日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
自分の趣味じゃないなあ・・と思いながら、なぜか続けていることがふたつみっつ
ある。
確実にそのうちのひとつは、人前でスピーチをすることで、所属する英語クラブで
自分のスピーチの番が回ってくると、心底 嫌 で 憂鬱 な気持ちになってしまう
のが毎度のことだ。
そんなに嫌なら、別に義務じゃないんだし、やめればいいのに・・と、私もその度に
思うのだが、やめることなく、なだらかに数年が過ぎて行った。
そして、おとといの土曜日に、10個目のスピーチプロジェクト終了後、
「Competent Communicator」・・通称 「CC」 という称号を受け取ることになった。
ことわっておくけれど、何もこの称号欲しさに続けてきたわけじゃない。
じゃあ何なのかと言えば、たぶんこんな風なんだと思う。
自分の中にある ぼんやりとしたあやふやで散漫なとらえどころのないもの達
をすくいあげ、直線や曲線、角々などで囲んだりしながら形にしているうちに、
おおげさにきこえるかもしれないけど、その過程が実に自分を生きやすくして
くれていることに気付いてしまった。
以前ここにも書いたはずの、「なぜブログを続けているのか・・」に、とても似た
理由で、文章を推敲していくうちに おかしなことだが 「へー、私ってこんな風に
考えていたんだ・・」と無意識の自分に気づくのである。
そして、これもとても嫌らしく聞こえることだろうが、自分の書いた文章に、
癒され 助けられている。 恥ずかしい。 これはまるで 自慰行為だね。
その単なる自慰行為が、たとえ数人だとしても、何かが通じて、反応をもらえ
たとしたら、やっぱりそれはそれですごく嬉しい・・ということなのだろう。
一区切りを終えた今、これからどうするかまだはっきり決めてはいないけれど、
とりあえず 基本編の最後の回で、ベストスピーカーに選ばれて終われたこと
は、いい思い出のひとつになってくれそうである。
___今からジムに行って太極拳とヨガをしてくるので、続きは後で書きます。
昨日の散歩は、紅葉を求めて、少し遠い公園にまで足をのばしてみた。
色づくもみじを前に、いざ写真を撮ろうと思ったら、非情にも
「カードが認識されません。」の表示。
SDカードをPCにインサートしたまま出かけてしまったのだ。
撮れない。と思うと撮りたくなるのが人情で、
「そんながっかりしてないで、本物を楽しみなよ。それじゃ本末転倒じゃないか。」
と、「確かに正しいこと」 をだんなに言われてもなお、あー、ここをこうして
撮りたかったなあ・・と未練がましい私だった。
木全体が、まっかに紅葉しているもみじも壮観だったが、広い公園の場所に
よっては、まだ葉っぱのほとんどが緑色で、まわりのふちをなぞるよう
ほんのり赤みがかっているところなどに お日様が透けていたのが、
いとをかし。
目が、紅葉の赤や黄色に慣れてきた頃に、向こうから真っ白いわんこが
やってきた。 嬉しいことに、そのわんこが、笑っちゃいそうなくらいに、
あのソフトバンクのお父さん犬に似ていたのだ。
あれだけ見慣れてしまっていると、知り合いの犬に会ったような気になるのか、
すれ違う人の多くが、わんこに声をかけていた。
私も少し立ち止まって、お父さんを見ていたら、
「しゃべらないねえー・・・」と、本気で不思議そうな顔をして、男の人が
言った。
ある。
確実にそのうちのひとつは、人前でスピーチをすることで、所属する英語クラブで
自分のスピーチの番が回ってくると、心底 嫌 で 憂鬱 な気持ちになってしまう
のが毎度のことだ。
そんなに嫌なら、別に義務じゃないんだし、やめればいいのに・・と、私もその度に
思うのだが、やめることなく、なだらかに数年が過ぎて行った。
そして、おとといの土曜日に、10個目のスピーチプロジェクト終了後、
「Competent Communicator」・・通称 「CC」 という称号を受け取ることになった。
ことわっておくけれど、何もこの称号欲しさに続けてきたわけじゃない。
じゃあ何なのかと言えば、たぶんこんな風なんだと思う。
自分の中にある ぼんやりとしたあやふやで散漫なとらえどころのないもの達
をすくいあげ、直線や曲線、角々などで囲んだりしながら形にしているうちに、
おおげさにきこえるかもしれないけど、その過程が実に自分を生きやすくして
くれていることに気付いてしまった。
以前ここにも書いたはずの、「なぜブログを続けているのか・・」に、とても似た
理由で、文章を推敲していくうちに おかしなことだが 「へー、私ってこんな風に
考えていたんだ・・」と無意識の自分に気づくのである。
そして、これもとても嫌らしく聞こえることだろうが、自分の書いた文章に、
癒され 助けられている。 恥ずかしい。 これはまるで 自慰行為だね。
その単なる自慰行為が、たとえ数人だとしても、何かが通じて、反応をもらえ
たとしたら、やっぱりそれはそれですごく嬉しい・・ということなのだろう。
一区切りを終えた今、これからどうするかまだはっきり決めてはいないけれど、
とりあえず 基本編の最後の回で、ベストスピーカーに選ばれて終われたこと
は、いい思い出のひとつになってくれそうである。
___今からジムに行って太極拳とヨガをしてくるので、続きは後で書きます。
昨日の散歩は、紅葉を求めて、少し遠い公園にまで足をのばしてみた。
色づくもみじを前に、いざ写真を撮ろうと思ったら、非情にも
「カードが認識されません。」の表示。
SDカードをPCにインサートしたまま出かけてしまったのだ。
撮れない。と思うと撮りたくなるのが人情で、
「そんながっかりしてないで、本物を楽しみなよ。それじゃ本末転倒じゃないか。」
と、「確かに正しいこと」 をだんなに言われてもなお、あー、ここをこうして
撮りたかったなあ・・と未練がましい私だった。
木全体が、まっかに紅葉しているもみじも壮観だったが、広い公園の場所に
よっては、まだ葉っぱのほとんどが緑色で、まわりのふちをなぞるよう
ほんのり赤みがかっているところなどに お日様が透けていたのが、
いとをかし。
目が、紅葉の赤や黄色に慣れてきた頃に、向こうから真っ白いわんこが
やってきた。 嬉しいことに、そのわんこが、笑っちゃいそうなくらいに、
あのソフトバンクのお父さん犬に似ていたのだ。
あれだけ見慣れてしまっていると、知り合いの犬に会ったような気になるのか、
すれ違う人の多くが、わんこに声をかけていた。
私も少し立ち止まって、お父さんを見ていたら、
「しゃべらないねえー・・・」と、本気で不思議そうな顔をして、男の人が
言った。
お茶碗を洗いながら、ぶつぶつとつぶやく。
その時思いついた よりよいフレーズを忘れてしまわないうちに、
泡だらけのゴム手袋を急いではずし、テーブルの上の原稿
に修正を加える。
今週の土曜日に、所属する英語クラブで、スピーチをする番が
早くもめぐってきたのだ。 タイトルは、 "What is real anti-aging?"
校正も終わりに近づき、緊張を緩め、再びお茶碗を洗っていたら、
スポンジから無数のシャボン玉が舞い上がった。
瞬間、すべてがリセットされ、そのひとつひとつの透明な玉の行方を
ただ追いかけた。
シャボン玉が昔から好きなのだ。
散歩をしていても、シャボン玉が飛んできたら必ず歩みを止める。
どこからやってきたのか どこへ行くのかを確かめるために、
キョロキョロしてみる。 目の前で、パシャッと消えちゃうのも、それは
それでいい。
シャボン玉は、私にとって 今も昔も非常にキャッチイなものなので
ある。
キャッチイ といえば、野に咲くお花たちもそうなのだが、特にこの
季節、枯葉色を背景に、紅い花がすくっと咲いていたりすると、私の意識は
根こそぎそこに持って行かれる。
場違いな道路わきに、真っ赤な薔薇が咲くところがある。
数日前、わずかに花びらをゆるませた一輪が、どんよりした景色に華やかな
アクセントを添えていた。
その日はカメラを持っていなかったので、翌日また行ってみると、すでに
消えていた。
魅了された誰かが摘んでいったのでしょう。
きれいだな。とその姿を愛でているのは、あなただけじゃないよ。
だからもう摘まないでほしいな。
ということで、深紅の薔薇は、撮れませんでしたが、「秋の葉っぱシリーズ
第二弾」 の写真を載せようと思います。









その時思いついた よりよいフレーズを忘れてしまわないうちに、
泡だらけのゴム手袋を急いではずし、テーブルの上の原稿
に修正を加える。
今週の土曜日に、所属する英語クラブで、スピーチをする番が
早くもめぐってきたのだ。 タイトルは、 "What is real anti-aging?"
校正も終わりに近づき、緊張を緩め、再びお茶碗を洗っていたら、
スポンジから無数のシャボン玉が舞い上がった。
瞬間、すべてがリセットされ、そのひとつひとつの透明な玉の行方を
ただ追いかけた。
シャボン玉が昔から好きなのだ。
散歩をしていても、シャボン玉が飛んできたら必ず歩みを止める。
どこからやってきたのか どこへ行くのかを確かめるために、
キョロキョロしてみる。 目の前で、パシャッと消えちゃうのも、それは
それでいい。
シャボン玉は、私にとって 今も昔も非常にキャッチイなものなので
ある。
キャッチイ といえば、野に咲くお花たちもそうなのだが、特にこの
季節、枯葉色を背景に、紅い花がすくっと咲いていたりすると、私の意識は
根こそぎそこに持って行かれる。
場違いな道路わきに、真っ赤な薔薇が咲くところがある。
数日前、わずかに花びらをゆるませた一輪が、どんよりした景色に華やかな
アクセントを添えていた。
その日はカメラを持っていなかったので、翌日また行ってみると、すでに
消えていた。
魅了された誰かが摘んでいったのでしょう。
きれいだな。とその姿を愛でているのは、あなただけじゃないよ。
だからもう摘まないでほしいな。
ということで、深紅の薔薇は、撮れませんでしたが、「秋の葉っぱシリーズ
第二弾」 の写真を載せようと思います。
「誤解も迷惑も、何もないです。
ただ、時々あなたの言っていることが、何の事だかさっぱり理解
できなかった というだけです。
すべての懸念は、たぶんあなたの頭の中で創られたものです。
世の中の人は、自分のことで精一杯で、他人にそれほど興味を持つ
余裕がないから大丈夫。 リラックスして生きてね。」
ずっと薬は手離せないんだ・・・という、精神不安を抱える彼が、
30年ぶりに突然電話してきたのは、去年のこと。
上京は無理でも、せめてメールのやりとりをしたい・・という彼のリクエスト
に応えて、お互いの 不器用なメール交換が始まって約一年が経った。
どうかすると、現実離れした不安や心配に悩まされやすい彼に対し、
腫れ物にさわるような態度だけはとりたくないと思い、本当に感じた
ことだけを、自分なりにスクリーニングしてテキストを送っていた。
そうこうするうちに、次第に彼の心配は、「ちえに多大な迷惑をかけて
いるはずだ。ちえのだんなさんも、ものすごく怒っているに違いない。」
ということに集中しだし、「周りの目もあるから、これからは一切連絡を
断つよ。」と言ってきた。
「あなたがよくよく考え決断したことでしょうから、了解だよ。」
と返事をしたので、もうこれでメールは来ないのかな、
と思っていたら、
「この前言ったことは全部嘘だ。って言ったらちえはどうする?
でも迷惑かけているのは悪いと思っている。」というすごい返事が返って
きた。
で、文頭の私のメールを送ることになったのだ。
このことを知っている大学時代の友人たちは、「ちえは、優しい。」と、
ほめてくれる。
でも違うんだな。
他人事って気がしないの。だって、私だって現実と幻想を混ぜ合わせ
たくなる時が確実にあるのよ。 今は自覚があるけれど、そんなに自分と
彼が大差あるとは思えないの。
どんなに偉ぶったって、ほんの紙一重。
それに、一時期 青春時代(わっ!死語!)をともに過ごしたことが
あるんだし。
先日、「イン・アメリカ 三つの小さな願い事」という、素敵な映画を
観ていたら、ストーリーの中心に出てくる家族の娘さんが、学校の
舞台で歌を披露する場面があった。
その歌が「デスパラート」だった。
ボーカリストだった彼が、大学時代に、想いをこめてよく歌っていた
曲だった。
で・・・、彼は、何事もなかったように、昨日から写メ付きのメールを2通も
送ってくれている。
ただ、時々あなたの言っていることが、何の事だかさっぱり理解
できなかった というだけです。
すべての懸念は、たぶんあなたの頭の中で創られたものです。
世の中の人は、自分のことで精一杯で、他人にそれほど興味を持つ
余裕がないから大丈夫。 リラックスして生きてね。」
ずっと薬は手離せないんだ・・・という、精神不安を抱える彼が、
30年ぶりに突然電話してきたのは、去年のこと。
上京は無理でも、せめてメールのやりとりをしたい・・という彼のリクエスト
に応えて、お互いの 不器用なメール交換が始まって約一年が経った。
どうかすると、現実離れした不安や心配に悩まされやすい彼に対し、
腫れ物にさわるような態度だけはとりたくないと思い、本当に感じた
ことだけを、自分なりにスクリーニングしてテキストを送っていた。
そうこうするうちに、次第に彼の心配は、「ちえに多大な迷惑をかけて
いるはずだ。ちえのだんなさんも、ものすごく怒っているに違いない。」
ということに集中しだし、「周りの目もあるから、これからは一切連絡を
断つよ。」と言ってきた。
「あなたがよくよく考え決断したことでしょうから、了解だよ。」
と返事をしたので、もうこれでメールは来ないのかな、
と思っていたら、
「この前言ったことは全部嘘だ。って言ったらちえはどうする?
でも迷惑かけているのは悪いと思っている。」というすごい返事が返って
きた。
で、文頭の私のメールを送ることになったのだ。
このことを知っている大学時代の友人たちは、「ちえは、優しい。」と、
ほめてくれる。
でも違うんだな。
他人事って気がしないの。だって、私だって現実と幻想を混ぜ合わせ
たくなる時が確実にあるのよ。 今は自覚があるけれど、そんなに自分と
彼が大差あるとは思えないの。
どんなに偉ぶったって、ほんの紙一重。
それに、一時期 青春時代(わっ!死語!)をともに過ごしたことが
あるんだし。
先日、「イン・アメリカ 三つの小さな願い事」という、素敵な映画を
観ていたら、ストーリーの中心に出てくる家族の娘さんが、学校の
舞台で歌を披露する場面があった。
その歌が「デスパラート」だった。
ボーカリストだった彼が、大学時代に、想いをこめてよく歌っていた
曲だった。
で・・・、彼は、何事もなかったように、昨日から写メ付きのメールを2通も
送ってくれている。
昔、「読書する女」という映画を観たことがある。
インテリの香り漂う「読書する女」 の対極にある「読書しない女」は、
何を隠そう私のことだ。
年に2~3冊しか読まないという貧しいレベルだから、読書 という
大層な単語を使うのもおこがましい気がする。
その私が今、珍しく本を読んでいる。
行為としての読書 に対するイメージを思うと、本を読む時間を持てば、
せかせかした私の生活さえも、落ち着きと潤いのあるものになりそうなのに、
悲しいかな、そうはうまくは行かない。
細切れのせかせかした行動の合間にも、「一ページでもいいから、あの
続きが読みたい・・」と思う私のせこさが、日常をよりぐちゃぐちゃにする。
しなきゃいけない掃除の前に、控えめに伸ばした手に触れた本を、
ぱらりと開く。
気がつくとあたりは夕暮れ時。 片づけられるべき物たちがすっかり待ち
くたびれて、薄暗い部屋の中で、ちょうどあきらめ顔になるところに、ハタと
私は顔をあげるのだ。
時間的な問題だけではない。
物語の作り出す半透明のベールが、私の現実的な日常を包み込んで
より緩慢なものにする。
だからと言って、そういう理由で「読書しない女」になったわけではない。
そう言っておけばカッコがつくけど、本当は、読書に必要とされる
知識と集中力を持ち合わせていないだけの話。
ある新聞記事に、『「1Q84」にはオウムのような教団と、そのリーダーが
出てくる。』と書かれてあった。
文庫になったことだし、一冊買ってみよう。と思って先週読みだし、今5冊目。
昨日バレエのお稽古に行ったら、友達のはとちゃんが、「ちえちゃんに
話そうと思っていたの。」と、水曜日にジャズのライブ演奏に行ったときの
ことを話してくれた。
会場で、指揮者の小澤征治さんと娘さんにお会いしたこと、そしてそこに
村上春樹さんもいらしたということ。
私はとても単純だからね。
はとちゃんを通して、違う世界に繋がった気がしてしまった。
これは、やはり今読んでいる物語のせいなのかな?
インテリの香り漂う「読書する女」 の対極にある「読書しない女」は、
何を隠そう私のことだ。
年に2~3冊しか読まないという貧しいレベルだから、読書 という
大層な単語を使うのもおこがましい気がする。
その私が今、珍しく本を読んでいる。
行為としての読書 に対するイメージを思うと、本を読む時間を持てば、
せかせかした私の生活さえも、落ち着きと潤いのあるものになりそうなのに、
悲しいかな、そうはうまくは行かない。
細切れのせかせかした行動の合間にも、「一ページでもいいから、あの
続きが読みたい・・」と思う私のせこさが、日常をよりぐちゃぐちゃにする。
しなきゃいけない掃除の前に、控えめに伸ばした手に触れた本を、
ぱらりと開く。
気がつくとあたりは夕暮れ時。 片づけられるべき物たちがすっかり待ち
くたびれて、薄暗い部屋の中で、ちょうどあきらめ顔になるところに、ハタと
私は顔をあげるのだ。
時間的な問題だけではない。
物語の作り出す半透明のベールが、私の現実的な日常を包み込んで
より緩慢なものにする。
だからと言って、そういう理由で「読書しない女」になったわけではない。
そう言っておけばカッコがつくけど、本当は、読書に必要とされる
知識と集中力を持ち合わせていないだけの話。
ある新聞記事に、『「1Q84」にはオウムのような教団と、そのリーダーが
出てくる。』と書かれてあった。
文庫になったことだし、一冊買ってみよう。と思って先週読みだし、今5冊目。
昨日バレエのお稽古に行ったら、友達のはとちゃんが、「ちえちゃんに
話そうと思っていたの。」と、水曜日にジャズのライブ演奏に行ったときの
ことを話してくれた。
会場で、指揮者の小澤征治さんと娘さんにお会いしたこと、そしてそこに
村上春樹さんもいらしたということ。
私はとても単純だからね。
はとちゃんを通して、違う世界に繋がった気がしてしまった。
これは、やはり今読んでいる物語のせいなのかな?
明け方 首元のスースーを封じるためにふとんをひっぱり
上げていると、ハルがやってくる。
羽根布団をわずかに持ち上げ、小さな隙間を作ってあげると、
こんにゃくのようなスムーズさで、私の腕の中へつるりと滑り込む。
気の遠くなるような一日を、実際にスタートさせるまでの、
わずかな至福の時間。
母親の子宮内でまどろんでる一卵性双生胎児のように、
限りなくつなぎ目のないひとつのかたまりのように、平和な
空間を共有する。
ハルが家にやってきてからの最初の一年は、ちゃんとケージで
寝かせていたことがあった。
あまりの可愛さに負けて、というか正しく言うと 人間側の勝手な
欲望から、ある日を境にしつけの境界線が緩んでしまった。
お気に入りテレビ番組、カリスマドッグトレーナーで、人間と犬の
「境界線」の大切さを学んでおきながら、実生活ではとてもゆるい
状態を続けているのが実状だ。
子供たちが巣立った今、後悔していることがある。
後悔というより懺悔に近いかもしれない。
出産するや否や、あふれるように出てくれた母乳が、母と子の絆
を深めてくれたのは言うまでもないのに、子供たちが大好きだった
その授乳の時間を、「理想的な断乳時期」という冷たい字面に脅され
て、一年ちょっとで取り上げてしまった。
おっぱいが欲しくて泣き叫ぶわが子をなだめて、なんとも不自然に
ぷつんと終わりを告げたのだ。
これに限らずあらゆる場面で、優等生の母親でいたいという自己主張
を燃料に、黒煙のように立ちのぼってくる、「ちゃんと育てなきゃ・・。」
というプレッシャーが、私の育児を硬いものにしていった。
彼らが中学高校と進み、彼らの「思春期 = とてつもない反抗期」が
やってきて、私のもくろみなど木っ端微塵にされる、という健康的な
結果に終わったので、良かったんだけどね。
小さなお子さんが中心になっているご家族を見ると、今、「家族の旬」
である彼らを羨ましいと思う。
子供たちが小さいときは、早く大きくなってくれないか・・早く自分の自由
時間を持てるようになりたい・・といつも思っていた。
でも、時間は思いのほかすぐに経ち、今、なんともったいないことをしたのか、
と心底思っているのである。
子供たちは、なんてことない所に連れて行ってあげるだけで、ワクワク
してくれた。 あの、ワクワクとキラキラから、私たちが生命力を分けてもら
っていたことに気づかなかった。
だんなが時々ハルを毛布にくるんで抱っこしている。
私たちはそれを、「お孫さんごっこ」と名づけた。
ハルはすごいな。 いったい我が家で何役つとめているのだろう。
一番考えたくないことではあるが、寿命 ということを考えると、
ハルのそれは私たちのそれより、ずっと短い。
私はハルに断乳をしない。
ひとつひとつの関係性は、それぞれが唯一無二で、ひとつのセオリーや
言葉で簡単に片付くものではない。
理屈が必要な場面であっても、一番自然で一番心地よいものを選んで
行きたいのだ。
話は変わりますが、昨日「スイートポテトドーナッツ」というのを作って
みたらおいしかったので、レシピを載せようと思います。
生協で紅玉が配達されてきたので、次何作ろうか考え中です。
スイートポテトドーナッツ


材料
さつまいも 100g
無塩バター 40g
きび砂糖 50g
卵 一個
牛乳 50cc
薄力粉 200g
ベーキングパウダー 大匙1
サラダオイル(揚げ油)適量
シナモンパウダー 適量
粉糖 適量
1 サツマイモは皮をむいて、1cm厚さに切り、水大匙1を振りかけて
耐熱容器に入れてラップをした後、600wの電子レンジで4分
加熱する。→熱いうちに裏ごしする。
2 室温に戻したバターをクリーム状に練り、砂糖をすり混ぜ、溶いた卵
と牛乳も加えて、混ぜ合わせながらサツマイモを加えてさらに混ぜる。
3 薄力粉とベーキングパウダーをあわせて振るったものを2に
一度に加え、木べらで全体をきるように混ぜる。
4 20×18cmくらいのビニール袋に入れて平らに伸ばして、冷凍庫で
一時間くらい冷やす。
5 凍ったまま包丁で縦4等分横四等分に切り分け、そのひとつずつを
ななめに三角にきる。
6 160度くらいのサラダオイルでゆっくりとキツネ色になるまで揚げる。
(揚げ上がりは少し中心が膨らむ)
7 あら熱がとれたら、粉糖とシナモンパウダーを振りかける。

上げていると、ハルがやってくる。
羽根布団をわずかに持ち上げ、小さな隙間を作ってあげると、
こんにゃくのようなスムーズさで、私の腕の中へつるりと滑り込む。
気の遠くなるような一日を、実際にスタートさせるまでの、
わずかな至福の時間。
母親の子宮内でまどろんでる一卵性双生胎児のように、
限りなくつなぎ目のないひとつのかたまりのように、平和な
空間を共有する。
ハルが家にやってきてからの最初の一年は、ちゃんとケージで
寝かせていたことがあった。
あまりの可愛さに負けて、というか正しく言うと 人間側の勝手な
欲望から、ある日を境にしつけの境界線が緩んでしまった。
お気に入りテレビ番組、カリスマドッグトレーナーで、人間と犬の
「境界線」の大切さを学んでおきながら、実生活ではとてもゆるい
状態を続けているのが実状だ。
子供たちが巣立った今、後悔していることがある。
後悔というより懺悔に近いかもしれない。
出産するや否や、あふれるように出てくれた母乳が、母と子の絆
を深めてくれたのは言うまでもないのに、子供たちが大好きだった
その授乳の時間を、「理想的な断乳時期」という冷たい字面に脅され
て、一年ちょっとで取り上げてしまった。
おっぱいが欲しくて泣き叫ぶわが子をなだめて、なんとも不自然に
ぷつんと終わりを告げたのだ。
これに限らずあらゆる場面で、優等生の母親でいたいという自己主張
を燃料に、黒煙のように立ちのぼってくる、「ちゃんと育てなきゃ・・。」
というプレッシャーが、私の育児を硬いものにしていった。
彼らが中学高校と進み、彼らの「思春期 = とてつもない反抗期」が
やってきて、私のもくろみなど木っ端微塵にされる、という健康的な
結果に終わったので、良かったんだけどね。
小さなお子さんが中心になっているご家族を見ると、今、「家族の旬」
である彼らを羨ましいと思う。
子供たちが小さいときは、早く大きくなってくれないか・・早く自分の自由
時間を持てるようになりたい・・といつも思っていた。
でも、時間は思いのほかすぐに経ち、今、なんともったいないことをしたのか、
と心底思っているのである。
子供たちは、なんてことない所に連れて行ってあげるだけで、ワクワク
してくれた。 あの、ワクワクとキラキラから、私たちが生命力を分けてもら
っていたことに気づかなかった。
だんなが時々ハルを毛布にくるんで抱っこしている。
私たちはそれを、「お孫さんごっこ」と名づけた。
ハルはすごいな。 いったい我が家で何役つとめているのだろう。
一番考えたくないことではあるが、寿命 ということを考えると、
ハルのそれは私たちのそれより、ずっと短い。
私はハルに断乳をしない。
ひとつひとつの関係性は、それぞれが唯一無二で、ひとつのセオリーや
言葉で簡単に片付くものではない。
理屈が必要な場面であっても、一番自然で一番心地よいものを選んで
行きたいのだ。
話は変わりますが、昨日「スイートポテトドーナッツ」というのを作って
みたらおいしかったので、レシピを載せようと思います。
生協で紅玉が配達されてきたので、次何作ろうか考え中です。
スイートポテトドーナッツ
材料
さつまいも 100g
無塩バター 40g
きび砂糖 50g
卵 一個
牛乳 50cc
薄力粉 200g
ベーキングパウダー 大匙1
サラダオイル(揚げ油)適量
シナモンパウダー 適量
粉糖 適量
1 サツマイモは皮をむいて、1cm厚さに切り、水大匙1を振りかけて
耐熱容器に入れてラップをした後、600wの電子レンジで4分
加熱する。→熱いうちに裏ごしする。
2 室温に戻したバターをクリーム状に練り、砂糖をすり混ぜ、溶いた卵
と牛乳も加えて、混ぜ合わせながらサツマイモを加えてさらに混ぜる。
3 薄力粉とベーキングパウダーをあわせて振るったものを2に
一度に加え、木べらで全体をきるように混ぜる。
4 20×18cmくらいのビニール袋に入れて平らに伸ばして、冷凍庫で
一時間くらい冷やす。
5 凍ったまま包丁で縦4等分横四等分に切り分け、そのひとつずつを
ななめに三角にきる。
6 160度くらいのサラダオイルでゆっくりとキツネ色になるまで揚げる。
(揚げ上がりは少し中心が膨らむ)
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