日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ここ数週間で、流れが変わった。
せき立てられるように、わざわざすべきことを作り出すのを
やめてみたら、時間の流れが変わったのだ。
今の少ない体力気力を持ってして 仕事の効率や量を求めていても焦るばっかりで、
すべてがうわっすべりになりかねない と気が付いたのが発端だ。
「一日にひとつ、何かを終えることができれば、それで良しとしよう。
余力があってあとふたつみっつできれば なお嬉し。」
その感覚を基本に置くことで、あわただしいリハーサルや長時間の稽古に、余力を持って
臨むことができて、結果、バレエ発表会の本番を楽しく迎えることができたのだと思う。
何かを長く続けていくには、自分自身の体との駆け引き、精神との駆け引きが重要だ。
不思議なことに、焦点やエネルギーが、内へ内へと向いていくにつれて、外の視線の存在
が影薄くなって行った。
そういう意味で、今年の舞台は、これまでの私の最年長のものだったにもかかわらず、
一番自然に踊れて楽しかった。
30代半ばから約20年続けてきて初めて、踊りの温かさに、踊りからの愛に触れた
気がしたのだ。
せき立てられるように、わざわざすべきことを作り出すのを
やめてみたら、時間の流れが変わったのだ。
今の少ない体力気力を持ってして 仕事の効率や量を求めていても焦るばっかりで、
すべてがうわっすべりになりかねない と気が付いたのが発端だ。
「一日にひとつ、何かを終えることができれば、それで良しとしよう。
余力があってあとふたつみっつできれば なお嬉し。」
その感覚を基本に置くことで、あわただしいリハーサルや長時間の稽古に、余力を持って
臨むことができて、結果、バレエ発表会の本番を楽しく迎えることができたのだと思う。
何かを長く続けていくには、自分自身の体との駆け引き、精神との駆け引きが重要だ。
不思議なことに、焦点やエネルギーが、内へ内へと向いていくにつれて、外の視線の存在
が影薄くなって行った。
そういう意味で、今年の舞台は、これまでの私の最年長のものだったにもかかわらず、
一番自然に踊れて楽しかった。
30代半ばから約20年続けてきて初めて、踊りの温かさに、踊りからの愛に触れた
気がしたのだ。
子供たちも出て行ったことだし、物に左右されずにすっきりと
生活しよう。 そう思ってきたはずなんです。
年齢的にもちょうど「断舎利」にいいタイミング・・と大きく何度も
うなづいて納得もしたはず。それなのに、物が増えている。
勝手に物は増えない。増やしているのは紛れもなく私。
たとえばカップ&ソーサー。
2人と一匹のちいさな家族に必要なそれらの数は、片手で(もしくは十分甘くして
もらっても)、両手でならゆうゆう数えられるはずでしょ?
でもね、実際は20人位のお客さん、もっとかな?・・が来ても平気そうなの。
そして思うんだけど、これから先、20人のお客さんを我が家に迎えることは、
99%ないもんね。
そうわかっててね、人目ぼれっていうの? 形とか色とか自分の中にストンと
気持ちよく入り込んでくるものに巡り合うと、よほど高くてあきらめる以外は、
買ってしまう。
ひとつ言い訳をするならば、なかなかそういう巡り合いも少なくなってきたって
こともあると思うのよ。生きてきた年月がそういうのを難しくさせているのかな。
昨日は、バレエの発表会のリハーサルのために、相模原市にあるグリーンホールに
車で行った。伊勢丹でお買い物をするとその金額に応じて市営駐車場のサービスが
受けられるシステムになっている。
この大義名分が後押しして、私は見境なくまたコーヒーカップを増やしてしまった。
でも素敵なのよ。
このカップが使いたくて、先ほど自分一人のために珈琲を淹れてみた。
初夏限定ブレンドの「薫風」という名の珈琲の香りが、ネイビーブルーの真新しい
カップから漂ってくるだけで、私は完全に夢見心地になれた。
その珈琲と一緒に、友達がおみやげに持ってきてくれたクッキーと、これまた私の
チープなお気に入りの「りんごジャムサンドクッキー」を2枚ずつ楽しんだ。
このカップ&ソーサーは、同色同素材で、ケーキ皿、ミート皿もあって、色は
アイボリー レッド ヒスイ色と、それぞれがとても美しい。
たまたま品切れしていたヒスイ色のカップ&ソーサーも、実は手配済み。
たくさんあるのにまた買う。 利口な人のすることじゃないけど、喜びの
大きさと相談しながら、たまにはこういう馬鹿な贅沢もゆるしてもらおうと思う。
それに今から決めつけなくったっていいものね。
20人のお客さんがいつか来るかもしれないし。

生活しよう。 そう思ってきたはずなんです。
年齢的にもちょうど「断舎利」にいいタイミング・・と大きく何度も
うなづいて納得もしたはず。それなのに、物が増えている。
勝手に物は増えない。増やしているのは紛れもなく私。
たとえばカップ&ソーサー。
2人と一匹のちいさな家族に必要なそれらの数は、片手で(もしくは十分甘くして
もらっても)、両手でならゆうゆう数えられるはずでしょ?
でもね、実際は20人位のお客さん、もっとかな?・・が来ても平気そうなの。
そして思うんだけど、これから先、20人のお客さんを我が家に迎えることは、
99%ないもんね。
そうわかっててね、人目ぼれっていうの? 形とか色とか自分の中にストンと
気持ちよく入り込んでくるものに巡り合うと、よほど高くてあきらめる以外は、
買ってしまう。
ひとつ言い訳をするならば、なかなかそういう巡り合いも少なくなってきたって
こともあると思うのよ。生きてきた年月がそういうのを難しくさせているのかな。
昨日は、バレエの発表会のリハーサルのために、相模原市にあるグリーンホールに
車で行った。伊勢丹でお買い物をするとその金額に応じて市営駐車場のサービスが
受けられるシステムになっている。
この大義名分が後押しして、私は見境なくまたコーヒーカップを増やしてしまった。
でも素敵なのよ。
このカップが使いたくて、先ほど自分一人のために珈琲を淹れてみた。
初夏限定ブレンドの「薫風」という名の珈琲の香りが、ネイビーブルーの真新しい
カップから漂ってくるだけで、私は完全に夢見心地になれた。
その珈琲と一緒に、友達がおみやげに持ってきてくれたクッキーと、これまた私の
チープなお気に入りの「りんごジャムサンドクッキー」を2枚ずつ楽しんだ。
このカップ&ソーサーは、同色同素材で、ケーキ皿、ミート皿もあって、色は
アイボリー レッド ヒスイ色と、それぞれがとても美しい。
たまたま品切れしていたヒスイ色のカップ&ソーサーも、実は手配済み。
たくさんあるのにまた買う。 利口な人のすることじゃないけど、喜びの
大きさと相談しながら、たまにはこういう馬鹿な贅沢もゆるしてもらおうと思う。
それに今から決めつけなくったっていいものね。
20人のお客さんがいつか来るかもしれないし。
ある朝いつものように顔を洗っていたら、自分の手がやたらに大きい。
ほっぺたもおでこも余すところなくしっかり包めるほど、大きくなっている
ように感じたのだ。
石鹸を残さないために、何度が顔を往復するうちに、手が大きくなったのではなく、
実は顔が小さくなったのだとわかる。
しつこい風邪を2度もひいた4月。
食い意地がはっているさすがの私も食欲のない日々を過ごしていた。
ようやくそのどんよりした息苦しさから這い出してみると、顔が小さくなっていたのだ。
ちょっと斜に構えてみると、ふっくらしていたあごのラインも幾分シャープに見える。
これはしめたぞ!
そう思った途端、4月の、あの非生産的で無意味な毎日が、ちょっと意味を持ったものへと
変身しだした・・そうだ。もうすぐバレエの発表会だし、これを維持しない手はない。
・・という変な流れで、自分流ダイエットをすることにした。
今までは、運動足りているからだいじょうぶ・・と妙な自信を持っていたけれど、
それは更年期以前の人だけに当てはまることだ、と更年期になって改めて知ったし。
ダイエット と言っても、やっていることはとても単純で、
「おかずはちゃんと食べて、炭水化物はいつもの半分に。」というもの。
そして、甘いものはやめられないから豆寒天を大量に買ってきて、空腹時甘いものを欲した
ときに食べる・・というだけなのだ。
豆腐麺、こんにゃく麺も結構食べているかな。
麺大好きの私には、慰めの存在である。
昨日ヨガの先生が、「脇腹からおへそにかけて、両手で何度もこすると、余分なお水が流れて
ウエストがくびれますよ~。」と私たちを誘い込むような感じで教えてくれた。
「でもね、何でもそうだけど、ながーく続けるのが大事。」
先生曰く、3週間続けると習慣になるのだそうだ。
実は3か月くらい休んでいた朝6時からのヨガも、再開してみた。
一応3週間経ったけど、これでほめないでね。
体調によっては、確立した習慣さへも簡単に裏切るのが、私の毎度のことなので。
今朝散歩してたら、私が名づけた「紅いたわしの木」が、満開になっていた。
私の友達に、「お腹の脂肪を燃焼させるために、亀の子たわしでお腹周りをこする」
と言っていた人がいたなあ。 痛そうだなあ。と赤いたわしの木を見て、ぼんやり
思っていた。



ほっぺたもおでこも余すところなくしっかり包めるほど、大きくなっている
ように感じたのだ。
石鹸を残さないために、何度が顔を往復するうちに、手が大きくなったのではなく、
実は顔が小さくなったのだとわかる。
しつこい風邪を2度もひいた4月。
食い意地がはっているさすがの私も食欲のない日々を過ごしていた。
ようやくそのどんよりした息苦しさから這い出してみると、顔が小さくなっていたのだ。
ちょっと斜に構えてみると、ふっくらしていたあごのラインも幾分シャープに見える。
これはしめたぞ!
そう思った途端、4月の、あの非生産的で無意味な毎日が、ちょっと意味を持ったものへと
変身しだした・・そうだ。もうすぐバレエの発表会だし、これを維持しない手はない。
・・という変な流れで、自分流ダイエットをすることにした。
今までは、運動足りているからだいじょうぶ・・と妙な自信を持っていたけれど、
それは更年期以前の人だけに当てはまることだ、と更年期になって改めて知ったし。
ダイエット と言っても、やっていることはとても単純で、
「おかずはちゃんと食べて、炭水化物はいつもの半分に。」というもの。
そして、甘いものはやめられないから豆寒天を大量に買ってきて、空腹時甘いものを欲した
ときに食べる・・というだけなのだ。
豆腐麺、こんにゃく麺も結構食べているかな。
麺大好きの私には、慰めの存在である。
昨日ヨガの先生が、「脇腹からおへそにかけて、両手で何度もこすると、余分なお水が流れて
ウエストがくびれますよ~。」と私たちを誘い込むような感じで教えてくれた。
「でもね、何でもそうだけど、ながーく続けるのが大事。」
先生曰く、3週間続けると習慣になるのだそうだ。
実は3か月くらい休んでいた朝6時からのヨガも、再開してみた。
一応3週間経ったけど、これでほめないでね。
体調によっては、確立した習慣さへも簡単に裏切るのが、私の毎度のことなので。
今朝散歩してたら、私が名づけた「紅いたわしの木」が、満開になっていた。
私の友達に、「お腹の脂肪を燃焼させるために、亀の子たわしでお腹周りをこする」
と言っていた人がいたなあ。 痛そうだなあ。と赤いたわしの木を見て、ぼんやり
思っていた。
ヨイコラショ、どっこいしょ。あれまかしょー。
亡き母 きみさんは、とにかく掛け声の多い人だった。
気合をいれるためなのか、ひとつの動作から次の動作へと移る際に
滑稽な掛け声をよく発していた。
ノリに乗っている時などは、単純なリズムでは飽き足らないようで、
シンコペーションまがいのものを挟んだりして、周りの家族を
小さく驚かせたものだ。
きみさんの掛け声は多様で、そのいくつかが組み合わさったフレーズは、
いわばインプロヴィゼーションなのである。
特に私は、頭に「スットコドッコイ」が付くヤツが好きで、どこかそれを心待ち
にしながら、タイミングよく実際に経験すると、「ヨッシャー。」と小さな
ガッツポーズを心の中でしていた。
認知症になった10年ほど前から、そして亡くなってから約一年経った今日まで、
きみさんのユーモラスな掛け声は、私の奥底にしまわれてしまっていた。
・・それをこのたびブチ破ったのは、ダンナである。
朝の連続ドラマ「あまちゃん」のオープニングテーマを聴いていて、
「この曲、きみさんの掛け声みたいだねぇ。」とぼそりと言ったのだ。
私は最初意味がわからず、それでも集中して聞いていると、きみさんの
「スットコドッコイ」がはっきりと聞こえた。
すごく可笑しくて笑ってしまう。でもすごくなつかしい。
きみさんの掛け声は、「スカ」のリズムに気持ち良くはまっている。
こんなところにも、きみさんは息づいているんだ。
無口でも、ポイントはずさないダンナに・・このたびは、ありがとう,
と言いたい。
亡き母 きみさんは、とにかく掛け声の多い人だった。
気合をいれるためなのか、ひとつの動作から次の動作へと移る際に
滑稽な掛け声をよく発していた。
ノリに乗っている時などは、単純なリズムでは飽き足らないようで、
シンコペーションまがいのものを挟んだりして、周りの家族を
小さく驚かせたものだ。
きみさんの掛け声は多様で、そのいくつかが組み合わさったフレーズは、
いわばインプロヴィゼーションなのである。
特に私は、頭に「スットコドッコイ」が付くヤツが好きで、どこかそれを心待ち
にしながら、タイミングよく実際に経験すると、「ヨッシャー。」と小さな
ガッツポーズを心の中でしていた。
認知症になった10年ほど前から、そして亡くなってから約一年経った今日まで、
きみさんのユーモラスな掛け声は、私の奥底にしまわれてしまっていた。
・・それをこのたびブチ破ったのは、ダンナである。
朝の連続ドラマ「あまちゃん」のオープニングテーマを聴いていて、
「この曲、きみさんの掛け声みたいだねぇ。」とぼそりと言ったのだ。
私は最初意味がわからず、それでも集中して聞いていると、きみさんの
「スットコドッコイ」がはっきりと聞こえた。
すごく可笑しくて笑ってしまう。でもすごくなつかしい。
きみさんの掛け声は、「スカ」のリズムに気持ち良くはまっている。
こんなところにも、きみさんは息づいているんだ。
無口でも、ポイントはずさないダンナに・・このたびは、ありがとう,
と言いたい。
先日亡くなった叔父の遺影にお花を手向けるために、
叔母が一人きりで住んでいるお宅を訪ねた。
大きな広口のガラスベースに、花束をセッティングしている叔母の横で、
お焼香をして手を合わせる。
いまだにあの世との意思疎通方法がみつからないまま、
「おじさん、ちいちゃん 来たよ。」と、この世のしきたりのまんま、
思いを声に出している自分がいた。
叔母が「そうよ、ちいちゃん、来てくれたのよ。」とやわらかな声で繰り返す。
叔父の思い出話や、看護の苦労話で30分ほど過ごした後、
お昼ごはんを一緒に食べに行こう、と叔母が誘ってくれた。
出かける直前になって、前々からお願いしようと思っていたことを、
実際口に出して言ってみる。
「叔父さんの数限りない洋書の中から、一冊、形見としてもらいたいと
思ってるの・・」
突然のお願いを快諾してくれて、叔母は微笑みながら叔父の本箱から
数冊の本を引き出してくれた。
洋書一冊と、山本一力さんのジョン・マン3冊を譲り受けた。
それだけで十分満足していた私をよそに、叔母は小さな引出しを
すっと引いて、そこに横たわる高価なペンの数々を指し、
「一本持っていって。」と言ってくれた。
何十本もあるボールペンや万年筆の中で、私の目に浮き出るように
光っていたCrossのボールペンをもらうことにした。
叔父が亡くなってから、私はひとつ気づいたことがある。
私は「アンクルコンプレックス」だったのだ。
叔父の辿った文章を私も辿って行く。
叔父の愛用していたボールペンで文章を書く。
これらの行為が、心もとない叔父とのつながりを
鮮やかにしてくれる。


叔母が一人きりで住んでいるお宅を訪ねた。
大きな広口のガラスベースに、花束をセッティングしている叔母の横で、
お焼香をして手を合わせる。
いまだにあの世との意思疎通方法がみつからないまま、
「おじさん、ちいちゃん 来たよ。」と、この世のしきたりのまんま、
思いを声に出している自分がいた。
叔母が「そうよ、ちいちゃん、来てくれたのよ。」とやわらかな声で繰り返す。
叔父の思い出話や、看護の苦労話で30分ほど過ごした後、
お昼ごはんを一緒に食べに行こう、と叔母が誘ってくれた。
出かける直前になって、前々からお願いしようと思っていたことを、
実際口に出して言ってみる。
「叔父さんの数限りない洋書の中から、一冊、形見としてもらいたいと
思ってるの・・」
突然のお願いを快諾してくれて、叔母は微笑みながら叔父の本箱から
数冊の本を引き出してくれた。
洋書一冊と、山本一力さんのジョン・マン3冊を譲り受けた。
それだけで十分満足していた私をよそに、叔母は小さな引出しを
すっと引いて、そこに横たわる高価なペンの数々を指し、
「一本持っていって。」と言ってくれた。
何十本もあるボールペンや万年筆の中で、私の目に浮き出るように
光っていたCrossのボールペンをもらうことにした。
叔父が亡くなってから、私はひとつ気づいたことがある。
私は「アンクルコンプレックス」だったのだ。
叔父の辿った文章を私も辿って行く。
叔父の愛用していたボールペンで文章を書く。
これらの行為が、心もとない叔父とのつながりを
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