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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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20年前にバレエを習い出したその日から、私の「股関節との戦い」は始まっていた。
身体が固くて股関節の可動域が明らかに狭い私は、とことんバレエに向いていなかっ
たのだ。

それなのに、「足の甲高」を先生に褒められて、いい気になっていた。
その後どれだけ股関節で苦しむことになるのかも知らないで。

それでも20年も続けていれば、人にちょっとは驚かれるくらいの柔軟性は身に
つけられるものだ。それは身を持って言える。

苦労してやっとこさある程度の柔軟性を手に入れた私は、人の動きを見るときに
その人の股関節の可動域にどうしても目が行ってしまう。

そして ある日 ミュージカル「100万回生きたねこ」を観た。

満島ひかりちゃん扮する女の子が、絵本からそのまま出てきてしまったような
女の子だったので、「長靴下のピッピみたい・・」と目を奪われていたら、
何の気配も感じさせずに実は本棚の奥に潜んでいた一匹の猫、森山未來くんが突然
舞台に現れた。

果たして私は、未來君ネコの股関節の柔軟さに釘付けになってしまった。

一方向に極端に体を押し出すことで生じる関節と関節の間のひとつの広がりが、
関節の並び順にスムーズに移動し、上下左右斜めに伝わっていく。

そんな波打つように見えるあのネコ特有の背骨の動きを、猫になった未來くんは
それは自然に動きへと組み込み、加えてしなやかな股関節を存分に使って舞台を這い回る。

ミュージカルを観ているという感覚とは少し違った。
少なくとも私が思うミュージカルとは違った。

例えば、「不思議の国のアリス」の、アリスが経験する夢の世界は、少しばかり狂気を
感じるところが私にはあって、それに似た世界に誘われたような感覚が残っている。

色のコントラスト、日常的ナンセンス、執拗に繰り返される動き、間接的な「涙」の表現。
「泣く」という行為は、何と人間的なものであったのか。

100万回生きても泣いたことのなかったトラねこさんは、愛を知り死の悲しみを知ること
で、さめざめと泣き、自らも死を全うする。

後日、NHKのインタビュー番組に出演していた未來君の話で、疑問のすべてに合点が
いった。

まず未來君はダンサーだった。当然だ。
そして舞台の演出振付美術は日本人ではなく、すべてイスラエルの人達によるものだった。

未來君は、10月から一年間日本での俳優業をお休みして、ベルギーやイスラエルの劇団を
拠点に活動を始めるらしい。

「100万回生きたねこ」を観たからというわけではないけれど、「Woman」も
「夫婦善哉」も録画でなく見ることにしている。














鉢植えのローズマリーに花が咲いた。
薄紫色の 米粒ふた粒ほどの小さな花だ。

それを目にしてふと気持ちがゆるむのは、こわもてのサボテンに、
可憐な花が咲いているのを見つけた時と似ている。

人に例えると、あの誰も寄せ付けないような風貌のあの人のとげとげ感は、
何のことはない、ただの人見知りからだったのか・・というところか。

日曜日の公園は、セミの独壇場だった。

歩きながらふと横の木の幹に目をやると、押し合いへし合いとはいかない
までも、かなりの密度でたくさんのセミがはりついていた。

マンションの外廊下を歩いている時、「じじっ」と急襲をかけるあの「アブラゼミ」
の他に、透き通った羽と緑色のボディーを持つ「ミンミンゼミ」もそこには多数いて、
じーじー と鳴くあぶらぜみの合いの手に、みんみん とかわいく鳴いていた。

視線を落とすと、木の根っこ周りの地面一帯に、一円玉ほどの小さな穴がそれはそれは
たくさんあるのに気が付いた。

その穴は、セミの幼虫が7年ほどの時を土中で過ごした後に、一匹一匹が外界に這い出て来た
名残であり証拠なのだ。

「セミはいったい卵をどこに産み付けるのだろう?」
単純な疑問が、散歩中に湧き上がったので調べると、セミは木の幹の中に卵を産み
付けるのだそうです。そして冬場を過ぎて孵化した幼虫が土の中に移動するらしい。

ぜひ来年は、セミが土の中から這い出て来るところを見てみたいなと思う。
「早朝が狙い時」だって書いてあった。

外界に出たてのセミは白いんだって。  ね、見たくなるでしょ?












ただ夏の暑さのせいだけじゃないと思う。

美味しいものが食べたいと思えるほどの食欲もない。
本を読んでも最後まで読み通す集中力がなく、映画を観ても音楽を聴いても、
とんと響いてこない。

感覚がなまって鈍って、何も感じなくなって行くことも、
「老人力」のなせる業だとしたら、このままずっと死ぬまでこんな
感じなのは、正直きついなと思っていた。

諦め気分でそう思っていたら、このお盆休みに「すっごくおいしい!」
と「めちゃくちゃ面白い!」を続けて経験することができて、頻度は少なくなって
きているものの、そういうの 全くなくなったわけではなくて、私の受信システムも
時には作動することを知り安心した。

お盆ウィークの一日に、家族4人で外食することになり、
さて何を食べようか・・そう、せっかくの機会だから、いつもと違うことをしてみない?
と私が言い出し、ステーキを食べに行くことになった。

ネットで調べて、家の近くにある評判の和牛専門店にお邪魔した。

これが大正解!

普段食べつけてないくらいのおいしいものを食べると、頭が誤作動するのだろうか、
一瞬のしびれがあって、そのあと口の中だけでなく頭蓋骨に覆われているすべての
部分が「ひんやり」した。

その焼き加減が絶妙で、それについて料理を仕事にしている息子が言ったことが、
私になるほどねえと思わせた。

「焼き方の好みをいちいち聞かなかったでしょ? こだわりの焼き加減があって、
シェフのベストを出しているからだね。」

わさび、スモーク塩、シェリー酒をベースにしたソース。
その内のどれもがお肉と抜群に良い相性で、ひとつの完璧なお肉をいろんな方向から
楽しませてもらうことができた。

私の中に、ステーキ肉を食べる時の鉄則がある。
「中途半端なグレードは食べない。」ということだ。
年に一度、もしくは2年、3年に一度くらいでかまわない。
食べるときは、ひんやりするほどおいしいものを食べたい。

「めちゃくちゃ面白い!」は、ダンナが何気に録ってくれていたミュージカル、
「100万回生きたねこ」で、これについては次回触れようと思う。

でもよかった。まだ私の中に「興奮」が残っていて。
たとえその興奮が、かなり静かなものであったとしても。






焦げるような暑い日が続きます。

8月15日です。

過去の痛ましい出来事も、今と同じ夏の太陽が照りつける中で、
舞い上がる砂ぼこりに人々が目を閉じた隙に、突然終わりを
告げたのだろうか。 ちぎり取られたものは二度と戻ることはなく、
人々の空白の心には、こんがらがった結び目だらけの重い重い
糸玉が、ただしこりのようにあり続けていたのだろうか。

その目を開けて、その目で見てきたことを言葉にしてくれるだけで、
それを聞いた私たちは、知らんぷりしていられなくなる。

私自身が初老の域に差し掛かっている今であっても、まだまだ先輩方から
学びたいのです。考える機会を与えてもらいたい。


一日中暑さを避けていてもどうにもならないので、とにかくハルの散歩に
出ることにした。

昨日選択した散歩スポット、「四季の森公園」は、なかなかのグッドチョイス
だった。どんなに太陽が照りつけようとも、それを遮るうっそうとした木々が
あれば、そこには木陰ができる。

木陰とさわやかな夏の涼風に助けられて、あの炎天下の昼間の散歩も、思いのほか
さわやかなものになった。

「四季の森公園」には、真夏にうってつけの「水スポット」がある。
一つは霧のように舞い上がる「噴水」であり、もう一つは子供たちに大人気の
「じゃぶじゃぶ池」である。

子供たちがずぶぬれになりながら楽しげに駆け回っている周りで、帽子を
目深にかぶり、首にかけたタオルで時折汗を拭いて子供たちの様子に目を
細めている親たちの姿は、実に20年前の私たちの姿である。

子供たちは真夏の暑さなどものともせず、水面で反射する太陽光を体いっぱい
浴びて、より一層きらきらと輝いていた。

















前回触れた細川先生のように、日々の教室での様子や言葉だけで、
それ自体が生徒たちへの素晴らしい教育となり、年月や死にさへも
風化されることなく存在し続ける場合もあれば、そのまったく
反対の意味で忘れられない先生もいる。

先生なので、文字通りの「反面教師」。である。

中学一年の地理の授業中。
テストの結果が生徒一人一人に返された。

暗記ものが苦手な私は、50点と60点の間くらいだったと思う。
あーあ、と思いながら、赤いバツだらけの答案をため息つきながら
見ていたら、先生が口を開いた。

「いつもまったくできないN君が、92点だった。これは
怪しいね・・・カンニングしたんじゃないか? N,そうだろ?」

おとなしいN君は、無表情でただだまっていた。

「十中八九 そうだね・・」と、その先生は独り言のようにもう一度
繰り返し、何もなかったように授業をし始めた。

まだはっきりと自我が確立されていないようなぼーっとした中学一年の
私にも、先生が何かとんでもないひどいことを言っていることだけは
わかった。でもそれに対し、反論する術をまだ持っていなかったのである。

N君は、一生懸命勉強したのだと思う。
地図を見ていろんな国に思いをはせるのが好きだったのかもしれない。

努力によって自分を向上させた結果、「ズルをした。」とクラス全員の前で
非難されたN君の気持ちを思うと、いたたまれない。

そのことがトラウマとなって、努力することに対してネガティブなイメージが
つきまとい、彼の一生を変えてしまう可能性だってあるほどの悲しい事件だった
と思う。

その先生は、そのあと病気に倒れてしまった。
ある意味潔癖症だった私は、「あの時のバチがあたった・・」と思っていた。

私の中のぼんやりした価値観が、大人の言動によってよくも悪くも揺さぶられ、
形を持ち始めた時代だったのだ。

N君のその後はまったくわからないが、先生を反面教師として大きく乗り越えて、
惑わされずに自分の人生を切り開いたと思いたい。

N君には災難だったでしょうが、「反面教師」も、私にとっては大きな教育と
なったのである。









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