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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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子供たちがよちよちとお砂場で遊んでいた時代に知り合ったお母さん仲間3人とのランチを久々に楽しんできた。その子供達が今では20歳を超えているのだから、この付き合いもかれこれ20年以上ということになる。

 20才前後の娘さん息子さんであっても、彼らの赤ちゃん時代、幼少時代を知っていると思いはまた格別。立派に大きく成長したお子様達の現在の様子を聞きながらも、ちらちらと横切る昔の彼らの面影が、彼らの成長 またそこに流れた時の大きさを わかりやすく具体化してくれる。

 思い返すと、互いの家に行ったり来たりして何度お昼を一緒に食べただろうか。
そこでご馳走になった手料理のレシピを教えてもらったり、またある時は教えたり。お互いの定番料理やお菓子の中には共通のものもいくつかあるはず。

 「タルトタタンの究極レシピに到達したの」・・という友達が、今日ねだる私にそのレシピを快く伝授してくれた。明日、紅玉りんごを調達して作るつもり。

 3人のうちのひとりの友達は、今でもバレエのオープンクラスで時々一緒に汗を流している。

 もうひとりの友達は、私がバレエを始めるきっかけを作ってくれた人。
お互いの息子が3歳のとき、自分の時間を作るために子供の「あずけっこ」を始めたのだ。

 週に2回、お姉ちゃん達が幼稚園に行った後、お弁当持ちの子供をお互いの家にかわりばんこにあずけることで、数時間の自由時間を可能にした。

 私は、火曜日午前中のその時間にバレエのクラスに通いだし、彼女は好きな洋裁のために生地屋さんに行ったりしていた。

 二人とも今だに 洋裁 バレエを続けられているのは、あのときの始まりがあったからだと思う。

 息子達も 友達のうちに行ったり来たりするのをそれは楽しみにしていたものだ。
自由時間がなく閉塞感を感じやすい幼児期の子供を持つ母親に、これはとてもお勧めです。

 でも 子供同士の相性や、母親同士の信頼感が重要になってくるので、誰とでもできることではないとは思いますが。

 子供をきっかけに始まり、子供の成長とともに私達の関係も成長し、子供が成人したこれからは、またどんな関係になっていくのかが とても楽しみでもあるのです。
 今の流行に乗じているわけではないが、「いらないものは買わない」 「不必要なものはスペースの無駄使いだから処分しよう」 と、いつも思ってはいるのだ。

 思ってはいるのに 真逆のこともちょこちょこ間にはさんでしまうのが、何事にも徹底を欠いてしまう私のいい加減さの表れで。

 お友達に頂いた花束のきれいなリボンが捨てられない。
「再利用」 というエコ的要素が 私の情緒的思いに加味して、結果捨てられない。

物にこだわりすぎると不自由だってわかってる。だから今あるものをずっと使おうと思ってるのに、デザイン性、色合い、形、素材感、使いよさ 着心地などが 自分の何かにマッチしてしまうと、誘惑に負けて買ってしまうときがある。

 こんな風だから 少しづつ不用品を処分しているのに、なんだかいつも物飽和状態の感がある。

 ブログのタイトル、「My favorite things」 から、「My simple life」 に変えたほうがいいかもね。

 今少し雨が降り出しました。
マンションの、渡り廊下から見下ろす公園の木々が 色づき始めています。
いつもあの下をハルと歩いているのね。







普通の主婦をやっていて、お部屋中が いただいたたくさんのお花たちの香りに包まれる・・なんてことはこの上ない喜びで・・今私はまさしくその至福の中にいます。

 昨日のバレエの発表会にいらしてくださったお友達や生徒さん。こんな私のために時間をさいてくれたことだけでも感激なのに、素晴らしく美しいお花まで持ってきて下さって。

 日常に戻り、雑事のために家の中を行ったり来たりしながらも、目の端にいつも華やかなお花たちがいてくれて、一息ついてはそばに行って話しかけるように見つめたり、顔を近づけて香りを楽しんだり。

 ひとつひとつのお花がそれぞれに美しく、「世界にひとつだけの花」。
 バレエ適応年齢を 大きく大きく超えてしまっている私ですが、自分の心や体と静かに対話しながら その時期にしか咲かすことのできない 「ひとつだけの花」 の開花にむけて、また新たに少しづつ積み重ねて行こう。と、とても真面目に考えた今朝 でした。   ありがとう。

 今日は、これから息子の通う料理専門学校の学園祭に行ってきます。
今年生徒会の会長を担っている息子は、学校生活とバイトで、ほとんど休みなしの働きすぎのサラリーマンのような毎日。

 彼の疲れた横顔をちらりと見ながら 口に出すことのできない心配を 「だいじょうぶなの?」 のひとことに精一杯もりこんで、「平気じゃないけど平気。」という安心できない答えを受けてまた抱え込む、という繰り返し。

 その頑張りの成果を、この目で見てこようと思います。
  
 アレルギーにも黄砂にも負けずに、私も頑張ります。

 







 私の枕元の壁には、健康雑誌の 「切り取り付録」 だった 「富士山」 の写真がはってある・・と以前に書いたことがある。 そして今でもその富士山は、私の無防備な寝姿を 毎日見下ろす形をとらされているのだ。

 その写真は、「湖映雪姿」 と枠外に題されてあるだけあって、雪帽子をかぶった富士山の姿が 鏡のように湖に映りこんでいて、山の麓と湖との接線を軸にシンメトリーの美しさを楽しめる、というわけで、つまり 2倍2倍の美しさ。

 早朝散歩をしていたら、公園の小さな池にもシンメトリーを見つけた。
覆い茂る木々が池に映りこんでいるのだが、肉眼で見ると 実際の風景よりもその反映の方が色濃く美しく見えるから不思議だ。

 いや待てよ。映っているもののほうがきれいって・・何よ。鏡に映る自分の顔も実際よりましに映っているのだとしたら・・。つまり・・。 いやいや、そんな微妙な差、ここまで来たら誤差の範疇でしょ。もう。

自分を映している鏡を割ると7年間不運が続く とか、写真を撮られると魂までも持って行かれる とか、そういう風に考えてしまうのってすごくわかる気がする。何故7年間なのかはわからないけれど。

 「映る」もの, 「写る」もの。手を伸ばして触れたとしても、そこには実質実体は存在しない。そんなはかなさに憧れを抱いてしまう。その二次元的実像存在に、思い入れを差し込みたくなってしまう。

 テレビや映画、写真。
そこに存在する人たちにさえも。

その人の、そのときの思いや願いも一諸になって像を結ぶと 思いたいのだ。
 
 



ちょっとした不運をきっかけに それまで考えもしなかった自身のブログを始めてから、予想外の楽しいおまけが付いてきた。 「写真を撮る。」ということだ。

 振り返ると 写真を撮るという経験の集中的な波が、これまでに2~3度あったように思う。

 最初の波の始まりは、小学校高学年で初めて手にした家庭用小型カメラ、「オリンパスペン」を、遠足に持って行くのを許されたときだ。

 友達や先生の笑顔、景色等を思う存分とって興奮したことを覚えている。もちろんモノクロの時代。

 次の大きな波は、子供が生まれた時。
ビデオとカメラをフル稼動して、一ミリの子供の成長も逃したくないという勢いで、それらを構えていたものだ。

 そして その後子供が大きくなるに連れて、私のカメラ的 「失われた時代」に突入してしまうのである。

 それがだ。去年からブログを始めて日常的にカメラを持つようになり、そうしてみるとなんという楽しい経験であろうか。と思い至る現在。

 カメラを持たずに出かけて行って、これ、撮りたい。惜しいな。と思うことがあるって、なんだかわからないけれど良かったな。と思うのだ。













 


 
 
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