日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
年賀状に、”是非今年こそ会いたいですね。”とお互い何年にもわたって書きあいながら、あっという間に一年が過ぎてしまう怖さに、何とか歯止めをかけなければと思っていたのだ。
若いときと違うのは、社交辞令は極力口にせず、言ったことは実行したい。と本気で思っていることだ。人生の折り返し地点から日々遠ざかっているという自覚がどこかであるからなのだと思う。
今年になってから、すでに5年ぶりくらいの二人の友達がそれぞれ遊びに来てくれた。
久々の再会にいろんなことが話題に上る中、必ず出るのは「更年期症状」のこと。
私も最近ホットフラッシュに悩まされている。こんなに寒い冬なのに、突然カーッと熱くなってじわーっと汗ばむのだ。
この汗のかきかたは、バレエのお稽古でかくような爽快さとは程遠い。
脳みその「ホルモンを出せ出せ。」という命令に、「ない袖は振れないのよ。」ってちゃんと体は言っているのに、脳はそのまま押しの強い態度を崩さず命令を出し続けているということらしい。そのために、私の自律神経は混乱をきたしているらしい。
脳みそって・・すぐ勘違いしたり、かたくなで融通がきかなかったり、かと思うと楽な方向へと人をそそのかしたり、やたら繊細でこわれやすかったり、なんだか信じられない。
人間の人間たる重要な部分が信じられないということは、私は人間を信じていないということになるのかもしれない。
ここ2,3日、理由のない憂鬱感があるのも更年期症状なのかしら。
なんでもこれで片付けておこう。簡単に割り切れて案外いいかも。
若いときと違うのは、社交辞令は極力口にせず、言ったことは実行したい。と本気で思っていることだ。人生の折り返し地点から日々遠ざかっているという自覚がどこかであるからなのだと思う。
今年になってから、すでに5年ぶりくらいの二人の友達がそれぞれ遊びに来てくれた。
久々の再会にいろんなことが話題に上る中、必ず出るのは「更年期症状」のこと。
私も最近ホットフラッシュに悩まされている。こんなに寒い冬なのに、突然カーッと熱くなってじわーっと汗ばむのだ。
この汗のかきかたは、バレエのお稽古でかくような爽快さとは程遠い。
脳みその「ホルモンを出せ出せ。」という命令に、「ない袖は振れないのよ。」ってちゃんと体は言っているのに、脳はそのまま押しの強い態度を崩さず命令を出し続けているということらしい。そのために、私の自律神経は混乱をきたしているらしい。
脳みそって・・すぐ勘違いしたり、かたくなで融通がきかなかったり、かと思うと楽な方向へと人をそそのかしたり、やたら繊細でこわれやすかったり、なんだか信じられない。
人間の人間たる重要な部分が信じられないということは、私は人間を信じていないということになるのかもしれない。
ここ2,3日、理由のない憂鬱感があるのも更年期症状なのかしら。
なんでもこれで片付けておこう。簡単に割り切れて案外いいかも。
ずっと探してる。毎日気にかけてるのに。 なのに出てこない。 絶望的。
デザインと色で選んだのに、なかなかの性能を発揮して、このブログ写真にも大いに貢献してくれていた私のカメがを見当たらない。
おかしいな、でもどこからかひょっこり出てくるよね。いつもの私のことだから・・と甘くみていた年末。今や私は悲しみに打ちひしがれています。
物にそんなにこだわり持つつもりはないけれど、買うのに支払った代金とか、なくて不便とか、色形デザインの希少性・・等とはまったく別のところで、一緒に過ごした濃密な時間が、ぷっつり途切れてしまったことも、喪失感に大きく拍車をかけているのは確実で。だめならさー、SDカードだけでも出てきてお願い。
写真撮れないのって、今の私にはけっこうこたえる。もしかしたらこうやってブログに文章書かせてもらっている機会も、もしも取り上げられたら、すごくバランス崩して今の私はどうしていいかわからなくなるような予感がする。
何がどうなってどういう風に、ある物事が自分に浸透していくのかほんとにわからない。それに、自分に影響を与えるようなそういう事柄が、ある無関係なきっかけでふと始まったりするのだから。そういうことって、生きていて確かに面白いと言える部分なんだと思う。
金曜日のことになりますが、5~6年振りに 高校時代の友人が夕方から遊びに来てくれて、一緒にご飯食べたりケーキ食べたりしながらおしゃべりを楽しんだ。
娘が小学校に入学する直前まで我々が住んでいた住所名が、~小学校の「~」のところに付いている小学校に、彼女は現在勤めている。
つまり、娘や息子の幼児期に遊んでいた友達が通い、卒業した小学校に、今友人が勤めているのだ。これ、なんてことなく聞こえるでしょう? 私の友人と子供達の友達が直接的な接点があったわけでもないのだから。
でも私の母親の部分が何故だかこういうのほっとけない。わけのわからないじんわり感に満たされてしまうのだ。
高校時代に 会った当初から、彼女の穏やかでかわいらしい性格に不思議な気持ちにさせられたのを今も覚えている。厳しい教員生活を30年間経験してきてもなお、私の愛してやまない彼女の「その部分」はまったくもって変わってない。
ある意味奇跡かも。
「今年は桜の季節にでも 小さな集まりをしようね。」と言いながら、駅で彼女を見送った。
みんなの写真撮りたいし、いつか出てくると思いつつも、カメラ買っちゃおうかな。
デザインと色で選んだのに、なかなかの性能を発揮して、このブログ写真にも大いに貢献してくれていた私のカメがを見当たらない。
おかしいな、でもどこからかひょっこり出てくるよね。いつもの私のことだから・・と甘くみていた年末。今や私は悲しみに打ちひしがれています。
物にそんなにこだわり持つつもりはないけれど、買うのに支払った代金とか、なくて不便とか、色形デザインの希少性・・等とはまったく別のところで、一緒に過ごした濃密な時間が、ぷっつり途切れてしまったことも、喪失感に大きく拍車をかけているのは確実で。だめならさー、SDカードだけでも出てきてお願い。
写真撮れないのって、今の私にはけっこうこたえる。もしかしたらこうやってブログに文章書かせてもらっている機会も、もしも取り上げられたら、すごくバランス崩して今の私はどうしていいかわからなくなるような予感がする。
何がどうなってどういう風に、ある物事が自分に浸透していくのかほんとにわからない。それに、自分に影響を与えるようなそういう事柄が、ある無関係なきっかけでふと始まったりするのだから。そういうことって、生きていて確かに面白いと言える部分なんだと思う。
金曜日のことになりますが、5~6年振りに 高校時代の友人が夕方から遊びに来てくれて、一緒にご飯食べたりケーキ食べたりしながらおしゃべりを楽しんだ。
娘が小学校に入学する直前まで我々が住んでいた住所名が、~小学校の「~」のところに付いている小学校に、彼女は現在勤めている。
つまり、娘や息子の幼児期に遊んでいた友達が通い、卒業した小学校に、今友人が勤めているのだ。これ、なんてことなく聞こえるでしょう? 私の友人と子供達の友達が直接的な接点があったわけでもないのだから。
でも私の母親の部分が何故だかこういうのほっとけない。わけのわからないじんわり感に満たされてしまうのだ。
高校時代に 会った当初から、彼女の穏やかでかわいらしい性格に不思議な気持ちにさせられたのを今も覚えている。厳しい教員生活を30年間経験してきてもなお、私の愛してやまない彼女の「その部分」はまったくもって変わってない。
ある意味奇跡かも。
「今年は桜の季節にでも 小さな集まりをしようね。」と言いながら、駅で彼女を見送った。
みんなの写真撮りたいし、いつか出てくると思いつつも、カメラ買っちゃおうかな。
散歩中、ハルがおしりを汚してしまったので、朝からハルをお風呂に入れた。
丁寧に洗って、ドライヤーで完全に乾かすとなると、一仕事。
ふわふわになったハルが、ふわふわのホットカーペットで丸くなって寝息をたてて眠っている。気持ちよさそうにくつろいでいるだけで、人間に安らぎを与えることができるなんて、ちょっとずるい気がする。 でもホントにかわいいのよね。
息子がバイト先から、賞味期限の迫った生クリーム1000ccのパック二本もらってきた。普段、高価な生クリーム買うのに勇気を使っている私は、これをどう無駄なく使おうかと考え、昨日からケーキ屋さんになったような動きをし続けている。
バナナキャラメルケーキは、すでに食べ終わり、紅茶のケーキ、チョコレートケーキ のスポンジが今目の前で生クリームでおおわれるのを今かと待っている。
ケーキ、冷凍しちゃおう。という魂胆なのだ。
あと、ホワイトソースの豪華版を作れば、全部使い切れるかな。
ここ最近 公開映画の関係なのでしょう・・つよぽん こと スマップの草なぎ剛くん・・なぎ・・やっぱ変換できないよ・・主演の 再放送やスペシャル版のドラマを観る機会に恵まれている。
今日そしたら生放送のスタジオパークに つよぽんが、つよぽんのまんまお月さんのように出演していた。
実は、私は 彼が初主演した「いいひと」の頃からずっと応援していてね。
そうやって応援しているとね、演技しているのは私じゃないのに、私が得意な気持ちになることがあるのよ。なんか自慢したい・・っていうのかしら。
私が得意になってどうするんだ。ってことでしょ。わかってるってば。
泣く演技、好きじゃない。って言ってたね。私側から言わせてもらえば、一般的に泣く演技、観るの苦手なのよ。 自然に受け止められない感じでね。かたまっちゃって逆に現実に引き戻されちゃうようで。
でもね。つよぽんが泣くでしょ。そしたら私もなぜか泣いているんだ。
任侠ヘルパーも、結局は いいひと だったね。
丁寧に洗って、ドライヤーで完全に乾かすとなると、一仕事。
ふわふわになったハルが、ふわふわのホットカーペットで丸くなって寝息をたてて眠っている。気持ちよさそうにくつろいでいるだけで、人間に安らぎを与えることができるなんて、ちょっとずるい気がする。 でもホントにかわいいのよね。
息子がバイト先から、賞味期限の迫った生クリーム1000ccのパック二本もらってきた。普段、高価な生クリーム買うのに勇気を使っている私は、これをどう無駄なく使おうかと考え、昨日からケーキ屋さんになったような動きをし続けている。
バナナキャラメルケーキは、すでに食べ終わり、紅茶のケーキ、チョコレートケーキ のスポンジが今目の前で生クリームでおおわれるのを今かと待っている。
ケーキ、冷凍しちゃおう。という魂胆なのだ。
あと、ホワイトソースの豪華版を作れば、全部使い切れるかな。
ここ最近 公開映画の関係なのでしょう・・つよぽん こと スマップの草なぎ剛くん・・なぎ・・やっぱ変換できないよ・・主演の 再放送やスペシャル版のドラマを観る機会に恵まれている。
今日そしたら生放送のスタジオパークに つよぽんが、つよぽんのまんまお月さんのように出演していた。
実は、私は 彼が初主演した「いいひと」の頃からずっと応援していてね。
そうやって応援しているとね、演技しているのは私じゃないのに、私が得意な気持ちになることがあるのよ。なんか自慢したい・・っていうのかしら。
私が得意になってどうするんだ。ってことでしょ。わかってるってば。
泣く演技、好きじゃない。って言ってたね。私側から言わせてもらえば、一般的に泣く演技、観るの苦手なのよ。 自然に受け止められない感じでね。かたまっちゃって逆に現実に引き戻されちゃうようで。
でもね。つよぽんが泣くでしょ。そしたら私もなぜか泣いているんだ。
任侠ヘルパーも、結局は いいひと だったね。
息子が成人にあいなったことで、表向き 我が家はみんな大人になった。
気を抜いておふとんでまどろんでいる私をよそに、朝からさっさかシャワーを浴びてしゃきっとスーツに着替え、彼は式への参加準備に実に余念がない。
面白くなさそうな式にわざわざ出席するなんて意外だな、と思ったけれど、よく聞いてみると 同年代が集まることのできるこの機会を、どうやら同窓会的場に途中からすりかえるつもりのようだ。
ぱりっとした新成人に、「駅まで送ってってくれると嬉しいんだけど。」と、「甘える時はまだまだ甘えさせてもらいますから。」・・みたいなノリにしっかり乗っかってしまって、「んじゃ 写真、撮らせてくれるならいいよ。」と、寒さに震える息子のコートひっぺがして、スーツ姿を何枚かカメラにおさめてみたら、「なんとなく気の済んだ」母、すなわち私・・がいた。
公園の入り口に、『1月10日(月)・・どんど焼きを行います。』の張り紙に、是非今年は参加しようと思っていたら、本当に参加できたので、これまた大いに私の気が済んだ。毎年お正月のお飾りをごみに捨てるに忍びなく、何個かたまっていたので、本当にすっきりしたのだ。
参加費用の100円を払ったら、おみかんと、「Vの字」に割れた細い鋭角的な先端に、紅白のお餅が突き刺された竹の長い棒を渡された。
明々と赤々と、炭火が強めの風に応えるように時たま炎を見せる。
知らない人と隣り合って、赤白のお餅 その上にかざし、視線の重なるその一番上に、私も行き場に困っている自分の視線を重ね合わせる。憩いのひととき。
お正月飾りを飾って どんど焼きで焼いてもらう。
気が済む。というよりも、なかなかの贅沢だった・・のだ。

気を抜いておふとんでまどろんでいる私をよそに、朝からさっさかシャワーを浴びてしゃきっとスーツに着替え、彼は式への参加準備に実に余念がない。
面白くなさそうな式にわざわざ出席するなんて意外だな、と思ったけれど、よく聞いてみると 同年代が集まることのできるこの機会を、どうやら同窓会的場に途中からすりかえるつもりのようだ。
ぱりっとした新成人に、「駅まで送ってってくれると嬉しいんだけど。」と、「甘える時はまだまだ甘えさせてもらいますから。」・・みたいなノリにしっかり乗っかってしまって、「んじゃ 写真、撮らせてくれるならいいよ。」と、寒さに震える息子のコートひっぺがして、スーツ姿を何枚かカメラにおさめてみたら、「なんとなく気の済んだ」母、すなわち私・・がいた。
公園の入り口に、『1月10日(月)・・どんど焼きを行います。』の張り紙に、是非今年は参加しようと思っていたら、本当に参加できたので、これまた大いに私の気が済んだ。毎年お正月のお飾りをごみに捨てるに忍びなく、何個かたまっていたので、本当にすっきりしたのだ。
参加費用の100円を払ったら、おみかんと、「Vの字」に割れた細い鋭角的な先端に、紅白のお餅が突き刺された竹の長い棒を渡された。
明々と赤々と、炭火が強めの風に応えるように時たま炎を見せる。
知らない人と隣り合って、赤白のお餅 その上にかざし、視線の重なるその一番上に、私も行き場に困っている自分の視線を重ね合わせる。憩いのひととき。
お正月飾りを飾って どんど焼きで焼いてもらう。
気が済む。というよりも、なかなかの贅沢だった・・のだ。
毎年母宛てに来る年賀状。
一年前の今頃のこと。
きみさんが自分で年賀状を書けなくなってからずっと返事を出さず仕舞なのに、それでも毎年年賀状をきっちりと元旦に送ってくださる方々の中に、懐かしいお名前を見つけた。
私が小学校1年から2年にかけて住んでいた秋田での遊び友達、あきらくんのお母さんである。
きみさんの気持ちを想像すると、年賀状を通してご縁が続いていた方たちに、現状を知らせることがいいことなのかどうなのかわからなくて、とても礼儀を欠いているとは思いながらもほったらかしにしていたのだ。
でも、とても優しいおばちゃんであったあきらくんのお母さんには本当のことを知ってもらいたいと思い、去年の中ごろに葉書を出してみた。
内容は、欠かさず送ってくださっていた年賀状のお礼 と きみさんの状況 と、そして「謝罪」である。
「謝罪」とは、返事を書かずに重ねた不義理に対するものではない。実は私からおばちゃんへの謝罪なのだ。
あんまり大声では言いたくないけれど、私は「超悪ガキ」だった。
年下のあきらくんを子分のように扱い、威張ってものすごく好き勝手に振舞っていたはずだ。
自分が小さい頃した悪さの数々は、記憶から消せたら楽だろうに、そうはさせるものかと正義の神様が見張っているらしく、再現フィルムを作れそうなほど鮮明に覚えているのだ。
その中でもワースト3にはいる悪事は、あきらくん一家が被害を被ったものだった。
お転婆でこまっしゃくれた可愛くない7歳くらいの私が、いつものようにあきらくん家にやってくる。ふと横を見ると、小石で縁取りした小さな手作りの花壇に、チューリップの芽が所狭しと顔をのぞかせていた。
私はそれを見て 思わずブルッとしてしまった。ちょこっとだけ頭を出している緑の突起が ずらずらと何列にもならんでいる光景に寒気がして、次の瞬間気がついたらそれらを長靴ではちゃめちゃに踏んづけていた。
数日後、何もなかったように再び遊びに行った私に、おばちゃんはやさしくたずねたのだ。
「おじさんとおばさんが一生懸命植えたチューリップがね、踏んづけられてだめになってしまっていたの。ちいちゃん何か知らない?」
おばちゃんはその時すでに、私の靴底と現場の足跡一致をあらかた確認した上で、聞いていたのだと思う。
アホな私は・・というか 悪魔の私は、「全然知らないよ。なんか人影見たような気がする。」・・みたいなことをしゃあしゃあと言ってのけたのだ。
その後もおばちゃんは、私が悪魔のような子だと知っていたはずなのに、ずっと優しくしてくれた・・・。
私の謝罪がおばちゃんの元へ届いたのかどうか・・それに対するお返事はなく、あ~、やっぱり本当はとても怒っていたのね・・赦せない。と思われても仕方ないものね・・と、どこかで悔恨の念 ひきずりながら日々くらしていたら、去年 師走に入った頃に、あきらくん自身から葉書が届いた。
おばちゃんの訃報をのせた喪中だった。
モノトーンの喪中葉書のわずかな空白に、「お葉書ありがとうございました。昔を思い出すと楽しいことばかりでなかなかご連絡ができませんでした。」というあきらくんの直筆が加えられていた。
おばちゃんは、私の謝罪を読んでくれたのだろうか?
それとも読まずに旅立たれたのだろうか?
おじちゃんもとうの昔に亡くなって、私は謝ることができなくなってしまった。
本当にあの時はごめんなさい。
改心して、そしてちゃんと罪を背負って生きていきますから。
一年前の今頃のこと。
きみさんが自分で年賀状を書けなくなってからずっと返事を出さず仕舞なのに、それでも毎年年賀状をきっちりと元旦に送ってくださる方々の中に、懐かしいお名前を見つけた。
私が小学校1年から2年にかけて住んでいた秋田での遊び友達、あきらくんのお母さんである。
きみさんの気持ちを想像すると、年賀状を通してご縁が続いていた方たちに、現状を知らせることがいいことなのかどうなのかわからなくて、とても礼儀を欠いているとは思いながらもほったらかしにしていたのだ。
でも、とても優しいおばちゃんであったあきらくんのお母さんには本当のことを知ってもらいたいと思い、去年の中ごろに葉書を出してみた。
内容は、欠かさず送ってくださっていた年賀状のお礼 と きみさんの状況 と、そして「謝罪」である。
「謝罪」とは、返事を書かずに重ねた不義理に対するものではない。実は私からおばちゃんへの謝罪なのだ。
あんまり大声では言いたくないけれど、私は「超悪ガキ」だった。
年下のあきらくんを子分のように扱い、威張ってものすごく好き勝手に振舞っていたはずだ。
自分が小さい頃した悪さの数々は、記憶から消せたら楽だろうに、そうはさせるものかと正義の神様が見張っているらしく、再現フィルムを作れそうなほど鮮明に覚えているのだ。
その中でもワースト3にはいる悪事は、あきらくん一家が被害を被ったものだった。
お転婆でこまっしゃくれた可愛くない7歳くらいの私が、いつものようにあきらくん家にやってくる。ふと横を見ると、小石で縁取りした小さな手作りの花壇に、チューリップの芽が所狭しと顔をのぞかせていた。
私はそれを見て 思わずブルッとしてしまった。ちょこっとだけ頭を出している緑の突起が ずらずらと何列にもならんでいる光景に寒気がして、次の瞬間気がついたらそれらを長靴ではちゃめちゃに踏んづけていた。
数日後、何もなかったように再び遊びに行った私に、おばちゃんはやさしくたずねたのだ。
「おじさんとおばさんが一生懸命植えたチューリップがね、踏んづけられてだめになってしまっていたの。ちいちゃん何か知らない?」
おばちゃんはその時すでに、私の靴底と現場の足跡一致をあらかた確認した上で、聞いていたのだと思う。
アホな私は・・というか 悪魔の私は、「全然知らないよ。なんか人影見たような気がする。」・・みたいなことをしゃあしゃあと言ってのけたのだ。
その後もおばちゃんは、私が悪魔のような子だと知っていたはずなのに、ずっと優しくしてくれた・・・。
私の謝罪がおばちゃんの元へ届いたのかどうか・・それに対するお返事はなく、あ~、やっぱり本当はとても怒っていたのね・・赦せない。と思われても仕方ないものね・・と、どこかで悔恨の念 ひきずりながら日々くらしていたら、去年 師走に入った頃に、あきらくん自身から葉書が届いた。
おばちゃんの訃報をのせた喪中だった。
モノトーンの喪中葉書のわずかな空白に、「お葉書ありがとうございました。昔を思い出すと楽しいことばかりでなかなかご連絡ができませんでした。」というあきらくんの直筆が加えられていた。
おばちゃんは、私の謝罪を読んでくれたのだろうか?
それとも読まずに旅立たれたのだろうか?
おじちゃんもとうの昔に亡くなって、私は謝ることができなくなってしまった。
本当にあの時はごめんなさい。
改心して、そしてちゃんと罪を背負って生きていきますから。
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