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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 ひとつの食べ物にこんなに執着するなんてこと、今まであったかしら?

 スーパーの果物売り場でたまたま目にした市田柿。「干し柿」と言われてイメージする大きさの ひとまわり小さい長野産の干し柿です。

 毎年この時期目にしていたはずなのに、今年はなぜか私を捉えて離さない。

 売り場の前で、数分の熱い視線を送った後、思い切って十数個入りのプラスチックースをかごの中に入れた。
 
 そそくさと家に帰り、はやる気持ちを抑えながらひと噛みしたとたん、もうこれです。これをもとめていたんです。と一生の友に出会ったような気持ちになった。
  
 干されながら糖分が染み出て乾燥することで、舞台化粧のおしろいのみでそのままほったらかされたような柿たちは、ぱっと見はあまり目を惹く姿かたちではないと思う。

 世の中のイメージも、若さとかけ離れたマイナーな存在 といったところではないかな。

 実際 我が家の他のメンバーは、誰も干し柿を口にしようとはしない。
ということはだ、楽しみにとっておいたものが食べられてしまって 子供じみた悔しがり方をしなくてすむということだ。

 市田柿はいつのときでも、お行儀よく私だけを待っていてくれる。
 
 みんな知ってるのだろうか? 

粉をふいたしわしわな表面のすぐ下に、情熱的な深い橙色が凝縮されていることを。

硬すぎもせず柔らかすぎもしない、理想の弾力がそこに存在することを。

太陽光線とのコラボレーションにより生み出された あの芳醇な味と香りを。

 このようなのめり込みのさなか 本屋で立ち読みしていたら またもや干し柿に出会った。

 本の題名は’免疫力をあげる食べ物 ’。

思い切り納得。そして私は心の中で”素晴らしい!”  とつぶやいた。






 三が日を、バイト先で働き倒した息子
シェフの卵である彼は、下っ端仕事をしながら修行中だ。

 優雅に鍋を振るプロ料理人の背後を独楽鼠のように行き来しながら、鉄鍋を振りたい!料理を作りたい!という気持ちが抑えきれなくなったのか、中華のフルコースを作ると宣言したのが十日ほど前。

 その日から、メニュー作りに始まって、専門店への発注 買出し 2,3日前からの下準備と、にわかに活気がみなぎってくる。

 それにしても専門料理というのは やはりすごい。
スープをとるのに3千円近くするキンカハムとかいうやつを惜しみもなく使ってしまう。

 嵩んだ材料費も、先行投資ということで半分は私のお財布からだすことに。

 主人の母も招待して、前菜から始まる料理を堪能しながら、おしゃべりを楽しんだ。
 
 「おむつを替えてたみいくんが、今はこんなことしてくれるなんてねぇ。」と感慨深げに言った母の言葉が印象的だった。

 家庭料理を作り続けてきた私の範疇を 大きく超えてしまった出される料理に、喜びとしあわせとちょっとばかしの寂しさをかみしめながら、長い一日は幕を閉じました。blog 009as2.jp
 通勤最寄り駅まで だんなを送り迎えするようになった去年の12月以来、早朝のハルのお散歩が新しい日課となりました。

 寒い日もへっちゃらなハルは、意気揚々とお尻ふりふり歩みをすすめます。ただし他のワンちゃん達とすれ違わなければ、の話です。

 ハルは以前知らないわんちゃんとくんくん中に、マズルをちょっとばかし噛まれたことがある。ハルは学ぶのよ、懲りるのよ。それ以来他のワンちゃん超苦手な臆病な子になってしまった。

 ま、人間みたいにどうしても幼稚園に行かなきゃということもないしね。でもさー、遊ぼあそぼとちっちゃな可愛いトイプーが 尾っぽをふってくれても、私を軸にしてぐるぐる逃げ回るだけというのもねぇ、どうしたもんかしら。相手の飼い主さんに 「怖がりなんですよ~、ごめなさいね。」と穏やかに謝ることも毎度のことで慣れてきたし。

 そういうこともありつつ、で、ハルとのお散歩は実に楽しい。

 早朝の冬のお散歩ならではの楽しみ方は、霜柱を踏む。ただ 踏むのだ。
足の裏に伝わるあの感触。くしゅうゃあり しゃぎゃあうぃ みたいな。

 ハルが霜柱を踏むでしょ? まさにその後なんですょ、愛すべき瞬間は。ハルの可愛い肉球がふんわりと霜柱を圧縮し、ほお擦りしたくなるような足跡が誕生するのだ。

 あとね。西の方向へ歩いているときが楽しいし幸せ。
朝日が私とハルの背後から照らしてくれてふたりの影法師を作ってくれるから。
 
 リードを絆にした一人と一匹。
影でさえ 漆黒の光を放ち、楽しそうに見えるんだ。



 10代後半からコンタクトレンズのお世話になってきた。
最近気になることがあったので、久々に眼科の門をくぐる。

 と、コンタクトはこれ以上しないほうがいいですよ。とピシャリと言われてしまった。30年が限界なんですって。

 どうしても必要なときは、使い捨てのソフトレンズを使い、それ以外はめがねで過ごすことになった。

 なのに、めがねを日常的的に着けていることに慣れそうもなく、つけずにぼんやりとした世界で過ごす時間が多くなっている。

 数日前に、偶然以前に観たことのある映画 ”めがね ”がテレビで放映された。特別感動したわけでもないのに、ハードディスクに録画したそれを 観た後消さずに置いといたのには理由がある。気持ちがせかせかしたりイライラしたときに観ようと思ったからだ。

 出てくる大人は、なぜかみんなめがねをかけている。美しい海と自然に囲まれた宿に集う人たちは、たそがれる のが得意な人たちだ。

 流れる時間が、私の知っているそれとははっきり違う。効率とか要領とかいう言葉は存在しない。んだろう。観光という言葉に対しても首をかしげたくらいだから。

 一連のこのシリーズは、食卓が大いに活躍し、食べ物がホントおいしそう。かもめ食堂に出てきたシナモンロールに私は思い切りやられてしまい、あの後何度自分でシナモンロールを作ったことか。

 めがねをかけなきゃならなくなったのは少し気が滅入るけど、もしも あのゆったりとした時間が流れる世界において、めがねが必要条件のひとつであるならば、むしろ喜ばしいことなのかもしれないね。
ここ2~3年、私にしてみれば良く続いたもので、毎日欠かさず英語に触れてきた。

 きっかけは、アメリカ在住の友達がネイティブのご主人と帰国し、そのまま住み続けるという嬉しい知らせだった。彼らが戻ってきたときの、スムーズなやりとりを思い描いたからだ。

 でもそれ以前から、この中途半端な英語をなんとかせねばというあせりや、勉強を先延ばしにしていることへの罪悪感は 常日頃感じていたんです。

 長年 中学生や高校生の家庭教師をしていることもそういう気持ちに拍車をかけたのか、その時点でやっとスタートを切ることができて今に至ってます。

 継続は力なり。とはよく言ったもんで、最近英語を通して見える景色が違ってきたのを自覚します。

 ひとつのステージでもがき苦しんだ後、何かの拍子に次のステージにポンと乗れたのかもしれません。

 どんなフィールドにおいても ものごとの上達の仕方は似ているのでは。と、英語やバレエを通して思う今日この頃です。

 つまり、けっしてなだらかな右上がりのスロープではないということです。

 何かを追求する過程で、階段の踊り場のような場所が随所にあって、そこに到達するとしばらくそこにとどまっていなければならない。

 でもいったんそこから抜け出て次の踊り場への階段を上がるのはさして困難ではない。

 まじめにやっていてもまったく上達しないと感じるときは、その踊り場に居るときなんだと。

 でも敢えて言いたいのは、方法が間違っていなければの話だということです。

 ひとつのフィールドについて自分なりの方法論が具体化するには、ひとつのことを10年位続けることが必要なんだと思う。 そこからのスタートなんじゃないかと。

 まだまだ長い道のりです。

 

 
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