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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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車ばかり乗っていると、ちょっとの距離を自転車に替えただけで、
自分にかかる重荷がぐんと増えたように思っていた。

じゃあ、今度は自転車を徒歩に替えてみると、その重荷となるエネルギーは、
他の道に分岐することなく、ただひたすら原始的に 自分のみに向かって、
どっさりと覆いかぶさってきた。

当たり前のことなのだが、自分の体重を自分で支えて一歩づつ前に進めて
行かなくては、何も始まらないのだ。

苦しい苦しい・・と思いながら、歩き続けていたら、先週の土曜日、大学時代
の忘年会後に終バスを逃した際、「たった30分だもの、歩いて帰っちゃおう。」
と、リズミカルに歩き始め、気がついた時には我が家に到着していた。

ただそれだけのことなのに、歩き に自分の体が順応しつつあるのが、
何ともうれしく誇らしかった。

昨日は、往復一時間ちょっとの歩きを、久々に自転車に戻してみた。
すると、こんなに楽していいのだろうか、と小さな罪悪感さえ感じるのであった。

人は、同じことをやっていても、ある人にとってそのことはすごいストレスで
あり、またある人にとっては、そんなもの、屁でもない・・ということが、まま
あるだろう。

今、私があこがれ、目指しているのは、「図太さ」なんだ。
たとえば 歩くのを、そんなに嫌だと思わない 余裕なんだ。

人間を、とことん脆弱にすることのできる豊かさと文明の、いい所のみを
堪能するためには、それを享受する側の私たちが、いつでも原始的な
ものへ戻れるように、普段から「図太くなる」練習を積んでいかなきゃ
いけないんじゃないかと、最近気づいたの。

「かわいらしいおばあちゃん」に、将来はなりたい。なんて言ってたけど、
やめた。

目指すは、「図太い 婆さん」だ。


人間は考える葦でありながら、足で歩き 前に進む。

今週を振り返ってまとめると、実にこんな感じ。
とにかくよく歩いたんだ。

心配事がある。でも自分は直接何もしてあげられない・・という時、
なぜか「歩いてみよう。」と思った。

思考回路を通過しているのかいなのか、疑わしいほどに素早く
ある考えが浮かび、迷わず行動に移している時がある。

自転車で行くと、スポーツジムまで20分弱。
これを歩きに替えた。 お百度参りじゃあるまいし。

でもきっと、似たものがあるんだと思う。
歩く という人間の基本行動に戻って、一歩踏み出す度に、
無駄なものをそぎ落とし、私の祈りは凝縮されていく。
そんな感じがした。

過度の重労働で、体を徹底的に痛めつけてしまった息子が、
思い切って休息を取る決心をした。

「お腹を痛めて産んだのよ。お願いだからその体、
だめにしないでね。」
と言っていた私は、実際かなりほっとしている。
何年か振りに、お正月も一緒に過ごせそう。

今日は、バレエのお稽古後、「お茶会」があった。

バーを片づけたお稽古場が、そのまま会場となり、みんなで輪になって
床に座りこみ、みんなで持ち寄ったものを和気あいあい食べるのだ。

それはそれはバラエティーに富んでいて、海苔巻き、おはぎ、ケーキ、
サラダ。果物・・圧巻は、初めての試みの、チーズフォンデュ。
回を重ねるごとに、豪華になっていく。

私は「くるみとレーズンのヨーグルトケーキ」と「タコとポテトのマリネ」を
持って行った。

ハトちゃんは、作るのに6時間もかかる、あのミラクルケーキを作って
きてくれた。朝4時までかかったんだって。

ほんとにすごい、ハトちゃん。
約束通り写真載せておくよ。マリネのレシピは来週中には載せるからね。
ありがとう!

















ヘルニアで歩けなかったハルが、医者の注射と薬で元の元気を
取り戻しつつある。

困るのは、「まだまだ安静が必要なのだからぴょんぴょんはだめよ。」と
諭しても、おや?っという表情をしながら首を30度傾け、何のこと言ってるの?
と理解できず、痛さが減少した今、大好きな歯磨きガムを前にすれば、嬉しさ
に飛び跳ね、クルクル回ろうとするのだ。

初日は、お医者さんにも看護士さんにも愛想を振りまき、好きなタイプだとわかると、
ぺろりとお顔までなめさせてもらっていたのに、注射や検査を重ねるうちに、さすが
のハルも、診察室で私から離れようとしなくなった。

「さみしいな。ハル君目をそらすようになっちゃたね。」とお医者さん。

獣医さんの行き帰りにイチョウ並木を通る。
鮮やかな黄色のイチョウ葉が、風に乗って舞い上がる。

圧巻は、道路に散りばめられた大量のイチョウ葉が、勢いづいた風にビュン
とすくわれ、まるで羽化したばかりの黄蝶の群集が一斉に初めて飛び立つ
かのように、風に舞う様である。

風はいつの時でも、なかなかの演出家である。

ここのところ、気が落ち込むことの多かった日々に変化をつけようと、普段なら
絶対にぜった~いにしない、お金の使い方をしてみる。

数週間前の、カラー刷りのきらびやかな新聞広告に目を奪われ、その高価な
シャンパンを購入してしまった。

正直言って、私は高価なシャンパンなんていまだかつて飲んだことがない。
実はシャンパンよりも、その美しいボトルにほれ込んで、思い切ったのだ。

ペリエ ジュエ ベル エポック 2004 フローラルエディションのボトルは、
芸術家とのコラボの特化バージョンとして、私の大好きな花、アネモネが、
通常のものより多めの金色細工が施されて、色香を漂わせ、ボトルに絡み
つくように描かれている。

必要性の極端に低い贅沢品に、2万円以上も使った貧乏性の私は、当然の
ことながら罪悪感を感じてしまうのは必至で、その予防線として、同じくらいの
額を寄付することにした。

スマスマで、つよぽんが、「東日本大震災後、まだまだ皆さんの助けが必要
です。」と言っていたので、まずそこに、一万円。 
(つよぽんといえば、今年中に、映画、任侠ヘルパーを観る予定。)

あとは、国境なき医師団に、月々千円の引き落としで、寄付をすることにした。

少し気分が楽になった。
思慮深い、真の善人の方々の寄付とは、趣をおおいに異にすることだろうが、
しないよりしたほうがいいかなとも思って。

その超高価なシャンパンは、娘と息子のお休みが重なった時に、晴れて開け、
一緒に楽しもうと思っている。









年末が近づいてきて、そういえばそうだった・・と毎年思うのが、
不運の連鎖。 いつも12月にバタバタと 嫌なこと 心配なことが
いくつか重なって起きるのだ。

事の初めは私の結膜の出血。
それはもう充血なんて生易しいものではなくて、明らかなる出血。
左の白眼の左半分が血液で覆われて、目全体が 赤 黒 白 と
派手なコントラストになってしまったものだから、誰に会っても
「眼、どうしたの?」と驚かれ、説明を繰り返してきた。

「ドライアイの影響もあってか、結膜の血管が弱くなって出血した
みたいなの。特に深刻な症状ではなくて、目薬さして ほっとくしか
ないんだって。」

けっこう繰り返す方がいらっしゃるんですよ・・という医者の言葉通り、
私はこの一か月で3度繰り返し、ずっと赤眼のまま過ごしてた。

やっと、今完全に白くなったけれど、怖くてコンタクトレンズを着ける気に
なれず、ぼーっと暮らしている。

そろそろ一年点検だな。と思った矢先に、事故ってしまった。
私の一時停止不足で、右からすごいスピードで来た車とゆるい衝突。
相手は「ハマー」とかいう、どでかい軍用車で、かすり傷ひとつなくてすんだ。
でも、私の車は前がぺしゃんこに。 

普段は一人前の人間にどうにか擬態してるけど、時として隠しきれずに
表出した、自分の中の「欠陥人間」を前に、こうべを垂れ、自己嫌悪に
まみれながら、代車を運転している。

息子がヘルニアになり、コルセットをしながら きつい仕事をこなしている。
ものすごく心配なのに何もできない自分を持て余していたら、昨日からハル
が、元気がない。 

今朝お医者さんに連れて行ったら、ハルもヘルニアと診断された。

いろいろ起きてみて思うのだが、自分のことはけっこう何とかなるものだ。
でも 息子だったりハルだったり、心配してただ見守っているのは、かなり
つらい。

年末にこうやって悪いこと起きるでしょ。
きっと「帳尻合わせ」ね。って思うことにしてる。
ふたりのヘルニアの状態が悪化したらそんなこと言ってられなくなるけど。

今年だってそんなにいいことばかりではなかったけれど、バランスと
しては必要だったのかなって。

来年がいい一年になるためにも、そうなのかなって。

自分の趣味じゃないなあ・・と思いながら、なぜか続けていることがふたつみっつ
ある。 

確実にそのうちのひとつは、人前でスピーチをすることで、所属する英語クラブで
自分のスピーチの番が回ってくると、心底 嫌 で 憂鬱 な気持ちになってしまう
のが毎度のことだ。

そんなに嫌なら、別に義務じゃないんだし、やめればいいのに・・と、私もその度に
思うのだが、やめることなく、なだらかに数年が過ぎて行った。

そして、おとといの土曜日に、10個目のスピーチプロジェクト終了後、
「Competent Communicator」・・通称 「CC」 という称号を受け取ることになった。 

ことわっておくけれど、何もこの称号欲しさに続けてきたわけじゃない。

じゃあ何なのかと言えば、たぶんこんな風なんだと思う。

自分の中にある ぼんやりとしたあやふやで散漫なとらえどころのないもの達
をすくいあげ、直線や曲線、角々などで囲んだりしながら形にしているうちに、
おおげさにきこえるかもしれないけど、その過程が実に自分を生きやすくして
くれていることに気付いてしまった。

以前ここにも書いたはずの、「なぜブログを続けているのか・・」に、とても似た
理由で、文章を推敲していくうちに おかしなことだが 「へー、私ってこんな風に
考えていたんだ・・」と無意識の自分に気づくのである。

そして、これもとても嫌らしく聞こえることだろうが、自分の書いた文章に、
癒され 助けられている。  恥ずかしい。 これはまるで 自慰行為だね。

その単なる自慰行為が、たとえ数人だとしても、何かが通じて、反応をもらえ
たとしたら、やっぱりそれはそれですごく嬉しい・・ということなのだろう。

一区切りを終えた今、これからどうするかまだはっきり決めてはいないけれど、
とりあえず 基本編の最後の回で、ベストスピーカーに選ばれて終われたこと
は、いい思い出のひとつになってくれそうである。

___今からジムに行って太極拳とヨガをしてくるので、続きは後で書きます。


昨日の散歩は、紅葉を求めて、少し遠い公園にまで足をのばしてみた。

色づくもみじを前に、いざ写真を撮ろうと思ったら、非情にも
「カードが認識されません。」の表示。 
SDカードをPCにインサートしたまま出かけてしまったのだ。

撮れない。と思うと撮りたくなるのが人情で、
「そんながっかりしてないで、本物を楽しみなよ。それじゃ本末転倒じゃないか。」
と、「確かに正しいこと」 をだんなに言われてもなお、あー、ここをこうして
撮りたかったなあ・・と未練がましい私だった。

木全体が、まっかに紅葉しているもみじも壮観だったが、広い公園の場所に
よっては、まだ葉っぱのほとんどが緑色で、まわりのふちをなぞるよう 
ほんのり赤みがかっているところなどに お日様が透けていたのが、
いとをかし。 

目が、紅葉の赤や黄色に慣れてきた頃に、向こうから真っ白いわんこが
やってきた。 嬉しいことに、そのわんこが、笑っちゃいそうなくらいに、
あのソフトバンクのお父さん犬に似ていたのだ。

あれだけ見慣れてしまっていると、知り合いの犬に会ったような気になるのか、
すれ違う人の多くが、わんこに声をかけていた。

私も少し立ち止まって、お父さんを見ていたら、
「しゃべらないねえー・・・」と、本気で不思議そうな顔をして、男の人が
言った。










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