日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
肉体労働の後に、砂糖だらけの揚げねじりパンをほおばる。
ローズヒップティーを一口飲んで、ほっと一息。
あーやっと落ち着いた。
子供たちが独立して家を出て以来、私の頭の中は、
あることにほとんど占領されていた。
どのように部屋を模様替えすれば、大人の、身ぎれいで
心穏やかな生活へと近づけるのか・・。
それをず~と考えていたんだ。
考えるだけでなく 粗大ゴミの申し込みをして、順序良く
不用品を出したり、憧れのベッドルームと書斎(・・なんて
すごいもんじゃないけどね。)を、娘と息子が使っていた
部屋に実現させようとかなり積極的に動いてきた。
新しく家具を買ったり、組み立てたり、
時には 一人でいらない毛布を使って、大きな家具を
移動させたりしていたのだ。
たくさん動けた身体に、感謝。
で、今日もたくさん働いた後、甘いものを摂ったら、
身体も心も、大喜び!!のさなか、あ、ブログ
さぼってる・・・とふと思い出し、書き始めたところです。
息子が思春期にぼっこり空けたいくつかの壁の穴も、
ふさいでもらって、クロスも落ち着いた模様つきのものに
替えてもらった。
職人さんとかが家にはいるでしょ?
器用にテンポ良くクロス張り替えたり、重いものをたくましく
運んでくれたりする姿を目の当たりにすると、私は、
必ず 「こりゃ負けたな。」となぜか思う。
普段は人と何かを較べたり 勝ち負けを意識したり全然しない
のに、時々ふとそう思うことがあるのだ。
そういえば 最近 はっきりそれを意識したのは、
朝に車の運転をしていた時だ。
車のフロントガラスいっぱいに、まん前で自転車をこいでいる
若いお母さんがいた。
お母さんは、自分の前後に子供をひとりずつ乗せて、
重そうにペダルをこいでいた。
「負けた。完璧負け。」
人の、「ものともしない」感じが好きだ。
そして、そういう人たちに 完敗するのも、たぶん
好きなのである。
ローズヒップティーを一口飲んで、ほっと一息。
あーやっと落ち着いた。
子供たちが独立して家を出て以来、私の頭の中は、
あることにほとんど占領されていた。
どのように部屋を模様替えすれば、大人の、身ぎれいで
心穏やかな生活へと近づけるのか・・。
それをず~と考えていたんだ。
考えるだけでなく 粗大ゴミの申し込みをして、順序良く
不用品を出したり、憧れのベッドルームと書斎(・・なんて
すごいもんじゃないけどね。)を、娘と息子が使っていた
部屋に実現させようとかなり積極的に動いてきた。
新しく家具を買ったり、組み立てたり、
時には 一人でいらない毛布を使って、大きな家具を
移動させたりしていたのだ。
たくさん動けた身体に、感謝。
で、今日もたくさん働いた後、甘いものを摂ったら、
身体も心も、大喜び!!のさなか、あ、ブログ
さぼってる・・・とふと思い出し、書き始めたところです。
息子が思春期にぼっこり空けたいくつかの壁の穴も、
ふさいでもらって、クロスも落ち着いた模様つきのものに
替えてもらった。
職人さんとかが家にはいるでしょ?
器用にテンポ良くクロス張り替えたり、重いものをたくましく
運んでくれたりする姿を目の当たりにすると、私は、
必ず 「こりゃ負けたな。」となぜか思う。
普段は人と何かを較べたり 勝ち負けを意識したり全然しない
のに、時々ふとそう思うことがあるのだ。
そういえば 最近 はっきりそれを意識したのは、
朝に車の運転をしていた時だ。
車のフロントガラスいっぱいに、まん前で自転車をこいでいる
若いお母さんがいた。
お母さんは、自分の前後に子供をひとりずつ乗せて、
重そうにペダルをこいでいた。
「負けた。完璧負け。」
人の、「ものともしない」感じが好きだ。
そして、そういう人たちに 完敗するのも、たぶん
好きなのである。
一歩外へ出れば、今の時期 どこかしらでお目にかかれる
美しい桜たち。





昨日ハルのシャンプーカットをしてもらったら、できあがりに
つけてくれる「おりぼん」までもが、「桜」 だった。
目の当たりにすると、けっこうこれ、スゴイっす。
ハルを飼い始めた頃、このシャンプー後のおりぼんがすごい
抵抗あってすぐに取り外していたものだ。
でも今や慣れちゃって
「ふーん。今日は桜か・・・犬種との、めちゃくちゃミスマッチが
案外いいかもね。」 などとほざいて、2日目の今日も、ハルが
部屋を横切ると、一緒に フェイクの桜がちらちらと移動します。
そんな私をたしなめるように、「ハルは実はおっさんなんだから
ね。」と、普段埋もれている事実をこじ開けては引っ張り出して
来るのが、だんなの役目。
おっさんでも、可愛いからいいの!
そう言えば、最近載っけたラナンキュラスの花の写真をアネモネ
と間違えたり、サンシュ と書いたつもりが 実は コブシ と書い
てあったり私のミスが目立ちます。
ポビーにはさまれたお花がアネモネです。


ちょっと無責任ですが、「私はたまに嘘を言うこともある。」
ということで理解してもらって、わざわざ直しません。
嘘? フェイク? 嘘とフェイク。似てるようで似ていない。
フェイクの桜おりぼん・・じゃあないですが、最近 生花にこだわり
過ぎるのをやめました。
フェイクにはフェイクの良さがある。と、今玄関にはハーブの
造花が飾ってあります。写真見て造花だってわかる?

昔々、私は人に、
「よくよく考えると、私のどこをとってもすべてフェイクであり、
本物が見当たらないことに気づいた。
人との関係も実質的なものよりも、フェイクの関係に意味
を求めすぎてしまったんだ。」と、手紙に書いたことがある。
私個人のことは置いといて・・でも・・もしもそれが長い長い
時間経過の試練に耐えることができたのであれば、フェイクも
本物になることがあるのかもしれないと、つい最近思ったのだ。
肌の温かみを感じるほど近くにいる関係性。
同じ時代にいながら、交じり合うことが難しい関係性。
そうであっても、ある人が、まったく立場の違う人の隣に寄り添おうと
するとき、ひとつ垣根は取り払われるのだ。
困窮し、飢餓に苦しむ市民の話を聞いて、
「パンがないのなら、お菓子を食べればいいじゃない。」と
言ったマリーアントワネットにならないための努力を、
私はとても評価したい。
バイトはいいね。
経験によって、ある無意味だったものが、突然意味を持って
立体化するから。
ハルのフェイクりぼんから、とんだわけのわからない話に
飛んで申し訳ない。
信じていれば、いつかそのときが来るのかな。
美しい桜たち。
昨日ハルのシャンプーカットをしてもらったら、できあがりに
つけてくれる「おりぼん」までもが、「桜」 だった。
目の当たりにすると、けっこうこれ、スゴイっす。
ハルを飼い始めた頃、このシャンプー後のおりぼんがすごい
抵抗あってすぐに取り外していたものだ。
でも今や慣れちゃって
「ふーん。今日は桜か・・・犬種との、めちゃくちゃミスマッチが
案外いいかもね。」 などとほざいて、2日目の今日も、ハルが
部屋を横切ると、一緒に フェイクの桜がちらちらと移動します。
そんな私をたしなめるように、「ハルは実はおっさんなんだから
ね。」と、普段埋もれている事実をこじ開けては引っ張り出して
来るのが、だんなの役目。
おっさんでも、可愛いからいいの!
そう言えば、最近載っけたラナンキュラスの花の写真をアネモネ
と間違えたり、サンシュ と書いたつもりが 実は コブシ と書い
てあったり私のミスが目立ちます。
ポビーにはさまれたお花がアネモネです。
ちょっと無責任ですが、「私はたまに嘘を言うこともある。」
ということで理解してもらって、わざわざ直しません。
嘘? フェイク? 嘘とフェイク。似てるようで似ていない。
フェイクの桜おりぼん・・じゃあないですが、最近 生花にこだわり
過ぎるのをやめました。
フェイクにはフェイクの良さがある。と、今玄関にはハーブの
造花が飾ってあります。写真見て造花だってわかる?
昔々、私は人に、
「よくよく考えると、私のどこをとってもすべてフェイクであり、
本物が見当たらないことに気づいた。
人との関係も実質的なものよりも、フェイクの関係に意味
を求めすぎてしまったんだ。」と、手紙に書いたことがある。
私個人のことは置いといて・・でも・・もしもそれが長い長い
時間経過の試練に耐えることができたのであれば、フェイクも
本物になることがあるのかもしれないと、つい最近思ったのだ。
肌の温かみを感じるほど近くにいる関係性。
同じ時代にいながら、交じり合うことが難しい関係性。
そうであっても、ある人が、まったく立場の違う人の隣に寄り添おうと
するとき、ひとつ垣根は取り払われるのだ。
困窮し、飢餓に苦しむ市民の話を聞いて、
「パンがないのなら、お菓子を食べればいいじゃない。」と
言ったマリーアントワネットにならないための努力を、
私はとても評価したい。
バイトはいいね。
経験によって、ある無意味だったものが、突然意味を持って
立体化するから。
ハルのフェイクりぼんから、とんだわけのわからない話に
飛んで申し訳ない。
信じていれば、いつかそのときが来るのかな。
4月ついたち、エイプリルフール。
エイプリルフールはさておき、4/1は、元旦と同じくらいの
刷新感がある。学校だって進級月だし、若者は働き始め、
桜は確実に咲く。
で、連ドラのカーネーションも、とうとう終わってしまい、
新シリーズが始まろうとしている。
この一年間、病気になったり 子供たちが独立したり 母が
亡くなったりと、私にとってまさに人生の節目といえるような
ことがあい続いた。
そんな中、喜びのときも悲しみのときも、カーネーション
だけは欠かさず観ては、次の日へとつなげてきたのだ。
最初から最後まで一貫していた、小原糸子を中心に繰り広げ
られる 甘ったるさのない しなやかな人間関係によって、
また そこで交わされる歯切れの良いやりとりによって、
時には元気を 時には感情の振幅を 与え続けてもらって
いた。
糸子の比較的若い時代を演じた尾野真千子さんから、晩年
の糸子役の夏木マリさんに代わると聞いて、最初受けたショック
も、実際まったく必要のないものだった。
「歳をとりました。」・・・というナレーションで初登場する
夏木マリさんに、何の不自然さも感ずることなく 時を経た
オハラ洋装店に再度吸い込まれていった。
それどころか、観終えてみると、ひとつの続きのドラマで
ありながら、二つの素晴らしいドラマを見せてもらったような
気持ちにしてくれた。
こんなにのめり込めたのは、それぞれの俳優さんや裏方さん達
の素晴らしさ、またモデルである越野ファミリーの魅力に起因
することは言うまでもないが、「渡辺あやさん」という脚本家
の底力にも、私は完全脱帽です。
彼女についてネット検索させてもらってみると、
「メゾンドヒミコ」「天然コケコッコー」「火の魚」など、
私がこれまで印象に残っていた映画やテレビドラマの脚本を
たくさん書かれていることが判明した。
次はどんな作品を書いてくれるのかな。と楽しみになる。
「楽しみ」は間違いなく喜びであり、幸せにつながる。
昨日、3月30日生まれである娘に、ケーキとプレゼントを
持って彼女の新居まで行って来た。
リクエストの紅茶のケーキはふわんふわんにできて、一緒に
食べることを私も楽しみにしていたのだが、都合でかなわず
ホールごと置いてきてしまってちょっと残念。
彼女のために焼いたのに、こんな風に感じてしまうなんて、
歳をとっても、まだまだ子供っぽい母親です。
今日は昨日と違ってとてもいい天気。
お散歩日和です。











エイプリルフールはさておき、4/1は、元旦と同じくらいの
刷新感がある。学校だって進級月だし、若者は働き始め、
桜は確実に咲く。
で、連ドラのカーネーションも、とうとう終わってしまい、
新シリーズが始まろうとしている。
この一年間、病気になったり 子供たちが独立したり 母が
亡くなったりと、私にとってまさに人生の節目といえるような
ことがあい続いた。
そんな中、喜びのときも悲しみのときも、カーネーション
だけは欠かさず観ては、次の日へとつなげてきたのだ。
最初から最後まで一貫していた、小原糸子を中心に繰り広げ
られる 甘ったるさのない しなやかな人間関係によって、
また そこで交わされる歯切れの良いやりとりによって、
時には元気を 時には感情の振幅を 与え続けてもらって
いた。
糸子の比較的若い時代を演じた尾野真千子さんから、晩年
の糸子役の夏木マリさんに代わると聞いて、最初受けたショック
も、実際まったく必要のないものだった。
「歳をとりました。」・・・というナレーションで初登場する
夏木マリさんに、何の不自然さも感ずることなく 時を経た
オハラ洋装店に再度吸い込まれていった。
それどころか、観終えてみると、ひとつの続きのドラマで
ありながら、二つの素晴らしいドラマを見せてもらったような
気持ちにしてくれた。
こんなにのめり込めたのは、それぞれの俳優さんや裏方さん達
の素晴らしさ、またモデルである越野ファミリーの魅力に起因
することは言うまでもないが、「渡辺あやさん」という脚本家
の底力にも、私は完全脱帽です。
彼女についてネット検索させてもらってみると、
「メゾンドヒミコ」「天然コケコッコー」「火の魚」など、
私がこれまで印象に残っていた映画やテレビドラマの脚本を
たくさん書かれていることが判明した。
次はどんな作品を書いてくれるのかな。と楽しみになる。
「楽しみ」は間違いなく喜びであり、幸せにつながる。
昨日、3月30日生まれである娘に、ケーキとプレゼントを
持って彼女の新居まで行って来た。
リクエストの紅茶のケーキはふわんふわんにできて、一緒に
食べることを私も楽しみにしていたのだが、都合でかなわず
ホールごと置いてきてしまってちょっと残念。
彼女のために焼いたのに、こんな風に感じてしまうなんて、
歳をとっても、まだまだ子供っぽい母親です。
今日は昨日と違ってとてもいい天気。
お散歩日和です。
いつの間にか 春ですね。
冷たくはりつめた空気が緩むにつれて、硬いつぼみも内向的な
態度を素直に改め 緊張を解放してにっこり笑顔を向ける。
SDカードにためてしまった春の花たち。
梅 こぶし 沈丁花 菜の花 早咲きの桜。










貴美さん(母)の写真の横にも 春の花を飾った。
アネモネは私の好きな花のひとつ。

貴美さんは、どうだったかな。
母が亡くなって、一ヶ月が過ぎた。
その直後よりも、日が経つにつれて言いようのない
欠落感を抱いている。
父親には悪いが、この感覚は父のときには感じなかった
ものだ。
貴美さんの体温、匂い、やわらかい肌の感触。
これらはすべて、若い母と小さな私がもつれ合うように送って
いた 蜜月の日々に、みっちりと隅々まで敷き詰められていた。
さかのぼれば 私は貴美さんのビロードのような子宮の中で
何の心配も無く浮遊していた。
「逝った人を、自分勝手に追い求めるのではなく、亡くなら
れた方の世界に波長を合わせれば、直接的に再会することは
不可能でも、あなたの愛する人はいろんな形になって現れて
くれるものです。」告別式の時、お坊さんがおっしゃっていた。
波長を合わせることができたのかどうかはわからないが、
最近貴美さんが頻繁に夢に出てくるようになった。
夢の中の貴美さんはめちゃくちゃ明るく かしましく、
私は・・これよ。これこそ貴美さんだわ。と思うのである。
夢の中の私が、
「私、小学生の時、まだ貴美さんのおっぱい触っていたよね。」
というと、「そうやったねえ・・。」と、彼女はやさしげに
目を細めた。
そこで私は、押さえきれなくなり、貴美さんのやわらかな
胸の上にそおっと手を置いてみる。
こみあげてくるものがあり、気がついたら泣きながら目覚めて
いた。
とてもリアルな感触が残っている手のひらを、ふとんの上に
座ってしばらく見つめていた。
冷たくはりつめた空気が緩むにつれて、硬いつぼみも内向的な
態度を素直に改め 緊張を解放してにっこり笑顔を向ける。
SDカードにためてしまった春の花たち。
梅 こぶし 沈丁花 菜の花 早咲きの桜。
貴美さん(母)の写真の横にも 春の花を飾った。
アネモネは私の好きな花のひとつ。
貴美さんは、どうだったかな。
母が亡くなって、一ヶ月が過ぎた。
その直後よりも、日が経つにつれて言いようのない
欠落感を抱いている。
父親には悪いが、この感覚は父のときには感じなかった
ものだ。
貴美さんの体温、匂い、やわらかい肌の感触。
これらはすべて、若い母と小さな私がもつれ合うように送って
いた 蜜月の日々に、みっちりと隅々まで敷き詰められていた。
さかのぼれば 私は貴美さんのビロードのような子宮の中で
何の心配も無く浮遊していた。
「逝った人を、自分勝手に追い求めるのではなく、亡くなら
れた方の世界に波長を合わせれば、直接的に再会することは
不可能でも、あなたの愛する人はいろんな形になって現れて
くれるものです。」告別式の時、お坊さんがおっしゃっていた。
波長を合わせることができたのかどうかはわからないが、
最近貴美さんが頻繁に夢に出てくるようになった。
夢の中の貴美さんはめちゃくちゃ明るく かしましく、
私は・・これよ。これこそ貴美さんだわ。と思うのである。
夢の中の私が、
「私、小学生の時、まだ貴美さんのおっぱい触っていたよね。」
というと、「そうやったねえ・・。」と、彼女はやさしげに
目を細めた。
そこで私は、押さえきれなくなり、貴美さんのやわらかな
胸の上にそおっと手を置いてみる。
こみあげてくるものがあり、気がついたら泣きながら目覚めて
いた。
とてもリアルな感触が残っている手のひらを、ふとんの上に
座ってしばらく見つめていた。
春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける
急に万葉集から歌なんぞ拾い上げたりして、またもやクリッと
ねじ巻き式のタイマーか何かが、変な方向に巻かれてしまった
んじゃないかと思ってるでしょ。
それも確かに否めないのだけれどね。
朝、ハルとの散歩から帰って、新聞を読む。(朝日です。念のため)
私にとってこれは、余裕がある証拠。 よしよし。
深めの呼吸を意識しながら わさわさとページを
めくっていたら、第四回万葉こども賞コンクールの記事に
出会ってしまった。
作文の部の受賞者は、中学一年生の女の子で、上にあげた歌を
とりあげていた。
と、もうこれがびっくりで・・。なぜなら私が50年
以上生きてきて、やっとたどり着いた心境に、まだ10年ちょっと
しか生きていない女の子が、より着実にたどりついていることが
その作文を読むと明白だったからだ。
しかも、輝かしいばかりのみずみずしさをもって、なんの不自然さ
もなく、彼女はそこに、すくっと立っていた。
いったい・・遠い将来、50歳になった彼女の目には
何が映るのだろう。
そのときの彼女の心は何を感じるのだろう。
私が来世(あるとすればの話だけれどね。)で、もみくちゃに
されて学ばなければ得られないような感覚を、きっと彼女は今の
私の年齢になったときに感じるに違いない。
貧富の差 能力の差 体力の差 運の良し悪し。
いろいろ文句を言いたくなるような個人個人の 差は数あれど、
この 言わば 魂の透明度の差 は、まったく文句の言えない
ただひれ伏すしかないもののように私には思えるのだ。
彼女が、万葉歌の作者 山部赤人と、彼女の大好きな
「赤毛のアン」の作者モンゴメリからメッセージを受け取った
ように、私も彼女から「心の自由」というメッセージを
みずみずしい香りとともに受け取りました。
急に万葉集から歌なんぞ拾い上げたりして、またもやクリッと
ねじ巻き式のタイマーか何かが、変な方向に巻かれてしまった
んじゃないかと思ってるでしょ。
それも確かに否めないのだけれどね。
朝、ハルとの散歩から帰って、新聞を読む。(朝日です。念のため)
私にとってこれは、余裕がある証拠。 よしよし。
深めの呼吸を意識しながら わさわさとページを
めくっていたら、第四回万葉こども賞コンクールの記事に
出会ってしまった。
作文の部の受賞者は、中学一年生の女の子で、上にあげた歌を
とりあげていた。
と、もうこれがびっくりで・・。なぜなら私が50年
以上生きてきて、やっとたどり着いた心境に、まだ10年ちょっと
しか生きていない女の子が、より着実にたどりついていることが
その作文を読むと明白だったからだ。
しかも、輝かしいばかりのみずみずしさをもって、なんの不自然さ
もなく、彼女はそこに、すくっと立っていた。
いったい・・遠い将来、50歳になった彼女の目には
何が映るのだろう。
そのときの彼女の心は何を感じるのだろう。
私が来世(あるとすればの話だけれどね。)で、もみくちゃに
されて学ばなければ得られないような感覚を、きっと彼女は今の
私の年齢になったときに感じるに違いない。
貧富の差 能力の差 体力の差 運の良し悪し。
いろいろ文句を言いたくなるような個人個人の 差は数あれど、
この 言わば 魂の透明度の差 は、まったく文句の言えない
ただひれ伏すしかないもののように私には思えるのだ。
彼女が、万葉歌の作者 山部赤人と、彼女の大好きな
「赤毛のアン」の作者モンゴメリからメッセージを受け取った
ように、私も彼女から「心の自由」というメッセージを
みずみずしい香りとともに受け取りました。
カレンダー
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 14 | 15 | |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[02/03 <a href="https://aclf.ru/">selector casino vojti</a>]
[02/01 JamesDwems]
[01/29 Kophes]
[11/06 https://propranolol-global.github.io/]
[02/01 extiday]
最新TB
ブログ内検索
P R