日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
黄金に輝く稲田に、人の手が入り始める季節。
刈られて束ねられた稲が、規則正しく干される様子を、
ふるさと村の農道を散歩しながら眺めていた。
芽を出したと思ったら、あっという間にすっくり伸びて、
深紅の花を咲かせる彼岸花を、今年は逃してしまったか
・・・と悔やんでいたら、野草だらけの農道脇にちらりと
目を引く 赤 を見つけた。
もしや・・のはかない期待は、即座に確信の大粒となり、
興奮へと転がり変わる。
枯れかけたお花たちの中に、たったひとつ、私を待っていて
くれたかのように 彼岸花が咲き誇っていた。
明日にはしおれてしまうのだろう。
方や、玄関に飾ってある造花は、時間の推移に知らん顔で、
色を失わず形を失わず、毎日私を迎えてくれている。
いつもの、お医者さんの帰りにたち寄る雑貨屋さんの入り口は、
通行人のほとんどが気づかないような小さなもので、
それでもそこから続く階段は、私を別世界へと導いてくれる。
壁一面に飾られている高品質の造花で作られたリースや花束は、
造花嫌いの私にひとつの変化を与えてくれたものだ。
その日は、行く度に一緒にお話していたお店のご婦人の代わりに、
オーナー自らお店番をされていた。
「もしかしたら店長さんですか? こちらのお花のアレンジをされて
いる方ですよね?」 という私のぶしつけな質問に
「そうですよ。」と満面の笑顔で答えてくださった。
小さな小鉢のアレンジメントを購入した私に、
「お家にコーヒーの空き瓶あります? そこにラメの砂を詰めて
すぐに自分好みのアレンジができるわよ。今度持ってらっしゃい。
一緒に作りましょう。」
すごく嬉しかった。
でもこういう嬉しい話に私はすぐに飛びつけない。
お代はどうやって支払ったらいいんだろう?
教えてもらうんだから、当然材料費だけ、というわけにはいかないし。
それにしても初対面で、どうしてこんなにやさしいことを言ってくれるん
だろう?
瞬時に、頭の中をこんなことがぐるぐる旋回したが、
「ありがとうございます。今度コーヒーの空き瓶持ってきます。」
と言って お店を後にした。
人とのつながりは、どんな風に始まるものかわからないんだし、
私は多分 近々コーヒーの空き瓶を抱えて、彼女のもとに
訪れることになるんだ と思う。









刈られて束ねられた稲が、規則正しく干される様子を、
ふるさと村の農道を散歩しながら眺めていた。
芽を出したと思ったら、あっという間にすっくり伸びて、
深紅の花を咲かせる彼岸花を、今年は逃してしまったか
・・・と悔やんでいたら、野草だらけの農道脇にちらりと
目を引く 赤 を見つけた。
もしや・・のはかない期待は、即座に確信の大粒となり、
興奮へと転がり変わる。
枯れかけたお花たちの中に、たったひとつ、私を待っていて
くれたかのように 彼岸花が咲き誇っていた。
明日にはしおれてしまうのだろう。
方や、玄関に飾ってある造花は、時間の推移に知らん顔で、
色を失わず形を失わず、毎日私を迎えてくれている。
いつもの、お医者さんの帰りにたち寄る雑貨屋さんの入り口は、
通行人のほとんどが気づかないような小さなもので、
それでもそこから続く階段は、私を別世界へと導いてくれる。
壁一面に飾られている高品質の造花で作られたリースや花束は、
造花嫌いの私にひとつの変化を与えてくれたものだ。
その日は、行く度に一緒にお話していたお店のご婦人の代わりに、
オーナー自らお店番をされていた。
「もしかしたら店長さんですか? こちらのお花のアレンジをされて
いる方ですよね?」 という私のぶしつけな質問に
「そうですよ。」と満面の笑顔で答えてくださった。
小さな小鉢のアレンジメントを購入した私に、
「お家にコーヒーの空き瓶あります? そこにラメの砂を詰めて
すぐに自分好みのアレンジができるわよ。今度持ってらっしゃい。
一緒に作りましょう。」
すごく嬉しかった。
でもこういう嬉しい話に私はすぐに飛びつけない。
お代はどうやって支払ったらいいんだろう?
教えてもらうんだから、当然材料費だけ、というわけにはいかないし。
それにしても初対面で、どうしてこんなにやさしいことを言ってくれるん
だろう?
瞬時に、頭の中をこんなことがぐるぐる旋回したが、
「ありがとうございます。今度コーヒーの空き瓶持ってきます。」
と言って お店を後にした。
人とのつながりは、どんな風に始まるものかわからないんだし、
私は多分 近々コーヒーの空き瓶を抱えて、彼女のもとに
訪れることになるんだ と思う。
カメラに使っていた4gigaのSDカードがいっぱいになった後、
写真の整理を怠って、カメラから遠ざかったまま10日くらい
経ってしまった。
その間にやってきた季節の変わり目を 自分の体調不良で
実感しつつ、でもまだまだ暑い毎日に、ある日は積極的に
押してみたり またある日は完全に引いたりしながら、
帳尻合わせて暮らしていた。
たまりにたまった写真をアップしておこうと思う。
もっとたまったら、面倒くさがりの私には、お手上げに
なってしまうので。
なので、ずいぶん前に花盛りだったお花たちも登場
するかもしれません。 本当の景色では、もう花びらも散って
しまって存在しない。
ぱっと咲いてぱっと散る。
人間の寿命は、どうも中途半端でいけないな と、思う一方、
まだもうちょっと今からでも何かできるかもしれない。なんて
考えてる自分もいるから、可笑しい。










写真の整理を怠って、カメラから遠ざかったまま10日くらい
経ってしまった。
その間にやってきた季節の変わり目を 自分の体調不良で
実感しつつ、でもまだまだ暑い毎日に、ある日は積極的に
押してみたり またある日は完全に引いたりしながら、
帳尻合わせて暮らしていた。
たまりにたまった写真をアップしておこうと思う。
もっとたまったら、面倒くさがりの私には、お手上げに
なってしまうので。
なので、ずいぶん前に花盛りだったお花たちも登場
するかもしれません。 本当の景色では、もう花びらも散って
しまって存在しない。
ぱっと咲いてぱっと散る。
人間の寿命は、どうも中途半端でいけないな と、思う一方、
まだもうちょっと今からでも何かできるかもしれない。なんて
考えてる自分もいるから、可笑しい。
このところ、お医者さん通いが頻繁で、それ以外は
暑さを避けて家にこもっていたのを、今週からは
ちょっと無理してでも重い体を引きずり出し、
外に出るようにしている。
昨日なんか、おかしな一日を送ってしまった。
午前中は、電動自転車をこいでジムに行き、
ピラティスやエアロビクスのプログラムをこなした後、
その同じ日の午後には 病院のトレッドミルに
乗っかって、早足歩行を続けながら、うっすら汗ばんで
いたのである。
ジムと大きく違うのは、前合わせの白い検査着を着ている
ことで、またそのすぐ下の素肌の、特に左の胸の周りに、
たくさんのまあるいシールが張られていて、そのシールの真ん中
の小さな突起からは、2メートルほど先にある血圧計と心電図
に接続するためのラインが伸びていた。
以前とってもらった心電図に少しばかり異常が出たので、
面倒くさくて二の足を何度も踏んだ後、大学病院へ行った。
その後、ホルター心電図、という
24時間つけっぱなしの検査を数日前に終えて、今回の
トレッドミル検査に臨んだのだ。
はぁ~・・。 はっきり言って、検査をなめていたと思う。
ゆっくりの速度でただ歩いて終わりと思っていたら、
ずいぶん違ってかなり疲れた。
だいたいトレッドミルも、負荷ををかけるためなのか
かなりの坂道になっていたし、「はい、また10秒後に
速さがかなり増しますよ~。」 という医者の予告が
無常にも5回ほど繰り返されたのには まいった。
そのときの私の心がちょいとばかりひねくれていた証拠に、
「なぜ、この医者は、こんなに楽しげに、速度増加を私に
告げるのか・・・」と、思いながら、ほとんど走りに近い
早歩きをしていたのだ。
走っちゃいけないって言うんだもん。
あの速さで歩くのはむずかしいよ。
全部終わって疑問が残った。
こんな大変な検査、心臓の具合の悪い人、もしくは
足腰の弱ったお年寄りにできるものなのか?
病院に行くと、病人になった気になってしまう私だが、
昨日は、思い切り汗をかいて筋肉を使って、不思議な
感覚で病院を後にした。
暑さを避けて家にこもっていたのを、今週からは
ちょっと無理してでも重い体を引きずり出し、
外に出るようにしている。
昨日なんか、おかしな一日を送ってしまった。
午前中は、電動自転車をこいでジムに行き、
ピラティスやエアロビクスのプログラムをこなした後、
その同じ日の午後には 病院のトレッドミルに
乗っかって、早足歩行を続けながら、うっすら汗ばんで
いたのである。
ジムと大きく違うのは、前合わせの白い検査着を着ている
ことで、またそのすぐ下の素肌の、特に左の胸の周りに、
たくさんのまあるいシールが張られていて、そのシールの真ん中
の小さな突起からは、2メートルほど先にある血圧計と心電図
に接続するためのラインが伸びていた。
以前とってもらった心電図に少しばかり異常が出たので、
面倒くさくて二の足を何度も踏んだ後、大学病院へ行った。
その後、ホルター心電図、という
24時間つけっぱなしの検査を数日前に終えて、今回の
トレッドミル検査に臨んだのだ。
はぁ~・・。 はっきり言って、検査をなめていたと思う。
ゆっくりの速度でただ歩いて終わりと思っていたら、
ずいぶん違ってかなり疲れた。
だいたいトレッドミルも、負荷ををかけるためなのか
かなりの坂道になっていたし、「はい、また10秒後に
速さがかなり増しますよ~。」 という医者の予告が
無常にも5回ほど繰り返されたのには まいった。
そのときの私の心がちょいとばかりひねくれていた証拠に、
「なぜ、この医者は、こんなに楽しげに、速度増加を私に
告げるのか・・・」と、思いながら、ほとんど走りに近い
早歩きをしていたのだ。
走っちゃいけないって言うんだもん。
あの速さで歩くのはむずかしいよ。
全部終わって疑問が残った。
こんな大変な検査、心臓の具合の悪い人、もしくは
足腰の弱ったお年寄りにできるものなのか?
病院に行くと、病人になった気になってしまう私だが、
昨日は、思い切り汗をかいて筋肉を使って、不思議な
感覚で病院を後にした。
どうも、夏の疲れが一気に出たようで、思うように体が
動かず、消極的な毎日を送っていた。
毎日のように使うつもりだった電動自転車も、一週間ほど使わず
じまい。 駐輪場の定位置にほったらかされて、サドルはうっすら
とほこりをかぶり、カゴには落ち葉が入っているに違いない。
また、軽々とペダルを踏む日を夢見ながら、地味にストレッチなど
しながら、ハルと遊んで暮らしてます。
そういえば、前回の英語スピーチが途中で終わっているので、
完結しようと思います。 えっとどこまでだったかな?
思い出したぞ。 行きます。
-----------------------------------------------------------------------------------
数年後、彼が思春期に到達した時、また別の問題があらわれた。
彼はその頃 学校を休みがちになる。
理由はいまだにはっきりしないのだが、私が感じたのは、
有名大学にひとりでも多く入れようという高校のシステム
に、彼がうまく順応できなかったのではないかということだ。
「卒業したら興味のある料理を勉強するために、専門学校
に行く。」と彼が言い出した。
私は私で、何とか大学に行かせられないかと、一生懸命
説得する。
でもそうこうしている内に、あることに気がついてしまった。
私が彼に大学に行って欲しいと思うのは、部分的ではある
にせよ、自分のプライドを満足させたいからじゃないのか?
自分にとって心地よい状況を作りたいからじゃないのか?
大事なのは、彼が幸せかどうか、ということなのに。
その時点で、ちっぽけな私のプライドを完全に捨て去り、
彼の決心を喜ぶことにした。
このように、子育ては、なまやさしくなくて、波乱万丈、奮闘の
連続だった。
でも、母親としての経験は、いろんなことに気づかせてくれて、
結果 物事を広くそして柔軟に見る方向に導いてくれた。
なので私は、表面的なことだけを見て、人や物事を判断しない。
人と対するとき、その人の本当の部分を見て 敬意を払うよう
になったのだ。
ついでに言っておくと、、息子は中国料理店で働いて3年目で、
彼の修行中の心意気は、なかなかのものである。
それは、どれくらいのものかというと、次のフレーズを恥ずかし気
もなく言えるほど見事で・・
つまり、「私は彼を誇りに思っている。」のである。
Years later when my son reached the adolescent stage, another
problem happened.
He stopped going to school regularly.
The reason was not clear.
But I felt that he couldn't adjust himself to the school system that's
focusing on how many students they can lead to enter famous
Universities.
He insisted that he would go to a technical training school after
graduation for the purpose of pursuing his interest, cooking.
I tried hard to persuade him into going to University.
In the course of thinking, I started to realize that I wanted him to go to
University partly because I just wanted to satisfy my own pride,
hoping to feel comfortable with situation around me.
OK....wait.
What matters most is whether he is happy or not.
I completely gave up my tiny pride and tried to become happy
for his decision.
Well, bringing up kids is not an easy matter.
There have been ups and downs, and downs and down where
you have to struggle a lot.
But personally I'm sure that being a mother helped me to open
my eyes with which I could see the whole world widely and flexibly.
I would never judge people or anything by what I could see
on the surface.
I could always see and respect what you really are.
Just for the record, my son has been working in Chinese restaurant
for three years now.
The way he has been in training is quite amazing.
That is like something I'd like to dare to say that
" I'm really proud of him."
動かず、消極的な毎日を送っていた。
毎日のように使うつもりだった電動自転車も、一週間ほど使わず
じまい。 駐輪場の定位置にほったらかされて、サドルはうっすら
とほこりをかぶり、カゴには落ち葉が入っているに違いない。
また、軽々とペダルを踏む日を夢見ながら、地味にストレッチなど
しながら、ハルと遊んで暮らしてます。
そういえば、前回の英語スピーチが途中で終わっているので、
完結しようと思います。 えっとどこまでだったかな?
思い出したぞ。 行きます。
-----------------------------------------------------------------------------------
数年後、彼が思春期に到達した時、また別の問題があらわれた。
彼はその頃 学校を休みがちになる。
理由はいまだにはっきりしないのだが、私が感じたのは、
有名大学にひとりでも多く入れようという高校のシステム
に、彼がうまく順応できなかったのではないかということだ。
「卒業したら興味のある料理を勉強するために、専門学校
に行く。」と彼が言い出した。
私は私で、何とか大学に行かせられないかと、一生懸命
説得する。
でもそうこうしている内に、あることに気がついてしまった。
私が彼に大学に行って欲しいと思うのは、部分的ではある
にせよ、自分のプライドを満足させたいからじゃないのか?
自分にとって心地よい状況を作りたいからじゃないのか?
大事なのは、彼が幸せかどうか、ということなのに。
その時点で、ちっぽけな私のプライドを完全に捨て去り、
彼の決心を喜ぶことにした。
このように、子育ては、なまやさしくなくて、波乱万丈、奮闘の
連続だった。
でも、母親としての経験は、いろんなことに気づかせてくれて、
結果 物事を広くそして柔軟に見る方向に導いてくれた。
なので私は、表面的なことだけを見て、人や物事を判断しない。
人と対するとき、その人の本当の部分を見て 敬意を払うよう
になったのだ。
ついでに言っておくと、、息子は中国料理店で働いて3年目で、
彼の修行中の心意気は、なかなかのものである。
それは、どれくらいのものかというと、次のフレーズを恥ずかし気
もなく言えるほど見事で・・
つまり、「私は彼を誇りに思っている。」のである。
Years later when my son reached the adolescent stage, another
problem happened.
He stopped going to school regularly.
The reason was not clear.
But I felt that he couldn't adjust himself to the school system that's
focusing on how many students they can lead to enter famous
Universities.
He insisted that he would go to a technical training school after
graduation for the purpose of pursuing his interest, cooking.
I tried hard to persuade him into going to University.
In the course of thinking, I started to realize that I wanted him to go to
University partly because I just wanted to satisfy my own pride,
hoping to feel comfortable with situation around me.
OK....wait.
What matters most is whether he is happy or not.
I completely gave up my tiny pride and tried to become happy
for his decision.
Well, bringing up kids is not an easy matter.
There have been ups and downs, and downs and down where
you have to struggle a lot.
But personally I'm sure that being a mother helped me to open
my eyes with which I could see the whole world widely and flexibly.
I would never judge people or anything by what I could see
on the surface.
I could always see and respect what you really are.
Just for the record, my son has been working in Chinese restaurant
for three years now.
The way he has been in training is quite amazing.
That is like something I'd like to dare to say that
" I'm really proud of him."
先週の土曜日にした、英語のスピーチを 残しておこうと
思います。
今日は前半の部分の、和訳と原文を載せておきます。
-------------------------------------------------------------------------
”お母さん” という言葉を聞くたびに、亡くなった母と重ね合わせて
心の中に、おのずと愛情が湧き上がってきてしまう。
しかしながら、「お母さんであること」・・・となるとまったく別の問題である。
私にとって、それは、もがきながら試練を乗り越えてきた経験であり、
またそれらの経験によって、私はいろんなことに気づいてきたのである。
母親としての初期の苦労は、睡眠時間が足りない、とか、
「私ったら、赤んぼだけのために生きている「おっぱいマシン」に
なっちゃんたんじゃないかしら?」と悩んだりすることだった。
でも、思えばそんなこと、まったくなんてことなかったんだ。
私の子供たちは、成長とともに、しだいに性格的特長を現し始めるのだが、
それはどうかといえば、おどけた暴れん坊、活発なやんちゃさん・・・で、
特に下の息子は まるでおさる のようだった。
当然 幼稚園や小学校の先生は、彼の落ち着きのなさ、過剰にあふれ出す
彼のエネルギーに文句を言ったものだ。
”授業中、ずっとしゃべってるんです。”
”宿題してきません。”
”忘れ物ばっかりです。”
ここで言っておきたいのですが、私はもともとそんなに簡単に謝る人間じゃ
なかったんですよ。
だって、大人として 気をつけてまともに生きていれば、
そんなに人に謝る場面もないはずでしょ?
だから 実にその頃私の人生が大きく変わったのです。
そしてその結果、私は ものすごく謝るのがうまい人になった、ってわけ
なのです。
たくさんの真面目な先生方の中で、宮前先生ような
真面目プラス寛大な先生にお会いできたのはラッキーだった。
ある日のPTAの集まりで、先生は私に個人的にお話してくださった
ことがあった。
” M くん(家の息子)が、先日うわばきを片方失くしたのを、
お母様ご存知ですよね。”
確かに私は知っていた。・・そういえばあの朝、彼はあせって学校へ
出かけて行ったはず。 うわばきをそのまま、ランドセルの中の教科書の
上にのっけて、走って行ったんだっけ。
だから途中で 片方落としてしまったのね、きっと。
宮前先生は、続けた。
”スリッパを貸してあげたんですよ。そしたらその後で、Mくんが変な
歩き方をしているのに気がついてですね・・どうしたんだろうと
そばによってみてみたら・・・・ なんと彼は 左足に片方のうわばきを、
右足にスリッパを履いていたんです。”
何も言えないまま呆然としている私をよそに、彼女はしゃべり続けた。
”で、わかったんですよ、私。 彼は 借りたスリッパを左右両方に履く
よりも、少なくとも ひとつでも残っている自分の上履きをはくほうが、
いいと思ったんでしょうね。”
そして 先生はこのように結んだ。
”彼の考えを尊重して、ずっとそのままにさせときました。
ずいぶん歩きづらそうでしたけれどね。(笑)”
私は感動していた。
先生がこんなにも息子のことをわかってくれようとしたことに。
なんて彼女は寛大なんだ・・と。
Every time I hear the word " Mother", I cannot help feeling strong affection
coming up inside me, especially when thinking of my lost mother.
However, " Being a mother" is quite another thing.
For me that was struggling, survival and eye openers through many
experiences at the same time.
At the early stage of being a mother, the struggle was like lack of
sleeping time or the idea that"Oh, I became a milk machine just
living for a new born baby."
But that wasn't a big deal at all.
My kids started to show their own characteristic quality as they grew
playful and wild, naughty and active.....especially my younger boy
turned out to be a devil monkey.
Accordingly the teachers of kindergarten or elementary school
complained about his unstable high-energetic behavior.
" Your son kept talking during classes."
" He has never done any homework."
" He forgot to bring every stuff he should bring to school."
You know what?
I was not the type of person who could easily apologize
because as an adult you don't have to do that so often if you live
properly and carefully.
My life has extremely changed.
And I eventually became a professionally skillful apologizer.
Among all those rigid teachers, luckily I met a generous teacher like
Miyamae-sensei.
At one PTA meeting, she personally spoke to me,
" You know, he lost one of his pair of indoor school shoes the other day
don't you?"
I knew that.
I remember in the morning he was in such a hurry to school that he
just put them on top of the textbooks inside his school backpack and
ran away.
He must have dropped one of his pair while running.
And Miyamae-sensei continued.
" After I lent him a pair of slippers, I've noticed him walking in a quite
awkward manner. So I came closer to him to find out......
he was putting one of his shoes on his left foot and one of slippers
on his right foot."
She kept talking while I was being speechless...
" I got it. He must have thought it would be better to put at least one of
his shoes in stead of wearing a pair of slippers that he"d borrowed all the
way."
And she concluded,
" I respected his idea and let him do that all day long.
He must have a lot of trouble walking that way, though."
I was totally moved by how she tried to understand my son and
how generous she was toward him.
続きます。
思います。
今日は前半の部分の、和訳と原文を載せておきます。
-------------------------------------------------------------------------
”お母さん” という言葉を聞くたびに、亡くなった母と重ね合わせて
心の中に、おのずと愛情が湧き上がってきてしまう。
しかしながら、「お母さんであること」・・・となるとまったく別の問題である。
私にとって、それは、もがきながら試練を乗り越えてきた経験であり、
またそれらの経験によって、私はいろんなことに気づいてきたのである。
母親としての初期の苦労は、睡眠時間が足りない、とか、
「私ったら、赤んぼだけのために生きている「おっぱいマシン」に
なっちゃんたんじゃないかしら?」と悩んだりすることだった。
でも、思えばそんなこと、まったくなんてことなかったんだ。
私の子供たちは、成長とともに、しだいに性格的特長を現し始めるのだが、
それはどうかといえば、おどけた暴れん坊、活発なやんちゃさん・・・で、
特に下の息子は まるでおさる のようだった。
当然 幼稚園や小学校の先生は、彼の落ち着きのなさ、過剰にあふれ出す
彼のエネルギーに文句を言ったものだ。
”授業中、ずっとしゃべってるんです。”
”宿題してきません。”
”忘れ物ばっかりです。”
ここで言っておきたいのですが、私はもともとそんなに簡単に謝る人間じゃ
なかったんですよ。
だって、大人として 気をつけてまともに生きていれば、
そんなに人に謝る場面もないはずでしょ?
だから 実にその頃私の人生が大きく変わったのです。
そしてその結果、私は ものすごく謝るのがうまい人になった、ってわけ
なのです。
たくさんの真面目な先生方の中で、宮前先生ような
真面目プラス寛大な先生にお会いできたのはラッキーだった。
ある日のPTAの集まりで、先生は私に個人的にお話してくださった
ことがあった。
” M くん(家の息子)が、先日うわばきを片方失くしたのを、
お母様ご存知ですよね。”
確かに私は知っていた。・・そういえばあの朝、彼はあせって学校へ
出かけて行ったはず。 うわばきをそのまま、ランドセルの中の教科書の
上にのっけて、走って行ったんだっけ。
だから途中で 片方落としてしまったのね、きっと。
宮前先生は、続けた。
”スリッパを貸してあげたんですよ。そしたらその後で、Mくんが変な
歩き方をしているのに気がついてですね・・どうしたんだろうと
そばによってみてみたら・・・・ なんと彼は 左足に片方のうわばきを、
右足にスリッパを履いていたんです。”
何も言えないまま呆然としている私をよそに、彼女はしゃべり続けた。
”で、わかったんですよ、私。 彼は 借りたスリッパを左右両方に履く
よりも、少なくとも ひとつでも残っている自分の上履きをはくほうが、
いいと思ったんでしょうね。”
そして 先生はこのように結んだ。
”彼の考えを尊重して、ずっとそのままにさせときました。
ずいぶん歩きづらそうでしたけれどね。(笑)”
私は感動していた。
先生がこんなにも息子のことをわかってくれようとしたことに。
なんて彼女は寛大なんだ・・と。
Every time I hear the word " Mother", I cannot help feeling strong affection
coming up inside me, especially when thinking of my lost mother.
However, " Being a mother" is quite another thing.
For me that was struggling, survival and eye openers through many
experiences at the same time.
At the early stage of being a mother, the struggle was like lack of
sleeping time or the idea that"Oh, I became a milk machine just
living for a new born baby."
But that wasn't a big deal at all.
My kids started to show their own characteristic quality as they grew
playful and wild, naughty and active.....especially my younger boy
turned out to be a devil monkey.
Accordingly the teachers of kindergarten or elementary school
complained about his unstable high-energetic behavior.
" Your son kept talking during classes."
" He has never done any homework."
" He forgot to bring every stuff he should bring to school."
You know what?
I was not the type of person who could easily apologize
because as an adult you don't have to do that so often if you live
properly and carefully.
My life has extremely changed.
And I eventually became a professionally skillful apologizer.
Among all those rigid teachers, luckily I met a generous teacher like
Miyamae-sensei.
At one PTA meeting, she personally spoke to me,
" You know, he lost one of his pair of indoor school shoes the other day
don't you?"
I knew that.
I remember in the morning he was in such a hurry to school that he
just put them on top of the textbooks inside his school backpack and
ran away.
He must have dropped one of his pair while running.
And Miyamae-sensei continued.
" After I lent him a pair of slippers, I've noticed him walking in a quite
awkward manner. So I came closer to him to find out......
he was putting one of his shoes on his left foot and one of slippers
on his right foot."
She kept talking while I was being speechless...
" I got it. He must have thought it would be better to put at least one of
his shoes in stead of wearing a pair of slippers that he"d borrowed all the
way."
And she concluded,
" I respected his idea and let him do that all day long.
He must have a lot of trouble walking that way, though."
I was totally moved by how she tried to understand my son and
how generous she was toward him.
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