日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
喪中はがきを印刷して、ちょうど一週間前の土曜日に郵送した。
すべての友人知人に娘の病気を知らせていたわけではない。
娘の旅立ちを知らない人たちが、一枚のはがきで受けるショックの大きさを考えてしまい、
出さなきゃいけないものでありながら 出したくないな とどこかで思っていた。
週が開けてみると、電話 メール お手紙 お花 お仏前 お供え物のお菓子等々・・娘と私達
へのお心遣いをたくさん頂戴した。
今週はたくさんの人と話をした週でもあった。
お線香をあげたい 私に会いたい そう言って、家までわざわざ来てくださる方が5人ほど
いらしたからだ。
ママ友や以前私が家庭教師をしていた生徒さんのお母さま、前に住んでいたマンションのお隣
さん 大学時代のサークルの先輩、今住んでいるマンションに以前住んでいた友人、そして
小学校時代からの親友。
娘との闘病生活や娘の死について、自分が目の前にいる人にどのような言葉でどう語るのか
が想像できなかった。
でもね、蓋を開けてみると ちっとも難しくなかったの。
不安をよそに、自分の気持ちとズレのない言葉が自然と自分から出てきてくれた。
相手も私の話に深く感じ入ってくれている様子で、所々一緒に涙を共有したりしながら
いい時間を過ごせた。
それで気づいたのが、「このブログが私の話す言葉にとても貢献している」 ということだ。
カッコつけたくて、少しばかり文学的要素を加味することはあっても、ここに書いたことは
すべて真実。自分が感じたこともストレートに書いてきた。
それでも「書く」という行為はとても客観性を必要とする。
自分方位にならずに人に伝わりやすいように書きたいと思って書いてきた。
だからいざ人に話をするとなった時、すでにゆるぎないベースがそこにあったのだ。
あとは相手との話の流れで、使う形容詞や話す順番や緩急を変えるだけで、言いたいことは
いつもすっきりと伝えられた。
人と会って自分の感じたままを話す・・これが私を不調から引っ張り出してくれた。
木曜日は小学校時代の親友デコが、埼玉から2時間半かけて我が家に来てくれた。
少し距離があることもあり、数年に一度の割合で会っていたので、娘の闘病が、デコと会わ
ない期間にすっぽりハマっていた。
デコは徹底したベジタリアン。
お昼を用意するためにマクロビ的な献立を考える。
野菜のポタージュスープにブイヨンは使えない。ガーリックソルトや乾燥ハーブ、クレージー
ソルトなどで代用する。(あ、思い出した。クレージーソルトはネタにするには周知度が
少なすぎるんじゃないかなLOL)
パンは前日焼いたゴマのパン、それにサラダ。
とても美味しい!と言って食べてくれた。
デコに話した私の言葉。
「もしも神様がいるとしてね・・神様にこう言われたような気がするの。
31年の命 という運命はどうしても変えてあげられないけれど、それ以外すべてをうまく
いくようにしてあげる・・って。不幸の中、私幸せだったなって。不幸の中で感じる幸せは
とてつもなく深くて感謝に満ち溢れているのよ・・」
「早希はね 強かった。
自分がどんなに病状が悪化しても外見が変化しても、会いにきたいと言う人たちを最後まで
拒まなかった。私はすごく不思議だったのよ。私だったらできないなって。
そしたら息子が言ったの。『早希こう言ってたよ・・私は自分の死で 周りの愛する人たち
に誰一人として後悔してもらいたくない・・って』 私なんかそれ聞いて打ちのめされたのね。
彼女は娘でありながら、私よりもずっと高い魂の持ち主なんだなって・・」
人に話を聞いてもらえるっていうのは宝物だね。
ゼロイチエピソードトークは、フィクションを描く時しか私にはできない。
このブログは純粋に 『イチイチトーク』です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー*
今、夜の9時。
ここからは付け足しで。
今日は午前中から出かけて 早希の49日 納骨を終えてきた。
いいお天気で風が気持ちよく、お花もにこやかに揺れていた。
一段落ついて、さあ私は明日から どうやって生きてゆくのかな



すべての友人知人に娘の病気を知らせていたわけではない。
娘の旅立ちを知らない人たちが、一枚のはがきで受けるショックの大きさを考えてしまい、
出さなきゃいけないものでありながら 出したくないな とどこかで思っていた。
週が開けてみると、電話 メール お手紙 お花 お仏前 お供え物のお菓子等々・・娘と私達
へのお心遣いをたくさん頂戴した。
今週はたくさんの人と話をした週でもあった。
お線香をあげたい 私に会いたい そう言って、家までわざわざ来てくださる方が5人ほど
いらしたからだ。
ママ友や以前私が家庭教師をしていた生徒さんのお母さま、前に住んでいたマンションのお隣
さん 大学時代のサークルの先輩、今住んでいるマンションに以前住んでいた友人、そして
小学校時代からの親友。
娘との闘病生活や娘の死について、自分が目の前にいる人にどのような言葉でどう語るのか
が想像できなかった。
でもね、蓋を開けてみると ちっとも難しくなかったの。
不安をよそに、自分の気持ちとズレのない言葉が自然と自分から出てきてくれた。
相手も私の話に深く感じ入ってくれている様子で、所々一緒に涙を共有したりしながら
いい時間を過ごせた。
それで気づいたのが、「このブログが私の話す言葉にとても貢献している」 ということだ。
カッコつけたくて、少しばかり文学的要素を加味することはあっても、ここに書いたことは
すべて真実。自分が感じたこともストレートに書いてきた。
それでも「書く」という行為はとても客観性を必要とする。
自分方位にならずに人に伝わりやすいように書きたいと思って書いてきた。
だからいざ人に話をするとなった時、すでにゆるぎないベースがそこにあったのだ。
あとは相手との話の流れで、使う形容詞や話す順番や緩急を変えるだけで、言いたいことは
いつもすっきりと伝えられた。
人と会って自分の感じたままを話す・・これが私を不調から引っ張り出してくれた。
木曜日は小学校時代の親友デコが、埼玉から2時間半かけて我が家に来てくれた。
少し距離があることもあり、数年に一度の割合で会っていたので、娘の闘病が、デコと会わ
ない期間にすっぽりハマっていた。
デコは徹底したベジタリアン。
お昼を用意するためにマクロビ的な献立を考える。
野菜のポタージュスープにブイヨンは使えない。ガーリックソルトや乾燥ハーブ、クレージー
ソルトなどで代用する。(あ、思い出した。クレージーソルトはネタにするには周知度が
少なすぎるんじゃないかなLOL)
パンは前日焼いたゴマのパン、それにサラダ。
とても美味しい!と言って食べてくれた。
デコに話した私の言葉。
「もしも神様がいるとしてね・・神様にこう言われたような気がするの。
31年の命 という運命はどうしても変えてあげられないけれど、それ以外すべてをうまく
いくようにしてあげる・・って。不幸の中、私幸せだったなって。不幸の中で感じる幸せは
とてつもなく深くて感謝に満ち溢れているのよ・・」
「早希はね 強かった。
自分がどんなに病状が悪化しても外見が変化しても、会いにきたいと言う人たちを最後まで
拒まなかった。私はすごく不思議だったのよ。私だったらできないなって。
そしたら息子が言ったの。『早希こう言ってたよ・・私は自分の死で 周りの愛する人たち
に誰一人として後悔してもらいたくない・・って』 私なんかそれ聞いて打ちのめされたのね。
彼女は娘でありながら、私よりもずっと高い魂の持ち主なんだなって・・」
人に話を聞いてもらえるっていうのは宝物だね。
ゼロイチエピソードトークは、フィクションを描く時しか私にはできない。
このブログは純粋に 『イチイチトーク』です。
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今、夜の9時。
ここからは付け足しで。
今日は午前中から出かけて 早希の49日 納骨を終えてきた。
いいお天気で風が気持ちよく、お花もにこやかに揺れていた。
一段落ついて、さあ私は明日から どうやって生きてゆくのかな
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