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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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ブータン王国についてのスピーチ原稿の3回目です。

ブータン人の気質についてですが、ブータン人だって
声をあげて怒ったり、短気だったりすることもあるそう
です。人間だから当たり前だと思います。
ただし、このスピーチでは、上田教授個人のブータン人
の印象を、私は参考にしています。

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では、普通のブータン人はどんな人達なのだろう?

上田さんによると、人々はとても穏やかであるそうだ。
それは、ブータン人が、喜びとか興奮という状態よりも、
穏やかで平和な精神状態であることに価値を見出すからだ。

常にそういう精神状況でいられる大人に成長することが
望ましいことであると、ブータンではあたり前に考えら
れている。

彼らは、関係性 というものにも重きを置いている。
人との関係、自然との関係 は、自分たちに幸せをもたらし
てくれるものであり、なくてはならない重要要素であると
考えている。

その村で一番貧しい人たちでさえも、あたたかいおもてなし
と行き届いた気配りを、ブータン滞在中の上田さんに向けて
惜しみなく与えてくれたそうだ。

では、ブータンと日本は、いったいどこが違うのだろうか?

ブータン人は、微妙なバランスをとりながら、複数の自分の
役割をうまくこなしているそうだ。

しかしながら、経済活動にかかわる役割は、一時的なもの
として軽んじられる傾向にある。
なぜならそれらは、引退してしまえば終わってしまう役割
だからだ。

一生涯続く役割、つまり母親 父親であったり、息子 娘
であったり、友達であったり・・これらの役割を中心に
存在させる傾向がある。

社会そのものが、その傾向を受け入れる器を持っているとも
言える。


このことは、生産活動に人生のほとんどを費やす傾向に
ある日本人とは大きく異なるところである。

また、ブータン人は、自分の欲望を満たそうと、躍起になる
ほど愚かではないそうだ。

彼らは、欲望とは限りがなく、それゆえ どんなに追い求めても
いつまでも満足することはありえない、ということをよく知っ
ているのである。

それはまるで、経済成長に終わりがないことによく似ている。
と上田さんは言う。

本当にそうだ。次から次へと経済成長を求めて、どこにたどり
着くというのか?

上田さんは、ブータンを三輪車、日本を二輪車に例えて、この
状況を面白く説明してくれる。

三輪車は二輪車に較べて、ペダルをこぐのを止めても、傾いて
転がることはない。

それどころか、素晴らしい景色があれば、ゆっくり進めたり、
その景色を心から味合うために、しばらくぼーっと止まったり
することができる。


幸福。・・ぱっと見、主観的、非科学的で、とても個人的である
言葉のように見えるが、我々の危うい国を少しでも健康へと導く、
大きなヒントが隠されているような気がする。

言うまでもなく、国は人々で成り立っている。
ひとりひとりの人が幸せでないのに 国が幸せであることは、
ありえないのである。

「幸せの検証」をすることの利点は、人々の感じ方が国の政策に
反映されることを可能にすることだ。

そこで、数字化された「国民総幸福量」の分析が生きて来るので
ある。

過去の伝統的な客観的データと、新しい主観的なデータをあわせ
考えることで、ひとつの革新的な基準の設定を容易にする。

そしてそれこそが、より明るい未来への扉を開く唯一の鍵で
あるのかもしれない。

「幸福」 というテーマは、7~8分で話すには奥が深すぎる
ものであったことは、認めざるをえない。

でも、導入的役割を果たしたであろう私のスピーチが、自分に
とって、願わくば皆様にとって、今まで以上に幸福について
真剣に考えてみるきっかけになることを 心から望みます。

終わり

英語バージョンは、後日載せます。

ご飯を食べる。味がする。おいしい。

この感覚が戻ってくれただけでも、生きるに値すると思える。

インフルとタミフルに苦しめられた私は、その数週間の、非人間
的無感覚から無事によみがえり、今、その極端な格差経験の記憶
によって、すべてのことに対してありがたいと思える心境に至っ
ている。

もちろんこれが長く続くはずはないこともわかっているけれど、
この精神状態はなかなかいい感じ。

外からの刺激に対し、何かを感じることができるというのは、
素晴らしいことだ。それが怒りでも悲しみでも、である。

あの無感覚の大きな殻に閉じ込められ、もしもこのままこれが
続くのであれば、私は生き続けることは無理かもしれないと
思ってしまった。

お茶碗洗っていても楽しい、なんて、ありえないこと。
でも汚れた食器がきれいになっていくのを見ていると
心がうきうきしてくるのだ。

私、もしかして躁病?

でも、人に向かって喋り捲るとか何かを発信したい、
という気持ちは不思議なことに以前よりも落ちているかも
しれない。

現に このブログ更新も一週間ぶりだし。

気持ちが穏やかでいられて、人に優しい気持ちを持てる
余裕があるとき、私は 自分が幸せ と思える。

今は、だから幸せ。

そうだ、ずいぶん前に「続く」・・と書きながら続いて
いない、ブータン王国の幸せについてのスピーチの続きを
後でアップします。




気がついたら味覚がなくなっていた。

20年振りにインフルエンザにかかり、その忘れていた
辛さに驚く。

できることは、タミフルを服用してひたすら
寝るだけ。ただ、一度に長く寝続けることはできない。
苦しくて何度も目覚めるからだ。

病院で薬を渡されるとき、「10代の人たちの異常行動と
タミフルの因果関係」に触れたものが、50代の私にも
ひとつの注意書きとして渡された。

ふうふう言いながらふとんにうずくまっている私に、
マンションの6階から飛び降りたい衝動・・を発する
ような元気は、ありがたいことに、私にはかけらも
なかった。

異常行動の熟年バージョンとでもいえるのだろうか、
私の五感はひとつまたひとつと役目を投げ出し始め、
何も感じない私は、自分の中に引きこもっていった。

味覚を失うということは、ともに嗅覚も失っていた。

視覚と聴覚は生物学的にはちゃんと生きているようなの
だが、何を見ても何を聞いても、絶縁体がどーんと周りに
あり、すべての事柄が、奥の自分に届くのを大きく阻んでいた。

昨日3月11日、特別番組を見ていたら、石のような私の心に、
ミミズのゼンドウ運動みたいなわずかな動きを わずかながら
感じることができた。

3月12日。
生温かい胎盤とともに、私も今日から生まれ変わります。






私の母、貴美さんが亡くなってから、今日で10日が経った。

周りの方々からお悔やみのお言葉をいただいて、そのお返事を
する時に、

「母の身体はなくなってしまいましたが、より身近に母を感じ、
いつも私を見守ってくれている気がします。
ですから、悲しみ・・というよりも、温かさのなかに、今私は
います。」

というようなことを書いてきた。

 よくありがちな文句に聞こえるかもしれないが、私の心境を
かなり正確に表している。

 私の中に、ある確固たる思いがあるのだ。

 身体から解放された母の魂は、脳の障害からも解放されて、
再び記憶を取り戻し、以前の母に戻っているのではないかと
信じたいのだ。そして、私のそばにいてくれていると。

 私を娘だとわからなくなったその時に、私は母を一度
失った。

 母を二度亡くし、今一度大きく私のもとに 取り戻したのだ。

悲しみの中、着々と葬儀の準備を整えながらも、「今」という時代を
痛感させられることがらを経験した。

お経をお願いする御住職を探すのに、非常識と言われるかもしれないが、
私は 「お坊さん.com」を通して、素晴らしいお坊様にお会いすることが
できたのだ。

出会いは、軽々しいネットでも、一期一会の出会いにはなんら変わりなく、
このご縁を大切に思い、49日にも来て頂くこととなった。

お位牌もネットで探した。
白木の位牌をデジカメで撮って、メールに添付して、情報を送った。

あちらからのメールで、今日にも作業に取り掛かかる予定です。と
テンポのいい反応が返ってきた。

省略してはいけないしきたりを、思い切り省略している感があるのだが、
もともと決まりどおりに動くことの苦手な私は、自分の取った非常識
とも言える行動に、正直スッキリ感を感じているのだ。

貴美さんは、こんな私を眺めながら、苦笑いしているのかもしれないね。

 
 

三日間、ひとつの物を求めてひたらすら探し続けた。

家中の引き出しをひとつ引っ張り出しては、物と物の間、紙と紙の間、
あらゆる隙間を確かめていった。

私が愛して止まない「母の極上の笑顔」を求めて、ある一枚の写真
を探していたのだ。

月曜日の朝、母が急死してから、葬儀の段取りやグループホームの
後片付けで、悲しむ余裕もないほど、事務的にことを進めていた。

葬儀のお世話人から、御遺影の写真を・・。と言われて、あの写真しか
ない。とすぐに思った。

認知症を長年患い、だんだんと表情の出にくくなる状況で、5~6年
ほど前に、奇跡的な笑顔をカメラにおさめることが出来た。

うれしくて、長い間メモスタンドにはさみ、私のライティング
ビューローの上に置いていた。

それをだいぶ前に大掃除をするときにしまいこんで、行方知れずに
なっていたのだ。

食べる 寝る お風呂に入る トイレに行く それ以外は、ずっと
探し続けて、三日目。

ほとんどあきらめかけて憔悴し、動作も緩慢になっていた。
残るところ 後二つの引き出しを開けたら、娘の成人式の小さな
アルバムが出てきた。

一枚一枚めくると、娘の写真だけではなく、何気なく撮った家族写真、
私のバレエの写真などが現れた。

はやる気持ちを抑えながら、数回ページをめくったそのとき、
貴美さんの、桜が開花したような、満面の笑顔に、再び出会えた。


昨日お通夜で、大量のお花に囲まれて、貴美さんが笑っていた。
お花が大好きだった貴美さんが、お花に囲まれて笑っていた。

お棺の中に、貴美さんが生前に愛着を持っていた お人形などをいれさせて
もらった。

貴美さんのお誕生日に届けようと、前から用意して、とうとう渡せなかった
ベストと下着を貴美さんのお胸のうえに置かせてもらった。

貴美さんが、荼毘にふされる本日。

偶然にも、88回目のお誕生日だったのです。




















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