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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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「何度も手紙を書いてみたけどうまく書けなくて。どこへでも出て行くから30分で
いいから顔をみたい。もちろん無理はしないで欲しいけど」

いつも私の誕生日に おめでとう! とラインを送ってくれる小学校時代からの親友の
みいちゃんに、ありがとう! の返事と共に今の状況を知らせたら、一週間後 このように
返ってきた。

「少しでも顔を見たい」という彼女自身の気持ちに直結した言葉に心を動かされた。
何もできないことはわかってるけど居ても立っても居られない、という彼女の正直な様子が
文面から伝わってきた。

「誰かに会うならみいちゃんに会いたい・・」
と返事をして、一昨日 娘の所を少し早めに退出させてもらって、夕方から会うことができた。

その時にみいちゃんが言ってくれたことで一番印象に残っていることがある。
それは、「単に逃げていただけだったの・・」と私が懺悔した時、みいちゃんが反応してく
れた言葉の内容だ。

最近私は自分の楽観性についてよく考えていた。
「ポジティブ」 であることは生きていく上でいいことづくめであるように世間では
言われている。

何か物事が起こった時に、私と娘は正反対の反応をすることがよくあった。
ポジティブ ネガティブ とは、本当はどういうことを言うのだろう。

娘は物事の事実を調べつくし、最悪のシナリオを想定しながらその物事に立ち向かい、
結果最悪にならずに済んだなら、あ~良かった・・とほっとするタイプ。

私はなんか頭悪い感じで恥ずかしいんだけれど、あまり調べもせずにきっと大丈夫、
と何の根拠もないのに思い込み、結果大丈夫だったら、やっぱりね・・よかった、と思うだ
けでなく、強く信じてれば少しは思う方向に事が進んでくれるものなんだ、くらいのアホっ
ぽいことを考えがちだった。

そして娘が病気になった。

放射線が効いて、一見元の元気な体に戻ったように見えた去年の5月から10月までの
間に、娘は貪欲にしたいことをしていた。旦那さんのヨッシイは娘の言いなりだった。
彼女がしたいことをすべて実現させていた。

私 「早希ちゃん、ヨッシイにわがまま言って甘え過ぎじゃない?」
娘 「・・今甘えないでいつ甘えるの?」

上の会話で娘と私の病気に対する覚悟が全然違うことがわかるでしょ?
私は、このままずっと元気でいてくれるかもしれない・・って本当に思ってた。
というかごまかしていたんだと思う。
それはポジティブとは全く別個の、現実から逃げたいから敢えてはっきりさせたくない・・
みたいなことなんだと思う。

娘の会社が、去年の今頃「一応現時点で退職という形となりますが、将来的に復帰できる
状態になったらそれに応じていつでも受け入れますの安心して療養してください」という
寛大な措置をしてくださった。

「ありがたいね。復帰できるくらい回復できるといいね・・」と私は無邪気に娘に言った。
この私の言葉が娘を動揺させて激しく泣かせたのだ。

「何も知らない他人ならまだしも母親にこれを言われるのはキツい。私の病気がどういうもの
かわかってる?私が調べてプリントアウトしたものをちゃんと読んで。読んだらそんなこと
言えないはずだよ」

前回、想像力の欠如がどうのこうのとここに書いた私は、想像力の欠如と現実逃避から
娘を泣かせていたのだ。

このことをみいちゃんに言ったら、彼女はその時の様子をすぐ理解してくれてこう言った。

「それは言葉そのまんまじゃないと思うよ。早希ちゃんだって甘えてるんだよ。
闘病の辛さを頑張って乗り越えながらも、でもどこかに不条理のやるせなさをぶつけたい時、
母親しかいないんだと思うよ」

「そうなのかな・・でも私のポジティブは結果 似非だった。
大丈夫って何回も信じて何回もどん底に突き落とされた。7月1日の最終宣告で、私の
軽薄な信念がもろくも崩れ落ちたんだ。今は怖くて何も信じられない・・・」

みいちゃんは黙って私の言うことを聞いてくれていた。

今日はみいちゃんがくれた、高野フルーツのプリン&ゼリーで娘の味覚を楽しませた。

誤嚥のリスクもあるので、基本点滴だけで前ほど頻繁に口からは食べ物を入れないように
しているけれど、季節の浜梨でシャーベットを作っては持って行ったり、病気前、ジャンク
好きだった彼女に「チーたら」が食べたいと言われれば、出汁と共にミキサーかけてゼラチン
でゆるく固め、味わってもらったりしている。

この高野のプリンゼリーはプリンとゼリーの二重層になっているだけでなく、一個に2種類
の果物やヨーグルトが使ってある贅沢品だ。

今日のは ストロベリーのプリンとラ・フランスのゼリー。
他にはマンゴープリンと白桃ゼリーとか、ヨーグルトプリンとピンクグレープフルーツゼリー
等々、組み合わせが素人には考えつかないもので、プリン ゼリーを単体で食べるもよし、
両方いっぺんに口に入れると、1+1以上のものが必ず返ってくる。

コンビネーションて大事よね。
単体よりコンビを愛し、ストレートよりブレンドを愛す。

もう今私には、えせポジティブには逃げ場がなく、フィクションの世界に逃げ道を
探ったりしてる。

アマゾンプライム入っててよかったって思ってる。
映画もたまには観に行こうって思ってる。

夕方にマンションの住人さんに会って、お互い「こんにちは」って挨拶したけど、
本当の気持ちは、「こんばんは」 だった。

















 









東の窓から朝日の差し込む寝室、本を読んでいる私のお腹の上でハルが寝そべっていた。
ハルの可愛らしい重みと共に読書をする・・・私のお気に入りのルーティンだ。
ただし残念ながらこれはそう長く続くことはない。

ハルは私が彼以外のことに集中しているのが嫌いだからである。
それは子供たちが小さかった時にも感じていた「愛すべき・懐かしき 不自由」

水色を基調にした背景に、アシンメトリーな人の顔いっぱいの表紙を持つ単行本に
夢中になっていたら、その下端からハルのマズルがにょきりと現れた。

斜め上に筆圧の強い斜線を引くようなマズルの動きに順応して、分厚い本がひょいと持ち上がり、横側にそれた。その何分の一秒の間に、私の動体視力は、文字の羅列が蛇のからだのように
ぐにゃりと流れるのを捉えていた。

逆らわない。もう逆らいたくない。
私は本を横に置き、ハルと対峙する。

そして ハルのまなざしに向かって私が口を開く。

「ハル。さきちゃんね、死んじゃうんだよ。さきちゃん死んじゃうの・・」

悲しみも喜びもない平坦なトーンで私は言葉を放つ。
わずかな空気の振動がハルにまばたきをさせたのも一瞬のこと。

いつも私は中立なハルに救われる。
ビー玉のように動じることなく私を見つめるハルの目は、感情を手放し ありのままを
受け入れる包容力に満ちていた。

ーーーーーーー上の私の言葉に違和感を感じたならば、あなたの日常は幸福な証拠だ。

ここに来るまで、どれだけそしてどんな時間を過ごしてきたかを他人に想像しろ というのは
無理な話だ。無理ならば、無関心の方がありがたい。と感じたこともある。

完璧でない想像力は時として暴力にもなりうる。
不完全な想像力が結んだ映像を土台に、確信を作り上げてはならない。

一年後二年後にはほとんど全滅に近い難病であることを知らずに、5年生存率90パーセント
の病気を例に出して、「その人、元気になったんだよ・・だからさきちゃんも絶対大丈夫
だよ!」と励まし方をする人が少なからずいたのは事実。

私を慰めようと思って一生懸命言ってくれているのだから、ありがとう、と受け入れる。
でも、違うんだよ、そんな簡単なことじゃないんだよ。って心の中で思ってた。
絶対・・って言葉、そんなに簡単に使ってもいいものなの?って。

娘の旦那さんのヨッシイにそのことを言ったら、彼は フフッ と小さく笑って、
うるせっ!!って思いますよね・・と吐き捨てるように 言った。
・・・彼は普段からとんでもなく穏やかな人であることを付け加えておきたい。

不治の病に冒された子の母親として、私はいつも自分に問うていたことがある。
娘の立場に立って考え、行動し、感じているのか?

ここにも想像力が必要となって来る。しかも研ぎ澄まされた隙のない想像力が。
想像力の限界を思い知らされながら、私こそが全面的に想像力に頼らなければならなかった
のだ。

そう、そして私は問い続けた。
娘を失う可哀そうな母親と 自分を可哀想がってはいないか?
そういう風に周りから見られる自分を憐れんではいないか?

自分を可愛そうと思い始めたら、なんだか終わりなんじゃないかと直感で感じていた。
そうなりそうな時は、何とかして踏ん張った。

前回ここにあげた温泉旅行、行けたのは奇跡だったと思う。
あの直後、娘は口から何も受け付けなくなり、経管食のための管を入れる目的で
火曜日に入院した。

経管食に慣れるために、2週間の入院が必要と聞かされた。

ここに来て閉じ込めの状態で一人の時間を2週間も過ごすのは娘にとって地獄だろう・・
と私は想像した。

「自分の家で最後まで過ごしたい・・という娘の願いを叶えるために、これまで家族で
協力し合ってやってきました。彼女の傍には誰かしら家族がいて、話しかけ世話をし、
スキンシップを取ってきました。今彼女の生が残りわずかのこの時期に、一人ぼっちで
病院のベッドに置き去りにされるのはたぶん娘にとっても私にとっても耐え難いことです。
母親として、できる限り早く娘を自宅に戻してあげたい。
先生にその旨を伝えておいてくださいませんか?」

翌日、先生を交えて家族との話し合いを持たせていただき、経管食を中止し、代わりに
栄養水分補充の点滴をすることで退院許可をもらった。

娘は昨日退院して、念願の自宅に戻った。
ヨッシイは娘に24時間向き合うために会社の休みを取った。

「早希ちゃん、大好きだよ・・」と私は彼女の頬を掌で包みながら何度も言う。
彼女が初潮を迎えたころから 言ってこなかった言葉を、私は今何度でも繰り返す。

昨日ずっとお世話になっている訪問看護師の石黒さんとお話をする時間があった。
立場上、彼女は看護師さんとして最期の時の確認をしなければならなかった。
延命治療をするか否か、等。
全てを自然に任せるが、最後だけはモルヒネを使ってほしい、とアイトラッキングで伝えて
きた娘の意志を、再度石黒さんに伝えた。

石黒さんが「完璧なまでの家族の協力、温かい支えを見ることができました」と言ってくれた。

私は言った。「昨日ね、ヨッシイママが言ったの。大変だったけど充実してたって。
何か大事なものをもらった気がするって。私はその言葉が本当にうれしかった。
だって私達、嚥下食のシェフになれるんじゃないかってくらい、いろんな物作ってきた
からね。子供を失うって、私が考えうる中で一番の不幸だと思うけど、そんな不幸のさなか
でさえも幸せを感じることができるんだってわかってびっくりしたの。
悔しいけどね。ほんとに、なんで?って、誰彼に問いただしたくなるけれど、たぶんそこには
何の理由も意味もないんだと思うんだ」

石黒さんの目から、きれいな涙が一粒ポロリと落ちた。


















いくつになっても初めての経験は突如としてやってくる。
全く知らない方に向けて、便箋にして6枚くらいの手紙を書いて送った。

顔も見たこともない、写真ですら知らない。
喋ったこともない。メールもしたことない。
年齢はおいくつなのか、何をされている方なのかも知らない。
ただ知っていることは、その方は男性であり、ジャズピアニストの上原ひろみさんの熱烈なファンであるというだけ。

闘病中の娘に過ぎるほどの心配りをしてくださり、いろいろなものを送ってくださった。
ひろみちゃんのコンサート最前列をプレゼントしてくださったのも彼だ。

ささやかながら、感謝の気持ちを送って伝えることができた。

今の状況、そして私の気持ちがそこに全部詰まっているので残しておきたく、私信をここに
載せることにした。
以下一昨日、私が書いた Tさんへの手紙。

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突然のお手紙失礼致します。
私は早希の母親の藤田千恵子です。

娘が病気になり、日常生活に家事手伝い介護が必要になって以来、毎日のように娘の所へ
通っておりました。
その間、何度もTさまから温かい贈り物を受け取り、娘も周りの家族も励まされてまいりました。

お礼をお伝えしなくてはと思いながらも、時間に追われる毎日に任せて今日まで来てしまいした。 温かいお心配りの数々、心から感謝しております。ありがとうございました。

最前列で上原ひろみさんのコンサートを楽しめたことは、早希にとって間違いなく最高の
思い出となったことでしょう。ひろみさんのサイン入りチェキは、ダイニングテーブルの
目のつくところに飾らせてもらってます。薫り高いコーヒーを家族でゆったりと味合わせて
もらいました。カレーやプリン。いつもいつも娘の好みに合ったものを送ってくださるT様の
センスにも感心しておりました。

失礼であるのを承知で書かせていただくと、私たちの間ではT様のことを「足長おじさん」
と呼んでおりました。お顔は存じ上げませんが、いつも遠くで支えてくださる存在として
感じていたからです。

病気が発見されて以来、その病気の残酷な深刻さに打ちひしがれながらも決してあきらめず、
新たな治療法の治験などに積極的に参加してきましたが、最後のチャンスであるONC201
という治験が全く効かなかったことで、手持ちのカードを使い尽くし、7/1 医師から
余命3か月と告げられました。

その時から今までの約2か月間、母親である私は、家では泣き暮らし、娘の前では明るく・・
という辛い毎日を積み重ねてきました。

そういう状況下でも、T様が送ってくださったプリンはとても美味しかったです。
呑み込みの状態が悪くなっている娘も、スプーンで口に運んであげると、おいしそうに
食べていました。

早希に「何かしたいことある?」と聞くと、アイトラッキング(もう彼女は喋れませんので、
視線入力でパソコンの文字盤を使ってセンテンスを作り、コミュをはかっています)を使って、
「温泉に行きたい」と言いました。

それを知った私たちは、正直 難しいだろうな、と思ったのです。
それでも何とか早希の望みを叶えてあげたくて、父親中心に色々調べ上げ、
バリアフリー 貸し切り障害者用リフト付き温泉完備 ミキサー食対応 介護ベッド完備・・
という もうこれを逃したら他はない、と思える 河口湖の富士レイクホテルに8/25 8/26
で予約して行ってきました。 

車も 折りたたみ収納スロープを引っ張り出して車いすごと車内に乗り込み、固定可能な
レンタカーを借り、娘 娘の旦那さん 私達夫婦 息子 の5人で行ってまいりました。

不安だらけの旅でしたが一つ一つの難関をクリアしながら、結果とても楽しい旅となりました。

4人で介助しながらリフトを使って、河口湖が美しく広がる景色を眼前に 温泉にゆっくりと
つからせてあげられたことは、周りの私たちにとっても大きな幸せでした。

河口湖に行くたびに寄る「富士山クッキー」のクッキー詰め合わせと クッキーと同じ形
をした可愛らしい石鹸がありましたので、T様に送らせていただきます。
お茶の御供にしていただければ幸いです。

数週間前の T様からのBlue Note ひろみさんコンサートへのお誘いに、早希は行きたそうに
しておりましたが、何しろ今吸入器が手放せない状況で、他のお客様の迷惑になる可能性が
ありますのでライブ配信を選択することにしました。

本当にいつも早希のことを気遣ってくださり、ありがとうございます。

現在アイトラッキングをしても、思うようにSNSも使えない早希の代わりに、心から感謝の
気持ちを伝えさせていただきます。

早希の生がこれからどれくらい続くのかわかりませんが、失ってしまったものを悲しむよりも
今私が早希にできることに集中して行こうと決意を新たにしております。

T様、本当にありがとうございました。
お体にお気をつけてご自愛くださいませ。

                       早希の母 藤田千恵子














この世には2種類の人間がいる・・・と始まって、その後に両極端を二つ並べる表現を、
嫌いだなと感じていた。そんなに簡単にわりきれるものじゃないでしょ、という理由で。

この世には2種類の人間がいる・・助けて と言える人 と 言えない人。
そう、そして書き手がどちらに属するのかを明らかにすることで、自分の人間性の一部を提示
するのだとするならば、私は間違いなく後者だ。

私には賢く優しい友がいる。
でも彼らに何かのアドバイスを求めることをほとんどしない。何かを愚痴ったりもしてこな
かった。
今の辛い状況を聞かれれば、ありのままを私は伝え、彼らはただ一緒に泣いてくれた。

「助けて」と人に言えない私は 自分で自分を助けるしかない。
いつにも増して 今 私は 私に 助けられなければならない。

自分に優しくする。
厳しい自分を引っ込めて、とことん自分に優しくしてみよう そう思いついた。

だから私は、明日の自分のために 美味しいパンを焼く。
豆を挽き、コーヒーを淹れ、水道水で冷やし、香り高いアイスコーヒーを作る。

自分の作ったもの、選んだ物が大好きだ。
恥ずかしむべき自画自賛。
今それだけは許して欲しい・・あ・・助けて とは言えなくても 許して とは言えるんだ。

自分の作ったものに癒される 「痛い」 私。

書くこともきっとそうだ。
自分が書いた文章に 真綿のようにふんわりとくるまれたい。

そして好きだ と思えるものだけを純粋に選んでいきたい。
映画 本 人の言葉も。

何気なくテレビをつけていたら、料理研究家でシャンソン歌手の平野レミさんが、
去年亡くなられた御主人の和田誠さんについてお話をされていた。

そして私はその数時間後には、和田さんが監督をされた映画、「麻雀放浪記」を初めて
観て、上の空の状態となる。

そこに出ているある俳優さんに恋をしたのだ。
こう宣言しても何ら差し支えないのは・・その俳優さんはもうこの世にはいない。
そうか、この手があったんだ。これなら変なことになる要素がひとつもない

その俳優さんは、この映画でヒロポン中毒のイカサマに精通した雀士 出目徳 を演じている
「高品 格」さんだ。
ため息が出るほどただただカッコいい。
世の俳優さんの中で 今 一番好きだ。

悲しいことは、どんなに追いかけたくても、作品数はこれから増えることはないという
ところだ。ジミヘンの新曲が聴けないのと同じで。

私は麻雀を知らない。
まったく知らない世界なのに惹きつけられる。

タンピン ドラドラ、スーチー・・小耳に挟んだ用語だけで意味も分からずワクワクする。
響きなのかな
映画の中で、出目徳があがってこと切れた「九蓮宝燈」という手が、どんなにすごいものか
もわからないのに、その四文字に感動し、憧れる。

盲パイ という言葉と動作そのものも好きだ。
指先の触覚に頼るこの行為は私にとってこの上なくロマンチックなのだ。

ベッドのシーツに砂一粒落ちていても、人間の指先はその粒を感知できる と何かで読み、
ほんとにすごいことだ! と感心した経験がある。

私も似たようなことができるかもしれない。
盲パイ ならぬ 盲ハル である。

目をつぶって 愛犬ハルに触れる。
それがハルのどの部分であるのか 私の指の触角は、正確に細かく言い当てることができる
自信がある。

麻雀の退廃的な空気も好きだ。
私はギャンブルもせず犯罪も犯さずにここまで来てしまったけど、
もともとは退廃的な生活にのめりこむ素質が十二分にあることを自分でわかっている。

たまたま中流階級の親の揃う家庭に生まれ落ちたことで、その才能が開花しなかった
だけだということも知っている。

健全な生活をしながら いつも 退廃的な闇に憧れる。

最近の邦画で好きな映画は 「そこのみにて輝く」 「溺れるナイフ」 等。
映画を何度も見返すことをしない私なのに、千夏役の池脇千鶴さんのラストの笑顔が
観たいがために、「そこのみにて輝く」 を3回観ている。

だから明日の夜中の番組を楽しみにしてる。
これくらい書いてもいいかなと思って。




















束縛 を嫌うハルはおそらく正しい

ストーカーのように私を追い回すくせに、私の強い抱擁からは必死に逃れようとする

それを充分知った上で でも辛さに耐えられそうもない時、私は甘えて言う

ハル・・ごめん。ママ辛いから ぎゅっとさせてもらっていい?

言葉というよりも、私がまとう悲しみの粒子にフリーズし 上目遣いで私をじっと見るしぐさは
たぶん OK ということなんだろう。

私に身をゆだね 横たわったハルを 一ミリの隙間もないほどぎゅっと抱きしめる。

途端に 個々という概念が解き放たれて 境界が小気味よく消え去る

私の頬はハルのマズル  ハルのマズルは私の頬
 
でも実際の所 大嫌いな束縛を 我慢 しているハルが その時間をただ耐え忍んでいるのを
私は知っている

その我慢が 愛情 だなんて思っちゃいけない

ストレスの大きさを愛情に置き換えちゃいけない

空は青く 海は広く 私はバカだ

砂漠に雪が降ったの? そんなこともあるんだね

ハルの緊張がすっと抜けて リズミカルな寝息が私の耳元をくすぐり始める

毒蛇の執拗さで絡めていた私の腕が さらさらと透明感を増して行き、
ハルの皮膚の上で溶け 形 というものを無意味にする

共に皮膚呼吸する 

それが今 私の 

生きることの証







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Chie
性別:
女性
職業:
主婦 英語教師
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