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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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ここ3週間くらい、体力がぐーんと落ちている状態が続いている。
私の場合、アレルギー症状が出ているときは、いろんなところのむずむずちりちり、鼻水にプラスして なぜか体のだるさもおまけについてくる。

 今の時期は、イネに反応する人も多いらしい。 私もそうなのかしら。

 それにしても、アレルギー症状が出ている時期が 年々増えていってる気がする。
あと何年かしたら 一年中何かに反応していることになっているかもしれない。

 一年中だるさを感じる日々になったら、私の行動範囲は今よりもっと狭まるのかしら。だるさを切り離して考えたり行動したりできるように今から訓練しておかないと。

 先日「モネ」を特集していたテレビ番組 「巨匠たちの肖像」が、今日は「ルノワール」の特集をしていた。 晩年リュウマチで絵筆を持つことも困難な状況で、ひもで結わいて拳骨に固定しながら絵を描き続けたルノワールの様子が語られていた。

 78歳で描いた、最後の作品となる アネモネの絵を描き終えて、「この絵で何かがわかりはじめた気がする。」と、亡くなる直前にルノワールは言ったそうな。

 何と言うことだろう・・。

 誰もが認める名声を得た後、人生の終わりを視野に入れながら出た言葉が、これなんだから。

 ひとつのことに、人生をささげた人の 濃縮された誠実さを見てしまい、唖然とする。

 
雨のうるおいと太陽光をあますところなく摂りこんで、日毎に美しさの容積を増やしつつある紫陽花。表向き、私は紫陽花に魅了されている。これから盛りを迎えようとしている紫陽花は力強く美しい。

 その脇に紫陽花が並ぶ 公園の遊歩道の逆側は、竹垣で仕切られている。その竹垣にはみ出さんばかりにおおい茂った草木の、またその奥まったところに、ちょっと背伸びをして覗き込まないと気づかないような小さな池がある。

 ついこの間、その池に 睡蓮が2、3浮かんでいるのに出逢ったのだ。
睡蓮なんて生まれてこのかた何度も見ているだろうに、今回の”出会い”は確実に違っていた。睡蓮のある景色は、染みわたるように私の心に届き、そのうるおいは乾きそうにないみたい。

 水面に浮かぶ葉っぱの重なり、その上に丸いお花がぽっこりと突出する。 
お花はたいていの場合、土の上に根を生やしその上に咲くものでしょ?

 時折揺れる水面に根っこを泳がせながら 地に足をつけることもなく咲く睡蓮に、自分が少しづつ占領されていくように魅せられていたのだ。

 写真も何枚か撮っていたのに、このブログで触れることもなく 密やかにその想いは進行していた。

 そのことがきっかけに、晩年睡蓮ばかりを描き続けた「モネ」にアンテナが向いてしまうという単純さは、私ならではのものなのかもしれない。

 最近不思議な現象があって、自分が向いた方向と、メディアがスポットライトをあてるものとが一致する場合が 笑ってしまうくらいよくあって、今回も買ったことのない筋肉雑誌「BRUTUS」の特集に唖然とし、あせって買い求めた。

 「印象派、わかってる?」という雑誌の問いかけに、「ぜーんぜんわかってないの。」と買い求めたのだ。

 おとといバレエから帰ってテレビをつけると、天才画家の肖像「モネ~移ろいゆく光~」という素晴らしい番組がちょうど始まったところで、神様のプレゼントではないかと思ったくらいだ。

 モネがどうしてあんなに睡蓮のとりこになったのかは、私にわかるような具体的な言葉で説明されてはいなかったが、「水とその反映を描くことにとりつかれてしまった。」というモネの独白的せりふがあった。いや待てよ、「水とその繁栄・・・」かな? いずれにしても奥深い。

 暴力シーンが嫌いで、食わず嫌いであった北野武監督の「HANAーBI」にも、監督自身の作である印象的な絵画が、画面と重なりあい映画を立体的にしていた。3Dなんて使わなくても。

 流血シーン過多な部分はやっぱり生理的に受け付けないけれど、それとの極端な対照として映し出される、自然世界とそこに位置づける人間のカットが素晴らしくて、それも美しい絵画のようにも私には見えた。

 私の一番好きだったのは、蓮さんが(役名忘れた)車椅子で満開の桜を見上げているシーンです。
 
 テレビを見てたら、今は泣き、いや亡き清志郎の絵画にスポットライトをあてた番組の宣伝をやっていた。 

 すごく嬉しいの。


 



 
6月になってしまいました。

 毎朝必ずすることに、サイコロカレンダーの日付合わせがあります。
月が替わるときは、サイコロも たくさんの回転を要します。



カレンダーを置いてある窓辺に、チェリーセージが赤いアクセントで空気を引き締めてくれています。


今日は雨の予感をひとつも感じさせないとてもいいお天気です。
いつもの公園では、白いお花が目にまぶしいほど輝きを放ってました。


「あじさい日記」への思いも、6月ともなるとおのずと真剣みが増してきます。
昨日も今日も歩道脇に並ぶ紫陽花たちを、ちょっと歩いてはのぞき またちょっと歩いては覗き込んで、小学生のような目で観察してきました。

 そうやって観て見ると、土の状態や日のあたり具合にばらつきがあるためなのか、紫陽花の世界にも早熟型とのんびり型があるようです。

 まだまだ小さく固い緑のつぼみを 葉で重なり合うように隠そうとしているのもあれば、早くもすっかり成熟の色気と丸みを 一皮むけたようなあでやかさで、目を惹き付けてくれるものもあるのです。




 50を過ぎても、大人と呼ぶにはあまりにも情けないところが多すぎるのではないか・・と時々落ち込む私は、早熟ところか、そろそろヤバイ、もういつ死ぬかわかんないのだから未発達な部分をなんとかしてそれまでに少しでも帳尻合わせなくては・・と焦っているところがあるのです。なんか、話の流れが変な風になってきたけど・・続けてしまおう。

 具体的には、自分の欲望や我を 昇華させたり調和させていくための私なりのやり方の模索です。見え隠れするそのかけらの隅っこを追いながら、未熟なまま命がたえてしまうのだろうな、と思ってしまっているのだけれど。

  いいとしよう・・・あじさいだっていろいろだもの。
日曜の朝。 始まりはいつも遅い。
とは言ってもそれは家族全体のことであって、私個人は6時ころから何かしらの行動を始める。

 ウィークデイとの決定的な違いは、優先順位が逆。なのである。
日曜の朝は、自分のしたいことをしながら、それに付随して洗濯機をまわしたり朝食の準備を整えたりしていくのだ。何時までにどうしても。ということがないほとんどの場合、いつもより贅沢にのんびりと時間を使っていけるから、これだからお休みの朝は 嬉しい。

 午前中にブログを更新するなんて、私にとっては夢のようだ。
現在9時ちょっと前、つい先ほど起き出して朝シャンしている娘をのぞいて、あと2人は未だ夢の中。今日は朝ごはん10時くらいかな。

 通常の朝食は、あずきと16穀を混ぜた玄米。それに超実だくさんの味噌汁に魚、というところ。飽きがこないように、たまにはパン食もはさむようにしている。

 超実だくさん。と書いたのは、例えば今日の味噌汁の具で言えば、まいたけ しいたけ えのき なす 葱 さつまいも にら 溶き卵・・・といった具合。 

 こんなことを書くと、なんかすごくいい奥さんのように聞こえてしまうといけないので正直に言うと、なるべく多くの種類の食材を・・特に野菜中心に摂りたい。という希望を、最小限のわずらわしさですませるための手抜き策なのです。

 ごはんの用意だって、朝に強い私が自然と朝食を用意しているだけであって、料理のプロになるべく勉強中の息子を筆頭に みんながかなりの腕なので、休みの昼食夕食作りは ほとんど私の出番はないといっていいかも。

 ずっとごはん作りをしてきて、今ちょっとスランプというか、私のわがまま というか、面倒くさくてしょうがないのよ・・といったところが正直なところ。

 おととい配達の人が苦労して運んでくれたギターアンプが、そんなに広くない居間にその存在を誇示するかのようにどっしりと居座っている。

 主人が、学生時代のバンドの練習を再開したのをきっかけに購入したものだ。
驚くなかれ、マーシャルアンプなのよ。  つまりハードロックやヘビメタ用のアンプなのだ。昨日音出していたら ひずむひずむ。

 レスデューディックのコピーやオリジナルを数曲練習している。
今年は3回くらいライブに出るらしいから楽しみにしている。

 さ、そろそろ家族を起こして朝ごはんにしようかな。
ぼんやりとした世界にいることの多い、最近の私。

 日常的にコンタクトレンズをつけなくなって、最近は不便さもさほど感じなくなってきている。バレエのおけいこや 長時間もしくは遠出の外出時には、使い捨てのソフトレンズのお世話になっている。

 それ以外はめがねをかけるつもりでいたのに、めがねはなかなか慣れなくて、いつまでもわずらわしさが減少してくれない。ならいいや、とほとんどの時間をぼんやりと不確かな世界に身をおいているのである。

 早朝のお散歩。いつもの自然公園を歩いていても、葉っぱ一枚一枚の輪郭は私の目には存在しない。つまり圧倒的な緑のかたまりとなって、私に迫ってくるのである。

 シルエットの美しい一本の木に目を留めると、こんもり茂った葉っぱが百万匹の黄金の蝶ちょに見えた。驚いて目をこらして近づいてみると、風にそよぐ葉が裏おもて裏おもてとゆるやかに繰り返し、それが蝶の羽の動きのようになめらかであり、朝日を反射する在りようが、リン粉のごときであったのである。

 裸眼の世界は想像の世界なのである。 
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