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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 昔よく焼いたロールケーキを、久しぶりに復活させて 機会あるごとに持っていってたら、「ちえちゃんの、あのロールケーキが、またどうしても食べたい。」と、数人の方が言ってくれた。 くすぐったくも嬉しくて、リクエストに応えてしまう。

 娘が、「家で作ったコロッケが食べたい。」と言ったときも、「面倒なことを・・」と言いながら 結局いそいそと作ってしまったように。

「あなたの~が好きなのです。あなたの作った~が食べたい。」は、魔法の言葉。
自分がやりたいからやってることでも、やっぱり人の評価ってモチベーションあげてくれるものなのね。

 で、気をよくした私は、ロールケーキを2本焼いて、昨日 英語仲間の打ち合わせに持ち込み、お茶のお供にしてもらった。

 私が英語のミーティングに行っている間に、だんながクックパットで調べてビーフシチューを作ってくれた。  料理の腕をあげて何でもおいしく作ってしまうだんなに、土日の夕食はほとんど任せてしまっている。 

最近、料理が趣味だ。なんて、宝くじにでも当たったくらいに、私としてはありがたいことだ。

そうやって、ちょっとクリスマスを意識したケーキやシチューを食べてはみるのだが、気分的に、これほどまでに気持ちがまっ平らな年末は、初めてだ。


お正月も、平らなまんま 過ぎていく予感がする。























朝なのに、カーラジオから聞き捨てならない単語が、繰り返し聞こえてきた。

・・・ですから・・こうもん・・は、ちゃんと・・・だいたい・・・こうもんには・・・

まさか、聞き間違いだろうと思い、ボリュームを少し上げると、獣医さんが、犬の肛門について語っていた。

 「肛門線絞り」。  犬を飼っている人ならお馴染みの言葉も、そうでない人にはショッキングであるにちがいない。 

 肛門を絞る? 雑巾みたいに? 冗談じゃなくて?
私もハルを飼い始めた時、初めてその言葉を聞いた。でもこの言葉のせいか、5年経った今もまだまだ「肛門絞り初心者」の域を出きれていない。

あの頃、その意味と実際の方法、その必要性を知って、この世にはまだまだ知らない摩訶不思議なことがあるものだと驚いた。

子犬の飼い方を指導してくれたペットショップのお姉さんは何度もさらりと言っていたけれど、私にとっては、
いまだに強烈な言葉であり続けている、 肛門しぼり 。

時間を気にせず民放のBsチャネルにあわせると、テレビショッピングの番組が延々と流れている時間帯にぶつかってしまう時がある。

すぐさま他の番組にしようとリモコンに触れようとしたら、「・・・バナナのかたち・・・」 という言葉が耳に入り込んできた。

バナナ好きの私としては、スルーできずに、何のこと? と面と向かうと、高繊維質の健康食品の宣伝だった。 どっさり とか 理想的なバナナの形で といのは、じつにそういうことだったのだ。

私の大好きなバナナを・・・何も・・。

きょうは、下の話でまとめてみました。







目が覚めたら、虹色がそこにあった。

何かに反射した朝日が、白壁に虹色玉を映し出していた。

7つの色を帯びた光が、灰色のしこりにゆるみを与えて 穏やかに鎮める気配。

虹色を演出するおしゃれな犯人を探してみたら、出窓にあった香水びんであった。

ちょいちょいっと、耳たぶや首筋、手首などに、強すぎないほどの香水を運んでくれていたあの素晴らしき「棒」が、フタと繫がる根元でポッキリ折れてしまって以来、窓辺の飾り物として静かに存在していたのだ。

丸みを帯びた胴体に、緻密に削られたいくつもの六角形の平面が、ダイヤモンドさながら 光を
取り込み、最高レベルの輝きに変えては そして放つ、なかなか憎いヤツ。

その寡黙な存在感に、十分満足していた矢先に、この 虹球演出 だ。あっぱれ。

今朝、この冬初めての霜柱を踏んだ。 ハルの足跡を見たくて、ハルにもお願いして踏んでもらった。

宮城から、同期会へのお誘いメールが来た。
事務的な文章の後に、「ちえ様、僕もカーネーションにはまっています。」と、書いてあった。

仕事とぶつかって行けないなあ・・としょんぼり返事を書いていたら、次から次へと同期メンバーから
のメール着信音が鳴って、開けてみると、「私もカーネーション見てるよ。」とか、「見れていないけれど 小林薫が好きで。」 と、カーネーションコメントが多くてびっくりした。

でも、あのドラマ、私本当にすごいと思うのよ。

説明過多な場面がいっさいない。 その代わりに役者の表情で複雑な状況を語らせてしまう。
脇をかためている役者さんも素晴らしいしね。

主人公の糸子のお弟子さんの縫い子さんも、魅力的なキャラクターだと思わない?

言ってみれば糸子は、お師匠さんであり雇い主なのに、糸子が気弱になっていたり逆に暴走したりすると、彼女が歯に衣着せずにきっぱりと物申すのだ。力の入らぬ糸子を二階から引き摺り下ろす、というような暴挙に出たこともある。 それをちゃんと、無駄にせず、受け入れる糸子もすごい。
あの二人の関係性も、いろんなヒントを与えてくれる。

戦争をどう描いていくのか、難しいだろうな・・と思ってた。
これは今でも思ってる。

ウィットとユーモアーを、見過ごしてしまうほどのニュアンスで織り込んであるところもすごく好き。

今日のは・・・ちょっと泣いてしまった。
・・・糸子の経営するオハラ洋装店の繁盛ぶりに、根も葉もないひどいうわさが流れてしまう。

そのうわさを気に留めず、糸子に寄り添ってくれる近所の人たちに感謝をしながら、
「うちを信じてくれたこの人たちは、父ちゃんの残してくれた宝物です。」というモノローグがあったのだ。

財産を残す とか 教育を残す じゃなくて、人間関係の温かさを残す。 
なんだかジンときました。

同期会行けないけれど、みんな楽しんでね。
カーネーションの話が出たら、教えてね。
 自信のないことは数あれど、母親業ほど苦手なものはないかもしれない。

 人がイメージして、ぽわんと心温かくなるような、そんな母親になりたいとあこがれてもいたのに、実際はそんな甘いものではなかった。

 押し寄せる時代の波に、昭和生まれの愚かな母親は、日常に消耗されながらも、大切だと思えるものを、子育ての中でもヒステリックに護ろうとした。

度が過ぎれば押し付け以外の何物でもなくなる。と言うことに気づかずに。

 青空の下でたくさん遊んでほしくて、なかなかゲームを買ってあげなかった。
クラスメイトの8割がゲームに熱中していたのに。

子供の健康に神経質になるあまり、食物の購入 栄養にも気を配った。
スナックのかわりに、味気ない添加物フリーのお菓子やさつまいものふかしたものなどをおやつの時間に与えた。 

でも、刺激は外の生活から染みこんできて、あっという間に彼らはより強い刺激を
味わい知り、それらに毒されてしまった(その当時はそう思っていたの)。

それまで制限していた分、その振り子はより大きく逆側にふれたのかもしれない。

 自分自身のことでも、子供べったりになって、子供が巣立っていったときに空の巣シンドロームに陥るのが怖くて、自分を失わないようにしなくちゃ・・とあせってもいた。

 でも今になって思うのだ。もっとべったりすればよかったな、と。
もっとすべてのことに、おおらかでよかったんだ。

生まれたときから一緒に暮らしていた子供たち。 その彼らの巣立ちに寂しさを感じるのは、自然なことであるはずだから。通るべき道だったのだ。

 成人した娘や息子に対して、今でも悩むことがある。

「どこまで手を貸せばいいのか。」

これは私にとって、永遠の謎である。

自分がやってあげちゃえば、物事は早い。という場面に出くわすことはよくあることで。でも社会人として自分で片をつけるべき、とあえてほったらかしてみる。

 たとえば娘の通信販売の支払いが遅れて、販売先から何度か電話をもらうとする。
私が代わりに払いに行ってあげれば早いのに、こういうことは責任もってやって欲しい。そう思って「他人に迷惑かけるな。」と言い放って待つ。 そう、母親は待つのだ。ほったらかしにできないのが実に悲しいさが。
心をすり減らしながら待つのだ。

それを知ってか知らずか、仕事の忙しさにかまけて、未払いのまま時は過ぎ、消耗していくのは愚かな母親である私だけ。

こんなこと、してあげちゃえばいいのか?
悪いのか? 

 自信のない母親は、情けなさにしょんぼりとして、ひとまわり小さくなる。


 話は変わって 紅葉が美しくなってきましたね。
うちのマンションの前もずいぶんカラフルになってきました。




あと中央公園に行ったときの紅葉写真を載せておきます。








 
フタをなくした保存ビンは、素っ気無い入れ物に成り下がる。

圧力鍋もおもりがなければ、図体のでかい、ただの鍋でしかない。

 不注意な私が、がちゃがちゃと生活し始めると、何かを取りこぼしたり 何かが何かに紛れ込んだり 生活全体が混乱する確率が、一気に上昇する。

 ある物全体のごく一部でありながら、その小さな部分がそのものの存在の要である・・そういう小さな物たちがどこかに紛れて姿を消してしまうので、私はとても困るのだ。

 大事なカメラのレンズキャップがみあたらない。
2~3日前に、タルトタタンの写真を撮った時にはずしてどこかに置いたはずなのだから、絶対家の中にあるはずなのに、いくら探してもかくれんぼから出てきてくれない。

 おもりを無くした圧力鍋は、玄米を炊く能力を失い、実力を出す場を奪われて、うなだれている。しょうがなく ひとまわり小さい圧力鍋を生協で購入した。

 自分の非を棚にあげ、こんなに物がなくなるなんて、それはたぶん家のどこかに小さな隙間があって、そこに誘われた私の物達がスルリとそこに落ちて、別世界に行ってしまったのではないかと本気で思うのである。

 探しても見つからなかったものたちに、もしももう一度会えるなら、たとえ交通の便が悪かろうが、時間がかかろうが、私はその再会の旅に喜んで出かけるだろう。

 目の前にありながら 壊れ行くものもある。
長年使っていた、お気に入りの 陶器の冬鍋がそろそろ危うい。
これも 他ならぬ ふた が危ういのだ。

 買ったばかりの時に、不注意でまっぷたつに割ってしまったフタを、瀬戸物用のボンドでくっつけて何年も使ってきた。

 二人と一匹の生活も間近である今、少し小ぶりの鍋に買い換えようかと思っている。

 ふた と おもり は、大切です。

















 



 



 



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