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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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金曜の朝、リビングと隣続きの和室を覗いたダンナが、「あれえ?ハル君が布団敷いて、勝手に
寝ているよ。」と小さくつぶやいた。また馬鹿なことを言い出して・・と私は、朝食準備のため
の手をいったん止めて、確かめに行く。

布団をめくると娘がそこにいた。我々が深い眠りに落ちた後の、深夜の時間帯に戻ってきたのだ
ろう、まったく気づかなかったのだ。

最近は金曜日にお休みを取りやすいようだ。
午前中、私はポワントクラスを受けずにバレエを早引きし、残りの時間、娘と一緒に遊んで過ご
した。

昨日は息子が帰って来た。息子とは正月の温泉旅行以来である。

「独立した子供達が戻って来たときは楽しく一緒に遊ぶ。彼らが困っていたら、その時はできる
範囲で手を差し伸べる。あとはほっとく。」子供達とのスタンスは、こんな感じである。

夕食後、しばらくしてから、息子がじゃあまた。と帰ってしまうと、私はくったりしてしまった。
いくら心が楽しくても体はついて来てはくれないのだ。

ダンナに後片付けを任せて、横になり、ただテレビ画面を目で追っていた。
そんな私に天からの素晴らしいプレゼントが舞い込んだ。前回見逃してしまって悔しい思いをした
インタビュー番組が再放送されたのだ。

「脚本家木皿泉 × 俳優佐藤健 」という私の中での最高タッグの二人(三人)。
Q10コンビ。その彼らのインタビュー。

木皿泉さんが、「あてて書くことのできない俳優。」と、佐藤健くんのことを言っていた。
いつも自分の予想を大きく超えた演技が、健くんから返ってくるからなのだそうだ。
それが脚本家としては楽しくて、次に進むエネルギーさえもらえる、とも言っていた。

誰もが心を掴まれたであろう、大河ドラマ「龍馬伝」の健くん、「人斬り以蔵」の処刑シーン。
これについての彼のコメントが興味深くてわくわくしてしまった。健くんが言ったのだ。
あれはなんにも自分は芝居していないんだ。と。
以蔵さんが自分に降りてきたとしか考えられない、と。

彼らの言う「降りる」「憑依する」。これらの言葉が私をとても刺激する。
願わくば私も一度経験したいと思うのだ。何かに降りて来てもらいたい。自分とは全く違った
場所で、突き動かされる衝動を感じてみたい。でもそれは日常でなかなか起きることではない
んだろうな。追い詰められて何かを創作していく過程においてのみ起こる、心だけひょいっと
ワープするような経験なんだろうな。

大好きなドラマ「Q10」は、私が好きになる要素がたくさん詰まっていて、その中のひとつに、
健くん演じる「平太」と、池松壮亮くん演じる「久保くん」の絡みがある。
この池松くんが、私は健くんと同じくらい大好きな俳優さんなのです。

無理な注文であるのは承知で、「野ブタをプロデュース」をこのふたりで今一度撮られたもの
を観てみたいものだ。きっと全然違うものになって出来上がってくると思うのだ。

さてここまで書いて、すでに本題は終わっているように見えるかもしれないが、実はこれからが
本題で。

木皿泉さんと佐藤健くんが掛け合う言葉は、刺激的ではあるけれど、同時に全て自分にとって
気持のよい共感を経験できるようなものだった。つまり、自分の心の中に何の違和感もなく
入り込んできてくれる。

さて、つよぽん だ。「つよぽん」こと、スマップの草彅剛くん。
俳優の東出さんとの友達デートの企画で、凄いことを言ってのけたのだ。
「僕ね、台本は自分の台詞しか読まないよ・・」

おっとりとした雰囲気の東出さんも、この時ばかりは一瞬息を詰まらせたような表情をして、
それは怖いなあ・・危険だなあ・・とつぶやいていた。

つよぽんはそれに気づいているのかいないのか、明るくしゃべり続けるのだ。
・・だからさあ、実際今なぜ僕は怒っているのだろう?と分からず芝居してる時もあるわけよ。
でも、後で観ると、それがかえってよかったりするんだよねえ。

でも彼の言っていることには信憑性があるのだ。
今週の火曜日に最終回を迎える「銭の戦争」で、魅力ある主人公を演じているつよぽんがいる
からだ。お金で引き裂かれた婚約者と再会した時に、ふっとよぎるつよぽんの不敵な笑み。
あらゆる場面での、怒り。狂気。焦り。私は毎週ハラハラしながら楽しみに見ているのだけれど。
で、つよぽん。ストーリーライン知らない、なんて言わせない。
でも言われちゃった。

あなたは純粋に馬鹿なのか?天才なのか? 計り知れない。
枠を大きく超えているんだ。それは単に脚本家が描いていたイメージを大きく超えた演技を
俳優がする、というような「理性的な超える」じゃない。
はちゃめちゃに超えているんだ。やっぱり天才なのかもしれない。

東出さんが、自分は車にも洋服にも興味があるので、物欲に支配されるのを恐れていて
コントロールしている・・というようなことを言っていた。素晴らしい考えだ。
つよぽんその横で「革ジャンがなぜかすごい好きでね。100着位持っていると思う。」
と明るく言っていた。ここにも私は彼の何かを超えてしまった大きさを感じるのだ。
もしかしたら物欲の悲しさを、一番知っているのは彼なのかもしれない。とさえ私は
思うのだ。

とにかくね。ずっと見ているからね。














今季初めての菜の花に魅せられて、久しぶりにカメラを構えてみる。
菜の花の黄色は、なんて優しく輝かしい色なんだろう。

歩きながら、盛りを迎えた梅に目を奪われる。
そこからふと視線を落とすと、水仙がたわわにお花を付けていた。

私の周り、確実に、春の濃さが増している。

もしも絵が描けたなら・・。
パレットに黄色の絵の具を押し出して、あまりのその明るさに、しばらく眺めてしまいそう。

ひとつの絵がずっと私の中から離れない。
髪の長い、女性像。
慈愛に満ちた笑をほんのり浮かべて、わずかに両目を閉じている。
胸の前には小さな白い手が重ねられている。

丸みを帯びたやわらかな輪郭は、外界との境を曖昧にしている。
溶け出し混じり合う。喜びも怒りも悲しみも静かにたたずみ、微動だにしない。

サリドマイド薬害の被害者であるその女性は、描いたその絵について明るく答えていた。
「自分も女性だって言いたい時がある。でもたぶん周りの人が困ってしまうでしょ。
だからそういう時に自分の中の女性像を描くのです。」

ひとりの友達が、私が付けている真珠を見て、「真珠は、『受難の中の真実』って言うのよ。」
と教えてくれた。

そうだ、真珠のように美しい絵なのです。






















家族が風邪をひくと私もひく。抵抗力の弱さが目立つ今日この頃。
この時期の風邪はややこしい。どの症状が風邪なのか、花粉症なのかがわからない。
熱がひいた今、鼻水としつこい咳が残っている。

ひっきりなしにかんでいないと、ぽたぽたと落ちそうになる鼻水は、どちらかというと花粉症
か。目の前にあっという間に積み上げられるティッシュの残骸に、罪悪感を感じはじめ、ティ
ッシュを小さくちぎっては両鼻に詰めてみる。普段通りに洗面所へ行き、鏡に映った自分を見て、
その滑稽さにギョッとした。人が見たら「何ふざけてんの~?」と笑われそうだ。

私が子供の頃から、片鼻の脱脂綿は鼻血の応急措置と決まっていた。
片鼻の詰め物は、痛々しさのイメージがある。
でも両鼻は、いけない。印象がガラリと変わってしまうからだ。
本人は真面目に物事を考えていたとしても、とてもそうは見えない。もしかしたらこの両鼻の
詰め物は、「人をおちょくっているのか、それは。」と怒る人を出すくらいの爆発的な力を
持っているかもしれない。なんたって、真剣さとか真面目さとか緊張などを寄せ付けない
勢いがある。どんなにお洒落をしようがおすまししようが、両鼻に詰め物をした時点で
ジ・エンドである。イメージなんてこんなにもろいものなんだ。

バランスとか端正さとか美しさに対して、敏感でありながらも同時に鈍感でありたいと思った。
イメージは真実を隠すのが上手、だと思うから。間違いなく確信犯だ。
気温が徐々に上がってくると、氷が溶け出すように身体が緩み始める。
緩みが不快につながるのは私だけなのだろうか? この季節のいつもの憂鬱を、例外なく
感じながら毎日過ごしています。

今年に入ってからもうすでに2ヶ月近く過ぎようとしている。
新年を迎える度に、平和と安定を望みながら、今年はちょっと違った趣の一年を・・と期待して
しまうのは私の癖みたいなものだ。

 期待そのものが長年の間にマンネリ化して、形だけのものになりつつあった。
でも今年はちょっといつもと違った流れの中に自分がいるのを感じている。

 古い友人との再会が極端に増えたのもそのひとつだ。
子育てや仕事で手一杯だった日々が落ち着いてきたからだと思う。何十年ぶりかの旧友との再会
の後、ではこれを機にたまに集まって、お互い死ぬまで一緒に生きて行きましょうかねえ・・
という感じなのである。
人生終盤における友達関係の新たな始まり と、言えるのかもしれない。
「終盤」というのは寂しいけれど、「始まり」でもあるのだから楽しもうと思う。

 そういう流れの中で、10日前ほどに大学時代の先輩 まあちゃんに20数年ぶりに会うことが
できた。上野で、水墨画の展覧会に出品しているまあちゃんを、同期のタエとチカで訪ねたか
らだ。

 まあちゃんは、昔のまあちゃんのままだった。
違うのは、お弟子さんから「先生」と呼ばれたりして、上品さと落ち着きを備えていたことだ。
大学時代のまあちゃんは、「てめーなあ・・」と後輩の男子をよく小突いていたものだ。

 人は地位とか年齢とか環境によって影響を受けやすいということがわかっているからこそ、
中身の素の部分が昔のまあちゃんと全然変わっていないことが私はとても嬉しかった。

 結婚してから子供を持つまでの5年間くらい、まあちゃんと毎週のように遊んでいるとき
があった。とても懐かしい。

 お弟子さんの前ではしゃきっとしてなくてはならないのでしょうけれど、次回上京した時は、
是非まあちゃんの泥酔状態が見てみたいと思っている私です。







よほどの悪天候でない限り、平日の朝は、小学校の正門前をハルと一緒に通る。
先生らしき人が門前に立っていて、次々とやって来る生徒たちに「おはようございます。」と
元気な声を立て続けにかけている。先生は通行人への挨拶もないがしろにしない。
最初の頃は言われて返していた私も、最近は殆ど同時にかぶせるように挨拶をするようになった。

それどころか、相手の声の大きさと明瞭さに引きづられ、今では模範的な挨拶ができる大人にな
れたのではないかと思う。早朝大きな声で、「おはようございます!」と明るく言うと、一日が
スムーズに動き出す。

正門を過ぎた所で、向こうからやって来た二人の女の子たちが、すれ違う直前につっと立ち止まった。ひとりの子がもうひとりの子の耳元に、ささやいているのがすれ違いざまに聞こえた。
「2年生になるのは、心配ですか?」

そうか・・6歳か7歳の彼女たちの前に広がる未来は、未知なことだらけで、果てしなく限りない
んだね。予期できる というのは、あらかたの経験があってのことだものね。小学生という初めて
の経験を一年弱やってきた彼女たちの小さな心と頭は、「小学2年生」というまったく未知の世界を想像して、期待と不安でないまぜになっているんだね。

一昨日、偶然にも6才の女の子が主人公の映画、「メイジーの瞳」を観た。

通学中に空を見上げ、電線に引っかかっている凧に気づくと、もう一度振り返って
見てしまうような繊細な女の子、それがメイジー。

でも彼女は、そういう繊細な感情を遮断する方法を、6歳にして覚えてしまっている。
ロックシンガーの母親と美術商の父親が口汚くののしりあい喧嘩を始めると、彼女の表情は
悲しみとか怒りとかではなく、その辛い状況を遠くから客観視するような、何故かな?
ふしぎだな。というような表情になる。

両親の離婚により、メイジーは10日ごとに母親と父親の所を行ったり来たりする生活を
余儀なくされる。10日めごとの移動時に、大人の自分勝手と無責任さから、メイジー
は長い時間ひとりで待たされたり、誰も引き取り手がなく宙ぶらりんになってしまい、見知ら
ぬ人のところで不安な一夜を過ごしたりもするのだ。

それでも、大人に頼って生きていくしかない。彼女は本能的に感じていたに違いない。
母親が再婚した相手、リンカーンが初めて学校にお迎えに来た時も、最初は尻込みするのだが、
いざ一緒に歩き出すと、自分から手を伸ばして手をつなぎ、継父を受け入れるのだ。

父親のビールは、離婚した相手、つまりメイジーの母親であるスザンナがメイジーに送ってきた
花束を、ゴミ箱に捨ててしまう程の子供っぽさ。メイジーはそれに気づいて拾い上げ、クローゼ
ットに隠しておく。しばらくしてビールの再婚相手のマーゴが花束を見つけて尋ねる。

「わからない。」とメイジーは最初嘘をつく。花瓶に生けよう というマーゴに、
「そのまま隠しておいてはだめ?ママからなの。パパが捨てたの。」と事実を話し出す。
「パパはね、お花のアレルギーなの。」と最後にはパパをかばう。

子供は小さな頭をいっぱい使って、大人の混沌を鎮めようとする。

両親のそれぞれの再婚相手だった、リンカーンとマーゴが、メイジーを中心に接近する。
3人で過ごす時間が多くなる。マーゴの膝でうたた寝するメイジーは、何度も薄目を開けて
確かめる。リンカーンとマーゴが仲良く楽しそうに話しているのを。
調和は子供に心の平和を与える。

母親のスザンナが、リンカーンとマーゴのふたりと一緒に暮らしていたメイジーを引取りに
やって来る。
メイジーは、そこで初めて自分の意思を表す。
二人と一緒に居たい。二人と明日ボートに乗るの。

翌日、桟橋を駆け抜けるメイジーの表情には自信と希望がみなぎっていた。

いい映画だったな。メイジー役のオナタアプリールは、衝撃的だった。
演技をしているように見えないのだ。意味がわからない。だってメイジーにしか見えないの
だから。オナタアプリールとしての実生活があることが信じられないのだ。

ちょっと困ったような表情が多かったメイジーが、リンカーンとマーゴと一緒にゲームをしな
がら笑い転げるシーンがある。子供はやはり笑顔が似合う。子供たちは笑顔をたくさん経験する
ように生まれてきているはずなんだ。

子供たちから笑顔を奪うようなことを、大人がするなんて、絶対にあってはならない。




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