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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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二週間ぶりのバレエ。
膝の調子は、まずまず。と言っても 今日はポアントをはかずにシューズで通したので、これから先ポアントでガンガン踊るとどうなんだろう・・とちょっぴり不安。

 お稽古後、話題にのぼったのが 年とともに痛感する傷やケガの治りの遅さ。
私の膝も、3年前くらいに同じような症状を経験しているにもかかわらず、なんか勝手が違うのだ。

 おかしいな、前より症状は軽いはずなのに いまいちすっきりしないのは何故だろう?・・って、単に年をとっただけだったのね。 

 他のみんなも、最近傷の治りが遅くてしかも跡が残る・・と言いながら、傷跡をみせあったりして。

 中年以降のバレエは 続けられる というだけで本当にありがたいことなのだ。
続けるためには、自分の体になるべく負担がかからないようにしていかなくてはならない。筋肉や関節の使い方を工夫し、充分なストレッチをして、自分の動きのくせの悪循環を断つ必要があるんだと思う。とてもむずかしいし根気のいること。

 故障の経験が 次のステップにつながってくれるといいけど。
・・・若い人が言うような言葉を敢えて言わせてもらって。

 さて、昨日の「花」の写真つながりで、今日は 「木々」。

 太い幹に出逢うと、必ずハグしてしまうのは、私がそれだけ古木に思い入れがあって 勝手に擬人化しているから。

 でもよく考えたら 擬人化なんてこの上なく失礼で思い上がったことなのかもしれない。  なので、これからは私が 「木化」します。








半年前くらいに申し込んであった、半日人間ドックに危なく行きそびれるところ
だった。

 お誕生日月に毎年受けることにしとけば忘れないわよ。という友達の言葉に大いに
うなずき、8月を選んだのだった。よかった~。気がついて。気がついたの三日前。

 「昼食付の検査」って、最初冗談みたいと思ったけれど、最近よくあるのかしら。
それが以外にもとてもおいしくて。ごはんの炊き具合も、おかずのバリエーションも
とても満足。バリュームだけのおなかが、普通の食事を欲していたからなのかな。

 お洒落なことに、サラダバーまでついていて、かぼちゃのサラダがおかわりするほどおいしかった。   他の人、おかわりする人なんていなかったけどね。
ご飯食べに来たんじゃなくて、「検査」・・・だものね。

 ここ何日かのブログを見返して、山形旅行の写真が ちょっとしたテーマ別になっていることに気づき、今日は 旅行先で撮った 草花 を載せようと思います。

 場所がどこであろうが、咲く花は美しい。




 






海よりも川のほうが好きだったんだ。
この今の今、自覚が芽生えたとは 不思議。

 表向き 美しい と傾倒しながらも海はあまりに果てしなく、実は小さな恐怖心をどこかに抱いている。

 サーファーの人、ごめんなさい。でもあのよせては返す波が昔からあんまり好きになれないのよ。勢いがゆるかろうが激しかろうが、ずっと眺めたり浸かっていたりすると、あの揺れ幅が私の内耳に気味の悪い刺激を与えてしまう。

 とても小さいとき、きっとまだしゃべれない頃、両親に連れて行かれた初めての海を前に 恐怖で泣き叫んだ記憶がある。そのせいなのかな。

 それでも私は 水 のある場所にとても魅かれる。

 その名の通り 緑豊富な横浜の緑区に住んでいる私にとって、旅先の緑深き山風景は、言ってみれば 頻繁に会える親友がいつもよりちょっと色濃く個性を前面に出して逢いに来てくれたようなもの。

 池や湖、滝 川 そしてやっぱり海・・
逢わない時間が、愛そだてるのかしら。

 今回の山形の旅でも 水 のある景色に心動かされた。
 
 風に揺れる水面、太陽光を反射、絢爛たる色の交錯。
滝の水しぶき マイナスイオン 流水が奏でる音 ひんやりとした膚触り。
水の匂いの錯覚。透明であること・・

 暑い夏は、水のあるところがほんとうにいい。
 


 











 昨日書いたブログを読み返したら、文章のそこかしこに 自分のどす黒い「我」が
見え隠れしていて正直あきれた。

 山形の旅で、一段のぼるごとに煩悩をそぎ落とす・・と謂れのある「宝珠山 立石寺」、通称「山寺」の階段を800段も上ったのに。

 私の煩悩は、除夜の鐘を聞こうが、山寺を登ろうが、そう簡単には取り除けないよ
うだ。もう人生の半分を大きく過ぎているというのに。困ったことだ。

 煩悩排除には失敗した私だが、この山寺は、素晴らしい時間を私に与えてくれた。
宗教心の薄い私でも、その場に漂うすべての教えをおごそかに享受しようと 背中をぴっと伸ばしたままひたすら階段を上り続けた。

 閑さや岩にしみ入る蝉の声   

 「おくの細道」で有名なこの句は、芭蕉がこの山寺を訪れたときに読まれたものだそうだ。

 豊かな緑の中に、にょきっと現れる荘厳な岩肌。
中間地点で拝める「弥陀洞」は、雨風が自然の岩を削りとり、年月とともに徐々に形を与え 誕生させた「阿弥陀如来」だそうだ。

 眼前にそびえ立つ岩を、阿弥陀如来仏の姿と感じることができれば、幸福が約束されるらしい。 説明文は、・・・仏の姿に見ることができれば・・と書いてあったかもしれない。  私? う~ん 見えたかなあ~?・・感じることはできたと思うの。

 途中 樹齢千年を超える大木に出会い、そのときこそ何よりも増して 私の乾いた宗教心にみずみずしさを与えてくれた瞬間だったかもしれない。











現実にひき戻され、洗濯掃除に明け暮れた。
同じ家を出て山形に向かい 同じ家に山形から帰ってきたのに
その散らかりようは、その当たり前の感覚を麻痺させるほどだった。

 子供たちが我々のいない間に 友達を呼んだようだ。
掃除をしていると、麻雀の点棒が落ちていた。
無機質に そしらぬ顔をしながらも、我が家における空白の3日間を
物語ってくれていた。

 夢のような三日間は、もはや幻想のようだ。
もしかしたら現実逃避だったのかもしれないとも思えてしまう。

「子供より親が大事。」とは、太宰治 の「桜桃」に繰り返される
言葉。太宰が39歳で入水自殺した同年に書かれた作品である。

 図らずも、さくらんぼで有名な旅先の山形で、電子辞書に収録されて
いる太宰作品をいくつか読み返したところなのだ。

 日常生活の心配事、煩わしさを重たく引きずり 煩雑な毎日に消耗
されながらも、家族のかたちを保っている夫婦の話。

 大変さに気づかぬように鈍感でいようとすることは、ひとつの処世術
なのであろう。

 家族。私にとって幸せの必須不可欠でありながら、同時になんと煩わしい
ものであることか。

 息切れしながら支払った子供たちの学費も残すところあと一回。
「稼ぎ始めたらすぐに独立。」を合言葉に子育てをしてきた。

 あと半年が、これなかなかきつい。
「子離れができなくて・・・。子供にはずっと家に居て欲しいと思うの。」

 こういうお母さんを心から尊敬する。私には無理。
早く自由になりたい。

 前から思ってたけど母親向きじゃあないのよね。

 憂鬱が家庭の空気に漂い始めると、太宰はそこから逃げてお酒を飲みに行く。
お皿いっぱい出されたさくらんぼを目の前に、子供に持って帰ったら喜ぶだろう
な、と思いつつも がむしゃらにさくらんぼを食べては種を吐き 食べては吐きを
繰り返すのだ。

 さくらんぼの季節、私の密やかな悪事。
何気ない日常のお買い物の中に こっそりさくらんぼを紛れさす。

 家族のいない日中に、こそこそ食べるのだ。
安っぽいプラスチックケースの底を 種と蔓が覆い尽くすまで、太宰のように
食べては吐き 食べては吐きを繰り返す。

  



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