日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ずいぶんと昔、膨大な量の手紙を書いていたことがある。
そんなにたくさん いったい何を書いていたのか、細かいことまでは覚えていない。
そのときの私は、今よりも15歳くらい若かったのだから、多少生意気で血の気の多いことも書いていたに違いない。でも基本的に 今ブログで書いているような日常の何気ないことをだらだらとつづっていたようなおぼえがある。
旅行先でキャベツ畑の写真を撮りながら、その昔 誰か宛の手紙に、「キャベツ」のことで、便せん1枚くらい埋めてしまったことを思い出した。
おぼろげな記憶を辿ると、「ただ千切りにしてマヨネーズをかけただけでもおいしいキャベツ。かと思うと、料理法のバリエーション豊富なキャベツ。は、我が家に常備必須のアイテムで、家の冷蔵庫は かさばるキャベツの指定席がちゃんとあって・・でも天候不順の影響で、ばか高い値札をつけられたキャベツの前を素通りしてしまった日には、ぽかんと空いた冷蔵庫の空席に、いなくなって初めて知る「キャベツ愛」を知ったりして。」
・・・文章は多分全然違うけれど、こんな感じのことをずらずら並べ立て、それに続いて、 どんな料理をして丸々一個のキャベツを食べきるか。を論じ、そして 「そういえば 昔アメリカ生まれのキャベツ人形っていうのがあってね・・」とまた長くなり、「そのキャベツ人形が、様々な肌の色のバリエーションがあって、そればかりでなくハンディーキャップを負った子供達のお人形もあるのよ。『片足がなくて眼帯をした、黒人の女の子のお人形』も いろんなお人形と一緒に、お店の棚にちょこんと座っている・・・それは、多分、何故お人形はいつもブロンド、青い目、白い肌の子供でなくてはならないのか。という着眼点から進んだ発想が、実現化したようなの・・」
キャベツについて書き出すと、私は止まらなくなる傾向が昔からあるようなので、今現在のキャベツへの思いは、写した写真に託すことにしようっと。
そんなにたくさん いったい何を書いていたのか、細かいことまでは覚えていない。
そのときの私は、今よりも15歳くらい若かったのだから、多少生意気で血の気の多いことも書いていたに違いない。でも基本的に 今ブログで書いているような日常の何気ないことをだらだらとつづっていたようなおぼえがある。
旅行先でキャベツ畑の写真を撮りながら、その昔 誰か宛の手紙に、「キャベツ」のことで、便せん1枚くらい埋めてしまったことを思い出した。
おぼろげな記憶を辿ると、「ただ千切りにしてマヨネーズをかけただけでもおいしいキャベツ。かと思うと、料理法のバリエーション豊富なキャベツ。は、我が家に常備必須のアイテムで、家の冷蔵庫は かさばるキャベツの指定席がちゃんとあって・・でも天候不順の影響で、ばか高い値札をつけられたキャベツの前を素通りしてしまった日には、ぽかんと空いた冷蔵庫の空席に、いなくなって初めて知る「キャベツ愛」を知ったりして。」
・・・文章は多分全然違うけれど、こんな感じのことをずらずら並べ立て、それに続いて、 どんな料理をして丸々一個のキャベツを食べきるか。を論じ、そして 「そういえば 昔アメリカ生まれのキャベツ人形っていうのがあってね・・」とまた長くなり、「そのキャベツ人形が、様々な肌の色のバリエーションがあって、そればかりでなくハンディーキャップを負った子供達のお人形もあるのよ。『片足がなくて眼帯をした、黒人の女の子のお人形』も いろんなお人形と一緒に、お店の棚にちょこんと座っている・・・それは、多分、何故お人形はいつもブロンド、青い目、白い肌の子供でなくてはならないのか。という着眼点から進んだ発想が、実現化したようなの・・」
キャベツについて書き出すと、私は止まらなくなる傾向が昔からあるようなので、今現在のキャベツへの思いは、写した写真に託すことにしようっと。
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