日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
「霜柱愛好家・・霜柱踏み人」の私としては、寒さの度合いを、毎朝の散歩途中に踏む霜柱
の感触で判断する。幾分寒さの弱い日の霜柱は、とことん頑張りがきかない。
足を上に乗っけた時点で何の抵抗もなく砂の塊のように崩れ去る。
その逆に、「今日は最低気温ですよ・・。」と天気予報で言っていた日などは、とても頑固な霜柱
に出会うことができる。私の体重ぐらいじゃびくともしなかったりするのだ。
どんな霜柱にも対応可能な私は、こういう時はちょっぴり鬼の面を被って、自分のかかとを鋭利な
ナイフのように地面に突き刺し、いやがおうでも潰してしまう。
ぎりぎり息が白く見えるような日には、理想の霜柱に出会える。
足をそっとのせると心地よい硬さがそこにある。少しずつ体重をかけていくたびに、霜柱は土中
の空胞を音とともにひとつひとつ手放していく。地面と私の足の裏あたりがピタッと平になった
時点で、調和が生まれる。
先週から今週にかけて、「区切り」のつくことがいくつかあった。
区切りをつけた、というのが本当かな。
精神安定のための薬が手放せない彼とのメールが今までも続いていた。
中身がどんどんエスカレートする。・・君は渡辺真知子、僕はエリッククラプトン。
僕はお爺さんになってしまったから、大学時代のサークルに年金を払ってもらいたい
と思うが、どうすればいい? サークルはヤクザに支配されてる。全て解散だ!!
友達に初めて相談した。彼のメールを初めて人に聞かせた。
友達はきっばり答えてくれた。
「すっぱりと切るべきだ。それが彼のためでもある。今彼はあなたを通して大学時代
に執着している。それを切ってあげて、100%専門家の方に向けてあげるほうがいい。」
「自分は大丈夫と思っていても、そういうことって粒子レベルであなたの精神に影響すると
思う。あなたのためにもやめたほうがいい。」
私は目からウロコが落ちた。
彼から「今までの迷惑は全部忘れてくれ。絶対東京に戻って錦を飾る・・」
という最後のメールに、「ごめんね。でももうこれで終わりにします。」と打ち切った。
の感触で判断する。幾分寒さの弱い日の霜柱は、とことん頑張りがきかない。
足を上に乗っけた時点で何の抵抗もなく砂の塊のように崩れ去る。
その逆に、「今日は最低気温ですよ・・。」と天気予報で言っていた日などは、とても頑固な霜柱
に出会うことができる。私の体重ぐらいじゃびくともしなかったりするのだ。
どんな霜柱にも対応可能な私は、こういう時はちょっぴり鬼の面を被って、自分のかかとを鋭利な
ナイフのように地面に突き刺し、いやがおうでも潰してしまう。
ぎりぎり息が白く見えるような日には、理想の霜柱に出会える。
足をそっとのせると心地よい硬さがそこにある。少しずつ体重をかけていくたびに、霜柱は土中
の空胞を音とともにひとつひとつ手放していく。地面と私の足の裏あたりがピタッと平になった
時点で、調和が生まれる。
先週から今週にかけて、「区切り」のつくことがいくつかあった。
区切りをつけた、というのが本当かな。
精神安定のための薬が手放せない彼とのメールが今までも続いていた。
中身がどんどんエスカレートする。・・君は渡辺真知子、僕はエリッククラプトン。
僕はお爺さんになってしまったから、大学時代のサークルに年金を払ってもらいたい
と思うが、どうすればいい? サークルはヤクザに支配されてる。全て解散だ!!
友達に初めて相談した。彼のメールを初めて人に聞かせた。
友達はきっばり答えてくれた。
「すっぱりと切るべきだ。それが彼のためでもある。今彼はあなたを通して大学時代
に執着している。それを切ってあげて、100%専門家の方に向けてあげるほうがいい。」
「自分は大丈夫と思っていても、そういうことって粒子レベルであなたの精神に影響すると
思う。あなたのためにもやめたほうがいい。」
私は目からウロコが落ちた。
彼から「今までの迷惑は全部忘れてくれ。絶対東京に戻って錦を飾る・・」
という最後のメールに、「ごめんね。でももうこれで終わりにします。」と打ち切った。
わずかな睡眠を除いて、一日の殆どを仕事や家事に費やし、動き続けている友達ふたりと、方や
仕事もせずにのんきに暮らしている私、の3人が集まって、お昼を一緒に食べる機会を持つことが
できた。
この二人の空き時間が会うこと自体ミラクルなので、再会が決まった時からなんとなく運命的
なものを感じていたんだ。
看護婦の鳩ちゃんと、ピアノ演奏家のサナエさん。
二人とも、バレエを通して知り合った友達で、何かがお互いを呼び合ったのだろう・・もう何年
も前にバレエを辞められたサナエさんとも今だにお付き合いをさせてもらっている。
彼等はホント凄いんだ! 体力と生産性にフォーカスしてみると、彼等は実際私の20倍位の人生
を生きていることになると思う。
鳩ちゃんについては、このブログにも何度か登場しているので、今日はサナエさんのことを少し
ばかり紹介したいと思う。
芸大のピアノ科を出て、テレビで「歌とピアノのお姉さん」を経験した後、劇団の伴奏をやったり
演奏会を開いたり、音大受験生を山ほどかかえて真夜中まで教えたり、というような音楽漬けの
生活に加えて、4人の子供の母親をこなしてきた人だ。
それだけでもう凄い!と思うでしょうけれど、彼女はそれだけでは終わらないの。
テレビ時代に山本直純さんから言われた言葉、「音楽やるなら、ちゃんと底辺も見なければ
だめだよ。」という言葉をしっかりと受け止めた彼女は、音楽をやりながら、敢えて普通の仕事
も選んで経験を広めていく。スーパーのレジ、保育園のスタッフ、資格を取って介護士に、
ヒーリングの勉強をしてヒーラ-に。
「今はその中のどれに中心を置いてるわけ?」という私の愚問に彼女がすぐさま答えた。
「私の中では全部同じなのよ・・。」「音楽も人を癒すでしょ? スーパーのレジだって、あなたがいいわ・・って、いつも私のところに並んでくれる人がいたのよ。私の中ではみんなつながっているの。」
この3人が集まると、「精神性」とか「魂」とか、普段のランチにほとんど登場しないような
言葉がいっぱい出てくるのもいつものこと。
今回は、彼女たち、特にサナエさんのお話を聞いている側に私はいた。
彼女たちの生い立ちやこれまでの人生が、逆境の多いものであったことをより具体的に知って、
私はポカンとしてしまった。逆境をたくさんかいくぐって来た彼女たちの方が、能天気に生きて
来た私よりもまっすぐで魂が美しい・・そう感じたからだ。
6時間くらい彼女たちと居て気づいたことがある。
もしも仮に「魂のレベル」というものがあるのだとしたら、私より数段高い魂のレベルの人達と
私は一緒にいさせてもらっているんだ。
なんかね、そこに居れたことがとても貴重なことに思えたんだ。
仕事もせずにのんきに暮らしている私、の3人が集まって、お昼を一緒に食べる機会を持つことが
できた。
この二人の空き時間が会うこと自体ミラクルなので、再会が決まった時からなんとなく運命的
なものを感じていたんだ。
看護婦の鳩ちゃんと、ピアノ演奏家のサナエさん。
二人とも、バレエを通して知り合った友達で、何かがお互いを呼び合ったのだろう・・もう何年
も前にバレエを辞められたサナエさんとも今だにお付き合いをさせてもらっている。
彼等はホント凄いんだ! 体力と生産性にフォーカスしてみると、彼等は実際私の20倍位の人生
を生きていることになると思う。
鳩ちゃんについては、このブログにも何度か登場しているので、今日はサナエさんのことを少し
ばかり紹介したいと思う。
芸大のピアノ科を出て、テレビで「歌とピアノのお姉さん」を経験した後、劇団の伴奏をやったり
演奏会を開いたり、音大受験生を山ほどかかえて真夜中まで教えたり、というような音楽漬けの
生活に加えて、4人の子供の母親をこなしてきた人だ。
それだけでもう凄い!と思うでしょうけれど、彼女はそれだけでは終わらないの。
テレビ時代に山本直純さんから言われた言葉、「音楽やるなら、ちゃんと底辺も見なければ
だめだよ。」という言葉をしっかりと受け止めた彼女は、音楽をやりながら、敢えて普通の仕事
も選んで経験を広めていく。スーパーのレジ、保育園のスタッフ、資格を取って介護士に、
ヒーリングの勉強をしてヒーラ-に。
「今はその中のどれに中心を置いてるわけ?」という私の愚問に彼女がすぐさま答えた。
「私の中では全部同じなのよ・・。」「音楽も人を癒すでしょ? スーパーのレジだって、あなたがいいわ・・って、いつも私のところに並んでくれる人がいたのよ。私の中ではみんなつながっているの。」
この3人が集まると、「精神性」とか「魂」とか、普段のランチにほとんど登場しないような
言葉がいっぱい出てくるのもいつものこと。
今回は、彼女たち、特にサナエさんのお話を聞いている側に私はいた。
彼女たちの生い立ちやこれまでの人生が、逆境の多いものであったことをより具体的に知って、
私はポカンとしてしまった。逆境をたくさんかいくぐって来た彼女たちの方が、能天気に生きて
来た私よりもまっすぐで魂が美しい・・そう感じたからだ。
6時間くらい彼女たちと居て気づいたことがある。
もしも仮に「魂のレベル」というものがあるのだとしたら、私より数段高い魂のレベルの人達と
私は一緒にいさせてもらっているんだ。
なんかね、そこに居れたことがとても貴重なことに思えたんだ。
年が明けてから、一応新年会という前提で、高校時代や中学時代の友達との「女子会」を
楽しんでいる。土曜日には、生まれた時から自由が丘に住んでいる「おっこ先生」おすすめの
「杜若/かきつばた」に、高校時代の友達6人が集まった。
お料理も美味しかったけれど、チリ産のワインがこれまた美味しくて、「美味しいワインは料理
も引き立てる」・・という常套句を初めて実体験して、ヨワイ56歳。ここに来て感動するのであ
った。
チリ産のワイン、一本4500円。私がいつも飲んでいるワインの7~8倍。
600円足らずのワインで、私は十分美味しいと思っていたしそんなに高いワインを飲みたい
という欲求すらなかったのだけれど、やっぱりいいものはいいし美味しいものは美味しいのね。
なんというか、深みと渋みが風味の根底にあって、喉を通る時に上品なアロマがふわっと鼻腔
をくすぐる感じ。ワイン教室に通い始めたと言っていたえっちゃんに、少しづつでも知識をわけ
てもらおうかと思ってる。
だからと言って、今の600円のワインを高いものに変えるつもりはないの。
本物のワインと比べると、私が飲んでいたものは結局少しアルコールの入った「ぶどうジュース」
に過ぎなかったわけだけれど、このジュースみたいなワインも嫌いではないの。
たぶんこの世の中には私が食べたことのないような高価な美味しいもの、私が初めて食べたら
あまりに美味しくて死んじゃいそうになるようなものを普通に食べている人たちがたくさん
いるのだと思う。でも不思議とその世界を知りたいとは思わない。なぜだろう。
結局何にしても「こだわり」ということにそんなに重きを置いていないからなのかな。
ランチの後、自由が丘をぶらぶら散歩しながら、「古桑庵」という古民家カフェで静かな
温かい時間を過ごして、じゃ、次は鎌倉ね・・と言って解散した。
2月には中学時代の友達の集まりがある。
弁理士資格試験に見事に合格した、くみちゃんのお祝いも兼ねての集まりだ。
くみちゃんの話を聞いてから単純な私はとても影響を受けて、私も今、英語を勉強し直している。
勉強嫌いの私が今勉強が楽しいと思っている。
大人になってからの勉強は、単なる詰め込みではなく、実践を意識し、多面的に物事を見るので、
ひとつのことを勉強していても分野がどんどん広がっていくので楽しいのだと思う。
最近自分に必要なものが、向こうから近づいてきてくれるのを感じる時がある。
例えば真面目に生きていて何がいいのか・・と思ったときに、そういうものが自然と近づいて
来てくれるのではないか、と思うのだ。
直感とか流れに任せて何かを始めたりする。
こんな感じで生きていこうかな、なんて最近思ってる。
楽しんでいる。土曜日には、生まれた時から自由が丘に住んでいる「おっこ先生」おすすめの
「杜若/かきつばた」に、高校時代の友達6人が集まった。
お料理も美味しかったけれど、チリ産のワインがこれまた美味しくて、「美味しいワインは料理
も引き立てる」・・という常套句を初めて実体験して、ヨワイ56歳。ここに来て感動するのであ
った。
チリ産のワイン、一本4500円。私がいつも飲んでいるワインの7~8倍。
600円足らずのワインで、私は十分美味しいと思っていたしそんなに高いワインを飲みたい
という欲求すらなかったのだけれど、やっぱりいいものはいいし美味しいものは美味しいのね。
なんというか、深みと渋みが風味の根底にあって、喉を通る時に上品なアロマがふわっと鼻腔
をくすぐる感じ。ワイン教室に通い始めたと言っていたえっちゃんに、少しづつでも知識をわけ
てもらおうかと思ってる。
だからと言って、今の600円のワインを高いものに変えるつもりはないの。
本物のワインと比べると、私が飲んでいたものは結局少しアルコールの入った「ぶどうジュース」
に過ぎなかったわけだけれど、このジュースみたいなワインも嫌いではないの。
たぶんこの世の中には私が食べたことのないような高価な美味しいもの、私が初めて食べたら
あまりに美味しくて死んじゃいそうになるようなものを普通に食べている人たちがたくさん
いるのだと思う。でも不思議とその世界を知りたいとは思わない。なぜだろう。
結局何にしても「こだわり」ということにそんなに重きを置いていないからなのかな。
ランチの後、自由が丘をぶらぶら散歩しながら、「古桑庵」という古民家カフェで静かな
温かい時間を過ごして、じゃ、次は鎌倉ね・・と言って解散した。
2月には中学時代の友達の集まりがある。
弁理士資格試験に見事に合格した、くみちゃんのお祝いも兼ねての集まりだ。
くみちゃんの話を聞いてから単純な私はとても影響を受けて、私も今、英語を勉強し直している。
勉強嫌いの私が今勉強が楽しいと思っている。
大人になってからの勉強は、単なる詰め込みではなく、実践を意識し、多面的に物事を見るので、
ひとつのことを勉強していても分野がどんどん広がっていくので楽しいのだと思う。
最近自分に必要なものが、向こうから近づいてきてくれるのを感じる時がある。
例えば真面目に生きていて何がいいのか・・と思ったときに、そういうものが自然と近づいて
来てくれるのではないか、と思うのだ。
直感とか流れに任せて何かを始めたりする。
こんな感じで生きていこうかな、なんて最近思ってる。
「たぶん本当は何も考えてないんだと思う。」と前回犬について言ったのは、私の中の極度な
犬びいきを一般的な感覚で中和させようとしたからで、個人的に私は、犬を擬人化してしまい
がちな愚かなタイプです。
例えば、自分が精神的に辛い時にハルに見つめられると、ハルの目が「大丈夫、大丈夫。僕が
ついているじゃないか。」と言っているように思い込み、「ハルありがとう・・ママ頑張るよ」
なんて、愚かな一方通行の会話をしているのが常なのです。
でも最近思うのね。ハルは本当はまったく何もわかっていないかもしれないけれど、そのわかっ
てないのは、人間の方法での不理解であって、なんか別の感覚、それこそ人間には聞こえない
犬笛の音とか微かな匂いを察知する感覚で、人間の感情や表情を察知しているのではないかとね。
ハルはりんごが好き。
でも不思議なことに、りんごはダンナと私が揃っている時に食べるものだと思っているらしい。
いつの頃からか、ダンナの帰宅後に日本茶とりんごを用意することが習慣化していた。
ハルは二人からりんごのかけらをもらってシャキシャキ食べるのがとても楽しいようで、私が
キッチンでりんごをむいている時から、キラキラした表情でお座りしてそのときを待っている。
ある日、そんなにりんごが好きならば・・と昼間にりんごをむいてあげたことがあった。
驚いたことに、ハルは差し出されたりんごのかけらから顔を背けて食べようとしない。
「どうしたの?りんご、好きでしょ?」というと、玄関の方にくるりと顔を向けて、ダンナが
いないことを確認しているようにみえた。
そうか・・よくはわからないけれど、ハルはりんごの味が好きなだけじゃなくて、家族が揃う
ということが嬉しいに違いない。その捉え方も、私たち人間の複雑な情緒とは違ったところで、
もっと本能的な感覚で感じているのだろう。
みんなが揃う・・という意味では、巣立った子供たちが戻ってくると、それはそれは興奮して
ハルはずっとハイになってしまう。娘や息子が帰った後、ハルは幾分ぐったりしている。
ハルにとっても、この二人と一匹の生活が、日常になってしまっているようだ。
犬びいきを一般的な感覚で中和させようとしたからで、個人的に私は、犬を擬人化してしまい
がちな愚かなタイプです。
例えば、自分が精神的に辛い時にハルに見つめられると、ハルの目が「大丈夫、大丈夫。僕が
ついているじゃないか。」と言っているように思い込み、「ハルありがとう・・ママ頑張るよ」
なんて、愚かな一方通行の会話をしているのが常なのです。
でも最近思うのね。ハルは本当はまったく何もわかっていないかもしれないけれど、そのわかっ
てないのは、人間の方法での不理解であって、なんか別の感覚、それこそ人間には聞こえない
犬笛の音とか微かな匂いを察知する感覚で、人間の感情や表情を察知しているのではないかとね。
ハルはりんごが好き。
でも不思議なことに、りんごはダンナと私が揃っている時に食べるものだと思っているらしい。
いつの頃からか、ダンナの帰宅後に日本茶とりんごを用意することが習慣化していた。
ハルは二人からりんごのかけらをもらってシャキシャキ食べるのがとても楽しいようで、私が
キッチンでりんごをむいている時から、キラキラした表情でお座りしてそのときを待っている。
ある日、そんなにりんごが好きならば・・と昼間にりんごをむいてあげたことがあった。
驚いたことに、ハルは差し出されたりんごのかけらから顔を背けて食べようとしない。
「どうしたの?りんご、好きでしょ?」というと、玄関の方にくるりと顔を向けて、ダンナが
いないことを確認しているようにみえた。
そうか・・よくはわからないけれど、ハルはりんごの味が好きなだけじゃなくて、家族が揃う
ということが嬉しいに違いない。その捉え方も、私たち人間の複雑な情緒とは違ったところで、
もっと本能的な感覚で感じているのだろう。
みんなが揃う・・という意味では、巣立った子供たちが戻ってくると、それはそれは興奮して
ハルはずっとハイになってしまう。娘や息子が帰った後、ハルは幾分ぐったりしている。
ハルにとっても、この二人と一匹の生活が、日常になってしまっているようだ。
去年ひいた風邪が抜けないまま年を越え、今だに咳と鼻水にまみれた生活をしている。
年末の大掃除も、体から反射的に出てきてしまうコンコン、ズビズビ・・という雑音でリズムを
取りながら何とか終わらせた。その後、年越しそばを食べる時も、お正月の用意をする時も、
おめでとう!と新年のお祝いをする時も、初詣に行った時も、家族4人と一匹で河津温泉に旅行に行っている間も、このコンコン、ズビズビはしつこく続き、そして今に至っている。
ふとした拍子に他愛もない風邪をひく。運動してて筋肉を痛める。
そんな場合、これまでほとんど気にせずほったらかしておけたのに、そのしつこさゆえに日に日に
意識をそっちに持って行かれてしまう。その治りの悪さ遅さによって、確実に年をとっている自分
の身体というものを、きっちり自覚させられる。
そんなこんなで、アンチエイジングが声高に叫ばれている世の中で、私はひとり、年を取っていく
自分の身体とひっそり対峙して、そのことを大方素直に受け入れていた。
この素直さは、私があんまり身体が丈夫でないということに起因しているのだと思う。
そうでなきゃ、今だ戦闘態勢を崩していなんじゃないかと思う。
美魔女目指していたかも・・。冗談だけど。
子供達が独立してから早4年。
彼らが家に戻ってくると、部屋が狭い。車が窮屈。
昔は彼らがそこにいることが私にとっての日常であったのに、今では年に数回の非日常。
3、4日一緒に過ごした後、バラけて日常へと帰って行く彼らの後ろ姿に、いつもの自分の
生活に戻っていける安堵感があるのが読み取れる。私にしても、いつもの「2人と一匹」に
なって実のところホッとしているのである。さみしさは不思議とまったくない。
言ってみれば、こんだけさみしくないことが逆にさみしいと思うくらいだ。
かつて、時間と空間と感情と体温を、つまり日々の経験を私たちと大きく共有していた彼等は、
今や完全に私たち親から独立し、親子という事実以外は共有するものが少なくなっている。
そしてそれをお互い当たり前だと納得している。
完全なる親離れ子離れの完成形を、実にめでたい・・と思いながら、おめでたいことにつきも
のの、不思議な悲しみ・・みたいなものを私は感じているのか。
年末に風邪で寝込んだ時にHULUで見つけて観まくった「深夜食堂」1.2シーズンの、新たな
3シーズン全エピソードを、Utubeで見つけて全て見た。これで今度公開される映画以外は全て
観たことになる。
「深夜食堂」ばかり観てないで何か映画でも観ようか?と、撮りためてあったハードディスクから、「さよならクロ」を選んで観始めた。
クロという犬のお話。そして さよなら と付く時点でいつもなら避けて通るのに、なぜかこれを選んで観始めたのだ。
オープニングで、監督のクレジットを見てびっくりした。「深夜食堂」を何本も撮っている
松岡錠司監督だったからだ。ひとつの傾向を呼んじゃう時は自然と呼んじゃうのね、きっと。
これがとてもいい映画だった。
あの淡々と描かれる「深夜食堂」の静かな流れが「クロ」にも流れていた。
動物に演技は土台無理な話で、動物ものの映画に不自然さはつきもの・・と諦めていたのに、
まったく不自然さを感じなかった。
大きな傷と罪の意識を心に負った人達が、明るい方向へ一歩踏み出すのに必要な時間の経過
が、それはそれは繊細に描かれていた。
ひとりひとりの人たちの クロ への思いが痛いほど感じられた。
クロはそこに居て生き抜いた。ただそこに居て真っ直ぐな視線を周りの人間に送っていた。
犬は犬の形をしてそこに居る。眠ったり食べたりしっぽを振ったり。そして時々何もかも
わかっているような目でこちらを見つめる。実は何も分かっていないんだと思う。
言葉もしゃべらない小さな動物が、ただそこにいてくれることで、どれだけ周りにいる人間の
感情を豊かにしてくれるのか見当もつかない。どれだけ助けられているのかも。
犬の大好きなあなた様。是非「さよならクロ」を観てみてくださいな。
年末の大掃除も、体から反射的に出てきてしまうコンコン、ズビズビ・・という雑音でリズムを
取りながら何とか終わらせた。その後、年越しそばを食べる時も、お正月の用意をする時も、
おめでとう!と新年のお祝いをする時も、初詣に行った時も、家族4人と一匹で河津温泉に旅行に行っている間も、このコンコン、ズビズビはしつこく続き、そして今に至っている。
ふとした拍子に他愛もない風邪をひく。運動してて筋肉を痛める。
そんな場合、これまでほとんど気にせずほったらかしておけたのに、そのしつこさゆえに日に日に
意識をそっちに持って行かれてしまう。その治りの悪さ遅さによって、確実に年をとっている自分
の身体というものを、きっちり自覚させられる。
そんなこんなで、アンチエイジングが声高に叫ばれている世の中で、私はひとり、年を取っていく
自分の身体とひっそり対峙して、そのことを大方素直に受け入れていた。
この素直さは、私があんまり身体が丈夫でないということに起因しているのだと思う。
そうでなきゃ、今だ戦闘態勢を崩していなんじゃないかと思う。
美魔女目指していたかも・・。冗談だけど。
子供達が独立してから早4年。
彼らが家に戻ってくると、部屋が狭い。車が窮屈。
昔は彼らがそこにいることが私にとっての日常であったのに、今では年に数回の非日常。
3、4日一緒に過ごした後、バラけて日常へと帰って行く彼らの後ろ姿に、いつもの自分の
生活に戻っていける安堵感があるのが読み取れる。私にしても、いつもの「2人と一匹」に
なって実のところホッとしているのである。さみしさは不思議とまったくない。
言ってみれば、こんだけさみしくないことが逆にさみしいと思うくらいだ。
かつて、時間と空間と感情と体温を、つまり日々の経験を私たちと大きく共有していた彼等は、
今や完全に私たち親から独立し、親子という事実以外は共有するものが少なくなっている。
そしてそれをお互い当たり前だと納得している。
完全なる親離れ子離れの完成形を、実にめでたい・・と思いながら、おめでたいことにつきも
のの、不思議な悲しみ・・みたいなものを私は感じているのか。
年末に風邪で寝込んだ時にHULUで見つけて観まくった「深夜食堂」1.2シーズンの、新たな
3シーズン全エピソードを、Utubeで見つけて全て見た。これで今度公開される映画以外は全て
観たことになる。
「深夜食堂」ばかり観てないで何か映画でも観ようか?と、撮りためてあったハードディスクから、「さよならクロ」を選んで観始めた。
クロという犬のお話。そして さよなら と付く時点でいつもなら避けて通るのに、なぜかこれを選んで観始めたのだ。
オープニングで、監督のクレジットを見てびっくりした。「深夜食堂」を何本も撮っている
松岡錠司監督だったからだ。ひとつの傾向を呼んじゃう時は自然と呼んじゃうのね、きっと。
これがとてもいい映画だった。
あの淡々と描かれる「深夜食堂」の静かな流れが「クロ」にも流れていた。
動物に演技は土台無理な話で、動物ものの映画に不自然さはつきもの・・と諦めていたのに、
まったく不自然さを感じなかった。
大きな傷と罪の意識を心に負った人達が、明るい方向へ一歩踏み出すのに必要な時間の経過
が、それはそれは繊細に描かれていた。
ひとりひとりの人たちの クロ への思いが痛いほど感じられた。
クロはそこに居て生き抜いた。ただそこに居て真っ直ぐな視線を周りの人間に送っていた。
犬は犬の形をしてそこに居る。眠ったり食べたりしっぽを振ったり。そして時々何もかも
わかっているような目でこちらを見つめる。実は何も分かっていないんだと思う。
言葉もしゃべらない小さな動物が、ただそこにいてくれることで、どれだけ周りにいる人間の
感情を豊かにしてくれるのか見当もつかない。どれだけ助けられているのかも。
犬の大好きなあなた様。是非「さよならクロ」を観てみてくださいな。
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