日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
何とはなしにテレビのチャンネルを切り替えていて、ふとその手を
止めた。 ぼんやりと丸く切り取られた景色の中に、心配そうな
表情を浮かべた女性の顔が、いっぱいいっぱいに映っていた。
映画を観るなら 最初から観なきゃ・・と常々思っていたとしても、
それを上回るインパクトがあれば、途中からでも観てしまう
ものらしい。 観始めた時点で、すでに半分近く進んでいた。
見続けていくうちに、そのぼんやりした丸い世界は、主人公の左目
が映し出す世界であることがわかった。
さまざまな人が、その限られた丸い世界へ訪れる。
人々は返事を求めずただ自分勝手にしゃべり、時間が来ると去って行く。
主人公のその音声付視野世界を、我々は共有しながら、彼の心の声を
モノローグの形で聞くことができる。
彼は病院にいるようだ。
見続けていたら、彼の主観的視野から、彼全体を映しだす客観的視野に、
画面が切り替わった。
我々はそこで初めて、脳梗塞の後遺症により、左目以外はすべて麻痺してしまい、
閉じ込め症候群に陥った主人公の状況を知ることになる。
これは実話に基づいた映画であり、あの有名なファッション雑誌「ELLE」の
フランス版の辣腕編集長が、自分の人生を謳歌していた矢先に実際に経験
したことなのだ。
主人公の視野世界に映る女性が、アルファベットのフランスバージョンのような
ものを繰り返し発音する場面が、何度となく出てくる。
それは、唯一残された主人公と周りの人たちとの意思疎通方法で、主人公が
まばたきで文字を選択し、文字から単語 単語から文章へと積み重ねることで、
自己表現を可能にするのだ。
彼と彼を支える人々の、気の遠くなるような1㎜1㎜の歩みが、本の出版という
ゴールにたどり着かせる。
「もう自分を憐れむのは終わりにしよう。想像力は、いつだって自分の望む場所
へ連れて行ってくれる・・・しかし人間は、真実を知るために、これほど
の不幸を経験しなくてはならないのか・・。」
映像は、時に彼のイマジネーション世界を美しく描き出し、体を奪われ「魂」に近い
存在になった、彼の深い悟りを、モノローグにのせて私たちに伝える。
想像を絶する経験が生み出した彼の言葉が、生きる喜び を示唆してくれる。
止めた。 ぼんやりと丸く切り取られた景色の中に、心配そうな
表情を浮かべた女性の顔が、いっぱいいっぱいに映っていた。
映画を観るなら 最初から観なきゃ・・と常々思っていたとしても、
それを上回るインパクトがあれば、途中からでも観てしまう
ものらしい。 観始めた時点で、すでに半分近く進んでいた。
見続けていくうちに、そのぼんやりした丸い世界は、主人公の左目
が映し出す世界であることがわかった。
さまざまな人が、その限られた丸い世界へ訪れる。
人々は返事を求めずただ自分勝手にしゃべり、時間が来ると去って行く。
主人公のその音声付視野世界を、我々は共有しながら、彼の心の声を
モノローグの形で聞くことができる。
彼は病院にいるようだ。
見続けていたら、彼の主観的視野から、彼全体を映しだす客観的視野に、
画面が切り替わった。
我々はそこで初めて、脳梗塞の後遺症により、左目以外はすべて麻痺してしまい、
閉じ込め症候群に陥った主人公の状況を知ることになる。
これは実話に基づいた映画であり、あの有名なファッション雑誌「ELLE」の
フランス版の辣腕編集長が、自分の人生を謳歌していた矢先に実際に経験
したことなのだ。
主人公の視野世界に映る女性が、アルファベットのフランスバージョンのような
ものを繰り返し発音する場面が、何度となく出てくる。
それは、唯一残された主人公と周りの人たちとの意思疎通方法で、主人公が
まばたきで文字を選択し、文字から単語 単語から文章へと積み重ねることで、
自己表現を可能にするのだ。
彼と彼を支える人々の、気の遠くなるような1㎜1㎜の歩みが、本の出版という
ゴールにたどり着かせる。
「もう自分を憐れむのは終わりにしよう。想像力は、いつだって自分の望む場所
へ連れて行ってくれる・・・しかし人間は、真実を知るために、これほど
の不幸を経験しなくてはならないのか・・。」
映像は、時に彼のイマジネーション世界を美しく描き出し、体を奪われ「魂」に近い
存在になった、彼の深い悟りを、モノローグにのせて私たちに伝える。
想像を絶する経験が生み出した彼の言葉が、生きる喜び を示唆してくれる。
ここ最近、体のだるさに屈して、ごろごろする時間が増えてきている。
ゴロゴロしながらできることは限られている。
この雲が覆いかぶさってしまったような感覚にさえも響いてくれるような、何か
特別なものはないかと、テレビをつけては、ブラウジングしている自分がいる。
この時期の私は容赦ない。
映画を観出す。 オープニングが気に入らなければ、もうそこで
終わり。すでに次を探しだし始める。
体調がいい時は、もっともっとずっと寛容なのに。
そんな「鈍感なのに超わがまま」という、この世の敵 のような今の私でも、すっーと
その世界に入り込み、わき目も振らずに最後まで観てしまった映画が、荻上直子監督の
「トイレット」 と 太宰治原作 根岸吉太郎監督の 「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」だ。
「トイレット」 では、もたいまさこさん演じる「ばあちゃん」の全編通してしゃべる台詞が、
たったの一回、ほんの一言、ふた単語であった。
墓地のシーンで始まる。 メインの登場人物が喋らない。
という映画の設定が、もともと個人的な好みであることも、「トイレット」 に感情移入できた
理由のひとつかもしれない。
娘の死を境に、アメリカ人の孫たち3人と突然一緒に暮らし始めたばあちゃんは、
見知らぬ土地で、長いこと まったく口を開かないという状態が続いていた。
同じ空間で同じ時間を過ごす内に、ばあちゃんと孫たちのかたくなで交わりのない
関係性は、冷たく凝り固まっていた複数の孤立した物体が、一度、また一度と積み上げる
温度上昇で軟化し、溶け出し、輪郭を失って混ざり合うように、大きな変化を遂げていく。
時間とともに冷え切っていく関係性の方が、リアルな世の中だけに、この、
「心が溶け出す瞬間」が、まぎれもなく私の 希望 につながる。
「水が高きから低きへ流れるような、そんな体のだるくなるような 素直さ 」
と、大谷こと 太宰が表現した、松たかこさん演じる、「ヴィヨンの妻」の「さっちゃん」にも、
私は確かな希望を見出すのだ。
寝ころびながらブラウジングして、自分は何を探していたのかと思ったら、
そういうことだったのか。
ゴロゴロしながらできることは限られている。
この雲が覆いかぶさってしまったような感覚にさえも響いてくれるような、何か
特別なものはないかと、テレビをつけては、ブラウジングしている自分がいる。
この時期の私は容赦ない。
映画を観出す。 オープニングが気に入らなければ、もうそこで
終わり。すでに次を探しだし始める。
体調がいい時は、もっともっとずっと寛容なのに。
そんな「鈍感なのに超わがまま」という、この世の敵 のような今の私でも、すっーと
その世界に入り込み、わき目も振らずに最後まで観てしまった映画が、荻上直子監督の
「トイレット」 と 太宰治原作 根岸吉太郎監督の 「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」だ。
「トイレット」 では、もたいまさこさん演じる「ばあちゃん」の全編通してしゃべる台詞が、
たったの一回、ほんの一言、ふた単語であった。
墓地のシーンで始まる。 メインの登場人物が喋らない。
という映画の設定が、もともと個人的な好みであることも、「トイレット」 に感情移入できた
理由のひとつかもしれない。
娘の死を境に、アメリカ人の孫たち3人と突然一緒に暮らし始めたばあちゃんは、
見知らぬ土地で、長いこと まったく口を開かないという状態が続いていた。
同じ空間で同じ時間を過ごす内に、ばあちゃんと孫たちのかたくなで交わりのない
関係性は、冷たく凝り固まっていた複数の孤立した物体が、一度、また一度と積み上げる
温度上昇で軟化し、溶け出し、輪郭を失って混ざり合うように、大きな変化を遂げていく。
時間とともに冷え切っていく関係性の方が、リアルな世の中だけに、この、
「心が溶け出す瞬間」が、まぎれもなく私の 希望 につながる。
「水が高きから低きへ流れるような、そんな体のだるくなるような 素直さ 」
と、大谷こと 太宰が表現した、松たかこさん演じる、「ヴィヨンの妻」の「さっちゃん」にも、
私は確かな希望を見出すのだ。
寝ころびながらブラウジングして、自分は何を探していたのかと思ったら、
そういうことだったのか。
もうすでに、春の花粉アレルギーへの道のりの第一歩を、
踏み出してしまったような体の感覚がある。
何十年間にわたる繰り返しの経験が、この時期の最良の対策は、
自分に対する期待を静かに縮小して、淡々と暮らして行くことだと
教えてくれる。
たとえば昨日、部屋をちらかしたままバレエのお稽古に行った。
帰宅してまず体を数時間休めないと次のことに進めず、夕方からのそのそと
起きだして片付け洗濯を始めるのだ。
生産性・・という意味で、とても低いレベルの生活を送ることを、感情的に抗わず
に受け入れていくというのは、たとえば 将来起こりうる 病床の自分、もしくは
確実に起こる 老齢の自分 の予行演習になるかもしれないな・・などと、つまらない
ことを考えながら、動きたがらない体を無理無理動かして、日の暮れた中で家事
をしていた。
体の機能が完全にストップしてしまった3~4時間、ホットカーペットの上で横たわり、
撮りためてあった映画やドラマを見ながらウトウトとする。
先に目を覚ました腕の中のハルが、寝息をたてている私の顔をペロンと舐めて
は私を起こす。 私が眠りに落ちてしまったその時間にも、健気に進んでいった映画の
ストーリーを取り戻すために、巻き戻しボタンを押す。 また眠る。 また押す。
眠る。押す・・・。
おととい 24日が息子の誕生日だったので、久しぶりにチーズケーキを焼いた。
夜ご飯も食べていくと言うのでいつもよりはごちそうを作ってみた。
もうその日はそれで精いっぱいで、ほかのことに神経がまわらない。
でも料理人である息子が、うん、おいしいよ。 と言ってくれるのは、母親としての
喜び以上のものがある。
なわけで、一日にできることの量が、日々限りなく小さくなっていく中、まあそんな
んでしょ・・と日々暮らしています。


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踏み出してしまったような体の感覚がある。
何十年間にわたる繰り返しの経験が、この時期の最良の対策は、
自分に対する期待を静かに縮小して、淡々と暮らして行くことだと
教えてくれる。
たとえば昨日、部屋をちらかしたままバレエのお稽古に行った。
帰宅してまず体を数時間休めないと次のことに進めず、夕方からのそのそと
起きだして片付け洗濯を始めるのだ。
生産性・・という意味で、とても低いレベルの生活を送ることを、感情的に抗わず
に受け入れていくというのは、たとえば 将来起こりうる 病床の自分、もしくは
確実に起こる 老齢の自分 の予行演習になるかもしれないな・・などと、つまらない
ことを考えながら、動きたがらない体を無理無理動かして、日の暮れた中で家事
をしていた。
体の機能が完全にストップしてしまった3~4時間、ホットカーペットの上で横たわり、
撮りためてあった映画やドラマを見ながらウトウトとする。
先に目を覚ました腕の中のハルが、寝息をたてている私の顔をペロンと舐めて
は私を起こす。 私が眠りに落ちてしまったその時間にも、健気に進んでいった映画の
ストーリーを取り戻すために、巻き戻しボタンを押す。 また眠る。 また押す。
眠る。押す・・・。
おととい 24日が息子の誕生日だったので、久しぶりにチーズケーキを焼いた。
夜ご飯も食べていくと言うのでいつもよりはごちそうを作ってみた。
もうその日はそれで精いっぱいで、ほかのことに神経がまわらない。
でも料理人である息子が、うん、おいしいよ。 と言ってくれるのは、母親としての
喜び以上のものがある。
なわけで、一日にできることの量が、日々限りなく小さくなっていく中、まあそんな
んでしょ・・と日々暮らしています。
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先週の月曜日に降り積もった雪が、まだ地面のあちらこちらに消えずに
残っているのに、天気予報によると、また明日雪が降るという。
たった一度の雪の日が、都会を混乱に巻き込んでしまう。
雪がめったに降らない地域に住むことで、雪景色 雪だるま 雪うさぎ
スノースポーツ・・と、雪の楽しい部分だけをいい所取りしていた私たちが、
一日の雪の日で、雪深き地域に住む人々の大変さを、やっと思い知るのだ。
詳しいことは言えないのだが、最近 物事に対する自分の感じ方が、
周りの友達とおおいに異なることを、ある小さな事件を通して思い知るに至った。
自分と感じ方が似ていると勝手に思っていた友人たちの用心深さに、まず驚いた
のだが、私以外の友達がスタンダードであるとすれば、私がとてつもなく隙だらけで、
その度合たるや、友達と肩をならべてみると すこーんと突出し、よくぞこれまで何事
もなく生きてこられたものだ、と思い知ったのだ。
注意深さ 用心深さ ・・・これらが50代ですでに欠落している私は、60代 70代と年を
取りながら、どうやって生きていけばいいのだろう。
人間一人では生きていけない。というのはよく言われることだが、私はまさに
そうで、友達の助け、家族の助けがなければ、とても生きていけそうにありません。









残っているのに、天気予報によると、また明日雪が降るという。
たった一度の雪の日が、都会を混乱に巻き込んでしまう。
雪がめったに降らない地域に住むことで、雪景色 雪だるま 雪うさぎ
スノースポーツ・・と、雪の楽しい部分だけをいい所取りしていた私たちが、
一日の雪の日で、雪深き地域に住む人々の大変さを、やっと思い知るのだ。
詳しいことは言えないのだが、最近 物事に対する自分の感じ方が、
周りの友達とおおいに異なることを、ある小さな事件を通して思い知るに至った。
自分と感じ方が似ていると勝手に思っていた友人たちの用心深さに、まず驚いた
のだが、私以外の友達がスタンダードであるとすれば、私がとてつもなく隙だらけで、
その度合たるや、友達と肩をならべてみると すこーんと突出し、よくぞこれまで何事
もなく生きてこられたものだ、と思い知ったのだ。
注意深さ 用心深さ ・・・これらが50代ですでに欠落している私は、60代 70代と年を
取りながら、どうやって生きていけばいいのだろう。
人間一人では生きていけない。というのはよく言われることだが、私はまさに
そうで、友達の助け、家族の助けがなければ、とても生きていけそうにありません。
最近、それほどお金をかけないで、楽しめることをまたひとつ
見つけた。
スカイプを使っての英語個人授業である。
さまざまなメディアで、ワンレッスン129円~・・とその安さで
注目されているレアジョブに、一週間ほど前から参加し、毎日
フィリピン大学の学生さんたちと会話や授業を楽しんでいる。
授業以外の世間話で、映画や写真の話になり、お互いのブログリンクを
交換して感想を言い合ったりしていると、「年齢」 「国境」 というものの
存在をまったく感ずることなく、あっという間に時間は過ぎていく。
毎日確実に25分の英語個人授業を受けられて、月に支払う額は5千円
である。 まさに good value for your money・・(支払うお金に十分に見合う)
、もしくはそれ以上である。
お金の使い方 というのは、人それぞれだろうが、最近の私の趣味として、
この good value for my money I spent on を追及することが加わった。
そうやって、自分のお金の使い方を見てみると、実にそれは私そのものを
表していると言える。 それこそ自分がいったい何に価値をおいているのか
が一目瞭然なのだ。
valueを追及しながら、きれいなお金の使い方をしていきたいと思っている。
見つけた。
スカイプを使っての英語個人授業である。
さまざまなメディアで、ワンレッスン129円~・・とその安さで
注目されているレアジョブに、一週間ほど前から参加し、毎日
フィリピン大学の学生さんたちと会話や授業を楽しんでいる。
授業以外の世間話で、映画や写真の話になり、お互いのブログリンクを
交換して感想を言い合ったりしていると、「年齢」 「国境」 というものの
存在をまったく感ずることなく、あっという間に時間は過ぎていく。
毎日確実に25分の英語個人授業を受けられて、月に支払う額は5千円
である。 まさに good value for your money・・(支払うお金に十分に見合う)
、もしくはそれ以上である。
お金の使い方 というのは、人それぞれだろうが、最近の私の趣味として、
この good value for my money I spent on を追及することが加わった。
そうやって、自分のお金の使い方を見てみると、実にそれは私そのものを
表していると言える。 それこそ自分がいったい何に価値をおいているのか
が一目瞭然なのだ。
valueを追及しながら、きれいなお金の使い方をしていきたいと思っている。
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