日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
去年の年末27日からお正月2日まで、年末年始に生まれて初めて
お金のもらえる仕事をした。
ペットシッターとしての仕事で、ねこちゃんやワンちゃんのお世話だ。
結婚して以来、年末年始はやる事てんこ盛りで、すごい仕事量ではあったけれど、
もちろんお家の仕事なのでお金をもらったことはなかった。
だからこれまではまるっきり他人事で、お正月に働いている人たちはすごいなぁ、
と感心していたのが、初めて自分がお正月に働くこととなった。
でも別になんてことなかった。
定年退職した夫と二人の生活に、ホリデーシーズンに対して以前のような特別感
がほとんどないからだ。
掃除をしたりおせちやお雑煮を作ったりしながら、朝夕、時には朝 昼 夕と
それぞれ30分のお世話に出かけていた。
お金を稼げる仕事 と お金を稼げない仕事・・私は主婦として多分後者の仕事量の
方が上回っていると思うが、どっちが好きかと聞かれればそれは仕事によるけれど、
割と主婦の仕事が好きなタイプ、つまりお金を稼げない仕事をより好む方だと思う。
見返りがないのに虚しいでしょ? という人がいるかもしれない。
でもそれは仕事を金銭的な尺度のみで見た場合であって、仕事自体の影響力で言ったら
・・・例えば料理・・家族や時には友人の血となり肉となりうるわけで、また満足感を
互いにシェアできたら精神的にもかなりのプラスだと思う。
それに味覚や嗅覚は記憶に残りやすいしね。長いスパンでその記憶が消えずにいるのだと
したら、それは素晴らしい仕事に違いないと思うのだ。
それでも今回のお金をもらえる仕事、トイプードルのプーちゃん、ヨーキーの花ちゃん、
ラガマフィンのすいちゃん、コーギーのぼんちゃん あーちゃん のお世話は、
やりがいのある楽しい仕事だった。
いつも最終日にはもう当分会えないんだ・・という寂しさを切に感じていた。
そういうわけで、私の正月は1/3からやっと始まり、それから昨日までの3日間、
本当にのんびり過ごさせてもらった。
今日からはヨガの仕事が始まる。
話は変わらないようで変わるが、
「味覚や嗅覚が記憶に残りやすい」と何気に書いた文の中の『記憶』という言葉は、
今の私を生かせてくれているものだと言っても過言ではない。
今朝偶然にも家事をしながらBluetoothで「福岡伸一の知恵の学校」第12回を聞いて
いたら、福岡さんがノーベル文学賞受賞者のカズオイシグロさんの言葉を紹介して
くれた。
「記憶は死に対する部分的な勝利である・・・」
大切な存在を失っている私にとって、彼らとの記憶を愛でる事こそが、今生きる意味なのだ。
私の生の続く限り、私は私の大切な記憶を何度も反芻し、時に何かの拍子に脳みその
裏側からひょっこりあらわれた、今まで眠っていた記憶に出会うことに 大きな喜びを
感じている。
記憶を愛で続けるためにはどうしても避けたいことがある。
認知症になることだ。
今私が規則正しい生活をし、栄養に気をつけ、ヨガやウオーキングを中心とした
運動を心掛けているのは決してアンチエイジングのためではない。
ただただ認知症になりたくないのだ。
もしも認知症になる運命だったとしても、少しでもその時期を遅らせたい。
できる限り長く脳を働かせ、記憶を温存し、それを引き出し、そして彼らを生かす。
別に私は死に勝利する必要は全然ないけれど、私の記憶でもって彼らを生かせたいのだ。
世の中の中心がうごめいている。
年を取っていくことで、その力強い我が物顔のエネルギーが渦巻く世界から 遠のいた
所で知らん顔してられることが楽で心地良い。これはズルいのかな?
例え何かにかかわるとしても、ちゃんと自分の目で選びながら関わっていきたいって思う。
お金のもらえる仕事をした。
ペットシッターとしての仕事で、ねこちゃんやワンちゃんのお世話だ。
結婚して以来、年末年始はやる事てんこ盛りで、すごい仕事量ではあったけれど、
もちろんお家の仕事なのでお金をもらったことはなかった。
だからこれまではまるっきり他人事で、お正月に働いている人たちはすごいなぁ、
と感心していたのが、初めて自分がお正月に働くこととなった。
でも別になんてことなかった。
定年退職した夫と二人の生活に、ホリデーシーズンに対して以前のような特別感
がほとんどないからだ。
掃除をしたりおせちやお雑煮を作ったりしながら、朝夕、時には朝 昼 夕と
それぞれ30分のお世話に出かけていた。
お金を稼げる仕事 と お金を稼げない仕事・・私は主婦として多分後者の仕事量の
方が上回っていると思うが、どっちが好きかと聞かれればそれは仕事によるけれど、
割と主婦の仕事が好きなタイプ、つまりお金を稼げない仕事をより好む方だと思う。
見返りがないのに虚しいでしょ? という人がいるかもしれない。
でもそれは仕事を金銭的な尺度のみで見た場合であって、仕事自体の影響力で言ったら
・・・例えば料理・・家族や時には友人の血となり肉となりうるわけで、また満足感を
互いにシェアできたら精神的にもかなりのプラスだと思う。
それに味覚や嗅覚は記憶に残りやすいしね。長いスパンでその記憶が消えずにいるのだと
したら、それは素晴らしい仕事に違いないと思うのだ。
それでも今回のお金をもらえる仕事、トイプードルのプーちゃん、ヨーキーの花ちゃん、
ラガマフィンのすいちゃん、コーギーのぼんちゃん あーちゃん のお世話は、
やりがいのある楽しい仕事だった。
いつも最終日にはもう当分会えないんだ・・という寂しさを切に感じていた。
そういうわけで、私の正月は1/3からやっと始まり、それから昨日までの3日間、
本当にのんびり過ごさせてもらった。
今日からはヨガの仕事が始まる。
話は変わらないようで変わるが、
「味覚や嗅覚が記憶に残りやすい」と何気に書いた文の中の『記憶』という言葉は、
今の私を生かせてくれているものだと言っても過言ではない。
今朝偶然にも家事をしながらBluetoothで「福岡伸一の知恵の学校」第12回を聞いて
いたら、福岡さんがノーベル文学賞受賞者のカズオイシグロさんの言葉を紹介して
くれた。
「記憶は死に対する部分的な勝利である・・・」
大切な存在を失っている私にとって、彼らとの記憶を愛でる事こそが、今生きる意味なのだ。
私の生の続く限り、私は私の大切な記憶を何度も反芻し、時に何かの拍子に脳みその
裏側からひょっこりあらわれた、今まで眠っていた記憶に出会うことに 大きな喜びを
感じている。
記憶を愛で続けるためにはどうしても避けたいことがある。
認知症になることだ。
今私が規則正しい生活をし、栄養に気をつけ、ヨガやウオーキングを中心とした
運動を心掛けているのは決してアンチエイジングのためではない。
ただただ認知症になりたくないのだ。
もしも認知症になる運命だったとしても、少しでもその時期を遅らせたい。
できる限り長く脳を働かせ、記憶を温存し、それを引き出し、そして彼らを生かす。
別に私は死に勝利する必要は全然ないけれど、私の記憶でもって彼らを生かせたいのだ。
世の中の中心がうごめいている。
年を取っていくことで、その力強い我が物顔のエネルギーが渦巻く世界から 遠のいた
所で知らん顔してられることが楽で心地良い。これはズルいのかな?
例え何かにかかわるとしても、ちゃんと自分の目で選びながら関わっていきたいって思う。
この記事にコメントする
カレンダー
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 14 | 15 | |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[02/03 <a href="https://aclf.ru/">selector casino vojti</a>]
[02/01 JamesDwems]
[01/29 Kophes]
[11/06 https://propranolol-global.github.io/]
[02/01 extiday]
最新TB
ブログ内検索
P R