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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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息子が成人にあいなったことで、表向き 我が家はみんな大人になった。

 気を抜いておふとんでまどろんでいる私をよそに、朝からさっさかシャワーを浴びてしゃきっとスーツに着替え、彼は式への参加準備に実に余念がない。

 面白くなさそうな式にわざわざ出席するなんて意外だな、と思ったけれど、よく聞いてみると 同年代が集まることのできるこの機会を、どうやら同窓会的場に途中からすりかえるつもりのようだ。

 ぱりっとした新成人に、「駅まで送ってってくれると嬉しいんだけど。」と、「甘える時はまだまだ甘えさせてもらいますから。」・・みたいなノリにしっかり乗っかってしまって、「んじゃ 写真、撮らせてくれるならいいよ。」と、寒さに震える息子のコートひっぺがして、スーツ姿を何枚かカメラにおさめてみたら、「なんとなく気の済んだ」母、すなわち私・・がいた。

 公園の入り口に、『1月10日(月)・・どんど焼きを行います。』の張り紙に、是非今年は参加しようと思っていたら、本当に参加できたので、これまた大いに私の気が済んだ。毎年お正月のお飾りをごみに捨てるに忍びなく、何個かたまっていたので、本当にすっきりしたのだ。

 参加費用の100円を払ったら、おみかんと、「Vの字」に割れた細い鋭角的な先端に、紅白のお餅が突き刺された竹の長い棒を渡された。

 明々と赤々と、炭火が強めの風に応えるように時たま炎を見せる。
知らない人と隣り合って、赤白のお餅 その上にかざし、視線の重なるその一番上に、私も行き場に困っている自分の視線を重ね合わせる。憩いのひととき。

 お正月飾りを飾って どんど焼きで焼いてもらう。
気が済む。というよりも、なかなかの贅沢だった・・のだ。

 



 毎年母宛てに来る年賀状。

 一年前の今頃のこと。
きみさんが自分で年賀状を書けなくなってからずっと返事を出さず仕舞なのに、それでも毎年年賀状をきっちりと元旦に送ってくださる方々の中に、懐かしいお名前を見つけた。

 私が小学校1年から2年にかけて住んでいた秋田での遊び友達、あきらくんのお母さんである。

 きみさんの気持ちを想像すると、年賀状を通してご縁が続いていた方たちに、現状を知らせることがいいことなのかどうなのかわからなくて、とても礼儀を欠いているとは思いながらもほったらかしにしていたのだ。

 でも、とても優しいおばちゃんであったあきらくんのお母さんには本当のことを知ってもらいたいと思い、去年の中ごろに葉書を出してみた。

 内容は、欠かさず送ってくださっていた年賀状のお礼 と きみさんの状況 と、そして「謝罪」である。

 「謝罪」とは、返事を書かずに重ねた不義理に対するものではない。実は私からおばちゃんへの謝罪なのだ。

 あんまり大声では言いたくないけれど、私は「超悪ガキ」だった。
年下のあきらくんを子分のように扱い、威張ってものすごく好き勝手に振舞っていたはずだ。

 自分が小さい頃した悪さの数々は、記憶から消せたら楽だろうに、そうはさせるものかと正義の神様が見張っているらしく、再現フィルムを作れそうなほど鮮明に覚えているのだ。

 その中でもワースト3にはいる悪事は、あきらくん一家が被害を被ったものだった。

 お転婆でこまっしゃくれた可愛くない7歳くらいの私が、いつものようにあきらくん家にやってくる。ふと横を見ると、小石で縁取りした小さな手作りの花壇に、チューリップの芽が所狭しと顔をのぞかせていた。

 私はそれを見て 思わずブルッとしてしまった。ちょこっとだけ頭を出している緑の突起が ずらずらと何列にもならんでいる光景に寒気がして、次の瞬間気がついたらそれらを長靴ではちゃめちゃに踏んづけていた。

 数日後、何もなかったように再び遊びに行った私に、おばちゃんはやさしくたずねたのだ。

「おじさんとおばさんが一生懸命植えたチューリップがね、踏んづけられてだめになってしまっていたの。ちいちゃん何か知らない?」

 おばちゃんはその時すでに、私の靴底と現場の足跡一致をあらかた確認した上で、聞いていたのだと思う。

 アホな私は・・というか 悪魔の私は、「全然知らないよ。なんか人影見たような気がする。」・・みたいなことをしゃあしゃあと言ってのけたのだ。

 その後もおばちゃんは、私が悪魔のような子だと知っていたはずなのに、ずっと優しくしてくれた・・・。

 私の謝罪がおばちゃんの元へ届いたのかどうか・・それに対するお返事はなく、あ~、やっぱり本当はとても怒っていたのね・・赦せない。と思われても仕方ないものね・・と、どこかで悔恨の念 ひきずりながら日々くらしていたら、去年 師走に入った頃に、あきらくん自身から葉書が届いた。

 おばちゃんの訃報をのせた喪中だった。

モノトーンの喪中葉書のわずかな空白に、「お葉書ありがとうございました。昔を思い出すと楽しいことばかりでなかなかご連絡ができませんでした。」というあきらくんの直筆が加えられていた。

おばちゃんは、私の謝罪を読んでくれたのだろうか?
それとも読まずに旅立たれたのだろうか?

おじちゃんもとうの昔に亡くなって、私は謝ることができなくなってしまった。

本当にあの時はごめんなさい。
改心して、そしてちゃんと罪を背負って生きていきますから。


 
初出勤日。朝礼参加のため、いつもよりダンナを早めに駅に送り届ける。
その分ハルの散歩も早まって、7時半には公園を歩いていた。

 ジーパンの、目の詰まったデニム生地を突き刺すほどに、本気の冬がふとももを冷やす。吐いては白い息。次、順番通り吸い込むと、オブラートのようなうすっぺらな冷気の膜が、鼻粘膜に一気に張り付いた。

 公園一体がフリーズドライの世界。瞬時に時がとめられ真空の肌触り。

 池は凍る。かそけくも水面に散り落ちてゆらいでいた葉っぱも、寒天よせの観、きっちり固められ、微動だにしない。

 以前見つけたシンメトリー。今や半透明の氷に閉じ込められてすがすがしさをそぎ落とされ、静寂の吹き溜まり身にまとい、耳を澄ましている。

とても寒い朝でした。








 昨夜、前々から元旦特番で一番楽しみにしていたものをかぶりつきで見ていた。

糸井さんと住吉さんと、いちろうくんの対談です。

 野球に疎い私が一番彼に興味を持つ部分は、彼の体の作り方と自分に対するマインドコントロールに他ならない。

 そしてこういう対談を観たり読んだり聞いたりするうちに、彼の鍛え上げられた「しなやかで強靭な肉体と精神」にぶあつく覆われてしまっていた、いちろうくんの素の部分が見え隠れし始め、その繊細な人間らしさに私は愛着を持たずにいられなくなるのです。

 彼のスマートさは、彼の、正しい方向性をすばやく見極める優れた能力と、その方向に向かって ひとつひとつ必要なものを積み重ねて着実に進んで行くゆるぎなさに起因すると思う。

 私はびっくりしたのだ。
いちろうくんは、小学校4年生くらいのときに バトンを振る女の子のきれいな足に釘付けになり・・ここからがいちろうくんの普通と違うところなのだが・・彼女の歩き方を自分にとりいれることで自分の足の線を矯正しようとしていたというのだ。

 そうやって小さいときから自分の体のひとつひとつと真摯に向き合い、自分が必要だと思うことをきっちりやってきたことが、今のいちろうくんを作っているんだね、きっと。

 私のバレエの友達が、「イチローのストレッチや動きを見てると、バレエダンサーなんじゃないかと思ってしまう。」と言っていた。

 確かに彼の股関節の柔らかさや、骨盤を前に前に出して重心を確かめている動作などを見ると、彼女の言うことはもっともだと思う。

 「録画で見る自分の姿が、自分のイメージしていたフォームに劣ることはない。」と言い切ったいちろうくん。プロフェッショナルだね! とてもかっこいい。

 彼がもくもくとやっていることは、周りからすれば ちょっと鼻につく優等生に見えたり、彼の常套手段であるポーカーフェイスがまたよりその傾向を助長したりするのだろうけれど、彼の誠実さと繊細さは、年月の試練を経ることで 周りの人たちにもより着実に浸透していくものだと思う。

 人間として大きくなっていくだろう時に、プレイヤーとして最高点でいられないかもしれない・・ということを、受け止められない様子でしたが、そのときになれば、また今とは違ういちろうくんがいるわけで、すべてのことが違った景色で見えるということもあり得るので、今そんなこと考えなくったっていいんじゃないかと思うのよ。

 少なくとも私は、そのまんまのあなたを応援しています。

それにしても糸井さん、おはぎおいしそうに食べてましたね。
小豆を自分で煮るというあなたの甘党かげんが画面にも映し出されていましたよ。

お餅がたくさん揃っているお正月。
私も今日はおぜんざいでも食べようかな。
朝日が差し込む部屋の中で、鹿児島や鳥取の雪景色をテレビで見ていた。

 年賀状の枚数分、何十羽もはがきの片隅にうさぎを印刷したせいだろうか、積もる雪の上をぴょんぴょん跳ね、可愛い足跡を残して瞬く間に姿を消す白うさぎが見えた気がした。

 年が明けて元旦の今日。
いつも通りのお正月を過ごせることに、いつも以上に感謝の気持ちが湧き上がる。
そういう年になったということかな。

 年末に大掃除をして、おせちとお雑煮を食べるお正月。
ここまで四半世紀やってきてしまったのだから、体の動く限り私は続けると思うけど、実際問題あんまり意味がなくなってきているのかもしれないとも思うのだ。

 元旦も24時間営業のコンビニがあり、ほとんどのお店も2日から開店しているのだから。

 自分の娘や息子が独立して、私と同じようにお正月を過ごすとはとても考えにくいし。彼らはもうすでに年賀状を出していない。携帯メールで「あけおめ~。ことよろ~。」で事足りるようだ。

お正月のあり方も、これからはどんどん変わっていくのだろうな。

 私も実際そんなえらそうなことは言えないレベル。多分2世代前くらいまではすべて手作りであったろうおせちのほとんどを生協で頼んでいるのだから。
ちゃんと作るのは、お煮しめとチャーシューくらい。

 それでも一年間閉まわれていた御わんを取り出しお雑煮をよそうと、ピリッとひきしまるから不思議だ。

 今朝 7時に目覚め、生まれたばかりの初日の出を写真におさめてみた。









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