたい そう言って、家までわざわざ来てくださる方が5人ほど
いらしたからだ。

ママ友や以前私が家庭教師をしていた生徒さんのお母さま、前に住んでいたマンションのお隣
さん 大学時代のサークルの先輩、今住んでいるマンションに以前住んでいた友人、そして
小学校時代からの親友。

娘との闘病生活や娘の死について、自分が目の前にいる人にどのような言葉でどう語るのか
が想像できなかった。
でもね、蓋を開けてみると ちっとも難しくなかったの。
不安をよそに、自分の気持ちとズレのない言葉が自然と自分から出てきてくれた。
相手も私の話に深く感じ入ってくれている様子で、所々一緒に涙を共有したりしながら
いい時間を過ごせた。

それで気づいたのが、「このブログが私の話す言葉にとても貢献している」 ということだ。

カッコつけたくて、少しばかり文学的要素を加味することはあっても、ここに書いたことは
すべて真実。自分が感じたこともストレートに書いてきた。

それでも「書く」という行為はとても客観性を必要とする。
自分方位にならずに人に伝わりやすいように書きたいと思って書いてきた。

だからいざ人に話をするとなった時、すでにゆるぎないベースがそこにあったのだ。
あとは相手との話の流れで、使う形容詞や話す順番や緩急を変えるだけで、言いたいことは
いつもすっきりと伝えられた。

人と会って自分の感じたままを話す・・これが私を不調から引っ張り出してくれた。

 木曜日は小学校時代の親友デコが、埼玉から2時間半かけて我が家に来てくれた。
少し距離があることもあり、数年に一度の割合で会っていたので、娘の闘病が、デコと会わ
ない期間にすっぽりハマっていた。

 デコは徹底したベジタリアン。
お昼を用意するためにマクロビ的な献立を考える。
野菜のポタージュスープにブイヨンは使えない。ガーリックソルトや乾燥ハーブ、クレージー
ソルトなどで代用する。(あ、思い出した。クレージーソルトはネタにするには周知度が
少なすぎるんじゃないかなLOL)
パンは前日焼いたゴマのパン、それにサラダ。

とても美味しい!と言って食べてくれた。

デコに話した私の言葉。

「もしも神様がいるとしてね・・神様にこう言われたような気がするの。
31年の命 という運命はどうしても変えてあげられないけれど、それ以外すべてをうまく
いくようにしてあげる・・って。不幸の中、私幸せだったなって。不幸の中で感じる幸せは
とてつもなく深くて感謝に満ち溢れているのよ・・」

「早希はね 強かった。
自分がどんなに病状が悪化しても外見が変化しても、会いにきたいと言う人たちを最後まで
拒まなかった。私はすごく不思議だったのよ。私だったらできないなって。
そしたら息子が言ったの。『早希こう言ってたよ・・私は自分の死で 周りの愛する人たち
に誰一人として後悔してもらいたくない・・って』 私なんかそれ聞いて打ちのめされたのね。
彼女は娘でありながら、私よりもずっと高い魂の持ち主なんだなって・・」

人に話を聞いてもらえるっていうのは宝物だね。

ゼロイチエピソードトークは、フィクションを描く時しか私にはできない。
このブログは純粋に 『イチイチトーク』です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー*
今、夜の9時。
ここからは付け足しで。

今日は午前中から出かけて 早希の49日 納骨を終えてきた。
いいお天気で風が気持ちよく、お花もにこやかに揺れていた。

一段落ついて、さあ私は明日から どうやって生きてゆくのかな






















朝食の片づけをしていたら、コツン という小さく鈍い音が聞こえた。

ハルが出窓に横たわるスペースを確保するために、私の大事なガラスのうさぎをマズルで
ひょいと押しのけたようだ。うさぎは無残にも片耳が折れてソファーの背もたれに転がって
いた。ハルの鼻先に、うさぎと 今となっては金平糖のように見える うさぎのかけらを近
づけ、私は文句を言った。

「ハル君、うさぎ ママとっても大事にしてたのよ・・」
ハルはしばらくの間 下瞼の上に細い三日月のような白目を見せてじっと私を見ていた。
そして ここぞというタイミングで とろけるような甘え声で私を操り始める。
私は操られていることを充分に知りながら、だんだんとその甘美さにはまっていく。

怒りなどどこを探してもひとかけらもない。
怒ったふりをしてみるものの、うっすらとほほ笑んでしまう私。

策士ハルに ばれないわけない。
チョロい と思われているに違いないのだ。

ハルが曇りガラスのうさぎの胴体を丁寧に舐め始めた。
薄い舌が、うさぎの 曇り色 をクリアにしていく。

そうか、
普段引き出しの奥の方で眠っている接着剤は、こういう時こそ日の目を見るってことね。

 犬年齢15歳⇒人間年齢76歳。
これが真実ならばハルはなんて元気な76歳だろう。

新しく買ったソファーに果敢にジャンプし、背もたれもよじ登り、日向ぼっこ目指して
窓辺へ移動・・・これは計算外だった。ハルの身体能力を低く見過ぎていた。
それが本日の敗因。

ハルは我が家で一番健康で元気なのだ。

私はというと、あれからまだ不調から抜け切れていない。
たぶんだけどね、頑張って避けてきた 感情 言葉 「可哀そう・・」を色んな場面に
許し始めたことで、私のうわべだけの強さが崩れたんじゃないかと思う。

早希ちゃん病気になって可哀そう・・歩けなくなってしゃべれなくなって可哀そう・・
あんなに早く死ななきゃならないなんて可哀そう・・娘を亡くして 私すごく可哀そう・・
可哀そう・・は、弱り切ってもいいよっていうボタンみたいなもので、それを押してしまった
ことで、私は素直に弱り切ってしまったようなのだ。

それでも薬も効いたのか、ゆっくり家事をしたり (まじ時間かかるけど)、新聞読んだり、
軽いヨガをしたりはできるようになってきた。

悲しいのは、ヘッドホンを使ってピアノを練習すると、頭痛とめまいが再発することだ。
今一番やりたいピアノが弾けない。

焦ることは何にもない・・そう自分に言い聞かせる。

代りにできることを探してみたら、ちょっと前にアマゾンブックスで買ったまま読んで
ない英語の本があった。
表紙がめちゃくちゃ美しい「SABRINA & CORINA」を試しに手に取って読み始める。

夢中になった。この一週間はこれを読んで過ごした。
ラテンアメリカ系の女性の短いお話、12話で成っている。

あと2話で読み終わる。
一体何個の英単語を辞書で調べただろう。

いくつか意味があいまいなところもあるので、昨日またアマゾンで同じ本の日本語訳も買って
みた。来るのがすごく楽しみ。自分がもった英文のイメージと本当に書かれていることのずれ
を細かく埋めていきたい。

英語は以前たくさんの生徒さん 中学生から大学受験生までを教えていたけれど、今自分の
楽しみとして勉強するのがとても楽しい。勉強 というより趣味かな。

言葉はコミニュケーションツールだし、読むとなると 原書で読むことがより異文化を
立体的に感じることができるから。

次はそんな英語のことを書いてみたい。できたら だけど。










すべての行動が 初めての経験 のようだ。
ただ歩いても お水を飲んでも 洗面所の鏡を磨いても。

この一週間、私はこんこんと眠ること以外ほとんど何もしなかった。
これまでとは比べ物にならないくらいのとんでもなく酷い眩暈に襲われたからだ。

月曜日、あまり体調がよくなかったけれど「たぶん大丈夫・・」と言ってダンナを最寄りの
駅まで送っていった。帰りも滞りなく運転し終えて駐車場に着き、助手席にちょこんといる
ハルの散歩をする気満々だった。

ところがエンジンを切った途端、今までに経験したことのない速さのグルグルに襲われた。
リクライニングを倒し、できる限り座席をフラットにして目をつむった。

しばらくして目を開ける。体を起こしてみる。
間髪入れず、吐き気が体を痙攣させる。どうにかこうにか外に出て朝飲んだコーヒーを吐く。
ハルが心配そうに私の手の甲を舐める。

5回ほどそれを繰り返すと、空っぽの胃は、粘膜にわずかに残った胃液を、形だけでもせり
あげようとするかのように その形状を上下左右斜めとひきつらせる。

ハルを抱えて家に着く・・この限りもなく高いハードル。
とてもできそうになかったことを それでも悪戦苦闘で何とかやり終え、ベッドに直行。
そこから昨日医者に行けるようになるまで、ほとんど体を横たえて過ごしていた。

色んな検査をしてもらったけど、「メニエール病と診断するには 耳鳴り と 聴覚低下
が出てないのではっきりしません・・聴力はすこぶるいいし・・メニエール病でしょうか・・
とくらいにしか言えません」と先生に言われ、薬を出してもらった。
自分がわからないところで何かが体や心に蓄積し、オーバーロードになってたのかもし
れない。

一週間ちゃんと歩けなかった私が久しぶりに歩く。
身体のバランス感覚 足の裏の感覚が研ぎ澄まされる。
吐き気が治まり 初めて食べる白米の甘さ。
水はねが付いた洗面所の鏡をつま先立ちで磨いてみる。

何かができる、また一から始められる。
やるせない無能感からの脱却。

ヨガのクラスをキャンセルした。
生徒さん達との交流、すごく大切にしてるのに。

ヨガを教えていたり、かつてバレエを踊っていた時もいつも感じていた違和感があった。

生徒さんたちにヨガを教える私は、
「この10人くらいの人たちの中で、たぶん私が一番体弱いんだろうな・・いいのかな
こんなことさせてもらって・・」と時々思っている。

バレエの稽古をしながら、こんな鋼のような体力を持つ人たちの中に、私がいるのが不思議
・・そう思っていた。

私が体を動かすようになった動機は、体を動かさなければ、し続けなければ どんどん体が
弱り切って、廃人になってしまいそう・・という恐怖から逃れるためであって、
自分を向上させようとか素敵な趣味を持とう ということとはまったく違ったものだった。

続けていたらいつの間にかヨガの先生になっていて、本当の所ちょっと戸惑っている。
でもね、考え方を変えたの。弱さは時に優しさに繋がるって。
だから今は自信を持って天職だと思ってヨガの先生をやっている。
コロナでずっとお休みしていたけど。

先週 アイヌモシリ という映画を観て。

ヒグマの魂を神に捧げる、熊送りの儀式「イオマンテ」の復活に、14歳のカントが子熊の
世話を任せられることで深く関わっていく。

アイヌ文化に織り込まれているイオマンテ と 少年の子熊チビへの愛情。
カントの反抗、願いも虚しく、子熊は儀式当日、たくさんの矢を射られ、その命を神に捧げら
れてしまう。

お頭となったチビと再会するカント。
チビのお頭を囲んで酒盛りする大人たちの間で、少年は深い眠りに落ちる・・・・・

・・カントは自分の気持ちに折り合いをつけることができたのだろうか。
長い歴史や文化の中で行われてきた行事は、たぶん理屈などないのだろう。

「お葬式に葉っぱひとつしかだめです。お花は飾れません。決まりなんです。
どうしようもないんです。」
という声がその時私の中にこだました。

色々言っちゃって、こっちのしたいようにしちゃったけど、そっちはそっちでどうしようも
ないこともあるのよね。ごめんね。


黄色いお花がはびこっている。

蔓延る (はびこる)・・なんてネガティブな表現をしたのは、例年、あの黄色がかなりの割合
で空き地や公園を占拠し始める頃・・たいてい10月の中頃・・私は体調を大幅に崩すからだ。

今年はいつもの年と違い、緊張感あふれた感情的な日々だったからなのか、もう11月に
なりますよ、というところで力尽きてダウンした。

夜ご飯を食べて ちょっと横になる と言ったまま朝まで起きずに 11時間眠った。
たぶんまだまだ眠れる。

こうなると何もしたくない。自分の隠れた本質、ズボラ が堂々と顔を表し始める。
家事したくない お風呂入りたくない 食べ物食べたくない できることならトイレだって
行きたくない。

なのにこれ書いているってすごいと思う。
文章書くことは私にとって何も苦痛じゃないらしい。
まあ、ここでつらつら書いている限り、何の制限もなくて自由だからだと思うけど。

もう一つ。
トイレに行くのも面倒な私が、驚いたことに ピアノなら弾きたい と思える。

始めたばかりっていうのもあると思うけど、今更ながらに「和音の響きの美しさ」に
魅了されている。

生前娘が好きだったのは、インプロヴィゼーションの世界であるジャズピアノ。
楽譜通りに弾くクラシックとは違って、即興的な反応で成り立っている世界。

即興演奏は自由という言葉と結びつくイメージだけれど、それを成立させるためには
複雑な規律を理解習得しなければ、ただの カオス になってしまう。

なんか英語をしゃべることに似ているなって思う。
使える語彙やフレーズを増やし、ストラクチャーである文法を学び、ネイティブのマネを
とことんして、言葉のイメージを大切にし・・何度も間違えたり変なこと言ったりしながら、
相手の言ったことに即興的に応えていく。
遠い先の 洗練 と 円熟 を目指しながら。

こういう過程がワクワクする。

年を取ることは不安要素もある一方、いろんな物事から解放されて私としてはそんなに
悪くないイメージだ。

年寄りは世間に相手にされない傾向があるかもしれないけど、逆を返せば世間を相手にしな
くて済むのだ。

もう今更誰にどう思われたってかまわないし、お金も食べて行けるだけあれば十分だし、
野心 なんてアグレッシブな言葉、とうにどこかに置いてきたし、標準的な母親になれずに
当時プレッシャーを感じていた私が、今標準的な老人にならなきゃ・・なんてプレッシャー
はこれっぽちも感じてない。

だから年をとってもワクワクしたっていいのだ。
なので私は円熟味のあるインプロヴィゼーションを、60過ぎて目指すのだ。


 今週半ばに 大学時代の3学年先輩のご夫婦、あいちゃん夫妻 と 一学年先輩の
いこさん と きいちゃん から美しいお花が届いた。

年に一度、青山で開催されている音楽ライブで、何度かフォトグラファーの役を仰せつかっ
ていた娘は、私たちの大学時代のサークル仲間にとてもかわいがってもらっていた。

あいちゃんご夫妻とは早希が3,4歳の時に一緒に箱根旅行に行ったこともあり、その前後も
家族単位でお付き合いをさせてもらっていた。

たくさんの友人や先輩後輩が、早希の旅立ちを私達と共に悲しんでくれた。
早希にとっても私たちにとっても、彼らが早希のことを覚えていてくれていることが、
何よりもの慰めなのです。

お仏壇は早希に似合わないので、小さなお家型の可愛らしいセットを購入した。
今は 響きを感じてもらいたくてピアノの上に置いてあるけど、もう少し部屋を整理整頓
したら、移動しようと思う。

ネットショップのアウトレット家具の中から、3割引きのソファーを見つけて購入し、今まで
の2人掛け用から3人掛け用になった。

背面を出窓側にするという大胆な変化を思いつき実行したが、これがなかなか居心地がいい。
なんたって体を伸ばして寝転んでテレビが見れるのが最高だ。

何よりも「らくちん」が好きな私です。

最近よく手紙を書いている。お花のお礼やお手紙の返信など。
手紙を書くことは嫌いじゃない。
人と話をすることも嫌いじゃない。

でも沈黙することもいいなって最近感じている。

すごく言いたいことがなければ無理に何か言わなくてもいいよね。
沈黙することで、自分の思いが途切れるわけではないから。

あ、今週またユーロスペース行って、「アイヌモシリ」という映画を観たんだ。
長くなっちゃったので、またそのことは次回に。
では。





























最愛の娘を失ったばかりの母親の日々を人が想像すると、おそらくずっと泣いたり落ち込ん
だりしている様子を思い浮かべることでしょう。

そうでもないんです。
悲しみは、痛みのない間隔を挟む陣痛のように 普通の生活を挟みながら、急に私を襲い ぐすんぐすんと涙させる。

・・今日チーズケーキ作ろうかな・・早希ちゃんチーズケーキも好きだったけど、紅茶のケーキ
が一番好きだったな・・すごい悲しい もう作っても食べてもらえないんだ。
早希ちゃん もういないから・・
そしてひとしきり泣いた後、涙を拭きながら次には冗談を言って笑っていたりする。

ずっとお休みしていたスカイプの英語授業を早朝に受ける。
フィリピーノの先生が自己紹介の途中で「Chiekoは 子供さん何人いるのですか?」と聞いた。
二人 と私は答える。
私の子供はずっと二人。変わらない。
胸のあたりがきゅーっとして 涙腺がゆるむ。

 娘の病気が再発して、介護や家事手伝いが必要となった一年前から、ほとんど毎日5~10
時間を娘の家で過ごしていた。そして今その時間が全部自分の時間として戻ってきた。

念願のピアノが届いたので毎日1~2時間ピアノを弾くことにあてている。
ずっと行けなかった映画館にだって行く。

先週水曜日は、「いきちゃった」を観に、渋谷のミニシアター ユーロスペースまで行って
きた。優先順位が興行収入に置かれがちな映画界で、常に別の視点で いい映画を提供しよう
と試みるミニシアター系の映画館は、私にとってひとつのオアシスなのだ。

主人公の厚久は、自分の気持ちを 言葉や態度に表すことの苦手な人。
妻の奈津美はそんな彼の愛をそっけなく感じ、信じられずに離れていく。

彼は言う。妻を愛している と。心から愛している と。
彼は泣く。「俺の愛じゃだめだったんだ・・」と。

厚久を見ていて親近感を抱く私。
そうだ、家のダンナだ。家のダンナにどこか似ている。
彼の苦労をずっと一緒に見てきた私。

声の大きい人の意見が通りがちな世の中。
ゆるぎない自分を持ちながらも、言葉少なで遠慮がちな人間の 生きづらさ を彼を通して
経験してきた。

厚久の背中。
首を振る扇風機にたなびく壁に貼られた無邪気な絵。その音の臨場感。
娘と影絵で遊ぶ 陽だまりのようなあったかい空間。
小津安二郎的な構図シーン。

2時間に満たない映画だったけれど、とても満足できました。

私の趣味の方向性として、勝者を扱っている映画やドラマよりも、弱者やマイノリティーを
扱っているものを好む傾向があるようだ。

アメリカドラマも然り。

今観ているのは 発達障害を持った主人公サムの物語「ユニークライフ」。
ネットフリックスで配信されています。

これは自閉症スペクトラムのサムの視線を一緒に経験できるドラマだ。

現実はもっと複雑で大変なのかもしれないけれど、このドラマを通して 障害を持つ人の
傾向性 本人や家族の苦悩 本人や家族の幸せ それぞれの登場人物の価値観をほんの少し
でも知ることができる。

もうひとつ観ているのはアマプラで観られる Enlightened (エンライテンド)。
これは 『痛い人』 が主人公のドラマだ。

彼女のやることはとことん痛い。周りを引かせる。
一生懸命なのに 何かがずれている。
半分ファンタジーの中で生きている彼女はなかなか現実と折り合うことができない。

困った人だな・・と初めは私も思った。
でも途中から取り込まれていっちゃうの。
なんか・・わかるかもって・・ある意味彼女の方がまともなのかも・・・って。

アメリカドラマのすごいところは、ずっと前から多様性をはぐくんでいるところだ。
はぐくむ って適語じゃないな。英語でいうと embrace が私のぴったり言いたい言葉。
ファッショナブルとしてではなく、LGBTが当たり前に存在している。

そんなアメリカでも現実では BLM (ブラック ライブズ マター)問題 とか #metoo
問題とか後を絶たないのが悲しいことだ。


 あれから高校時代の友達がお花を、また私がコーラスをしていたバンド仲間がとてもたくさ
んのお花券を贈ってくれた。シナリオの先生が以前くださったお花券も合わせると、当分早希
に美しいお花を飾ってあげられる。本当にありがたい。

明日はヨッシイと息子と4人で食事をする予定だ。
何回か電話で話したけど、心に大きな穴がぽっかりあいてます・・と穏やかな声で彼は
言っていた。

チタン製の遺骨ペンダントを購入したので、明日少し早希のお骨を入れさせてもらう。
ずっと一緒・・って思いたいのね。

朝起きたら朝日がベッドの横の白壁を照らしていた。
足を上げてみたのね。そしたら影絵のように足が映って。

「いきちゃった」の映画のワンシーンを思い出して、羽のように動かしてみた。
うまくいかなかったけど、気持ちがふんわりあったかくなれたよ。




















カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新CM
[11/06 https://propranolol-global.github.io/]
[02/01 extiday]
[01/28 innori]
[01/20 innori]
[12/29 extiday]
最新TB
プロフィール
HN:
Chie
性別:
女性
職業:
主婦 英語教師
趣味:
バレエ 映画鑑賞 
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(11/15)
(11/16)
(11/19)
(11/21)
(11/24)
P R
Copyright ©  My favorite things All Rights Reserved.
*Material by Pearl Box  * Template by tsukika