日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
愛する娘を失った私にとって、泣くという行為は日常のことだ。
人間が流す平均的な一生の涙量の、おそらく何十倍もの量を流すような人生になってしまった。
その時々で泣き方が色々で、さめざめと泣くときもあれば 声も出さずにただ涙だけが頬を伝う だけの時もある。
先週私は今までにない泣き方を体験して自分を驚かせた。
やだ。絶対いや・・怖い怖い怖い・・と頭をぶんぶん振りながら、子供のように泣きじゃくった のだ。
原因はハルの不調で、いつも元気いっぱいのハルがお腹がゆるくなり2,3度ほど吐いたという だけのこと。
今の私の最大の弱点は、大切な存在である対象の具合が悪くなることだ。 それ以外のことならば、どんなに辛いであろうことも不感症気味にいられる自信があるのだけ れど。
数週間後には元気になってるだろうと思いながら、具合の悪くなり始めた娘の看病をいそいそと していた自分を思い出すと痛々しい。そこから最も過酷で最も悲しい 死 へと結びつくなんて これっぽっちも思っていなかったあの頃の私。
だから今 ハルが吐いただけでハルの死を想像し泣きじゃくる。
自分の知らないうちに自分の心の中に、柔らかく繊細で壊れやすい部分を抱え込んでしまった ようだ。そしてそこに触れられたら 私は一巻の終わりだ。
ありがたいことにハルはすぐに回復し今は元気に跳ね回ってくれている。
このままの中にできるだけずっといたい。
もう何も失いたくない。私から何も奪わないで。
鬱状態の2か月程の間、閉じた切りであったスカイプも再開できて、最近は気づけば毎日の
ようにフィリピンのチューターと英語で話をしている。
なんかね、最近彼らによく言われることですごい嬉しいことがあるの。
なだめる 鎮める 落ち着かせる みたいな意味の soothe (スーズ) calm(コーム) という
英単語を、今まで何人ものチューターが私の声を表現するのに使ってくれた。
あなたの声を聴いているととても穏やかな気持ちになって落ち着く・・みたいなことを
本当によく言われるのだ。
一人のチューターなんか言うことが大げさで、私がアーティクルを音読しているのを聴いた
後に、
「あなたの音読はただの記事さえも素敵な物語を聴いているような気にさせてくれて、平和な
世界に誘ってくれる」だって。
嬉しくないはずがないでしょ?
声って年を取るごとに低くなっていくはずなのに、私の場合あんまり昔と変わらない。
つまり年にそぐわない声をしている。でも声質はそんなに変わらなくても声に年輪が加味されて
少しは柔らかみ丸みを帯びてきているんだと思う。だからなのかな。
可愛らしい声 とか 綺麗な声 っていわれるよりも、「SOOTHING VOICE」がめちゃ
嬉しい!
ヨガの生徒さんから電話があって、みんなしびれを切らしてます。3月からまたお願いします・・・と言っていただき、あと3月まで十日足らず、最後の調整に入ろうと思ってる。
調整って言ったってたいしたことしなくて、体を中心軸に集めるだけで特別なことはしない。
でも来週は美容院にも行ってネイルも数か月ぶりにしちゃおうかなって思ってる。
ネイルは気持ちが上がるのよ。爪がきれいだと、その都度指先見てはニコッとしてしまう。
お肌の手入れも少し念入りにしよう。
娘の早希の遺品にフェイスローラーがあって、しもぶくれの頬っぺたを一日一回はそれで
くるくるしている。
「これ早希ちゃんからもらったの・・」と自慢げにフェイスローラをだんなに見せびらかすと、
だんなは向こうを張りたくなったのか、
「わしだって早希ちゃんの赤いブラシもらった・・」と言ってきた。
「・・・いや・・それ勝手に使って早希に嫌がられたヤツじゃん・・」と私が応戦する。
あれは 早希がまだ私たちと一緒に住んでいたころ、彼女が赤いブラシを使っていて洗面所に
おいてあった。早希専用のブラシだ。
ある日私が洗面所のドアを開けると、赤いブラシで少な目の髪の毛をといているダンナを目撃
してしまう。
「早希ちゃん知ったら怒るよ~」と私は焦って言ったのだが、大丈夫。ばれないから・・
とダンナはいたずらっぽい目をして笑っていた。
また別のある日に私はささいなことで早希と口論になり、口達者な早希に負けそうになった
時、とっさに言ってしまったのだ。
「パパね、早希の赤いブラシ使ってるよ・・知らなかったでしょ?ふん、いい気味。」
悪魔の私。
早希が何も言い返せずにした複雑な表情を今でも覚えている。
小さなものにも大切な思い出がある。
私はそれと共に生きていく。
人間が流す平均的な一生の涙量の、おそらく何十倍もの量を流すような人生になってしまった。
その時々で泣き方が色々で、さめざめと泣くときもあれば 声も出さずにただ涙だけが頬を伝う だけの時もある。
先週私は今までにない泣き方を体験して自分を驚かせた。
やだ。絶対いや・・怖い怖い怖い・・と頭をぶんぶん振りながら、子供のように泣きじゃくった のだ。
原因はハルの不調で、いつも元気いっぱいのハルがお腹がゆるくなり2,3度ほど吐いたという だけのこと。
今の私の最大の弱点は、大切な存在である対象の具合が悪くなることだ。 それ以外のことならば、どんなに辛いであろうことも不感症気味にいられる自信があるのだけ れど。
数週間後には元気になってるだろうと思いながら、具合の悪くなり始めた娘の看病をいそいそと していた自分を思い出すと痛々しい。そこから最も過酷で最も悲しい 死 へと結びつくなんて これっぽっちも思っていなかったあの頃の私。
だから今 ハルが吐いただけでハルの死を想像し泣きじゃくる。
自分の知らないうちに自分の心の中に、柔らかく繊細で壊れやすい部分を抱え込んでしまった ようだ。そしてそこに触れられたら 私は一巻の終わりだ。
ありがたいことにハルはすぐに回復し今は元気に跳ね回ってくれている。
このままの中にできるだけずっといたい。
もう何も失いたくない。私から何も奪わないで。
鬱状態の2か月程の間、閉じた切りであったスカイプも再開できて、最近は気づけば毎日の
ようにフィリピンのチューターと英語で話をしている。
なんかね、最近彼らによく言われることですごい嬉しいことがあるの。
なだめる 鎮める 落ち着かせる みたいな意味の soothe (スーズ) calm(コーム) という
英単語を、今まで何人ものチューターが私の声を表現するのに使ってくれた。
あなたの声を聴いているととても穏やかな気持ちになって落ち着く・・みたいなことを
本当によく言われるのだ。
一人のチューターなんか言うことが大げさで、私がアーティクルを音読しているのを聴いた
後に、
「あなたの音読はただの記事さえも素敵な物語を聴いているような気にさせてくれて、平和な
世界に誘ってくれる」だって。
嬉しくないはずがないでしょ?
声って年を取るごとに低くなっていくはずなのに、私の場合あんまり昔と変わらない。
つまり年にそぐわない声をしている。でも声質はそんなに変わらなくても声に年輪が加味されて
少しは柔らかみ丸みを帯びてきているんだと思う。だからなのかな。
可愛らしい声 とか 綺麗な声 っていわれるよりも、「SOOTHING VOICE」がめちゃ
嬉しい!
ヨガの生徒さんから電話があって、みんなしびれを切らしてます。3月からまたお願いします・・・と言っていただき、あと3月まで十日足らず、最後の調整に入ろうと思ってる。
調整って言ったってたいしたことしなくて、体を中心軸に集めるだけで特別なことはしない。
でも来週は美容院にも行ってネイルも数か月ぶりにしちゃおうかなって思ってる。
ネイルは気持ちが上がるのよ。爪がきれいだと、その都度指先見てはニコッとしてしまう。
お肌の手入れも少し念入りにしよう。
娘の早希の遺品にフェイスローラーがあって、しもぶくれの頬っぺたを一日一回はそれで
くるくるしている。
「これ早希ちゃんからもらったの・・」と自慢げにフェイスローラをだんなに見せびらかすと、
だんなは向こうを張りたくなったのか、
「わしだって早希ちゃんの赤いブラシもらった・・」と言ってきた。
「・・・いや・・それ勝手に使って早希に嫌がられたヤツじゃん・・」と私が応戦する。
あれは 早希がまだ私たちと一緒に住んでいたころ、彼女が赤いブラシを使っていて洗面所に
おいてあった。早希専用のブラシだ。
ある日私が洗面所のドアを開けると、赤いブラシで少な目の髪の毛をといているダンナを目撃
してしまう。
「早希ちゃん知ったら怒るよ~」と私は焦って言ったのだが、大丈夫。ばれないから・・
とダンナはいたずらっぽい目をして笑っていた。
また別のある日に私はささいなことで早希と口論になり、口達者な早希に負けそうになった
時、とっさに言ってしまったのだ。
「パパね、早希の赤いブラシ使ってるよ・・知らなかったでしょ?ふん、いい気味。」
悪魔の私。
早希が何も言い返せずにした複雑な表情を今でも覚えている。
小さなものにも大切な思い出がある。
私はそれと共に生きていく。
よっぽど体調が悪くない限り、土日のどちらかに夫婦でスーパーにまとめ買いに行く。
今日も食料品 消耗品と、買い忘れのないようメモを片手にカートを着実に満杯にし、大きめ の保冷バック2つ、ぎゅうぎゅう詰めで帰ってきた。
土日のまとめ買いは「OKストアー」に大変お世話になっていて、庶民代表のような生活をして いる。でも何か特別なものが欲しい時は成城石井とか紀伊国屋とか明治屋とかの高級スーパーに もお邪魔する。
クーベルチュールチョコを使ってガトーショコラが作りたくなったので、久々に成城石井に 行った。
クーベルチュールとアーモンドプードル(アーモンドを粉状にしたもの)と粉糖を買っただけな のに・・あ、あまりに美味しそうだから600円もする干し芋も買ってしまったんだった・・・ 私はそこに30分以上いたと思う。
何をしていたかというと買わないけど色んなもの見て楽しん でいただけで。 高級スーパーはたまに行くと楽しい。私にとっては遊園地みたいなもの。
スーパーつながりで・・・ ダンナを送り迎えしている駅の近くにあるスーパーが、朝7時から開店していることを 知り、土日のまとめ買いの補足のために木曜日に行ってみた。
朝8時前にスーパーに行くなんて初めての体験。 エレベーターが1階で開いたら、そこには人の姿がなく、並べられたばかりの新鮮な野菜 たちが輝いていた。
そこにしばし立ち尽くしてしまった私は、朝もやのかかった草原にでも 降り立ったかのように、深呼吸をしてしまう。
だあれもいない通路を独り占め。カートを自分のペースでゆっくり押しながらお買い物をする ことがこんなに清々しさを与えてくれるものとは思いもしなかった。
もう次を楽しみにしてる。
ガトーショコラ、とても美味しくできました。 今までと違うのはバターも小麦粉も使わないところ。 アーモンドプードルを40gも使うところがミソなんだと思う。
#hidamaricooking というYouTubeを信奉していて、よく動画を観させてもらっているの。
ガトーショコラのレシピもここから教わったもの。 お菓子を作る過程の動画がいつも美しいと思う。
BGMはまったくない。湯煎したガラスボールのチョコレートに生クリームが注がれる。
巧みなスパチュラの動きで、こげ茶のチョコに白い生クリームがマーブル状に混ぜ合わされて
行く。
ねっとりとしたチョコが、空気を含み、均一な柔らかな茶色 となる。
卵を割る音、材料を混ぜる音、すべての材料や道具の奏でる音そのものが、幻想的な音楽の
ようだ。お菓子を作らない人も楽しめると思います。一度見てみてください。
そうだ。買い物もうすべて終わった!とここで宣言しといてあれからまた買ったものがあるの。
姿見 と コートハンガー。
姿見は実はずっとあこがれだった。
でも置く場所が見つからず・・玄関の壁に取り付けるなら平気だろうか・・とか思いながら、
でも思い切れずに買わずにいたの。
で、とうとう買いました。だってずっとずっと欲しかったものだって思い出してしまったので。
カタログめくっていて好みの物にぶち当たり、すぐポチッた。
それにしても自分の全身をみることなんてほとんどないからびっくりした。
あのね、「やだ~こんなんだったの~」っていうのを期待されてたら期待裏切って申し訳
ないのですが、「お?あたし・・思ったよりも足長いんだ・・」っていうのが最初自分を見た
時の感想。
ずっと鬱っぽくて、体を動かすことができない時期が2か月くらいあったのね。
そこから何とか脱して毎日ヨガをしてたら、見る見るうちに体が締まってきた。
姿見見ながら体をチェックしてお洒落を楽しみたい、いくつになっても。
あー、なんかさみしいなあ・・会いたいなあ・・
今日も食料品 消耗品と、買い忘れのないようメモを片手にカートを着実に満杯にし、大きめ の保冷バック2つ、ぎゅうぎゅう詰めで帰ってきた。
土日のまとめ買いは「OKストアー」に大変お世話になっていて、庶民代表のような生活をして いる。でも何か特別なものが欲しい時は成城石井とか紀伊国屋とか明治屋とかの高級スーパーに もお邪魔する。
クーベルチュールチョコを使ってガトーショコラが作りたくなったので、久々に成城石井に 行った。
クーベルチュールとアーモンドプードル(アーモンドを粉状にしたもの)と粉糖を買っただけな のに・・あ、あまりに美味しそうだから600円もする干し芋も買ってしまったんだった・・・ 私はそこに30分以上いたと思う。
何をしていたかというと買わないけど色んなもの見て楽しん でいただけで。 高級スーパーはたまに行くと楽しい。私にとっては遊園地みたいなもの。
スーパーつながりで・・・ ダンナを送り迎えしている駅の近くにあるスーパーが、朝7時から開店していることを 知り、土日のまとめ買いの補足のために木曜日に行ってみた。
朝8時前にスーパーに行くなんて初めての体験。 エレベーターが1階で開いたら、そこには人の姿がなく、並べられたばかりの新鮮な野菜 たちが輝いていた。
そこにしばし立ち尽くしてしまった私は、朝もやのかかった草原にでも 降り立ったかのように、深呼吸をしてしまう。
だあれもいない通路を独り占め。カートを自分のペースでゆっくり押しながらお買い物をする ことがこんなに清々しさを与えてくれるものとは思いもしなかった。
もう次を楽しみにしてる。
ガトーショコラ、とても美味しくできました。 今までと違うのはバターも小麦粉も使わないところ。 アーモンドプードルを40gも使うところがミソなんだと思う。
#hidamaricooking というYouTubeを信奉していて、よく動画を観させてもらっているの。
ガトーショコラのレシピもここから教わったもの。 お菓子を作る過程の動画がいつも美しいと思う。
BGMはまったくない。湯煎したガラスボールのチョコレートに生クリームが注がれる。
巧みなスパチュラの動きで、こげ茶のチョコに白い生クリームがマーブル状に混ぜ合わされて
行く。
ねっとりとしたチョコが、空気を含み、均一な柔らかな茶色 となる。
卵を割る音、材料を混ぜる音、すべての材料や道具の奏でる音そのものが、幻想的な音楽の
ようだ。お菓子を作らない人も楽しめると思います。一度見てみてください。
そうだ。買い物もうすべて終わった!とここで宣言しといてあれからまた買ったものがあるの。
姿見 と コートハンガー。
姿見は実はずっとあこがれだった。
でも置く場所が見つからず・・玄関の壁に取り付けるなら平気だろうか・・とか思いながら、
でも思い切れずに買わずにいたの。
で、とうとう買いました。だってずっとずっと欲しかったものだって思い出してしまったので。
カタログめくっていて好みの物にぶち当たり、すぐポチッた。
それにしても自分の全身をみることなんてほとんどないからびっくりした。
あのね、「やだ~こんなんだったの~」っていうのを期待されてたら期待裏切って申し訳
ないのですが、「お?あたし・・思ったよりも足長いんだ・・」っていうのが最初自分を見た
時の感想。
ずっと鬱っぽくて、体を動かすことができない時期が2か月くらいあったのね。
そこから何とか脱して毎日ヨガをしてたら、見る見るうちに体が締まってきた。
姿見見ながら体をチェックしてお洒落を楽しみたい、いくつになっても。
あー、なんかさみしいなあ・・会いたいなあ・・
ハルとダンナ以外ほとんど誰にも会わない生活をしているので、聞かれることもないのだ けれど、もしも誰かに「今いちばん楽しいと思えることは何?」と聞かれたとしたら、私は
「組み合わせたり かけ合わせたり 調和させたりすること」って答えると思う。
意味わからんポでしょ?
色んなことをやっていて思ったのがでもこれなの。
例えば編み物をしていたら、予測をしながら色を編み込ませていくと、私のつたない予測を
はるかに超えて、自然世界の色の神秘に誘ってくれたりする。
本読んでるとするでしょ・・今は三島が多いんだけど、三島の言葉と言葉の組み合わせが、
私の耳元に乾いた音を響かせたり、私のどこかにひっそりと存在していたらしいスクリーンに、 鮮やかな映像を結んでくれさえもするんです。
「空気は果実のように冷たく歯にあたった」・・ね、聞こえない?・・聞こえるでしょ?
「川水の清冽さには、何かまったく自分の効用を意識しないものがあった」・・感じない?
「この山ばかりは地上にただ基底を託して、半ば天界に属していた」・・思わず見上げてしま うでしょ?
キッチンに立っていたって同じ。
料理は複数の素材と調味料の組み合わせだものね。
さて新しく始めたピアノにも私は同じような興奮を感じてます。
最近は、難しいジャズ理論から入るのはやめて、楽譜で曲を練習しつつ、そこから自分なりに
共通項を吸い上げて、理論に似た物を育て上げようとしてる。
ドミソ という簡単な和音があるでしょ?
この和音に6番目の音の「ラ」と9番目の音(2番目の音とも言えそうだけど9thなんで)、 「レ」を加える。
せっかく加えても ドレミソラ の順番では響きが詰まって聞こえる。
それを ミラレソド と順番を変えると いつまでも聴いていたくなる幻想的な響きになる。
鍵盤ない人は、スマホで無料の鍵盤インストールして響きを聞いてみてくださいな。
もっさりもっさりと不器用に、そんなことに感動しながら曲を弾いてます。
色や形や音や言葉を組み合わせることがデザインなら、デザインすることが好きなんだと思う。 昔編んだセーターを捨てられないでいるのだけれど、今年から着ようと思う。
大学時代に先輩から「チエにはチエの色って言うのが確実にあるよね」と言われたことが あって、今でもそれを言われた時の学食の雰囲気を事細かに覚えているということは、 よっぽど
その言葉が嬉しかったんだと思う。
今週初めにママ友の、ゆかちゃんママから可憐なお花が届いた。
同梱されていた手紙には、ずっとずっと思っていたけど言葉が見つからず時間が経ってしまい
ました・・今も見つからないままだけどお花を送ります。と書いてあった。
そんな時間を過ごしてくれたこと私はとても嬉しいです。 ありがとう。
人と人の繋がり 組み合わせ。
そっか・・・これが一番すごいのかもしれない。
あなたと私の組み合わせは、とんでもない「素敵」を生み出すと思わない?
「組み合わせたり かけ合わせたり 調和させたりすること」って答えると思う。
意味わからんポでしょ?
色んなことをやっていて思ったのがでもこれなの。
例えば編み物をしていたら、予測をしながら色を編み込ませていくと、私のつたない予測を
はるかに超えて、自然世界の色の神秘に誘ってくれたりする。
本読んでるとするでしょ・・今は三島が多いんだけど、三島の言葉と言葉の組み合わせが、
私の耳元に乾いた音を響かせたり、私のどこかにひっそりと存在していたらしいスクリーンに、 鮮やかな映像を結んでくれさえもするんです。
「空気は果実のように冷たく歯にあたった」・・ね、聞こえない?・・聞こえるでしょ?
「川水の清冽さには、何かまったく自分の効用を意識しないものがあった」・・感じない?
「この山ばかりは地上にただ基底を託して、半ば天界に属していた」・・思わず見上げてしま うでしょ?
キッチンに立っていたって同じ。
料理は複数の素材と調味料の組み合わせだものね。
さて新しく始めたピアノにも私は同じような興奮を感じてます。
最近は、難しいジャズ理論から入るのはやめて、楽譜で曲を練習しつつ、そこから自分なりに
共通項を吸い上げて、理論に似た物を育て上げようとしてる。
ドミソ という簡単な和音があるでしょ?
この和音に6番目の音の「ラ」と9番目の音(2番目の音とも言えそうだけど9thなんで)、 「レ」を加える。
せっかく加えても ドレミソラ の順番では響きが詰まって聞こえる。
それを ミラレソド と順番を変えると いつまでも聴いていたくなる幻想的な響きになる。
鍵盤ない人は、スマホで無料の鍵盤インストールして響きを聞いてみてくださいな。
もっさりもっさりと不器用に、そんなことに感動しながら曲を弾いてます。
色や形や音や言葉を組み合わせることがデザインなら、デザインすることが好きなんだと思う。 昔編んだセーターを捨てられないでいるのだけれど、今年から着ようと思う。
大学時代に先輩から「チエにはチエの色って言うのが確実にあるよね」と言われたことが あって、今でもそれを言われた時の学食の雰囲気を事細かに覚えているということは、 よっぽど
その言葉が嬉しかったんだと思う。
今週初めにママ友の、ゆかちゃんママから可憐なお花が届いた。
同梱されていた手紙には、ずっとずっと思っていたけど言葉が見つからず時間が経ってしまい
ました・・今も見つからないままだけどお花を送ります。と書いてあった。
そんな時間を過ごしてくれたこと私はとても嬉しいです。 ありがとう。
人と人の繋がり 組み合わせ。
そっか・・・これが一番すごいのかもしれない。
あなたと私の組み合わせは、とんでもない「素敵」を生み出すと思わない?
免疫は、肉体だけでなく精神にも及ぼすらしい。
悲しみに慣れてしまうなんてことがあるとしたら何と悲しいことかと思う。
でもそれは今の私なのかもしれない。
どんなに悲しいと感じても私はいつも通りの生活をする。
穏やかに暮らす。
呼吸ひとつひとつを整え、数秒先の未来を生き抜くように。
ハルに笑顔で愛の言葉をささやく。
花の水を替え、植木に水をやる。
ありがとう。を心から何度も言う。
手先や体を動かして環境を整え、さわやかさに身をゆだねてみたりもする。
それでも悲しみは存在する。
悲しみは繭の中に存在する。
綿毛のような繭に包まれ、私の心の中にぼんやり浮かんでいる。
そのまぶしいまでの白さと入り組んだ繊細さが、悲しみの重力を霧散させる。
重さのない悲しみの悲しさを不器用に愛しながら、 私は穏やかに普通の生活を続ける。
息子が先週30歳になった。
誕生日は、彼がこの世に誕生してくれた日。
たぶん本人よりも母親にとって意味深い日であると思う。
家具屋さんとか雑貨屋さんに彼と一緒に行くと、「これ可愛いな~」と興奮するような 所 の ある息子。好みが割と私と似てる。自分の部屋も小物に凝ったり結構お洒落にしてる。
例年、生活を楽しめるような、ごく小さな誕生日プレゼントをするのが私の楽しみ。
娘の誕生日は3月。 どういう気持ちで迎えるようになるのか、まったくわからない。
高校時代の友人の今村ちゃん(旧姓だからいいかな・・)から昨日紅茶と焼き菓子のセットが
送られてきた。
「ただでさえコロナでこもりがちな中、ちいこ元気にしてるかな・・ とりあえず熱いお茶でも飲んで一息入れてゆっくり前向いて歩いて行きましょう
みんなでお散歩に出かけられる日を願いながら。」 という言葉が添えられて。
ビスコッティって言うの? とてもおいしい。 紅茶といただきました。
至福の時でした。
最近よくお礼状を書いている。今村ちゃんにも昨日午後に投函しました。
お礼状を書くのは楽しい。 どんな風に嬉しかったか自分の気持ちとズレのないように言葉を
探して書いていく。 自分の気持ちにぴったり寄り添った言葉を連ねることができるのは、
ありがたい。
一日経って、今村ちゃんからラインでお礼状のお礼?のラインが届いた。
「・・・・で、お茶飲んで、結局耳澄まして、人を想って、丁寧に生きていかなきゃって、
私も思う。浮いたり沈んだりしながら、無理しないでゆっくりいきましょう。
また会える日を楽しみにしてます。元気でね。」
コロナが収束して、みんなとお散歩楽しみです。
娘の早希は、私が事実以上に「かわいいもの好き」と思っていたみたいで、ジブリグッズや
フィーチャリング ダックスフンド のグッズなどをよくくれたものだ。
窓辺に置いてある植木鉢カバー2つは早希がくれたもの。
トトロがあふれんばかりのお花を背負っているのが可愛いのと、ダックスの鉢植えには
可憐な薔薇がひとつ咲きそうなので写真を撮っておきました。
一周間が経つのが速い。 外の仕事もしていないのに毎日毎日「あ もうこんな時間・・」と言いながら暮らしている。やりたいことの3分の1もできてなくても、少しのわだかまりもなく寝 てしまう。
プロセスとは、何かの結果に向けての踏まれていく「過程」であるはずなのに、私の場合は違っ
ている。プロセスがすべてで、それ以外に興味がないのだ。
最終的に命が尽きて娘に会うこと
・・このことが唯一の目標になってしまった私には、今やっているすべてのことは言わば
そこまで行く時間を埋める物事でしかない。
それでも物事は楽しい方がいいに決まっているし、実際楽しいと感じている。
家事をしててもピアノを弾いていても英語を勉強していてもヨガをしていても本を読んでいても
カメラを構えていても、そしてこれをツラツラ書いていても、楽しい。
逆説的に考えれば、プロセスのみを楽しめることほどそんな贅沢はないとも思えるし。
これまで書いてきたように、物をめちゃ買いして、物質的な物は十分にある。
それと同時に、死ぬことを待つ・・そのことだけに集中しなくていいように、自分を楽しませ
られるアイテムを、私は十分に持っていたことがわかった。
そのことを本当によかったと思う。ありがたいと思う。
三島に夢中、これ継続中。
今は「青の時代」を読んでいる。
責任ある仕事以外で、無理にやっていると感じたら、やめるべきだと思う。
NHK BSプレミアムで放送されている ワイルドライフ が好きでよく観ている。
先週は、インド洋に浮かぶ クリスマス島 に生息する甲殻類や鳥類、昆虫の物語。
ドキュメンタリーでありながら、厳しい自然に生息する一つ一つの生物の物語を、皮膚感覚で
伝えてくれる貴重な番組だ。
写真を撮ることが一つの趣味である私は、こういう番組を観ても、カメラマンの目線とシンクロ
しがちだ。そしてワイルドライフの一人のカメラマン モリッツ・カッツ という人に
憧れ、ついには恋心を抱いてしまうことになる。
どんな小さな生物にも彼の目は温かく優しい。
ピソニア という植物の種は、表面が強力な粘着力でおおわれている。
不運なことに、カツオドリの幼鳥がこの植物の群生域を通り抜けてしまったのか、体中に
この種がへばりついてしまう。
種まみれになったら最後、幼鳥はそのタネの重みで飛び立つことができない。
時間が経過する・・・
幼鳥が命を落とし、横たわっている映像。
その後に続く10秒ほどの映像に、私の魂が揺さぶられた。
カツオドリの幼鳥の死骸が 時の流れに呼応するように、土へと帰っていく様子が映し出され
たのだ。
カツオドリが次第に土と同化し、骨になっていく。
そしてその土が、新たな木々を育む。
命は未来へと繋がっている。
その10秒の映像のために、このカメラマンはどれだけの時間を費やしたのだろう。
クリスマス島の人達は暢気で平和でシンプルだ。
大量の赤ガニが産卵のために海岸目指し、移動する。
ゴルフ場もアカガニだらけだ。
巣穴と間違えホールに入ってしまうアカガニ。
プレイヤーは優しくそのアカガニを取り出し、何もなかったかのようにゴルフを続ける。
グリーン上もアカガニだらけで普通に歩くこともままならない。
踏みつけないように大股で跨ぎながらのプレーが続く。
赤いカニと白いボールのコントラストに目を奪われていたら
「これではいいスコアは出ないでしょう」というナレーションが入る。
でも彼らはアカガニを邪魔と思っているように見えない。
それくらい人間とカニのコンビネーションが自然なのだ。
彼らとアカガニは、奇跡的な共存を果たしているのかもしれない。
羨ましい話だ。
真っ青な空。あふれんばかりの雲。
吸い込まれそうな透明感を放つ海水。
海岸がアカガニの子供たちで埋め尽くされ、赤く染まるシーンは神秘的だ。
赤 という色が今までよりももっと好きになったという事実。
・・シナリオの先生と中学時代の友人くみちゃんから美しいお線香とろうそくのセット
が送られてきた。
精油のみで作られているお線香。
美しい絵が描かれたろうそく。
ありがとう。
毎日使わせていただきます。
プロセスとは、何かの結果に向けての踏まれていく「過程」であるはずなのに、私の場合は違っ
ている。プロセスがすべてで、それ以外に興味がないのだ。
最終的に命が尽きて娘に会うこと
・・このことが唯一の目標になってしまった私には、今やっているすべてのことは言わば
そこまで行く時間を埋める物事でしかない。
それでも物事は楽しい方がいいに決まっているし、実際楽しいと感じている。
家事をしててもピアノを弾いていても英語を勉強していてもヨガをしていても本を読んでいても
カメラを構えていても、そしてこれをツラツラ書いていても、楽しい。
逆説的に考えれば、プロセスのみを楽しめることほどそんな贅沢はないとも思えるし。
これまで書いてきたように、物をめちゃ買いして、物質的な物は十分にある。
それと同時に、死ぬことを待つ・・そのことだけに集中しなくていいように、自分を楽しませ
られるアイテムを、私は十分に持っていたことがわかった。
そのことを本当によかったと思う。ありがたいと思う。
三島に夢中、これ継続中。
今は「青の時代」を読んでいる。
責任ある仕事以外で、無理にやっていると感じたら、やめるべきだと思う。
NHK BSプレミアムで放送されている ワイルドライフ が好きでよく観ている。
先週は、インド洋に浮かぶ クリスマス島 に生息する甲殻類や鳥類、昆虫の物語。
ドキュメンタリーでありながら、厳しい自然に生息する一つ一つの生物の物語を、皮膚感覚で
伝えてくれる貴重な番組だ。
写真を撮ることが一つの趣味である私は、こういう番組を観ても、カメラマンの目線とシンクロ
しがちだ。そしてワイルドライフの一人のカメラマン モリッツ・カッツ という人に
憧れ、ついには恋心を抱いてしまうことになる。
どんな小さな生物にも彼の目は温かく優しい。
ピソニア という植物の種は、表面が強力な粘着力でおおわれている。
不運なことに、カツオドリの幼鳥がこの植物の群生域を通り抜けてしまったのか、体中に
この種がへばりついてしまう。
種まみれになったら最後、幼鳥はそのタネの重みで飛び立つことができない。
時間が経過する・・・
幼鳥が命を落とし、横たわっている映像。
その後に続く10秒ほどの映像に、私の魂が揺さぶられた。
カツオドリの幼鳥の死骸が 時の流れに呼応するように、土へと帰っていく様子が映し出され
たのだ。
カツオドリが次第に土と同化し、骨になっていく。
そしてその土が、新たな木々を育む。
命は未来へと繋がっている。
その10秒の映像のために、このカメラマンはどれだけの時間を費やしたのだろう。
クリスマス島の人達は暢気で平和でシンプルだ。
大量の赤ガニが産卵のために海岸目指し、移動する。
ゴルフ場もアカガニだらけだ。
巣穴と間違えホールに入ってしまうアカガニ。
プレイヤーは優しくそのアカガニを取り出し、何もなかったかのようにゴルフを続ける。
グリーン上もアカガニだらけで普通に歩くこともままならない。
踏みつけないように大股で跨ぎながらのプレーが続く。
赤いカニと白いボールのコントラストに目を奪われていたら
「これではいいスコアは出ないでしょう」というナレーションが入る。
でも彼らはアカガニを邪魔と思っているように見えない。
それくらい人間とカニのコンビネーションが自然なのだ。
彼らとアカガニは、奇跡的な共存を果たしているのかもしれない。
羨ましい話だ。
真っ青な空。あふれんばかりの雲。
吸い込まれそうな透明感を放つ海水。
海岸がアカガニの子供たちで埋め尽くされ、赤く染まるシーンは神秘的だ。
赤 という色が今までよりももっと好きになったという事実。
・・シナリオの先生と中学時代の友人くみちゃんから美しいお線香とろうそくのセット
が送られてきた。
精油のみで作られているお線香。
美しい絵が描かれたろうそく。
ありがとう。
毎日使わせていただきます。
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