日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ここでの書き始めはいつも唐突で、先週のものを読み返すことをしない無計画さでずっとここ
まで来たのだけれど、何を思ったのか先週のを読み返してしまったのね。
「給食のカレー」というのは何と魅力的なワードなんだろう、と感心しながら、いや待てよ、 「お蕎麦屋さんのカレー」というのも同じくらいワクワクしないか・・と思いつく。
勝手気ままな作り方は、にんじん玉ねぎジャガイモ肉類を少し多めの油で炒めた所にカレー粉と
小麦粉 を加えて混ぜ合わせ、なじんだところにブイヨンを溶いたお湯を入れ、とろみがつくまで
煮るのが給食カレー。
そしてブイヨンの代わりにめんつゆを希釈したものを入れるのがお蕎麦屋さんの カレー、と私は呼んでいる。
やっぱりね、ずっとこだわっていたり気取っていたりは疲れの元と思うのね。
ひとつの物事にバリエーションを持たせてそこは乗り切っている。
お酒のこともかいてあったけど、そう言えば梅酒のことを書き忘れていた。
お部屋改造のプロセスでキッチンの棚や引き出しの奥の整理まで及んだら、深い引き出しの奥の
梅酒と対峙してしまった。
3リットル保存ビンに琥珀色の液体が濃度を増した色味で、ビン底に重なり沈む梅と共にひっそ
り呼吸をしていた。5年前くらいに仕込んだもの。
夜寝る前に、ナイトキャップ って言うのかな・・梅酒の炭酸割を最近よく飲んでいる。
あんまりお酒飲まないって先週書いたのに、実は梅酒頻繁に飲んでたわ。
なんかお酒って感覚じゃなかったのね。
梅の実がね、前歯で噛むとすぐ崩れてくれるくらい柔らかくておいしい。
自分のことって一番わからないもんだ・・って言う人がいるけど、私もたぶん同類で、私の
ことがよくわからない。で ちょっと分析してみたのね。
その原因のひとつは 極端であること という自分の性質と大きく関係していると思う。
お金パタッと使わなくなったと思ったら、まあケチになっちゃって、今めちゃ倹約家。
特に食費をどう切り詰めるかに命かけてるみたいに工夫してる。
冷蔵庫の中の食材を効率よくすっからかんにすることがひとつの生きがい。
フードロスなんてもってのほか。
大きな高い家具を次々とポチっていたあの自分と今の自分との共通点が見つからない。
こんなにわからない自分と60年以上も付き合って来たので、意地悪な人でなければ
どんな人とも付き合えるんじゃないかと思う。人の多面性を重視するからね。
木曜日に小学校からの友達 みいちゃんと、娘のお墓に行ってきました。
とてもいいお天気で、お墓に手向けた季節のお花が満面の笑みで風にそよいでました。
やっぱりお昼はハンバークステーキにしてね、みいちゃん、美味しいって喜んでくれた。
木曜日の朝日新聞夕刊の一面に、私の敬愛するラジオ講座の講師、杉田敏先生のお写真と
記事が載っていた。
34年間続いていたNHKのラジオ講座「実践ビジネス英語」が、3月末で終了する。
残すところあと3回のみ。
20年以上愛聴していたヘビーリスナーの私は悲しくて辛くて寂しくてしょうがない。
お会いしたことはないけれど、どんな時も心の支えでした。
これからも勉強続けていきます。
ありがとうございました。
まで来たのだけれど、何を思ったのか先週のを読み返してしまったのね。
「給食のカレー」というのは何と魅力的なワードなんだろう、と感心しながら、いや待てよ、 「お蕎麦屋さんのカレー」というのも同じくらいワクワクしないか・・と思いつく。
勝手気ままな作り方は、にんじん玉ねぎジャガイモ肉類を少し多めの油で炒めた所にカレー粉と
小麦粉 を加えて混ぜ合わせ、なじんだところにブイヨンを溶いたお湯を入れ、とろみがつくまで
煮るのが給食カレー。
そしてブイヨンの代わりにめんつゆを希釈したものを入れるのがお蕎麦屋さんの カレー、と私は呼んでいる。
やっぱりね、ずっとこだわっていたり気取っていたりは疲れの元と思うのね。
ひとつの物事にバリエーションを持たせてそこは乗り切っている。
お酒のこともかいてあったけど、そう言えば梅酒のことを書き忘れていた。
お部屋改造のプロセスでキッチンの棚や引き出しの奥の整理まで及んだら、深い引き出しの奥の
梅酒と対峙してしまった。
3リットル保存ビンに琥珀色の液体が濃度を増した色味で、ビン底に重なり沈む梅と共にひっそ
り呼吸をしていた。5年前くらいに仕込んだもの。
夜寝る前に、ナイトキャップ って言うのかな・・梅酒の炭酸割を最近よく飲んでいる。
あんまりお酒飲まないって先週書いたのに、実は梅酒頻繁に飲んでたわ。
なんかお酒って感覚じゃなかったのね。
梅の実がね、前歯で噛むとすぐ崩れてくれるくらい柔らかくておいしい。
自分のことって一番わからないもんだ・・って言う人がいるけど、私もたぶん同類で、私の
ことがよくわからない。で ちょっと分析してみたのね。
その原因のひとつは 極端であること という自分の性質と大きく関係していると思う。
お金パタッと使わなくなったと思ったら、まあケチになっちゃって、今めちゃ倹約家。
特に食費をどう切り詰めるかに命かけてるみたいに工夫してる。
冷蔵庫の中の食材を効率よくすっからかんにすることがひとつの生きがい。
フードロスなんてもってのほか。
大きな高い家具を次々とポチっていたあの自分と今の自分との共通点が見つからない。
こんなにわからない自分と60年以上も付き合って来たので、意地悪な人でなければ
どんな人とも付き合えるんじゃないかと思う。人の多面性を重視するからね。
木曜日に小学校からの友達 みいちゃんと、娘のお墓に行ってきました。
とてもいいお天気で、お墓に手向けた季節のお花が満面の笑みで風にそよいでました。
やっぱりお昼はハンバークステーキにしてね、みいちゃん、美味しいって喜んでくれた。
木曜日の朝日新聞夕刊の一面に、私の敬愛するラジオ講座の講師、杉田敏先生のお写真と
記事が載っていた。
34年間続いていたNHKのラジオ講座「実践ビジネス英語」が、3月末で終了する。
残すところあと3回のみ。
20年以上愛聴していたヘビーリスナーの私は悲しくて辛くて寂しくてしょうがない。
お会いしたことはないけれど、どんな時も心の支えでした。
これからも勉強続けていきます。
ありがとうございました。
昨日今日といつもより時間をかけて新聞を読んで過ごした。
10年前の震災の記憶を風化させてはいけない・・そういう気持ちはもちろんあったけれど、 それとは別に、自分のために生きるヒントを探していたのだと思う。
新聞を読み進めるうちに、大切な家族を亡くした人達が語る言葉の中に、「思い」とか「想い」という言葉が多く使われていることに気づく。
「・・家にはお母さんの思いがいっぱいあり、僕たちはその中で毎日生きています。 それだけで安心します」
「我が子を想い、今日も一日頑張ろうね・・」
人の死は、その人の実体や具体性を奪い去り、突然の空虚と沈黙、無 を突き付ける。
それであっても その死が大切な人の死であればあるほど、私達はそれをそのまま受け入れる わけにはいかないのだ。
受け入れてしまったら私たちはもうこれ以上生きてはいけない。
生きることを選ぶのなら、何らかの昇華が行われなくてはならない。
で、どうするかというと、私たちは「目に見えるもの」から「目に見えないもの」へと 方向性を移行する。それは単なる過去の記憶とは質を大きく異にする、今なお現在進行形で 漂う「想い」や「思い」なのだと思う。 その精神世界での充実が私たちの生の糧になる。
目に見えるもの 触れられるもの 具体的な実体・・からいったん離れ、それらを見返してみ ると、それらの確実性が今、あいまいにぼやけて見える。
その不確実性の中にいて私たちは、 愛する人の思いを感じ取ろうとする。
自分の想いを届けようとする。
想い 思われ 娘と共に生きて行く。
それが唯一残された、わたしの生きる道
よし、今日はカレーだ!
そう決めた瞬間から私のスイッチが入る。
スパイシーなインドカレーは、玉ねぎの炒め時間がとても長いので覚悟が必要なのだ。
炒め時間を少しでも減らすために、玉ねぎの薄切りにラップをふわりとかけて電子レンジで
チンをする。そんなチートもいれつつ、作業を進めていく。
レシピが特にあるわけではない。
カルダモン コリアンダー ターメリック クミンシード ガラムマサラ レッドペッパー チリペッパー 等、数種のスパイスをその時の気持ちで合わせていく。
いつも出来上がりにバラツキがあるのも楽しみの一つなのだ。
よし、今日はカレーだ!
同じ言葉を使いながら、上記と異なり、余裕満点の場合は、小麦粉たっぷりの「給食のカレー」
を作る時だ。
無性に給食カレーが食べたくなる時がある。
そして何よりも作っている時 食べている時 食べ終わった時の「ほっこり度」が半端ない。
そうは言っても、クミンシードや白ワイン等を少し使ったりもするけれど。
赤ワイン 白ワイン 日本酒 紹興酒 はいつも家に完備していてすべて料理用。
料理用なのだけれど、料理酒 とか 料理用ワイン と書かれているものは買わない。
ワインでも日本酒でも普通に飲める一番安いヤツをチョイスする。
で、私はたまに料理をしながら微量をひっかけて楽しんだりもする。
湯気もあいまって、少量のアルコールに上気して、いい気分になって鼻歌歌いながら 木べらで
鍋をかき回したりしている。
ダンナが下戸で全くお酒を飲まないし、私は飲み会に参加したとしても、最初のビール一杯 だけ
が美味しいと感じるタイプで量は飲めない。
私のお酒人生はこの狭いキッチンの中だけに尽きると言ってもいいかもしれない。
安いボトルの減りはほんの少しづつで、随分と長い間 定位置に鎮座しているけれど。
今月から5つあるヨガクラスのうち3つを再開することができた。
一年ぶりのクラスもあり、少し照れくさかった。
嬉しいのは、皆さんが私のことを心配してくれていて、皆さんでお金を集めて包んで 下さったり
お花やカードをいただいたりもした。
小学校からの親友 みいちゃんから一昨日ラインがきて、来週娘のお墓に一緒に行くことに
なった。 午前中にお墓に行って、お昼家に来てもらおうと思ってる。
お昼何作ろうかな?
和食だったら・・大根ご飯 と 上げ出汁豆腐 と サケのムニエル と お味噌汁
洋食だったら・・ハンバーグ と ミネストローネスープ と サラダ 作ろうかな。
ハンバーグはいろんな作り方試してみて、自分の一番おいしいと思えるものに近づいて 来て
いる・・だからハンバーグにしようかな。
私 取りつかれると同じものを何度でも作るのよ。
チーズケーキも色んな配合で何度も作ってだいぶ固まってきているの。
あれから干し芋も何度か作ったけど、失敗なく美味しく仕上がってます。
さあ 今日もオーケーストアーに行って、食料たくさん買ってこ!
10年前の震災の記憶を風化させてはいけない・・そういう気持ちはもちろんあったけれど、 それとは別に、自分のために生きるヒントを探していたのだと思う。
新聞を読み進めるうちに、大切な家族を亡くした人達が語る言葉の中に、「思い」とか「想い」という言葉が多く使われていることに気づく。
「・・家にはお母さんの思いがいっぱいあり、僕たちはその中で毎日生きています。 それだけで安心します」
「我が子を想い、今日も一日頑張ろうね・・」
人の死は、その人の実体や具体性を奪い去り、突然の空虚と沈黙、無 を突き付ける。
それであっても その死が大切な人の死であればあるほど、私達はそれをそのまま受け入れる わけにはいかないのだ。
受け入れてしまったら私たちはもうこれ以上生きてはいけない。
生きることを選ぶのなら、何らかの昇華が行われなくてはならない。
で、どうするかというと、私たちは「目に見えるもの」から「目に見えないもの」へと 方向性を移行する。それは単なる過去の記憶とは質を大きく異にする、今なお現在進行形で 漂う「想い」や「思い」なのだと思う。 その精神世界での充実が私たちの生の糧になる。
目に見えるもの 触れられるもの 具体的な実体・・からいったん離れ、それらを見返してみ ると、それらの確実性が今、あいまいにぼやけて見える。
その不確実性の中にいて私たちは、 愛する人の思いを感じ取ろうとする。
自分の想いを届けようとする。
想い 思われ 娘と共に生きて行く。
それが唯一残された、わたしの生きる道
よし、今日はカレーだ!
そう決めた瞬間から私のスイッチが入る。
スパイシーなインドカレーは、玉ねぎの炒め時間がとても長いので覚悟が必要なのだ。
炒め時間を少しでも減らすために、玉ねぎの薄切りにラップをふわりとかけて電子レンジで
チンをする。そんなチートもいれつつ、作業を進めていく。
レシピが特にあるわけではない。
カルダモン コリアンダー ターメリック クミンシード ガラムマサラ レッドペッパー チリペッパー 等、数種のスパイスをその時の気持ちで合わせていく。
いつも出来上がりにバラツキがあるのも楽しみの一つなのだ。
よし、今日はカレーだ!
同じ言葉を使いながら、上記と異なり、余裕満点の場合は、小麦粉たっぷりの「給食のカレー」
を作る時だ。
無性に給食カレーが食べたくなる時がある。
そして何よりも作っている時 食べている時 食べ終わった時の「ほっこり度」が半端ない。
そうは言っても、クミンシードや白ワイン等を少し使ったりもするけれど。
赤ワイン 白ワイン 日本酒 紹興酒 はいつも家に完備していてすべて料理用。
料理用なのだけれど、料理酒 とか 料理用ワイン と書かれているものは買わない。
ワインでも日本酒でも普通に飲める一番安いヤツをチョイスする。
で、私はたまに料理をしながら微量をひっかけて楽しんだりもする。
湯気もあいまって、少量のアルコールに上気して、いい気分になって鼻歌歌いながら 木べらで
鍋をかき回したりしている。
ダンナが下戸で全くお酒を飲まないし、私は飲み会に参加したとしても、最初のビール一杯 だけ
が美味しいと感じるタイプで量は飲めない。
私のお酒人生はこの狭いキッチンの中だけに尽きると言ってもいいかもしれない。
安いボトルの減りはほんの少しづつで、随分と長い間 定位置に鎮座しているけれど。
今月から5つあるヨガクラスのうち3つを再開することができた。
一年ぶりのクラスもあり、少し照れくさかった。
嬉しいのは、皆さんが私のことを心配してくれていて、皆さんでお金を集めて包んで 下さったり
お花やカードをいただいたりもした。
小学校からの親友 みいちゃんから一昨日ラインがきて、来週娘のお墓に一緒に行くことに
なった。 午前中にお墓に行って、お昼家に来てもらおうと思ってる。
お昼何作ろうかな?
和食だったら・・大根ご飯 と 上げ出汁豆腐 と サケのムニエル と お味噌汁
洋食だったら・・ハンバーグ と ミネストローネスープ と サラダ 作ろうかな。
ハンバーグはいろんな作り方試してみて、自分の一番おいしいと思えるものに近づいて 来て
いる・・だからハンバーグにしようかな。
私 取りつかれると同じものを何度でも作るのよ。
チーズケーキも色んな配合で何度も作ってだいぶ固まってきているの。
あれから干し芋も何度か作ったけど、失敗なく美味しく仕上がってます。
さあ 今日もオーケーストアーに行って、食料たくさん買ってこ!
ムーミンが表紙の「5年日記」を買って書き始めたのがちょうど一年前の今日。
今日から二年目の段に入る。
毎日、「一年前の今日」に自分が何をして何を考えていたのかを知ることは、去年の10月に
娘を亡くした私にとって、悲しみや辛さをなぞっていくようなものにも思える・・・けれど、
パラパラとめくってざっくり読んでみると、大部分が淡々とその日のことについて書かれている
だけで、思ったほど悲しみとか辛さに満ち溢れているわけではない。
去年の今日は慈恵医大に治験の可能性を求めて訪れたことが書かれている。
そしてそれとはまったく違った調子で ある人に向けて、おめでとう という言葉も書かれて
あった。
ホント綺麗になったね。すごいなって思う。脱帽です。
自分も見習って綺麗でいたいなって思うけど、やっぱり若さと深く重なり合う部分の美しさは、
ある程度諦めて追及するのをやめました。じゃないと不自然な人になりそうで。言い訳かな?
たまにネイルを楽しんだり美容院にも2か月に一回位行くようにしてるけど、基本徹底しきれ
ないというか美容にマメになれないタイプなのです。
先日も美容院に行ってカットしてもらった後 家で、もうちょっと前髪短かった方がよかった
かな・・と思ったら次の瞬間には洗面所のハサミでジョキリと切っちゃって。
今私 往年の「鳳啓助(おおとりけいすけ) さん」みたいになってます。
若い人にはわかんないよね・・
やっちゃった・・って思うけど別にいいやってそのまま平気で外出してる。
元々山猿のような女の子だったのよ。
粗野で、ずっと長ぐつはいて遊んでいるような。
三つ子の魂百まで・・っていうから、荒くてぞんざいな部分は私のコアな部分に今でも大きく
あぐらをかいているはずだからしょうがないのよね。
でもあの山猿の成れの果てにしては、割としっとりと暮らしていると思う。
今思うと小学校の家庭科の時間にカルチャーショックを受けた時から、少しずつ変化を遂げて
来たんだと思う。
洋服にブラシをかける など、こまめなお手入れ方法を家庭科の時間に勉強していた。
山猿にとっては未知の世界であった。
コートの縫い目の部分に柔らかなブラシがあてられて、先生がブラシのかけ方の見本を
示してくれる。私はポカンと口を開けて先生の動きを目で追っていたと思う。
細やかさ とか 丁寧さに 山猿が初めて出会った瞬間であった。
たぶん家の母親だってブラシくらいかけていたと思う。
でも母親ってやっぱり日常の当たり前の風景になじみ過ぎて、申し訳ないけど見過ごしてい
たんだと思う。
最近「ハタキ」の良さを見直して、外国製のハタキを購入した。
ハタキというより大きな筆みたいで繊細な物でも傷をつけない。
きっとこのハタキも、あのカルチャーショックのあの時間とどこかで繋がっているんだと思う。
甘いものが大好きで、今週はチーズケーキにアップルパイと高カロリー高脂肪のものを
立て続けに作ってはニコニコしている。
充分わかっているのよ。こんなものたくさん食べたら今の年齢には殺人的リスクだって。
でもやめられない。とりあえず自分で作ると、パイ生地には100グラムのバターが織り込ま
れている・・とか、砂糖もどんだけ~?・・とか自覚できるから、考えながら食べたり、人に
あげたり冷凍したりしながら、大丈夫 と無理に納得してる。
昔々妊娠中に医者から甘いものを禁止されて、私は吉祥寺のサンロードの喫茶店の前で
大きな臨月のお腹を抱えてしくしく泣いた経験があるの。
ウィンドウにあったチョコレートパフェの食品見本が私をこんなにも悲しくさせたのだ。
赤ちゃん産めば好きなだけ食べれるよ・・なんて言われたってその時の私にはまったく慰め
にならなかった。食べたくて食べたくてしょうがなかったのだ。そんなんでよくお母さんにな
れたと思う。
場所を貸してくれるところからヨガのクラスを再開した。
やっぱり私はこの仕事がすごく好きだなって思う。
無収入の時にたくさんお金を使って自分の貯金残高が明らかに減った。
でも全然後悔していない。模様替えした自分の家が今この上なく心地良い。
収入あるってやっぱりいいな。
私は食費とハル君にかかわる出費の担当を申し出ようと思う。
自分の稼いだお金で食事の材料を買い、愛するハルのためにお金を使うのは、私にとって
これ以上ないってくらい気持ちがいい。
15年以上前に、3人のお子様の家庭教師を約10年間という長い期間任せていただいた
Tさんからチューリップをたくさんいただいた。
もう春ですね。
今日から二年目の段に入る。
毎日、「一年前の今日」に自分が何をして何を考えていたのかを知ることは、去年の10月に
娘を亡くした私にとって、悲しみや辛さをなぞっていくようなものにも思える・・・けれど、
パラパラとめくってざっくり読んでみると、大部分が淡々とその日のことについて書かれている
だけで、思ったほど悲しみとか辛さに満ち溢れているわけではない。
去年の今日は慈恵医大に治験の可能性を求めて訪れたことが書かれている。
そしてそれとはまったく違った調子で ある人に向けて、おめでとう という言葉も書かれて
あった。
ホント綺麗になったね。すごいなって思う。脱帽です。
自分も見習って綺麗でいたいなって思うけど、やっぱり若さと深く重なり合う部分の美しさは、
ある程度諦めて追及するのをやめました。じゃないと不自然な人になりそうで。言い訳かな?
たまにネイルを楽しんだり美容院にも2か月に一回位行くようにしてるけど、基本徹底しきれ
ないというか美容にマメになれないタイプなのです。
先日も美容院に行ってカットしてもらった後 家で、もうちょっと前髪短かった方がよかった
かな・・と思ったら次の瞬間には洗面所のハサミでジョキリと切っちゃって。
今私 往年の「鳳啓助(おおとりけいすけ) さん」みたいになってます。
若い人にはわかんないよね・・
やっちゃった・・って思うけど別にいいやってそのまま平気で外出してる。
元々山猿のような女の子だったのよ。
粗野で、ずっと長ぐつはいて遊んでいるような。
三つ子の魂百まで・・っていうから、荒くてぞんざいな部分は私のコアな部分に今でも大きく
あぐらをかいているはずだからしょうがないのよね。
でもあの山猿の成れの果てにしては、割としっとりと暮らしていると思う。
今思うと小学校の家庭科の時間にカルチャーショックを受けた時から、少しずつ変化を遂げて
来たんだと思う。
洋服にブラシをかける など、こまめなお手入れ方法を家庭科の時間に勉強していた。
山猿にとっては未知の世界であった。
コートの縫い目の部分に柔らかなブラシがあてられて、先生がブラシのかけ方の見本を
示してくれる。私はポカンと口を開けて先生の動きを目で追っていたと思う。
細やかさ とか 丁寧さに 山猿が初めて出会った瞬間であった。
たぶん家の母親だってブラシくらいかけていたと思う。
でも母親ってやっぱり日常の当たり前の風景になじみ過ぎて、申し訳ないけど見過ごしてい
たんだと思う。
最近「ハタキ」の良さを見直して、外国製のハタキを購入した。
ハタキというより大きな筆みたいで繊細な物でも傷をつけない。
きっとこのハタキも、あのカルチャーショックのあの時間とどこかで繋がっているんだと思う。
甘いものが大好きで、今週はチーズケーキにアップルパイと高カロリー高脂肪のものを
立て続けに作ってはニコニコしている。
充分わかっているのよ。こんなものたくさん食べたら今の年齢には殺人的リスクだって。
でもやめられない。とりあえず自分で作ると、パイ生地には100グラムのバターが織り込ま
れている・・とか、砂糖もどんだけ~?・・とか自覚できるから、考えながら食べたり、人に
あげたり冷凍したりしながら、大丈夫 と無理に納得してる。
昔々妊娠中に医者から甘いものを禁止されて、私は吉祥寺のサンロードの喫茶店の前で
大きな臨月のお腹を抱えてしくしく泣いた経験があるの。
ウィンドウにあったチョコレートパフェの食品見本が私をこんなにも悲しくさせたのだ。
赤ちゃん産めば好きなだけ食べれるよ・・なんて言われたってその時の私にはまったく慰め
にならなかった。食べたくて食べたくてしょうがなかったのだ。そんなんでよくお母さんにな
れたと思う。
場所を貸してくれるところからヨガのクラスを再開した。
やっぱり私はこの仕事がすごく好きだなって思う。
無収入の時にたくさんお金を使って自分の貯金残高が明らかに減った。
でも全然後悔していない。模様替えした自分の家が今この上なく心地良い。
収入あるってやっぱりいいな。
私は食費とハル君にかかわる出費の担当を申し出ようと思う。
自分の稼いだお金で食事の材料を買い、愛するハルのためにお金を使うのは、私にとって
これ以上ないってくらい気持ちがいい。
15年以上前に、3人のお子様の家庭教師を約10年間という長い期間任せていただいた
Tさんからチューリップをたくさんいただいた。
もう春ですね。
家には『じいじいズ』というおかしな二人、いや正確には一人と一匹がいる。
こヤツラが仲がいいというか人間と犬なのに性格がめっちゃ似ているというか、ちょっと不思議 な組み合わせなのである。
60を超えた彼らは、お互い立派な老人老犬であり、強度の人見知り犬見知りと来ている。
それぞれ人間嫌い犬嫌いと言っても差し支えないほどの、必用最低限のコミュニティとしか 関わらない。
そればかりでなく、犬の方はもしかしたらもう自分が犬であることを忘れているのかもしれない。
犬は名前をハルという。
散歩は好きなんだけど、他の犬に出会うことをとても嫌う。
しっぽを振り振り行進していた今までの軽快なリズムが、遠くに見える犬の出現でピタッと 止まってしまう。 途端にしっぽがひゅーんと下がり始め、動かなくなる。
そういう時は私もハルに付き合う。
地べたに近い位置で固まっているハルを上から見る。
どのように敵を避けようかと考え中の小さな頭が可愛い。
面白いのはすべての犬に同じ対応をするわけではないという所。
どうもハルは相手のエネルギーの種類と量を見定めているような気がする。
本当に稀なケースであるけれど、中にはお互いのお尻の匂いを嗅ぐという、お友達になりま
しょう 的なコミニュケーションを取れる時もあるのだ。その基準はわんこの大きさにはあまり
関係ないようで、何だろう・・やっぱり挑戦的なのは苦手みたいね。
でもたいていの場合は精いっぱい回避して大きな放物線を描きながらその場を切り抜ける。
さて『じいじいズ』の相手を日常的にしている私が知らずと行き着くところは、私が彼らの
友人であり恋人であり母であり・・つまり私が彼らのコミュニティそのものだってことに
最近気づいてしまった。
だから先に死ねないなって思うの。ア~大変・・
それにしてもハルを散歩していて思うのだけれど、なぜわんこの”落とし物”を拾わないで置い
たままその場を去れる人がいるのかが私には訳がわかんない。
私は『じいじいズ』ではないので、けっこうたくさんのコミュニティに属しているけれど、避け
たいのはこのタイプ。私の属しているコミュニティの人達に、そんな人はいないと思い
たい。
粗大ごみの不法投棄をしたり犬の落とし物を拾わない人・・厄介だなと思う。
こそこそしてて、人が見ているところと見ていないところの差がメチャ大きくて、人の迷惑顧
みず自分だけ良ければよくて、ケチで・・って、これだけのことですべて見えてくると思う。
ア~やだ。
ア~やだ。で終えるのもなんなんで、このネット社会のアドバンテージについて語りたいな。
なんちゃって・・。
でもね冗談じゃなく何でもすぐ情報手に入れられて重宝してます。
便利だわってほんと思う。
成城石井で干し芋を買ってから、その美味しさと値段の高さにびっくり。
なんとか自分で作れないかってネット検索したら・・ありました!
そっかあ・・・炊飯器の玄米モードを使うのね。
丸ごと炊飯器で炊いて、皮むいて5ミリ厚さに斬って天日干し2日間・・で完成!
成城石井に勝るとも劣らない甘くておいしい干し芋ができました!
ネットってありがたい。宝石のような情報に難なくアクセスできる。
ネットが無ければ、玄米モードにたどり着くまでに相当な時間を費やさねばならなかった
と思うから。
もう一つ最近ネットで調べたことは、お人形さんのためのミニチュア着物の作り方、そして
型紙。
私がまだ一歳になってない頃に親が買ってくれたパーマちゃんというお人形を、今も大切に
している。急にね、パーマちゃんに着物を作ってあげたくなってしまって検索したのです。
チクチク手縫いで縫おうと思っているの。時間かかると思うけど。
そう、バランスって大切だと思う。ほんの数秒で情報を得ても、それを基にとてもアナログな
手縫いをすることで、バランス取れそうな気がして。
よくわかんないけど。
さ、干し芋食べて散歩しに行こ。
こヤツラが仲がいいというか人間と犬なのに性格がめっちゃ似ているというか、ちょっと不思議 な組み合わせなのである。
60を超えた彼らは、お互い立派な老人老犬であり、強度の人見知り犬見知りと来ている。
それぞれ人間嫌い犬嫌いと言っても差し支えないほどの、必用最低限のコミュニティとしか 関わらない。
そればかりでなく、犬の方はもしかしたらもう自分が犬であることを忘れているのかもしれない。
犬は名前をハルという。
散歩は好きなんだけど、他の犬に出会うことをとても嫌う。
しっぽを振り振り行進していた今までの軽快なリズムが、遠くに見える犬の出現でピタッと 止まってしまう。 途端にしっぽがひゅーんと下がり始め、動かなくなる。
そういう時は私もハルに付き合う。
地べたに近い位置で固まっているハルを上から見る。
どのように敵を避けようかと考え中の小さな頭が可愛い。
面白いのはすべての犬に同じ対応をするわけではないという所。
どうもハルは相手のエネルギーの種類と量を見定めているような気がする。
本当に稀なケースであるけれど、中にはお互いのお尻の匂いを嗅ぐという、お友達になりま
しょう 的なコミニュケーションを取れる時もあるのだ。その基準はわんこの大きさにはあまり
関係ないようで、何だろう・・やっぱり挑戦的なのは苦手みたいね。
でもたいていの場合は精いっぱい回避して大きな放物線を描きながらその場を切り抜ける。
さて『じいじいズ』の相手を日常的にしている私が知らずと行き着くところは、私が彼らの
友人であり恋人であり母であり・・つまり私が彼らのコミュニティそのものだってことに
最近気づいてしまった。
だから先に死ねないなって思うの。ア~大変・・
それにしてもハルを散歩していて思うのだけれど、なぜわんこの”落とし物”を拾わないで置い
たままその場を去れる人がいるのかが私には訳がわかんない。
私は『じいじいズ』ではないので、けっこうたくさんのコミュニティに属しているけれど、避け
たいのはこのタイプ。私の属しているコミュニティの人達に、そんな人はいないと思い
たい。
粗大ごみの不法投棄をしたり犬の落とし物を拾わない人・・厄介だなと思う。
こそこそしてて、人が見ているところと見ていないところの差がメチャ大きくて、人の迷惑顧
みず自分だけ良ければよくて、ケチで・・って、これだけのことですべて見えてくると思う。
ア~やだ。
ア~やだ。で終えるのもなんなんで、このネット社会のアドバンテージについて語りたいな。
なんちゃって・・。
でもね冗談じゃなく何でもすぐ情報手に入れられて重宝してます。
便利だわってほんと思う。
成城石井で干し芋を買ってから、その美味しさと値段の高さにびっくり。
なんとか自分で作れないかってネット検索したら・・ありました!
そっかあ・・・炊飯器の玄米モードを使うのね。
丸ごと炊飯器で炊いて、皮むいて5ミリ厚さに斬って天日干し2日間・・で完成!
成城石井に勝るとも劣らない甘くておいしい干し芋ができました!
ネットってありがたい。宝石のような情報に難なくアクセスできる。
ネットが無ければ、玄米モードにたどり着くまでに相当な時間を費やさねばならなかった
と思うから。
もう一つ最近ネットで調べたことは、お人形さんのためのミニチュア着物の作り方、そして
型紙。
私がまだ一歳になってない頃に親が買ってくれたパーマちゃんというお人形を、今も大切に
している。急にね、パーマちゃんに着物を作ってあげたくなってしまって検索したのです。
チクチク手縫いで縫おうと思っているの。時間かかると思うけど。
そう、バランスって大切だと思う。ほんの数秒で情報を得ても、それを基にとてもアナログな
手縫いをすることで、バランス取れそうな気がして。
よくわかんないけど。
さ、干し芋食べて散歩しに行こ。
愛する娘を失った私にとって、泣くという行為は日常のことだ。
人間が流す平均的な一生の涙量の、おそらく何十倍もの量を流すような人生になってしまった。
その時々で泣き方が色々で、さめざめと泣くときもあれば 声も出さずにただ涙だけが頬を伝う だけの時もある。
先週私は今までにない泣き方を体験して自分を驚かせた。
やだ。絶対いや・・怖い怖い怖い・・と頭をぶんぶん振りながら、子供のように泣きじゃくった のだ。
原因はハルの不調で、いつも元気いっぱいのハルがお腹がゆるくなり2,3度ほど吐いたという だけのこと。
今の私の最大の弱点は、大切な存在である対象の具合が悪くなることだ。 それ以外のことならば、どんなに辛いであろうことも不感症気味にいられる自信があるのだけ れど。
数週間後には元気になってるだろうと思いながら、具合の悪くなり始めた娘の看病をいそいそと していた自分を思い出すと痛々しい。そこから最も過酷で最も悲しい 死 へと結びつくなんて これっぽっちも思っていなかったあの頃の私。
だから今 ハルが吐いただけでハルの死を想像し泣きじゃくる。
自分の知らないうちに自分の心の中に、柔らかく繊細で壊れやすい部分を抱え込んでしまった ようだ。そしてそこに触れられたら 私は一巻の終わりだ。
ありがたいことにハルはすぐに回復し今は元気に跳ね回ってくれている。
このままの中にできるだけずっといたい。
もう何も失いたくない。私から何も奪わないで。
鬱状態の2か月程の間、閉じた切りであったスカイプも再開できて、最近は気づけば毎日の
ようにフィリピンのチューターと英語で話をしている。
なんかね、最近彼らによく言われることですごい嬉しいことがあるの。
なだめる 鎮める 落ち着かせる みたいな意味の soothe (スーズ) calm(コーム) という
英単語を、今まで何人ものチューターが私の声を表現するのに使ってくれた。
あなたの声を聴いているととても穏やかな気持ちになって落ち着く・・みたいなことを
本当によく言われるのだ。
一人のチューターなんか言うことが大げさで、私がアーティクルを音読しているのを聴いた
後に、
「あなたの音読はただの記事さえも素敵な物語を聴いているような気にさせてくれて、平和な
世界に誘ってくれる」だって。
嬉しくないはずがないでしょ?
声って年を取るごとに低くなっていくはずなのに、私の場合あんまり昔と変わらない。
つまり年にそぐわない声をしている。でも声質はそんなに変わらなくても声に年輪が加味されて
少しは柔らかみ丸みを帯びてきているんだと思う。だからなのかな。
可愛らしい声 とか 綺麗な声 っていわれるよりも、「SOOTHING VOICE」がめちゃ
嬉しい!
ヨガの生徒さんから電話があって、みんなしびれを切らしてます。3月からまたお願いします・・・と言っていただき、あと3月まで十日足らず、最後の調整に入ろうと思ってる。
調整って言ったってたいしたことしなくて、体を中心軸に集めるだけで特別なことはしない。
でも来週は美容院にも行ってネイルも数か月ぶりにしちゃおうかなって思ってる。
ネイルは気持ちが上がるのよ。爪がきれいだと、その都度指先見てはニコッとしてしまう。
お肌の手入れも少し念入りにしよう。
娘の早希の遺品にフェイスローラーがあって、しもぶくれの頬っぺたを一日一回はそれで
くるくるしている。
「これ早希ちゃんからもらったの・・」と自慢げにフェイスローラをだんなに見せびらかすと、
だんなは向こうを張りたくなったのか、
「わしだって早希ちゃんの赤いブラシもらった・・」と言ってきた。
「・・・いや・・それ勝手に使って早希に嫌がられたヤツじゃん・・」と私が応戦する。
あれは 早希がまだ私たちと一緒に住んでいたころ、彼女が赤いブラシを使っていて洗面所に
おいてあった。早希専用のブラシだ。
ある日私が洗面所のドアを開けると、赤いブラシで少な目の髪の毛をといているダンナを目撃
してしまう。
「早希ちゃん知ったら怒るよ~」と私は焦って言ったのだが、大丈夫。ばれないから・・
とダンナはいたずらっぽい目をして笑っていた。
また別のある日に私はささいなことで早希と口論になり、口達者な早希に負けそうになった
時、とっさに言ってしまったのだ。
「パパね、早希の赤いブラシ使ってるよ・・知らなかったでしょ?ふん、いい気味。」
悪魔の私。
早希が何も言い返せずにした複雑な表情を今でも覚えている。
小さなものにも大切な思い出がある。
私はそれと共に生きていく。
人間が流す平均的な一生の涙量の、おそらく何十倍もの量を流すような人生になってしまった。
その時々で泣き方が色々で、さめざめと泣くときもあれば 声も出さずにただ涙だけが頬を伝う だけの時もある。
先週私は今までにない泣き方を体験して自分を驚かせた。
やだ。絶対いや・・怖い怖い怖い・・と頭をぶんぶん振りながら、子供のように泣きじゃくった のだ。
原因はハルの不調で、いつも元気いっぱいのハルがお腹がゆるくなり2,3度ほど吐いたという だけのこと。
今の私の最大の弱点は、大切な存在である対象の具合が悪くなることだ。 それ以外のことならば、どんなに辛いであろうことも不感症気味にいられる自信があるのだけ れど。
数週間後には元気になってるだろうと思いながら、具合の悪くなり始めた娘の看病をいそいそと していた自分を思い出すと痛々しい。そこから最も過酷で最も悲しい 死 へと結びつくなんて これっぽっちも思っていなかったあの頃の私。
だから今 ハルが吐いただけでハルの死を想像し泣きじゃくる。
自分の知らないうちに自分の心の中に、柔らかく繊細で壊れやすい部分を抱え込んでしまった ようだ。そしてそこに触れられたら 私は一巻の終わりだ。
ありがたいことにハルはすぐに回復し今は元気に跳ね回ってくれている。
このままの中にできるだけずっといたい。
もう何も失いたくない。私から何も奪わないで。
鬱状態の2か月程の間、閉じた切りであったスカイプも再開できて、最近は気づけば毎日の
ようにフィリピンのチューターと英語で話をしている。
なんかね、最近彼らによく言われることですごい嬉しいことがあるの。
なだめる 鎮める 落ち着かせる みたいな意味の soothe (スーズ) calm(コーム) という
英単語を、今まで何人ものチューターが私の声を表現するのに使ってくれた。
あなたの声を聴いているととても穏やかな気持ちになって落ち着く・・みたいなことを
本当によく言われるのだ。
一人のチューターなんか言うことが大げさで、私がアーティクルを音読しているのを聴いた
後に、
「あなたの音読はただの記事さえも素敵な物語を聴いているような気にさせてくれて、平和な
世界に誘ってくれる」だって。
嬉しくないはずがないでしょ?
声って年を取るごとに低くなっていくはずなのに、私の場合あんまり昔と変わらない。
つまり年にそぐわない声をしている。でも声質はそんなに変わらなくても声に年輪が加味されて
少しは柔らかみ丸みを帯びてきているんだと思う。だからなのかな。
可愛らしい声 とか 綺麗な声 っていわれるよりも、「SOOTHING VOICE」がめちゃ
嬉しい!
ヨガの生徒さんから電話があって、みんなしびれを切らしてます。3月からまたお願いします・・・と言っていただき、あと3月まで十日足らず、最後の調整に入ろうと思ってる。
調整って言ったってたいしたことしなくて、体を中心軸に集めるだけで特別なことはしない。
でも来週は美容院にも行ってネイルも数か月ぶりにしちゃおうかなって思ってる。
ネイルは気持ちが上がるのよ。爪がきれいだと、その都度指先見てはニコッとしてしまう。
お肌の手入れも少し念入りにしよう。
娘の早希の遺品にフェイスローラーがあって、しもぶくれの頬っぺたを一日一回はそれで
くるくるしている。
「これ早希ちゃんからもらったの・・」と自慢げにフェイスローラをだんなに見せびらかすと、
だんなは向こうを張りたくなったのか、
「わしだって早希ちゃんの赤いブラシもらった・・」と言ってきた。
「・・・いや・・それ勝手に使って早希に嫌がられたヤツじゃん・・」と私が応戦する。
あれは 早希がまだ私たちと一緒に住んでいたころ、彼女が赤いブラシを使っていて洗面所に
おいてあった。早希専用のブラシだ。
ある日私が洗面所のドアを開けると、赤いブラシで少な目の髪の毛をといているダンナを目撃
してしまう。
「早希ちゃん知ったら怒るよ~」と私は焦って言ったのだが、大丈夫。ばれないから・・
とダンナはいたずらっぽい目をして笑っていた。
また別のある日に私はささいなことで早希と口論になり、口達者な早希に負けそうになった
時、とっさに言ってしまったのだ。
「パパね、早希の赤いブラシ使ってるよ・・知らなかったでしょ?ふん、いい気味。」
悪魔の私。
早希が何も言い返せずにした複雑な表情を今でも覚えている。
小さなものにも大切な思い出がある。
私はそれと共に生きていく。
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