先週から半袖が長袖になり、しとしと雨降る今日などは じっとしているとそれでもまだ
少し肌寒くて、この季節初めてのカーディガンを羽織った。
3日おきに淹れていた水出しコーヒーの器具を エアーパッキンで包んでしまいこみ、
夏の間存分に休憩してもらっていたコーヒーマシンが活躍し始めた。
絶対に体と美容にいい・・と勝手に信じて毎日飲んでいる、
「レモン汁半個分&黒糖ショウガパウダー大匙一杯の炭酸水割+氷たっぷり」
も今日からホットに変えた。
器もガラスのものから陶器の出番が多くなった。
今朝はかぼちゃと少々の玉ねぎ、シイタケを入れたポタージュスープを作って
朝ごはんに添えた。湯気がじんわり嬉しい季節。
自然に身を置くことで、季節の移り変わりを圧倒的に感じることができるけれど、私は
自分の暮らしのささやかな変化にしみじみとそれを感じ取ってます。
家から車で5分の地域ケアプラザで毎週月曜日にしているヨガクラスが10年目を迎え
たようだ。
クラスが始まる前に 一人の生徒さんが皆さんを代表して、
「10周年のアニバーサリーに横浜の夜景の綺麗なレストランでお祝いしましょう!」
と私に持ち掛けてくれた。
もちろん私は二つ返事でOKした。
それにしても、あれからもう10年経ったんだ・・と感慨深い。
結婚して以来、家庭教師や塾の先生を何十年もしていたのに、56歳の時に思い立って
資格をとるべくヨガ道場的な所に半年通い、そのあとママ友を集めたクラスを立ち上げた
のがきっかけだ。
その時に開いた3つのクラスがいまだに続いていることが奇跡に近い。
ヨガの先生は自分の天職だと確信している。
英語の先生がそうでないというのもあれだけど、受験戦争に手を貸している感じがして
いて少し違和感があったの。
去年始めた私のセカンドジョブ、ペットシッターも、いつの間にか1年3か月も
経っている。
実際 この年齢になっても異種業への転職に私は抵抗がない。
今だってもっとやりたいことがあったら転職する可能性がある。
私の趣味のひとつにシナリオを書くことがあった。
娘が病気になる前の数年間、シナリオスクールに通っていたことがあったのだ。
まったくの真っ白な状態から自分の世界を作り上げていくことに夢中になっていた。
娘を失くしてから、ドラマよりもドラマチックな悲劇を実生活で経験してフィクション
を書くことがまったくできなくなってしまった。
でも今になってやっとまた何か書き始めようかなって思っている。
好きな俳優さんを思い浮かべて、頭の中 心の中で動かし、人や出来事と絡ませてみたい。
そうやってシナリオをあてがきする っていうことを趣味として始めようかなって。
なかなかいい趣味だと自負してる。
来世がもしもあるのだとしたら、若いうちから精進してシナリオライターになるのも
いいな。
11月にジャズボーカルのクラスがイベントに参加するので、今 家で歌をたくさん
歌っている。朝散歩のときにも練習してる。
歌詞を覚えなきゃならないし。
Fly me to the moon Tennessee Waltz Smile Autumn leaves It's only a paper moon
You'd be so nice to come home to White Christmas
の6曲を練習しているの。
・・とここまで書いてみて、
こんなことずらずら書いてあると、なんかすごい「リア充」のイメージが沸き上がって
私の人生 楽しそうに聞こえるかもしれないよね。
安心してください!!!
私はいつも心が がらーん としてます。
鬱と隣り合わせです。
毎日めちゃだるいです!
生きなきゃいけないから生きてます!
楽しいと思ってやってること あまりないです。
何が幸せかって言ったら、お家で食べるご飯がおいしいこと・・かな。
それくらい。
声の高さや顔の表情、私のまとう雰囲気?から誤解をされて、活き活きしているように
見えがちなのは今までの経験で十分自覚している。
私が書く文章もそういう印象を放ってしまうかもしれないので、ちゃんと正直に本当の
ことを言っておきたいです。
実際 ぐちゃぐちゃと 毎日生きてます。
それが私です。
JAでコスモスの花束を見つけて買ってきた。
今は紛れもなく 秋 なのね。
突然 今日消えたのだ。
がらーんとして 名残だけがそこにあった。
誰かの仕業なのか。
大自然の神様が夏の高ぶりをびっしり詰めた「セミBOX」なるものを
ごっそりどこかへ持ち去ってしまったのか。
この夏中のすべてのセミが、最後のひと鳴きを振り絞り、力尽きて命を手放し、
土へとふんわり落ちる様子を思い描いてみる。
無数のセミの死骸が土の上に転がっているはずだ。
セミの死骸が土へと同化する過程のそのお隣で、来年に、もしくは数年後にこの地上
に這い上がってくるはずのセミの幼虫たちが 息をひそめているはずだ。
何ということだろう!
この輝かしい生命の繰り返しに 思わず私は瞼を閉じてしまう。
人に出会う って素敵なことよね。
初めての人に会う素晴らしさもさることながら、私は最近「再会」の重みと素晴らしさを
感じている。人だけでなく動物にも。
ペットシッターとして長期でお散歩の仕事をしたことのあるゴールデンレトリバーの
ロカちゃんの飼い主さんから、リピートで新たなお仕事を頂いた。
今回は短期だけど4日間の朝晩の散歩だった。
もうすでに昨日の朝終了してしまったのだけれど、期間を置いてからの再会は、
多幸感を思い切りあふれさせてしまった。
ロカちゃんもしっかり私を覚えていてくれてて、大きな体を揺さぶりながら喜びを
表してくれた。
中国語の さようなら (サイチェン) は、「再見」と書いて「またお会いしましょう」
という意味が含まれているんでしょ。素敵だな って思って、今好きな言葉の一つです。
相変わらず熱を上げていることは変わらなくて、でも言葉にしてしまうと何かおとな気
なくて自分でも怖いから ちょっと控えようと思う。
人を好きになるってどういうことなんだろう。
好きな人達から 私はとてもいいエネルギーをもらっていると思います。
年齢って関係ないと思う。
私は彼らからたくさんのことを学ばさせてもらっているのです。
もちろん雨が降ったりとか天候のせいもあるけれど、モチベーション自体が
下がっているのだと思う。
それでも公園に着いてしまえば、煩雑な心の動きは遠のき、自然空間に招き抱かれて、
平らかで穏やかなニュートラルな時間を過ごせるのがいい。
ベンチに座ってぼーっとしてたら、黄緑色がぎっしり詰まった芝生すれすれに、
モンキ蝶のひらひらした動きが視界に入って来た。
その1mほど上には何匹かのとんぼがホバリングしていた。
そんな映画のワンシーンのような のどかで牧歌的な景色を楽しんでいたら、
左の上空から漆黒のカラスが羽ばたき、その情景に、斜めの直線を描いた。
チョウチョもとんぼもカラスも みんな 飛んでいる。
当たり前のように空中を浮遊したり横切ったりしている。
その世界で唯一飛べない私は、重い鎖を足首に感じ、自分がとても愚かな生き物のように
思えた。
光石研さんや小林薫さんが出ている「夏美のホタル」という映画を観て、やっぱり
彼ら好きだなあ・・いい役者さんだなあ・・って思っているのは、別に変ではないと思う。
妥当なんだと思う。
でも67歳になった私が20代30代のアイドルや役者さんを追うのは、自分としても
一体どういうことなのだろう?と思っているところがある。
でも最近わかってきたの。
ずっと この気持ちは何かに似ている、と思っていたのだけど、気持ちの正体がやっと
わかった。今は亡き愛犬ハルに対する愛情に似ているんだ。
ハルに対する愛情はもちろん恋愛ではない。
でも恋愛に匹敵するくらい・・いやそれ以上かもしれない・・
可愛くてしょうがなくて本当に心から愛おしい気持ちなのだ。
ハルは私の身近に居てくれたから、具体的な愛情をお世話することで届けたり、
大好き って言葉をしょっちゅう放ったり、わしゃわしゃしたり頬ずりしたり
していた。
そういう具体的なことは別にして、ハルに対する気持ちと彼らに対する気持ちの精神状態
がすごく似ているって発見できた。
同じドラマ&映画「美しい彼」を何度も観ている。
ドラマにハマる ではなくて「沼った」のは初めてのことで、こんなに同じドラマや映画
を何回も観たことが今までにない。
もう今では主人公 平良の家のインテリアやひとつひとつの小物にまで精通している。
平良のお母さんはパッチワークや洋裁が趣味で、古い型のミシンを使っていたのね。
そのミシンが平良と清居が同棲生活を始めたシーズン2では茶の間から消え、代わりに
新しいソファが置かれている。
ミシンはどこ行ったのだろう?と探していたら、どうやら清居の衣裳部屋に移動したらしい。
・・みたいに。
怖いでしょ? めっちゃオタクになってる。
私のことですから、もちろん役者さんの他の映画やドラマを観まくったのは言うまでもない。
なので現在無料体験のサブスクを4個もしてます。
これは「沼った」わけではないけど、一昨日クレヨンしんちゃんの映画を飛ばし飛ばし
観た。
なぜかと言うとね、夏前に激安サイトでクレヨンしんちゃんの靴下を買い、この夏中
それだけしか履いてこなかったからだ。
お世話になった意味も込めて、ちゃんと彼らを認識しなきゃと思ったのだ。
靴下は、かすかべ防衛隊の隊員 しんちゃん 風間君 マサオ君 ねねちゃん ボーちゃん
の5種類で、一足70円くらいのお買い得だったのにすごく丈夫で、2か月履きつづけても
まだ大丈夫。
靴下まで見ている人っているのね。
びっくりしたよ。
公園でムギちゃん(柴犬)ママに「あ、クレヨンしんちゃん!」
と足元を突然指さして言われた。
中国の激安サイトで買ったの・・と言う私に、
「お洒落だね」とムギちゃんママがなぜか言ってくれた。
クレヨンしんちゃん と お洒落 ってまったくかみ合わないような気がしたけど、
食い下がってもなんだからそこはスルーした。
私が観たのは「クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記」というので、
恐竜の赤ちゃんのキャラクター ナナがめちゃんこ可愛い。
頭にピンクのお花が咲いているみたいな子なの。
可愛いでしょ?
あとね、関テレ動画も無料サブスクしてるので、久しぶりに草彅剛さんのドラマ
「僕の歩く道」を全部観た。
放映されていた時も観てたけどほとんど中身を忘れていた。
すごくいいドラマだった。
精神的にキューっとなって きつくなっている人にお勧めです。
つよぽん演じる自閉症のテルと周りの人間の関係性が、あらゆるテーマを網羅して
くれていて、観る側に深く考えさせてくれる。
つよぽん、
大杉連さんと素晴らしい作品をこの世に残せて 良かったね。
あのふり絞るような鳴き声は、私の中にきらびやかなさざ波を生じさせ、
生きなくちゃ・・って 素直に思ってしまう。
蝉時雨の中にいると、あんなに賑やかなのに気持ちがしーんと落ち着く。
じっと耳を傾けていると 心が浄化される。
夏生まれの私は、あたりまえの様に夏が好きなのだ。
人間の合唱が、ひとりひとりの声がひとつにまとまったものであるように、
公園で私の耳に届くセミの鳴き声も、セミ一匹一匹の声のまとまりだ。
どうしても個体のセミが鳴いている姿を見てみたくなって、朝散歩の折に
木々の中を分け入り 鳴いているセミを探してみた。
耳を頼りに木を見上げると、幹の上部に一匹のセミを見つけた。
ちぎれんばかりにお尻を震わせ、そのセミは精いっぱい鳴いていた。
小さな生物個体が、大気を揺るがすエネルギーを見事に放出していた。
心底魅せられて、ぽかんと口を開けて眺めていたら、セミが斜めにピッと
オシッコを飛ばした。
もう2週間前のことになってしまうけど、しんちゃん きみちゃん夫婦に
お誘いを受けて彼らのお宅にお邪魔した。
私達夫婦の他にも 私の同期、Ken, Okayasu, Chikaも来た。
我々すべて、大学時代に同じ音楽サークルに在籍していた仲間同士だ。
あ、きみちゃんだけは、しんちゃんが結婚してからの付き合いだけど、
今ではありがたいことにとても仲良くさせてもらっている。
遊びに行く当日までに、時間だったり 何をお土産に持って行くかとか、
ラインのやり取りが何度か行われた。
Kenはね、みんなにしょっちゅう言われていることがあって、
「Kenのメールやラインの文章が長い! 要点がわからん。 改行しろよ、
すげー読みにくい・・」等々。
そのKenから私にラインが送られてきた。
内容をかいつまんで言うと
「日吉駅からきみちゃん家に行くバスの状況をChatGPTに聞いてみたら以下の答えが
返ってきたのだけど、この情報は信憑性があるかどうか確かめたいからChieからきみちゃん
に聞いてくれる?」
来たな。と思ったね。そして なんじゃこりゃ とも思った。
私は う~んと腕組をしてしばらく考えた末、
「あのさ、Kenごめん。きみちゃん忙しいと思うんだよ。だから煩わせたくないのね。
だから彼女には聞かないよ、ここで止めとく・・。ChatGPT・・合ってんじゃない?
それでたぶん平気だよ」と返事した。
さてさて当日、しんちゃんきみちゃん家にみんなが集まった。
私の隣にChika, Chikaの前にKenが座った。
Kenがまん前にいるにもかかわらず、お孫さんが生まれたばかりで忙しいChikaが、どれだけ
待ち合わせ場所や時間を決めるやり取りで、Kenのラインに苦しめられたか私に愚痴った。
全て丸聞こえな中、「Ken, ほらChikaがこう言ってるでしょ? 私だってさ・・」
とChatGPTのラインの件をみんなに話した。
そしたらKenが「うん、叱られた って思いました・・」と言った。
「え?叱られたって自覚あんの? そうなんだ・・確かに叱ったんだけどね」と私。
その後もKenは、Okayasuに「俺お前のことが好きだ」と言っては「俺はお前のこと嫌い」
と何度も言われていた。
Ken、もしかしたらこれ読んでるかもしれないよね。
一見 Kenの悪口書いてあるように見えるでしょ? いや悪口なのかもしれない。
でもね、よく読んでみて、私にしたら これ、私たちの関係性の「のろけ」なのよ。
世の中 忖度したり空気を読んだりするのが主流な中、これだけダイレクトに
言葉をぶつけ合う関係性ってあまりないんじゃないかと思う。
私はいいなってつくづく思ったのよ。
だからkenが変なこと言ったりしたら また私はちゃんと怒ります。
こうやって老後もみんなでやって行こ。
ライブに向けて、バンドの練習頑張ってね。
ここの所、ペットシッターの仕事がめちゃ忙しくて。
猫ちゃんのお世話が多いかな? あ、でも変わり種でフグちゃんのお世話もありました。
カタツムリの生餌をあげなくてはいけないのが最初辛かった。
でも私だって豚さんも鶏さんもいただいているのだから、そんなきれいごと 矛盾だよね。
まあ、お肉だけではなく、何かをいただくときには「ちゃんと自分の栄養にさせて
もらいます」と感謝をしながら食べることにしている。
すごい人見知りのラガマフィン(猫)のめろちゃんに、シャアー とか 猫パンチの
洗礼を受けたけど、途中近寄ってきて甘えたりするとてつもないツンデレ技に 心を持って
いかれました。
心を持って行かれる って 楽しい。
見つけることがある。
大抵のカナブンはお腹を見せて足をバタつかせ、何とか寝返ろうと頑張っている。
しばらく観察したりしてみたけど、カナブンはそう簡単には寝返ることはできないようだ。
そういう時の私は 自分の人差し指の先っちょをちょんとカナブンの胸辺りにのっけてみる。
カナブンは反射的に何本かの足で私の指をぎゅっと掴む。
私は起立しながらゆっくり手首を回し、カナブンの虹色の背中を上に向け、人差し指を
空に突き刺す。
カナブンが青空に飛び立つ。
飛び立った方向をぼんやり見ながら、私は任務を果たしたような気持ちに満足して
再び歩き始める。
・・今年もう10回位カナブンを空に飛ばしたのよ・・という私に
じゃあカナブンが恩返しに来るかもね・・とダンナが言った。
恩返しか・・うれしいな。何してくれるんだろう?
いや、恩返しはいらないから 擬人化したカナブンが見てみたい。
私の散歩の通路には色んなものが落ちている。
ある日はねじが落ちていた。
「あの人一本ねじが抜けてるみたいね・・」っていう表現があるでしょ?
アスファルトのねじを見て、機械から落ちたのではなく 人間のどこからかポロリ落ちた・・
ってその時感じちゃったのよね。
その人 一本ねじが取れて歩きがギクシャクしてなければいいけれど・・
必要な時の集中力にも欠けるかもね・・って。
でも実を言うと、ねじが一本取れたような人を私は好む傾向にあります。
密度がぎゅーっとしてるものが苦手で、隙間余白多めがいいです。
人の動作や考え、時間なども緩めで遊びがたくさんあるのがいいです。
あ、一昨日なんて「おむすび」歩道に落ちてた。
コンビニのおにぎりじゃなくてお母さんが握ったようなおむすびで、
海苔も全面おおわれてるのではなくて帯のようにくるんと巻かれているヤツ。
今朝同じところを通ったら、きっとカラスが食べたのね 米粒が散らばって
いるだけだった。
「美しい彼」・・今私がハマっているBLドラマ&映画です。
最近は少し進歩して割とハードな性描写も難なく見られるようになりました。
でもそれはキャラ設定がしっかりしていて、登場人物の背景や感情がちゃんと
描かれている場合のみです。
感情移入したり共感したりしながら、性を人間の習性のひとつとして見ることが
できるようになったのだと思います。
「美しい彼」はシーズン1,2に 劇場版 とありますが、主人公の平良(ひら)が
高校生から 大学生 社会人へと成長する中、恋人清居(きよい)との関係性の変化が
描かれている。
クラスのカーストの底辺と自覚する平良がカーストトップの人気者でこの上なく美しい清居に
対し恋に落ちるというありきたりな始まりだったのだけれど・・。
熱量の高い執拗な視線を自分に送る平良に対し、「お前 キモイ!ウザイ!」と言いな
がら とことんパシリに彼を使う清居。
ドラマ後半 その清居のモノローグによって、どのようにして俺様・王様気質の清居が、
一見まるっきり冴えない平良に心を奪われていくのかが理解できてすごく感動する。
途中から清居は弱ささへ見せる。
結ばれた後も、平良は清居を空に輝く星☆と神格化してあがめている一方、清居は
現実の愛情に貪欲である。
たぶん 現実の愛情に貪欲な方が弱いのだと思う。
ふたりの関係がくるっと入れ替わる瞬間があり、ぞくっとした。
シーズン2では大学生である平良と、モデルや舞台などの芸能活動を始めた清居の
同棲生活が描かれる。
劇場版ではカメラマンのアシスタントとして働きだす平良と、芸能界にもまれながら
より上を目指す清居が、これからの二人の未来を同じ目線で見ようと努力をする。
・・映像が美しくて 楽しくて 深く感じ入ることのできる ドラマ&映画でした。
実は「美しい彼」よりも進んでいるドラマ (性描写や残酷性においてです)、
「ハッピー・オブ・ジ・エンド」も観ました。
人間がちゃんと描かれているので大丈夫。
なんかハードなものばかり紹介してしまったので、誰でも楽しめるショービズ映画を
ひとつ。 「バーレスク」です。
歌も踊りもめちゃくちゃかっこいい!
ワクワクします。
そう言えば 私だいぶウツウツから抜けました。
映画やドラマにも助けられ、他にもいっぱい要素はあるけれど、
あるストーリーの言葉に触れて、あ って思ったら元気になりました。
人に届いたりつながったりすることは奇跡に思えるけれど、
でももしもそういうことがあるならば、ひそやかに大切にして行きたい
「美しい彼」の中で 平良が撮った写真、15夜の前日の月・・・
・・・・「14番目の月はとても綺麗ですね」