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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 今の流行に乗じているわけではないが、「いらないものは買わない」 「不必要なものはスペースの無駄使いだから処分しよう」 と、いつも思ってはいるのだ。

 思ってはいるのに 真逆のこともちょこちょこ間にはさんでしまうのが、何事にも徹底を欠いてしまう私のいい加減さの表れで。

 お友達に頂いた花束のきれいなリボンが捨てられない。
「再利用」 というエコ的要素が 私の情緒的思いに加味して、結果捨てられない。

物にこだわりすぎると不自由だってわかってる。だから今あるものをずっと使おうと思ってるのに、デザイン性、色合い、形、素材感、使いよさ 着心地などが 自分の何かにマッチしてしまうと、誘惑に負けて買ってしまうときがある。

 こんな風だから 少しづつ不用品を処分しているのに、なんだかいつも物飽和状態の感がある。

 ブログのタイトル、「My favorite things」 から、「My simple life」 に変えたほうがいいかもね。

 今少し雨が降り出しました。
マンションの、渡り廊下から見下ろす公園の木々が 色づき始めています。
いつもあの下をハルと歩いているのね。







厚めの上着を着てても寒いと感じた今日のお散歩。

 昨日の程よい雨が、地面に敷き詰められた落ち葉のカサを幾分減らしてくれたらしく、ごく自然な歩調でその色とりどりの絨毯を踏みしめ 前に進んで行くことができた。

 もみじの木全体が 半分熟した果物のような色合いで、成熟への通過儀礼であるその赤と緑のせめぎ合いが、周りの空気に張りを持たせている。

 銀杏並木を車で抜けると 風にはらはらと舞い落ちる黄色い銀杏葉が、フロントガラスにコツン コツリ と小気味良く音を立ててはすごい速さで視野から消え去る。

 この時期ハルは、日向ぼっこが大好き。

 ハルの身幅と同じくらいの細長い出窓が格好の場所となる。

 その出窓の下にあるソファーに飛び乗り、出窓に前足をかけ、「いつものヤツお願い。」 とばかりにこちらを振り返り 訴えるのである。お尻を押し上げ 出窓に乗せてもらうことをリクエストしているのだ。

 「ハルは足が短いからね、可愛そうに。しょうがないよね・・」といつもそのリクエストに応えていたのだが・・・。

 でも、ある日私は見てしまった。

リビングから一続きの和室のちょっと奥まったところで洗濯物をたたんでいたら、ハルが助走をつけてソファーに駆け上がり、そのままの勢いで出窓にポーンと軽々しく飛び乗ったのを。

 ハル~~~~・・・。君はなんて甘え上手なんだ。
私はすっかりだまされていたよ。

 その後もハルがひとりでに出窓に寝そべっているのを何度も目撃しているにもかかわらず、私がいると、あの表情 あの格好 あの声で私に甘え攻撃をかけるのだ。

 それでも私は、知らない振りしてニコニコと出窓に近づき、彼のお尻に手を添えることをやめないって・・もしかしたらとても愚かなことなのかもしれない・・けど いいんです。







 

 



普通の主婦をやっていて、お部屋中が いただいたたくさんのお花たちの香りに包まれる・・なんてことはこの上ない喜びで・・今私はまさしくその至福の中にいます。

 昨日のバレエの発表会にいらしてくださったお友達や生徒さん。こんな私のために時間をさいてくれたことだけでも感激なのに、素晴らしく美しいお花まで持ってきて下さって。

 日常に戻り、雑事のために家の中を行ったり来たりしながらも、目の端にいつも華やかなお花たちがいてくれて、一息ついてはそばに行って話しかけるように見つめたり、顔を近づけて香りを楽しんだり。

 ひとつひとつのお花がそれぞれに美しく、「世界にひとつだけの花」。
 バレエ適応年齢を 大きく大きく超えてしまっている私ですが、自分の心や体と静かに対話しながら その時期にしか咲かすことのできない 「ひとつだけの花」 の開花にむけて、また新たに少しづつ積み重ねて行こう。と、とても真面目に考えた今朝 でした。   ありがとう。

 今日は、これから息子の通う料理専門学校の学園祭に行ってきます。
今年生徒会の会長を担っている息子は、学校生活とバイトで、ほとんど休みなしの働きすぎのサラリーマンのような毎日。

 彼の疲れた横顔をちらりと見ながら 口に出すことのできない心配を 「だいじょうぶなの?」 のひとことに精一杯もりこんで、「平気じゃないけど平気。」という安心できない答えを受けてまた抱え込む、という繰り返し。

 その頑張りの成果を、この目で見てこようと思います。
  
 アレルギーにも黄砂にも負けずに、私も頑張ります。

 







お餅が好きなのだから普段から食べればいいのに、その楽しみはお正月に・・となぜか思いがちなのだ。

 ついこの間 と思っていたお正月も、時が 置いてけぼりをくった私を遠く後ろに 隙を見て近道したとしか思えない早さで一年弱を刻み、再びもうすぐそこである。

 毎年この頃からにわかに スーパーのお餅売り場のスペース一帯が、アイデンティティーを主張し始める気がする。
 
 その皮切りにとでもいうように、「お餅の特売」に出くわしたので、白いお餅とよもぎ餅の大袋をかわりばんこに取り上げたあと、よもぎ餅を買って帰った。

 これが今、私の生活に小さな彩を添えてくれていて、ひとりでとることの多いお昼ご飯によもぎ餅をぷっくり焼いて あぶった海苔にさらりとお醤油つけて磯辺巻きを楽しんだり、お茶請けに あずきの缶詰を気安くカキカキ開けて、よもぎ餅にたっぷりのせては満足したり、という調子なのである。

 実は今日、本番さながらのホールでのリハーサル、明日ゲネプロと本番、を残すのみとなった今年のバレエの発表会、それに至るまでのハードな練習量も、ただの「うどん」を「力うどん」に変身させることのできる「お餅」のそのエネルギーの圧縮に、少しは助けられたのかもしれない、と感謝しているのである。

 
 私の枕元の壁には、健康雑誌の 「切り取り付録」 だった 「富士山」 の写真がはってある・・と以前に書いたことがある。 そして今でもその富士山は、私の無防備な寝姿を 毎日見下ろす形をとらされているのだ。

 その写真は、「湖映雪姿」 と枠外に題されてあるだけあって、雪帽子をかぶった富士山の姿が 鏡のように湖に映りこんでいて、山の麓と湖との接線を軸にシンメトリーの美しさを楽しめる、というわけで、つまり 2倍2倍の美しさ。

 早朝散歩をしていたら、公園の小さな池にもシンメトリーを見つけた。
覆い茂る木々が池に映りこんでいるのだが、肉眼で見ると 実際の風景よりもその反映の方が色濃く美しく見えるから不思議だ。

 いや待てよ。映っているもののほうがきれいって・・何よ。鏡に映る自分の顔も実際よりましに映っているのだとしたら・・。つまり・・。 いやいや、そんな微妙な差、ここまで来たら誤差の範疇でしょ。もう。

自分を映している鏡を割ると7年間不運が続く とか、写真を撮られると魂までも持って行かれる とか、そういう風に考えてしまうのってすごくわかる気がする。何故7年間なのかはわからないけれど。

 「映る」もの, 「写る」もの。手を伸ばして触れたとしても、そこには実質実体は存在しない。そんなはかなさに憧れを抱いてしまう。その二次元的実像存在に、思い入れを差し込みたくなってしまう。

 テレビや映画、写真。
そこに存在する人たちにさえも。

その人の、そのときの思いや願いも一諸になって像を結ぶと 思いたいのだ。
 
 



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