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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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毎日目にする「ゲゲゲ」の文字。
小さいときから聞きなれて 慣れ親しんできた。

 それでも毎日毎日「ゲゲゲ」「ゲゲゲ」と、その音や文字に触れてると、その当たり前になってた響きや印象が ふとしたことで本来の不思議さを取り戻し、私に迫ってくることがある。

 いつも何も考えずに書いていた漢字の形が、突如としてとても奇妙に見えてしまって、何回書き直しても正しい字を書いている気がしなくなる不思議さに似てなくもない。

 テレビをつけっぱなしで家事をやっていたら、「なつかしのメロディー」的な番組が知らぬ間に始まっていた。

 本当に懐かしいな、と次々流れる歌に耳を傾けていたら、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を歌われていた熊倉さんが登場した。

 熊倉さんの独特なお声。お話されているのを聞いているだけで、私のわくわく度は頂点を目指し始めていた。

 あの怪しいメロディーに乗せて歌が始まると、私は完全なる「虜」になっていた。
私の異常な集中力が、熊倉さんの歌の終わりと共にゆるんで 次の瞬間には拍手をしていた。

 どこを探してもきっと見つからない。誰にも似てない。その唯一無二の素晴らしいお声に今さらながら感激してしまった。

 「ゲゲゲハウス」。 子供じゃなく、自分のために買ったのは、私。

 



塩辛トンボ しじみ蝶。
鬼やんま モンシロチョウ モンキチョウ アゲハチョウ クロアゲハ。

この夏、自然公園を散歩していて出逢ったトンボやチョウチョたち。

 いつものことなのだが、塩辛とんぽとしじみ蝶を見るたびに、そのネーミングの素晴らしさに感心してしまう。

 ところどころ地肌が見えつつも まばらに塩を振りかけられた塩昆布のような塩辛とんぼ。 乾いた感じの和の落ち着きが私の目に優しい。

 しじみ蝶。ほんとにあの大きさだし 形 色もかなりいい線いってる。
シジミ貝の貝殻が蝶つがいを軸にパタパタとあおぎ出し、空を飛んでっても本物と見間違えてしまうかもしれない。・・・うそです。実際それはないから。

 できることなら こんな素敵なネーミングをした人に会ってみたいものだ。
ニックネームをつけるのとかすごくうまいんだろうな。
あの有吉くんに勝てるね。

 はるか遠いものを想像力で引き寄せる。まったく別世界の異質のものをひとつのステージに並べる。それを見て 「そうか、実は似てたんだ。」と感じるのは簡単なこと。

 ミンミンぜみ。でもこういう直接的なのもいいな。

残暑のはずなのにまだまだ酷暑とはこれいかに?
早朝散歩もあまりに暑いと罰ゲームをこなしているかのようだ。

 私は汗だく。ハルはというと、まあこんなに舌が長かったのね・・と改めてじっくり観察できる程に激しい息遣い。

 やっとの思いで家に着き、「今日も何とかクリアー。」と思い切りほっとする。

 自然公園は、ただ今 やかましい位のセミの競演。
これを聞かないで夏の終わりはやって来ない。

 せみ時雨にあい ずぶ濡れになって身をゆだねていると、脳がしびれて一瞬トリップしたような感覚を味わった。静寂の中で蓄えた小さな生命。地上での、その燃え尽き覚悟のエネルギーの結集は、数日間という小さな枠組みの中でより密度を増す。

 時空を超えたとしてもちっとも不思議じゃない。

 その異次元世界からの帰り道、数種類の朝顔に出逢った。
紫だったり ピンクだったり。

 満面の笑み、朝日に輝き、潔くしおれる。


 

 


遠目で花柄に見えたものが、実は小さな「マトリョーシカ」だった。

 百均で買い物のある主人につきあって店内をぶらぶらしていたら、可愛い化粧ポーチに目が留まった。大きさも形もしっくりくる手のひらサイズ。

 濃紺のような黒地に カラフルなマトリョーシカがポーチの隅々まで楽しそうに並んでいる。よーく見ると、不規則に ねずみやたぬきのマトリョーシカがお茶目な感じで紛れ込んでいる。

 ひさびさに心奪われてしまった。

 家に帰って手のひらにのっけて眺めていたら、知らぬ間に20分が過ぎていた。
おふとんに入ってからも枕元にそれを置いて、思い出したように手にとり 満足してはまたもとの場所に戻した。

 どんなんでもいいっていうわけではないが 今マトリョーシカが好きで、以前の私の「七福神」ブームや「ムーミンのミー」、「スヌーピーのペパーミントパティ」ブームもかなりのものだったが、その趣向が小物の出会い方に大きく影響してしまうのだ。

 ・・・あけてもあけてもひとまわり小さいマトリョーシカが出てくる・・夢の中に出てきそうなシーンだ。 ちょっとずつ 大きさの違うかわいらしい立体がたくさんあるってだけで、かなりのピンポイントで私の弱いところを突くのは必至なのに、それが重なり合って一体化してるって・・ もう 私にとってはこの上なくすごいことなのだ。

 悲しい記念日が集中するこの時期に、せみ時雨に体をさらし、夏の記憶を上書き刻印し、つらい体験記を新聞で読む。

 それでも私は200円のマトリョーシカの化粧ポーチに 幸せを見つけてしまうのだ。



 

 

朝からコロッケを揚げる。

 昨日今日と久しぶりに家族4人揃ってのお休み。
玄米、実だくさんのお味噌汁、焼き魚といった年齢高めに焦点をあてた通常メニューを若者メニューに急遽切り替えた。

 数日前から何度となく、「コロッケが食べたい。お店のではなく家のコロッケ。」という娘による独り言のようなリクエストに気が向いて応えてみたのだ。

 朝からちょっぴり面倒な手順をこなそうと思えたのは、「家の~が食べたい。」というフレーズが、母親である私のソフトな部分をいい具合に刺激してくれたからだと思う。

 コロッケの形を俵型にするのは、私の母親、貴美さんがよくやっていたこと。
小判型の方が火の通りがいいのでいつもはそうしていたのだが、今日はあえて俵型にしてみた。

 「母親から受け継いできた家庭の味。」と、人に言えるようなものは正直ほとんどなく、私は私で勝手に自分の道を歩いてきた感があるのだが、何かの拍子に母が昔していたことを無自覚にまねてる自分に気づくときがある。

 「母の味」というのは、大手を振って受け継がれていくものではなく、小さな小川のせせらぎのように静かに浸透していくものなのかもしれない。

 家庭の味と言えば、チャーハンほどその家々で個性が出るものはないのではないか。

 小学生の頃、同級生の家で学校行事の準備をしているうちに 夕飯時になってしまったことがある。遅くなってしまったね。と焦って帰ろうとした私たちを待っていたのは、ほかほかの できたてのチャーハン。

 「おなかすいたでしょ? 遠慮しないで食べていきなさい。」と ふくよかなお母様の優しく穏やかな声。

 そのご好意にあまえてみんなでチャーハンをいただいた。とても楽しくおいしかったことを覚えている。それでも、何よりも印象的だったのは、家のチャーハンと全然違う。・・ということだった。

 そのお家お家でいろんな味があるんだな。ということを そのとき初めて知ったのだった。

 子供たちが独立して自分の家庭を持ったとき、私の料理の何を懐かしいとおもってくれるのだろうか。最近はちょっと手抜き。いやだいぶ。

 クイジナートフードプロセッサーもグレードアップしたし、けんぱ けんぱ けんけんぱの「ぱ」の部分くらいは本気出そうと思います。

 今日は、叔母の美奈ちゃんとグループホームにいる母の貴美さんを訪ねた。
食後の眠気に抗わず、ずっとうとうとしていた貴美さん。

 時々船をこいでいる貴美さんの隣にしゃがみ、かつて俵型コロッケを作ってくれていた貴美さんの手を そっと握ってみた。

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