日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ここ2~3年、私にしてみれば良く続いたもので、毎日欠かさず英語に触れてきた。
きっかけは、アメリカ在住の友達がネイティブのご主人と帰国し、そのまま住み続けるという嬉しい知らせだった。彼らが戻ってきたときの、スムーズなやりとりを思い描いたからだ。
でもそれ以前から、この中途半端な英語をなんとかせねばというあせりや、勉強を先延ばしにしていることへの罪悪感は 常日頃感じていたんです。
長年 中学生や高校生の家庭教師をしていることもそういう気持ちに拍車をかけたのか、その時点でやっとスタートを切ることができて今に至ってます。
継続は力なり。とはよく言ったもんで、最近英語を通して見える景色が違ってきたのを自覚します。
ひとつのステージでもがき苦しんだ後、何かの拍子に次のステージにポンと乗れたのかもしれません。
どんなフィールドにおいても ものごとの上達の仕方は似ているのでは。と、英語やバレエを通して思う今日この頃です。
つまり、けっしてなだらかな右上がりのスロープではないということです。
何かを追求する過程で、階段の踊り場のような場所が随所にあって、そこに到達するとしばらくそこにとどまっていなければならない。
でもいったんそこから抜け出て次の踊り場への階段を上がるのはさして困難ではない。
まじめにやっていてもまったく上達しないと感じるときは、その踊り場に居るときなんだと。
でも敢えて言いたいのは、方法が間違っていなければの話だということです。
ひとつのフィールドについて自分なりの方法論が具体化するには、ひとつのことを10年位続けることが必要なんだと思う。 そこからのスタートなんじゃないかと。
まだまだ長い道のりです。
きっかけは、アメリカ在住の友達がネイティブのご主人と帰国し、そのまま住み続けるという嬉しい知らせだった。彼らが戻ってきたときの、スムーズなやりとりを思い描いたからだ。
でもそれ以前から、この中途半端な英語をなんとかせねばというあせりや、勉強を先延ばしにしていることへの罪悪感は 常日頃感じていたんです。
長年 中学生や高校生の家庭教師をしていることもそういう気持ちに拍車をかけたのか、その時点でやっとスタートを切ることができて今に至ってます。
継続は力なり。とはよく言ったもんで、最近英語を通して見える景色が違ってきたのを自覚します。
ひとつのステージでもがき苦しんだ後、何かの拍子に次のステージにポンと乗れたのかもしれません。
どんなフィールドにおいても ものごとの上達の仕方は似ているのでは。と、英語やバレエを通して思う今日この頃です。
つまり、けっしてなだらかな右上がりのスロープではないということです。
何かを追求する過程で、階段の踊り場のような場所が随所にあって、そこに到達するとしばらくそこにとどまっていなければならない。
でもいったんそこから抜け出て次の踊り場への階段を上がるのはさして困難ではない。
まじめにやっていてもまったく上達しないと感じるときは、その踊り場に居るときなんだと。
でも敢えて言いたいのは、方法が間違っていなければの話だということです。
ひとつのフィールドについて自分なりの方法論が具体化するには、ひとつのことを10年位続けることが必要なんだと思う。 そこからのスタートなんじゃないかと。
まだまだ長い道のりです。
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