日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
カメラに使っていた4gigaのSDカードがいっぱいになった後、
写真の整理を怠って、カメラから遠ざかったまま10日くらい
経ってしまった。
その間にやってきた季節の変わり目を 自分の体調不良で
実感しつつ、でもまだまだ暑い毎日に、ある日は積極的に
押してみたり またある日は完全に引いたりしながら、
帳尻合わせて暮らしていた。
たまりにたまった写真をアップしておこうと思う。
もっとたまったら、面倒くさがりの私には、お手上げに
なってしまうので。
なので、ずいぶん前に花盛りだったお花たちも登場
するかもしれません。 本当の景色では、もう花びらも散って
しまって存在しない。
ぱっと咲いてぱっと散る。
人間の寿命は、どうも中途半端でいけないな と、思う一方、
まだもうちょっと今からでも何かできるかもしれない。なんて
考えてる自分もいるから、可笑しい。










写真の整理を怠って、カメラから遠ざかったまま10日くらい
経ってしまった。
その間にやってきた季節の変わり目を 自分の体調不良で
実感しつつ、でもまだまだ暑い毎日に、ある日は積極的に
押してみたり またある日は完全に引いたりしながら、
帳尻合わせて暮らしていた。
たまりにたまった写真をアップしておこうと思う。
もっとたまったら、面倒くさがりの私には、お手上げに
なってしまうので。
なので、ずいぶん前に花盛りだったお花たちも登場
するかもしれません。 本当の景色では、もう花びらも散って
しまって存在しない。
ぱっと咲いてぱっと散る。
人間の寿命は、どうも中途半端でいけないな と、思う一方、
まだもうちょっと今からでも何かできるかもしれない。なんて
考えてる自分もいるから、可笑しい。
このところ、お医者さん通いが頻繁で、それ以外は
暑さを避けて家にこもっていたのを、今週からは
ちょっと無理してでも重い体を引きずり出し、
外に出るようにしている。
昨日なんか、おかしな一日を送ってしまった。
午前中は、電動自転車をこいでジムに行き、
ピラティスやエアロビクスのプログラムをこなした後、
その同じ日の午後には 病院のトレッドミルに
乗っかって、早足歩行を続けながら、うっすら汗ばんで
いたのである。
ジムと大きく違うのは、前合わせの白い検査着を着ている
ことで、またそのすぐ下の素肌の、特に左の胸の周りに、
たくさんのまあるいシールが張られていて、そのシールの真ん中
の小さな突起からは、2メートルほど先にある血圧計と心電図
に接続するためのラインが伸びていた。
以前とってもらった心電図に少しばかり異常が出たので、
面倒くさくて二の足を何度も踏んだ後、大学病院へ行った。
その後、ホルター心電図、という
24時間つけっぱなしの検査を数日前に終えて、今回の
トレッドミル検査に臨んだのだ。
はぁ~・・。 はっきり言って、検査をなめていたと思う。
ゆっくりの速度でただ歩いて終わりと思っていたら、
ずいぶん違ってかなり疲れた。
だいたいトレッドミルも、負荷ををかけるためなのか
かなりの坂道になっていたし、「はい、また10秒後に
速さがかなり増しますよ~。」 という医者の予告が
無常にも5回ほど繰り返されたのには まいった。
そのときの私の心がちょいとばかりひねくれていた証拠に、
「なぜ、この医者は、こんなに楽しげに、速度増加を私に
告げるのか・・・」と、思いながら、ほとんど走りに近い
早歩きをしていたのだ。
走っちゃいけないって言うんだもん。
あの速さで歩くのはむずかしいよ。
全部終わって疑問が残った。
こんな大変な検査、心臓の具合の悪い人、もしくは
足腰の弱ったお年寄りにできるものなのか?
病院に行くと、病人になった気になってしまう私だが、
昨日は、思い切り汗をかいて筋肉を使って、不思議な
感覚で病院を後にした。
暑さを避けて家にこもっていたのを、今週からは
ちょっと無理してでも重い体を引きずり出し、
外に出るようにしている。
昨日なんか、おかしな一日を送ってしまった。
午前中は、電動自転車をこいでジムに行き、
ピラティスやエアロビクスのプログラムをこなした後、
その同じ日の午後には 病院のトレッドミルに
乗っかって、早足歩行を続けながら、うっすら汗ばんで
いたのである。
ジムと大きく違うのは、前合わせの白い検査着を着ている
ことで、またそのすぐ下の素肌の、特に左の胸の周りに、
たくさんのまあるいシールが張られていて、そのシールの真ん中
の小さな突起からは、2メートルほど先にある血圧計と心電図
に接続するためのラインが伸びていた。
以前とってもらった心電図に少しばかり異常が出たので、
面倒くさくて二の足を何度も踏んだ後、大学病院へ行った。
その後、ホルター心電図、という
24時間つけっぱなしの検査を数日前に終えて、今回の
トレッドミル検査に臨んだのだ。
はぁ~・・。 はっきり言って、検査をなめていたと思う。
ゆっくりの速度でただ歩いて終わりと思っていたら、
ずいぶん違ってかなり疲れた。
だいたいトレッドミルも、負荷ををかけるためなのか
かなりの坂道になっていたし、「はい、また10秒後に
速さがかなり増しますよ~。」 という医者の予告が
無常にも5回ほど繰り返されたのには まいった。
そのときの私の心がちょいとばかりひねくれていた証拠に、
「なぜ、この医者は、こんなに楽しげに、速度増加を私に
告げるのか・・・」と、思いながら、ほとんど走りに近い
早歩きをしていたのだ。
走っちゃいけないって言うんだもん。
あの速さで歩くのはむずかしいよ。
全部終わって疑問が残った。
こんな大変な検査、心臓の具合の悪い人、もしくは
足腰の弱ったお年寄りにできるものなのか?
病院に行くと、病人になった気になってしまう私だが、
昨日は、思い切り汗をかいて筋肉を使って、不思議な
感覚で病院を後にした。
どうも、夏の疲れが一気に出たようで、思うように体が
動かず、消極的な毎日を送っていた。
毎日のように使うつもりだった電動自転車も、一週間ほど使わず
じまい。 駐輪場の定位置にほったらかされて、サドルはうっすら
とほこりをかぶり、カゴには落ち葉が入っているに違いない。
また、軽々とペダルを踏む日を夢見ながら、地味にストレッチなど
しながら、ハルと遊んで暮らしてます。
そういえば、前回の英語スピーチが途中で終わっているので、
完結しようと思います。 えっとどこまでだったかな?
思い出したぞ。 行きます。
-----------------------------------------------------------------------------------
数年後、彼が思春期に到達した時、また別の問題があらわれた。
彼はその頃 学校を休みがちになる。
理由はいまだにはっきりしないのだが、私が感じたのは、
有名大学にひとりでも多く入れようという高校のシステム
に、彼がうまく順応できなかったのではないかということだ。
「卒業したら興味のある料理を勉強するために、専門学校
に行く。」と彼が言い出した。
私は私で、何とか大学に行かせられないかと、一生懸命
説得する。
でもそうこうしている内に、あることに気がついてしまった。
私が彼に大学に行って欲しいと思うのは、部分的ではある
にせよ、自分のプライドを満足させたいからじゃないのか?
自分にとって心地よい状況を作りたいからじゃないのか?
大事なのは、彼が幸せかどうか、ということなのに。
その時点で、ちっぽけな私のプライドを完全に捨て去り、
彼の決心を喜ぶことにした。
このように、子育ては、なまやさしくなくて、波乱万丈、奮闘の
連続だった。
でも、母親としての経験は、いろんなことに気づかせてくれて、
結果 物事を広くそして柔軟に見る方向に導いてくれた。
なので私は、表面的なことだけを見て、人や物事を判断しない。
人と対するとき、その人の本当の部分を見て 敬意を払うよう
になったのだ。
ついでに言っておくと、、息子は中国料理店で働いて3年目で、
彼の修行中の心意気は、なかなかのものである。
それは、どれくらいのものかというと、次のフレーズを恥ずかし気
もなく言えるほど見事で・・
つまり、「私は彼を誇りに思っている。」のである。
Years later when my son reached the adolescent stage, another
problem happened.
He stopped going to school regularly.
The reason was not clear.
But I felt that he couldn't adjust himself to the school system that's
focusing on how many students they can lead to enter famous
Universities.
He insisted that he would go to a technical training school after
graduation for the purpose of pursuing his interest, cooking.
I tried hard to persuade him into going to University.
In the course of thinking, I started to realize that I wanted him to go to
University partly because I just wanted to satisfy my own pride,
hoping to feel comfortable with situation around me.
OK....wait.
What matters most is whether he is happy or not.
I completely gave up my tiny pride and tried to become happy
for his decision.
Well, bringing up kids is not an easy matter.
There have been ups and downs, and downs and down where
you have to struggle a lot.
But personally I'm sure that being a mother helped me to open
my eyes with which I could see the whole world widely and flexibly.
I would never judge people or anything by what I could see
on the surface.
I could always see and respect what you really are.
Just for the record, my son has been working in Chinese restaurant
for three years now.
The way he has been in training is quite amazing.
That is like something I'd like to dare to say that
" I'm really proud of him."
動かず、消極的な毎日を送っていた。
毎日のように使うつもりだった電動自転車も、一週間ほど使わず
じまい。 駐輪場の定位置にほったらかされて、サドルはうっすら
とほこりをかぶり、カゴには落ち葉が入っているに違いない。
また、軽々とペダルを踏む日を夢見ながら、地味にストレッチなど
しながら、ハルと遊んで暮らしてます。
そういえば、前回の英語スピーチが途中で終わっているので、
完結しようと思います。 えっとどこまでだったかな?
思い出したぞ。 行きます。
-----------------------------------------------------------------------------------
数年後、彼が思春期に到達した時、また別の問題があらわれた。
彼はその頃 学校を休みがちになる。
理由はいまだにはっきりしないのだが、私が感じたのは、
有名大学にひとりでも多く入れようという高校のシステム
に、彼がうまく順応できなかったのではないかということだ。
「卒業したら興味のある料理を勉強するために、専門学校
に行く。」と彼が言い出した。
私は私で、何とか大学に行かせられないかと、一生懸命
説得する。
でもそうこうしている内に、あることに気がついてしまった。
私が彼に大学に行って欲しいと思うのは、部分的ではある
にせよ、自分のプライドを満足させたいからじゃないのか?
自分にとって心地よい状況を作りたいからじゃないのか?
大事なのは、彼が幸せかどうか、ということなのに。
その時点で、ちっぽけな私のプライドを完全に捨て去り、
彼の決心を喜ぶことにした。
このように、子育ては、なまやさしくなくて、波乱万丈、奮闘の
連続だった。
でも、母親としての経験は、いろんなことに気づかせてくれて、
結果 物事を広くそして柔軟に見る方向に導いてくれた。
なので私は、表面的なことだけを見て、人や物事を判断しない。
人と対するとき、その人の本当の部分を見て 敬意を払うよう
になったのだ。
ついでに言っておくと、、息子は中国料理店で働いて3年目で、
彼の修行中の心意気は、なかなかのものである。
それは、どれくらいのものかというと、次のフレーズを恥ずかし気
もなく言えるほど見事で・・
つまり、「私は彼を誇りに思っている。」のである。
Years later when my son reached the adolescent stage, another
problem happened.
He stopped going to school regularly.
The reason was not clear.
But I felt that he couldn't adjust himself to the school system that's
focusing on how many students they can lead to enter famous
Universities.
He insisted that he would go to a technical training school after
graduation for the purpose of pursuing his interest, cooking.
I tried hard to persuade him into going to University.
In the course of thinking, I started to realize that I wanted him to go to
University partly because I just wanted to satisfy my own pride,
hoping to feel comfortable with situation around me.
OK....wait.
What matters most is whether he is happy or not.
I completely gave up my tiny pride and tried to become happy
for his decision.
Well, bringing up kids is not an easy matter.
There have been ups and downs, and downs and down where
you have to struggle a lot.
But personally I'm sure that being a mother helped me to open
my eyes with which I could see the whole world widely and flexibly.
I would never judge people or anything by what I could see
on the surface.
I could always see and respect what you really are.
Just for the record, my son has been working in Chinese restaurant
for three years now.
The way he has been in training is quite amazing.
That is like something I'd like to dare to say that
" I'm really proud of him."
先週の土曜日にした、英語のスピーチを 残しておこうと
思います。
今日は前半の部分の、和訳と原文を載せておきます。
-------------------------------------------------------------------------
”お母さん” という言葉を聞くたびに、亡くなった母と重ね合わせて
心の中に、おのずと愛情が湧き上がってきてしまう。
しかしながら、「お母さんであること」・・・となるとまったく別の問題である。
私にとって、それは、もがきながら試練を乗り越えてきた経験であり、
またそれらの経験によって、私はいろんなことに気づいてきたのである。
母親としての初期の苦労は、睡眠時間が足りない、とか、
「私ったら、赤んぼだけのために生きている「おっぱいマシン」に
なっちゃんたんじゃないかしら?」と悩んだりすることだった。
でも、思えばそんなこと、まったくなんてことなかったんだ。
私の子供たちは、成長とともに、しだいに性格的特長を現し始めるのだが、
それはどうかといえば、おどけた暴れん坊、活発なやんちゃさん・・・で、
特に下の息子は まるでおさる のようだった。
当然 幼稚園や小学校の先生は、彼の落ち着きのなさ、過剰にあふれ出す
彼のエネルギーに文句を言ったものだ。
”授業中、ずっとしゃべってるんです。”
”宿題してきません。”
”忘れ物ばっかりです。”
ここで言っておきたいのですが、私はもともとそんなに簡単に謝る人間じゃ
なかったんですよ。
だって、大人として 気をつけてまともに生きていれば、
そんなに人に謝る場面もないはずでしょ?
だから 実にその頃私の人生が大きく変わったのです。
そしてその結果、私は ものすごく謝るのがうまい人になった、ってわけ
なのです。
たくさんの真面目な先生方の中で、宮前先生ような
真面目プラス寛大な先生にお会いできたのはラッキーだった。
ある日のPTAの集まりで、先生は私に個人的にお話してくださった
ことがあった。
” M くん(家の息子)が、先日うわばきを片方失くしたのを、
お母様ご存知ですよね。”
確かに私は知っていた。・・そういえばあの朝、彼はあせって学校へ
出かけて行ったはず。 うわばきをそのまま、ランドセルの中の教科書の
上にのっけて、走って行ったんだっけ。
だから途中で 片方落としてしまったのね、きっと。
宮前先生は、続けた。
”スリッパを貸してあげたんですよ。そしたらその後で、Mくんが変な
歩き方をしているのに気がついてですね・・どうしたんだろうと
そばによってみてみたら・・・・ なんと彼は 左足に片方のうわばきを、
右足にスリッパを履いていたんです。”
何も言えないまま呆然としている私をよそに、彼女はしゃべり続けた。
”で、わかったんですよ、私。 彼は 借りたスリッパを左右両方に履く
よりも、少なくとも ひとつでも残っている自分の上履きをはくほうが、
いいと思ったんでしょうね。”
そして 先生はこのように結んだ。
”彼の考えを尊重して、ずっとそのままにさせときました。
ずいぶん歩きづらそうでしたけれどね。(笑)”
私は感動していた。
先生がこんなにも息子のことをわかってくれようとしたことに。
なんて彼女は寛大なんだ・・と。
Every time I hear the word " Mother", I cannot help feeling strong affection
coming up inside me, especially when thinking of my lost mother.
However, " Being a mother" is quite another thing.
For me that was struggling, survival and eye openers through many
experiences at the same time.
At the early stage of being a mother, the struggle was like lack of
sleeping time or the idea that"Oh, I became a milk machine just
living for a new born baby."
But that wasn't a big deal at all.
My kids started to show their own characteristic quality as they grew
playful and wild, naughty and active.....especially my younger boy
turned out to be a devil monkey.
Accordingly the teachers of kindergarten or elementary school
complained about his unstable high-energetic behavior.
" Your son kept talking during classes."
" He has never done any homework."
" He forgot to bring every stuff he should bring to school."
You know what?
I was not the type of person who could easily apologize
because as an adult you don't have to do that so often if you live
properly and carefully.
My life has extremely changed.
And I eventually became a professionally skillful apologizer.
Among all those rigid teachers, luckily I met a generous teacher like
Miyamae-sensei.
At one PTA meeting, she personally spoke to me,
" You know, he lost one of his pair of indoor school shoes the other day
don't you?"
I knew that.
I remember in the morning he was in such a hurry to school that he
just put them on top of the textbooks inside his school backpack and
ran away.
He must have dropped one of his pair while running.
And Miyamae-sensei continued.
" After I lent him a pair of slippers, I've noticed him walking in a quite
awkward manner. So I came closer to him to find out......
he was putting one of his shoes on his left foot and one of slippers
on his right foot."
She kept talking while I was being speechless...
" I got it. He must have thought it would be better to put at least one of
his shoes in stead of wearing a pair of slippers that he"d borrowed all the
way."
And she concluded,
" I respected his idea and let him do that all day long.
He must have a lot of trouble walking that way, though."
I was totally moved by how she tried to understand my son and
how generous she was toward him.
続きます。
思います。
今日は前半の部分の、和訳と原文を載せておきます。
-------------------------------------------------------------------------
”お母さん” という言葉を聞くたびに、亡くなった母と重ね合わせて
心の中に、おのずと愛情が湧き上がってきてしまう。
しかしながら、「お母さんであること」・・・となるとまったく別の問題である。
私にとって、それは、もがきながら試練を乗り越えてきた経験であり、
またそれらの経験によって、私はいろんなことに気づいてきたのである。
母親としての初期の苦労は、睡眠時間が足りない、とか、
「私ったら、赤んぼだけのために生きている「おっぱいマシン」に
なっちゃんたんじゃないかしら?」と悩んだりすることだった。
でも、思えばそんなこと、まったくなんてことなかったんだ。
私の子供たちは、成長とともに、しだいに性格的特長を現し始めるのだが、
それはどうかといえば、おどけた暴れん坊、活発なやんちゃさん・・・で、
特に下の息子は まるでおさる のようだった。
当然 幼稚園や小学校の先生は、彼の落ち着きのなさ、過剰にあふれ出す
彼のエネルギーに文句を言ったものだ。
”授業中、ずっとしゃべってるんです。”
”宿題してきません。”
”忘れ物ばっかりです。”
ここで言っておきたいのですが、私はもともとそんなに簡単に謝る人間じゃ
なかったんですよ。
だって、大人として 気をつけてまともに生きていれば、
そんなに人に謝る場面もないはずでしょ?
だから 実にその頃私の人生が大きく変わったのです。
そしてその結果、私は ものすごく謝るのがうまい人になった、ってわけ
なのです。
たくさんの真面目な先生方の中で、宮前先生ような
真面目プラス寛大な先生にお会いできたのはラッキーだった。
ある日のPTAの集まりで、先生は私に個人的にお話してくださった
ことがあった。
” M くん(家の息子)が、先日うわばきを片方失くしたのを、
お母様ご存知ですよね。”
確かに私は知っていた。・・そういえばあの朝、彼はあせって学校へ
出かけて行ったはず。 うわばきをそのまま、ランドセルの中の教科書の
上にのっけて、走って行ったんだっけ。
だから途中で 片方落としてしまったのね、きっと。
宮前先生は、続けた。
”スリッパを貸してあげたんですよ。そしたらその後で、Mくんが変な
歩き方をしているのに気がついてですね・・どうしたんだろうと
そばによってみてみたら・・・・ なんと彼は 左足に片方のうわばきを、
右足にスリッパを履いていたんです。”
何も言えないまま呆然としている私をよそに、彼女はしゃべり続けた。
”で、わかったんですよ、私。 彼は 借りたスリッパを左右両方に履く
よりも、少なくとも ひとつでも残っている自分の上履きをはくほうが、
いいと思ったんでしょうね。”
そして 先生はこのように結んだ。
”彼の考えを尊重して、ずっとそのままにさせときました。
ずいぶん歩きづらそうでしたけれどね。(笑)”
私は感動していた。
先生がこんなにも息子のことをわかってくれようとしたことに。
なんて彼女は寛大なんだ・・と。
Every time I hear the word " Mother", I cannot help feeling strong affection
coming up inside me, especially when thinking of my lost mother.
However, " Being a mother" is quite another thing.
For me that was struggling, survival and eye openers through many
experiences at the same time.
At the early stage of being a mother, the struggle was like lack of
sleeping time or the idea that"Oh, I became a milk machine just
living for a new born baby."
But that wasn't a big deal at all.
My kids started to show their own characteristic quality as they grew
playful and wild, naughty and active.....especially my younger boy
turned out to be a devil monkey.
Accordingly the teachers of kindergarten or elementary school
complained about his unstable high-energetic behavior.
" Your son kept talking during classes."
" He has never done any homework."
" He forgot to bring every stuff he should bring to school."
You know what?
I was not the type of person who could easily apologize
because as an adult you don't have to do that so often if you live
properly and carefully.
My life has extremely changed.
And I eventually became a professionally skillful apologizer.
Among all those rigid teachers, luckily I met a generous teacher like
Miyamae-sensei.
At one PTA meeting, she personally spoke to me,
" You know, he lost one of his pair of indoor school shoes the other day
don't you?"
I knew that.
I remember in the morning he was in such a hurry to school that he
just put them on top of the textbooks inside his school backpack and
ran away.
He must have dropped one of his pair while running.
And Miyamae-sensei continued.
" After I lent him a pair of slippers, I've noticed him walking in a quite
awkward manner. So I came closer to him to find out......
he was putting one of his shoes on his left foot and one of slippers
on his right foot."
She kept talking while I was being speechless...
" I got it. He must have thought it would be better to put at least one of
his shoes in stead of wearing a pair of slippers that he"d borrowed all the
way."
And she concluded,
" I respected his idea and let him do that all day long.
He must have a lot of trouble walking that way, though."
I was totally moved by how she tried to understand my son and
how generous she was toward him.
続きます。
珍しく 私にしては外で過ごすことの多い一週間を送ってしまった。
でもそのうちの2日間は、針灸の施術を受けるために、池袋にいたんだ。
あんまりなじみのない街中で、お日様のぎらぎらを照り返す横断歩道の、
交互に現れるべったりとした白色と、アスファルトのねずみ色に目を細めながら、
目指す医院に向かっていた。
友人で看護婦さんでもあるハトちゃんが紹介してくれた先生は、
台湾なまりの人なつっこいしゃべり方で、時折冗談を挟みながら、
でも目だけは全てを見通すような鋭い力を放っていて、こう言ったのだ。
「心配しないで、僕が絶対直してあげるから。
とうとう来たんだね。本当によく来たね。」
こんなこと言われて、いつもだったら 怪しい~!!と途端に身構えモード
になって、相手にはわからないような薄さで、でも何も浸透できないような
完全皮膜を作るのが常なのに、このときばかりは不思議なことに
「あ、私 この先生信じてみよう・・」 と思ってしまう何かがあった。
効くハリは痛いんだよ・・と布団バリのような大きなハリで、ブスブスと腰 背中
首 頭 と 容赦なく連打する。
素人からしたら むやみやたらと滅茶苦茶に刺されたような印象があるのだが、
今のところずいぶん体調がいい。
最初の直感を信じて、しばらく通ってみようと思うの。
ハリの後、池袋でうろうろしていたら、
「仕事が午前中に終わるの。お昼から会わない?」という友人みいちゃんの
突然のお誘いに応じて、池袋から横浜に場所を変えてゆっくり談笑したり、
会員にはなっていたけど一度も行ったことのなかったKバレエのレッスンに
バレエ友達と二回も行っちゃったり。
昨日は、英語のスピーチクラブで、頭を悩ませていたスピーチを無事に終えた。
わかりやすい内容なので、水曜日に原稿を載せようと思う。
ま、そんなこんなで、ガチャガチャと毎日を送っていたのだが、
お休みの日に何をしているかというと、UTube鑑賞。
UTubeって言ったら、PCの小さな画面でひとり不健康に背中丸めて見ている
印象があるでしょ?
でもね、オリンピック直前に購入したビック画面のテレビは、Utubeに接続
できる機能が付いている。
これがはまってしまってね。
先週は 「ザ、ピーナッツ」を散々楽しんだ後に、ビージーフォーの物まね
シリーズを観て笑ったり、不覚にも 彼らの「オンリーユー」に感動して
しまったりしていたら、物まねの後の、本物さん登場のくだりが何度もあって、
あろうことかアースウィンドアンドファイヤーが現れた。
びっくりしたねー。感動したねー。
今週は、CharがやっているTalking Guitar を観まくっている。
とにかくマニアックなことを何の説明もなしにゲストと話しながら
流れで、ギターのセッションをしていく。
特に 山岸潤史さんの回は、こんな素晴らしいものタダで観てしまって
いいのだろうか・・と思ってしまうほど すごかった。
四人ばやし(はやし が変換不可能)の森園勝敏さんの回を観ていて、
あることを思い出してしまった。
昔々 金子マリさんの歌を聴きたくて、今のダンナと、友人のヤノピーと
3人で 屋根裏に行った。
でもマリさんはほんのちょっと歌ってすぐいなくなってしまった。
その後、森園さんとカシオペアの成瀬さんのフュージョン世界が繰り広げられ、
若かった私たちは 失礼にも 途中で席をはずしてしまった。
え、帰ってしまうの? と成瀬さんが言ったのを覚えている。
本当にあの時はごめんなさい。
Utube 廃人にならないように、気をつけなくちゃ。
追伸; レディー ヴァイオレッタ を聴いたら、心の中が
むずがゆくなった。
あわせ鏡が見知らぬ風景を映し出すように
もうひとつ まぶたが 開いた。
でもそのうちの2日間は、針灸の施術を受けるために、池袋にいたんだ。
あんまりなじみのない街中で、お日様のぎらぎらを照り返す横断歩道の、
交互に現れるべったりとした白色と、アスファルトのねずみ色に目を細めながら、
目指す医院に向かっていた。
友人で看護婦さんでもあるハトちゃんが紹介してくれた先生は、
台湾なまりの人なつっこいしゃべり方で、時折冗談を挟みながら、
でも目だけは全てを見通すような鋭い力を放っていて、こう言ったのだ。
「心配しないで、僕が絶対直してあげるから。
とうとう来たんだね。本当によく来たね。」
こんなこと言われて、いつもだったら 怪しい~!!と途端に身構えモード
になって、相手にはわからないような薄さで、でも何も浸透できないような
完全皮膜を作るのが常なのに、このときばかりは不思議なことに
「あ、私 この先生信じてみよう・・」 と思ってしまう何かがあった。
効くハリは痛いんだよ・・と布団バリのような大きなハリで、ブスブスと腰 背中
首 頭 と 容赦なく連打する。
素人からしたら むやみやたらと滅茶苦茶に刺されたような印象があるのだが、
今のところずいぶん体調がいい。
最初の直感を信じて、しばらく通ってみようと思うの。
ハリの後、池袋でうろうろしていたら、
「仕事が午前中に終わるの。お昼から会わない?」という友人みいちゃんの
突然のお誘いに応じて、池袋から横浜に場所を変えてゆっくり談笑したり、
会員にはなっていたけど一度も行ったことのなかったKバレエのレッスンに
バレエ友達と二回も行っちゃったり。
昨日は、英語のスピーチクラブで、頭を悩ませていたスピーチを無事に終えた。
わかりやすい内容なので、水曜日に原稿を載せようと思う。
ま、そんなこんなで、ガチャガチャと毎日を送っていたのだが、
お休みの日に何をしているかというと、UTube鑑賞。
UTubeって言ったら、PCの小さな画面でひとり不健康に背中丸めて見ている
印象があるでしょ?
でもね、オリンピック直前に購入したビック画面のテレビは、Utubeに接続
できる機能が付いている。
これがはまってしまってね。
先週は 「ザ、ピーナッツ」を散々楽しんだ後に、ビージーフォーの物まね
シリーズを観て笑ったり、不覚にも 彼らの「オンリーユー」に感動して
しまったりしていたら、物まねの後の、本物さん登場のくだりが何度もあって、
あろうことかアースウィンドアンドファイヤーが現れた。
びっくりしたねー。感動したねー。
今週は、CharがやっているTalking Guitar を観まくっている。
とにかくマニアックなことを何の説明もなしにゲストと話しながら
流れで、ギターのセッションをしていく。
特に 山岸潤史さんの回は、こんな素晴らしいものタダで観てしまって
いいのだろうか・・と思ってしまうほど すごかった。
四人ばやし(はやし が変換不可能)の森園勝敏さんの回を観ていて、
あることを思い出してしまった。
昔々 金子マリさんの歌を聴きたくて、今のダンナと、友人のヤノピーと
3人で 屋根裏に行った。
でもマリさんはほんのちょっと歌ってすぐいなくなってしまった。
その後、森園さんとカシオペアの成瀬さんのフュージョン世界が繰り広げられ、
若かった私たちは 失礼にも 途中で席をはずしてしまった。
え、帰ってしまうの? と成瀬さんが言ったのを覚えている。
本当にあの時はごめんなさい。
Utube 廃人にならないように、気をつけなくちゃ。
追伸; レディー ヴァイオレッタ を聴いたら、心の中が
むずがゆくなった。
あわせ鏡が見知らぬ風景を映し出すように
もうひとつ まぶたが 開いた。
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