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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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いつもと変わらぬいつもの朝、ハルと一緒にいつもの散歩コースを歩いていたら、
いつもの景色にかすかな動きを感じてふと足をとめた。

散歩コースの途中に、住宅街が突然途切れて畑になっているところがある。
まったく建物のない足元レベルの土の広がりは、それでなくとも何かほっと
させるものがある。

その何もない空間をモンシロチョウが7~8匹飛んでいた。
モンシロチョウであると分かるには、かなり距離を狭める必要があった。
なぜならその蝶たちはバラバラに飛んでいるのではなく、小さな群れをなし、
その密集全体が、縦長の楕円になったり平ペったいUFOのような形になったり、次の
瞬間よじれたかと思ったらまたふわっと弛緩して、組んずほぐれつ流動体のように絶えず
形を変えながら空中を移動していたからだ。

何事も人間の尺度で考えるのは愚かしいこととわかってはいるけれど、どうみたって
この蝶ちょたちはお互いのコミニュケーションを楽しんでいるように見えた。

もしも至近距離まで近づけたなら、ぺちゃくちゃと楽しげな蝶ちょのお喋りが聞こえて
きそうだ。「今年の夏はエルニーニョの影響で冷夏らしいわよ・・」「冷夏ねえ・・
いいんだか悪いんだか・・ねえ。」などと他愛のないやりとりが。んなわけないけど。

話は全然違うけれど、私は最近「負け」を認める楽しさを経験し始めている。
特に親子の関係で、自分の子供が何であれ自分の上を行ってくれることに喜ばしさ
を感じるのだ。人はよく、若い人に負けない自信がある。というけれど、私は
本当のことを言うと、負けたいのだ。

息子は料理のプロだから、その包丁さばきや鋭い味覚は、のんびりやってきた主婦
の私とはすでに比べ物にならない。仕事で多量の写真を撮り、たくさんの文章を
書いている娘も、同様だ。実は前回載せたハルの写真は娘が撮ったもの。
ハルの多面的な表情を実にうまく捉えていると思う。私にはできない。

娘がたまにスマホの共有アルバムに写真を送ってくれる。
実にいい写真だな。と思って「いいね」ボタンをクリックする。
なんだかほんのりあったかい気持ちになるのは、ほんの少しでも彼らに手渡せた
ものがあったのかもしれない・・と、どこかで自己満足的に思っているからなの
だろうと思う。







歳とともに涙腺が緩んでくると人は言うけれど、私の流す涙の量に関して言えば
以前に比べてそんなに大きな違いがあるとは思わない。
違いがあるとすれば、涙と結びつきやすい感情の種類が、若い時とは
ずいぶん違っているということだ。

若い時は、悲しみだったり怒りだったりと、負の感情でよく泣いたものだ。
悲しくてもあまり泣かず、怒って泣くなど皆無と言える今は、その空きスペース
を埋めるように不思議な涙が増えた気がする。

「かわいい」「愛おしい」という類の形容詞を使う時、人は優しい穏やかな表情
をたたえているに違いない。愛犬の寝顔を目の前にして、平和で、ひとつの塵もない澄み
切った心で、「ハル、かわいいね・・」と私はその時つぶやいていた。

ハルの温かい寝息が私の頬を規則的になでる。その安心しきった小さな寝姿をじっと眺めている
うちに、私の目から温かな涙が流れ落ちた。

「可愛くて泣く」という、とても心地よい涙は、若さを手放したかわりに得ることのできる、
ささやかな特権なのかもしれない。

でも私はわかってるんだ。この涙はそんなに単純なものではないことを。
この涙の背景には、ハルのその無力さと健気さに助けられてきた日々への感謝の思いがある。
そして何よりも、その日々が永遠には続かないことをどこかで覚悟している私が、その
ことに気づかぬふりをして、ただひたすら彼をかわいくいとおしく思って泣くのである。

この文章を書きながら、また私は泣いている。
これだけ私の感情を揺さぶることのできるあの小さな生き物は、いったい何者だろう?
この感情の揺さぶられ加減は、まるで恋愛だ。

恋をすると人が弱点をたくさん抱えるように、ハルは私の弱点そのものです。
かわいい いとおしい は、恐い さみしい と同義語になりえることも、大人になって
から知った不思議な矛盾です。



















修理の人を呼ぶのが億劫で、不具合に目をつぶって使っていた物の数が片手を
超えたのを機に、やおら受話器を取り、修理の手はずを次々と整えた。

ひとつずつ物が直るたびに、体のどこかに隠れていたストレスが、
個体から液体、液体から気体になって空中へと霧散し、気持ちが軽く
なっていった。

こうなることはわかっていたのだから、早くやればよかったのに・・と一応自分に
言い聞かせてはみるけれど、もうひとつ確かなことは「できないときはできない。」
面倒くさがりやの私が動くには、状況の危機感と自分の向上心がうまい具合にシンク
する必要がある。

切り替えコックを軽くひねれば、浄水が眩しいほどにやかんを満たし、魚を
食べたければ、魚グリルが自信あり気にすぐそこにスタンバイしてくれている。
支障なく家の中で動き回れると、主婦であることが楽しい。

おかしなことに、おくての私は、30年の結婚生活を経験した今になって、一番いい
お母さん、いい妻をしているような気がする。めちゃくちゃ遅すぎるというのはわか
っている。ただ物事を理解するのに、頭の悪い私は30年かかってしまったというだけだ。

若い時は、まだまだ血気盛んで、家族の気持ちや家族の状況に自分の気持ちを
心地よく沿わせることができなかったのだ。今になって自分が鼻息荒くしてきたこと
の数々を思い出しては、ため息をついてしまうことも多々あるけれど、過去はどうにも
変えられないので、現在(いま)を生きていくしかない。

30年近く家計簿をつけることができなかった私が、現代のテクノロジーの力を借りて
今順調につけ続けている。スマホのアプリ、「ReceReco」を使って。

買い物をする。レシートをスマホのカメラで撮影する。それだけであとはアプリが
映像を文字変換してくれて、支出を総計してくれる。自分で食費とか消耗品とか
に区分けすれば、月々のカテゴリーの支出を、一目瞭然の棒グラフで表してくれる。

家計簿を付けることができる奥さんになる夢が、30年の時を経てやっと実現した。

年を取るごとに、より「すっとして」「すっきりと」生きて行くことができる自信が、
ちょっぴりだけど顔をのぞかせた今日この頃です。




「あっ悪い、ハゲお願~い・・」
忘れなければ一日二回、これをだんなに向かって私は言う。

念のため、これは髪の毛薄めの彼のことをハゲ呼ばわりしているのではなくて、
医者から処方された薬を、私の頭にできた500円玉ハゲに塗ってくださいな・・
という意味に他ならない。

三面鏡のない我が家で、自分の手先と感覚だけを使って局部にピンポイントで薬を
塗るのは、なかなかむずかしい。

そんなわけで私は、毛づくろいされている猿のように、従順に下向き加減のポーズを
取り、首をほんの少しひねり、ダンナが作業しやすいように精一杯協力する。

わかりにくい場所に薬を塗ってもらう。手の届きにくいところに湿布を貼ってもらう。
なんてことないことだけれど、これは家族の基本なんじゃないかと思う。

人はひとたび家を出れば、多かれ少なかれ、なるべく他人に弱みをみせないように
がんばっているわけで、かくいう私も、周りの毛でハゲを覆って素知らぬ顔して
行動しているのだ。

弱みをさらけ出したり自分のみっともないところをあらわにできるのは、やはり
長年共に暮らしてきた家族に限る。ありがたいことだ。

それにしても私、ここのところ不運続きで、自分の体だけでなく、家の中のものが
いろいろと壊れ始めて止まらなくなった。

コーヒーメーカーのエスプレッソ カプチーノ部分・・これはもう20年も使っている
からしょうがないとして、一年半程前に変えてもらった水栓が調子悪くて、浄水と
水道水の切り替えに使うツマミがゆるくなってすぐにポトンと落ちてしまう。

数日前に魚グリルがスタックして、どんなに頑張って引っ張っても動いてくれない。
車をこする。思い起こせば今年の元旦に、大切なカメラを落として破損させて以来、
降りかかるものを払いのけながら今日まで来た気がする。

降りかかる・・たって、私の不注意が大きな原因になっていることも多く、ただ
不運だと嘆く資格は私にはないことが辛いのだけれど。

そんなまとまりのない日々を送っている私の近くで、そのまんまの私を受け入れて
くれるのも、家族ならではだ。申し訳ない。

昨日、気分転換にドーナッツを作った。今ドーナッツがマイブーム。
先々週はねじりドーナッツを、昨日はリングドーナッツを作った。

自分で作るととっても軽くてさっぱりしていて美味しいので、3つくらいペロリと
簡単に平らげてしまう。やばい。

マイブームと言えば、今テレビ東京で金曜の夜中にやっている「リバースエッジ
大川端探偵事務社」とNHKの「夜の笑っちゃお」にはまっている。

リバースエッジは、私が大好きだった「まほろシリーズ」の大根仁さん脚本演出で、
心地よいゆるさと外れた感覚満載で、毎週楽しみにしている。
「笑っちゃお」は子供番組なのだけれど、お姉さんのキャラが、今まで経験したことの
ないようなおかしみのツボをやんわりと押してくれて、お姉さんを囲む周りの猫や
オナライダーとの会話が、みんながあるべきもの、と決めているラインから2、3本
ずれている感じで、これまた変に心地がいいのだ。

体もココロもすっかり疲れ果ててしまった私は、こんなふうにしてドーナッツを食べ、
不思議な番組をみて、なんとか生き延びています。























灰色の雨雲が、そこにあるはずの富士山をすっぽりおおい隠し
、あたりの景色の広がりを妙にだらしなく見せていた。

それでも半日も経つと、その景色のしまりのなさと、首をひねりたくなるような
欠落感にもすっかり慣れてしまったようで、是が非でも富士山を・・と意気込んで
後追いなどすることもなく、どちらかといえば「この次の時はお願いね・・」と
いった具合に聞き分けよく機嫌よく過ごしていた。

嬉しいことに、期せずして翌日目を覚ますと富士がそこにそびえていた。
真っ白な雪におおわれた神々しい富士山が、窓枠を額縁にして、巨大な絵画のように
視界いっぱい迫って来た。

万歳をしたくなるような気持ちと、着替えを両手に抱え込み、露天風呂に向う。

朝の冷気を受けた顔と、温泉につかっている体との温度差が、私の中に鋭さと
穏やかさを混在させる。

太陽が富士のてっぺんをすくい取るように照らす。のんびりと眺めているうちに、
光の当たる場所が裾へ裾へと広がっていく。

富士山を眺めながらの贅沢な朝食を終えてから、ハルも行けるからという至極
単純な理由で、「癒しの里」という所に行ってみる。
そこは、わら葺き屋根の古民家がいくつも連なっていて、その間を通るくねくねと
続く坂道を歩いていると、昔の絵本の中に入り込んでしまったような錯覚に陥る。

ひとつひとつの古民家は、中に入るとそれぞれ独特で、藍染の作品が展示販売されて
いたり、ひょうたんのお店だったりと、なかなか楽しかった。

戸外で一通り遊んだら満足して、最後に仕事が忙しくて休みが取れなかった娘のために、
フジヤマクッキーをお土産に買って帰路についた。

この旅行ではスマホで無料ダウンロードした夏目漱石の「こころ」を読み終えた。
朝日新聞で連載が始まったのを読みだしたら、気持ちが焦れて、いっぺんに
読み通したくなったからだ。

「こころ」の中の登場人物 わたし 先生 K の会話や手紙を読んでいて、
「学問によって得る知識」と「経験によって得る知恵」という、この全く別の
ふたつの重なりとバランスについて考えさせられた。というか今考えているところです。

































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