日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ここ2,3日 咳が続いている。
一度咳をすると、そのあとひっきりなしに咳き込んでしまうので、
その口火となる一つ目の咳を何とかして封じようとしては、失敗している。
結果、我慢した分その反動で、余計に咳き込む・・というおろかな悪循環に
はまっているのかもしれない。
咳はやたら体力を消耗させる。
腹筋背筋をアンバランスに酷使しているせいか、筋肉が生だるい。
くぐもった破裂音は、体内で突発的圧力となって憤り、体をひきつらせる。
咳は、する人も苦しければ、それを聞いている周りの人をも疲れさすものだ。
あの鈍く乾いた実りのない音の連続は、人を不安にさせるのに十分だ。
子供の頃、風邪をひくと、咳の症状が長く残ってしまうような子であった。
それは、娘にも受け継がれてしまって、夜中にコンコンと咳をし続ける娘の様子
を、不安な気持ちで見に行ったものだ。
自分自身の小学校時代も、よく咳をしていた記憶がある。
修学旅行でも咳をしていた。
夜中に咳が出て眠れずにいると、校長先生が見回りに来て下さって、おさ湯を
飲ませてくれた。
咳そのものは苦しいけれど、なぜか昔の思い出は、咳をしていた自分と、その時の
人の温かさが一緒になって思い出される。
そう言えば、「せきをしてもひとり・・」のようなさびしい歌があったな。
文字通り、一人でコンコン咳をしていたら、ハルがどこからかやってきて、
肩をふるわす私のほっぺたを、ペロンとなめた。
一度咳をすると、そのあとひっきりなしに咳き込んでしまうので、
その口火となる一つ目の咳を何とかして封じようとしては、失敗している。
結果、我慢した分その反動で、余計に咳き込む・・というおろかな悪循環に
はまっているのかもしれない。
咳はやたら体力を消耗させる。
腹筋背筋をアンバランスに酷使しているせいか、筋肉が生だるい。
くぐもった破裂音は、体内で突発的圧力となって憤り、体をひきつらせる。
咳は、する人も苦しければ、それを聞いている周りの人をも疲れさすものだ。
あの鈍く乾いた実りのない音の連続は、人を不安にさせるのに十分だ。
子供の頃、風邪をひくと、咳の症状が長く残ってしまうような子であった。
それは、娘にも受け継がれてしまって、夜中にコンコンと咳をし続ける娘の様子
を、不安な気持ちで見に行ったものだ。
自分自身の小学校時代も、よく咳をしていた記憶がある。
修学旅行でも咳をしていた。
夜中に咳が出て眠れずにいると、校長先生が見回りに来て下さって、おさ湯を
飲ませてくれた。
咳そのものは苦しいけれど、なぜか昔の思い出は、咳をしていた自分と、その時の
人の温かさが一緒になって思い出される。
そう言えば、「せきをしてもひとり・・」のようなさびしい歌があったな。
文字通り、一人でコンコン咳をしていたら、ハルがどこからかやってきて、
肩をふるわす私のほっぺたを、ペロンとなめた。
久しぶりのいとこから来たメールは、おじさんの死を知らせるものだった。
親戚のほとんどが関西で暮らす中で、東京に住むこのおじさん家族が、
私にとって一番近しい親戚だった。
おじさんは、私の母の弟で、自分の母が立派なおじさんに、「姉ちゃん、姉ちゃん」
と呼ばれるのを聞くたびに、くすぐったい気がしていたものだ。
旅行業務のプロとして、長年の海外勤務を終え、帰国後は社長にまで登りつめた
わが親戚一同の出世頭でもあった。
日本語でも英語でも、言葉を自由に操り、ひとたび気配りのスイッチが入ると、
かゆいところに手が届く というよりも、かゆいところを人に感じさせないような
完璧さがある人だった。
ところが、そんなおじさんなのに、彼の家族に言わせると、・・自分勝手 わがまま
好き放題に生きた人、その上さらに悪いことに非常に口が立つ・・・と、形容が180度
変化してしまう。
昨日の告別式のごあいさつで、彼の息子(つまり私のいとこ)は、
「今頃おやじが閻魔様にまで説教して、舌を抜かれているのではないかと心配です。」
と述べたほどだ。
私はおじさんと話すのが好きだった。
ソフトでありながら、心地よく通る声で、周りの人の注意を一身に集めて、どんな話題も
楽しげに屈託なく、人の興味を引くように話してくれた。
晩年、おじさんが私だけに繰り返し言ってたことがある。
「ちいちゃん、僕は年を取っても頭がクリアーなんだ。
今だって若い奴らに負けない自信がある。
でもそれだけに 死ぬのがとても怖い。死ぬ前に認知症でわけがわからなくなった
姉ちゃんがある意味うらやましいくらいだ。」
私にとって、一番死ぬことに似つかわしくない と思っていたおじさんが死んだ。
死ぬことをあれだけ怖がっていたおじさんが死んでしまった。
私の名前を呼ぶおじさんの声が、聞こえた気がした。
いい所取りだけできる、姪という立場を利用して、また彼と同じ血が混じっている
者として、彼の姿勢のわずかでもいいから引き継いでいきたいと思った。
おじさん・・おじさんの死でもうひとつ思ったことがあるのよ。
あのおじさんでもうまく死ぬことができたんですもの。
私だって、誰だって、時が来れば、上手に死ねるということなのね。
親戚のほとんどが関西で暮らす中で、東京に住むこのおじさん家族が、
私にとって一番近しい親戚だった。
おじさんは、私の母の弟で、自分の母が立派なおじさんに、「姉ちゃん、姉ちゃん」
と呼ばれるのを聞くたびに、くすぐったい気がしていたものだ。
旅行業務のプロとして、長年の海外勤務を終え、帰国後は社長にまで登りつめた
わが親戚一同の出世頭でもあった。
日本語でも英語でも、言葉を自由に操り、ひとたび気配りのスイッチが入ると、
かゆいところに手が届く というよりも、かゆいところを人に感じさせないような
完璧さがある人だった。
ところが、そんなおじさんなのに、彼の家族に言わせると、・・自分勝手 わがまま
好き放題に生きた人、その上さらに悪いことに非常に口が立つ・・・と、形容が180度
変化してしまう。
昨日の告別式のごあいさつで、彼の息子(つまり私のいとこ)は、
「今頃おやじが閻魔様にまで説教して、舌を抜かれているのではないかと心配です。」
と述べたほどだ。
私はおじさんと話すのが好きだった。
ソフトでありながら、心地よく通る声で、周りの人の注意を一身に集めて、どんな話題も
楽しげに屈託なく、人の興味を引くように話してくれた。
晩年、おじさんが私だけに繰り返し言ってたことがある。
「ちいちゃん、僕は年を取っても頭がクリアーなんだ。
今だって若い奴らに負けない自信がある。
でもそれだけに 死ぬのがとても怖い。死ぬ前に認知症でわけがわからなくなった
姉ちゃんがある意味うらやましいくらいだ。」
私にとって、一番死ぬことに似つかわしくない と思っていたおじさんが死んだ。
死ぬことをあれだけ怖がっていたおじさんが死んでしまった。
私の名前を呼ぶおじさんの声が、聞こえた気がした。
いい所取りだけできる、姪という立場を利用して、また彼と同じ血が混じっている
者として、彼の姿勢のわずかでもいいから引き継いでいきたいと思った。
おじさん・・おじさんの死でもうひとつ思ったことがあるのよ。
あのおじさんでもうまく死ぬことができたんですもの。
私だって、誰だって、時が来れば、上手に死ねるということなのね。
スキ ステキ スバラシイ
ス から始まる言葉には、幸せの響きがたくさんある。
スマップ の 「ス」
そう聞いてなんだかわかる人は、かなりのスマップファンに違いない。
「ス」とは、国民的アイドルグループ、スマップの、遡ること約16年前に
リリースされたCDのアルバムタイトルなのだ。
「彼ら5人だけで温泉旅行に行く。」 スマスマの中で そう命令が下る。
嫌なことでも、番組のために、ファンのために、ひいては自分のために、
まずは受け入れる彼らのプロフェッショナルな真面目さと素直さも好きなのだ。
彼らの5角形は、ある種の絶妙な緊張で保たれている。
角も辺もひとつとして同じものはないのに5角形を保てているということは、
その図形は2次元を通り越して3次元的な様子を呈しているのかもしれない。
5人グループとしての個々の間合いの取り方は、長い年月の間に探し当てられた、
奇跡的な均衡をベースにして、その時々で柔軟に変化していく。
その均衡は、ひとつにはプライベートをできる限りばらばらに過ごすことで保たれて
いるとも言えるのだろう。
そこで非情にも命令が下る。「5人だけで丸一日生活を共にする。」
彼らのすごいところは、「何が今、自分たちに求められているか」を即座に感知する
ところだ。
彼らは覚悟をする。スマップをならしめている「緊張」を徐々に解き放ち
始める。それは、メンバー同士、素 の部分で触れ合う努力をする覚悟だ。
変わりばんこに運転して同じ車で移動する。温泉に入る。夕ご飯を食べる。
ゲームする。カラオケをする。
普通の友達同士がする当たり前のことを、当たり前じゃない彼らがする。
スマップのメドレーをみんなで歌う。
音楽とは不思議なものだ。
その音楽とシンクロしていた事柄がどっと頭に心に押し寄せてくる。
それは私たちも同じこと。
「ス」というアルバムが出た時、これは「スマップの素」ということよね。
と私は言ったことがあった。
彼らのちらりと見せる「素」の表情が好きだった。
私にとって、今なお、たった一つのこのカタカナが、時間と距離を無意味なもの
にできる、魔法の文字なのである。
ス から始まる言葉には、幸せの響きがたくさんある。
スマップ の 「ス」
そう聞いてなんだかわかる人は、かなりのスマップファンに違いない。
「ス」とは、国民的アイドルグループ、スマップの、遡ること約16年前に
リリースされたCDのアルバムタイトルなのだ。
「彼ら5人だけで温泉旅行に行く。」 スマスマの中で そう命令が下る。
嫌なことでも、番組のために、ファンのために、ひいては自分のために、
まずは受け入れる彼らのプロフェッショナルな真面目さと素直さも好きなのだ。
彼らの5角形は、ある種の絶妙な緊張で保たれている。
角も辺もひとつとして同じものはないのに5角形を保てているということは、
その図形は2次元を通り越して3次元的な様子を呈しているのかもしれない。
5人グループとしての個々の間合いの取り方は、長い年月の間に探し当てられた、
奇跡的な均衡をベースにして、その時々で柔軟に変化していく。
その均衡は、ひとつにはプライベートをできる限りばらばらに過ごすことで保たれて
いるとも言えるのだろう。
そこで非情にも命令が下る。「5人だけで丸一日生活を共にする。」
彼らのすごいところは、「何が今、自分たちに求められているか」を即座に感知する
ところだ。
彼らは覚悟をする。スマップをならしめている「緊張」を徐々に解き放ち
始める。それは、メンバー同士、素 の部分で触れ合う努力をする覚悟だ。
変わりばんこに運転して同じ車で移動する。温泉に入る。夕ご飯を食べる。
ゲームする。カラオケをする。
普通の友達同士がする当たり前のことを、当たり前じゃない彼らがする。
スマップのメドレーをみんなで歌う。
音楽とは不思議なものだ。
その音楽とシンクロしていた事柄がどっと頭に心に押し寄せてくる。
それは私たちも同じこと。
「ス」というアルバムが出た時、これは「スマップの素」ということよね。
と私は言ったことがあった。
彼らのちらりと見せる「素」の表情が好きだった。
私にとって、今なお、たった一つのこのカタカナが、時間と距離を無意味なもの
にできる、魔法の文字なのである。
いわゆる「木の芽時」が苦手だ。
厳しい寒さの中で、枯れ木のように見えていたその小枝の先に、小さな木の芽が
息づき、日々その存在感を誇示し始めるのを見るにつけ、それだけで生きる力を
もらえそうなはずなのに、この時期の私の体は、全く逆の反応をしてしまう。
体が徐々に重だるくなり、何をするにも息が切れる。
だましだまし日々を過ごしていると、ある日ぱったり体が機能しなくなり、
数日寝込むのが、毎年この時期の「儀式」のようになっている。
そうなると 私にできることはただむさぼるように眠るだけ。
じつは今週の月曜火曜が、今年の「儀式の日」に当たった。
散々繰り返してきたことであっても、もう元の生活にもう戻れないんじゃないか
・・という不安が、眠りと眠りの間のぼーっとした頭によぎるのも毎年のことだ。
寝たきりの2日間を過ごし、水曜日に目覚めてみると、嬉しいことに体に力が入る。
お茶碗洗ってみる。大丈夫だ・・部屋をうろうろして片付け物をする。
朝食の支度をする。よし。と頭に鉢巻巻きながら、本当は巻かないけれどね・・
だんなに「復帰宣言」をして、朝の運転も開始する。
木曜日、バレエのお稽古に出かける。
たくさん休んだせいか、いつもより動ける踊れる。
金曜日大きなホールでの発表会のリハーサル。なんとか無事終わる。
いつも思うんだ。私の毎日って振り幅が大きいって。
危ないところでぎりぎり暮らしてる。
健康で、自分の生活や行動を思うようにコントロールできて、ふり幅の少ない着実
な生活のできる人にとても憧れる。
でも憧れたって私がそういう人になれるわけではない。
私は私の、ジグザクした この何とも不細工な人生を、歩んで行くしかない。
厳しい寒さの中で、枯れ木のように見えていたその小枝の先に、小さな木の芽が
息づき、日々その存在感を誇示し始めるのを見るにつけ、それだけで生きる力を
もらえそうなはずなのに、この時期の私の体は、全く逆の反応をしてしまう。
体が徐々に重だるくなり、何をするにも息が切れる。
だましだまし日々を過ごしていると、ある日ぱったり体が機能しなくなり、
数日寝込むのが、毎年この時期の「儀式」のようになっている。
そうなると 私にできることはただむさぼるように眠るだけ。
じつは今週の月曜火曜が、今年の「儀式の日」に当たった。
散々繰り返してきたことであっても、もう元の生活にもう戻れないんじゃないか
・・という不安が、眠りと眠りの間のぼーっとした頭によぎるのも毎年のことだ。
寝たきりの2日間を過ごし、水曜日に目覚めてみると、嬉しいことに体に力が入る。
お茶碗洗ってみる。大丈夫だ・・部屋をうろうろして片付け物をする。
朝食の支度をする。よし。と頭に鉢巻巻きながら、本当は巻かないけれどね・・
だんなに「復帰宣言」をして、朝の運転も開始する。
木曜日、バレエのお稽古に出かける。
たくさん休んだせいか、いつもより動ける踊れる。
金曜日大きなホールでの発表会のリハーサル。なんとか無事終わる。
いつも思うんだ。私の毎日って振り幅が大きいって。
危ないところでぎりぎり暮らしてる。
健康で、自分の生活や行動を思うようにコントロールできて、ふり幅の少ない着実
な生活のできる人にとても憧れる。
でも憧れたって私がそういう人になれるわけではない。
私は私の、ジグザクした この何とも不細工な人生を、歩んで行くしかない。
子供の頃、私は大人になるのが怖かった。
大人が団地の庭や駐車場で遊んでいるのを見たことが
ない。大人はどうやら朝から晩まで勉強したり働いたり
しなくてはならないらしい。
同じ団地の優しい大人のお姉さんは、確か24歳くらいだった。
真面目に働いて日が暮れてから帰って来るそのお姉さんに、
私はどこか憐みの視線を送っていたと思う。
そんな自分が、大人のお姉さん世代の、そのまたお母さんに
いつの間にかなってしまった。
3月30日は娘の誕生日だった。
自分の娘が、大人のお姉さんと同じ24歳になった。
大人のお姉さんである娘は、朝から晩まで真面目に
働いている。
子供の誕生日は理屈なしに嬉しい。
いつもは忘れているあの瞬間を思い出すからだ。
赤ん坊が私の体内を抜け出て産声をあげたあの瞬間を。
一つの命がこの世に誕生したあの瞬間を。
夕暮れ時、空腹で、遊び疲れた小さな私。
ただ目の前のことだけを見て生きていた。














大人が団地の庭や駐車場で遊んでいるのを見たことが
ない。大人はどうやら朝から晩まで勉強したり働いたり
しなくてはならないらしい。
同じ団地の優しい大人のお姉さんは、確か24歳くらいだった。
真面目に働いて日が暮れてから帰って来るそのお姉さんに、
私はどこか憐みの視線を送っていたと思う。
そんな自分が、大人のお姉さん世代の、そのまたお母さんに
いつの間にかなってしまった。
3月30日は娘の誕生日だった。
自分の娘が、大人のお姉さんと同じ24歳になった。
大人のお姉さんである娘は、朝から晩まで真面目に
働いている。
子供の誕生日は理屈なしに嬉しい。
いつもは忘れているあの瞬間を思い出すからだ。
赤ん坊が私の体内を抜け出て産声をあげたあの瞬間を。
一つの命がこの世に誕生したあの瞬間を。
夕暮れ時、空腹で、遊び疲れた小さな私。
ただ目の前のことだけを見て生きていた。
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