日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ソメイヨシノもちらほらほころび始めて、窓から見る景色もソフトな色合いを帯びてきたなあ
と眺めていたら、高校時代のグループの幹事から「春の遠足開催のお知らせ」がグループラインに届いていた。
前回の新宿御苑の紅葉をみんなで楽しんでから4か月が経ったということになる。
この4か月間、自分は何をしていたのかほとんど思い出せない。
裏切り 脅迫 憎しみ 圧迫 搾取 詐欺 殺戮 戦争・・ニュースには耳を覆いたくなるようなことばかりが流れているのに、私は何も行動することができず、申し訳ないくらいにゆるく
ただ生きているだけだ。
「穏やかですね・・」と、よく人に言われる。
でも本当の私はそんなに穏やかではない。自分をむき出しにしたらかなりの気の強さだと思う。
鼻息荒く人を批判しようと思ったら、今だってたぶんできると思う。でもしないけど。
学生時代からの付き合いの末に結婚したダンナは、私の気の強さを一番わかっていると思う。
学生時代の彼は、実際私に数回泣かされているのだから。
よくもそんな私と結婚したいと思ってくれたものだと思う。
現在、割と仲良く余生を送れているのは、小さな衝突を繰り返しながら、その都度解決策や妥協
点を見つけては、その上に生活を成り立たせ続けてきた延長に過ぎない。
学生時代に私に泣かされて赤みがかった鼻をグズグズさせていたダンナは、不思議なことにある
時から全く泣かなくなった。
代りに私はよく泣くようになった。
娘の病気がわかったときも声をあげて肩を震わせて泣いた。
娘を失ってからは毎日のように泣いていた。
悲しみをあらわにする私の傍で、彼はというと、とても静かに時間を過ごしていた。
私は自分のやり場のなさをどうにもできず、ある時それを八つ当たりのように彼にぶつけた
ことがある。
「ねえ・・娘を失ってなんでそんなに冷静でいられるの?平気なわけ?悲しくないの?」
私の無慈悲な問いかけに表情を変えずに、彼は少し間を置いて言った。
「・・・悲しいよ、すごく悲しいよ。でも自分は感情を外に出せない性質なんだと思う・・」
申し訳ないことを言ってしまったと思った時はもう遅かった。
ダンナは水が流れるような自然さで、言葉を続けた。
「横浜駅とかでね、早希ちゃんを探している自分がいて、あっと我に返るときがあるんだ」
娘は生前、ランドマークタワーの中に入っている会社に勤めていた。
涙の量は決して悲しみの深さと比例しない。
娘を亡くした父親の後ろ姿。ちょっと丸みを帯びた肩のあたりがとても悲しいと思う。
同じ深い悲しみを共に持った我々は、運命共同体のように今日も静かに生きている。
と眺めていたら、高校時代のグループの幹事から「春の遠足開催のお知らせ」がグループラインに届いていた。
前回の新宿御苑の紅葉をみんなで楽しんでから4か月が経ったということになる。
この4か月間、自分は何をしていたのかほとんど思い出せない。
裏切り 脅迫 憎しみ 圧迫 搾取 詐欺 殺戮 戦争・・ニュースには耳を覆いたくなるようなことばかりが流れているのに、私は何も行動することができず、申し訳ないくらいにゆるく
ただ生きているだけだ。
「穏やかですね・・」と、よく人に言われる。
でも本当の私はそんなに穏やかではない。自分をむき出しにしたらかなりの気の強さだと思う。
鼻息荒く人を批判しようと思ったら、今だってたぶんできると思う。でもしないけど。
学生時代からの付き合いの末に結婚したダンナは、私の気の強さを一番わかっていると思う。
学生時代の彼は、実際私に数回泣かされているのだから。
よくもそんな私と結婚したいと思ってくれたものだと思う。
現在、割と仲良く余生を送れているのは、小さな衝突を繰り返しながら、その都度解決策や妥協
点を見つけては、その上に生活を成り立たせ続けてきた延長に過ぎない。
学生時代に私に泣かされて赤みがかった鼻をグズグズさせていたダンナは、不思議なことにある
時から全く泣かなくなった。
代りに私はよく泣くようになった。
娘の病気がわかったときも声をあげて肩を震わせて泣いた。
娘を失ってからは毎日のように泣いていた。
悲しみをあらわにする私の傍で、彼はというと、とても静かに時間を過ごしていた。
私は自分のやり場のなさをどうにもできず、ある時それを八つ当たりのように彼にぶつけた
ことがある。
「ねえ・・娘を失ってなんでそんなに冷静でいられるの?平気なわけ?悲しくないの?」
私の無慈悲な問いかけに表情を変えずに、彼は少し間を置いて言った。
「・・・悲しいよ、すごく悲しいよ。でも自分は感情を外に出せない性質なんだと思う・・」
申し訳ないことを言ってしまったと思った時はもう遅かった。
ダンナは水が流れるような自然さで、言葉を続けた。
「横浜駅とかでね、早希ちゃんを探している自分がいて、あっと我に返るときがあるんだ」
娘は生前、ランドマークタワーの中に入っている会社に勤めていた。
涙の量は決して悲しみの深さと比例しない。
娘を亡くした父親の後ろ姿。ちょっと丸みを帯びた肩のあたりがとても悲しいと思う。
同じ深い悲しみを共に持った我々は、運命共同体のように今日も静かに生きている。
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