日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
元旦早々やってしまった。
不注意な私に落とされて、修理が必要な程のダメージを与えられた私のカメラは、
正月休み、受け入れ先のないままタオルにくるまれて、ただそのときを待っている。
硬いコンクリートとの衝突、斜めに受けた衝撃。
それにより接続部分の小さな部品がもぎ取られ、重いレンズがカメラ本体から無理無理
外れてしまった。レンズのない本体は、そこに傷跡のように空洞を抱えて痛々しい。
その画は呆然とする私に瞬間的に刷り込まれてしまったようで、後々フラッシュバックのように
私を襲うことになる。空洞が目の前に蘇る。「何てことをしてしまったんだ・・」と、私が頭を
抱える。
年末に大きな失敗をしないで新年を迎えられてほっとしていたら、このザマだ。
明日から一泊で温泉旅行に行くのに、カメラなし。
娘も主人もそれぞれ最新型のカメラを持っているので、撮りたくなったら撮らせてもらおう。グスン。
「物でよかったじゃないか。」「身代わりになってくれたのかもよ。」と家族の慰めの言葉。
本当に、そう。ハルを落としたんじゃなくてよかった。でもカメラは私にとって単なる「物」
ではなくなっている。
今日からチャンプが開いているみたいだから、お雑煮とおせち食べたら行ってみよう。
事故直前の愛カメラで撮った元旦風景を、涙ながらに載せようと思います。


不注意な私に落とされて、修理が必要な程のダメージを与えられた私のカメラは、
正月休み、受け入れ先のないままタオルにくるまれて、ただそのときを待っている。
硬いコンクリートとの衝突、斜めに受けた衝撃。
それにより接続部分の小さな部品がもぎ取られ、重いレンズがカメラ本体から無理無理
外れてしまった。レンズのない本体は、そこに傷跡のように空洞を抱えて痛々しい。
その画は呆然とする私に瞬間的に刷り込まれてしまったようで、後々フラッシュバックのように
私を襲うことになる。空洞が目の前に蘇る。「何てことをしてしまったんだ・・」と、私が頭を
抱える。
年末に大きな失敗をしないで新年を迎えられてほっとしていたら、このザマだ。
明日から一泊で温泉旅行に行くのに、カメラなし。
娘も主人もそれぞれ最新型のカメラを持っているので、撮りたくなったら撮らせてもらおう。グスン。
「物でよかったじゃないか。」「身代わりになってくれたのかもよ。」と家族の慰めの言葉。
本当に、そう。ハルを落としたんじゃなくてよかった。でもカメラは私にとって単なる「物」
ではなくなっている。
今日からチャンプが開いているみたいだから、お雑煮とおせち食べたら行ってみよう。
事故直前の愛カメラで撮った元旦風景を、涙ながらに載せようと思います。
「心地よい違和感」というのはつじつまの合っている言葉だろうか?
先日電車に乗っていて、私はこの心地よい違和感を感じていた。
その元となるものを探っていくうちに、車内放送が女性の声であることに
たどり着いた。
車内放送といえば、男性のそれらしき角ばった独特のトーンに慣れていたものだが、
女性の柔らかな声をその時耳にしながら、無意識のうちに心安らいでいたのである。
気づいてからはアナウンスが流れるたびに、意識的に耳を傾けた。
隣のお姉さんが微笑みながら語ってくれているような親しみやすさやに、空気も
居心地も悪い車内の中で、心がほどけていくのを感じた。
滅多に電車に乗らない私は、女性の車掌さんが活躍していることをこの時初めて知った。
ちょっと前まで男性しか見ることのできなかったフィールドに、どんどん女性が進出して
いるのを見るのは爽快だ。
こういうことは、男女平等という視点で、両者の歴史的な格差を縮めることにも確かに貢献
しているのだろう。
でも私が無意識のうちに感じた「心地よい違和感」は、両者がまったく等しくあることの
必要性を大いに軽減する。その人が持って生まれ持ったそれぞれの性の資質に(それは
もちろんくっきり二つに分かれるようなものではないだろうが)影響力を持たせること
は、ぜんぜん悪いことではないと思う。
私も年と共に男性化の一方をたどっているのを自覚しているが、それでも自分の一部に
確実にある柔らかで繊細な部分をとても大事に思っているのである。
先日電車に乗っていて、私はこの心地よい違和感を感じていた。
その元となるものを探っていくうちに、車内放送が女性の声であることに
たどり着いた。
車内放送といえば、男性のそれらしき角ばった独特のトーンに慣れていたものだが、
女性の柔らかな声をその時耳にしながら、無意識のうちに心安らいでいたのである。
気づいてからはアナウンスが流れるたびに、意識的に耳を傾けた。
隣のお姉さんが微笑みながら語ってくれているような親しみやすさやに、空気も
居心地も悪い車内の中で、心がほどけていくのを感じた。
滅多に電車に乗らない私は、女性の車掌さんが活躍していることをこの時初めて知った。
ちょっと前まで男性しか見ることのできなかったフィールドに、どんどん女性が進出して
いるのを見るのは爽快だ。
こういうことは、男女平等という視点で、両者の歴史的な格差を縮めることにも確かに貢献
しているのだろう。
でも私が無意識のうちに感じた「心地よい違和感」は、両者がまったく等しくあることの
必要性を大いに軽減する。その人が持って生まれ持ったそれぞれの性の資質に(それは
もちろんくっきり二つに分かれるようなものではないだろうが)影響力を持たせること
は、ぜんぜん悪いことではないと思う。
私も年と共に男性化の一方をたどっているのを自覚しているが、それでも自分の一部に
確実にある柔らかで繊細な部分をとても大事に思っているのである。
12月に入ってから、「一日に、引き出しひとつ整理整頓」を合言葉に、洋服ダンス
から始まって、ライティングビューローや食器棚の引き出しを引っ張り続けていたら、
クリスマスになってしまい、もう終わりにしようと区切りをつけた。
何かを買ってちょっと使った後に、だんだんと引き出しの奥深くに追いやり、
その存在をも忘れてしまっていたものが、急に目の前に現れ、あ~そういえばこんなの
買ったね~・・ということが何度かあった。
例えば「干支のハンコ」。年賀はがきに押したら可愛いだろうと購入したのがハンコに
赤いインクがついている猪の年らしく、でも次のねずみ年からはスタンプ台に押し付け
られた形跡がない。つまり「子丑寅卯辰巳」の6年間、寝かせていたことになるのね。
今回の年賀状は、ウマのスタンプ付きです!
というわけで、わたしの来年の抱負が早くも決まった。「停滞させない」だ。
物だって私が買ったのだからその物としての役割を全うできるようにさせる責任はこの
私にあるのだ。モノは一人で動かないからね。
家の中のどこに何があるかクリアーになった今、順序よく物を循環させて絶えず空気を
通して行きたい。「停滞させない、循環させる。」モノだけでなく、自分の体にもこれ、
当てはまると思う。
23日に、バレエ友達の息子さん(彼もまたバレエダンサー)の舞台を観に行ってきた。
お遊戯のように踊っていた幼少の頃の彼を知っているので、今17歳になった彼が、立派な
ダンサーになって空中を軽々と飛ぶのを見て、感無量だった。
舞台の場所が芝公園だったので、久しぶりに東京タワーを見た。
クリスマスを意識してなのか、グリーンと赤のイルミネーションが目立っていた。
特にクリスマスだからと言って、特別なことをしないつもりだったのに、結局
カロリーたっぷりのケーキと料理を作ってしまった。
ケーキはモンブラン。一番嬉しかったのは、モンブラン用の絞り口金を買ったこと。
そんじょそこらで売っていない道具を所有するって楽しい。
モンブラン用の口金は、8個も穴があいています。



から始まって、ライティングビューローや食器棚の引き出しを引っ張り続けていたら、
クリスマスになってしまい、もう終わりにしようと区切りをつけた。
何かを買ってちょっと使った後に、だんだんと引き出しの奥深くに追いやり、
その存在をも忘れてしまっていたものが、急に目の前に現れ、あ~そういえばこんなの
買ったね~・・ということが何度かあった。
例えば「干支のハンコ」。年賀はがきに押したら可愛いだろうと購入したのがハンコに
赤いインクがついている猪の年らしく、でも次のねずみ年からはスタンプ台に押し付け
られた形跡がない。つまり「子丑寅卯辰巳」の6年間、寝かせていたことになるのね。
今回の年賀状は、ウマのスタンプ付きです!
というわけで、わたしの来年の抱負が早くも決まった。「停滞させない」だ。
物だって私が買ったのだからその物としての役割を全うできるようにさせる責任はこの
私にあるのだ。モノは一人で動かないからね。
家の中のどこに何があるかクリアーになった今、順序よく物を循環させて絶えず空気を
通して行きたい。「停滞させない、循環させる。」モノだけでなく、自分の体にもこれ、
当てはまると思う。
23日に、バレエ友達の息子さん(彼もまたバレエダンサー)の舞台を観に行ってきた。
お遊戯のように踊っていた幼少の頃の彼を知っているので、今17歳になった彼が、立派な
ダンサーになって空中を軽々と飛ぶのを見て、感無量だった。
舞台の場所が芝公園だったので、久しぶりに東京タワーを見た。
クリスマスを意識してなのか、グリーンと赤のイルミネーションが目立っていた。
特にクリスマスだからと言って、特別なことをしないつもりだったのに、結局
カロリーたっぷりのケーキと料理を作ってしまった。
ケーキはモンブラン。一番嬉しかったのは、モンブラン用の絞り口金を買ったこと。
そんじょそこらで売っていない道具を所有するって楽しい。
モンブラン用の口金は、8個も穴があいています。
日々食べているものはとても質素なものであるのだけれど、
小さな部分部分でちょっとした贅沢を楽しんでいる。
例えばコーヒー。コーヒー豆が切れる前に、スポーツジムの帰りに、
専門店の南蛮屋に行くのが楽しみのひとつ。
店内に入るやいなや香り高いコーヒーのアロマに包まれて、それだけで
体がふっとゆるむ。さて、今日はどんなコーヒー豆を買おうかな。とざっと一通り
すべてのコーヒー豆に目を通す。
もちろんコーヒー豆を見ているだけでは、焙煎の深さ以外、わかる手立ては何も
ない。私が実際見ているのはひとつひとつのコーヒー豆の傾向を記す表みたいな
もので、その表は、その豆の焙煎度 酸味 苦味 香り コクについて、それぞれ
星三つ、星四つ半・・などと評価されているのだ。それを参考にしながらその日の
自分の好みに沿った豆を選ぶことができるというわけである。
私の好みは、酸味苦味の星数がそれほど多くないかわりに、香りとコクの星がたくさん
並んでいるもの。つまり私は、あまり”通”とは言えない、癖のないコーヒー豆が好きなの
である。
魅力的なのは、季節に合った期間限定のスペシャルブレンドで、今だったら「冬のドミニカ」
とか「クリスマスブレンド」で、それらは季節感をまとって別種の星数を増やし、楽しませて
くれる。
コーヒー豆を購入すると、顔なじみの店員さんが「お試しは何になさいますか?」と笑顔で
聞いてくれる。店内に設置された小奇麗なコーヒーテーブルで、ゆったりとコーヒーを楽しめる
のもこのお店に通う理由である。
そのテーブルで、別のお客さんと向かい合わせになった時、どちらからともなく話が始まる時が
ある。数日前のその方は、自分の大好きなチョコレートのことを話し始めてくれた。
南蛮屋は、コーヒー豆だけではなく、陶器やお菓子、雑貨、ちょっとした衣料なども売っている。
彼女は、その大好物の「イチジク入りのチョコレートボンボン」と好きなコーヒーを買って帰り、
家族のいないところでひとりで楽しむのだという。
彼女は続ける。「だって生きてると大変なこといっぱいあるでしょ?すごく嫌なこととか
落ち込むことがあったとき、一人でこのチョコとコーヒーを楽しむの。すごく癒される。
ちょっと高いけれど、これで自分の感情を人にぶつけたり押し付けたりしないで済むの
だもの。ね、良かったら買って食べてみて。美味しいよ。」
もちろん私は買って食べてみた。おいしいチョコレートを単純に食べたい気持ちのほかに、
彼女が言ったこと、とても素敵だなと感じたからだ。
その時私はイチジクのチョコレートを頬張りながら、彼女の癒しの時を想い、
ともに経験し、「また明日も生きていくんだな。」と、自然に思えたのである。
小さな部分部分でちょっとした贅沢を楽しんでいる。
例えばコーヒー。コーヒー豆が切れる前に、スポーツジムの帰りに、
専門店の南蛮屋に行くのが楽しみのひとつ。
店内に入るやいなや香り高いコーヒーのアロマに包まれて、それだけで
体がふっとゆるむ。さて、今日はどんなコーヒー豆を買おうかな。とざっと一通り
すべてのコーヒー豆に目を通す。
もちろんコーヒー豆を見ているだけでは、焙煎の深さ以外、わかる手立ては何も
ない。私が実際見ているのはひとつひとつのコーヒー豆の傾向を記す表みたいな
もので、その表は、その豆の焙煎度 酸味 苦味 香り コクについて、それぞれ
星三つ、星四つ半・・などと評価されているのだ。それを参考にしながらその日の
自分の好みに沿った豆を選ぶことができるというわけである。
私の好みは、酸味苦味の星数がそれほど多くないかわりに、香りとコクの星がたくさん
並んでいるもの。つまり私は、あまり”通”とは言えない、癖のないコーヒー豆が好きなの
である。
魅力的なのは、季節に合った期間限定のスペシャルブレンドで、今だったら「冬のドミニカ」
とか「クリスマスブレンド」で、それらは季節感をまとって別種の星数を増やし、楽しませて
くれる。
コーヒー豆を購入すると、顔なじみの店員さんが「お試しは何になさいますか?」と笑顔で
聞いてくれる。店内に設置された小奇麗なコーヒーテーブルで、ゆったりとコーヒーを楽しめる
のもこのお店に通う理由である。
そのテーブルで、別のお客さんと向かい合わせになった時、どちらからともなく話が始まる時が
ある。数日前のその方は、自分の大好きなチョコレートのことを話し始めてくれた。
南蛮屋は、コーヒー豆だけではなく、陶器やお菓子、雑貨、ちょっとした衣料なども売っている。
彼女は、その大好物の「イチジク入りのチョコレートボンボン」と好きなコーヒーを買って帰り、
家族のいないところでひとりで楽しむのだという。
彼女は続ける。「だって生きてると大変なこといっぱいあるでしょ?すごく嫌なこととか
落ち込むことがあったとき、一人でこのチョコとコーヒーを楽しむの。すごく癒される。
ちょっと高いけれど、これで自分の感情を人にぶつけたり押し付けたりしないで済むの
だもの。ね、良かったら買って食べてみて。美味しいよ。」
もちろん私は買って食べてみた。おいしいチョコレートを単純に食べたい気持ちのほかに、
彼女が言ったこと、とても素敵だなと感じたからだ。
その時私はイチジクのチョコレートを頬張りながら、彼女の癒しの時を想い、
ともに経験し、「また明日も生きていくんだな。」と、自然に思えたのである。
例えば、「ゴッホのひまわり」が58億円で落札されたのを知った時、
その数字そのものに驚きながら私は別のことを考えていた。
「本物である」と判断あっての「58億円」。でももしも贋作だったら、
無価値に近い。 58億かゼロか。この決定的な判断につきまとう危うさと
もろさと、人間の思い込みについて考えていたんだ。
昨日、「鑑定士 顔のない依頼人」という映画を劇場で観て来た。
監督は、あの「ニューシネマパラダイス」や「海の上のピアニスト」の、
ジュゼッペ トルナトーレ。
オークションシーンが何度となく銀幕に現れる。
一流の鑑定士であり、またオークショニアでもある主人公ヴァージルオールドマンが、
オークションを仕切る姿は実にきびきびしていて隙がない。
声のトーンや強弱、表情、テンポをうまく操り、美術品の値をあっという間に釣り上げ、
最後にオークションハンマーを小気味よく振り下ろす。
老齢になるまで真から人と交わらず、壁にかけた肖像画から放たれる女性たちの視線のみに心
を開いてきたヴァージルが、初めて一人の生身の女性に心を奪われ、乱され、オークション
でも失態を演じてしまう。機械人形のような完璧なヴァージルが、血の通う人間になった瞬間
でもある。
はじめから終わりまでストーリーの根底にあるのは、本物と偽物。
それは絵画のことだけに限らず、人間の愛情にまで及び、疑問を投げかけていく。
で、ここで私は思うのだ。「価値」とはいったい何なんだろう、と。
壁に飾ってある絵画を心から愛でていたのに、ある日偽物とわかった途端に興味が
消え失せるとすれば、その人はその絵を愛していたのではなく、「本物である」こと「高価
であること」をただ気に入っていたということだ。
ある価値観が世の中の傾向にうまく乗っかっていく。するとあっという間に多くの人々を取り込み、
たくさんの人が「すごいすごい」と騒ぎ出す。
我々の高校時代、「ロックは不良の音楽」と言われていた。
あの頃優等生側にいて白い目を向けていた人達さえも、今になってストーンズのコンサートに
行くのはどうしてなんだろう?
「本物と言われている物」に人々はこだわり、それらとかかわり合おうとする。
でも私は偽物でもいいと思っているんだ。それよりも自分がいいと思うことを大事にしよう
と思って。それがたとえこの世の中で偽物だったとしても、私の世界に入り込むやいなや
「本物」となるのだ。
それとね、もうひとつ思うのは、この愛は本物か偽物か・・と言ってる時点でもう怪しい。
だって「価値」という言葉で測れるようなものじゃないでしょ?
たぶん「愛」って。
その数字そのものに驚きながら私は別のことを考えていた。
「本物である」と判断あっての「58億円」。でももしも贋作だったら、
無価値に近い。 58億かゼロか。この決定的な判断につきまとう危うさと
もろさと、人間の思い込みについて考えていたんだ。
昨日、「鑑定士 顔のない依頼人」という映画を劇場で観て来た。
監督は、あの「ニューシネマパラダイス」や「海の上のピアニスト」の、
ジュゼッペ トルナトーレ。
オークションシーンが何度となく銀幕に現れる。
一流の鑑定士であり、またオークショニアでもある主人公ヴァージルオールドマンが、
オークションを仕切る姿は実にきびきびしていて隙がない。
声のトーンや強弱、表情、テンポをうまく操り、美術品の値をあっという間に釣り上げ、
最後にオークションハンマーを小気味よく振り下ろす。
老齢になるまで真から人と交わらず、壁にかけた肖像画から放たれる女性たちの視線のみに心
を開いてきたヴァージルが、初めて一人の生身の女性に心を奪われ、乱され、オークション
でも失態を演じてしまう。機械人形のような完璧なヴァージルが、血の通う人間になった瞬間
でもある。
はじめから終わりまでストーリーの根底にあるのは、本物と偽物。
それは絵画のことだけに限らず、人間の愛情にまで及び、疑問を投げかけていく。
で、ここで私は思うのだ。「価値」とはいったい何なんだろう、と。
壁に飾ってある絵画を心から愛でていたのに、ある日偽物とわかった途端に興味が
消え失せるとすれば、その人はその絵を愛していたのではなく、「本物である」こと「高価
であること」をただ気に入っていたということだ。
ある価値観が世の中の傾向にうまく乗っかっていく。するとあっという間に多くの人々を取り込み、
たくさんの人が「すごいすごい」と騒ぎ出す。
我々の高校時代、「ロックは不良の音楽」と言われていた。
あの頃優等生側にいて白い目を向けていた人達さえも、今になってストーンズのコンサートに
行くのはどうしてなんだろう?
「本物と言われている物」に人々はこだわり、それらとかかわり合おうとする。
でも私は偽物でもいいと思っているんだ。それよりも自分がいいと思うことを大事にしよう
と思って。それがたとえこの世の中で偽物だったとしても、私の世界に入り込むやいなや
「本物」となるのだ。
それとね、もうひとつ思うのは、この愛は本物か偽物か・・と言ってる時点でもう怪しい。
だって「価値」という言葉で測れるようなものじゃないでしょ?
たぶん「愛」って。
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